Bearing the Cross Part8

 燦々と輝く太陽が眩しい、総合スポーツ都市バルティーリャの屋外コート。金網フェンスと、ゴテゴテしたペイントが描かれた分厚い壁で囲われるこのコートは、普段はストリートバスケットで使われており、今回の出張ライブのステージだ。
 生活感あふれるダウンタウンの住民たちは、赤い壁のアパートの窓を開き、早くも興奮の渦に包まれた屋外コートを見下ろしている。この町の住人ではない観客たちは、数あるアパートの屋上に陣取ったり、ビルの非常階段に腰掛けたりして騒ぎ立てている。
 地上から観戦する若者たちは、金網フェンスに張り付いたり、分厚い壁の上に登って腰を降ろす。屋外コートの内部では、見えない壁がサイドラインとエンドラインに沿って展開されており、ステージではクリスティーネ=ビルンバウムとデニス=ダヴェンポートが睨み合っている。両アーティストと特に親しい人間らは、見えない壁の外側に沿うように所狭しと立っており、デニス側の観客たちには首や肩に打楽器を引っ提げた者も少なくない。

 ライブが始まった瞬間から、観客たちは打楽器でビートを刻んだり、四拍ごとに掛け声をあげたりしている。凛々しい白鳩の黒シャツを着た、ゴリラ人間のデニスは、そのリズムに合わせて、飛び跳ねたり、腕を振り回したり、片脚を上げたりして動き回る。水色ローブふんわり金髪の犬人間、クリスティーネを威嚇、あるいは挑発しているのだろうか。それにしても、観客とアーティストがここまで一体化しているのも珍しい。
(見るからに接近戦が得意そうな方ですね……。武器を持っていても、体格の面で私の方が不利でしょう)
 カッと見開いた目で、踊りまくるデニスを眺めていたクリスティーネは、最小限の動きで双剣を交差するように薙ぎ払う。短剣の刀身は伸長して鞭と化し、デニスを挟み込むかのように軌道を描く。
 双鞭が直撃する瞬間、デニスは素早く片手を地面に付け、それを軸に力強く回転した。すると足先から、鳩が羽を散らしながら猛スピードで突っ込んでくるかのように、真っ白な羽が噴出したのだ。その際、デニスが掛けていたサングラスが彼方に吹き飛び、着ているシャツと同じ鷹のような鋭い目が露わになる。
(これは……風の”流れ”ですかっ!?)
 僅かな思考の硬直が命取りとなり、クリスティーネの身体は大きく後方に吹き飛ばされた! 背中から見えない壁に叩き付けられたクリスティーネは、地面に着地するなり片膝をついてしまう。
 追撃を警戒して正面を見据えるクリスティーネ。デニスは片手を地面に付けたまま、両足を斜め上に向けて静止フリーズしていた。あの体重を片手逆立ちで支えられるとは、ゴリラ人間であることを抜きにしても驚きの筋力、そして超人じみたテクニックだ。
「Wow! ナイスフリーズ!」
 所謂決めポーズをとったデニスに対して、逞しい女性の声援が送られる。デニスの背後にある見えない壁の、すぐ傍からだ。
「なんだ今の!? 白い羽に包まれたら、クリスティーネお姉ちゃんが吹っ飛ばされた!」
 ポージングを決めたデニスへの称賛で、更にヒートアップする屋外コートの中、緑半袖狐人間のピーターが目を丸くする。
「……いや、白い羽はただの”副作用”だと思う。身体の動きと連動させて、衝撃か何かを起こすイメージを思い描いたんだ」
 クリスティーネの弟である、若草ローブを着たクリストファーは、一抹の不安を感じながらも呟いた。

