Bearing the Cross Part12

 無数の車道や高架橋が入り組んでいる不毛の一帯、”スネークターミナル”。暴走族の隠れ家とも呼ばれる広大なキャンプ地帯は、どんよりとした分厚い雲に覆われている。
 ロードコーンやドラム缶などで、コーナーを作っただけの荒れたレース場が、今回の出張ライブのステージだ。見えない壁の外側では、酒を一気飲みしたり、複数のタバコをまとめて吸ったり、明らかに危ない注射器を腕に刺したりしている暴走族たちが、狂ったように笑っている。

(あたし、殴られた……!?)
 継ぎ接ぎだらけのドレスを着た、羊人間のロジータは、気が付けば仰向けになっていた。頭だけを起こして見上げた先には、様々な人種の混血として生まれた、つや消し黒のプロテクターで覆われたサルバドル。鬼の形相という例えすら生温いほど、怒り狂っている。
「ンアアアァァァーーー!!」
 サルバドルは奇声とともに、拳をロジータの腹部目掛けて打ち下ろす! ロジータは慌てて後転し、間一髪で避ける。が、後転からそのまま立ち状態に移行したロジータは、顔面に強烈なストレートを食らった!
(ちょっと……!? 速すぎない……!?)
 ロジータは、数メートルほど吹っ飛ばされながらも、咄嗟の判断で二個の皮袋を引き千切った。メーションによって粉状にしたジャンク、通称”ジャンクパウダー”が詰まっている皮袋を、腰に沢山取り付けているのだ。カラフルな粉を周囲に撒き散らしながら、水を切る石のように激しく転げ回るロジータ。
 サルバドルは、更にパンチを打ち込もうと、ロジータに向かって猛牛のように突進する。ロジータは、うつ伏せになってダウンしながらも、恐ろしい速度で向かってくるサルバドルが踏み荒らすジャンクパウダーに、イメージを集中させた。
 一瞬で間合いを詰めたサルバドルは、そのままロジータの頭を踏みつけようとした瞬間、激しく前方に倒れ込んでしまった。蔦のように合成されたパウダーが、サルバドルの片脚に絡み付いたせいだ。

「アァー!! アッ、アッ、アッ、アッ、アッ、アッ、アアアァァァーーーッッッ!!!」
 死に物狂いで奇声をあげたサルバドルは、片脚に絡み付いた蔦を振り解こうとのた打ち回る。死後硬直で痙攣しているかのようで、得も言われぬ異様な恐ろしさがある。
 何とか身体を起こしたロジータは、その隙に一目散に逃げ出した。ご丁寧にも皮袋を引き千切って、周囲にパウダーを撒き散らしながら。
(何なのあいつ……! 突然キレるわ、パンチは見えないわで、近寄ってらんないっての。こうして”罠”をばら撒いて足止めしつつ、遠距離からじわじわと――あれ?)
 全速力で走っているつもりのロジータは、なぜかその場で足踏みを繰り返していた。自覚したロジータが思わず足を止めると、川面を滑る木の葉のように、サルバドルの方へ引き寄せられてゆく。
(ちょっと、なにこれ!? どういうメーション!?)
 時間切れによってジャンクの蔦が霧消して、サルバドルは自由になっていた。この吸引力からは逃れられないと判断したロジータは、振り向きざまに、パウダーを合成して作った花を投げつける。投げナイフのように鋭いジャンク花が、一直線にサルバドルへと迫る。
 だがサルバドルは、両手両足を大きく振りながらも、見えないほど速いサイドステップでジャンク花を避ける。どこからどう見ても、無駄だらけなモーションだというのに、どうしてこれ程のスピードを出せるのだろうか?
 これはロジータにとっても想定内の出来事で、地面に撒き散らしたパウダーを両手に吸い寄せ、ジャンク花として合成しては次々と投擲する。手元から離れた一本のジャンク花を、高速分解と高速合成によって三本に分裂させるなど、弾幕が単調にならないよう変化を加える。
 しかし、サルバドルは迫り来るジャンク花の大群を、全てサイドステップで避けている。狂気染みた動きで四肢を上下させ、今にも前のめりに倒れ込んでしまいそうなモーションで。
(メーションや機械に頼らず、あれほどの速さで動くことが可能なのですかっ……!?)
 汚らしい歓声が巻き上がる中、水色ローブを着た犬人間のクリスティーネは、冷や汗をかいていた。あくまでクリスティーネの勘だが、サルバドルが身体能力を強化するメーションや機械、そして薬物に頼っているとは思えないのだ。

