【お仕事】新月になりて消ゆ

 詩人戦隊ポエーマンズ、月白さんを主人公とした長編小説の第二話です!

◆ポエーマン月白:上月える 様
Twitter:@sktr11139
作中詩:『月典詩/序ノ譜』
「二話目にして、早くも華やかな編成となり、幸せな月の者です……。
 本当にありがとうございました……。引き続き、応援よろしくね!」

◆ポエーマンコバルト:弥乙澪 様
Twitter:@AMAYADOch
作中詩:『前書き』、『気取り屋』
「素晴らしい空間にご一緒させてもらえて、とても嬉しいコバルトです。
 この気高き戦士は本当に私かしら(笑)気が引き締まる思いです。
 皆、心からありがとう!」

◆ポエーマン白藍:藍あやめ 様
Twitter:@IRIS_alleve_Cat
作中詩:『空歌う』、『mixer』、『転生植物図鑑 月白さんver』
「小説の中に飛び込むという素晴らしい経験と、
 自分がヒーローになったという高揚感でドキドキしている白藍です。
 こんなかっこいい人になるべく精進して参ります!
 ポエーマンズ、これからもよろしくお願いします」

◆プロット作成:sun、上月える 様、弥乙澪 様、藍あやめ 様


◆   ◆   ◆

 

 雨上がりの朝空には、うっすらと虹が架かっていた。さざ波のような薄青の下、街には草木の香りが充ちている。傍らを流れる小鳥たちの囀りが、何もかもを忘れさせてくれる。アパートに沢山の人が住んでいることや、時間に追われて走る自動車、何よりも煩わしい日常のしがらみを。

 

「……♪」

 散歩しながらりんごを齧る。甘い蜜入りのりんごは、今日の朝ご飯だ。街路樹のトンネルから射す、木漏れ日に照らされた丸い赤は、まるで宝石みたいに輝いている。

 イヤホンからはお気に入りの曲。リリックは少し暗いが、優しい声と甘やかなピアノのビートがお気に入り。

「たまには悪い子になってもいいでしょう♪」

 静かな散歩道に、りんごを齧る音。そよ風に靡かせるのは、かんざしをつけたハーフアップの髪。大正浪漫の衣裳。薄紫のあやめを散らした和服と、腰には羽ばたく蝶の翅のような洋風リボン。

 彼女の名前は、白藍。 しろきあい 世話焼きかつ人懐っこいことで有名な、ポエーマンズの隊員。大好きな甘い物を食べながら、出勤前の優雅な一時を満喫している。

「ふふ、やっぱりこのビートに合う声はこの方……あら、ミケちゃん」

 ふと気がつくと、「にゃお」と鳴きながら近所の三毛猫が寄ってきた。人懐っこい彼女はこの辺りのアイドルだ。よしよし、とツヤツヤの毛並みを撫でていると、別の猫が近づいてきた。黒くて大きな厳つい猫だ。

「わ、ひどい傷!」

 黒い猫の耳は切れ、足を痛そうに庇っている。白藍は手を伸ばしたが、触れようとすると耳を寝かせて唸る辺り、喧嘩でもしてきたのだろう。咄嗟に手を引き、すぐ様決断する。

「すぐ治してあげますからね!」

 片手を上げると、指先からあやめの花弁がこぼれ落ちた。無数の花弁は、梢に積もった粉雪のように、銃の輪郭を作る。三毛猫が暢気に尻尾を振りながら見詰めている内に、やがて紫色のシルエットは、『詠銃』へと変貌する。あやめの花を象っていて、リボンが付いている小型ピストルだ。

「願呪一成、『空歌う』!」

 そして現れた『詠銃』を、白藍は空に構えて撃った。あやめの花弁を撒き散らしながら、薄紫の塊は点へ昇り、綿飴のような雲に溶けてゆく。

 

 ぱらぱらと
 大地潤す空の歌
 今日の天気は晴れのち音符
 空から零れた音符たち
 雲から飛び降り葉っぱに着地
 電線、花びら、アスファルト
 次々染めてく雨模様

 

 情緒溢れる声による朗読。にわかに、ぱらぱら、という音と共に降ってきたのはただの雨ではない。猫の傷に、音符の形をした雨が落ちると、傷は瞬く間に治っていく。

 雨がアスファルトに落ちる度に、鉄琴のように愉快な音が響く。街路樹の葉を打つ水玉の数々は、水琴鈴のように澄んだ音を微かに鳴らす。やがて、黒猫の傷口が全て塞がると、雨の音楽はしっとりと鳴り止んだ。

「よし、治療おしまい!」

 持っていた詠銃を、あやめの花弁として散らしながら、白藍は言った。

「もう大丈夫ですよ!」

 白藍は黒猫を優しく撫でた。今度は大人しく受け入れた黒猫は、「みゃお」と一声鳴くとまた茂みに消えていった。三毛猫も「にゃお」と鳴いてから黒猫の後を追う。

 白藍は思った。ひょっとしたら、白藍に怪我したトモダチの傷を治して欲しくて、三毛猫はやって来たのかも知れない。そう考えると、良い一日になりそうで、頬が緩む。

 

「……ふう」

 白藍は再び歩き始める。空を見上げると、さっきよりも一層、虹が鮮明に見えるような気がした。心地よい気だるさが身体を包む。じん、と痺れるような感覚が足を這う。

 この辺りで少し休憩した方が良さそうだ。印象派の絵画のように、雨粒に濡れた街並みを見回してみる。すると近くに喫茶店を見つけた。メニューボードに書かれていた、苺のショートケーキに心躍らせながら、扉を開ける。

「……あれ」

 扉を開いた瞬間、カラン、というカウベルにほんの少し、ノイズが混ざって聞こえた気がした。

「……耳鳴り? 疲れてるんでしょうか…」

 思わず白藍は立ち止まり、耳に手を当てた。

「いらっしゃいませー。……あの、お客様?」

 カフェエプロンを着た店員は、花瓶に水を差す如雨露を止めて、不可解な面持ちで白藍を見た。

「い、いえ……! 何でもありませんよ」

 そう言って白藍は、小さく頭を下げた。

「ブラックコーヒーを一つ、お願いします!」

 気恥ずかしさを悟られまいと、早口気味で言う白藍。「はい、かしこまりました」と、店員はカウンターを挟んだ厨房に移動し、コーヒーを淹れ始める。白藍はカウンター席に座り、細くゆっくり息を吐いた。