 素早く立ち上がったクリスティーネは、すかさず片方の鞭を振り降ろす。片手逆立ち状態だったデニスは、脛の辺りに鞭によるみみず傷ができてしまったが、構わず両手を地面に付いて後転移動。
 再び逆立ち状態になる中途、蹴り上げた両脚で半円を描き、再度突風を巻き起こす! 白羽と共に迫り来る風を見切ったクリスティーネは、サイドステップでそれを躱した。
 更にもう一度クリスティーネが鞭を振り降ろすと、デニスは足を使わず両手だけのハイハイで斜め後ろに移動。手の甲が鞭によって僅かに抉られたが、それも気にせず片手だけで身体を支える。そして、もう片方の腕を横に力強く振って、新たな突風が巻き起こる!
「何なんだあいつ!? 変な動きで避けまくってる!」
「姿勢を低くすることで、姉ちゃんの鞭が当たる所を小さくしているんだよっ。最小限の動きを追求する武術とは違って、ああいう武術的にあり得ない動きをするデニスは、逆に動きが読み辛いかも。カポエイラを昇華させたメーションだったり……?」
 ピーターとクリストファーは、床を這うような移動で鞭の連撃を避け続け、白羽を伴う突風でカウンターを繰り返すデニスを、手品の種を探すかのような懐疑的な目で眺めていた。重力や身体の構造を無視したようなムーブの数々は、ダンスの領域すら超えた新たなエンターテイメントの形としか思えない。
「Fantastic! 流石のフロアーだぜ!」
 打楽器を携えた観客たちが密集する辺りから、多数の口笛や歓声が轟いている。

(意外ですね……遠距離戦で圧倒されてしまうとはっ……!)
 デニスのダンスから繰り出される突風は、直線的だが非常に速い。スピードに自信があるクリスティーネは、ギリギリのところで突風を躱しているが、その重力を無視したダンスと同様、意表を突いたタイミングで放たれる突風を数発も食らっていた。
 風を操るメーションはメジャーなものの一つだが、デニスは風で殴り、吹き飛ばすことに特化したメーション・スタイルのようだ。一発一発が重く、一気に体力を持っていかれる上、一度でも被弾したら大きくを突き放されてしまう。
 クリスティーネも負けじと、何十発もの鞭を命中させたが、一発あたりの威力がデニスに比べて低い。しかも、見るからにデニスはタフだから、このままではダメージレースに敗れてしまうだろう。
「デニス! 空中戦Aerialだ! Aerialを頼むぜ!」
「鳥になっちまいな!」
 床技フロアー主体の重力を無視したようなダンスを踊るデニスは、いつも観ている観客たちはそろそろ飽きて来たのだろう。一旦打楽器のビートが大人しくなり、後ろから多大なリクエストを受けたデニスは、後転の中途で両手を地面に突くと突如飛び上がった!
「Requestしたんなら、その分派手に掻き鳴らせよ……!」
 両手から大量の白鳩――すなわち突風を放ったデニスは、観客たちに言い聞かせながら空高く舞い上がる。やがて上昇の勢いが消失した直後、回し蹴りのように回転させた脚の先から、斜め下に向けて強烈な突風が放たれた! それはそうと、マフィアのボスのような風格を漂わせるライブ前とは打って変わって、ノリノリな状態と化しているデニスが若干微笑ましい。
「Yeah!!」
「Foooooo!!」
 リクエストが叶ったことで、観客たちは思い思いに打楽器を打ち鳴らして大喜び。より一層荒ぶった打楽器のビートに後押しされて、デニスの動きもキレを増している。
 いきなり飛び上がったデニスを見上げていたクリスティーネは、獲物を捕らえんとする鷹のように迫り来る白羽の群を目撃して、素早く後ろにステップした。おかげで直撃は免れたが、落下した突風はコートに大きな穴を抉り、その余波は地面を這うように周囲に拡散。下半身が急流に吞まれたように転倒しそうになったが、しなやかな体捌きで何とか堪えるクリスティーネ。