(全部避けられちゃった!? まったく、こうなったら……!)
 ジャンク花の連続投擲を中断したロジータは、槍のように細長いジャンク花を合成した。走ってサルバドルから逃げることは何故かできないが、サルバドルが自ら離れるように仕向けることは可能なはずだ。あと数メートルの所まで吸い寄せられたロジータは、両手でジャンク花の槍を構え、穂先をサルバドルの顔に向ける。
 と、いつの間にかサルバドルがロジータの懐に潜り込み、ボディーブローを打ちこんでいた! 「ゴスン!」というえげつない音が、クリスティーネの耳にもはっきりと届いた。数メートルもの間合いを一瞬で詰めたサルバドルは、パンチのリーチが槍よりも長いらしい。

 ロジータは後方に倒れ込み、手放したジャンク花の槍は霧消する。涙目となっているロジータは、「あぁぁ……」と悲痛な呻き声を漏らし、蹲ったまま両手で腹を押さえて動かない。見えない壁の内部にいる人間は、普段より感じる痛みが軽減される。あのボディブローは、それでも尚、地獄の苦しみをもたらすほどの威力らしい。
 目が血走っているサルバドルは、激痛で身動きが取れないロジータの後頭部を片手で掴み、軽々と持ち上げた。腕力と握力で持ち上げていると言うよりは、ガントレットにロジータの頭部がくっついていると言った方が、適切かもしれない。
「殺せー! 殺せー!」
「死んじまえ、ゴミクソ女!」
 観客席の最前列で密集している暴走族たちは、涙を流すロジータを持ち上げたまま近づくサルバドルを観て、熱狂している。他の観客たちは、彼らに因縁をつけられることを危惧して、数メートルほど暴走族の集団から離れている。
 暴走族らの目の前にある見えない壁を、空いた方のガントレットで何度も殴りつけるサルバドル。うるさい暴走族たちを黙らせるためかと思いきや、今度は見えない壁にロジータが押し付けられる。すると、ロジータの手の甲や踵などが見えない壁にくっつき、宙に固定された。視覚的には、何もないところで磔にされたように見える。
「アアアァァァーーー!!」
 またもや奇声をあげたサルバドルは、磔になったロジータを容赦なくぶん殴る! 見えないパンチのラッシュによって、瞬く間にロジータの顔が痣だらけになる。腹部を打たれる度に「おえぇ……」と吐きそうになるロジータを、暴走族たちがゲラゲラ笑って面白がっている。

「もっとしっかり働けよー、サンドバッグゥー!」
 ふざけた調子で誰かが叫ぶと、暴走族たちは大爆笑した。サルバドルの両腕にあるガントレットが、”サンドバッグ=メイカー”と呼ばれていることに因んだ、悪趣味なジョークであるらしい。
 サンドバッグ=メイカーで殴られた人間や物質は、特殊な磁力が発生する。殴られれば殴られるほど、その磁力は大きくなる。そして、殴られた人間や物質は、ガントレット自体が帯びている磁力に引き寄せられたり、同じような磁力を持つものとくっついてしまうのだ。
 サルバドルが見えない壁を殴ったのも、磁力を発生させるためだ。このガントレットで殴られた獲物は、逃走することを許されず、壁などに固定されて”サンドバッグ”と化す運命にあるのだ。