「疲れた時はコーヒーと本に限りますね…」

 独り言を言いながら、白藍は和装の鞄から本を取り出す。文字を目で追う数分間。気だるさを忘れかけた頃合いに、「お待たせしました」とカウンター越しにブラックコーヒーが差し出された。素朴で慎ましい花柄のカップ。

 そうして茶色の香りと文字の世界にダイブする。夢中になった白藍には、周囲の雑音は届かなくなっていた。

「――ターゲット、ポエーマン白藍、場所把握」

 はす向かいの建物の陰から、白藍を監視する者がいると、知る由もなく。

 

   ◆   ◆   ◆

 

(喉が渇いて、なかなか寝付けないなあ……)

 ソファで横になっていた月白は、大きな欠伸をしながら身体を起こす。あまりにも疲れていたから、照明を切る事さえ億劫だった。眩しさで細目になりながらも、時計を見る。

「うわっ、もうこんな時間か!?」

 短針は7を差していた。感覚としては、せいぜい三十分位しか寝ていなかったにも関わらず。

 これが休日ならば、二度寝をしていただろうが、昨日は夕食抜きだったし、着替えたらすぐ寝てしまったし……。後回しにした家事が溜まっていて、出勤に間に合うかどうか、不安で仕方がない。

 まずはシャワーを浴びなければ。そう考えて立ち上がり、浴室の扉に手を掛けた瞬間、大切なことを思い出した。

「そうだ、11号ちゃん!」

 寝室に寝かせていた、傷だらけの少女。昨夜邂逅を果たした、必ず守ると心に誓った姫君。眠れぬ11号を、朗読によって安眠に導いたが、その後異変は無かっただろうか?

 月白は反転、今度は寝室に続く扉に手を掛けた。怖がらせないように、ゆっくりと扉を開き、足音を立てぬよう中に入る。

 月の紋様があしらわれたベッドで、お人形のように眠っている11号。月白は彼女の顔を覗き込む。各所にあるガーゼや包帯が、未だ痛々しくはある。だが、僅かに白い歯を見せて、「すぅ、すぅ」と安らかに寝息を立てているのは、一先ず峠を越えたという何よりの証左だ。

 

「11号ちゃん……?」

 月白は11号の頬、部分を、指先でそっと突いた。

「うっ!?」

 陸に打ち上げられた魚のように、ビクリと跳ねる11号。

「わっ、ごめん!」

 月白は即座に謝った。外傷がない部分に触ったつもりだったが、痛かったのだろうか? そういえば昨日、強い風が当たっただけでも、11号はかなり痛がっていた。考え無しな行為に及んでしまい、自身に腹が立つ。

「……おにいちゃん?」

 11号はしきりに瞬きをしながら言った。

「11号ちゃん、痛かったかい……?」

 月白は無意識に、両手で顔を隠すようにしている。11号からの返事はない。妙に鼓動が早くなる月白。11号の瞬きも、徐々に早くなり――やがて目を閉じる。

「すぅ、すぅ……」

 と、11号は今一度夢の世界に旅立ってしまった。「あ、あれ?」と首を傾げる月白。

(何だろう……ここが件の研究所・・・だと勘違いして、ビックリしてしまったのかな。ホテルに泊まって目が覚めたら、一瞬「ここはどこ?」と分からなくなるように)

 それにしても、子どもと言うものは寝付くまでが非常に早い。体力がゼロになった瞬間、我が子が滑り台の上で寝てしまった、そんな母親の体験談を聞いたことがある。

 今日はポエーマンズ基地ベースに出勤する際、11号を預ける予定でいる。その前に身体に異常がないか確認したい。お腹も減っているだろうし、まずはご飯を食べさせてあげたい。

「11号ちゃん。朝だよ。ご飯食べる?」

 月白は11号の頬を数回突いた。11号はパチリと目を開いた後、両目を擦りながら上半身を起こした。

「お腹減ってない?」

「……おなかへった」

 こくりと俯きながら、11号は言った。ギュルルル――なんて、お腹の虫が鳴く音さえ聞こえた。

「そっか。それじゃあ、一緒に朝ご飯食べようね」

 そう言って月白は、お姫様抱っこで11号を抱え上げた。寝室からリビングに移動し、冷蔵庫の前で立ち止まる。月白は、やけにニヤニヤ笑いながら、冷蔵庫をバッと開く。

「さあ、好きなものをお食べ!」

 抱え上げられたまま、11号が目にしたものは――。

 棚板一面一杯に乗せた、大量のガトーショコラ。日持ちが良いから非常食代わりにしている、さる老舗謹製のチーズケーキ。ちょっと食欲に負けそうになった時の、抑制剤として食べる子ども向けの小さなプリン。

 そう、冷蔵庫には甘い物しか――いや、違う。インスタントラーメンに入れる具材として、タッパ詰めの野菜やゆで卵も保管されている。

「どうだい? やっぱり、プリンがいいかな?」

 月白は子ども向けプリンを一つ掴むと、片腕で抱っこしている11号の目の前に運んだ。子どもなんだから、甘くて美味しいプリンが大好きに違いない。

「あまいの、いや」

「え」

 月白は沈黙した。呆気に取られて、子ども向けのプリンを取り落とした。拒絶されたからだ。子ども向けなのに、プリンなのに……。

「あまいの、まずい、おいしくない」

 子どもの素直さとは、時に残酷である。月白は、自身の味覚のみならず、人格そのものを否定された気がして、酷く落ち込んだ。今ので顔の皺が増えたかも知れない。

「ナニガイイノ?」

 棒読みで読み上げる月白。

「からいの、すき」

「辛いのかあ。月白さんハウスにはないなあ……」

 腕が疲れてきた月白は、11号を床に降ろした。7時となると、開いている店はコンビニくらいか。11号は、まるで金棒を担いだ赤鬼が立ち塞がったかのように、開けっぱなしの冷蔵庫(現代版お菓子の家)と対峙している。

「分かった。辛いもの買いに行ってくるよ」

 月白は冷蔵庫を閉めると、すかさずスーツに着替えた。その後、いそいそと玄関に歩き去って行く。取り残された11号は、床に落ちたプリンを拾い上げ、じーっと見つめ続けるのであった。

 

(寝癖とか直さないで、出てきちゃったなあ……)

 マンションの屋内階段を降りながら、月白は思う。一階に降り、屋外に出た月白は、水溜まりを避けながら、最寄りのコンビニに早歩きで向かう。

(辛いもの、辛いもの……コンビニなら、カレーラーメンとか激辛スナックとか?)