 空対地攻撃を放ったデニスは、真っ逆さまの状態のまま地面に激突する――かのように思われたが、さっきのハイジャンプの頂点のちょうど中間辺りまで落下した時に、半回転して頭を上にする。その際、振り下ろされた両足から二発目の突風が繰り出され、その反動でデニスはワンバウンドしたテニスボールのように吹き飛ぶ。事実上の空中ジャンプだ。
 “踵落とし”の要領で放たれた白羽の群れこと突風を、間一髪横方向への前転で躱したクリスティーネ。片膝立ちになって青空を見上げると、デニスはまたもや回し蹴りによる突風を繰り出そうとしていた。
(重力を利用すれば、あるいはっ……!)
 クリスティーネはデニスがいる方向への前転で、潜るように横薙ぎの突風を避けた。やはり逆立ち状態になったデニスは、体勢を立て直すために空中ジャンプ兼逆サマーソルトを繰り出す事だろう。
 だが、宙で逆立ちになっているデニスの両足に、前転のフォロースルーで振り降ろされたクリスティーネの双鞭が巻き付いた。本来物理的にありえない動きで、双鞭は両足首から股関節、そしてデニスの上半身に絡み付く。もう一度クリスティーネが両腕を振り降ろすと、鞭を通して伝わった力によって、デニスは頭からコートに落下したのだ!
「What!? 何なのよ、あの鞭!?」
「蛇みてぇに生きてやがる!」
 派手に頭をぶつけて、意識が朦朧としているデニスは、苦渋の表情だ。今こそ好機と、一直線にクリスティーネが突撃を仕掛ける中、恐ろしく高性能な武器に対して観客たちがざわめいていた。
「よく考えたら、とんでもねぇよな、あれ。ずっと昔の武器なのに、未だに通用するんだし」
 健司やロジータはじめ、実に多種多様なアーティストとのライブを観戦してきたピーターも、改めてクリスティーネが持つ得物に驚愕していた。敵対者が持つ得物や能力は強大に見えがちで、自軍のそれの強大さを忘れがちになってしまう。
「だから伝家の宝刀なんだよ」
 ちょっとクリスティーネが優勢になったので、いつものように、自分のことのように自慢をするクリストファー。

 

(Shit! 調子に乗り過ぎちまったか!?)
 猛然と迫り来る足音を耳にして、デニスは片手を地面に着け、大きく股を開いて旋回した。それによって、デニスを中心とした突風が三百六十度に放たれ、白羽の群が水面の波紋のように広がった。
(接近戦も不利だとは思いますが、遠距離戦に付きあうよりは無難でしょうっ!)
 クリスティーネは反射的に跳び上がり、足元を掬うかのような低高度で飛来する突風を躱す。ジャンプの頂点で双剣を逆手に持ち直し、デニスの胸に振り降ろそうとする。だが、旋回を終えたデニスが片手をバネにして跳躍したため、双剣の切っ先がコートを抉っただけになった。
 両者同時に立ち上がると同時に、クリスティーネが短剣でブレのない突きを放つ。デニスは一歩引き下がって逃れると、逃がすまいとクリスティーネが怒涛の追撃。真っ直ぐに突き、縦に斬り下ろし、水平に薙ぎ払うなど、様々な技で畳み掛けるクリスティーネ。バク転したり、海老反りになったり、手を地面に付けてフロアーで動いたり、多彩な技で躱し続けるデニス。
「なあ、全然反撃しねぇぞあいつ。もしかして、格闘はシロウトなのか?」
 力強いダンスで回避に徹するばかりで、殴りも蹴りもしないデニスに、怪訝の眼差しを向けるピーター。ライブ開始前、「随分と”優しい”戦い方をするそうだな」と発言したことから、クリスティーネの武器に斬られたり刺されたりしても、痛みだけは感じないことを知っているはずだ。
「えぇ~? あんなに身体を動かせるなら、パンチやキックも上手いと思うけどなぁ。仮に格闘技を覚えていなくても、マッチョだから素人パンチでも痛そうだし……」
 そう返答したクリストファーは、犬耳を人差し指で掻いた。
 ブレイクダンス特有の動きで、心臓や頭部を狙った攻撃だけは避けているデニスだが、クリスティーネは四肢を斬ったり突いたりして、コンスタントにダメージを与え続けている。回避に徹しているだけかもしれないが、数えきれない程の刺傷裂傷が身に出来るばかりで、デニスが善手を打っているとは言い難い。
 クリスティーネに組み付こうともしないし、ましてや手首を捉えて動きを止めようともしない。接触そのものを、頑なに拒否しているかのようだ。

