Dragoon Wings Project

 その世界の名前はレイラ。自動車やスマートフォン、時にはそれらさえ霞むような文明の利器が、広く普及している。その一方で、魔法や超能力などと呼ばれることもある、”メーション”すらもありふれている。

 レイラという惑星は、物理的性質と、それに付随する気候条件、生命体の性質などが、奇しくも地球と呼ばれる異世界と似通っている。レイラは大昔から、様々な異世界から諸々の物事を輸入してきたが、地球の文化や科学技術が最も馴染みやすいのだ。日本やアメリカが存在する世界は、今ではすっかり”隣の世界”と呼ばれて親しまれている。

 
 レイラ各地から多くの研究者や留学生が集まる大学や、約300年もの歴史を誇る名門大学、その他多数の教育機関や研究施設などへ、自動車でのアクセスが容易に可能な街、”オルマネート”。住人は各種教育機関に通学する学生や客員教授、研究員などが多いが、意外にも公共交通機関はバスのみであり、住人達は自動車での生活を主としている。
 街そのものは、大きな公園や豊かな緑が存する静かなところだ。自動車で子どもたちを学校に送りだしたママさんたちが集まる、広い喫茶スペースが備え付けられたパン屋さんもあるし、住人たちの健康志向の高さを反映してか、ヨガスクールやスポーツジム、更には空手や剣道などの道場も充実している。

 そのオルマネートに広がる低層住宅街――ご近所さんたちと同じように、時々野生のリスやラクーンが現れるような、それなりに広い庭がある二階建ての家屋に住む、平凡な男の子のキッズルームの中での話。

 

 青の下地にファンシーな白星が描かれた壁紙。それを背にして仁王立ちを決めているのは、子どもたちの憧れとなるコスチュームを纏ったヒーローたちのフィギュア。電車を模ったトイボックスの中に入れられたものは、マジックハンドを始めとした、この部屋の持ち主による手作りオモチャの数々だ。
 それなりに大きな窓から外を眺めれば、幅広い車道が真っ先に目に付く。平日のこの時間帯は、通勤、通学ラッシュとなるため、次々と各家庭から自動車が発信していくのだが、今日は日曜日。自動車の行き来は殆どなく、代わりに犬などのペットと一緒に散歩している人々が、のんびりと往来している。

 宇宙をテーマにしたベッドの上で、上半身をベッドの背もたれに預けたまま、部屋の隅に設置されたテレビに魅入っている男の子がいる。今日、七歳の誕生日を迎えたこの男の子の名前は、ナギーブ=イード。
 肌は濃色、薄い青色の髪は、なぜかいつも静電気を帯びたように逆立っている。また、フレームの細い眼鏡が、知性の高さを醸し出している。種族は鳥人間。本来は背中から両翼が生えているはずなのだが……。

 
『アシッド=ドラグーン。これ以上マヌエル博士を悲しませるのは止めるんだ。科学とは、誰かの幸福のためにあるべきもの。マヌエル博士の――お前の産みの親の、口癖だ』
 テレビで放映されているドラマ内では、ナギーブが特に大好きなヒーローが、夜の巨大工場の鉄塔の天辺で佇んだまま、宿敵である”機械”の説得を試みているところだ。タイトルは”プラズマ=ドラグーン”、主人公の通称でもある。ちなみに、このヒーローを演じている俳優の名はダニエル=ソロー。
 プラズマ=ドラグーンは黒曜石を彷彿とさせる、スマートかつメタリックなパワードスーツを着ている。毛細血管さながらに蒼白い電流が全身に走っているのは、全身にプラズマを纏っている影響からだ。そして背面で雄々しく広がる、機械の両翼が印象的。
 正確には、プラズマ=ドラグーンとはこのパワードスーツの名前である。本名などといった素性は一般人にも当たり前のように知られているヒーローだが、あだ名としてプラズマ=ドラグーンと呼ばれることが多い――という劇中設定である。
「そうだそうだ! 父ちゃんが泣いてるぜ! この錆び鉄ヤロウ!」
 虎の威を借りる狐のように、プラズマ=ドラグーンに続いて叫んだナギーブ。この子がハイテンションな口調なのはいつものことで、別段誕生日の日だから、という訳ではない。

 

『笑えるぜ、ニンゲン様風情が。環境破壊と戦争しか能のない生命体など、この星から排除するべきだ。惑星全体の幸福のためにな』
 プラズマ=ドラグーンの戦闘データを基に造られた、人工知能であるアシッド=ドラグーンが、機械特有の冷酷な音声を発する。腕組みしたまま、機械の両翼にあるスラスターから、赤白い光を垂直に発しながら、ホバリングした状態で。
 ボディの造形はプラズマ=ドラグーンに酷似しているが、その色合いは黒曜石というより、酸性雨を浴びた彫像のように赤黒い。無人機(AI機)故に”中の人の安全”というリスクを無視することができるため、有人のパワードスーツ――具体的にはプラズマ=ドラグーンよりもハイスペックの設計とされている。空力特性を突き詰めた故の、非生物的なスリムさでありながら、より装甲は分厚く、より優れたジェネレーターを内蔵することができるのだ。
『独善的だな。未来永劫、頂点に立つ生命体が現れる度に、絶滅させるつもりなのか? それは不毛な行いだ。何の解決策にもなっていない。臭いものに蓋をしているだけだ』
『独善的――ハッ! その言葉、そっくり返すぜ。ニンゲン様よぉ!』

