Sublimation of My Heart Part9

「汚いわねぇ。ハハハ!」
 そう言い放ったジュリアナは、ドロテアをわざわざ仰向けになるように引き倒した。そして、ライブ終了を告げるゴングが鳴ると、後頭部に片手を回してセクシーポーズ。厚化粧の金持ちが調子に乗っているようにしか思えないが、熱狂的な観客らはひたすらジュリアナの名を叫び続ける。
「ちょ、早すぎだろ!? ドロテアちゃん、全然見せ場ねーじゃん!」
 マルツィオは、唖然としながら見渡していた。違和感と作為の跡しか感じないこのライブに酔う、狂信的な観客たちを。
「きっと、審判にもジュリアナの息が掛かっているんだ。自尊心の塊め……!」
 ブルーノは歯軋りをして、ドロテアをハイヒールで踏み躙っているジュリアナを睨む。
「審判にも? そうか、やっぱここに居る観客たちは――!」
 そう言い掛けたところで、マルツィオは思い留まった。左右と後ろで喚き叫んでいた観客が、一様にギロリと二人を見てきたのだ。ジュリアナを崇めろと強要されているようで、漠然と恐ろしい。

「少なくとも、ここにいる全員は、あたしの有能さを理解できるみたいねぇ。世の貧乏人どもは、それはそれは哀れなくらい妬み心いっぱいにして、金の力に頼るななんてご高説垂れるけど。ジムに通って得た筋肉で敵を薙ぎ倒しても、クズニートや負け犬にめげずに稼いだお金で敵を倒しても、そこに至るまで『努力』したことには変わりがないじゃない。ねぇ? あんたたちもそう思うでしょ?」
 大層ご満悦なジュリアナによるクサい語り。ドロテアは、意識が戻ってピクリと動いたと思いきや、瞬間移動で強制退場されてしまった。
 心から賛同するとばかりにジュリアナコール。狂信者、もといサクラの数に圧倒されて、数少ないまともな観客たちも心が揺らぐ。
(たしかに、僕も娘にいいもの買ってやりたくて、仕事で『努力』してるしなぁ……)
 一人でライブを観ることを数少ない娯楽とする、しがないサラリーマンが神妙になる。
(そもそも、ジムに通えるのも、食い繋いでいけるのも、頑張って働いているからよね)
 母親は、思わず息子の小さな手を強く握る。
(何だかんだ言っても、男の甲斐性は収入の高さで判断されちまうしな)
 バンドマンでありながら、フリーターという肩書きのせいで、一向に彼女ができない男が項垂れる。
「皆ジュリアナを応援しているよ! ジュリアナの言うことが正しいのかな!?」
「え!? アタシたちがおかしい系!?」
 二人組の少女が、キョロキョロと見回しながら困惑する。
「勝ったのはあたし! それが現実! 全員、あたしの側に付きなさい! そうすれば、狭い世界で天狗になっているアーティストなんかよりも、あんたたちのようにきっちり働いている一般人の方が、ずっと高尚だと思われる世の中になるのよ! お金に頼る人間は薄汚いなんて、あたしが言わせないわぁ! あんたたちは騙されているのよ! アーティストなんか、所詮社会不適応で行き場を失った屑どもの成れの果て! 奴隷だの社畜だの、才能がないだの罵られながらも、現実を受け容れて社会に貢献するあんたたちの方がよっぽど立派! ねぇ、そう思わない!?」
 そう言った瞬間、最高潮の歓声がアリーナに轟いた! サラリーマンも、母親も、バンドマンも、少女らも、サクラと同じようにジュリアナの名を連呼し始める。
「ママ……? なんで、あんな悪い奴を応援するの……?」
 BASが大好きな少年は、人が変わった母親の顔を覗き込んで、恐怖を覚えた。息子は、ドロテアが繰り出すヘビや巨大ミミズを観て「カッコいい!」と無邪気に喜ぶ、年齢相応の小さな男の子だった。
 純粋な意味でドロテアのファンな男の子は、どうしてジュリアナが正義の味方になっているのか、理解できない。良く言えば夢で、悪く言えば演技で満たされたバトル・アーティストよりも、即物的な力で物事を解決するスーパーセレブに共感したくなる、非常な現実の前にひれ伏した大人の気持ちが分からない。