 と、クリスティーネのラッシュの僅かな隙を突いて、デニスが掌を突き出す。相撲の力士さながらの突っ張り攻撃――かと思ったら、掌から突風を繰り出してきた! しかしながら、クリスティーネの目の前で掌を寸止めしてから、メーションを繰り出すまでのその刹那に、クリスティーネは斜め前に踏み込み短剣でカウンター! 痛みこそ感じなかったが、脇腹を綺麗に切り裂かれてしまい、大量の血を撒き散らした。
(Ouch! やはり大人しく逃げ続けるべきだったか……! 易々と逃げ切れる相手じゃねぇ……!)
 一瞬眩暈で倒れそうになったデニスは、興奮するとついつい調子に乗ってしまう自分自身が悔しくなった。観客に空中戦をリクエストされた時も、一回や二回の攻撃で済ませた方が良かったかもしれない。
(なぜですかっ……!? わざわざメーションを使うよりも、直接殴った方が、隙が少なくて済みますのに……!)
 鮮血を噴出するデニスの背後に回って、油断なく振り返ったクリスティーネは、その場で硬直してしまう。裏で何か企んでいると深読みしたのか、それとも過剰な良心が引き止めたのか。
 手数を減らし、デニスの一挙一動をよく観察しながらも、攻勢を維持し続けるクリスティーネ。クリストファーやピーターも、不審なほどに守勢を保つデニスに対し、慎重になってしまう心情がよく分かった。
「Hey、デニス! 守るだけのダンスも飽きて来たぜ!」
「バトルは勢いで負けたらアウトだろぉー!?」
 観客たちはしきりにデニスを囃し立てるが、絶え間ない猛攻を浴びせつつ、隙あらば急所を一閃できる技量を持つクリスティーネに、接近戦で反撃するのは想像以上に難しい。時間とともに、デニスの裂傷刺傷は更にその数を増やしていくが、クリスティーネが攻撃を繰り出す頻度も減っている。あからさまにデニスを警戒しているのだ。
(急所狙いのアタックが減ったな。今度はヘマしねぇからな……!)
 これなら反撃を繰り出す余裕もあるだろうと、何の脈絡もなく、デニスは後ろに倒れ込んだ。
(やりましたかっ!?)
 ついに限界を迎えたのかと思って、クリスティーネが思わず気を弛めた瞬間。仰向け状態で突き出した掌から、デニスは強烈な突風を放った! クリスティーネは放物線を描くように吹き飛ばされ、空中で見えない壁と衝突した後、地面に落下する。距離が大きく離されてしまったことは、言うまでもない。

 

