Sublimation of My Heart Part3

 複数あるアリーナの内、『金網デスマッチ』が設置されているアリーナにブルーノは向かっている。
 観客としてアリーナに入場するには、券売機でチケットを買って、それを駅の改札口にあるような機械に挿入しなければならない。なお、チケットを買わずメーションで瞬間移動などをしようとしても、壁や扉などにはそれを防ぐための工夫がなされてある。

 近未来的な自動ドアから、ドロテアがいるはずのアリーナに入場するブルーノ。オシャレなデパートのような通路から一転、クラブハウスのような熱気と、ゲームセンターのような大音量に圧倒される。
(なかなか盛り上がっているなぁ。運よくチケットが買えてよかった。下手したら、対戦カードが発表された途端売り切れることもあるからな。普通は、ライブが始まってから買えるものではない)
 収容人数が比較的少ないとはいえ、平日の昼だというのに観客席はほぼ満席だ。映画館のような椅子に座っている人の中から、空き席を探すのには苦労した。

「すみません! ここ、空いていますか!?」
 清楚な女性の隣が空いていたので、アリーナの騒音に負けないよう、ブルーノは大声で問いかける。
「えぇ! いいですよ!」
 親切な女性は、笑顔で、しかし怒鳴るほどの大きさの声で答えた。
「ありがとうございます!」
 そう言って丁寧にお辞儀したあと、ブルーノは席に着いた。比較的前の方の席だったので、これまた運が良い。

(さて……あの濃い紫色のローブを着ている方が、ドロテアか。帽子のつばが広すぎて、目が見えないけど)
 金網で囲われたステージの隅に、魔女風のコスチュームに身を包むドロテアがいた。赤い姫カットと赤い尻尾はそのままだ。首に生きたままの赤い蛇を絡ませているが、あれはドロテアのペットなのだろうか。それとも、メーションで生み出した使い魔、すなわち『イメージ=サーヴァント』なのだろうか。
「おっと、ここでドロテア、黒い巨人を生み出したぞ!?」
「2メートル半はありますね」
 相変わらず熱い実況者と、冷静な解説者の声。ブルーノとカリナが対戦した時と、同じコンビのようだ。
「巨人、指を突き出したドロテアに従い、リバウドに突っ込んでいった!」
 今ドロテアが命令を下した黒い巨人は、確実にイメージ=サーヴァントだ。
 向かってくる黒い巨人を前にして、微動だにしないリバウド=グルベール。茶色い肌、太くて逞しい身体とぎょろりとした目を持ち、栗色で短くて縮れた髪の毛の中から、闘牛のように湾曲した二本の銅色の角が生えている。破れたボロボロの黒シャツの上に、若草色の防刃服を羽織り、下半身はカーキーの防刃ズボンだ。幼い頃から林業に携わっていたらしい。
 片手に携える武器は、『クライ“ティンバー”』。二鋸のチェーンソーを、(普段は)閉じたハサミのようにした武器だ。ハンドル(持ち手の部分)やエンジンスイッチなどは一つだが、バー(所謂『刃』の部分)は二つある。ブルーノが座る観客席にまで、物凄いエンジン音が聞こえる。凄まじい馬力だ。それをしっかりと持ったまま、一旦腰の後ろに引いた、次の瞬間。
「いったぁー! 一撃だぁー! 軽く薙いだだけで、黒い巨人が崩れ落ちたぞ!」
 ステージの上でなければ、一瞬にして血と腸が周囲に飛び散り、上と下の真っ二つに切り裂かれた黒い巨人がそこにあっただろう。歓声よりは、恐怖による悲鳴を上げる観客が多かった。
「うひゃぁー! 人殺しー! 巨人殺しー!」
 ブルーノの隣にいた女性に至っては、もはや奇声だった。

 倒れた黒い巨人は、奇々怪々な動植物や未知なる言語を、黄ばんだ古紙に黒で描いたようなビジョンへと変わり、間もなく霧消した。後で知ったことだが、ドロテアはメーションを使う際には、この奇怪な本のビジョンを出現させる癖があるらしい。ドロテアがオカルトマニアであることと、過去に受けた陰湿ないじめをやり返したという心情が影響しているようだ。付いたメーション・スタイル、あるいはそのビジョンの名前は、『ヴォイニッチ=コード』。
「あっと、蒼白い火の玉が、リバウドに直撃してぶっ飛ぶ! しかも、服に引火したぞ!」
 ドロテアは、黒い巨人で時間を稼ぎ、その後ろから蒼白い火の玉をメーションで放つ準備をしていたようだ。その手には、動物の骨らしきものを握っている。
(ドロテアにとっては、『触媒』があった方がイメージをしやすいのか。原始的なやり方だけど悪くない。時間はかかる反面、より強力なメーションを使えるからね。蒼白い火の玉に、動物の骨、つまり死骸ときたら、ウィルオウィスプ(人魂)をイメージしたのかな)
 周囲の観客たちが、ドロテアの陰湿なやり口にブーイングを浴びせる中、同業者であるブルーノは冷静に分析していた。