 言い終わると同時に、アシッド=ドラグーンが手を伸ばし、斜め下にいるプラズマ=ドラグーンに赤白い光線を放って来た! スーツの内部、頭部内側に内蔵されたヘッドアップディスプレイHUDから攻撃を予知していたプラズマ=ドラグーンは、両手両足のスラスターから垂直に蒼白い光を発して離陸。立っていた地点が赤白い光線によって抉れて、煙が立ち昇る。
「キカイだけで人間サマに勝てるかってんだ! パイロットなしの飛行機が大丈夫なわきゃないぜ!」
 根っからのプラズマ=ドラグーン推しであるナギーブは、偽物同然のアシッド=ドラグーンが大層気に入らない様子だ。

 上昇の勢いでアッパーカットを食らわせようとするプラズマ=ドラグーン。しかし、悠々とホバリングを続けていたアシッド=ドラグーンは、僅かな距離を急降下しながらのキックで迎撃! 物凄い勢いで落下し、あわや工場の鉄塔と激突する寸前。プラズマ=ドラグーンは、スラスターによって全身を三回ほど回転させて勢いを殺し、なんとか踏み止まる。
 そこからと言うもの、かつてない壮絶な死闘が繰り広げられた。両者のスラスターから噴出される、蒼白い光と赤白い光が複雑に交錯し、それらは闇夜にメビウスの輪を描くかのよう。両手から、そして両翼から放たれる互いの光学兵器が、幾度となく中間距離でぶつかり合い、相殺される。青色と赤色の、無尽蔵なスパーク現象。
「マジかよ! どうすんだこれ! 第27話の時みたいに、ベイルアウトしてから空になったアーマーを自爆させなきゃ無理か!?」
 プラズマ=ドラグーンの起源からの観測者でいるナギーブは、かつてない死闘を目の当たりにして険しい面持ちになる。プラズマ=ドラグーンの掌を貫通するように展開されるプラズマロッド。空中機雷のようにばら撒かれるプラズマボール。物体を引き寄せることで、投げ技を仕掛けたり敵弾を凌ぐための”盾”を作ることができるプラズマトラクター。他、あらゆる武装においてアシッド=ドラグーンの方が高性能なのだ。
 物量、弾速、火力――全てにおいて不利な戦いを強いられても、弱点を突くような作戦は思いつかない。パワードスーツの弱点が露呈する度に対策を講じているため、戦いに赴くときのプラズマ=ドラグーンは必ず万全の態勢でいるのだ。アシッド=ドラグーンは、そんな完璧な兵器を完全に模倣しているのだから、弱点など見当たる訳がない。

 
 プラズマ=ドラグーンの奮闘を徒労だと嘲笑うように、アシッド=ドラグーンが一方的にダメージを負わせている。ふいに画面に映し出される、プラズマ=ドラグーンの搭乗者の緊迫した表情。HUDに映し出されるのは、コンピューターが導き出した、プラズマ=ドラグーンが採るべき作戦のシュミレーション映像。
『そうか……』
 それはプラズマ=ドラグーンに相討ちを強制する、冷酷な指示だった。死への恐怖を持たない”機械”だからこそ下せる、最も的確で、最も無慈悲な判断。しかしプラズマ=ドラグーンは、むしろ勝利の可能性が0%ではないことに安堵していた。
『止めてみせる! この命に代えてでも!』
 プラズマ=ドラグーンの両翼が、青白い光を帯びる。必殺技、”F・Tキャノン”のエネルギーをチャージしているのだ。
「出たぜ真打ち! これで勝った!」
 この技が放たれた瞬間、勝負が決まる。一切の例外なく、ヴィランは撃破される。プラズマ=ドラグーンを第一話から欠かさず観ているナギーブは、そう信じて疑わない。
 アシッド=ドラグーンの両翼も、赤白い光を帯びる。奴と真正面から撃ち合ってはならない。悲しいことに、アシッド=ドラグーンの偽物F・Tキャノンの方が、火力も弾速もチャージの早さも上回っているというデータが、プラズマ=ドラグーンのHUDに映し出されている。

 縦横無尽に飛び交っていた、青と赤の軌跡が残らず霧消する。無音の闇夜で、二機のスーツが纏う光をより激しくさせている。それが限界にまで膨れ上がったのは、両者とも全く同じタイミングであった。
 チャージ率100%に満ちたアシッド=ドラグーンは、紛い物のF・Tキャノンをぶっ放した! 数秒間に渡って両翼から繰り出される二発の光線は、収束して一つの平べったい光線となる!
 完全に同じタイミングで、チャージ率100%に達したプラズマ=ドラグーンは、本物のF・Tキャノンをすぐには撃たなかった。真正面から撃ち合った場合、こちらのキャノンが相殺された上で、紛い物の光線に全身を呑まれてしまうからだ。
 コンピューターの合図に合わせて、プラズマ=ドラグーンは僅かに上昇。間に合わずに下半身が赤の光線に呑まれ、装甲のほぼ全てが剥がれ落ちてしまった。スーツ越しに伝わる激痛に歯を食いしばる、一秒にも満たないその時間は、とても長く感じられた。
 足先を何とか死の濁流から引き抜いた瞬間に、ようやっとプラズマ=ドラグーンが本場のキャノンをお見舞いする! 莫大なエネルギーを必要とするF・Tキャノンは、照射している間は殆ど身動きがとれないと言う弱点が存在する。敢えてアシッド=ドラグーンに先に撃たせて、死角から必殺技を撃ちこむ作戦だったのだ。

「勝った!! ざまあみろってんだ! アシッド=ドラグーン!」
 アシッド=ドラグーンの全身が、蒼白くて平べったい光線に呑み込まれたのを確認して、ナギーブが叫んだ。光で覆い尽くされた赤黒のパワードスーツは黒い影となり、それもやがて掻き消されていって、消え失せた。
 静寂の中、満身創痍のプラズマ=ドラグーンが宙に浮かんでいる。流血代わりのような電気が迸る度に、火花が舞い散り装甲が剥がれる。くぐもったプラズマ=ドラグーンの荒い息が、おおよそ十秒間に渡って続いた。

