Sublimation of My Heart Part10

 時刻はちょうど真昼時。
 午後に本部との会議の予定があるブルーノは、ドーム内のレストランにドロテアを誘ったのだ。テレポート・チケットを使って、いつでもどこでドームの施設を利用できるのは、バトル・アーティストの特権。
 ちなみに、マルツィオは翌日にジュリアナとのライブを控えているため、景気づけに女の子と遊び回っているらしい。そのお相手が誰かは知らないが。

 お洒落な音楽と観葉植物に囲まれた、中庭を一望できる窓際のテーブルに座る二人。今日のランチは、ブルーノの大好物であるクリームパスタ。ドロテアも同じものを食べている。
 ブルーノが今朝観たコンサートのことや、ドロテアの趣味であるオカルトのことを話題にして、パスタを半分まで食べたところでドロテアが訊く。
「ねぇ。良かったら、ブルーノがアーティストになったきっかけ、聞いてもいいかな? ブルーノのこと、ちゃんと知りたくて。バイストフィリアに憧れているだけじゃ、私もただの根暗女だわ。嫌われるからって、お互い素性を隠したままだと、ずっと分かり合えないままだから」
 ドロテアは、少しばかりこわごわとした様子だ。以前よりはだいぶ打ち解けてきたとはいえ、そういえば互いのことを深く知らない。
「いいけど、僕のこと嫌いになるかもよ? ……いや、ドロテアなら大丈夫か」
 ブルーノが、膝上のナプキンで口を拭いたのが、重くて長い話をするよという合図になった。無言で睨まれる覚悟でいたドロテアは安堵する。

「さて、何から話そう? ドロテアは、僕がアーティストになる前は、何をしていたか知っている?」
「もちろん! 有名音楽学校に通う、天才バイオリニストだったんだよね」
 ドロテアはスプーンとフォークを置き、膝とナプキンの間にトカゲの尻尾を丁寧に隠し、聞くことに集中しようとした。
「さすが僕のファンだ。一体どうやって、その情報を仕入れたのかなぁ……? ――ふふふ、マルツィオか。まあそれは置いといて。結論から言うと、女の先輩や同僚たちにいじめられて、学校を辞めたんだ。せっかくその音楽学校に近いアパートで、一人暮らしをする覚悟までしたのにね」
「なんで……!? ブルーノ、優しいのに? 見るからに育ちも良さそうだし、顔だって整っているし……!」
 ドロテアは、トカゲの尻尾をピンと立てて、苛立ちと表していた。緊張して、ブルーノの蝙蝠の両翼もピンと張る。
「あ、ごめん……。他人事とは思えなくて」
 すぐにドロテアが謝ると、申し訳なさそうに俯いてしまった。