「この卑怯者が! 先程から、使い魔たちの背に隠れて、姑息な攻撃を繰り返しおって!」
 リバウドは野太い声をあげ、動物の骨を消失させたドロテアを威嚇した。実年齢はブルーノとそう変わらないはずだが、遥かに年上に見えてしまう。引火した炎は消えたが、服の下は火傷を負っているだろう。「その通りだ!」と言わんばかりに、歓声をあげる観客たち。こうやって言葉で場を盛り上げることも、バトル・アーティストには必要な能力だ。
「うるさいわね! 頭の中にあるものを使って、何が悪いの!? それともなに、あんたみたいに筋肉を頭に詰めろっていうの!?」
 ドロテアが言い返すと、今度はブーイングを上げる観客たち。リバウドの豪快な戦い方を好む観客にとっては、ドロテアの陰湿な戦いぶりを受け付けないようだ。
(そっか。ドロテアは悪役を演じるタイプなのか。それなら、僕のやり方に共感を覚えても、おかしくはないかも)
 ブルーノは、歓声もブーイングも発せず、ドロテアをじっと観察していた。実はリバウドも、その巨大で恐ろしい風貌から悪役を演じることも多いのだが、今回のライブにおいては、リバウドを応援する観客が多いらしい。
「なら、おぬしの頭に詰まっているものとやら、直接見せてもらおうか!」
 リバウドは、ダブルチェーンソーを操作し、ただでさえ高い馬力を尋常ではない数値にした。
「いやぁー! 殺されるぅー! 残虐なる虐殺ショーが始まるぅー!」
 ブルーノの隣に座る女性は悲鳴をあげる。引っ張られるように突撃していったリバウド。 そして、ダブルチェーンソーがドロテアの胸を貫いた。通常、チェーンソーを真っ直ぐに突き刺したりしたら、最悪の場合キックバック等が発生して、使用者自身が致命傷を負う。リバウドのダブルチェーンソーは、刺突もできるように改造を施したものだ。
(あの速さで突っ込まれたら、僕にもかわせないなぁ)
 悲鳴こそあげなかったものの、ブルーノも目を見開いて、戦慄していた。背中から露出した二枚の刃で、金網ごと串刺しにされ、ドロテアは身動きが取れない。触媒である動物の骨も取り落としてしまった。

「ドロテア、絶体絶命であります! もはや脱出不可能か!? ああっと、レヴィアタンがリバウドの首筋に噛みつきました!」
 ドロテアの首に巻いた赤い蛇の名前は、レヴィアタンというらしい。その蛇の噛みつきをものともせず、リバウドはチェーンソーを押さえない方の手で、赤蛇を握り潰し、投げ飛ばす。赤蛇は、暫く地面でのたうち回った後、奇怪な本のビジョンとなって霧消する。
(あれもイメージ=サーヴァントだったのか。懐に潜り込まれた時の緊急回避策として、予め召喚していたみたいだけど、リバウドがタフすぎて効かないみたいだ。それにしても、女の子なのによく蛇を首に絡ませることができるなぁ)
 相変わらず、ブルーノがドロテアを観察している最中、唐突にリバウドが片膝をついた。
「ああっと! どうした、リバウド!? レヴィアタンに噛みつかれた毒が、早くも身体中に回ってしまったか!?」
「いえ、ドロテアが初手で召喚した、巨大ミミズの毒液によるものでしょう。いずれレヴィアタンの毒も効いてくるでしょうがね、そうなると更なる苦しみが待っています」
(僕が席に座るまでの間、ずっとイメージ=サーヴァントの陰に隠れて、毒と炎でじわじわ削っていたんだろうな。数でかかるいじめっ子のように陰湿だけど、合理的な作戦だ)
 同じメーション使いとして、心のどこかでドロテアに感心しているブルーノ。

