健司vsジャスティン

 母なる山の女神に抱かれたかのように、自然の恵みたっぷりな山村、”東流津雲村ひがしるつくもむら”。
 村全体を取り囲む小高い丘の数々には、天然の木々が群生しており、時折その中から「ホーホケキョ」と鳴き声が聞こえてくる。様々な品種の畑が点在しており、合間には新旧織り交ざった茅葺き屋根の家屋が点在している。まだ背丈が低い稲が並ぶ水田には、なぜか夏休みのような懐かしさを思わせる青空と、のんびりとした白い雲が映っている。

 そんな東流津雲村の一画、水田と野菜畑の境目にある広場が、今回の出張ライブのステージだ。長方形の空き地を”回”の字状にするように、見えない壁が展開されている。
 村人をはじめとする観客たちは、見えない壁の外側に立っていたり、見張り台などからステージを見下ろしていたり、花見のように木の陰に敷物を敷いて座ったり、近くにある広々とした家屋の窓や縁側に陣取っていたり。
 元旦の餅つきが始まるかのような、適度に和やかで、適度に賑やかな雰囲気だ。

「あ、すごい! ヤギいるじゃん! カワイイ~!」
 家屋の横にある、金網状の柵の内部にいる白いヤギを見て、制服を着た女の子が犬耳をはためかせながら言う。人慣れしているヤギは、草を咥えながら目を細め、満面の笑みを来訪者たちに送る。区切られている柵の内部では、他にヒツジやウマなども飼育されているようだ。
「見て! あっちにカモの行列できてる! カワイイ~!」
 同じく制服を着た女の子が、猫の尻尾をピンと伸ばしながら言った。隣の女子高生の肩を叩いた後に指し示したものは、比較的幅広な農道を横切っている合鴨の行列。水田から水田へと移動するはずだったが、首輪を付けられた柴犬に黒い鼻を押し当てられた一匹が、羽根をバタつかせる。そうして合鴨たちが柴犬に群がり、柴犬が合鴨たちの匂いを嗅ぐ様は、人と人が啀み合う都会が下らなく思えるほど平和だった。
「このブドウ餅ウマいな……」
 BAS観戦を趣味とする一人暮らしのサラリーマンは、屋台で売られていたブドウ餅をたらふく食っていた。鰐人間特有の円錐形の歯に餅皮が挟まると、こっそりと口に指を入れて取り除く。軽くつまむつもりがもっと欲しくなって、空き地に押し寄せる群衆の合間から屋台を垣間見たが、『完売!』の札が立っていたことに気付いて肩を落とす。

(仰山人が集まっとるな!  集客効果バッチリや!)
 小麦色の肌をしたおっさん、ケンちゃんこと竜山健司たつやまけんじは、見えない壁の中央でシャベルを担いだまま、大きく頷いた。
 そのコスチュームは、白い半袖に、跳ねた泥がこびりついた青いオーバーオール。同じく泥だらけの黒い作業長靴に、白い軍手。茶、黒、白模様のずんぐりとした尻尾を持つ、狸人間。髪の色は黒で、後ろの方は手拭いからはみ出て、襟まで伸びている。
 あちこちから「ケンちゃーん!」という声が聞こえてきて、健司は鼻高々だ。一人のおとことしても自慢になるが、それ以上に、東流津雲村にかつてない程多くの客が来ていることを、ゆるキャラ(?)として誇らしく思っている。
 毎日のように村人たちとの会議に明け暮れ、時には遠く離れた村と特産品の”コラボ”も試みた。勿論、一人のアーティストとしても鍛錬を欠かさず、着実に勝ち星と知名度を稼いできた。その身を砕くほどの努力がBAS本部に認められて、ついに東流津雲村での出張ライブが承諾されたのだから、健司のモチベーションは最高潮に達している。
「おう! 皆、来てくれてありがとな! 挨拶代わりに、ケンちゃんのテーマソングを歌うで! 一流の三味線奏者が弾いてくれたのを録音したから、今日はそれに併せた特別仕様や!」
 観客たちは、祭囃子のような掛け声をあげて、要所に設置されたスピーカーからケンちゃんのテーマソングが流れるのを心待ちにした。

 ――だがスピーカーから流れてきたのは、ゆったりとしたリズムだが高圧的な印象を受けるロックンロールで、村の平穏を掻き乱すかのような爆音に観客たちは耳を塞ぐ。空き地の中央にいる健司も、周囲を見回して困惑しているようだ。
「こ~んな心臓に悪い曲だったかの~う?」
「コンチキショウ! アイツか!」
 観客たちが混乱していると、幅広い農道の方から黒のリムジンがゆっくり近づいてきた。けたたましいクラクションのせいで、通り道にいた合鴨は怯えて逃げ去り、柴犬は後ろ脚を水田に突っこんで何度も吠える。そのまま空き地に入って来たので、進行方向にいた観客たちは、慌てて脇へとのがれる。
 割って入ってきたリムジンの、後部座席のドアが開かれる。中から出てきたのは、灰色のビジネススーツに、赤いネクタイをした男だった。そのオールバックに白髪が混ざっているどころか、ほうれい線もかなり目立つというのに、老いを感じさせないほどに筋骨隆々な、尻尾も獣耳も持たない猿人間。悪の帝王エビル=エンペラーと名高いBASの社長、ジャスティン=クックだ!
「空気読め!」
「この成金野郎!」
「アンタそれでも社長かぁー!」
 姿を現すなり、盛大な歓迎を受けるジャスティン。紙コップ、泥団子、小さな箒、その辺に転がっていた枯れ草等々を投げつけられながらも、わざとらしく大手を振るって闊歩する。見えない壁に掌を押しつけたジャスティンは、強烈な向かい風の中を歩くかのように、ゆっくりと中へ侵入していった。