「ドロテアちゃんの所に行こうぜ、ブルーノ。きっとオマエを待っている」
「そうだね。僕もしょっちゅう、あんな風にトドメを刺すけど、泣き出す女の子は珍しくない」
 ブルーノとマルツィオは、ジュリアナに支配されたアリーナから、小走りで逃げ出した。
(ここまでは計算通りねぇ。さてと、早速次のステップに――)
 子ども染みた薄ら笑いで、アリーナから去った二人を見送ると、ジュリアナも瞬間移動でその場を後にした。

 

 繁華を極めるBASドームの照明が、星々を光を掻き消したとしても、ドーム中央付近にある中庭には、比較的静かな夜が訪れる。近道のために行き交う人々は多いが、仄かなランプに照らされるベンチに座っている人の数は、夕食時であるためか僅かばかり。

(はぁ~あ……。来て下さったみなさんに、申し訳ないことしたわ。マルツィオくんとか、特に……)
 薄茶色のトレンチコートと黒ストッキングを着用したグロリアが、星の見えない空を仰いで頭を冷やしている。胸元と、片側の太腿辺りを敢えてはだけさせており、茶白のランジェリーが僅かに見えている。もちろん、ジュリアナに『シミ』呼ばわりされた茶斑も、堂々と露出している。
 いつも煽情的な言葉を投げかけながら、観客席を余す所なく見回すグロリアは、アーティストはもちろん、よく来る観客の顔や声の特徴を残らず憶えている。巨乳と美尻に釘付けになった彼らが、茶斑をチャームポイントと言い切る姿に憧れを抱く彼女らが、どの観客にも負けないくらいの大声で名前を呼んでくれた時に、さり気ないサービスをするためだ。そうすることが、バトル・アーティスト以上に確固たる美学を持つグロリアの、自己表現方法なのだ。

「おや、グロリアさん? 浮かない顔ですね」
 たまたま敷石に沿って歩いていたクリスティーネが、グロリアに声を掛けた。ライブを終えて、テレポート・チケットで帰宅する前に、お土産を買うためにショッピングエリアに向かっている最中だった。スリットの入った水色の修道服を着ている。いつもの恰好だ。
「……クリスティーネさん?」
 暗黒から、クリスティーネの優しそうな糸目に視線を落としたグロリアは、目を丸くする。
「どうされました? いつもなら、今が一番お忙しい時間帯ですよね?」
「それは、その……」
「もし、人に言えるようなことであれば、私に言ってみてください。付き合いますよ」
 そう言いながら手を取ったクリスティーネは、人の懺悔や愚痴を聞くことに慣れている。私立教会出身だから、本来なら神父が請け負うべき仕事をも任されている。
「え~? でも、大したことじゃないわ。いずれ噂になって、知られたくなくても知られることだから……」
「だったら尚更ですっ。噂が尾を引くと、グロリアさんが悲しむでしょうから。私は、真実を映し出す鏡となりましょう。どうか私に、子どもたちの笑顔を取り戻して頂いた際の、恩返しをさせて下さいっ」
 生まれついての聖職者であるクリスティーネは、誰よりも慈悲に溢れ、人間の鑑たるべきだと考えている。それがクリスティーネの良い所ではあるが、ある種の強迫観念とも換言できる。
 グロリアは暫くの間、何度もクリスティーネの善意を遠慮していたが、ひたむきに「お役に立たせてくださいっ」と頭を下げられたので、しまいにはお言葉に甘えることにした。
「そうね~。何も初めてのことじゃないから、あたしの我慢が足りなかっただけだけど……」