 思案している内に、コンビニの前に到着した。駐車場には数台の車が駐まっている。眠そうな面持ちのまま、運転席でパンやおにぎりを囓っているOLがいた。窓際に設置された、灰皿スタンドの傍に立って、紫煙を燻らせる親父も。

(……一服しよう)

 昨晩、遊歩道の休憩所で吸って以来か。幸いにもスーツにのポケットには、ライターや煙草が入れっぱなしだった。

 親父の前を横切る月白。咥えた煙草に火を付けると、味わうように深く息を吸う。そして、吐く。行き場を失い、体内で膨れ上がっていた不快なガスを、排出するように。自然と背筋が伸び、視線は上を向いた。

(雨、上がったのか)

 その時、月白は初めて気がついた。空にうっすらと、虹が架かっていることに。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「……あら、もうこんな時間」

 文字と物語の世界から、浮かび上がってきた白藍は、時計を見遣る。そろそろお昼時だ。

基地ベースにいかないと……」

 そう言って本を閉じ、鞄にしまう白藍。空になったカップは、いつのまにか店員が片付けたらしい。

「お会計お願いしますー」

 立ち上がった白藍は、厨房の奥に向かって言った。だが、返事は来ない。白藍は訝しく思いながらも、レジカウンターの前に移動する。卓上ベルを鳴らしてみたが、足音一つ帰ってこない。

(どうしたのでしょう……?)

 自分が長居し過ぎたから、見放されてしまったのだろうか。ちょっぴり後悔しながら、店の中で立ち尽くす。

 

「……見つけた」

 カラン、という音に混ざる声とノイズ。ノイズは先程より強く頭に残り続ける。

「……?」

 白藍は振り返って、店の出入り口を見た。入ってきたのは、ガスマスクを着用し、迷彩柄の革ジャンを着ている男だ。どういう訳か、躍起になっている様子だ。

 まさかと思ってふと見回すと、人が不自然に消えている。テーブル席にはノートパソコンが放置され、ベビーカーには赤ちゃんが乗っていない。それどころかカウンターには、店の物と思わしき鍵や帳簿が置きっぱなしだ。

まるで突如、強烈な地鳴りが――或いは、それに匹敵する騒音が迫り、慌てて店の外に飛び出したかのように。

「……誰かと思えばあなた達でしたか。雑音舞踏軍」

 白藍は招かれざる客を見据えたまま、左手で逆手で握るように『詩刃』を現した。空間から出現した、あやめの紋の形のナイフは、刹那的に薄紫の花弁を撒き散らす。長い刀を正眼に構えるように、両手を前に突き出し、不意打ちに備える。

「はっ……ご名答だ白藍!」

 ガスマスク男は、懐に隠したナイフを握り、素早く下手投げで投擲した! 直ぐに白藍は右足を引き、半身の構えとなって当たる面積を減らす。同時に左手を曲げ、詩刃の刀身で顔を隠す。男が投げたナイフは、詩刃で受けて流した。

「ちっ、うざってぇ……おい!」

 舌打ちしてからガスマスク男が叫ぶと、何人かの人影が現れた。窓の外から覗く者、本棚の陰から飛び出す者、さらには天井の点検口から降下する者や、裏口から侵入して白藍の背後を取る者まで。雑音舞踏軍の戦闘員パリピーたちだ。見知った顔も何人かいる。

 完全に包囲されていると悟る。非常に危険な状況だ。そうと分かれば、やるべき事は唯一つ。

 

「あー……詩人伝承、ポエトリーチェンジ!」

 かんざしを引き抜き、意識の下へと沈んでいく。目を閉じてしゃがみ込む、魂が抜け落ちたかのように。

 ――掴んでいるかんざしが、大きな白いリボンに変わる。白いリボンの私は、戦う私だ。カッと目を見開くと、光を失った目をガスマスク男に向けた。糸で吊り上げられたように、ゆっくりと立ち上がる。白いリボンを結びながら。

「いい夢見させてあげますよ……私を信じて、ゆだねてくだされば」

 人格が入れ替わった白藍は、寝かせた詩刃の刀身に頬ずりしてみせた。彼女・・の危険性をよく知るパリピーどもは、各々武器を構えて様子を伺っている。誰が先陣を切るのか、無言で押し付け合っている最中、白藍は花束を抱き締めるかのように、詩刃を抱いた。

「か弱げな女の子一人に、屈強そうな男性複数名でかかってくるとは、これ如何に」

「お前のお仲間には、世話になったからなぁ! なんなんだよアイツら!」

 ガスマスク男はそう叫ぶと、予備のナイフを手に握る。

「あー……と……どの方でしょう? 120名をとうに越える人数なので、私もイマイチ把握が……」

 間延びした返答をすると、白藍はあろうことか、ガスマスク男に背を見せた。わざとやっているのか、天井で回転している扇風機に、視線を移している。

「ひゃく…!? お前それで今の状況言えたギリかよ!!」

 ガスマスクの男が怒鳴る。まあ確かに、と納得しかけた瞬間。

「うわ!」

 本棚の陰に陣取っていた、パリピーの一人が切りかかってきた。袈裟切りにしようと、今まさに振り下ろそうとするパリピーの右腕を、白藍は左腕で受け、互いに一瞬硬直する。

 体格差で押し倒されるよりも早く、予め右手に持ち替えていた詩刃で、お返しとばかりに切りつける。

「うぇ!?」

 声を上げて、パリピーが引き下がる。服の胸辺りがざっくり切れて血が滲む。

「油断してたら痛い目に合うのですよ」

 白藍は、傷口を押さえるパリピーを見ながら、ぽんぽんと刃が当たったところを叩く。振り下ろされたパリピーの、前腕辺りを受けた筈だが、ナイフの切っ先が掠ったらしい。幸いにも、衣裳は厚めの生地だからか、ほとんどダメージはない。