「おいこら! 人様の出番に割って入ったらアカンで!」
 シャベルを担いだまま、ずかずかとジャスティンの方へ歩み寄ってゆく健司。人懐っこい健司ことで名が知れている健司だが、晴れ舞台での見せ場に水を差されたことで、流石に憤慨しているようだ。
「失敬、失敬。私は三味線が苦手でね。黒板を引っ掻く音に似ているだろう?  聞くと鳥肌がたつから、代わりに心地よいロックンロールを流させてもらったよ」
「あんた絶対に殺しちゃるからなあぁぁぁ! 末代まで呪っちゃるぅぅぅ!」
 特殊な装置によって拡声されたジャスティンの声にも負けないくらい、一際大きな老女の声が響いた。彼女こそが、ケンちゃんの言う一流の三味線奏者なのだろう。
「おっと。先行き短い婆さんの寿命を縮めてしまったようだな。ハハハ。そういえば今日、このヘンピな村に寄贈品を持ってきたのだよ。ありがたく受け取れ」
 ジャスティンが指を鳴らすと、俄かに地面が揺れ始めた。徐々に激しさを増す振動に、観客たちが「地震!?」と声を漏らした直後、ステージ中央の地面が裂けて、巨大な金ピカ像がせり上がってきた!
「な、なんやなんや!?」
 巨大な影に覆われた健司は、慌てて背後を振り返る。四角い台座も含めると、約5メートルはあるその金ピカ像は、うつ伏せに倒れる健司の後頭部を踏み付けたジャスティンが、物凄くムカつく笑顔でガッツポーズをしているものだった!
「ふざけんなカス!」
「悪趣味! ナルシスト! 成金野郎!」
「とっとと帰れやボケェ!」
 物を投げつけようにも、見えない壁に阻害されるので、ありったけの罵声やブーイングを浴びせ掛ける観客たち。言うまでも無く、村人たちによる怒りの声の大きさが顕著だ。
「残念だよ。芸術が理解できんとは。無学な貴様たちのために説明してやろう。これは、貴様らの存在がこのジャスティン様の栄光を支えていることを象徴する、実にウィットに富んだ傑作だ。一次産業という踏み台があってこそ、勝ち組である三次産業が成り立つことを暗示している」
 実に腹が立つ笑顔を、四方八方の観客に万遍なく見せつけながら、高らかに言うジャスティン。火に油を注がれたように、観客たちのブーイングや罵声は更に大きくなる。
「何を怒ることがある? 一次産業といえば、天下の3Kだぞ。モテる男に必須とされる、あの3Kだ。すなわち、危険、キツい、汚いの頭文字。ハハハ、まさにこの村のことだな」
 拳を握り締めて黙っていた健司だったが、心から愛する東流津雲村を扱き下ろされて、遂に堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にせいや! 皆を馬鹿にする奴は、漢健司が許さんで!」
 三百六十度回りながら演説していたジャスティンと、丁度正対したタイミングで、健司はシャベルを持たない手で灰色スーツの襟に掴み掛かった。ジャスティンが余裕の表情を浮かべながら、片手で健司を軽く突き飛ばすと、待ってましたと言わんばかりにゴングが高鳴る。凄まじい大ブーイングは、瞬く間に天を衝かんばかりの大歓声へと変わった。

 

「ケンちゃん、やってまえ!」
「あっしの分までぶん殴っちゃれ!」
 押し飛ばされたことで、ジャスティンとの間合いが離れた健司は、正眼に構えたシャベル”ななひかり”を、垂直に振り上げる。
「でやああぁぁ!」
 気合いとともに、シャベルの側面でにっくきジャスティンを一刀両断せんとするが、それは傷だらけの片手に意図も容易く掴まれ、阻止されてしまった。
 すぐに得物を引き戻そうとするが、ジャスティンの握力や腕力は信じられないほど強く、両手でシャベルの持ち手を引っ張ってもびくともしない。それならばと、片手で持ち手を握ったまま、もう片方の手をジャスティンの腰に回し、さながら相撲のように組み付いて押し倒そうとする。が、体重と筋肉量で勝るジャスティンは、微動だにせず余裕の表情。
「やれやれ。近頃のバトル・アーティストどもは、身体作りからしてなっておらん。武器やメーションに頼るからだ」
 などと宣ったジャスティンは、健司と同様、相手の腰に片手を回して押し返す。ずんぐりとした健司の身体は、車で牽引されたかのように押されていき、地面には急ブレーキをかけたかのような二本の跡線が伸びてゆく。
(体重差きっつ……!)
 健司は押し倒されないように踏ん張るのが精一杯だ。
「私は毎日必ず、400グラムのステーキを食べている。一流のシェフに作らせた、超高級のミディアムレアをな」
 そう言いながら、ステージ中央にある金ピカ像に健司の背中を押し付けたジャスティンは、卑劣にも足の甲を踏み付けた! 目を丸くして前のめりになった健司は、続け様に顔面への強烈な張り手を食らう! 後頭部が金ピカ像の台座に激突し、隕石が落下したかのような窪みができてしまった。
 そのまま両膝立ちになって崩れ落ちると思いきや、ジャスティンは健司の首根っこを掴み、力任せに投げ飛ばした! 野球のピッチャーのようなモーションで投げられた健司は、三度ほど地面をバウンドしつつ、見えない壁に激突した後蹲った。
「あんなクソマズイ野菜ばかり食べている貴様とは違うのだよ」
 金ピカ像を背にするジャスティンが、野菜畑の方を指差しながら嘲笑うと、物凄いブーイングが巻き起こった。
「こんの罰当たりめがぁー!」
「飢え死ねえぇぇ! 野たれ死ねえぇぇ!」
「ケンちゃん、はよ立て!」
 辛うじて手離さないでいたシャベルを杖代わりにして、ゆっくりと立ち上がった健司。ジャスティンは、広げた手を耳に当てては、空き地や家屋、木の下などにいる観客を嘲笑っている。