 隣に座ったクリスティーネとあまり目を合わせずに、グロリアは愚痴をこぼしていた。
 猫耳も猫の尻尾もないのに、茶斑だけが母親から遺伝したせいで、歪なハーフとして生まれたこと。そのせいでいじめられて、幼少期は何度も自殺を考えたこと。
 心の病を患って、精神療法の一手段として様々な芸術に触れ合ったこと。それを通して、人体を題材にした芸術に興味を惹かれて、グラビアアイドルを目指すようになったこと。
 そうしてステージガールになった経緯があるから、「綺麗になれるから『シミ』消せ」と言われたことが、人生そのものを否定されたようで許せなかったこと。
 感情が赴くままに口を走らせたが、クリスティーネは頷いたり、時々「大変でしたね……」と言いながら聞いてくれた。

「『魅惑の茶斑』が怒り狂う姿な~んて、誰も見たくないでしょ。だから途中で放棄したの。身勝手だけどね。かと言って、そのまま仕事を続ければ、絶対あの化粧魔人に仕返しして、余計みなさんをヒヤヒヤさせちゃうし。……貰った物を投げつけたの見せたから、今さら遅いかもしれないけど。はぁ~あ……」
 艶っぽくも、寂しそうなため息を吐いたグロリア。気が付けば、天を覆う闇は深みを増して、ベンチを照らすランプが浮き彫りになっていた。
「仕方がありませんよ。グロリアさんの一番大切なものを傷つけられましたから」
 クリスティーネは、糸目のまま微笑んでみせた。
「そう……かもね。うふふ、ありがとう」
 はにかむグロリア。その後二人は、他愛もない雑談に興じていた。
 ややあって、挑発的な笑みを取り戻したグロリアは、もう一つ大きなため息。
「はぁ~あ。そろそろ次のライブが始まる頃ね。ドロテアちゃん、勝ってるといいわね~。あのババアの顔が、ドロテアちゃんの焔でヤケドだらけにされて、こう……『シミ』だらけになってるのを観たかったわ~」
 グロリアは冗談交じりに、自分の茶斑を指差していた。
「うふふっ、そうですね」
 本来物騒なことを好まないクリスティーネにとっては、共感するように微笑むことが精一杯だった。

「あ……あらあら~? ブルーノさん? マルツィオくん?」
 憎きジュリアナの無様の姿を想像して笑っていたグロリアは、目の前を通り過ぎた二名の背中を見やる。仄かなランプで照らされるのは、片や落ち着いた色のカーディガンと蝙蝠の両翼、片や派手なタンクトップと水色のヒレ。アーティストの特権で、よくあの恰好で最前列に座っているから、見間違えるはずがない。
「二人とも、ドロテアさんのお友だちですよね?」
 小走りで敷石を行く二人を眺めて、クリスティーネが不思議がっている。
「そうよ~。さっきのライブにも居たわね~。ドロテアちゃんを迎えに行くのかしら?」
「追いかけましょうか?」
「そうね~。結果が気になるし」
 グロリアとクリスティーネは同時に立ち上がり、小走りで男二人の後を追った。

 

 中庭、デパートエリアを経由して、広告スクリーンやポスターでいっぱいの、控え室に通じる細長い通路に到着したブルーノとマルツィオ。
 いつにも増して人が混み合っている。テレビカメラを担ぐ人や、インタビューマイクを携える人も多い。そわそわしい群衆に釣られて、野次馬はさらに増えてゆくため、ブルーノとマルツィオが通過できるだけのスペースがない。
「年末年始でもないのに、こんなにマスコミが詰め寄せたことってある?」
 人の塊から数メートル離れた所で、ブルーノが言う。
「多分、オレとオマエの予想は一緒だぜ」
 マルツィオが言っているそばから、その予想が現実のものとなった。カメラマン、インタビュアーらが我先にと駆けだすと、これ見よがしに歩を進めてくる、金ドレスのジュリアナを取り囲んだ。
 その大御所さながらの待遇を目撃した野次馬たちは、サクラと思われる数人らがのたまうことを、本気で信じているようだった。具体的には、「ジュリアナはバトル・アーティストとしても一流だ!」とか、「契約を結んだその日から、お偉いさんに目をつけられていた!」とか、それらしいことを大袈裟な様子で話している。何度も言うが、ジュリアナのことをよく知らない野次馬たちは、殆どがその嘘を鵜呑みにしているようだった。
「見つけたわ~、ってジュリアナ!?」
「あの方が? そんなに有名な方なのでしょうか?」
 通路の端の方で立ち往生している二人に追いついた、グロリアとクリスティーネ。奥の方では、数本のマイクを差し向けられたジュリアナが、インタビューを受けている。

