蜜柑色の雪童子

 自由都市メネストの高級住宅街を、まるで高名な画家が描いた絵画のように一望できる、身の丈ほどある窓がいくつもあるリビングにて。上質な肌触りに思わず目を細めてしまうような、洗練されたデザインのカバーが掛けられた大きなソファーに、ピンクの部屋着姿のクローディア=クックは座っていた。
 裁縫道具やら、件の民族衣装などが置かれた、これまた大きくて洗練されたデザインのテーブル越しに座っているのは、地味なエプロンを着た母親のエリシャ。慣れた手つきで編んでいるのは、オレンジ色を基調に、袖口の部分がほのかに赤くなっている、セーターみたいなもの。
 テーブルに置かれていた民族衣装に対して、クローディアはひたすら「寒いさむい!」と文句を言っていた覚えがある。この服自体はとても好きなのだが、極寒の冬に着るようなものじゃない。
 でも、今エリシャが編んでいるセーターみたいなものの上に、民族衣装の上着に当たる部分を羽織れば、伝統的な風格と現代的な機能性が兼ね備わり、冬場でも快適に過ごせそうだ。古典的なカッコよさに溢れる、元の民族衣装のコーディネートも素敵だが、オレンジ色という見る者に軽い印象を与える色調が、女の子らしさがアップしそうでいい気分。

「これを着たあなたのポスターでBASドームを満たせば、目付け役の彼らも暫くは大人しくなるでしょう」
 製作途中の衣服を睨みながら、エリシャが淡々と言う。
 そもそも先日、類を見ない寒さの中でクローディアが民族衣装を着せられたのは、運悪くBASドームに視察に来た目付役にいちゃもんをつけられたからだ。風邪で早退して寝込んでいただけなのに、選ばれし民の末裔としての義務を果たさない怠け者呼ばわりされた。おかげでクローディアの風邪は悪化するし、(彼女基準での)三日分の肉を無駄にしてしまう羽目になった。
 それならばとエリシャは、これ以上娘や夫の業務を妨害させない為に、先手を打つことにした。頑固で偏屈な老人好みの民族衣装を着たクローディアを、ドームのどこにいても拝むことができれば、彼らは勝手に悦に浸ったるだろう。とは言え、そのままの民族衣装で写真撮影するのは、諸事情によって不可能なのだ。

「勝手に改造したら、怒られない?」
 ソファーに深く座っているクローディアはそう言うと、手に持つみかんホットクレープにがっついた。既に半分ほど平らげている模様。
「弁解の余地はいくらでもあります。下界の価値観に馴染みやすいように、等々。滅亡したギリシャの神話が、形を変えてローマの神話を侵略したとか、彼らにとって心地良い言葉はいくらでも思いつきます」
「それはそれで許されなさそうだけど、あとは母さんの話術次第ってわけかー」
 まあ、難しいことは何でも出来る母親に任せて、今はおやつをじっくりゆっくり味わおう。作業に集中するエリシャの目の前で、悠々と残りを食しているクローディア。

「はぁ……しあわせ」
 やがてホットクレープを食べ終わったクローディアは、実に満足そうな笑顔を浮かべた。
「それがないと、あなたが仕事を拒否する恐れがあったから」
 突然そう言ったエリシャは、まるで「母さんにありがとー!」と言われるのを見越しているかのよう。
「いわゆる、餌付けってやつ?」
「人聞きが悪い言い方をしないで頂戴。新商品の広告ポスターである以上、被写体が味を熟知することは当然の義務です」
 新商品とはつまり、たった今クローディアが平らげたみかんのホットクレープのことだ。近日、エリシャが拵えた民族衣装のアレンジバージョンを着て、みかんクレープを手に持ったクローディアが、ドーム内の某フォトスタジオで被写体になる予定。

「別に仕事としてやらなくても、社長夫人の特権で、勝手にばら撒いても良いと思うんだけどなー」
 目付役に対する予防線という、真の目的を知っているクローディアは、わざわざ”仕事”として被写体になる必要性はないと思っている。
「そんなことをしたら、何も知らない一般人から、どんな批判を浴びるか分かったもんじゃありません。わざわざ仕事を取ってきたのは、カモフラージュのためです。それに無給は長い目で見れば、あなたの商品価値を下げる遠因となります。あなたにタダ働きをさせようと企む輩が、寄って集りますもの」
「気安く下界の者に力を行使するなー、相応の対価を提示せよーとか言って、目付役もうるさそうだからね」
「……ふふ、一理あるわ」
 エリシャは含み笑いながらも、作業する手の動きは一切鈍ることがなかった。