「ふふ……味方してくれてありがとう。続けるけど、アーティストになる前は、本当に戦いなんて縁のない世界に生きていたんだよね。イメージした音をバイオリンで『創る』のを続けたから、メーションの基本は自然と身に着いちゃったけど。学校を退学してからは、攻撃的なメーションを使うのが、特に上手くなっていたんだ。毎晩のように、学校の女たちに仕返しをする妄想に憑りつかれていたのが、更なる練習になっていたんだろうね」
「そんなに追い詰められるなんて……。どんなことをされたのか、聞いてもいい? 多分、吐けば楽になるから。私も、保健室の先生に吐いて楽になったし」
 かつて、愛する両親や尊敬する保健室の先生がそうしてくれたように、ドロテアは波立つ感情を抑ええながら言った。
「女の子の間では、普通のことなのかも知れないけど……。最初は物を隠されたり、先輩たちからいやにきつい態度であたられるくらいだったんだ。でも、次第に僕にだけ練習用の楽譜を渡さなかったり、しかも誰も貸してくれなかったり、コピーすらしてくれなかったり。酷いものだと、本番前に衣装が水浸しにされたこともあったなぁ。それを着ていくわけにはいかないから、凄く恥をかいたし。どんどん僕の評判は落ちていくのに、男は僕一人だったせいか、誰も助けてくれなくて。学校の先生まで僕の敵だったよ」
「どうしてそんなことを……!」
 ブルーノは、過去のことと割り切っているせいか平静だが、ドロテアは叫んでしまいそうなのを堪えている。
「こう言ったらなんだけど、僕が天才だったからだよ。どの先輩や同級生よりも……下手したら先生よりも、バイオリンを弾くのが上手かったからね。こんなことも言われたなぁ。お前はでしゃばり過ぎている、先輩の顔を立てるべきだ。少しは空気を読めって」
「何よそれ。ただの嫉妬じゃない」
 ドロテアが静かに叫ぶ。ブルーノは、呆れたような表情で淡々と語り続ける。
「本当、その通りだよ。小さい頃から持て囃されるのが常だったから、ちょっとした差にも敏感なんだろうね。僕もその内の一人だったし、なんとなく分かる。誰よりもバイオリンが上手くなってやろうとも考えたけど、とても練習できる環境じゃなかったし……。学校に行かなくなった僕を両親が不審に思って、相談に乗ってくれたんだ。学校を辞めることも許してくれた」
 昔話を淡々と述べているブルーノは、時々苦笑いを浮かべている。
「その後しばらくは……自分でも恐ろしいほど、異常性癖要素が満載な作品に嵌まっていたね。でもね、全然気持ちが晴れなくて。実際に女の子を痛めつけないと、いつまでもこのままだなんて考えるようになってしまって。そんなことしちゃいけないのは分かっているけど、眠れない夜や、女の子を見るだけで吐き気がするようなことが続いたんだ。女の子が痛めつけられている、プロレスの試合を探している時だったかな。BASのことをよく知ったのは。人殺しになってたまるか! だなんて、すぐにオーディションを受けにいったよ。それで、人並みの生活を送れるようになったんだ」
「実際に仕返しはできなかったままなんだ。いじめっ子たち、さっさと不幸になればいいね」
 ただの綺麗事や、使いまわしの効く労いの言葉では、いじめの傷は癒えないことをドロテアはよく知っていた。これもまた、保健室の先生から学んだことだ。
「もう不幸になっているよ。僕が学校を辞めた後、今度は他の何人かが標的になったんだって。内部でいくつかのグループに分裂して、足を引っ張り合っていたら、僕をいじめていた先輩の一人が自殺しちゃったんだ。そうしたら、音楽学校の暗部が余すことなく露呈された。自殺に追い込んだいじめの加害者たちというか、音楽学校の関係者ほぼ全員が、顔写真や詳細プロフィール、現在の動向に至るまで、ネットに出回ったね。不可解な殺人事件や暴行に巻き込まれた同級生、絶えず集団ストーカーを受け続ける先輩、職を失い犯罪者のように社会復帰不能に追い込まれた先生。今や音楽学校は廃墟だよ。……ふふ、僕は巻き込まれる前に、学校を辞めて良かったなぁ」
 そう言って、再びクリームパスタに手を付け始めたブルーノは、後悔の念を全く滲ませていなかった。

「まさか、女の子にこういう生々しいことを話す日が来るなんてね」
「でも、吐けば楽になるものだわ。人に見せたくなくて、吐き出せないから苦しいのだと思う。いつも優しくして貰う、せめてものお礼」
 ブルーノは微笑み返すと、再びフォークとスプーンを動かし始めた。が、ドロテアが目を伏せて押し黙っていることに気づいたブルーノは、何も言わずに食器を置いて、待ってあげることにした。
「……私も、保健室の先生に言ってかなり楽になったから。群れる人間が嫌いだって堂々と言えたし、オカルトな話も一緒に楽しんでくれたのに……くれたのに……!」
 言葉に詰まっているドロテアを、神妙な面持ちで見守るブルーノ。
「本当にごめんなさい。パスタが冷めないうちに終わらせるから。……だってね、ブルーノ。私が女の子らしくないからって、学校中からいじめられていたのに、その保健室の先生だけは、私と一緒に遊んでくれたの。一人でカエルやヘビと遊んでいる、私なんかと。……その先生は、村の外から来た人で、誰にでも優しかった。どんぐりの背比べで粋がっている『優等生』とは違って、本当に優しい人だった」
 顔を引き攣らせながらも、頑張って想いを口にする。
「なのに、クソみたいな風習に従えないからって、先生まで仲間外れにされたの。村の外から来た人だから、全く分からなくても仕方がないのに。先生は、一生懸命病気や怪我を、それに心の病を治そうとしていたのに、その仕打ちが村八分よ。……耐え切れなくなった先生は、村から出て行っちゃったけど、正常な人間だったら誰でもそうするわ。だから、私も、村から出て行って……。排他的じゃない、常識的な世界で生きてみたくて……一人で……」
 それ以上、ドロテアは何も言えなかった。大量のモノが込み上げてきて、身を震わせることでしか感情を表現できない。怒りを、悲しみを、寂しさを、微かな希望を。