(せっかく接近することができたのにっ……!)
 屋外コートのエンドラインまで吹き飛ばされ、振り出しに戻ったクリスティーネは、顔に焦りが滲み出ていた。跳ね起きたデニスから追撃を貰うよりも早く、素早く立ち上がってみたものの、突風に勢いよく殴り飛ばされた上、見えない壁に叩き付けられた衝撃で、僅かながらふらついている。
「もうaerialは飽きたから、フロアーだけでいいぜー!」
 一度手痛い反撃を受けた以上、デニスは観客のリクエスト通り、本ライブにおいて二度と空中戦を行わないだろう。地上戦に徹して、単純だが速くて重い突風をダンスとともに撃ち続け、クリスティーネを圧倒するに違いない。それでも、刺傷裂傷だらけのデニスが血塗れになっていることから、チャンスが再び訪れれば勝利の可能性はあるという、幾分かの希望をクリスティーネは持つことができた。
「Hey、C’mon!」
 リズムに乗って四肢を振り回し、挑発行為アップロックを見せつけるデニス。時々ナイフで刺したり、ピストルを撃つような動きをするなどして、内に秘めた闘志をダンスでアピールする。一般的なアーティストにとっては戦術的に殆ど無意味な行為だが、デニスにとっては挑発であると同時に、攻防一体の構えの状態でもある。
(とにかく、もう一度接近しなければっ……! 体重と腕力に差がありますし、地上にいるデニスさんをディバイン=メルシィで引っ張るのは難しいでしょう。だから、私の方から近づくべきですっ!)
 クリスティーネが一歩踏み出すと、デニスが空を蹴り上げ、白羽が襲い掛かって来た。カウンターを恐れ、あえて鞭を振るわないクリスティーネは、迫り来る白羽の合間を縫って、少しずつ間合いを詰めてゆく。メーション弾幕を潜り抜ける際、否が応でもダンスをするような動きになるため、自ずとデニスとダンスバトルを繰り広げているかのようになる。
「小細工抜きで強ぇメーションだから、卑怯なことが思い付かねぇ。あいつ、単純だけどマジでやべぇぞ……!」
 ピーターが言っているそばから、うっかり突風に直撃し、またもや見えない壁の方まで吹き飛ばされてしまうクリスティーネ。一度でも食らえば大ダメージだし、間合いが大きく離れてしまう。敵を近付かせないまま、遠距離攻撃のみで圧倒する。ライブの内容で特筆できる点が少ないのは、デニスの圧倒的優勢が長時間継続していることを証明している。
「メーションがその人の“無意識”の影響を受けるなら、あの白い羽に何かヒントがあるはずだっ……! そういえば父ちゃん、鳩は平和の象徴だって言ってなぁ」
 諦めず、ボロボロの身体を引きずるクリスティーネを観ながら、クリストファーが呟く。聖職者の家系故、その手の知識は父親などから自然に得られるクリストファーは、とある有名な書物の影響からか、鳩は平和の象徴であると聞いたことがあるのだ。
「ケンちゃんの場合は、他の人が作った武器に籠められたメーションを使っているらしいから、話は別として――例えばロジータの場合は、“どんなゴミでも咲き誇れる”という無意識の影響だったよな。じゃあ、あいつの場合は……平和主義?」
「そこなんだよなぁ。普通平和主義だったら、怪我を治すメーションとかが得意になるじゃん。なのに風を操るメーションで戦っているのが分からない」
「べらぼうに努力して、才能の無さを克服したんじゃねぇの? 昔からいくらでもいるだろ、そういうメーション使い」
「メーションで戦うバトル・アーティストになるとしたら、僕だったら平和主義って考え方を捨てることから始めるけど。まあ、そこは人の勝手だけどさ……」
 二人が議論に白熱していると、またまたクリスティーネが被弾してしまった。立ち技の連続から放たれる弾幕に気を取られて、床技から繰り出された地面を這う扇状の突風が、クリスティーネの足を掬ったのだ。
 小さくふわりと浮いた後転倒し、身体を丸める受け身をしてから立ち上がろうとすると、新たな突風が容赦なく顔面を強打する。巨人の掌をモロに喰らったかのような衝撃が走り、倒れた際に後頭部を強く地面に打ち付けてしまう。