 
 後日。BASドームデパートエリアの、某フォトスタジオ内。
 今回はBAS企業としての公式な仕事ではなく、あくまでクローディア親子とクライアント間のビジネスだ。だから、オフィシャルエリアにある設備などを使うことができず、撮影場所に関してはエリシャが手配する必要があった。費用に関しては、億万長者の夫人なのだから、何ら心配ない。

「この度は誠にありがとうございました。年中お忙しい中、このような業務提携が可能となりましたのは、エリシャ様とクローディア様の御厚意に他なりません」
 BASドーム内の洋菓子店、”リトルメモリー”を代表して、花々を散らしたワンピースを着たパティシエール、マルグリット=ボヌーが頭を下げる。
「そう畏まらないで。需要に供給、互いの立場に優劣はないわ」
 嫌味を感じさせないセミフォーマルウェアを着たエリシャが、クールな声で返答した。
 リトルメモリーの新商品こそが、先日クローディアが食べていたみかんのホットクレープなのだ。メインはケーキショップではあるものの、お客様に”小さな思い出”を創って頂きたいと言う真摯な姿勢から、絶えず心に残るような商品づくりを心掛けている。みかんホットクレープのコンセプトは、炬燵の中で食べられる洋菓子というものだ。

 間もなく、更衣室の中からクローディアが出てきて、撮影用の壁紙の前に立つ。白いキャンパスに、暖かいタッチでオレンジ色の絵の具を塗った、例えるならシンプルな抽象画みたいな壁紙。
 その中央に立っているクローディアは、エリシャが編んでくれた衣服の上に、伝統的な民族衣装を着ている。そして片手には、出来立てほやほやのみかんホットクレープだ。
「あの衣装は、エリシャ様ご自身で作られた物で御座いますか?」
「そうね。一からではないけど。腐れ縁の衣装だし、アレンジは容易でした」
 フォトスタジオのスタッフが最終調整に入っている最中、エリシャとマルグリットは、遠間からその様子を眺めていた。

「写真撮りまーす。ハイ、チーズ」
 最新鋭のハイテクカメラを使って、ポーズを決めたクローディアの写真が収められる。クレープを立てたまま、勝ち誇ったような笑顔を作っていたクローディアは、マイクパフォーマンスをしているプロレスラーのよう。
「うーむ……」
 撮影した者が、その場で写真の内容を確認してみたが、彼は何とも言えない表情で唸っていた。そんなカメラマンの困惑を見逃さなかったエリシャが言う。
「クローディア、どや顔ではいけません。新商品のイメージに似つかわしくないわ」
「なんで母さんが指示を出すの?」
 表情で不満を露わにするクローディア。
「私たちがいるせいで、スタッフは下手なことを言えないのよ。だから私が代弁しなければなりません。仕事である以上、完璧なクオリティを追求することは、依頼主に対する礼儀です」
「どうすれば~?」
 クローディアが適当そうな返事をする。マルグリットやカメラマンなど、その他スタッフが物言わずを維持していることから察するに、やはり社長夫人と息女には、恐れ多くてとても口出しすることができないようだ。

「厳寒に震える手を暖めるかのような、優しくほっこりとしたイメージが最適だと思うわ。そうでしょう?」
 腕組みしたまま俯き、暫し考え込んだ後に発したエリシャは、マルグリットに視線を移す。
「左様でございます。炬燵でくつろぎながら召し上がって頂ければ、幸いと考えております。和の家具に西洋菓子と言うのは、少なからずちぐはぐな感じになってしまいますが」
 このタイミングで話を振られると思わなかったマルグリットは、何度も小さくお辞儀しながら丁寧に言った。
「そんなにどや顔だったつもりないんだけどなー……」
 不貞腐れ、爪先で地面を穿るようにしているクローディア。
「真夏の海岸、ビールジョッキ片手に笑っている水着美女のような表情でした。飲み屋に貼られているポスターのような」
「なにそれ~!?」
 その瞬間、スタッフ一同が大爆笑。
「も、申し訳御座いません、クローディア様」
 マルグリットも笑いを堪え切れなかったのか、口元を手で押さえながら何度も頭を下げている。だが、笑っている目は隠していない。