「ごめん……本当にごめん。こんな話。私って、根暗な話しかできなくて……。でも、それだけじゃないの、私は。もっと色んな話をしたいんだけど、真っ先に暗い気持ちが出てきて……」
「だったら吐き出すまでやればいいよ。トラウマやコンプレックスを今日の明日で無くすなんて、無理な話だ。こんな僕でいいなら、聞いてあげるよ」
「……ごめん。また今度、お願いするわ。これから大事な会議があるのに、ごめん」
「謝らなくてもいいよ。根暗な話をするのだって、ドロテアの『一部』だから。受け容れられるようになるには、時間が掛かることだけどね」
 そう言ってブルーノが再び微笑むと、ドロテアは俯きながらも口元を緩めた。思いっきり笑えるには、まだまだ時間が掛かりそうだなと、スプーンとフォークを動かしながら密かに思う。
 バイストフィリアとなった当初は、とにかく目に映る女を血で染め上げることしか、頭になかったように。ドロテアももがき苦しんでいるから、先輩として見守ってあげたいと考えているのだ。

 

 食事を済ませたブルーノは、オフィシャルエリアの一室で開かれた会議に出席した。
 内容を掻い摘むと――莫大な資金を以ってして、ジュリアナが一線を超えた八百長や買収を行い、数々のアーティスト相手に白星をあげていることは、黙認状態らしい。ジュリアナがドロテアの叩きのめしてから僅か二週間足らずで、勝てそうなアーティストばかりを狙って連日圧勝を決めているから、ミーハーたちは本気でジュリアナを強いと思っているし、そうでない人はいい加減あの女がぶちのめされる瞬間を観たいと苛々している。
 そうした観客からの苦情件数が日に日に増えていることは、本部にとっても計算済みらしい。できる限りジュリアナを調子に乗らせて、ボロを出したところを一気に叩けば、観客の溜飲も下げられるし、営業的にも美味しいというわけだ。
 スタッフは単に、買収されたフリをしているだけらしい。スパイ活動真っ只中のスタッフが、どのタイミングで反転するかは未定だが、ジュリアナをも上回る悪役をぶつけて、無様な姿に貶めた瞬間が狙い時だという。そこで、ジュリアナに勝てる見込みがあり、かつ彼女が戦いたがるであろう悪役アーティスト数名を招集して、「安心して戦って欲しい」と知らせたという事だ。
(悪女に抱いた憎しみを『昇華』させる台本(アングル)、かぁ……)
 ブルーノは内心ほっとした。仮にジュリアナを圧倒しても、買収された審判がそれを帳消しにするという恐れがなくなった。その一方、このことは口外無用だと念を押された時、ブルーノは内心気がかりになった。室内に盗聴器や監視カメラが仕掛けられていないか、スタッフが何度も確認するほどの周到ぶりだったし、分かることは分かるのだが……。ドロテアやマルツィオの恨み辛みは募るばかり。限界を迎えて精神的に病む前に、何とかケアしたいところだが、真実を告げられないのがもどかしい。