 顔中紫色になるまで殴られ続けたロジータは、のた打ち回ることさえできず、見えない壁に固定されたままぐったりしていた。
「良かったわね~ゴミ女ちゃん! 知っているかしら? 本当に良いマッサージをするには、痣が出るくらい指圧してあげなきゃ駄目なの。身体中の毒素が排出されて、綺麗になれて良かったわね~!」
 辺り憚らず、密集する暴走族らの一番前から、拡声器で喚き立てるのは、どぎつい色の服を着たギラギラした目の年増、ファビオラ。
「ヘッヘッヘッヘッヘヘヘ! オキャー! キャアアアァァァー!」
 間接的に飼い主に褒められて満足したのか、暴走族らの汚い歓声を受けて恍惚としたのか、サルバドルは何の前触れもなく笑い出した。そのまま後ろに倒れ込んで、腹を抱えて笑い転げる。暴走族たちの笑い声も大きくなる。

(私も、あのような感じで……)
 笑い続けるサルバドルや暴走族に、ただならぬ恐怖を覚えるクリスティーネ。危ない薬を吸ったように思えるのも理由の一つだが、それ以上に自分の”罪”が鏡に映っているようで気分が悪い。躊躇なく敵を痛めつけて笑い転げるサルバドルの姿が、バトル・アーティストの罪を映し出す鏡のように思えるのだ。
「ありゃー1%の演技も入ってねーな。オレには分かる。きっと普段から、あんなことしてるヤツなんだろーな」
 派手なタンクトップを着た、魚人間のマルツィオは、遠方を眺めるように額に手を当てながら、割と冷静な様子で言った。
「何でも許されるからと芸術を逃げ道にして、何も変わることができなかった人間なんだなぁ」
 落ち着いた色のカーディガンを着ている、蝙蝠人間のブルーノは、蝙蝠の羽根をゆらゆらとさせながら呟いた。
「本当に、襲われたりしませんよね……?」
 マルツィオとブルーノ、二名のボディーガードの間に立っている、若い女性なBASスタッフは、気を抜けば勝手に両足が動いてしまいそうだった。というのも、ヒートアップしている暴走族たちの中には、どつき合ったり、互いの襟元を掴み合ったりしている者もいるからだ。彼らの抗争に巻き込まれるのではないかと、無実の観客たちは怯えている。

 

「……こんなゴミ女を痛めつけて、あんたらに何か得でもあんの?」
 虚ろな目をしたロジータが、弱々しい声で言った。肋骨の多くが折られているせいで、呼吸するだけでもかなり苦しい。奇声で満ちるこのレース場でも、見えない壁の内部で喋られた言葉は、観客の耳にもはっきりと届く。
「サルバドルちゃんのおかげで、世の中から差別された皆たちが笑っているじゃないの~! ゴミ女ちゃん、サンドバッグになってくれて、ありがとう!」
 手足をバタバタさせ、両目をキョロキョロさせながら、何かに憑かれたようにファビオラが声を大にする。
(差別された、皆たち……?)
 差別というか、危険視されて遠ざけられても当然な、スネークターミナルの暴走族たちではあるが、クリスティーネはファビオラの言葉を真に受けている。そのせいで、おおよそ正気とは思えないサルバドルの活躍や、罵詈雑言を言いたい放題な観客の狂喜ぶりを蔑むのは、聖職者故の傲慢なのではないかと、無意味に罪悪感を抱いてしまった。
「へー。じゃ、あんたたちも、このゴミ女と同類ってわけだ」
「何ですって!?」
 ロジータが微かな嘲笑を浮かべながら言うと、ファビオラの顔面は醜く崩れ、笑い転げていたサルバドルも、ポカンとした表情で立ち上がった。
「よく言うじゃん。目糞鼻糞を笑うって。差別されて当然な暴走族どもが、スラム街を這いずって生きる貧乏人を笑う。弱い者いじめでしかプライドを保てない、哀れな連中」
 身体中痣だらけで、全身の骨を粉砕され、リンチを受けたの死体同然の姿にされても、ロジータの心は折れてはいない。
(そうですよ! 負けないで下さい、ロジータさんっ!)
 反撃の狼煙を垣間見たかのように、クリスティーネは淡い希望の光を見出した。同時に、一瞬でも異常な暴走族たちに同情してしまった自分は、なんてちょろい人間なのだろうかと、更なる罪悪感を募らせてしまった。