(真っ向勝負は無理臭いな。ならば、ななひかりの真髄、地形操作や!)
 猫背になりながらも、地面に突き刺したシャベルの刃先を更に深く沈めると、健司はメーションで土のトンネルを創り出した。猫背の健司がギリギリ入れるトンネルは、前方の出入り口はジャスティンに向いていて、後方の出入り口は見えない壁によって塞がれている。ちなみに、見えない壁の外側に入る人々には、土のトンネルや金ピカ像などの遮蔽物は、半透明になって見える。
「何の真似かね?  もうすぐ冬眠の時期だったか?」
 そう言いながら、悠々とトンネルの方に闊歩してくるジャスティンに、トンネル内の健司はシャベルを突き立てた辺りから散弾銃の如く無数の小石を噴出させる!
 しかし、プロレスラーとして幾つもの修羅場を潜り抜けてきたジャスティンは、傷を負っても戦い続けられるという実績と自信が、無意識の内に防御のメーションへと昇華されている。つまり、まるで抗メーション物質AMMを身に纏っているかのように、直撃する小石の威力を大幅に減衰させているのだ。掠り傷だけが増える一方で、殆どジャスティンに効いてない。
「おい、効いてんのか……!?」
 観客一同が焦りを覚えるなか、ジャスティンはトンネル入り口に辿り着いたので、健司は猫背のまま後退る。ジャスティンは健司よりも身長が高いので、このトンネルを潜るとなると、どうしても隙ができてしまうだろう。
「さあ、出てこい!  もう雪解けの時期だぞ!」
 ジャスティンはプロレスで鍛えたタフネスを盾にして、強引にトンネルへと浸入しようとする。無数の小石が顔面に当たることも厭わず、しゃがみ立ちになって頭からトンネル内部に入った瞬間、出入り口の地面が、土壁となって隆起した。そうしてジャスティンの首は、トンネルの天井と土壁に挟まれて、顔だしパネルから頭が抜けなくなったかのような、何とも間抜けな姿になってしまった!
「どういうことだこれは!? 頭隠して尻隠さずの、ケツだけ野郎になっちまったではないか!」
 外側から土壁に両手をあてて、どうにか頭を引き抜こうとするジャスティンは、あまりにも無様。トンネル内部にいる健司は、ジェットコースターで頂点から落下している最中かのようなジャスティンの変顔に対し、シャベルで真っ直ぐに突く! 額に深く刃先が突き刺さったジャスティンは、口をへの字に曲げ、白目を剥いた。
 深手を負わせた健司は、トンネルと土壁を霧消させ、背筋を伸ばしてどや顔となる。ジャスティンは白目への字のまま、頭からバタリと倒れこんだ。
「ざまあみろ! 汚ケツ野郎!」
「バカじゃねぇの!?」
 シャベルを担いで、鼻息を勢いよく漏らした健司も満足顔。
「よしよし、上出来や!」

 健司は少しの間、やや遠間からうつ伏せに倒れているジャスティンを見下ろしていた。起き上がる気配が全くないので、遠慮せず止め刺しをしようと、シャベルを正眼に構えたまま、摺り足で慎重に間合いを詰めてゆく。
 歩幅一歩分の距離まで接近した健司は、下に向けたシャベルでジャスティンの心臓を貫こうとする。刹那、ジャスティンは両手を支えにして、ウインドミルの要領で回転蹴り! 健司は足を掬われて転倒し、ジャスティンは離陸するヘリコプターのように回転しつつ立ち上がる。
 すぐに片膝立ちとなって備えた健司が見上げると、両手に一本ずつのシャベルを持ったジャスティンが、今まさにそれらを振り下ろそうとしていた。ジャスティンのメーションによって複製された健司の武器――エビル=ななひかりが二振りもある!
 同時に振り下ろされた二振りのシャベルを、頭の上で水平にした(本物の)ななひかりで受け止める健司。
「貧乏人の武器にしては悪くないな。このジャスティン様が使ってやろう」
 力ずくで、健司のガードを押し切ろうとしながら、ジャスティンが言う。
「こらぁ! パクんな!」
 水平にしたシャベルがじりじりと押し下げられながらも、健司は怒鳴った。
「社長が部下の物を使って、何が悪いのかね?」
 などと宣うと、ジャスティンは前蹴りを健司の顔に浴びせた! 数メートルほど吹っ飛んだ健司は、片手で地面を叩いて受け身をとり、素早く立ち上がる。
「ケンちゃん、負けないでー!」
「ホンマもんの力見せ付けたれ!」
 一振りのオリジナルと、二振りのパチモンによる激しい剣戟が始まった。といっても、健司は軽々と振り回されるエビル=ななひかりを捌くのが、やっとのところなのだが。組み付いて柔術で制したいところだが、返り討ちに遭うのは目に見えている。
(基礎体力からして敵わへん……!  どつき合いはやめや!)
 二振りのシャベルで、外側から挟み込むような攻撃を後ろに退いて躱した健司は、迷うことなくシャベルの面を地面に叩きつける。すると、目の前で土壁が隆起してきて、長方形のステージが八対二の割合で分割されるような形になった。防戦一方で引き下がるばかりであった健司の方が、総面積の20%しかない方に立っている。
(こんな狡い真似ばかりじゃアカンけど、仕方がないんや!)
 そう思いながら健司は、刃先を地面に突き刺した辺りから、再び小石を噴出させようとする。大きな角度をつけることによって、小石の雨をジャスティン側の80%に降り注がせようとするつもりだ。
 が、突如目の前の土壁が砕かれ、健司は驚愕した。大柄な人間でさえ通り抜けるのは十分すぎる穴の向こうでは、二振りのシャベルを正面に向け、健司のそれを上回る渾身のどや顔になっているジャスティンがいた。
(嘘やん!? パチモンにしてやられもうた!?)
 シャベルに籠められた、土を操るメーションの力まで、ジャスティンはパクっていたのだ。その強度や純粋な効力は、本物のななひかりには及ばないが、二本のシャベルに同時にイメージを注げば、オリジナルが作った土壁を半壊させる程度ならできる。
「喜べ。貴様のムーブは私が代わりにやってやろう」
 そういってジャスティンは、二本のシャベルを足元に突き刺して、わざわざ自分で壊した土壁の穴を修復する。危機を感じた健司がオリジナルを地面に突き刺し、四本の支柱に支えられた土の屋根を創ると同時に、壁の向こうから無数の小石が降ってきた!
「ちきしょうめ!  ケンちゃんの作戦までパクりやがって!」
 屋根の下で小石の雨をやり過ごす他ない健司の親衛隊たちは、地面に突き刺したエビル=ななひかりから一定のリズムで小石を噴出させるジャスティンに、盛大な野次を浴びせる。