 

「あら、小鳥さん……今日は空が綺麗……」

 相手を気にしつつ、あたりに気を散らす。緊張感や、高揚感のもやの中に冷たい意識の芯を入れる。綱渡りをしているような感覚だ。

 激しく動いたかと思えば、記憶を喪失したかのように余所見をする。パリピーどもにすれば、さぞ不気味で堪らないだろう。

 いつも彼女は、攻撃を誘っているかと思えば、いきなり仕掛けるのを繰り返す。運が悪ければ、何かタガが外れたかのように、笑顔でひたすらに切り刻むらしい。

「私が看取ってあげますからね、大丈夫……」

 天使のように、優しく口ずさみながら。

 本当に、この子たちを看取る事態だけは、回避しなければ。だからこれは、彼らがよく見える・・・・・ようにするため……これから助太刀に来るはずの仲間を、巻き添えにしないため……。

 感情に呑まれて、暴走してしまわないように。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 ポエーマンズ基地内の、とある一室。

 ホワイトボードには、ピントの合わない写真や、手書きの地図などで埋め尽くされている。スチール書架には、発生日時順に並べられた『雑音舞踏軍事件簿』等、五十音順に並べられた『雑音舞踏軍構成員資料』等々。

 ある机には、内線電話やパソコンが置かれており、またある机には試料やジップで閉じられた現場の証拠品が、乱雑に置かれている。文字起こし担当の机には、書類や試料ファイルが山積みになっている。

 それら作業机のシマ・・とは、若干離れた位置に、スケッチや似顔絵を担当する者の机があった。キャスター付きの伸縮可能な机で、持ち主はこれを「歩行補助具?」と言われるくらいの勢いで振り回しながら、隊員に聞いて回るらしい。

 付近の省スペースには、色鉛筆や水彩絵の具などといった、最低限の道具しか置かれていない。職務上、速さと伝わりやすさを重視してのことだろう。その考え方は、あっさりとした着色の、雑音舞踏軍構成員資料や、能力の図解などの、ラフ画が量産されている点からも見て取れる。

 

「コバルトさん」

 隊員の一人が、絵描き机に座る女性に声を掛けた。「新たな情報が入りまして……」と続け、もう一人の隊員も傍に来る。

 椅子に座ったまま振り向いた、彼女の名前はコバルト。左手首に付けているのは、青い天然石を基調としたブレスレット。フレームが細い丸眼鏡を掛けており、瞳の色は薄茶色。内巻きと外跳ねが交互になったような、濃茶のパーマ。その前髪をハーフアップにしている。

 二人の隊員は、雑音舞踏軍の戦闘員について、コバルトに情報提供し始めた。身長、髪型、体格、衣服、その他目撃情報を、知っている限り余すことなく。コバルトは、たまに隊員に質問しながら、慣れた手付きでスケッチを描き続ける。

 

 入口の扉が、やや乱暴に開かれた。

「おはようございます」

 次いで月白の、申し訳なさそうな、疲れきったような調子の、沈みがちの挨拶。片手でしっかりと、おずおずと辺りを見回している、11号の手を握っている。

 コンビニの買い出しから帰ってからと言うもの、奥に閉まった予備の食器が出てこないわ、11号がトイレからなかなか出てこないわで、てんやわんやだった。余裕を持って出勤したつもりだが、小さな女の子の歩幅を考慮せずにいたから、ギリギリの到着になってしまった。

それでも月白は、決して11号に不平を言ったりしなかった。それどころか、幾度となく優しい笑みを浮かべながら、「大丈夫?」と声掛けしてあげた。

 コバルトは、入室した月白に視線を移す。

「おは……お?」

 そこで、月白が見知らぬ子どもを連れていると気付き、挨拶が消え入ってしまう。コバルトに説明していた隊員も、呆気に取られて言葉に詰まる。月白はコバルトと、彼女の作業机を交互に見ている。

 何か自分に話したいことがあると悟ったコバルト。他の隊員にジェスチャーで断ると、二人は軽くお辞儀をしてから、無言で自席に戻る。遅れて席を立ったコバルトは、月白に駆け寄る。

「おはようございます。姪っ子さんかな?」

 コバルトは11号を見て中腰になり、おはよ~と手を振る。

「コバさん! おはよう。ははは、姪っ子と来たか……」

 呼名と挨拶は嬉しそうだったが、後半は苦笑交じりな月白であった。

「え、姪っ子じゃないんすか?」

 そう言ってコバルトが、ほんの僅かに近付いた直後。「う……」と発音した11号は、月白の背後に隠れてしまった。見知らぬ場所と人だから、怯えてしまうのも無理はない。

 不必要に刺激するのは避けよう。コバルトはアイコンタクトで、月白に「誰?」と尋ねる。

 

「ああ、この子は……昨日の夜、僕が保護した子でね」

 月白は包み隠さず、さらっと発言した。喋りながら、苦笑いから真面目な顔へと変貌していた。迷子保護は日常茶飯事だから、何も後ろめたいことはない。それが気が合う同級生と言うならば、尚のこと。

「親御さんは?」

 迷子は日常茶飯事だが、一日経っても親が迎えに来ていないのは妙だ。だが、優しい月白のことだから、わがままな親が「忙しくてまだ迎えに行けな~い」とか言いだして断れなかったのだろうと呑気に考え、コバルトはきょとんと聞き返した。