「そういうわけで、僕たちがやられたらジュリアナの地位は不動のものとなるから、ライブを申し込まないように釘を刺されたんだよ」
 ドーム中庭で待ち合わせたドロテアに、本部が用意した定型句を告げたブルーノは、遣る瀬無い表情だった。
「見損なったわ! 本部の営利主義は今に始まったことじゃないけど、ここまでとはね!」
 そう言ってトカゲの尻尾で地面を打ちつけると、芝生が舞った。
「きっと、反撃の準備を整えているんだよ。そのために集中したいんじゃないかなぁ……?」
「追放すればいい話じゃない! 回りくどいやり方をするのは、札束を積まれているに違いないわ! 金の亡者も大概だわ!」
 ドロテアは被害者だ。ジュリアナの屋敷に火を放とうと思ってもおかしくない。実際に悲劇を起こしてしまう前に、どうにかして宥めてあげたいのだが……。真実を知っているだけに、それに掠るような発言すらも許されないだろうと尻込んでしまい、上手い言葉が思いつかない。

 ふと、二人が立っている付近で、ガサッと何かが落ちる音がした。
「半裸は……いねぇのか?」
 ケヴィン=シンクレア。ピンクのブルゾンを着て、ピンクのニット帽を被った、ちょっと個性的な現代っ子だ。
「なっ……どっから現れたのよ!?」
 石畳を歩む人々を見回しながら近づくケヴィンを見て、ドロテアが狼狽えている。
「ドームの天井や、デパートエリアにある建物の屋上を飛び移りながら、マルツィオを探してんだ。おれは猫人間だから、高い所から落ちても平気だしな。レフや他のダチは地上から探してる」
「またマルツィオが修羅場を引き起こしたのかな……。大切なライブの前日なのに……」
 目頭を押さえながらブルーノが言う。
「そんなんじゃねぇよ。聞け。さっきおれ含む数人のアーティストに、ジュリアナの部下だったとか言う奴から、電話がきやがった。今夜、マルツィオに刺客を送り込むらしいから、何とか阻止して欲しいんだとよ。超怪しいけどな」
 ケヴィンが苦虫を噛み潰したようになった途端、ブルーノとドロテアが一気に詰め寄る。
「ちょっと、嘘でしょ!? ステージ以外で戦ったら、死ぬこともザラにあるのに! さすがに警察が放っておかないわよ!」
「どうしてマルツィオに直接連絡しなかったんだ!?」
 ジュリアナならやりかねないと思いつつも、二人は疑心暗鬼だった。平然を嘘をついて、思うが儘に群衆をコントロールジュリアナが、デマ情報を流している可能性も多分にあるからだ。ここ二週間、デマ情報にハメられたアーティストを何人も目の当たりにした。
「マルツィオの連絡先を知らねぇんだとよ。じゃあ、なんでおれたちの電話番号は知ってんだ? って話になるけど。釣りでしたというオチかもな。つっても、正体はマジでジュリアナに愛想を尽かした元手下で、罪滅ぼしのためにやったというのもあり得る。いずれにしても、あの半裸に知らせるべきことだけど、おれたちは電話番号知らねぇし」
「……もしかしたら、マルツィオが女の子と一緒にいる時は、携帯電話の電源を切っていることを知っていたのかも。女の子の前で携帯をいじる奴はモテねーだろ、なんて言っていたなぁ」
 ケヴィンたちへの電話の主こそが、もしや先程の会議で話に出たスパイではないのだろうか? そう考えると、急に信憑性があるように感じられて、一刻も早く手を打たなければと焦りが芽生える。

「半裸とは別行動みてぇだし、連絡もつかねぇときたか。なら、思い当たる場所を教えてくんね? こうなったら、直接行って知らせるか加勢するかの二択だわ」
「私もイメージ=サーヴァントに掴まって、空を飛んで探すわ! ブルーノ、どこに行けばいい!?」
「そう言われてもなぁ。マルツィオは、日によって飲む店や遊ぶ場所を変えているらしいし。そっちの方が女の子は飽きないから、モテるだろうって」
 悩むブルーノは蝙蝠の羽を揺らしている。
「じゃ、かたっぱしから挙げろ。おめぇらは、思い当たる一番近い場所から順番に探せ。おれは逆に、一番遠いところから探して来るわ。超だりぃけど、電車とかバスとか止まったらやべぇし、おれは超スピードで走る」
「分かった、ありがとう。僕はドロテアと一緒に空から探すよ。……そうだ。教える前に、電話番号を交換しておこう。緊急事態だし、レフとかにも勝手に教えていいから」
 そう言ってブルーノは、メーションで携帯電話を現した。同様に、ドロテアも携帯電話を現す。