(俺が創った土壁霧消させて、カチコミかましたるか……? いや、アカン。飛び道具の段数は向こうが上やから、隠れるものなくなったら蜂の巣や)
 攻め手に欠いて棒立ちになっている健司の足元から、土の針が隆起してきた。上から降ってくる小石は屋根が守ってくれるが、下から突き上げてくる土針が、二の腕や太股を貫通してくる! 二種の異なるメーションを――考えようによっては武器複製も含めた三種のメーションを同時に扱うとは、この社長もメーション使いとして相当なものだ。
(せや!  あの手があった!)
 このままジリ貧で負けるかもしれないと、気持ちだけが先走っていた健司は、ある名案を思い付いた。自分の武器、そしてメーションの弱点は、熟知した上でライブに臨んでいるつもりだ。
 一定間隔で突き上げてくる土針に耐えながら、数秒間イメージを研ぎ澄ませる健司。そしてシャベルを勢いよく地面に突き立てた瞬間、土の屋根は霧消し、自身が立っている地面が抉られ、巨大な土塊となって跳ね上がった! ちょうどステージの中央にある金ピカ像のように、台座の上に立っているかのようになって空飛ぶ健司。
 巨大な土塊に乗った健司は、降り注ぐ小石から身を守るようにシャベルの面を掲げ、巨大な土壁を飛び越えた。なんかでっかい物体が向こう側から飛んできたので、ジャスティンは目玉が飛び出しそうになり、そのまま降ってきた土塊の下敷きになった!
「さっすがケンちゃん!」
 土壁、土塊、そしてエビル=ななひかりが一斉に霧消し、青い空を見上げたまま目を回しているジャスティンの傍らで、健司はどや顔をやり返しつつおもむろに立ち上がった。

 

 ついにジャスティン敗れたりと、健司が仰向けになっているジャスティンの顔に、シャベルの面を叩きつけようとした瞬間。ジャスティンはあわてて立ち上がり、くるりと後ろに回って、ビュンと逃げていった。逃げ足が速くて腹が立つ。
「待てぃ! お前は絶対逃がさんからな!」
 金ピカ像の端の辺りまで行ったジャスティンの背中を追って、健司も全速力で走りだした。
 リムジンの後部座席のドアが開かれ、二名のBASスタッフが姿を現す。内一名は金ピカのシャベルを担ぎ、もう一名は同じものが大量に入っている箱を抱えて、見えない壁の前まで走っていく。
「それをよこせ! はやく!」
 見えない壁を背にしたまま、後ろに手を回しながら叫んだジャスティンに向かって、健司はななひかりを担いだまま迫ってくる。スタッフの一人は、金ピカシャベルを見えない壁の外側から突き刺し、半分ほどを内部に浸入させた。
 間合いを詰め、振り上げたシャベルで健司が一刀両断せんとした寸前。宙に浮かんでいるかのような、金ピカシャベルを手に取ったジャスティンは、それを以ってして振り下ろされた健司のシャベルを受け止めた!
「な、なんやそれ!?」
 とてつもなく鈍い音が響くとともに、シャベルの刃の部分が折れ曲がってしまい、健司はまたも驚愕した。見えない壁の内部だから、壊れた武器は短時間で自然と元通りになるだろうが、この金ピカシャベルを生身で受けてしまったら……。
「見ての通りシャベルだ。見たまえ。億万長者に相応しい、このゴールデンな輝きを」
 ジャスティンは実にイラつく笑顔を見せつけた直後に、ゴールデンで悪趣味なシャベルを振り上げた。あれを健司のシャベルで受け止めてしまったら、良くて二、三撃、最悪あと一撃で破壊されてしまうだろう。

 摺り足で後退しつつ、振り回される金ピカシャベルを全力で避けている健司。目と鼻の先に竜巻があるような、凄まじい圧力を感じる。
(アカンわ……! こうなったら、もう一度地形操作や!)
 健司は一気に三回の摺り足で間合いを取ってから、シャベルを斜め気味にして刃先を地面に突き立てた。例によって巨大な土壁が目の前に現れた直後、そのど真ん中を縦回転する金ピカシャベルが突き破った!
「嘘やん!?」
 と健司が叫んだ直後、投擲された金ピカシャベルが顔面にクリーンヒットしてしまう! 笑えるほどに痛そうな音が空き地に響いたことから、最早それはシャベルというよりハンマーの類としか思えない。
「言い忘れていたが、ソイツには特上のAMMが使われていてだな。貴様が創るオンボロの泥ハウスなぞ、あっというまにおじゃんだ」
 呆気なく大の字になった健司を見下ろしながら、ジャスティンが自慢げに語る。わざわざこのライブのためだけに、シャベルとしてオーバースペック過ぎるこのゴールデンを用意してきたらしい。億万長者の戯れだ。
「ケンちゃあぁぁぁーん!?」
 観客たちが悲鳴をあげるなか、見えない壁の内部に侵入したスタッフ二人が、大量の金ピカシャベルが入った箱をジャスティンの傍まで運んできた。その箱は連結式らしく、わざわざ二分割してからジャスティンの両脇にそれらを設置する。
「世の中金だよ。金を持っている方が勝つのだよ」
 などと宣ったジャスティンは、左右で屈んでいる二名のスタッフから手渡される金ピカシャベルを、次々と投擲し始めた! さながら餅つきのようなコンビネーションで、片方のを投擲すると同時に、空いた方の手で新たな金ピカシャベルを受け取っている。
 目眩がしながらも根性で立ち上がった健司だが、驚異の肩力で投げられるシャベルの嵐を躱しきれず、またもや地面に伏してしまった! 初弾で倒れた健司の頭に向かって、休むまもなく金ピカシャベルを投げつけて、象に踏まれたかのような衝撃を与え続ける。

「これで貴様らも分かっただろう?億万長者と貴様ら田舎っぺの間にある、決して越えられない一線を」
 理不尽な物量差と性能差で健司を捩じ伏せたジャスティンは、両手を広げて三百六十度回転しつつ、観客たちを嘲笑う。両隣にいるスタッフ二名も、悪どい笑いを浮かべている。
「立ってくれ!ケンちゃあん!」
「それでも漢か、ケンちゃーん!」
 割れんばかりの野次や罵声、ブーイング、そして必死の声援が満ちるなか、身体中痣だらけにして倒れている健司の目の前に歩み寄るジャスティン。
「貴様は所詮、このジャスティン様にとっての踏み台でしかない。負け組は負け組なりに、その責務を全うすることだな」
 健司の首根っこを掴み、ずんぐりとした身体を片手で軽々と持ち上げるジャスティン。半目になって気絶してると思われる健司だが、意地でもシャベルから手を離さない。
「まだ持ってやがる。リサイクルショップに売ったところで、ワイン瓶一本買えやしないのにな」
 健司を馬鹿にしながら、首を掴まれたまま宙でだらんとしている健司が持つ、泥だらけのシャベルの柄を持つジャスティン。時間経過で元通りになった刃の先端を地面に突き立てると、二人の足元から土柱が隆起してきた。貨物用エレベーターみたいにゆっくりとせりあがる様は、健司にフィニッシュムーブを仕掛けるという合図かのよう。
「ケンちゃん! ケンちゃん! ケンちゃん!」
 観客たちは何度も力強く叫びながら、たいそうなスーツを着たこのゲス野郎から、東流津雲村を守ってくれるヒーローの復活を待ち望んだ。土柱は、高さ5メートルほどのところで上昇を止め、その天辺に立つジャスティンは瀕死の健司をあちこちに見せつけている。
 地上では、二人のBASスタッフが、懐から取り出したプラスチック小箱を開けて、中にあった大量の画鋲をばら撒いていた。ジャスティンはこれ見よがしに、ゆっくりとした動きで、首をホールドする方とは別の手を、健司の背中に添える。チョークスラムの体勢だ。