「それが……昨日からずっと研究所という言葉を繰り返していて、自分の事も11号と名乗るんだ」

「ほほう、きなくせえな」

 予想を反した深刻さに、自分の意思とは無関係に、迫真の真顔になった。明るくツッコミを入れたり、慌てたりしてはいけない思いとが交錯して、反応を大いに間違えたコバルト。

「コバさん!? 悪役みたいになってるよ!?」

「あっは、すみません。あ、そうだ! 悪役と言えば、いま描いてたんすよ」

 コバルトは苦笑いを押さえ込むと、嬉々として自分の作業台を見た。それから、依然月白の陰に隠れている11号、そして月白を見て、コバルトはサムアップしてみせた。月白は、「一体何を伝えたいんだ?」と、心の内で謎に思う。

 当のコバルトは「絵が好きな子供は多いけん」と思っていた。自身が描いていた、雑音舞踏軍のスケッチを5~6枚、作業台から取ってくる。戻ってきたコバルトは、スケッチの内の一枚を、11号の目の高さでピシ、と止めた。

 

「それ、なあに?」

 月白の背後から11号が、ひょこっと顔を覗かせる。コバルトは「見る?」と聞くに先んじて、反応が来た驚きで少し目を丸くした。同時に、してやったりという笑顔が浮かび上がる。

「お、興味あります? 詩人戦隊ポエーマンズは知ってるかな?」

「ぽえ……?」

 しきりに瞬きをする11号。するとコバルトは、腕を広げる大げさな動きで、ヒーローショーのMCのように言った。

「ふふ。知らなーいっていう11号ちゃんに、コバさんが説明するね。詩人戦隊ポエーマンズとは、この街の平和を言葉の力で守っている、正義のヒーローなんです!」

「おねえちゃんも、11号のみかたなの?」

 正義のヒーローと聞いて、目を輝かせる11号。おねえちゃん――つまり、昨夜月白が語った言葉を、覚えていることが窺える。

「そうだよ」

 コバルトがしっとりとした声色で返す。直後、持ってるスケッチを前に突き出しながら、テンションを変えて言う。

「そしてこれが敵ィ!」

「え~っ!? ……このひとたちも、けんきゅうじょに、いる?」

 11号はつい驚いたのち、不安げに尋ねる。

(本当だ、研究所と言っている……)

 コバルトは心の中で思いつつ、怖がらせないように優しい声だが、真剣に問いかける。

「どうだろう。この絵の中に、知ってる人はいるかな?」

 コバルトは残りのスケッチを、紙芝居をめくるように、ゆっくりと11号に見せていく。11号は、きょとんと首を傾げるばかり。

「う~ん……おもいだせないの……」

 呟く感じで11号は言った。数分前まではなかった、「~なの」という語尾が少しずつ出ている事から、コバルトへの信頼が芽生え始めた兆しがある。

「そっか。思い出さなくていいよ。なんで敵を描いてたかっていうとね──」

 深く長い説明が脳裏をよぎったが、幼児には難しすぎるし重いと思った。

「確実に倒すためだよ」

 ニヤリと悪そうに笑うコバルト。

「おねえちゃん、ほんとにみかたなの!?」

 超不安げな面持ちになる11号。

「コバさん、今日はそういう感じなの!?」

 追うようにツッコミをする月白。

 コバルトは、選択肢間違えたという下がり眉、斜め上がり口角の顔で肩をすくめる。

 

『エマージェンシー、エマージェンシー、詩人戦隊ポエーマンズに出動要請』

 不意に襲来した、機械から発せられる女声。けたたましいアラームが鳴り響く。思わず機械を振り向く月白とコバルト。作業を中断して硬直する、室内の隊員たち。

「ひゃう!? おねえちゃん、こわい……」

 11号はアラームに驚き、ピクッと身を縮め、コバルトにしがみつく。

「あらら、大丈夫だよ~」

 コバルトは、自分に来たことに驚きつつ、頭をなでる。

 月白は戸惑った。今日は戦闘員としての勤務だから、出動に応じなくてはならない。11号とアラームの鳴る方を見比べる月白。

 

「ね、見て」

 しがみついた11号に、コバルトは小さく声をかけた。コバルトの身体から、少し離れた11号。見上げると、コバルトの左手首に付けているブレスレットが、光り輝いていた。天然石の色は空よりも青くなり、光のハイライトは、揺れるさざ波のように白く見えた。

 さらり。と、ブレスレットから、水でできたお魚が流れ出た。「あっ……」と11号が声を出す。そのまま水のお魚が、地面に落下するかと思いきや、コバルトの周りをぐるぐると泳ぎ始めた。まるで海の中にいるみたいに、浮遊している。

「お姉ちゃん、これで11号ちゃんを守るよ」

 コバルトは、柔らかい声で語り掛けた。

 お星さまのように光っているお魚に、11号はすっかり目を奪われていた。捕まえようとして、片手を伸ばす。が、水のお魚が11号の手に触れると、形を崩しながら指と指の間を通り抜ける。

「ま、まって!」

 ファンタジーな現象は、子どもを虜にした。11号は、ぐるぐると泳ぐ水のお魚を追いかけ、きゃっきゃと捕まえようとする。水のお魚が消えるまでの一時、とても楽しそうだった。

 

 二人のやりとりを見て月白は、11号がコバルトに懐いていると確信した。やはり、11号を任せられる人は、コバさんしかいない。そう判断した月白は、深刻な表情で述べた。

「コバさん、お願いがあるんだ」

「え、なんすか」

 ただならぬ雰囲気に、コバルトは身構える。

「僕が出動している間、この子を見ていて欲しいんだ」

 月白が申し訳なさ半分に言い切る。

「なんだ、そんな事ですか。深刻な顔するから何事かと。でも、コバでいいんですか?」

 言い終わると同時に、コバルトは室内を不安そうに見渡した。「他に適任が居そうなものですが」とでも言いたげに。

「寧ろ、君だからだよ。コバさん」

 微笑みながら、月白は言った。

「~~~~っ!」

 途端にコバルトは目を丸くし、息を飲んでから、感激を隠すように言った。

「……ですよね」

 コバルトの返答を聞いた月白は、ほっと胸を撫で下ろす。

「あはは。ありがとう。急なお願いでごめんね。少しの間、よろしく頼むよ」

 月白は、ばつが悪そうに頭を下げた。

「了解っす。行ってらっしゃい」

 コバルトは、真剣な顔で頷いた。

「11号ちゃん、すまない。必ず戻るから、おねえちゃんと此処で待っていてくれ」

 そう言って月白は、上目遣いでモジモジとしている、11号の頭を撫でた。撫でつつも、返答を待つ余地が無いので、現場へ急行する。

「おにいちゃん、いっちゃうの……?」

 それは、走り去る月白には届かない、小さな声だった。

 