「差別よ、差別! サルバドルちゃんは特別なのよ! 天使なのよ! 救世主メシアなのよ!」
「ンアアアァァァーーー!!!」
 吐瀉物を撒き散らすように、捲し立てるファビオラに呼応して、奇声をあげたサルバドルが、拳を大きく振り上げる。挑発されて激昂しているのか、その予備動作はとても大振りだった。だから、パンチそのものは見えなくても、見えない壁に磔にされているロジータは、僅かに頭を動かすことで躱すことができた。
 見えない壁にパンチが突き刺さり、次のパンチを繰り出そうとしていたサルバドルの顔面に、ロジータは口から霧状のものを吹き付けた! プロレスにおける毒霧のように、予め口内に仕込んでいたジャンクパウダーを噴射したのだ。
「アァーッ! アァーッ! アァーッ! アァーッ!」
 パウダーが両目に入ったことで、目潰しを喰らったサルバドルは、引き千切られるかのような勢いで、両腕を振り回し始めた。ブスッ、ブスッと、骨が軋むような音が響く。
 ほんの少しだけ傷が癒えて、元気になっているのか、ロジータは見えない壁を蹴って飛び、磔状態から脱出した。殴られ続けたロジータの身体は、未だに物凄く強い磁力を帯びているが、見えない壁に発生していた方の磁力は、時間が経ったことで消えたのだろう。

 幻覚に苛まれる薬物中毒者のように暴れ回っている、サルバドルの背後に着地したロジータは、その場で素早くイメージを練る。サルバドルの顔面に付着したパウダーを蔦状に合成し、動きを封じてから一方的にジャンク花で切り刻む作戦だ。
 だが、サルバドルが蔦で雁字搦めにされたイメージを完成させる間もなく、ロジータはサルバドルのガントレットにくっついてしまった! 数えきれない程のパンチをぶち込まれた影響で、さっきのようにじわじわと引き寄せられるのではなく、掃除機に吸い込まれるゴミのように一気に吸い寄せられた。
「オアアアアアァァァーーー!」
 再度奇声をあげて怒り狂うサルバドルは、両目を瞑ったまま、正面の見えない壁に何度もロジータを打ちつける! 非常に強い磁力を帯びてサンドバッグと化したロジータは、サルバドルから絶対に逃げられない。ハエ叩きにこびり付いたハエの死体が、尚も執拗に壁に叩き付けられるかのように、ガントレットにくっついたロジータは、見えない壁に衝突する度にバラバラ死体へと近づいてゆく。

(サルバドル=ペレスさん……もしかして、あの猫を虐待していた……!?)
 ここにきてクリスティーネは、ようやくサルバドルのことを思い出した。過去幾度となく、動物への虐待やストリートファイトの動画を撮影し、それをインターネット上にアップした張本人であることを。クリストファーとピーターが間違って閲覧した(とクリスティーネは思っている)、猫が無惨にも殺害される動画のアップローダーだ。
(少年院に収監されたはずですよね? どうしてここに……)
 汚い歓声に煽られながら、奇声とともにロジータを見えない壁に叩き付けるサルバドルを、クリスティーネは凝視していた。あの時、サルバドルの居場所を突き止めて、徹底的に命の尊さについて教えてやると決断したことを思い出す。
 しかし、自らの無力さから愛する家庭を壊し、罪のない人間を金の為に傷つける自分は、サルバドルに説教する資格などあるのだろうか? マトモな人間とは思えないファビオラこそが、実は少年院のスタッフであり、クリスティーネが思いもよらない”適切な処置”を施すプロなのではないか? 罪深い自分が、改心したサルバドルに説教など傲慢も甚だしく、むしろ自分がファビオラに教えを乞うべきではないのだろうか?
 善人らしく振舞おうとするほど、クリスティーネは頭を痛めてしまう。もう慈悲深き聖職者ではないのに、今更善人らしく在ろうとしたところで……。