 観客一同が最悪の結末を思い浮かべた瞬間、無情にもそれは現実のものとなってしまう。土柱の天辺から飛び降りたジャスティンが、チョークスラムで健司を画鋲の山に叩き付けんとする!
「やめろおおぉぉ!!」
「いやああぁぁ!!」
 精一杯の大声援は、一瞬にして阿鼻叫喚の大悲鳴へと変貌した。無惨にも健司の背中が、画鋲の山に落下する――誰もがそう思った瞬間だった。
 健司は絶対に手放さなかったシャベルを、手を広げるかのような動きで、その刃の側面を迫りつつあった画鋲の山に叩き付けた。その直後、なんと半径1メートル程の地面が、トランポリンのように勢いよく跳ね上がり、画鋲の山は四散、やや遅れて落下してきた健司とジャスティンをも撥ね返した!
「上下があべこべになった!?」
 かなりのどよめきが巻き起こる中、誰か一人がそう叫ぶ。この世の終わりを目の当たりにしたかのような、変顔をしているジャスティンは、斜め上気味に撥ね飛ばされたことによって、トランポリンになったところからやや離れた位置にある、画鋲の山に背中から激突した! 健司はというと、撥ね飛ばされた際にジャスティンの腹を蹴って、画鋲の山から僅かに離れた地点に着地し、受け身をとった。
「ぬがぁ~! 貴様ら! もっと画鋲の山を密集させて配置しろ!」
 画鋲をばら撒いた二名のスタッフを責めるジャスティン。クズである。よりによって画鋲の山の上を転げ回るため、背中だけでなく腹部にも無数の画鋲が刺さってしまう。見てるこっちが痛々しい。集中力が維持できないので、当然のように土柱は霧消する。
 健司が立ち上がった直後、その辺に投げられっぱなしになっていた金ピカシャベルを持ったスタッフが、前後から襲い掛かってきた。先んじて、金ピカシャベルを振り上げた前方のスタッフの胸を、泥が滴るシャベルの刃先で横一文字に切り裂く!
 背後からもう一名のスタッフが垂直に斬りかかってきたが、金ピカシャベルが土埃塗れの手拭に直撃する寸前、腕を捕らえて一本背負い気味に投げ飛ばす。胸を切り裂かれて崩れ落ちつつあった前のスタッフの頭は、投げ飛ばされた後ろのスタッフと頭とぶつかり、二人仲良くその場で伸びてしまった。

「堪忍せいや! 漢健司の必殺技や!」
 片手で自分の頬をバシンと叩いて、自らに気合を注入する健司。ありったけの声援を浴びて、更にパワーアップ。これ以上ない程に昂った健司は、勢いよくシャベルを地面に突き刺した。
 刃が深く突き刺さった場所を起点として、前方の地面はひび割れた荒野のように亀裂が走る。前方数メートルが、扇状にブロックを敷き詰められたかのようになると、続いて間欠泉のような砂礫が吹き上がり、無数の土塊が天高く吹き飛ばされた!
「豊作やないか!」
「大漁や!」
 間もなくステージ全域に、隕石群のような土塊が降り注ぐことだろう。訓練によってメーションを制御できるようになった健司自身は、土塊が当たっても無傷で済むが、ジャスティンらが食らったらひとたまりもない。
「無礼者!  私を殺す気か!?」
 などと意味不明なことを叫んだジャスティンは、画鋲の山の上で両手をつき、あわてて立ち上がる。地面に伸びている二名のスタッフの首を、片手ずつで持ち上げたジャスティンは、あろうことか降り注ぐ土塊群から自分を守る盾とした! 当たった土塊は、ドシャンと痛そうな音とともにくだけ散り、二名のスタッフは身体のあちこちが陥没してしまう。
 にっくきジャスティンが土塊の裁きを受けないのが、誠に腹立たしいところだが、そこは流石の漢健司。シャベルをもう一度突き立てると、ジャスティンが立つ辺りが畳返しのようにひっくり返ったため、エビル=エンペラーは数メートルほど後方に吹き飛んだ。その際に二名のスタッフから手を離してしまったため、哀れ仰向けに倒れたジャスティンの身体に、正義の土塊が容赦なく降り注いだ!

「よっしゃあ!これぞ”おとこまい”や!」
 両膝立ちになって、ぎゅっと握り締めた拳を上にした健司は、勝利を宣言するかのように叫んだ。土塊の雨が止むと、金ピカシャベルや画鋲が散らばったステージで、三人の悪徳人間が横たわっていた。
「ナハハハ! 落ちてもうた!」
「ケンちゃんの勝利や!」
 愛すべきゆるキャラ(?)の勝利を、誰もが確信する。こうして、村の平穏を掻き乱す小汚ない億万長者はやっつけられ、ライブ終了のゴングが高鳴るのであった。