『バカな……!?』
 突如、プラズマ=ドラグーンを演じている俳優の両目が、ズームアップで映し出された。次に画面に映ったものは、ナギーブを絶望の淵に叩き落とすには、十分すぎる衝撃映像であった。
「おいこらふざけんな! 空気読んでそこは倒れろよ、アンポンタン!」
 アシッド=ドラグーンは、F・Tキャノンで粉微塵になったのではない。そのエネルギーを自らのボディに吸収し、蒼白いプラズマそのものと化していたのだ。
『時代遅れなんだよぉ! 何もかも!』
 最早、その場でホバリングするのがやっとのプラズマ=ドラグーンに対して、アシッド=ドラグーンは容赦なく撃ちこんだ。エネルギーを吸収することによって自分の物とした、本物のF・Tキャノンを!

 できることなら、ナギーブはテレビの電源を切ってしまいたかった。数多のヴィランを葬ったF・Tキャノンすら効かないどころか、よもやそれをプラズマ=ドラグーン自身が喰らってしまうとは。
 蒼白い光に呑まれ、影と化したプラズマ=ドラグーン。やがてF・Tキャノンが消えると、力尽きたプラズマ=ドラグーンは、頭から巨大工場へと落ちてゆく。天井を突き破った際の、ガランとした音以外は、一切が遮断されていた。
「ノオオオオオォォォォォ!?!?」
 あまりにも唐突で、信じ難い結末だった。どんな強大な相手にも、敢然と立ち向かって行くヒーローが、一矢報いることすら叶わずにやられるとは。凄まじく理不尽で、不条理で、あってはならない出来事だった。ナギーブは暫くの間、ベッドの上で呆然とする。

 
 数分後に流れてきた映像によって、ナギーブは我に返ることができた。次回予告――額から血を流し、最早ジャンクと化したアーマースーツを着ているプラズマ=ドラグーンが、片膝立ち状態でいる。少なくとも死んではいなかったようで、ほっと一安心。だが、次々と画面越しに突きつけられる現実は、ナギーブが抱いた僅かな希望を粉々にせんとする。
 プラズマ=ドラグーンに支えられた状態で吐血するマヌエル博士のシーン。プラズマ=ドラグーンの恋人であるヒロインが泣き叫ぶシーン。次々と摩天楼が倒壊し、爆炎と悲鳴に包まれる夜の都会のカタストロフィ。最後には、ほとんど生身の状態で、アシッド=ドラグーンに決死の特攻を仕掛けるプラズマ=ドラグーンのシーンで締め括られた。

 ナギーブが正気を留める唯一の手段は、プラズマ=ドラグーンの勝利を祈ることだけであった。

 

「ナギーブ!? そろそろいいかしら!?」
 と、ここでナギーブは本当の意味で現実世界に立ち返った。下の階から響く母親の声。
 そうだ、今日は他でもないナギーブのバースデーパーティーがある。ドラマを観終わる頃に合わせて、開始時刻を設定してくれた。

 身体に多い被さっていたタオルを跳ね除けたナギーブは、ベッド脇にあるサイドテーブルに置かれている膝当てを掴む。両手ではなく、丸みを帯びた短い腕の二本で。掴んだ膝当てを、片方の脚に装着する。腰から太腿の部分だけがある、膝から下が存在しない脚に。
 膝当てを両足に装着したナギーブは、ベッドの縁に腰を掛け、真下に置いてあった両の義足を装着する。この膝当ては磁石が内蔵されており、義足の接合部にも対となる磁石が内蔵されている。やや不安定な構造だが着脱が容易で、例えば母親に呼び出された時や、友だちが急に遊びに来た時などには便利だ。この義足、実はナギーブ自身が作ったものだったりする。

 義足を装着したナギーブは、三段ラックの前に立つ。最上段には、血圧測定器のような什器に収められた、ハイテク義手が置かれている。この義手は、物を掴んだりドアを開け閉めするといった単純な動作のみならず、具体的には裁縫や日曜大工をも可能にできる優れものだ。
 ただしこのハイテク義手は非常に高価。ナギーブはこの二本を三歳の頃から使い続けており、成長に合わせて接合部分だけを拡張するなどして、なんとか四年もの使用に耐えている。だが、いよいよ肘の辺りが痛むほどに窮屈だし、身体に対してハイテク義手が小さいから、明らかにアンバランスで不恰好でもある。

「ナギーブ! 返事くらいしなさい!」
「母ちゃん、今行くって!」
 プラズマ=ドラグーンが死ぬかどうかの瀬戸際で、とても口が利けるような状態じゃなかったのに、なんて無神経な人間なんだろう。
「まったく、全世界の一大事だって時に、よくもバースデーパーティーの準備なんかできるなー、おい」
 誰のためのバースデーパーティーだと思っているのか……。とにかく、義手義足を装着し終えたナギーブは、早歩きで部屋から出て行った。

 

 本来、日曜日のオルマネートは至って静かなところだ。家族たちは、そう遠くない場所にあるレジャー施設でのんびりしたり、リビングのテレビを囲ってポップコーンを貪りながら娯楽映画を観たりする。しかし、誰かのバースデーパーティーともなると話は別だ。
 とにかく安さを重視した大量の肉やらロブスターが、バーベキューコンロで焼かれる匂いが近所に充満すると、特にパーティーの告知をしている訳でもないのに人集りができる。スーパーマーケットで買ったありふれたお菓子や、キツイ色をしているジュースに、無邪気な子どもたちが群がってくる。勿論、これは天気のいい日中に限った話で、夜に家の中でパーティーが開かれるケースも少なくないが。
 こと、子どものバースデーパーティーの場合だと、大道芸人などが招かれて賑やかになる。土地柄として賢い人間が多く住んでいるから、現地人たちによる発明品やら何やらが飛び出してくるのも面白い。とにかく、見ず知らずの人のパーティーに行って、お肉やジュースを頂くのが失礼だとしても、ちょっとした祭り騒ぎを傍目から見ていてもそれなりに楽しめるという訳だ。