「ほら、早くしなさい。後がつっかえているわ。私たちだけがVIPではないのですから」
「はいはい」
 仕方がないので、クローディアはパッと明るい表情を作った。モリモリなソフトクリームの最初の一口をガブリといくように、みかんホットクレープを口に近付ける。
「お、いいねー! クローディアちゃん!」
 求めていた絵が撮れることに歓喜したのか、カメラマンのテンションもグッと上がる。
「炬燵でくつろぐイメージでしたね。クローディア、もうちょっと無邪気な少女らしくして」
 しかしながらエリシャ中では、まだ及第点に及ばないらしい。中途半端な仕事をこなせば、自慢の娘の評判が落ちるだろう。社長夫人の立場を盾に、適当な戯れで周囲を掻き乱していると噂されるだろう。それはプライドの高いエリシャが許さない。
「具体的に言ってよ!」
 いい加減うんざりしてきたクローディアは、ややキツい声で言った。娘に反抗されても尚、エリシャは冷静沈着でいる。

「そうね……。例えば、そう、積もった雪の上を元気に走り回る 雪童子ゆきわらしのような」
「分かんな~い! ちょっと母さんやってみて!」
 ここぞとばかりに、クローディアが反撃に出てきた。
「嫌です。私の仕事じゃないですもの」
 当然、ため息交じりに突っぱねるエリシャ。
「雪童子ってなに~!? 積もった雪の上を走り回ったことって、あんまりないも~ん!」
 嬉々として叫んでいるクローディアは、わざと分からないフリをして、終始クールなイメージのあるエリシャに、無邪気な少女らしいポーズを取らせたいらしい。
「手間がかかる子ね……」
 これでは仕事が進まないと判断したエリシャは、仕方がないので雪童子のポーズを実践した。何を血迷ったのかと思われるくらい、突如として両手を広げて身を乗り出し、「雪だるま作るぞ~!」とはしゃいでいる子どものように、まん丸な目をして頬を持ち上げる。
「ま、誠に申し訳御座いません、エリシャ様!」
 何の前触れもなく、一切の躊躇いもなく、高貴なる血統としての尊厳をかなぐり捨てたエリシャの、あまりにもあんまりなギャップ。マルグリットを始めとしたスタッフ一同は、堪え切れない笑い声をクスクスと漏らしている。
 素に戻ったエリシャが、湯気が立ち昇るくらいに顔を真っ赤にしているのを見て、クローディアは心の底から満足そうに笑っていた。エリシャをおちょくるように、ホットクレープを口に近づけたまま、自らも空いた方の手を目一杯に広げてみる。

「おぉ! いい! 実にいい! 流石クローディア様!」
 その一枚は、カメラマンやリトルメモリーのスタッフたちが、求めるイメージ通りのものだった。

 
 さらにそれから数日後のこと。

 その日クローディアは、いつも通りトレーニングをみっちりこなした後、近日デビューする予定の新人アーティストに、インタビュアーとして付き添う際の打ち合わせをした。その他にも、細々とした仕事がいくつもあり、気がつけば日が沈みかけている。
 ようやく多忙さから解放されたクローディアは、広告ディスプレイが数メートルおきに設置された、近未来を思わせるデパートエリアの廊下を歩いていた。そのディスプレイは、テレビ番組のCMさながらに、数十秒毎に映し出される映像が切り替わる。
 無数にある広告映像の中には、昨晩完成したばかりの、雪童子のようなクローディアのポスターも含まれていた。広告ディスプレイがリトルメモリーがある一画に近づくにつれ、クローディアのポスターが映し出されるサイクルは、数十分ごとに、数分ごとにと短くなってゆく。

(おー! 早速クローディア様効果が効いてる効いてる!)
 リトルメモリーの店頭ディスプレイに辿り着いたクローディアは、恋人同士の誕生日パーティーのように、淑やかな雰囲気の店内で、多数の客がみかんホットクレープを食べているのを目撃する。大胆なことに、内装の一部が畳と炬燵という和風になっており、運が良かったグループはそこで暖をとりながら、”みかん”を味わっている最中だ。
「クローディア様。お待ちしておりました」
 商品を丁寧に入れたケーキ箱をお客様に手渡し、深々とお辞儀をしてお見送りした直後、ディスプレイのすぐ傍にいたマルグリットが話し掛ける。
「こんにちはーマルグリット!」
 クローディアは、マルグリットのデビュー試合ライブにて一緒に”仕事”をしたことがきっかけで、小腹が空くとなかなかの頻度でこの場所に訪れるようになった。今ではすっかり、仕事外でも顔馴染みの関係。