 

 太陽は既に沈んでいて、良い子はとっくに寝静まっている頃。BASドームから離れたところにある、『歓楽街ナポラーン』にて。
 ピンクのネオンが点在する通りを歩けば、数十秒ごとに客引きに手招かれ、リビドーを掻き鳴らすアップテンポな音響が両耳を通り抜けてゆく。衣服などを売る露店で品漁りをする客や、屋外テーブルで露出度の高い女性と飲み食いする客が密集し、財布をすられないように注意して歩かなければならない。刺激に飢えた女性が多く集まる、治安の悪い歓楽街は、マルツィオのお気に入りの場所の一つだ。

「よっしゃ! 三次会行ってみるかー!?」
 派手なタンクトップを着て、鍛えた肩と自慢の背ビレを露出させるマルツィオが、薄茶色のトレンチコートを着たグロリアを振り返りながら声を出した。若者特有のハイテンションな声が、人気のない路地裏に響く。
「あらあら……これ以上夜更かししたら、明日動けなくなるわよ~?」
「せっかくグロリアちゃんと遊べるのに別れちまったら、後悔して明日集中できねーし! オレは、グロリアちゃんのような可愛い女の子にモテるために、アーティストやってんだからな!」
「もう、押しが強い人なのね。いいわ~、朝まで付き合ってあげる」
 決して気を許したわけではないが、グロリアはマルツィオのモチベーション向上を手伝うことにしたのだ。追い詰められた時に甲斐性を発揮するのは、女の子にモテたいという一心であることを知ってか知らずか。とにかく、マルツィオに景気づけに誘われた時は、ステージガールとして最低限できることをしたいと思ったのだ。

 T字路に差し掛かった時だった。
(お、誰かいるじゃん。一人か? ナンパ待ちか? って、なーんか飛んできてんなー?)
 治安の悪いナポラーンのことだ。酔っぱらいがいきなり酒瓶を投げてきてもおかしくない。
 突如メーションで大盾を現し、直接装備するマルツィオ。驚いて立ち止まったグロリアの右隣で大盾を構えるなり、キン! と何かが弾かれた音が。地面に転がったそれは、酒瓶ではない得体の知れない物だったが、天然物にしては些か洗練され過ぎている。
「え、なになに!? 撃たれたの、マルツィオくん!?」
 慌てて後ずさったグロリアは、壁にへばりつく。
(うっひょー! メッチャカッコいいとこ見せたぜ! これがやりたいがために大盾を使っているっつっても、間違いじゃねーからな!)
 などと思いながら、したり顔を表したのは一瞬だけ。続けてメーションで現した拳銃を装備すると、細長い路地裏の奥深くから伸びる影の主に、その銃口を向けながら言った。
「聞くぜ。わざとか? わざとじゃねーのか?」
 デルフィーヌだった。ロココ風の華麗なドレスに身を包んだ気弱なデルフィーヌは、黒目を小さくさせて震えている。
「す、すみません! 私が倒すように命令されたのは、マルツィオ様だけなんです! き、緊張しすぎて、変な場所に撃っちゃいました!」
「命令された? ほぉー。さてはオマエ、ジュリアナの仲間だな」
「ひっ! ち、ち、違います!」
 物凄く慌てたあまり、数歩も引いてしまったデルフィーヌが否定する。見え見えの嘘だ。
「あーぁ。ワリィな。また今度一緒に遊ぼうぜ。オレは送ってくことできねーから、気をつけて帰れよ」
 脇目でグロリアを見ながら言うマルツィオは、マジな顔になっている。
「何言っているのよ~!? 関わっちゃダメよ! 逃げて警察に通報しましょう!」
 グロリアはマルツィオの片腕にしがみつき、建物の陰に引き寄せようとする。が、マルツィオはデルフィーヌを見据えたまま動かない。
「いや、オレが逃げたら、グロリアちゃんが人質にとられるかもしれねーし、やめておく。どーもアイツ冷静じゃねーし、攻撃がどこに飛んでくるか分からねーってのもあるしな。そもそもここいらの警察は、全くアテにならねー。巻き込まれたくないだろ。いいな?」
 低い声で言い聞かせられると、グロリアは姿勢を低くしてマルツィオから離れていった。
「ありがとう。……お礼は弾むわよ~」
 艶っぽいで、そう囁いてから。