 ナギーブ=イードの七歳のバースデーパーティーは、真昼時に自宅の庭で開かれた。庭の敷地はオルマネートにしては平均的だが、それでもキャッチボールで父と子の絆を深め合うには十二分の広さ。
 ナギーブファミリーは元より、普段スクールで一緒に遊んでいる仲間たちやその親御さんたちも、余裕で敷地内に収まる。――なぜか来ている、カメラやメモを持った人々は、芝生からちょっと離れた位置から様子を伺っているようだが。
「母ちゃん、アイツら噂に聞くパパラッチってやつ? それともオイラ一人の時を狙って侵入してくる、変装した強盗団の下見係?」
 子どもたちが集うバーベキューテーブルに座るナギーブが、丁度焼き上がった料理を運んできた母親に対して、早口で問いかける。
「ただのカメラマンとインタビュアーよ。今日来てくれた手品師が有名人だから、ニュースにしたいんだって」
 ナギーブの前に置かれた皿には、父親が焼いてくれた肉の他に、ドーナツや一口サイズのフルーツが載せられている。
「マジかよ!? オイラの六歳のパーリータイムには、あのネーチャンの追っかけなんて一人もいなかったぜ!?」
 七歳とは到底思えぬ、このハイテンションなお喋りっぷりは、多分ヒーローもののドラマやシネマの過剰投与による悪影響だと推測される。
「世の中何があるのか分からないものさね。他の男に取られないように、しっかりアピールしておきなさい」
 わざわざ付き合ってあげる母親の優しさが、ナギーブのお喋りを助長させているという側面もある。そうこうしている内に、今度はコーラが注がれたプラスチックのコップが、ナギーブの目の前に置かれた。

「アーアー、マイクのテスト中ー」
 自作の義手を左腕に付けたナギーブが、いっちょ前に勿体ぶった様子で言う。その義手には、ホームセンターで買えるようなありふれたマイクとスピーカーが内蔵されているのだ。左の手の平で自分の口元を隠すように言うナギーブが、まさか響いて聞こえるとは思わなかった子どもたちは、アメリカの全校集会でチアガールたちが踊り始めた時のように騒然とする。
 ハイテク義手の機能性も勿論だが、この弱冠七歳の少年が繰り出す発明品は、毎日のように観ていても飽きない。常識的に考えれば不謹慎な遊びかもしれない。が、ハイテク義足を買うお金がないため、サッカーやベースボールで遊ぶことができないナギーブにとっては、これ以上無い楽しい遊びなのだ。
 子どもは“遊び方”を発明する天才であり、遊ぶことは子どもにとっての義務であり、重要な仕事である。自信や自己効力感はそこで養われるし、人との付き合い方は遊びによって学べるものが多い。できないことを一つ一つ数えるよりも、できることに関しては誰にも負けない、子どもをそういう風に思わせる教育であるべきなのだ。

「ハイハーイ、レディースアンドボーイズ、ガールズ! 堅苦しいアイサツはナシで行こうぜ! コーラが温くなってしまうからナ! カンパーイ!」
「ハッピーバースデー!」
「カンパーイ!」
 その瞬間だけ、やりたい放題だった子どもたちに一体感が生まれた。今かいまかと炭酸飲料を飲むのを待ち侘びていた子どもたちは、コップから零れるくらいの勢いで、ピンポンダッシュさながらの素早さで乾杯してゆく。そうして、お待ちかねの一気飲み。コップが空になった順に、少年少女はカエルの合唱の如くゲップを漏らす。
 ――カメラマンたちが、なぜか自分らの様子をじっくり撮影しているのに、最初は戸惑っていた子どもたち。カンパイを終えてすっかりテンションが高くなった今では、カメラに向かって「イエーイ!」などとやっている。

「いいな、その腕!」
 目立ちたがりの子どもが、取り外されてイスの上におかれた、ナギーブの自作義手を指さしながら言った。
「オイラの特製、パーティーアームズ・プロトタイプだ! パーティーの主役になれること間違いナシだぜ! しかも録音機能までついてるから、ゲームボーイのBGMをこっそり好きな時に聴ける!」
 ハイテク義手に付け替えながら、ここぞとばかりに自慢気に語るナギーブ。ホームセンターで買えるような、手頃な録音装置を使って、CDやMDを介さず直接BGMを録音するのは、どの地域の子どもたちでも流行っているらしい。
「ナギーブおまえ、授業中に音楽聴いてるのかよ!?」
 他の子どもが反応してからかってくる。
「んなわきゃねーだろ! いいか、オイラはこう見えても超スーパーエリートの特待生なんだ! ヘマして校長室なんかに呼び出されたら、返済不要の奨学金がパーになる! つまり、ローンが払えなくなって、オイラのこのクールな両腕ともサヨナラバイバイになるのさ!」
 随分と胡散臭いが、ナギーブが特待生だということは事実である。
 ナギーブの家族の経済力ならば、普通に学校に通う分には何ら問題がない。だが、せめてハイテクなる義手か義足があった方が、より学校生活を幅広く楽しむことができるだろう、そう想ってのことだ。
 ちなみに、義手か義足のどちらがいいかと聞かれた際、自分で義手義足を作ってみたいからという理由で、ナギーブはハイテク義手の方を欲したという。恐らく、そういうヒーローのコミックが昔流行っていたせいだろう。