(貧乏人どもも、すっかりあたしの虜ねぇ。まあ、上の言う事を聞かないと、自分で判断して動けない奴隷どもは、すぐにマスコミに流されるだろうわ。今までずっとしてきた広告戦略だし、とりわけ珍しいことじゃないわねぇ)
 尊大な様子でインタビューに受け答えしながらも、ジュリアナは周囲の観察を忘れない。徐々に人だかりが大きくなり、離れた場所にはブルーノとマルツィオ、更に遠くではグロリアとクリスティーネが居ることを確認する。
(バイストフィリアどもは絶対ここを通ると思ったわぁ。だから先回りして、こうして通路を塞いだのよねぇ。あのシミ女まで釣れたのは、嬉しい誤算だけどねぇ)
 瞬時に悪巧みを企てたジュリアナは、下品な薄ら笑いを隠せないでいた。

「それにしても、初戦とは言え、ライバルからあまり歓迎されない様子でしたね。ジュリアナさん、さぞ辛かったでしょう」
 ジュリアナが用意した台本に従って、サクラの一人が語った。チャンスとみたジュリアナは、あたかも自分が悲劇のヒロインになったかのように語りだす。
「たしかにね。せっかくあたしが、純粋な善意でステージガールに美白化粧品を差し上げたのに、何が気に入らなかったのか逆上されたわ。対戦相手もステージガールの肩を担いだし、あたしってば完全に悪者扱い。身内で盛り上がっている場所に、あたしのような有名人は、来るべきじゃないのかもね」
「反省の色が見られません……!」
 口元に両手をあてるクリスティーネ。
「あなた、あたしに言ったこと憶えてる!?」
 珍しく金切り声をあげたグロリア。
(ライブそのものを録画していないから、言いたい放題言えるわけか……!)
 もう一つの人格が暴走一歩手前になるブルーノ。

「オマエ、今なんつった!? 『何が気に入らなかったのか』だとー!?」
 マルツィオに至っては、自慢の筋力で人だかりを左右に押し退けながら、ジュリアナの前に躍り出た! 当然、何も知らない群衆とサクラたちに白い目で見られるが、今にも殴り掛かりそうな怒気で跳ね返す。マイクとテレビカメラが集中して来ても、全く動じない。
(ハッハハ! まさかこんなに上手くいくなんて! 群衆に割って入るのは勇気が要るから、念のために他の作戦も用意していたけど。まあ、計画が早く進むに越したことはないだろうわぁ!)
 驚いたフリをしているジュリアナは、一瞬だけ口元を吊り上げた。
「女性に向かって怒鳴るなんて、貴様それでも男か!」
「うるせー! 傷つけられた女の子を守るのが、真の男だろーが!」
 取り巻きに刺激されて、マルツィオは更に苛立ちを募らせる。ブルーノたちは、固唾を飲んでマルツィオを見守っている。