(しかし、なんつーか……。戦うのに向いてねー女の子だな。簡単にボロを出すわ、ビクビク震えるわ、狙いは外すわ。ホントにあのジュリアナの仲間か? なーんか話がウマすぎるな)
 マジックミラーになった大盾に隠れながら、マルツィオは怪訝な顔となる。ゆっくりと、油断なく大盾を横に退けたマルツィオは、名前も知らぬ少女の説得を試みた。
「名前、なんて言うんだ?」
 答えやすい質問を投げかけるが、恐怖に支配されたデルフィーヌは無言のまま。
「もしかして、ムリヤリやらされているのか?」
「ち、違います……。私の意思です……。だって、嫌われたくないから……」
 その儚く消え入るような声は、本当に自分の意思で動いている人間のものとは思えない。
「そんなに意地張らなくたっていいんだぜ。な? さっき何かを撃ってきたことは水に流してやるからさ、ちょっと話し合ってみねーか?」
 そう言って、マルツィオが一歩踏み出した瞬間、デルフィーヌの頭は真っ白になった。
「こ、来ないで!」
 そう叫んだデルフィーヌが向けた両手は、直射日光を浴びたアイスクリームのように溶け始めた! そのまま全身が溶けて死ぬんじゃないかと、マルツィオが唖然とした途端、溶けた両手の一部が数個の弾丸となって分離したのだ!
 飛来する弾丸たちは、咄嗟にマルツィオが構えた大盾に直撃。カン、カンと硬いもの同士がぶつかる音が路地裏に響く。

(なんだー!? 今のは!? 変身系のメーションか!?)
 マジックミラーのような盾越しに、ロココの少女の手が元に戻ったのを確認するマルツィオ。
(やべーな、気味がわりー……。気が動転しちまってるし、何をやらかすか分からねー。一応あの子が戦うのな。はぁーあ、この際仕方がねー。こんなことをする男は、モテる以前の問題だけどよー……)
 マルツィオは大盾の陰から拳銃を出して、デルフィーヌの足を狙って一発だけ撃った。ステージ上に立たない敵の急所を撃つなんて、とてもできない。
 銃弾は運よく、デルフィーヌの膝辺りに命中したかに見えた。だが、底なし沼に沈みゆく木の葉のように、銃弾はデルフィーヌの体内へとゆっくり吸収されてしまったのだ。
(え、ちょ、マジでどうなってんだー!? 腹から生まれた人間とは思えねーぞ!?)

 当たらずといえども遠からず、等身大の球体関節人形であるデルフィーヌが、生身の人間ではないことは事実だ。しかし、自身を含む物体の『硬さ』を自在に変える能力は、メーションによるもの。応用すれば、身体の一部を飛び道具として発射することもできるし、それによって身体が欠けても、周囲の物体を吸収して修復できる。
 時にダイヤモンドのような硬さで敵の斬撃を弾き返し、時にゴムのような柔らかさで打撃を吸収する。防御面で非常に優秀なメーションを得意とするのは、頑丈なサンドバックとして創られたからだ。
 驚異的な再生能力と防御能力は、臆病なデルフィーヌに圧し掛かるあらゆる『恐怖』をも『溶かす』。デルフィーヌを創った者たちの間では、このメーション・スタイルを『メルト=テラー』と呼んでいる。

(スタンロッドなら効くか……?)
 緊張して過呼吸になっているデルフィーヌに悟られないように、マルツィオはじりじりと間合いを詰めてゆく。

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