 
 メーションで作った、切り株のような土椅子に腰を下ろした健司は、傷だらけの身体が癒えるのを待っていた。「ケンちゃん!ケンちゃん!」と力強い皆の声援が、大好きな地元を貶されて荒んだ心を潤してくれる。
「おい、あれを見ろよ」
 ふいに、観客の一人がステージの中央辺りを指差した。ジャスティンが健司を踏みつける金ピカ像ではなく、箱に詰められた大量の金ピカシャベルを示している。
「メッチャ余っとるやないか」
「……なあ。あれでどついたら、あの像壊れるんちゃう?」
 ケンちゃんコールを一旦中断した観客一同は、ガヤガヤと話し合いを始めた。
「え、でも、ステージの中にあるんだから、壊しても元通りになるんじゃ……」
「あっ、あれだけは元通りにならないように細工したんで、大丈夫ですよ。やっちゃってください」
 BASスタッフの制服を着た、人の良さそうな青年が、どこからともなく現れてそう言った。直後、閧の声を上げた観客一同は、我先にと見えない壁を突き抜けてゆく!
「よっしゃあ!  一揆じゃ!  一揆じゃ!」
「東流津雲村の乱や!」
「打ち壊しだべ!」
「げ・こ・く・じょおおおおおぉ↑↑」
 箱に詰められた金ピカシャベル、あるいは投げられっぱなしでステージに転がっている金ピカシャベルを手に取った観客たちは、思いおもいに悪趣味なジャスティン像をぶん殴り始めた! 見えない壁の中だから、誤って他の人にシャベルがヒットしても、何ら問題はない。存分に暴れることが許されるのだ。
 大工のおじいさん、三味線奏者のおばあさん、農家のおやじさん、合鴨世話係のおふくろさん、かわいい動物を観に来た女子高生、ブドウ餅ジャンキーと貸していたサラリーマン、皆仲良く一丸となって、ジャスティンに馬鹿にされた分をやり返していた。
「貴様ら! この崇高な芸術を理解できない、三等民どもが! それ以上汚い手で、このジャスティン様の像に触れてみろ! 大手ショッピングモールをこの地に招致して、文明開化を推し進めてやるぞ!」
 などと宣いながら、這うように半分ほど破壊された像へと移動していたジャスティンは、その後頭部を健司の黒い作業靴で踏みつけられる。「ぐふっ」と情けない声を漏らしたジャスティンは、白目となって舌をだし、心底笑える面白い顔になった。
「敵将、討ち取ったりや! 東流津雲村の平和を守ったで!」
 片足をジャスティンの頭に載せたまま、シャベルを担いでどや顔の健司が高らかに叫ぶ。ほとんど原型がないあのジャスティン像とは、正反対の構図となっていた。その場にいた者の多くは大爆笑し、スマホやデジタルカメラによるシャッター音があちこちから聞こえてくるのであった。

 

 あれから数週間。死闘が繰り広げられた空き地には、数多くの観光客が訪れていた。

「アハハ! 気色悪い顔だわね!」
 黒い毛皮ファーポンチョ、黒いフェザースカートを着た、赤髪赤目のドロテアが笑う。見上げた先には、シャベルを担いでどや顔を浮かべている、巨大な健司の土の像。その作業靴で、白目を剥いたジャスティンの後頭部を踏み付けている。デジタルカメラやスマホで撮られた、健司の勇姿がモデルになっているのだ。
 この像を目玉と謳った東流津雲村の祝勝会には、先のライブの倍以上の客が訪れている。特に、ジャスティンが踏み付けられている土像周辺は、朝から絶え間なく人だかりができているほどだ。
「授与式の時に受けた辱しめは、これで許してあげようか。ふふふ……」
 落ち着いた色のカーディガンとズボンを着たブルーノは、蝙蝠の翼をゆらゆらと揺らしながら、嗜虐的な笑みを浮かべた。衆目が集まる場所で、ブルーノには持ち上げられないほど重いチャンピオンベルトを、ジャスティンから手渡されたことについて、割と根に持っているようだ。
「え……。私が手伝いに行ったの、余計だった?」
 その際仲間に背中を押されて、チャンピオンベルトを運ぶのを手伝っていたドロテアは、おずおずと背の高いブルーノを見上げながら言った。本音を言えば恥ずかしかったし、ブルーノが珍しく拍手喝采を浴びる晴れの場所に、水を差したのではないかと気掛かりだったのだ。
「あ、いや、そうじゃなくて……。勿論、手伝いに来てくれたのは嬉しかったよ」
 友人たちに勧められて、思い切ってデートに臨み、ここまでは順風満帆だと安心していたブルーノは、失言をしてしまったのではないかと肝を冷やす。
「そう……? ありがとう」
 微かに紅潮してしまったのを見られたくなくて、ドロテアはブルーノから顔を背けてしまう。機嫌を損ねてしまったのではないかと、ブルーノはしゅんとしてしまう。そんな二人がスムーズにやり取りできるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

 
 家屋が密集する辺りでは、楕円状に数多くの屋台が並んでいた。その中央には、丸太でできた椅子や机が設置されていて、屋台で買ったイカ焼きやらタコ焼きやらをつまんでいる。真昼間から日本酒の飲み比べをしている者たちもいるようだ。
「おっほー!  花月かつきちゃん、メチャクチャ呑むじゃねーか!」
 所構わず合コンのテンションでいる、派手なタンクトップとダメージジーンズなマルツィオが叫ぶ。自慢の水色のヒレの立ち上がり具合も、高級ワックスのおかげで絶好調。
「人生二十年。こなたの命、明日も在るといざ知らず。今日こんにち快楽に耽りんせん道理があろうかぇ?」
 金糸で樹枝の着物と、桜の花弁が舞う羽織を着た、鴉の黒い翼をもつ花月が言った。先ほどから飲み続けている日本酒は、ゆうに十合を超えている。眉毛が細く、目尻が赤い、いかにもな遊女の酒豪っぷりに、近くに座る青年たちは釘付けになって持て囃している。無常観ゆえの快楽主義な花月は、早死にする可能性が高そうだ。
「だよな! 人間、今この瞬間を楽しむことが先決だよな! こーゆーの、一期一会とも言うんだっけか?」
 カッコいいところを見せようと、負けじと日本酒を一気飲みしてからマルツィオが言った。マルツィオの友人、そして取り巻きの女性たちは、とりあえず「うぇーい!」と叫ぶ。花月が言った内容と、それに対するマルツィオの返答が、よく分からなかったらしい。
「というわけで、花月ちゃん! この後二次会行こうぜ! メッチャ美味いスープ屋案内するかららさ! カロリー抑えめでヘルシーだぜ!」
「食事だけで満足かや? 一夜の夢を見させてやるぞ。わっちを愉しませることができるなら」
「うおっ、マジかー!? 信じていいんだよな!?」
 大胆に口説きに掛かったマルツィオを、更に上回る大胆さで返答した花月。甘い罠を仕掛けられたのではないかと、流石のマルツィオも少なからずビビったが、据え膳食わぬは男の恥。「マルツィオ! マルツィオ!」と若者たちのコールが轟く中、ステージのナンパ師はニヤニヤと笑いを浮かべていた。