「あたしが、誰を傷つけたというの?」
 か弱さを装った声でジュリアナがほざく。するとマルツィオは、宝石を鏤めたハイヒールを踏み潰さんばかりの勢いで踏み込んだ。
「グロリアちゃん、明らかに怒ってただろ! 普段どんなにされても笑顔なんだぜ!? マジ切れさせたのは、オマエが初めてだ! あと、ドロテアちゃんも! 金の力で審判を買収したの、気づかねーと思ったか!?」
(マルツィオ……? なんで私の味方を……?)
 群衆の向こう側では、ドロテアが立ち尽くしていた。コスチュームのままなのは、田舎でいじめられた過去を思い出したため、目尻に涙を溜めているのを、魔女帽の下に隠すためだ。だが、マルツィオの怒号が人だかりの反対側から聞こえてくると、頭を持ち上げて、真っ赤にした目を露わにする。
「でも、あんたたちもやっていることでしょ? バイストフィリアだって、たくさん女に乱暴しているじゃない?」
 金の力で云々に触れない所が、実に狡猾だ。サクラを雇い、審判を買収したという遠回しな指摘を無視したことは、後で映像を編集すれば問題ない。
「にしたって、限度があるだろーが! 身体のことはどうしようもねーだろ! 社長のクセして、そんな事も分からねーのか!?」
 マルツィオがこういう風に問い詰めることも、ジュリアナの計算の内。
「ごめんなさい。あたし、観客に楽しんで貰いたくて、精一杯悪役を演じたの。でも、初めてのライブだったから、タブーのことも、詳しいルールも、全然分からなくて。本当にごめんなさい」
 子ども染みた声で蔑んでくるかと思いきや、ジュリアナは顔を両手で多い、嗚咽を聞かせてきた。マルツィオの怒りは収まらないが、正論と女の涙を突きつけられたら、歯を食いしばって硬直するしかない。
「サイッテー! 女の子を泣かせるなんて!」
「新人を大目に見てやることもできないのか! アーティストどもは!」
 マルツィオは、ジュリアナの手下たちに罵られるがままだ。

「言い返してやって、マルツィオくん! あんな化粧魔人を貶しても、あたしは嫌いにならないわ~!」
「マルツィオさんは、何も間違った事を言っていませんっ!」
(おわ!? いたのか!?)
 思わず振り返ったマルツィオは、人混みの隙間から、声の主たるグロリアとクリスティーネを確認した。
「そうだよ、マルツィオ! 絶好のモテチャンスだよ!」
 ブルーノから更に後押しされたマルツィオは、無言の圧力を切り裂くかのように宣言する。
「――分かったよ! こうなった以上、恨みっこなしでオレと勝負しよーぜ! 対等で殴り合えるなら、文句はねーよな!?」
(あら、自分から申し込んで来るとはねぇ。『こんな方法であなたの気が済むなら』、と言ってあたしの方から言うつもりだったんだけど。どこまでも単純な男ねぇ、ハッハハ!)
 薄ら笑いではなく、弱々しい表情を装ってから、ジュリアナは両手を退けて言う。
「分かったわ。それであなたの気が済むなら、受けて立つわ。予定が立て込んでいるから、すぐには無理だけど。あたしが本部に申しこんでおくわね。あたしが蒔いた種だから。――次はライブで会いましょう」
 そう言い残したジュリアナは、それ以上何も言わずに、あっさりとその場を去って行く。ボロを出すことを恐れているのだろう。
「ぜってードロテアちゃんとグロリアちゃんの仇をとってやるからな!」
 取り巻きと共に、ブルーノ、クリスティーネ、そして睥睨するグロリアの横を通過してゆくジュリアナの背に、怒りをぶつけるようにマルツィオが叫んだ。

(悪の一味に絡まれた天才が、勇敢にも正面から立ち向かう。あたしに相応しいストーリーだわぁ! 部下が編集した映像を観るのが楽しみねぇ!)
 たくさんの部下を付き従えながら、ショッピングエリアの幅広い通路を歩むジュリアナは、素顔を露わにしながら自分に酔っていた。
(本当は今すぐにでも、バイストフィリアを叩きのめしたいんだけどねぇ。まあ、将を射るにはまず馬からだし、暫く貧乏人ども相手に地道に白星を稼いだ方が、有名になれるだろうわ)
 ブルーノのことが頭に浮かんできたジュリアナは、急に向かっ腹が立ってきた。デルフィーヌを虐待する算段まで考え始めている。
(負け犬がワンワン吠えてるだけの三文芝居で、あんなに儲けられるなんて、ねぇ! 音楽学校でいじめられて中退して、天才バイオリニストからアーティストに転向なんて、典型的な負け犬だわぁ! 負け犬どもの逆恨みにも、クズニートどもの誹謗中傷にも耐えてきたあたしよりも、知名度があるなんて! 世の中間違っているわぁ!)