「だからナギーブ君、メチャクチャ勉強しているんだね」
 比較的大人しい性格をした女の子がそう言った。
「おうよ! 通知表でオールAを取るくらい頑張れば、金もガッポリ、ウハウハになれるからな! そしたら母ちゃんが、ハイテク義足とおニューな腕を買ってくれる約束なんだ! あいにく義翼を買うお金は無さそうだけどナ!」
「義足貰ったら、一緒にサッカーしようぜ!」
 休み時間に図画工作をしているナギーブはとても満ち足りた様子であるが、時々校庭でサッカーしている友だちを眺めては、切なそうな顔を浮かべているのを皆が知っている。流石に機敏な動きが出来る義足を自作することはできないし、かといってハイテクな義足を買って貰うのは現状不可能。
 ハイテク義手のローンが掛かっているだけあって、母ちゃん父ちゃんも教育に必死で、ナギーブは恐れ戦いている。しかし、絶対に約束を守ってくれる人であることは理解している。だから、ハイテク義足を手に入れて、いつの日か友だちとサッカーで遊べるようになるために、精一杯勉強している。

「オーケーオーケー!」
 そう返したナギーブは、そろそろ新しい義足を貰えてもいいんじゃないのかと思っていた。先日、いよいよ使い古しのハイテク義手が限界を迎えた際、「もうちょっとだから」とやんわり諭されたのが気になって仕方ない。
 もしかして、バースデープレゼントとして……!? 暫く楽しい時間を過ごしていたが、おおよそ十分ごとに「母ちゃんプレゼントはまだかよ!?」と叫び、周囲からうんざりされているナギーブであった。

 

 ナギーブが7回目の「プレゼントまだ!?」攻撃を仕掛けたくらいの頃合に、手品師のネーチャンがお出ましになった。両端を二つの脚立とテープで固定した、即席の屋外カーテンを背にする、チークが可愛らしいウサギ人間の女性。
 三角座りで並ぶ子どもたちの外周で、カメラマンが一挙一動を撮影しているから、ナギーブの母親が言っていたことは正しかったようだ。去年のナギーブのバースデーパーティー以来、僅か一年で世界的に有名な手品師になったに違いない。

「じゃあ今から~この絵の中に入っている子猫ちゃんを、取り出してみるからね~!」
 そう言って手品師のネーチャンは、厚みのある壁に取り付けられた絵画――水彩で描かれた猫の絵画の前に立ち、抱き締めるようにした。キュートなドレスの背面に隠れた陰で、一体何が起こっているのか、子どもたちは真剣に見詰めている。
「は~い! こんにちは~!」
 十秒くらいした後、振り返った手品師のネーチャンは、人慣れした灰色の猫を抱きしめていた。吊されたように、だらんと後ろ足を垂らしている猫は、「ミヤーオ」と鳴きながら子どもたちを見回している。
「可愛い!」
「絵の中から消えた!?」
 騒然とする子どもたちを見て、自身も楽しくなってきたネーチャンは、押し出すような声で言い聞かせる。子どもの相手に慣れている、幼稚園の先生みたいな声の出し方だ。
「今の手品、どうやってやったか分かる人いるかな~?」
「やっぱり”メーション”じゃないんだ?」
「タネがあるってこと?」
 この世界、レイラにおいては、自然の理にそぐなわない超常現象はありふれた光景だ。魔法、妖術、超能力、神の奇跡――地域や文化圏によって様々な体系ないし呼び名が存在するが、それらを一々呼び分けるのはコミュニケーション上面倒なので、それらをまとめて”メーション”と呼ぶことにしている。
 メーションが身近にある世界では、絵の中から猫ちゃんが飛び出してきても、「なかなかに腕の良いメーション使いだな」という反応しか出てこない。だから手品をする時は、タネがあると公言した上で、その手品のタネ明かしをクイズ形式にするという商売戦略を採っているのだ。

「ハイハイハイ! オイラオイラオイラ!」
 首を傾げている大勢の中から、ロケットのように上空へ発射された、ハイテク義手が一本。
「あっ、ナギーブく~ん。まずは誕生日おめでと~う!」
 ネーチャンは猫の前足を指でつまんで、手を振らせた。
「じゃあ。超スーパーエリートの特待生なナギーブ君に、答えを言って貰おうかな~」
 間髪容れず、自慢したがりなナギーブが早口で言いだした。
「額縁と後ろの壁が繋がっていて、壁の中にカワイコチャンがベッドインしてたんだ! 額縁に入っている絵はスライド式になっていて、猫ちゃんが描かれた絵と、何も描かれていない絵でチェンジできる! 二つの絵の隙間から、猫ちゃんを取り出したってわけだ!」
「すご~い!? ナギーブくん、元々知っていた~、なんて?」
 あっとネーチャンが驚くと同時に、何も描かれていないキャンパスが縦方向にスライドを始めた。絵一枚分の隙間を置いた後で、元の猫の絵画が現れる。どうやら額縁が取り付けられた壁の中に、裏方の人が隠れているらしい。