 
「抹茶に含まれるカテキンにはね、アンチエイジング効果があるのよ~。あと、ビタミンやサポニンも含まれているから、美肌効果もあるのよね~」
 解放された家屋の縁側に座っている、薄茶色トレンチコートと黒ストッキングな、茶斑のグロリアが解説した。この家に住まうその道の達人は、”侘び寂び”の文化をレイラ中の人間に知って貰うことを目的として、来訪者たちに美味しい抹茶を差し出しているというわけだ。
「ほう、成る程な。ミルフィーユとともに味わうには、些か渋味が強すぎるが、薬と考える分には悪くない」
 豪華絢爛なゴシックロリィタドレスを着た、蝶の四枚羽を持つオルガは、枯山水を眺めたまま不遜な態度で言った。肉体年齢は十代半ばの少女だが、頑固で好みに五月蠅い老婆臭さを感じさせるのは、実年齢相応と言ったところだろうか。
「和菓子に合わせた淹れ方なんだから、洋菓子に合わないのは当然よ~! あと和菓子は脂質が少ないから、ダイエットにも最適なのよ。食物繊維がい~っぱいある、お豆や海藻類が原料になっていることも多いから、得てしてお腹が減りにくいって言われているの」
 そう言った傍から、グロリアは菓子切りを使って薄桃色の主菓子まんじゅうを口に運ぶ。
「ほほう、それはそれは。薔薇柄の皿に載せるには、少しばかり色合いが地味な代物じゃがな。どれ、もう一つ」
 オルガは後ろに正座して座る、着物を着た達人に目で合図する。年輩だが気品のある美しさを持った女性はにこりと笑うと、ゆっくりと座布団から立ち上がった。
「あんまり食べ過ぎて、喉に詰まらせないようにね~」
「……御主も言うのう」
 年寄り扱いされたことで眉を顰めたオルガの横で、グロリアは口元を手で押さえて上品に笑っていた。

 
 村の中央からやや離れた場所、炭小屋がある辺りにて。
(むぅ……。この調子では、すぐに肉が底をついてしまう)
 若草色のジャケットを羽織り、様々な継ぎ接ぎがある青ジーンズを穿いたリバウドは、その巨体に相応しい巨大なバーベキューコンロの前に立ち、ひたすら肉や野菜を焼き続けていた。代々林業を営む家系に生まれたリバウドの趣味はバーベキュー。
 モンスターヒールとしては恵まれているほど、恐ろしくギョロリとした目と、闘牛のように湾曲した銅色の二本角を持つリバウドも、今は威厳を持った逞しい父親のように見える。そこらにある大きな石や切り株に腰を下ろす人々は、がやがやと騒ぎながらリバウドが焼いた美味しい食べ物を味わっているのだ。
「次」
 上半身にはカーキ色のスポーツブラ、下半身には煤がこびり付いたカーキ色の作業ズボンなカリナが、ソースが染みついた紙皿をコンロの横にある作業台の上に投げ置きながら言った。彼女の首や腕がもふもふの毛で覆われているのは、熊から進化を重ねてきた名残らしい。
「早いな。――肉ばかりで飽きぬか? 焼き方くらいなら変えてやるぞ。試しにミディアムレアはどうだ?」
 遠間から眺める限り、とにかく肉に喰らい付いてたカリナを気遣うように、リバウドが言った。自分から話しかけると、大抵の場合怖がられて反応が薄くなってしまうから、こうして物事を頼まれた時こそが人と仲良くなれる絶好のチャンスなのだ。
「あんなの”成金野郎”が食うモンじゃねェか。いらねェよ」
 リバウドが持参したサイズがでかいキャンピングチェアに寝転がったカリナは、爪楊枝で歯に挟まった肉を取り除きながら言う。
「フッ……だろうなァ」
 僅かに口元を緩めたリバウドは、作業台の上にあった大量の肉を、豪快にコンロの上に投入した。――カリナはお代わりを頼みに何度もここに来ているが、その度にリバウドはこうして新たな肉を投入している。仕事を押しつけられたいじめられっこのように。
「で、テメエは食わねェのか?」
 爪楊枝をその辺に投げ捨てたカリナが、上半身を起こして問いかける。
「……暇さえあれば、山中でバーベキューをやってるからな。いつでも喰らえるとなれば、箸が思うように進まん」
 バーベキューシェフを止めてしまえば、リバウドはその恐ろしい風貌のせいで、敬遠されてしまうだろう。せっかくこうして場に馴染めたのだから、少しでも長く、父親のような賞賛を浴びるこの瞬間を引き延ばしたいのだ。
「あっそ」
 ぶっきらぼうに返したカリナは、ポケットからタバコの箱を取り出した。キャンピングチェアから離れると、その先端をコンロの金網に通す。そのまま、火のついたタバコを咥えようとしたが、思い留まり、リバウドの顔に近付けた。
「やるよ」
 直情的で無鉄砲なカリナなりに、ウマいメシを作ってくれるリバウドを労いたかったのだろう。
「ぬぅ……煙草は好かんな。山火事の元になる」
 タバコを吸わないリバウドは、下手な言い訳をして遠回しに断った。頭に血が上ったカリナは、更にタバコをリバウドの顔に近付けながら叫ぶ。
「じゃあ、いつも山ン中でバーベキューやってるのはなんだってンだ!? いいから吸え!」
「よ、よせ! やめぬか! 髪に火が燃え移る!」
 その場に居合わせた人々は、二つの大声が交互に発せられることに恐怖した。決していがみ合っている訳ではないが、どうしても激しい言い争いをしているようにしか聞こえないため、割り箸を持つ手を止めて竦み上がった人間も少なくはなかった。