(一刻もはやく、デニスさんに近付かなければ、負けてしまいますっ……!)
 敗北への恐怖が募り、捨て身の策を考え出すクリスティーネ。形振り構わず起き上がると、迷わずに短剣の刀身を斜め上に伸張させた。遠距離からデニスの頭を突き刺すのかと思えば、その先端は、咄嗟に屈んだデニスの頭上を飛んで行き、見えない壁に突き刺さる。そして、今度は鞭を伸縮させると、クリスティーネ自身が引っ張られて飛行した!
(Nice! 頭上に来てくれたか!)
 不敵に笑ったデニスは、屈んだまま身体を半回転させてからクリスティーネを見上げる。突き刺した先端まで飛行を終えたクリスティーネは、見えない壁を蹴りながら短剣を引き抜き、頭上で両腕を交差させる。
「出たっ! グランドクロス!」
「こりゃ勝ったな!」
 クリスティーネが落下しつつ半回転したところで、男の子二人が喜んで叫ぶ。近くにいるクリスティーネのファンたちも、この急展開に大興奮して大声をあげる。
「Fooooooo!!」
 なぜかデニス側の観客たちも、打楽器を打ち鳴らすなどして大いに昂ぶる。敵味方問わず、盛り上がれば何でもいい、気のいい連中なのだろうか。
 落下と回転で勢いを加えつつ、伸縮させた鞭を真上から十字に叩き付ける――はずだった。デニスは肩を地面に付けると、開いた両脚を上に向けて円を描く。ウィンドミルという技で連続高速回転を始めたデニスは、自身を中心に竜巻を創りだしたのだ。
(あっ……!?)
 竜巻の直径はごく短いものだが、デニスの真上にいたクリスティーネは、どうしようもなく巻き込まれてしまう! 最初の一回転だけで、巨人のアッパーカットを喰らったかのように、クリスティーネの背骨が折れてしまった。
 ウインドミルで一回転するごとに、先程までの突風をも上回る衝撃が発生して、クリスティーネにモロに直撃する。一定間隔で真上に突き上げられるクリスティーネは、空中でドリブルされるバスケットボールのように、激しく回転しながら上下を行き来しており、瞬く間に全身の骨が折れた。
「うわっ……」
「おいマジかよ!?」
 まさか必殺技でカウンターされるとは思っていなかった男の子二人は、何十回転もする竜巻に弄ばれるクリスティーネを観て、凍り付いたようになっていた。デニスがウインドミルから、片手を交互に着きながらの回転トーマスに移行すると、開いた両脚から突き上げられる竜巻はより一層激しさを増す。
 最後に、腕をバネにした跳躍から、開脚状態のまま空中で一回転するデニス。フィニッシュの竜巻はクリスティーネを空高く吹き飛ばし、宙で半回転したデニスは両足で着地する。

「Yeah!! 観たか! 観てたよな!?」
 満身創痍となったクリスティーネが、高高度から落下して地面に激突すると、デニスは力瘤をビシッと叩いてアピールし、最大級の歓声が轟いた。クリストファーとピーターは、クリスティーネが激突する瞬間思わず目を瞑ってしまい、数秒後に目を開くと同時にゴングが鳴るのであった。

 
「お姉ちゃんが負けた……!?」
 辛うじて意識を保ちながらも、何とも痛ましい呼吸をしている実の姉を眺めるクリストファーは、決して死なないと分かっていてもひどく動揺していた。冷たい汗が背筋を刺激し、ともすると亡霊が背後に立った時のように逃げ出しそうになる。
「いや、運が悪かっただけだろ! 最初から接近戦で戦っていれば……!」
 負けず嫌いのピーターは、自分が憧れる身近なヒーローの敗北を認めなかった。ウイニングダンスで観客を魅せるデニスを睨みつけており、喉まで出かかった罵声や野次を呑み込んでいる。
「Nice tactics! 相手を飛ばして、撃ち落とす!」
「圧倒的な勝利だったな! 流石だぜ!」
 デニスのファンたちは、打楽器を打ち鳴らしたり、歓声を飛び交わせて狂喜乱舞している。
「全員、応援ありがとな! マジで楽しいbattleだったぜ! お前らも楽しかったか!?」
 お調子者のデニスは観客たちと、見えない壁越しに拳をぶつけ合って挨拶している。ライブ開始前は、どちらかというとどっしり構えた偉丈夫という印象であったが、ダンスによってヒートアップすると、人が変わったようにお調子者になるらしい。