「サルバドルちゃん。使い終わったサンドバッグは、ちゃあんとゴミ箱に捨てましょうね~」
 散々見えない壁に叩き付けられ、ついに動かなくなったロジータを見上げているサルバドルに、拡声器を使ってファビオラが言い聞かせる。
「とっとと死ね、ゴミ女!」
「使えねぇんだよ、ゴミクソ女!」
 レース場に満ちた罵詈雑言すら聞こえていないロジータを、ガントレットごと持ち上げているサルバドルは、恐ろしい程に清々しい笑顔を浮かべている。積み木で作ったお城を褒められて笑う、子どものような表情だ。
 そうしてサルバドルが、ガントレットをステージ中央付近にあるドラム缶の山に向けた瞬間、くっついていたロジータは砲弾のように射出される! 磁石のN極をS極に変える要領で、ガントレットで物を引き寄せる性質を、吹き飛ばす性質へと反転させたのだ。
 頭からドラム缶の山に衝突したロジータは、自動車事故もかくやと言う凄まじさで、複数のドラム缶をバラバラにした。鋼鉄の破片が降り注ぎ、握り潰された空き缶のようになったドラム缶の山の中で、全身のあらゆる骨が無惨に折れ、血塗れになったロジータが横たわる。

 

「キャー! キャキャキャキャキャ! えうぅ~。アキャーッ! キャキャキャ!」
 ライブ終了を告げるゴングが鳴ると、サルバドルは再び腹を抱えて笑い転げた。
「偉いわね~、サルバドルちゃん! あなた、皆たちのヒーローになったのよ!」
 脳が沸騰したかのように、挙動不審な動きを繰り返しているファビオラが、上擦った声を響かせた。彼女の周囲では、差別用語を含んだ歓声や、尋常ならぬ奇声があちこちから飛び交っている。
(双方の合意の上での決闘とは言え……ロジータさんは大丈夫なのでしょうか……?)
 眉を曇らせたクリスティーネは、糸のように細い目を、ステージ中央の方へ向けた。ドラム缶の山に横たわっているのは、依然として気を失っている、全身が粉砕されたロジータ。
 バトル・アーティストとなってそれなりに経つし、悪役ヒールの必要性についてよく理解しているつもりだが、正直やり過ぎではないのかと、心優しいクリスティーネは思っている。サルバドルもファビオラも、スネークターミナルの暴走族たちも。

「おい、押すんじゃねぇ! 死ね!」
「死ね! 糞が! 死ね!」
 壊れたサンドバッグのようになったロジータを、より間近で眺めようと、良識的な観客を押し退け、我先にと見えない壁のそばまで詰め寄る暴走族たち。当然、暴走族同士で押し合う形となる。元来の凶暴な気質と、ライブを経たことによる一種のトランス状態、もしかしたら危ない薬などによって”ハイ”になっていることも相俟って、ちょっとした刺激で憤激してもおかしくない。
「邪魔くせー! 死ね!」
「あぁ!? ぶっ殺すぞ!」
 それは何の前触れもなく始まった。暴走族の群れの中にいる最初の一人が、すぐ傍にいる男を思いっきり殴った。そこを中心点として、暴走族たちによる大乱闘が、ガソリンが引火したかのように一挙に広まった!
「死ね! 死ね! 死ね!」
「お前が死ね! 死ねよ! 死ね!」
 暴走族たちは揃って、カルト宗教における合言葉のように、「死ね」と絶叫しながら殴り合う。真正面から力づくで殴り飛ばされたり、不意打ちで後頭部を打たれたりして、地面に倒れ込んだ者らは、数人がかりで踏み付けられたり、馬乗りされて執拗にパンチを叩きこまれる。幸いにも、予め暴走族たちから距離を置いていた一般客らは、その渦中に巻き込まれることがなかった。