 
「そうです! せっかくですから、皆さんでデルフィーヌさんに似合う服を探してあげましょうっ! できるだけ汚れても良い服を着させて、泥団子の作り合いっこをしましょうか!」
 井戸前に立つ、水色ローブで犬耳なお姉さん、クリスティーネが子どもたちに対していった。予てから東流津雲村と交流があったクリスティーネは、子どもたちにもその名前と容姿を憶えられている。出張ライブの応援には来れなかったが、代わりに祝勝会にはちゃんと駆け付けた。
「いいよ~」
「さんせーい!」
「あ、ありがとうございます……?」
 クリスティーネの隣で、子どもたちの注目を浴びているデルフィーヌは、微かに震えている。ロココ調のフリルドレスを着て、おでこを見せるミルクティーのロングヘアをした、等身大の球体関節人形。
 デルフィーヌは以前、実家でノイシュウィーン村の子どもたちと遊んでいるクリスティーネを、訳あって遠間から眺めていたことがある。お人好しなクリスティーネは、一緒に遊ばないかと誘ったものだが、臆病なデルフィーヌは一目散に逃げてしまった。見知らぬ土地でおろおろしていたデルフィーヌを掴まえて、こうして皆で遊んでいるのは、その時の贖罪のつもりなのだろうか。
 散らばった子どもたちは、一旦家に帰るなり、そこらにある案山子から来ているものを拝借するなどして、デルフィーヌに着せるための服を調達した。十分くらいすると、戻ってきた子どもたちは、立ったまま小刻みに震えているデルフィーヌを取り囲んむ。
「よし、麦わら帽子を被せようぜ!」
「長靴もー!」
(き、着せ替え人形扱い……!?)
 フリルドレスの上から無理矢理服を着せてくる、東流津雲村の子どもたちにおしくらまんじゅうされて、身動きができないデルフィーヌ。
「わあっ! とっても可愛らしいですね!」
 更に十分くらい経過し、子どもたちが納得いくコーディネーションが完成すると、それこそ案山子みたいな独特の可愛らしさがあるデルフィーヌが姿を現した。真っ先に糸目のクリスティーネが拍手すると、子どもたちもパチパチと手を叩きだす。
(お、重い……)
 一人のシスターと、沢山の子どもたちの輪の中にいるデルフィーヌは、これから先どんな扱いを受けるのだろうかと恐怖していた。

 
 長い階段を登り終えたところにある、村を一望できる屋外集会場は、比較的静かだった。敷物の上や草むらの上に座る人々は、のんびりと歓談している。下の方は文字通り祭り騒ぎになっているが、ここなら自然たっぷりな山村の美味しい空気を、心ゆくまで吸えるだろう。
(野郎……兄貴に4曲もスコア抜かれてるわ)
 ピンクブルゾン、ピンクニット帽のケヴィンは、簡素な屋根の下の作業台にだらしなく座り、赤茶色に染めた猫の尻尾を気だるげに揺らしながら、スマートフォンを弄っていた。今日は特にすることがなかったから、一人でこの村に来たという訳だ。
 ケヴィンがいる位置の反対方向から、浅黒くて細い腕が伸びてくる。その指先は、緑と紺のチェックなロングパンツのポケットにある、赤い財布に少しずつ伸びてゆく。
(やっぱ現代っ子は警戒心が薄いね! あのお金でできるだけ保存が利くヤツ買って、”家族”たちにご馳走しちゃおうっと!)
 花柄のエプロンドレスと、丈夫な水色ジーンズを着た、ヤギの巻き角を持つロジータは、ケヴィンの背後でクスリと笑った。ようやっと掴んだ財布を、そのまま一気に引き抜いて、全速力で逃げ出そうとした瞬間。七色の光を曳くケヴィンの片手が、引き戻そうとしたロジータの手首を掴み、危うくロジータの肩が外れてしまうところだった。
「財布見てからスリ余裕でしたとか、飛んで火に入る夏の虫かよ。学校行って人間になって来い」
 ロジータの手首を掴んだまま、作業机から飛び降りたケヴィンが冷笑する。
「学校行くお金がなかったから、こうするしか手段がないんだけど……!」
 作業台の上で、片手を伸ばした状態でうつ伏せになっているロジータが、むしゃくしゃしながら言った。スリが失敗に終わったどころか、逆に持ち主に嘲笑われるという屈辱に、顔を歪ませている。
「あ? なに被害者面してんだ? 物盗むやつが悪ぃに決まってんだろ。親から教わってねぇのか?」
 このストリートチルドレンの出自や過去を知ってか知らずか、半笑いでロジータの地雷を踏み抜くケヴィン。
「そうだけど!? アタシの親、酒代薬代盗んでこいとか言っちゃってたけど!?」
 財布を諦め、するりと掴まれた片手を引き戻したロジータが、作業台の上で立ち上がってから叫ぶ。痴漢を告発された男が、被害者のことを「ブス!」と罵るような心情に似ているかもしれない。
「お? やるか?」
 ケヴィンがニヤリと笑って首の骨をポキポキ鳴らすと、簡素な屋根の下に緊迫した空気が漂った。これから始まるであろう喧嘩に、関わりたくないからと急いで階段を降りてゆくカップルなどもいれば、生でバトル・アーティスト同士の殴り合いが観れることを喜ぶ、血気盛んな若者たちもいた。

 
 そして、この祝勝会における立役者である健司は、大盛況の東流津雲村を、見張り台の上から満足そうに見下ろしていた。隣に立つのは、赤シャツ黒ジャンパー、緑カーゴパンツのレフ。
「――それじゃあ、その余った金ピカシャベルを使って、村のみんなであの像を作ったっていうことですか?」
 興奮した様子で口早に喋るレフは、下にある土像を指差しながら訊いた。
「せやで! そこにちょいと俺のメーションで手を加えて、頑丈なケンちゃん像の出来上がりってわけや! あの金ピカシャベル、特上のAMMが含まれているらしいから、仕上げにしかメーション使えなくて苦労したものや!」
「へえ! 士気が高い上に、統率が取れた部隊なんだなあ!」
 まるで村の皆を代表するかのように、健司は渾身のどや顔をレフに。見せつけた
「おうよ! せっかくだから、お土産に金ピカシャベルはどうや? あのワルい社長、たんまりお金溜め込んでるから、これくらいパクっても訴えられないはずや!」
「いいんですか!? ありがとうございます! シャベルと言えば、第一次世界大戦でもっとも信頼された近接武器と言われているけど、それが鈍器と見紛うほど硬くできているなら、文字通り万能武器ですよ! ただ、金色だと目立つから隠密性に関しては――」
 それ以降、健司とレフは延々とマシンガントークを繰り広げ始める。レフがミリオタぶりを憚らずに、逐一軍事的知識を絡めた薀蓄を垂れると、健司も負けじと東流津雲村の魅力を誇らしげに語り返すのであった。

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