「わ~、月白さん待って~ああ~行っちゃった~」

 コバルトは小声で言った。ちびっ子と一緒に保護者を見送る、幼稚園の先生のように。いかにも追いたかった風に手を伸ばして、「あ~」と再度惜しんでみせた。

「だーいじょうぶ、必ず戻るって――」

 明るい声で、コバルトは振り向くが……。

「言って……た……」

 語尾が減退した。背後にいたはずの11号が、忽然と居なくなっている……!?

「え? え? かくれんぼかな?」

 コバルトは慌てふためいて、11号を探し始めた。絵描き机の下を見てみたり、書架の隙間を覗き込んだりするが、見当たらない。動悸のあまり左胸を押さえ、一瞬呼吸を止める。

 半ばやけっぱちになって、机のシマを何度も回ったし、資料で一杯になったロッカーを開いたりもした。念のため、大きなゴミ箱の中も覗いた。それでも見つからない。どうして?

「すみません、11号ちゃん見ませんでした?」

 コバルトは、座ってパソコンと向かい合っている隊員に、慌ただしく尋ねた。

「え、今いた白い髪の女の子?」

 キーボードを打つ手を止め、彼は不可解な面持ちとなる。

「いやあ……」

 隣に座る隊員も首を傾げた。コバルトと二人の隊員は、各々の顔を見合わせて、数秒間動かなかった。

「見間違いかと思うけど、消えた?」

 向かいに座る隊員が、自信無さそうに言った。

「消えた? 外に行っちゃったのかな。ちょっと探してきます!」

 言うや否や、コバルトは室外に飛び出した。ただ事ではないと思い、部屋の隊員たちも追うように飛び出す。

 

 走りながら「11号ちゃん!」と何度も叫ぶコバルト。廊下で擦れ違った人々は、何となしに道を譲っていた。

 会議室や倉庫などといったドアノブに、片っ端から手を掛ける。施錠されていて開かないから、それら室内に迷い込んだとは考えにくい。行き交う人々に、「小さな女の子、見ませんでしたか?」と尋ねてみても、皆揃って首を振るばかり。

 そうこうしている内に、本部の庭まで辿り着いた。遅れてやって来た隊員たち共々、庭の隅々まで11号を探す。

点在する木造のベンチの陰を見下ろし、子どもが登れそうな木の枝の先端を見上げる。念のため、開けっ放しの窓がないか確認した。ダクトの蓋やマンホールを開き、携帯のランプでその中を照らしたりもした。

 それでも、11号は一向に見つからない。徐々に深刻な表情のコバルト。両膝に手を置き、せわしなく呼吸を繰り返す。身体の節々が、急激にむくんだような気さえした。周りに集まってきた隊員たちも、険しい面持ちだった。

 ふいに、「研究所」という言葉が、コバルトの頭を過ぎった。先程のきなくさい情報から、11号が雑音舞踏軍に攫われた可能性を考える。

「有り得る。……まっずい」

 悪寒に突き動かされたように、コバルトは一歩を踏み出す。つられて他の三人も、無意識に踏み出した。

 が、数歩進んだところで、コバルトが立ち止まる。うつむいて胸に片手を当て、浅く息をしながら立ち尽くしている。様子が変なことに気づく皆。

 コバルトは、自分の体力が、あまりないことを思い出した。深呼吸しながら、心臓の辺りに手を当て続ける。

「コ、コバルトさん、大丈夫ですか!?」

「あなたは、その……無理をしない方が……」

 二人の隊員は心配顔で、コバルトに手を差し伸べる。だがコバルトは、俯き加減で頭を振った。左手首にある、青い天然石基調のブレスレットに、右手を徐々に近づける。

「コバルトさん。もしかしたら、雑音舞踏軍の仕業とも知れない」

 三人の中で最も年齢が高い隊員が、コバルトの前に立つ。

「体力がない状態で、基地の外に出るのは危険だ。罠の可能性もある。我々を誘き出すことを目的とした。ここは我々に任せて、コバルトさんは――」

 

 言葉を遮るように、コバルトは左腕を突き出した。一瞬訪れる沈黙、重々しい空気。

払拭するように、コバルトは右手で、左手首にあるブレスレットを外した。そのまま右手首に付け替えたそれは、コバルトの変身アイテム【ナナド・ナクテ】。

「詩人伝承……ポエトリーチェンジ」

 虚空を睨んで呟いた。直後、水が沸騰のような音が、微かに鳴り始めた。

「こ、これは……!?」

 一番若い隊員は、驚いて一歩引いた。ブレスレットが振動しながら、スライム状に変化している。一粒、また一粒と水粒が空中で飛び出しては、急速に膨張する。

 先程、11号の前で水のお魚を生みだしたように、無数の水粒は輪郭線だけの鰯大の魚群となる。渦潮をつくるように、コバルトの周りを泳いでいる。魚群が七回転した頃合には、コバルトの姿は完全に見えなくなっていた。魚を形作る水が余りにも綺麗すぎて、鏡面反射しているのだ。

七度・・、回転か……」

 歳で言えば中間の隊員が、静かに呟く。コバルトを覆う魚群は、木の葉が空に舞い上がるように、周りながら上昇する。赤幕を引き上げるように、足元から徐々にコバルトの姿が、露わになっていく。