 ドロテアは串刺しになったまま、いつの間にか黒い毛を握っていた。次に、奇怪な本のビジョンを傍に浮かべると、それは人型を形成し、再び黒い巨人が召喚された。
 片膝をついて苦しむリバウドから、ダブルチェーンソーをいとも容易く奪い、ドロテアを釘づけ状態から解放してやる。更に、奪った武器でリバウドの胸を貫いてやった。今度はリバウドが、床に釘づけ状態になったのだ。
「きゃあー! 殺される! 殺されるわぁー! ゲホ、ゲホ……」
「大丈夫ですか!? 医者を呼びましょうか!?」
 ブルーノはというと、吐きそうな素振りを見せる隣の女性のことを心配していた。
「む、むせただけですよー! でも怖すぎるわー! 怖すぎて楽しくなってきたわぁー!」
「そ、そうですか……。怖いもの見たさなんですね」
「はいぃ! いやぁぁぁっ! サイテー! サイコー!」
 ぽかんとしたブルーノを置いてきぼりにして、息を整えた隣の女性は、再び絶叫と奇声を繰り返し始めた。

「むぅ、不覚だ……!」
 仰向けになっているリバウドは、自分の胸に刺さったダブルチェーンソーの持ち手に手を伸ばし、身体から抜こうと踏ん張っている。その間、黒い巨人は奇怪な本のビジョンとなって霧消し、動物の骨を回収したドロテアは、蒼白い火の玉を放つイメージを思い浮かべる。
「毒が回っているせいかな。力自慢のリバウドが、両手でも身を貫くチェーンソーを抜けない」
「絶体絶命ッ! 袋の鼠ッ! ドロテアにとってはチャンスだ! 骨を持つ手から、ヴォイニッチ=コードを光らせている!」
 その黒線の動植物のヴィジョンが、極限まで輝きを増した瞬間、強烈な蒼白い火の玉がリバウドの顔に直撃した。炎はリバウドの全身に広がり、容赦なく燃やし尽くす。悲鳴と絶叫が入り乱れるアリーナの中、クライマックスを迎えたライブの終了を告げるゴングが鳴り響く。

 

「このっ……! 食らったのは、たった一発だけなのに!」
 ライブを終えたドロテアは、血で染まった胸を押さえ、両膝をついた。相当なダメージを負っていたらしい。
(あの、タフそうな黒い巨人も一撃だったからな。大味だけど、結構ギリギリの勝負だったのかも)
 ドロテアが漏らした言葉を聞いたブルーノは、リバウドが自分の相手はなくて良かったと、引き攣った笑みを浮かべる。
「きゃー! 死ぬ、死ぬ、死ぬぅー! 早く助けてあげてー!」
 隣にいた女性は、恐怖するよりはむしろはしゃいでいた。馬鹿騒ぎとは無縁そうな清楚な女性だが、だからこそ大騒ぎする観客の中に紛れなければ、こうして騒いでストレス発散をすることができないのかもしれない。

「はぁ~い! お疲れさまでした~! 一触即発のゾクゾクするライブでしたね~」
 ふと出現した白と茶のマーブル模様のヴィジョンが消えるとともに、瞬間移動でステージに現れたのは、グロリア=エルモーソだ。ボクシングで例えるなら、ラウンドガールのような立場に任じられている。
 片サイドに寄せた、茶と黒の色っぽいロングヘアー。いつも挑発的な笑みを浮かべている。とことんグラマラスで煽情的な身体に着用するのは、かなり際どい茶と白のマーブル模様のランジェリー。ブラジャーとショーツのセットタイプだ。他には茶色のセクシーなロングブーツを履いている程度で、グロリアが現れると同時に男性観客たちが大興奮したのは言うまでもない。
 惜し気もなく見せびらかしているグロリアの白い肌だが、全身至る所にぶち猫のような薄茶色の斑点がある。猫人間と猿人間の間に生まれたグロリアは、猫耳も尻尾もないのにこのような肌を持って生まれたことに、幼少期は苦悩していたという。自分の意志でグラビアアイドルになったグロリアは、今やバトル・アート・ショーにゴージャスな華を添える唯一無二の存在だ。だから、「茶斑を見世物にされてかわいそう」なんて言わない方がいい。