「しゃ、社長! 乱闘騒ぎになっちゃいましたよ! 助けて下さい! お客様が巻き込まれてしまいます!」
 我先に転送装置の方へとすっ飛んで行きそうな両足を、我慢してギリギリ足踏み状態に留めながら、観客たちの最後尾にいる若い女性BASスタッフが、携帯電話で連絡する。両隣に立っているブルーノとマルツィオは、腰を深く落とした臨戦態勢で、最前列で大乱闘を演じている暴走族らを見据えている。
「焦る気持ちは分かるが、一先ず深呼吸して落ち着くんだ。こんなこともあろうかと、観客たちの中に、バトル・アーティストを数人ほど紛れさせておいた。そこはサルバドルとファビオラの本拠地とも言うべき、暴走族の隠れ家。乱闘騒ぎが勃発するのは、必然とも言えよう」
 携帯電話から響いてきた、野太い声の持ち主は、BASの社長ことジャスティン=クック。ゆっくりと、それこそ女性スタッフを落ち着かせるような調子で言い聞かせた。
「だったら最初っから社長が来て下さいよぅ……!」
 足踏みを止めた女性スタッフが、泣き縋るように声を漏らす。
「最初から私がその場にいたら、ファビオラがボロを出す可能性が、低くなってしまうからな。奴には早々にご退場願いたいからこそ、リアルヒールだと言い広めるための”特ダネ”が必要なのだよ。何はともあれ、そろそろ私自らが赴く頃合という訳だ。事態の収拾のために、スタッフから緊急連絡を受けた責任者という体でな」
 ジャスティンの話を黙って聞いている女性スタッフの目の前に、マジックミラーの大盾を持ったマルツィオが立った。流れ弾や石ころが飛来して来る訳ではないが、ここぞとばかりにカッコいいところを見せたいらしい。そのままブルーノに片手を引かれた女性スタッフは、電話越しにジャスティンに泣き言を言いながらも、二人のボディーガードと共に、転送装置の方へ歩いてゆくのであった。

「いいかい、みんな! 非致死性兵器の代表格として有名なゴム弾だけれども、至近距離から発砲すれば、対象を死に至らしめる危険性も高いんだ! 遠距離でも急所に命中した場合、致命傷足り得る可能性があるから、できるだけ足を狙って撃つように! 万が一接近されてしまったら、徒手格闘で応戦しなければならないけど、ぼくたちが社長から直々に召集されたということは、つまり近接戦闘においても――」
「あーもーっ! うるさいなー! ボクたちプロのアーティストだから、それくらい分かってるよ!」
 マシンガンのように喋りまくっていたのは、薄茶色の軍服を着込んだ猿人間のレフ=カドチュニコフで、それを遮ったのは、濃い青のデニムサロペットスカートを着た蜂人間のエマ=レジャー。他にも数名のアーティストが、大乱闘真っ最中の暴走族たちを、やや遠間から取り囲むように隊列を組んでいて、各々が支給された暴徒鎮圧用のショットガンを構えている。
 飛び火するが如く、隊列を組んだアーティストに突っ込んで来る暴走族らは、ショットガンから放たれるゴム弾を受け、次々と転倒してゆく。その間に常識的な観客は、BASスタッフの指示に従い、整然と列を組んで順番に転送装置へと向かって行く。

(このまま傍観しても、良いのでしょうか……?)
 暴走族を取り囲む鎮圧隊を、遠くから眺めているクリスティーネは、呆然と立ち尽くしている。暴走族らへの怒りや哀れみ、罪悪感や自身への無力さ、様々な想いが混雑して、自分でも何をすべきか分からない。

 

「どうしちゃったのよ~皆たち。物足りなかったのかしらね~? おかわりが欲しいの?」
 それまでサルバドルへの褒め言葉を連ねていたファビオラは、思い出したように振り返り、乱闘を繰り広げているの暴走族らを見回しながら言う。地面には流血が溜まり、抜けた歯が転がり、バットやメリケンなどの凶器が散乱している。ヤケクソ気味に鎮圧隊に刃向かっては、ゴム弾を受けて倒れる者も少なくはない。密集していた暴走族らの半数近くが、既に地面に横たわっていた。
「ざ~んねん。もうライブは終わっちゃったのよ。でも、丁度良かったわ~。この後は皆たちのために、特別セラピーを開くつもりだったのよ~!」
 鎮火の兆しすら程遠い暴動の渦中で、ファビオラが平然と言ってのけた瞬間、暴れ狂う暴走族らはピタリと止まった。最前列で手足をバタバタさせているファビオラに視線が集中し、地に伏していた暴走族らの一部も顔を上げる。
「サルバドルちゃん、皆たちの為に、もう少しだけ頑張って頂戴ね~。後でサルバドルちゃんが大好きなお注射をしてあげましゅからね~」
 気味の悪い笑い顔を浮かべながら、見えない壁の内部を徘徊していたサルバドルは、そう言ってきたファビオラをニンマリとした顔で見つめた。言葉は一切返ってこないが、ファビオラの要求を理解し、賛同していることだけは確かだ。直後、色のない光に包まれたサルバドルは、BASドームの控え室へと転送されていった。