「この義手を作ってる時に、同じようなギミックを思いついたんだ! テスト中にカンニングができちゃう便利なアーム!」
 そう言いながらナギーブは、メーションで何もない空間から自作の義手を現して、見せびらかした。何もない空間――より厳密に言うなら異空間――に対して物体を収容するメーションは、この世界の住人にひろく愛用される、いわば基本技術の一つ。
 とは言っても、生鮮食品を普通のやり方で出し入れすると痛んでしまう可能性が高い。あえて手提げバッグを持った方がファッション的に美味しいしという見方もできる。決して万能な技術ではないから、皆がこれに依存しているわけではない。
「ナギーブ!」
 自作義手の手首辺りにある、スライド式のフタを開け閉めしていたナギーブは、ふと母親に睨まれていることに気がついた。
「母ちゃん!?」
 やっぱりこんなお喋りが、超エリート特待生なワケがない。そう言いたげに子どもたちは、ビクビク震えているナギーブを面白おかしく眺めている。
「使ってねぇ! 使ってねぇからな! オイラの場合、テストなのにハイテク義手だけじゃなくなっただけで、先生に怪しまれるからな!」
「それもそうさね」
 顰めっ面の腕組みで突っ立っていた母親は、ナギーブ必死の弁明によって、ゆっくりとバーベキューテーブルに座り直した。
「そろそろか?」
 太い腕で炭酸飲料入りのジョッキグラスを保持している、ナギーブの父親が、母親に耳打ちする。
「そのはずね」
 多分、ナギーブのバースデープレゼントを渡す、絶好の機会を伺っているのだろう。一瞬だけ顔を見合わせた両親は、気取られないようにニヤリとした。

「みんなには~ちょっと難しかったかな~? じゃあ、次はこのカーテンの中から出てくるもののあてっこしようか~! 簡単だよ~」
 手品師のネーチャンの後ろに、黒幕が閉じられたキャリアー付き簡易更衣室が運ばれてくる。大の男四人掛かりで押したり引っ張ったりしているから、カーテンの中ではでっかいパンダが胡坐をかいていたりするのだろうか?
「カウントダウン、一緒にやろうね~。せ~の! 5・4――」
 さり気なく右腕を、ハイテク義手から自作の義手に付け替えるナギーブ。あのキレイな手品師のネーチャンなら、たぶんもう一度自分に回答権を与えてくれるし、この右腕を褒めてくれるに違いない。
「3・2・1――」
 息が揃った子どもたちの声には同調せず、フィールドデイのかけっこで笛の音を待ち侘びるように、「0!」の瞬間を狙い澄ましているナギーブ。誰よりも先に手を上げて、誰よりも賢いことを照明するのだ。
「0!!」
 バッと黒幕が取り払われた瞬間、ナギーブは中身を確認もせずに右手を上げた。

 

「プラズマ=ドラグーン!?」
「なんでいるの!?」
「本物じゃん!」
 髭がセクシーなナイスミドル。子どもでも雰囲気で分かるほどの、最高級な洒落たスーツ。ブランドに敏感なガールズなら、着けている腕時計が相当な値打ちがすると解するだろう。片手には、まるで軍隊の極秘資料でもしまわれているかのような、仰々しいアタッシュケース。
「ダニエル=ソロー!」
 ネーチャンが言う通り、とても簡単な問題だった。少なくともこの場にいる子どもたちは全員知ってる。それどころか、バーベキューテーブルやベンチに座っていた大人たちも、持っていたフォークをあわや後方に投げ捨ててしまうレベルで驚愕していた。
「……!?」
 石化の呪文を浴びたかのように、ナギーブは固まってしまった。主張の激しい右の義手を、天に向かって伸ばしたままで。何も聞いていないし、何も言えない状態だ。最速でクイズに答えようという考えは、すっぽり頭の中から抜け落ちていた。

「やぁ、ナギーブ君。七歳の誕生日おめでとう」
 手品師のネーチャン他、大の男四名ほどの拍手を脇目に見ながら、石化したナギーブの方に歩いていくプラズマ=ドラグーン。近くで見ると、王者の謁見の間に足を踏み入れたかのように、強烈なオーラを感じる。握手を求めて腕をピンと伸ばしている子どもたちが多数。
「ちょっとマヌエル博士からお使いを頼まれてね。バースデーパーティーの最中にお邪魔して、迷惑だったかな?」
 手を伸ばしてきた子どもたち一人ひとりと、丁寧に握手を交わしながら、ゆっくりと歩いてくるダニエル=ソロー。ナギーブは、首を横に振ることすらできない。
「いい腕だね」
 子どもたち全員と握手をしたダニエルは、最後にナギーブの目の前に立つと、天に向かって伸びたままの自作義手を握りしめた。
「超スーパーエリートの特待生は、伊達ではなかったということだ」
 手を握り返すことも忘れた……というより、暇つぶしに作った自作義手だから、握る動作もできないでいるナギーブに、ダニエルは優しく微笑んでみせた。
「あの子ったらすっかり緊張しちゃって」
「せっかく会ったんだから、なんか喋らねぇと後悔すんぜ!」
 どうやらナギーブの両親は、ダニエルが来ていることを知っていたみたいだ。本当に微動だにしないナギーブを見ながら、呆れ交じりに笑っている。

「君を見込んで、一つ頼みごとがあるんだ」
 足元にアタッシュケースを置いたダニエルが述べる。
「ナギーブに!?」
「すげー!」
 パーティーの主役が、いよいよ本物のヒーローとなる。騒然とする子どもたちは、数歩ほどの距離のところで輪を成して、この歴史的瞬間を観測している。
「早い話が、君にこのプロトタイプを使って、データ収集を手伝って欲しい」
開かれたアタッシュケースには、新品のモデルガンが形通りの箱に収められているように、義手と義足が収められていた。
「私がいつも使っている”スーツ”の新型だ。各パーツを分離させ、またエネルギー効率を向上させる為に、限界までサイズダウンした」
 紛れもない、プラズマ=ドラグーンの両腕と両脚。そして偶然なのか、それとも狙ってやったのか、ナギーブにはピッタリのサイズである。
「作ったはいいが、私が着けるには些か年をとり過ぎてね。君なら上手く使いこなしてくれると思ったのだよ」
 苦笑いしながらダニエルは、三角座りでしたままのナギーブに目線を合わせるように、姿勢を低くした。
「協力してくれるかい?」
 よく、テレビでアップに映し出される、ナギーブにとっては親しみすら持てる顔が目の前に現れて、ようやく正気に戻った。いつもプラズマ=ドラグーンが言っているような、若干ナルシストが入ったセリフは、耳から耳へ通り抜けてしまったが、「協力してくれるかい?」とだけはハッキリ聞き取れた。
 ナギーブは激しく顔を縦に振った。何度も、何度も、何十回も。
「素晴らしい」