「クローディア様、お手数ですが、バックヤードの方まで来て頂けないでしょうか?」
「うん」
 マルグリットは、隣にいた他のスタッフに小さく頭を下げると、クローディアを引き連れて、関係者以外立ち入り禁止の領域に入っていった。
「実は、本日分のみかんホットクレープは、先ほど完売致しました」
「マジで!? せっかく来たのにお預け!?」
 バックヤード外に漏れそうなくらい、大きな声で絶望するクローディア。
「御安心下さいませ。不測の事態を考慮して、お一人分のみかんクレープをお取り置きしておりました」
「さっすがー!」
 土砂降りに降られたかと思えば、暗雲を切り裂く日光を仰いだかのようになって、愉快な程表情がコロコロ変わるクローディア。顔芸で有名な父親から受け継いだ才能なのかもしれない。
「お客様の目の触れる場所でお渡ししますと、不愉快な思いをされる場合が御座いますので、こちらでお渡し致します。ご了承下さいませ」
 例によって、マルグリットが深々と頭を下げると、すぐにみかんホットクレープ作りに取り掛かる。

 ややあって、オシャレで小奇麗な袋に収められた、みかんホットクレープを受け取ったクローディア。自然と初雪の中はしゃぎまわる子どものような足取りになって、バックヤードから外に出て行った。
「ありがとー! 明日もまた来るからよろしくー!」
 大きく手を振ってバイバイするクローディア。
「こちらの方こそ、新商品の宣伝にご協力いただき、誠にありがとうございました。今後とも、リトルメモリーを宜しくお願い致します」
 マルグリットにしては珍しく、小さく手を振ることでクローディアに別れを告げた。

 リトルメモリー付近の通路に置かれたベンチには、みかんホットクレープを始めとした、おやつを味わっている一般客たちで満ちている。空いた席を見つけて座りこむまでには、数分程度要した。
 ――宝箱を発見した海賊船長のように、あくどいスマイルのまま、袋の中からゆっくりとクレープを取り出す。徐々に、徐々に宝物が露わになるほどに、ニヤニヤした笑いが止まらなくなる。
 獲物を見つけたオオカミのように、素早く最初の一かじりを決行しようとした瞬間だった。
「ああ! クローディアさまだー!」
 デパートエリアを行き来する群衆の中から、どこからともなく子どもが現れ、ベンチに座っているクローディアの目の前まで走って来た。
「あー! かっこいい!」
「かわいいー!」
 野次馬心理で、次々と子どもたちが集まってくる。不器用なスキップをしながらやって来る女の子や、クローディアの目の前でぴょんぴょんとジャンプを繰り返す男の子。

「ちょうだい!」
「ぼく、ほしいなあ」
「”テレビ”といっしょだ!」
 どうやら広告ディスプレイ(子どもたちに言わせれば”テレビ”)に映った、クローディアのポスターを見て、子どもが好奇心を刺激されたらしい。
「すみません、ごめんなさい!」
「ちょっとあんた何言ってんの!」
 親御さんたちも集まって来て、必死に謝りながら娘の腕を引っ張ったり、叱りながら息子の頭を軽く叩いたりしている。
「あー、いいよいいよ! 気にしないで! 慣れているから!」
 ある種、BASにおける看板娘と言ってもいいほど、超人気アイドルなクローディアにとっては、強がりやお世辞抜きで日常茶飯事のことだ。そして、こういう事態を丸く収める方法も心得ている。

「これあげるけど、一つしかないから、ちゃんと分けて食べなさいね」
 ホットクレープの中には、大量のみかんが詰まっている。みかんの数をしっかり数えたわけではないが、少なくとも集まって来た子どもたち全員が、一つ以上食べることはできるだろう。
「わーい!」
「クローディアさま、すきー!」
「えーっ!? いいんですか!?」
「いや、気を遣う必要はないです、ほんとすみません!」
 大いに喜ぶ子どもたちと、更に困惑して恐縮する大人たち。
「代わりに今度のライブに、来てくれればいいから! 約束だよ!」
 そう言いながら差し出したみかんホットクレープを、一番最初に駆け寄ってきた子どもがギュッと握り締める。

「ほら、ありがとうは!?」
「ありがとう!」
「すみません! 本当にごめんなさい! 絶対ライブ観に行きますから!」
「えっと……休憩スペースに行って、分けた方がいいですよね?」
「あっ、そうしましょうか!」
「休憩スペースに行くぞ! つまみ食いすんじゃねぇぞ!」
「おい、待て! 走るな! 危ないから!」
「ぶつかったらどうすんだコラァ!」
 赤の他人同士で、突発的に会議が始まったが、子どもたちだけが見切り発車で、休憩スペースに向かって走り出した。
(まあ、私は毎日食べられるからねー)
 デパートエリアを走り回る子どもたちと、必死でそれを止めようとする大人たち。傍から見れば、迷惑極まりない光景に違いないだろうが、雪童子が沢山増えたように思えて、そこはかとなく嬉しがっているクローディアがいた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。