「ドロテアさ~ん、間一髪でしたね~! リバウドさんのダブルチェーンソーに貫かれた時は、あたし恐怖でクラクラにしちゃったわ~。でもでも、大きくて逞しいお友だちのおかげで勝てちゃいましたね~! と~っても頼りがいがあるお友だちに恵まれていて、羨ましいわ~!」
 男性客の気を惹くような言葉を、ゾクゾクするような声で話すグロリア。お友だちとは、いわゆる黒い巨人のことを言っているらしい。
「別に。お世辞なんかもらってもあんまり嬉しくないわ。どうせ皆、ビックフットのことを醜いとか汚いって思ってるんでしょ。根暗な私みたいだって」
「うふふ~。かわいいですね~。ツンデレですね~。たまにはデレている所も見せてね~」
 ヒールらしい悪態をつかれても、言い返すどころかむしろドロテアの顔を立てるグロリア。さすがプロだ。
「デレがないツンのどこがツンデレなのよ。何でもかんでも、ツンデレって言えばいいもんじゃないわ」
「なかなか手ごわいですね~。ちっともデレないですね~。ツンが9割、デレが1割くらいかな~? 次は、ドロテアさんのデレデレな表情を見せてくださいね~!」
 そう締めくくったグロリアに続いて、「おー!」とたくさんの歓声が巻き起こると、「フン」とドロテアは鼻で笑った。
(話すのが得意じゃないから、ドロテアはあんな風にして場を盛り上げるのかなぁ?)
 ブルーノは、蝙蝠の両翼をゆらゆらと動かしながら、ドロテアの不貞腐れた表情を見ていた。
(多分、あの姿こそが、普段は見せることができない一面なんだろうな。ライブの時の僕と同じように。昔はいじめられっ子だったって聞いたけど、本当はリバウドやグロリアじゃなくて、いじめてきた人たちにあんなことをしたいんじゃないかな? でも、それを現実に起こしたらマズイから、バトル・アート・ショーとして『昇華』させて……)
 そう考えると、ブルーノはドロテアに親近感を覚えてしまった。

「リバウドさ~ん、残念でしたね~。もう一歩だったんですけどね~」
 黒焦げだった身体が殆ど元通りになっていたリバウドは、仰向けのまま顔だけを起こして、両膝立ちで顔を覗き込んでくるグロリアと視線を合わせる。豊満すぎる乳房が目に飛び込んできたので、思わず視線を逸らしながらリバウドが言う。
「む、むぅ。そうだな……」
 女性と接する機会が殆どなかったリバウドには刺激が強すぎて、気恥ずかしさを悟られまいと強面を更に恐ろしくさせた。
「次は頑張ってくださいね~」
「うむ……」
 そっけない返事をされたので、グロリアはため息をつきながら怪しい微笑みを、顔を背けているリバウドに近づける。両膝立ちから女豹のポーズへ移行し、その際に巨乳が大胆に揺れたので、場内では先ほどのライブ以上の歓声が上がる。
「んも~。どうしてそんなに冷たいの~? あたしのこと、嫌い?」
「ぬ……嫌いではないが、おぬしの……その……」
「あたしの、なぁに? どこがイケないのか教えてくださ~い。ほ~ら、あたしのことよく見て~。どこがイケないのか教えて?」
「そ、それ以上近づくな!」
 追い詰められたリバウドが怒鳴ると、歓声は一気にブーイングへと変わった。
「グロリアちゃんになんてことするんだ!」
「ありがたいと思えよ! 俺だってグロリアちゃんに迫られたいんだ!」
「さいってー! 怒ることないじゃん!」
「ち、違うぞ! 怒ってなどないぞ!」
 慌てたリバウドが、ぎょろりと目を大きくしながら弁解する。本人にそのつもりはないのだが、元から野太く威圧的な声質なので、観客たちを怖がらせてしまう。反動で、ブーイングの勢いは更に増す。
 こんな状況でも、グロリアはリバウドの身体を揺すりながら、怪しい笑みを絶やさない。プロ中のプロだ。

(ハン、なによ。容姿がいいからって、調子に乗った言葉も許されると思わない方がいいわ。それで騙せるのは、のうのうと生きてきた馬鹿たちだけ)
 ドロテアは観客席を四方八方見回しながら、魔女帽のつばの下から睨みを利かせていた。すると、ふとブルーノと目が合った。
(ん、あれは……ブルーノだ!)
 一瞬だけ、ドロテアは嬉しそうに笑った。ブルーノも、穏やかな笑みをこぼすのであった。
(僕から見ると、君は嫌われ者なんかじゃないよ。君から見た僕も、きっと……)

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