「皆たち~! 今からサルバドルちゃんのお迎えに行くから、この前キャンプファイヤーしたところで、いい子にして待ってるのよ~!」
 そう言い残したファビオラは、淀んだ目をギラギラとさせながら、行列ができている転送装置へと小走りで向かった。半円状に隊列を組んだ鎮圧隊の中央二人、すなわちレフとエマの間を通り過ぎると、列の先頭に立っている観客を押し退け、順番を無視してBASドームへとテレポートしていった。
「ヘヘヘヘヘ……!」
「ウヒャヒャヒャヒャヒャアー!」
 興奮を通り越して、よもや会話が不能とすら思えるほどの暴走族らは、一人、また一人と、掘っ立て小屋やテントが密集するキャンプ場へと歩きだす。横たわっていた暴走族らの半数は、大きな外傷を負いながらも、比較的怪我の少ない暴走族らの後に続いた。全体における四分の一ほどの暴走族らは、立ち上がることもままならず、その場に取り残されるのみ。

「ねぇねぇねぇ。どうする? 特別セラピーって何? ボクたちの見えない所で、第二ラウンドが始まっちゃうかもしれないし、追い掛けてやっつけた方が良くない?」
 構えていたショットガンを下ろしたエマは、若干の距離を置いて立っているレフの傍まで駆け寄り、子どもらしく身体を跳ねさせながら早口で問う。
「ぼくたちに下された命令は、”一般人を守る”ということだけだよ。それ以外の発砲許可は下りていないと、社長から強く念を押された。余計なことに首を突っ込んだら、軍法会議ものだろうさ」
 ショットガンを背中のホルスターに収めたレフは、腕を組んだまま返答した。本人自身、どことなく不安そうな面持ちで、キャンプ場の奥地へ吸い寄せられてゆく、暴走族の群れを眺めていた。

(特別セラピーって……)
 結局、事態を傍観するだけだったクリスティーネは、一抹の不安を覚えていた。善良な観客が巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いだが、容赦なく殴り倒された暴走族らを見ていると、心が痛む。
 去り際の暴走族たちの、期待に満ちた表情には、全く反省の色が見られなかった。もし、このまま放置してしまったら、更なる犠牲者が出てくることは、想像に難くない。
(……でも、あのお方が言ったおかげで、暴動は収まりましたし。考え方がおかしいのは、私の方かもしれません)
 クリスティーネは、ひどく混乱していた。本人自身が不覚だと感じていながらも、ファビオラが本物の救世主のように思えてしまう。彼女の鶴の一声がなかったら、より多くの怪我人――下手すれば、死傷者が現れていたかもしれない。
 かつて父親のフェリックスから、「人間は暴力を見たがる生き物なのです」と教えられたことがある。BASに限らず、人気を博しているアクション映画などの存在が、これ以上ない裏付けとなっている。
 どうしても人を殴らずにはいられないサルバドル、そして暴走族たちのために、ファビオラは自ら十字架を背負ったのではないのだろうか? 大半の人は嫌悪する、暴力という名の十字架を背負い、世のため人のために奉仕する。自らの意思で汚れ役を担い、救いようのない悪党を抹殺してきた、ビルンバウム家の生き様を、彷彿とさせる気がしないでもない。

(行って、確かめてみましょう。私は……学ぶべきかもしれません)
 複雑に入り組んだキャンプ場の奥地へと、暴走族の群れが消え去った頃、クリスティーネはようやく歩きだした。隣人の危機に駆けつける、慈悲深い聖職者の急ぎ足ではなく、救いを乞うために救世主を探し求める、迷える子羊のようなくたびれた足取りで。

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