「皆さん、申し訳ありませんっ……。せっかくデニスさんが、不甲斐ない私のために手加減して下さったのに、全然見せ場を作れなくて……」
 初めての敗北、それもほぼ完敗という結末を迎えたことによって、ある程度傷が癒えたクリスティーネは何よりも先に、意気消沈した自分のファンたちに詫びる。自分が敗北したという事実や、失望して暴徒と化したであろう観客たちからの、現実逃避とも言える。
「手加減? 何のことだ?」
 デニスと彼らのファンたちは、俄に笑い出しそうな表情になる。一方、クリスティーネ側の観客たちは、とぼけるなと言わんばかりに呆れた表情になる。
「デニスさん、私が近づいた時に手加減していたじゃありませんか。一切の反撃も防御もせず、ただ黙って踊って避けるばかりで……」
「Oh、やっぱりそういうことか。よく言われんだよな。ヘヘッ」
 デニスにつられて、ファンたちは大いに笑い出した。嘲笑のそれではないが、道化者に仕立てられたようで、クリスティーネたちにとっては若干気分が悪い。
「No touch――俺たちブレイクダンサーB-Boyの掟さ。殴り合いを止めるためにダンスバトルが生まれた以上、相手を傷つけるような行為は絶対のtaboo。俺はそれを遵守したまで」
 メーションで現した真っ黒なサングラスを掛けながら、渋くも凛々しい声で語るデニスを、突き立てた双剣を支えにしたクリスティーネが見上げる。サングラスを装着したことは無関係だろうが、ライブ前の凛々しい偉丈夫に戻ったかのように、重々しい口調だ。
「つっても、BASでNo warなんてナンセンスだよな。ギャングたちが新たな“戦場”として目を付けるほど、安全な戦争なんだし。俺は、BASがどんなものであるのかを見極める為に、バトル・アーティストになった。けど、b-boyとしてNo touchの掟は絶対に守りたいから、この風を操るメーション・スタイル、ピジョニック=ストームを編み出したのさ」
 デニスが言い終わると同時に、クリスティーネは支えにしていた双剣を手放し、顔から地面に激突した。勝負に負けたどころか、平和主義者としての格の違いを思い知り、ただならぬ屈辱を受けたのだ。苦痛を与えないのを免罪符とし、堂々と人殺しの道具を携えて、何が慈悲深い暗殺者なのかと。
「だから平和の象徴、鳩だったんだ……!」
「確かに、あんましグロい戦いじゃねぇし……」
 クリストファーとピーターも、デニスの信念に感心する他なかった。同時にクリスティーネが言い訳できないほど、徹底的な敗北を喫したことを悟る。
「ま、元気出せよ。あんたのやり方も、平和的な戦争の一つだと思う。特にこのBASにおいてはな」
 強者の、勝利者の余裕による気遣いが、クリスティーネに更なる屈辱感をもたらした。戦争狂から批判されるならまだしも、同じ平和主義者にその未熟さを指摘されてしまったのだから、言い訳ができない。
 沈黙するクリスティーネは、再びステージを囲う観客たち一人一人と、見えない壁越しに拳を打ち合っているデニスへの歓声に吞まれていた。屋外コートに突き立てた家宝から手を離し、うつ伏せのまま身体を大きく上下させる呼吸をしているクリスティーネが、どんな表情をしているのか――糸目の笑顔しかイメージできないクリストファーやピーターには、想像もつかなかった。

 

 バトル・アーティストならば無料で利用できる、BASドームのトレーニングエリアの一室にて。
 トレーニングエリアには、メーション主体のアーティスト向きな精神修養場、銃火器を扱うアーティスト向きの射撃場、更には戦闘に役立つあらゆる文献が所蔵された図書室や、武装を修理したり改造したりできる部屋もある。最も利用者が多いスペースは、実際のライブと同様、見えない壁の中でスパーリングなどができる模擬戦用の部屋の数々だ。
 世界征服を狙う秘密結社の軍事基地かのような様相のトレーニングエリアだが、その部屋は比較的平凡な光景。規模の大きなスポーツジムと言ったところで、ランニングマシーンやシットアップベンチ、超重量のバーベルやサンドバッグなどがある。集まるのは当然、肉体自慢のいい汗臭いアーティストたち。