 

「なんで私の味方なんかしたわけ?」
 いつまでもジュリアナ一味に憎悪の眼差しを向けていたマルツィオに、後ろから声を掛けるドロテア。
「なんでって……味方があんなにされたら、ふつー怒るだろ」
 そう言ったマルツィオと共に、皆が一斉に振り返る。
「排他的な田舎の出身だって分かったのに?」
「関係ねーよ」
 マルツィオがニヤニヤしてみせるが、ドロテアは俯き、涙目を魔女帽の下に隠す。
「あるわよ。だって、どんなに取り繕ったって、田舎者出身というだけで警戒するもんだわ。特に、私の故郷デヒガンテならね。ちょっとしたことで村八分にするし、医者が不足して困っているクセに、余所者呼ばわりして追い出す始末。異常な風習は腐るほどあるし、呪いの噂も絶えない。仲良くしようと思わないでしょ? ――最初から嫌われている方が、諦めがついて楽だわ」
「でも、仮に排他的であったとしても、ドロテアさんはご自身を戒められる、強い方ではありませんか」
 咄嗟にクリスティーネがフォローしても、ドロテアの顔は上がらない。
「戒め切れてなんかないわ。だから、初対面の人に田舎者だって見破られた。それが、ライブ中限定の振る舞いだとしても。あのクソ女が言ったことは、全部本当のこと……」
 実際は、ジュリアナが観察眼で見抜いたわけではなく、その部下が執拗な盗撮や盗聴を繰り返しただけだ。だがドロテアは、田舎者であることを、陰湿で排他的な集団の中で育ってきたことを悟られまいと、意固地になっている。だからこそ、ちょっとでも『ボロ』が出ると、過敏に反応してしまう。

「でも、そんなドロテアちゃんが、化粧魔人を火傷だらけにするところ、あたしは見てみたいわ~」
 そう言いながらグロリアが近づいてくると、静電気を食らったかのように、ドロテアの顔が僅かに上がる。化粧瓶を投げつけた時の剣幕は微塵も見せていないから、ブルーノとマルツィオも目を丸くした。
「厚化粧が剥がれて、火傷してシミだらけにされて、ジワジワ嬲り殺しにされて、あ~んもう! 考えただけでゾクゾクするわ~! ドロテアちゃん以外にはできないわね~、きっと。今度あたしに見せてね~」
 ライブの結果がどうなったかは、グロリアにもクリスティーネにも察することができた。だから、『今度』という言い方をした。
「アンタも、そういう風に思う時があるんだ。……意外だわ」
 誰に何されても、挑発的な笑みを崩さず仕事を全うする、グロリアの『現在』をよく知るドロテアが漏らした。驚くと同時に、憧憬や嫉妬が入り交じるグロリアに対して、親近感を覚える。
「うふふ~。女の恨みは怖いからね~。ドロテアちゃんだけじゃないわよ~」
「確かにね。ふふふ……」
 天才的なバイオリンの才能を持つが故に、女性たちに逆恨みされた過去を持つブルーノは、苦笑いをした。

「ごめんなさい。私、負けたの。審判もおかしかったけど、所詮私はそのくらいで負けてしまうくらい弱くて……」
 ネガティブに囚われたドロテアの肩を叩き、マルツィオがニヤニヤと笑い掛ける。
「だったら、オレがライブで勝った後に、乱入してジュリアナを焼き尽くせばいーじゃん! 新人アーティストが完全勝利を成し遂げるのは、けっこーあることだし仕方ねーよ! ある程度噂されるようになったアーティストと違って、新人アーティストの対策は立てにくいからな!」
「明日から猛特訓だね、マルツィオ」
「私からも、応援させていただきますっ。マルツィオさんがよろしければ、微力ながら模擬戦の相手を務めますよ。グロリアさんと、ドロテアさんのためにも」
 三人のアーティストと、一人のステージガールに囲まれたドロテアは、ふいに流した涙を魔女帽の下に隠すため、またしても俯いたのであった。
「……ありがとう。私なんかのために」

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