 そこから先の数分間、ナギーブは一生どころか、死んで生まれ変わった後も忘れることがないだろう。プラズマ=ドラグーンのドラマの第一話、初めてダニエルがパワードスーツを装着するシーンのように、とても丁寧に作業が実施された。
 しっかりと肩の辺りを支えてくれたプラズマ=ドラグーンの年季の入った手からは、ゾワッとするような清涼感を感じた。新型のスーツをナギーブに着けてあげながら、時々「ん?」と声を漏らす。真剣になると出てくる、プラズマ=ドラグーンの癖だ。
 憧れのヒーローの作品として扱われているナギーブは、かつてないほど従順で、大人しかった。「大丈夫かい?」とか、「君のオリジナルアームは、ここに置いておくよ」とか、「足の方に取り掛かるから、椅子に座ってくれるかい?」などと言われても、ナギーブは黙ってうなずくばかりだった。
「いつもああなら楽なのに」
 その様子を遠巻きに眺めて、ナギーブの母親が苦笑いしながら漏らす。

 そうして生まれ変わったナギーブは、両手両足が黒曜石でコーティングされたようになっていた。それでいてスリムな印象を抱かせる、ハイテクさ抜群のシルエット。
 充電されている最中であるかのように、徐々に両手両足に毛細血管のような蒼白い電気が溜まってゆく。新たな義手義足にナギーブの血が通って、自分の物となっている証だ。
「着け心地はどうかな?」
 イスと一体になったバーベキューテーブルに座ったままのナギーブに、プラズマ=ドラグーンが声を掛ける。熱心な信者であるナギーブが、さっきから何も言わないでいるので、ひょっとしたらこの義手義足がお気に召さなかったのではないかと、一抹の不安が過ぎった。
 ナギーブは座ったまま、リニューアルされた腕を動かそうと試みる。自分で作った義手をテストする時には、最初は動かすコツを掴むまでに時間が掛かることを、曰く「七年にも及ぶオイラの壮絶な人生経験!」により心得ているナギーブ。
 しかし今回に限っては、生まれた時からずっと使い続けてきた時のように、すんなり馴染んだ。思い通りに機械の指が開かれたり閉じたり、グー、チョキー、パーをしようと思った瞬間には、力みもせずにできている。母ちゃんのお腹の中から出て来た直後から、生き別れていた腕と、感動の再開を果たしたかのようだ。
「これ本物!? オイラの腕が、すごい動く!」
 自分に絶対服従する、万能AIが搭載されているかのように、とても滑らかに動くのだ。プラズマ=ドラグーンと邂逅してからの、初めての一声は、この上ない歓喜の叫び。
「勿論本物さ。とはいえ試作品だから、フェラーリF・レイなどは撃てないけどね」
 プラズマ=ドラグーンは安堵の笑いを浮かべた。
「前よりも綺麗に動いてる!」
 自分の肩を掴みながら叫んだナギーブは、聞く耳を持たないくらいに興奮していた。

「足の方も確認して貰えるかな?」
 そう言いながらプラズマ=ドラグーンに手を差し伸べられたので、ナギーブは勢いよく握手を交わした。ふと手の平が強烈な違和感に襲われたが、これが所謂”人肌の温もり”というヤツらしい。
 このハイテク義手、熱さや冷たさ、物に触った感触さえ分かるようになるみたいだ。装着の手間はたった数分間だというのに、(ナギーブは生まれつき手足が不自由だが)失われた感覚が取り戻されるとは、最早オーバーテクノロジーと呼ぶに相応しい。
 ナギーブはすっと立ち上がった。あまりにもスムーズに立ち上がれたから、勢い余って転ぶのではないかと思ったが、そんなことはない。足に内蔵されたコンピューターが補正しているのか、恐ろしく重心が安定しているのだ。
「走れる?」
「走って!」
「走れよ!」
 ハイテク義足を待望していたのは、ナギーブ本人だけではなかった。近い将来、一緒にサッカーができると信じていた子どもたちは、異口同音に捲し立てる。形振り構わず、全速力で走ったことはないナギーブだが……本物のプラズマ=ドラグーンのパーツなら、きっと大丈夫だと信じている。
 第11話で(パワードスーツとしての)プラズマ=ドラグーンの一機が、戦いの素人であるはずの敵に奪われ、本物が散々苦しめられていたことをよく憶えている。つまり、ある意味で悲しい事実ではあるのだが、プラズマ=ドラグーンを装着すれば、どんな人間でも強くなれるのだ。