 水に濡れた銀のブーツ、照り返す光は隊員らを釘付けにした。魚群の上昇に合わせて、鮮明な青のスキニーズボンや、ブーツと同じ色のヒーローベルトが見えるように。細いウエスト部分は黒いレザー。そして、タイトな形のコバルトブルーの胸パーツには、波で滲んだ砂浜の文字のような、『31230』が白色で。両肩には、ころんとした銀のパーツ。

 ついに魚群が、空の青に溶け込んで完全に消える。黄色く丸い耳のパーツ、雫三滴を象った額の白エンブレム。頭頂部にある球状の触角二本が特徴的だ。ちびっ子たちがこのスーツを見たら、「わたしもきたい!」と言い出しそうな可愛らしさだ。

 

「これで一時間は持つ」

 変身を終えたコバルトは、静かに呟いた。

「……分かった。もう引き留めはしません」

 壮年の隊員は、重々しく頷いた。

「繰り返しますが、雑音舞踏軍との交戦が予想される。手分けして女の子を捜索するべきだが、同時に襲撃された際、地の利を得られる配置であるべきだ」

 他の二人の隊員は、賛同するように首を縦に振る。

「コバルトさんは、基地付近の遊歩道の捜索にあたって貰えますか? あそこは海に隣接している。コバルトさんは、水辺での戦闘ならば、敵無しですから」

「了解しました!」

 それだけ言うと、コバルトは全速力で走り出した。

「私は情報班に、監視カメラの映像などを見せて貰えないか、掛け合ってくる」

「では、自分は市街地に赴きます、日頃、現場検証などをしているから、市街地における死角・・ならば熟知している」

「ぼ、ぼくは念のため、基地の中を隅々まで!」

 最低限のやり取りを済ませた三人は、三方向に散り散りになって駆け出すのであった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 湾岸沿いの遊歩道。コバルトは、両手を大きく広げて走る。

 朝の散歩やランニングには遅いし、ランチタイムにするにはまだ早い。ましてや平日、人っ子一人見当たらない。

「11号ちゃん、いたら返事して!?」

 対岸の市街地にまで届かせるつもりで、声を張り上げる。返って来るのは、石畳を蹴る音や、小鳥の鳴き声ばかり。

 水溜まりを踏み抜いた。昨晩の雨の名残が、そこかしこにある。ヒーロースーツに滴った水飛沫は、一瞬ソーダライトのような小粒となった後、静かに落下して石畳に転がる。その宝石言葉は『恐怖心の払拭』、夢や目標への前進をサポートする、霊性の具現。

 依然息は苦しく、一度立ち止まれば動悸を思い出すだろう。だけど、水溜まりを踏み、泡のような水粒が舞い上がる刹那、母なる海に抱かれた光景を幻視するのだ。心身の邪気を、浄化してくれるような、幸せな夢から醒めた際の安心感。

 だから、トビウオのようになって、突き進むことができる。

 

――走っていいの? お前――

 唐突に、変声期のような掠れのある低い声が響いた。肉声ではない。空耳だ。出た、と思う。

 【彼】と会うのは初めてではない。。自在に空耳を操り、その上自らを不可視に出来る。厄介な併せスキルを持つ、戦闘員パリピーの一員だ。名乗ってくれないので【彼】と呼ぶ他ない。

(……「走っていいの?」って何だ、コバが体弱いこと知ってんのかな。まさか)

 後ろ髪ならぬ、真ん丸い触角二本を引かれるようで、コバルトは思わず立ち止まりそうになった。

(無視だ、無視)

 そのまま走るコバルト。目的は11号だ。余計なことに構っている暇はない。それが【彼】に関するトラブルならば、尚更。

――探し物はさ、白い髪の女の子?――

 キッと足を止める。はったりか、何か知っているのか。真剣に問いかけるコバルト。

「《こ》子供の行方を《お》教えて頂けます? 《す》すぐに」

 コバルトの目には見えないが、【彼】は近くにいるはずだ。ステルス能力で、姿を消しているのは分かっている。隙を狙って、不意打ちを仕掛けようと企んでいることも。

――あーあ、立ち止まった。残念でーした――

 【彼】……つまり†卍†ダガーマンは、淡々とした嘲笑を聴かせる。次いで耳に入ったのは、何かが風を切る音。例えば、空港に着陸しようと、飛行機が迫ってくるような。

 地面には影が映っていた。巨大なゴシック体の平仮名の影。†卍†はステルス状態のまま、空を仰ぎ見る。

 青チョークの塊のような、巨大な《こ》と《お》と《す》が降って来る。一つ一つが、縦横共に人二人横たえた程の規模。コバルトのしりとりによって現れた、【青天の霹靂】だ。

「え、おい、待て」

 慌てて肉声が出る†卍†。斜め後ろからだ。目視できないと分かっていても、コバルトはそちらに向き直る。

 直後、三つの巨大な平仮名が、地面に激突した! 太鼓のような轟音を立てながら、派手に砕け散った《こ》《お》《す》の三文字。散った粉塵が水蒸気に変わり、すぐに辺りは霧に包まれ、†卍†の輪郭を浮かばせた。

 

「しりとり……してたか……?」

 浮かび上がった†卍†の輪郭は、中学生くらいのサイズであった。

「《か》会話だと思ってた?」

 不敵に微笑むコバルト。やや間を置いて、《か》が更に落ちる。段々言葉遊びが楽しくなってきた。

 《か》が爆音を立てたとき、†卍†のシルエットはわざわざ耳を塞ぐポーズを取った。実際は耳を塞ぐほどの爆音ではないが。

「何か知ってるなら、はよ言え。何も知らんなら去れ。容赦はしない。今言わないと」

 しりとりを続ける内に、半透明のバイザーの下で、コバルトの不敵な笑みがエスカレートしていった。「確実に倒すためだよ」と言わんばかりの、悪役スマイルになっている。

「飛ばす。す、す、スイス、スウェーデン、デンマークあたりまで飛ばす」

 ドスを利かせた低音で捲し立てる。

「す? すー、スキル的にコバそれは出来ませんけど」

 かと思いきや、今度は声が高くなる。ふざけた調子だが、攻撃の勢いは一層激しくなり、《と》《す》《す》《でん》が矢継ぎ早に降り注ぐ! 太鼓音が轟く度に、霧は深く、より深くなっていく。