(そこら辺走って回った方が面白ぇけど、今日は時速35Kmを維持して走るトレーニングだからな)
 気怠そうに目を細めたまま、ランニングマシーンの上を一定の速度で走り出したのは、ケヴィン=シンクレア。赤茶色に染めたセンター分けの髪型をした色白のケヴィンは、気怠そうな垂れ目が特徴的で、いわゆる細マッチョな身体つきだ。銀毛に覆われた猫耳と、髪と同じく赤茶色に染めた猫の尻尾を持つケヴィンは、猫から進化を重ねてきた人間。
 着ているものは、赤、青、白、黒、桃、灰、緑など、実に様々な色が使われていてカラフルなレーシングスーツ。そして、ピンクのスパイクシューズに、ピンクのグローブ。これは実際のライブで着用するためのコスチュームであるが、できる限り実戦に近い状態でトレーニングしたいことから、今日はこの服装で来たという訳だ。
(メーションで身体能力を強化するとしても、20Kmを三倍速するより、30Kmを二倍速した方がスタミナのコスパがいい。おれは試合中ずっと走りまくって、攪乱していくスタイルだから、少しでもコスパを良くしねぇと)
 速度計に表示された数値を注視ながら走るケヴィンは、振る腕に合わせて赤茶色の尻尾をぶらぶらさせている。いつも走っているランニングコースと違って、変わり映えしない景色と暑苦しい空気に退屈して欠伸を一つ。
 面白いことがないだろうかと、面白い人はいないだろうかと、試しにトレーニングルームを見回してみる。模擬戦用のステージは例外として、トレーニングエリアに滅多に足を運ばないケヴィンだから、ここの常連のアーティストと面識がないのは承知の上。でも、退屈さから辺りをキョロキョロせずにはいられなかった。

(……誰だあいつ?)
 巨大な黒いサンドバッグに対して、懸命にパンチを打ち込んでいる、水色ローブを着た犬耳でクリーム色天然パーマの女性が目に付いた。しなやかな身体と、拳を打ちこむときの姿勢から、体術の心得があることは一目で分かったが、打ちこんでいるサンドバッグは彼女の体格やパワーとは釣り合っていないような気がしたのだ。
(最近デビューしたやつか? 新人特有の空回りの努力に見えるわ)
 ケヴィンは走ったまま、脇目でクリスティーネの観察を開始する。バトル・アーティストの数はあまりにも膨大であるため、何かの縁があったり、トップレベルに有名なアーティストでもない限りは、一々他のアーティストのことを憶えていられない。それでも興味が湧いたのは、そのふんわりとした佇まいとは真逆の、スポ根全開状態のクリスティーネが、若干異常に感じられたからだ。
(武器に頼って、何が平和主義ですかっ……!)
 アーティスト人生初めての敗北を喫して以来、クリスティーネは素手でも戦えるようにと無理な鍛錬を続けていた。武器はおろか、恵まれた体躯から繰り出されるはずの体術にすら頼らない、固い信念を具現化したメーションのみで戦うデニスに負けたことが、心底悔しかったらしい。
 アーティストとしても、人を傷つけたくないという想いの強さでも格下だと思い知らされたクリスティーネは、せめて武器を捨てて戦えるようになろうとした。本人はメーションに関するセンスや経験がからっきしだから、四肢を使って戦うことしか選択肢がない。それが勝利の可能性を遠ざけ、アーティストとしての個性を捨て去ることには気付かないふりをして、ただ八つ当たりするようにサンドバッグを打ち据えている。
(あんなに殴りまくってたら、拳痛めて使い物にならねぇだろ。試合中にケガすんのとはわけが違うぞ)
 気怠そうな目を更に細くしたケヴィンは、無理な鍛錬に臨んでいる見知らぬ女性に呆れ返っていた。首を傾げてから、再び視線を速度計に戻したケヴィンは、気にせず自分のトレーニングに励む。クリスティーネがサンドバッグを殴った時の、トン、トンといった小さな音ばかりが、なぜか鮮明にケヴィンの耳まで届いていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。