 両手の指を揃えたまま、腕関節を90度ずつ往復させる、どこかぎこちない腕のフォームで走りだした。片脚ずつ思いっ切り持ち上げては、思いっ切り遠くの地面に伸ばすのを繰り返しているはずだが、義足を装着しているという感覚がない。考えられないほどのスピードで前進するナギーブは、どちらかというと空を飛んでいる感覚だ。
「動く! オイラの足が動く!」
 トランスミッションをシフトチェンジさせるように、徐々に加速してゆくナギーブは、その疾走感に酔いしれていた。新しいオモチャを買ってもらった友だちが、なぜ意味もなく走り回っていたのかが、今ようやく理解できた。胸から飛び出すような心臓の勢いによって、全身が前の方に引っ張られてしまう。
「走れる!」
 自動車で運ばれているだけでは味わえない感覚。行く手を阻む向かい風をも、その身一つで跳ね除けるような力強さ、そして解放感。
「サッカーができる!!」
 そう言いながらナギーブは、全速力の勢いでジャンプしてみた。ハイテク義足を手に入れたら、まずは思いっきりジャンプしてみたかったことを思い出す。天にも舞い上がるようなその喜びを、文字通り全力のジャンプで表現してみた。
 このハイテク義足は本当に優れもので、ジャンプすることに慣れていないナギーブでも、陸上競技選手のように軽やかに跳躍することができた。着地の瞬間バランスを崩して、あわや前のめりに倒れそうになるが、それもまたハイテク義足の補正機能とやらのおかげで、事無きを得た。

「うおっ、すげぇ!」
「ナギーブ、絶対オレのチームな!」
 慢性的な人手不足である、休み時間少年サッカーチームの団員たちは、庭を駆け回るナギーブに我先にと群がって行った。「仮にハイテク義足を貰えても、トレーニングにすこーし時間掛かるから、いきなりはムリだぜ!」とナギーブは言っていたが、今すぐにでも参戦できそうなパフォーマンスだ。
 身体中をたくさんの手に引っ張られながらも、構わずに連続ジャンプを続行するナギーブは、ハットトリックを決めてのゴールパフォーマンスに興じているかのようだ。
 と、ジャンプした瞬間に、子どもたちにあらぬ方向へと引っ張られたせいで、背中から芝生に落下してしまう。
「おっと、大丈夫かい?」
 仰向けになっているナギーブを、ぐるりと囲んで見下げる男たちの外から、プラズマ=ドラグーンが問い掛けた。歴戦のヒーローが放つオーラに反応して、屈みながらナギーブの身体を揺すっていた男たちは、自ずと道を空けた。
「ありがとう! プラズマ=ドラグーン!」
 両手をめいいっぱい伸ばしながら、ナギーブが言った時、プラズマ=ドラグーンは照れるような笑い方をした。さっきまで無言でポカンとしていたナギーブが、ちゃんと正体を知っていてくれたことに、心底ほっとする。そのままプラズマ=ドラグーンは、未来のヒーローを抱き起してやった。

 
「今回のサプライズプレゼントの経緯について、よろしければお聞かせください」
 手品師のネーチャンの為に駆け付けて来たと思われるカメラマンたちは、最初からこのサプライズプレゼントのことを知っていたのだ。予想以上に多数のマイクやカメラを差し向けられているナギーブの母ちゃんは、顔を強ばらせながらも丁寧に受け答えてゆく。
「息子はヒーローもののドラマやシネマが好きで、特にプラズマ=ドラグーンが好きでした。息子の努力が実って、以前より多くの奨学金を頂けるようになった時、何か息子へ”ご褒美”をしてあげなければと考えたのです。ただ、ハイテク義手や義足をプレゼントすることとは違って、もっと夢のあるような何かを」
 予め考えていたセリフを言い終わると、別のインタビュアーが問い掛けてきた。
「多忙で知られるダニエル=ソロー氏にアポを取るのは、苦労されたと思われますが?」
「ダニエルさんは、新たに申込みした奨学金の基金設立に大きく貢献した人物の一人です。極めて優秀な生徒のみに認可される、非常に厳しい審査がありますが、突破すれば返還の義務がない高額な奨学金を頂くことが可能になります」
 補足するように、父ちゃんが後に続いて喋る。
「申請の際には、何故奨学金を受けたいのかという理由を記述しなければなりませんでした。我が一家の場合は、ナギーブの為に新たなハイテク義手と義足を用意して、より優秀な学生に育てるためと書きました。それが、ダニエルさんとコネのある委員会の方の目に止まったので、面接を通してサプライズパーティーを提案されました」
「ナギーブ君、かなり驚いたご様子でしたね」
 ベテランと思われる壮年のインタビューアーが言うと、その場にいるカメラマンたちは静かに笑い、父ちゃんと母ちゃんも白い歯を見せた。
「そりゃあ、事前に何も言ってませんでしたから」
「母ちゃん、サイズが合わないからそろそろ新しい腕が欲しいんだけどって、毎日のように口うるさくて」

「今後、ナギーブ君を育ててゆく上での抱負などについて、宜しければお聞かせ下さい」
「より一層勉学に励ませようと思います。子どもは成長に合わせて、新しい義手義足を用意しなければなりませんから。一度でも奨学金からドロップアウトしてしまえば、今後の生活が厳しくなるでしょう。勿論、趣味の方面でも存分に応援していきたいと思います。――そういえば、カラテスクールに通いたいと言ってましたね」
「私としては、息子が調子に乗らないように、よく言い聞かせておきたいですね。世の中皆が、お前のようにハイテクやお金に恵まれている訳じゃないんだ。お前は特別なんだから、人一倍頑張らないといけないんだぞ、と」

 ナギーブは憧れのヒーローに対して、日頃から抱いていた疑問質問を、一つ残らずぶつけまくっていた。子どもたちの歓声に掻き消されて、プラズマ=ドラグーンが何と返答しているのかは聞きとれないが、きっと夢のある内容だろう。
 ナギーブの両親は、そんな我が子の姿をずっと見守っていた。一流俳優ダニエル=ソローこと、プラズマ=ドラグーンが基金を設けた奨学金、通称”dragoon wings project”。ハイテクの翼を得て、天高く羽ばたこうとする、ナギーブの姿を。

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