「国名の部分なしだろ」

 そうツッコんだ†卍†は、なんとかステルスは維持しているが、濃霧で輪郭がはっきり浮かんでいる。耳を両手できつく塞いで、ブロックに当たらないよう避けている。

両手を封じても難なく避けられるのは、†卍†の優れた運動神経だからこそ成せる業。だが、耳を劈く轟音が、†卍†の脳を揺らすようで、頭痛や眩暈をきたしていた。

 【青天の霹靂】は、絶え間なく降り注いでいる――。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 月白が現場へと駆け急ぎ、コバルトが†卍†と交戦しているのと、同時刻。白藍は喫茶店内にて、雑音舞踏軍のパリピーたちを相手に、大立ち回りを繰り広げていた。

 花瓶は割れ、窓ガラスも割れ、皿やコップすらも割れている。白藍は先程、「弁償代はいくらでしょうか?」と呟きながらそれらを見回していた。気を散らし、暴走を抑える為に。

 五人程度で白藍を取り囲むパリピー共。投げられた際の打撲傷や、詩刃で切りつけられた裂傷の数々。しかし、戦闘不能に陥るほどの重傷は、誰も受けていない。耐え忍ぶので精一杯の白藍には、深手を浴びせる余裕がない所為か。それとも、可愛い雑音舞踏軍を愛している所為なのか……。

 

 肘を極めながら、パリピーの一人を前方に投げた。「いでででっ!」と関節の痛みに悶絶していた彼は、頭からレジカウンターに激突する羽目になる。レジカウンターに穴を開いた彼の石頭に、設置されていたレジスターが落ちてきて、大惨事だ。「ぐえっ!」と声を上げて、頭を押さえる。

「……ってぇな、このアマ!」

 怒鳴りながら仰向けになったパリピーは、直後絶句する。

「ふふ……」

 白藍が満面の笑顔を近づけているからだ。反撃を抑止する為、彼の首筋に詩刃を宛がうことも忘れずに。

「なんだか可愛いと思ったら、パリピーさん、ここで読んだ本の主人公に似ていますね」

 楽しげに言われたパリピーは、目をパチクリさせるばかりであった。何分、首筋にナイフがあるから、下手な返答をしたら命はない。沈黙に限る。

「可愛いんですよー、その男の子。慌てんぼうでよく転ぶのに、一生懸命で……」

 なんて言いながら、白藍はやおらに詩刃を引き戻し、倒れているパリピーに背を向けた。「またかよ……」と言いながら、石頭のパリピーは立ち上がる。

(あの女、攻撃と独り言を繰り返すよな)

 他のパリピーは思考する。わざと気を取らす為に、本棚の前に立った白藍の背後に、忍び寄りながら。

「あー……どの本でしたっけ? たしか黒色の――」

「頂きィ!」

 白藍が呟いている最中を狙って、パリピーは勝ち誇った表情で、今まさにナイフを突き立てようとしている!

 

「危ない!」

 白藍が振り返ったと同時に、誰かの声が響いた。パリピーが持っているナイフが、弾き飛ばされる。その場に居た誰もが、爽やかなハスキーボイスの主を振り向いた。

 月下の過客、ポエーマン月白。既に変身を済ませており、伸びた後ろ髪や衣装などが、月白色となっている。構えた詠銃のサイト越しに睨みを利かせる、月白に染まった瞳。

 『九號・欲念を曝す月光』 カウムディー・カーマナヴァ 。月白が付ける指輪、『月輪がちりん』が変形した、アラベスク(っぽい)模様が特徴的な、大型の拳銃だ。放たれたものは実弾ではなく、詩に籠められたコトダマを、詠唱によって装填したものである。

「危ない所だったね……大丈夫?」

 歌い上げるように言った気遣いですら、月白の詠唱だったのだろうか。詠銃に新たなコトダマが装填され、「ファースト・クォーター」という音声アナウンスが流れる。

「月白さん、助かりました。ありがとうございます」

 白藍は真剣な表情を崩さずに、歩み寄りつつある月白に礼を述べた。

「ここからは僕も一緒だよ、白藍さん」

 そう言いながら月白は、白藍の隣に立つ。

「役に立つかは分からないけど」

 月白が苦笑い気味に言うと、白藍は謙遜するように、同時に本音を吐露するように、はにかんだ。

「いえいえ、そんな……心強いです」

 

「ヒャヒャヒャ! 増えたところで同じだァ!」

 弾き飛ばされたナイフを回収したパリピーは、弱味を隠すように大声を発した。「そうだそうだ!」「ヒーロー気取りしやがって!」「テメェが来るのを待ってたんだよぉ~!」などと、他のパリピーどもも野次を飛ばす。もしかしたら、彼らなりに仲間と励まし合っているのかも知れない。

「こっちも負けるわけにはいかないんでね」

 月白は銃口を、最も近い距離にいるパリピーに向ける。

「余裕ぶってるそちらこそ、危ういんじゃないんですか?」

 白藍は詩刃を逆手に持ったまま、両手を真っ直ぐ突き出す。

(白藍さん、顔が強張っているなぁ……)

 月白は白藍を脇見した。白藍は戦闘中にも関わらず、余所見をしたり歌を口ずさむ癖があるが、月白はその理由を知っている。暴走を抑える為だ。きっと彼女は、自分が駆け付けるまで、感情に呑まれまいと耐え忍んでいたに違いない。

(何か気が紛れる話でもしようか)

 そう思って月白は、急にパッと和やかになった。

「あ、そういえば白藍さん。この前渡したマカロン、どうだった?」

「はぁ!?」

「おいィィ!?」

 脱力感が過ぎて、パリピーどもは全員ずっこけた。

「はい、とても美味しかったです!」

 月白につられて、白藍も和やかになった。

「それは良かった! また今度持って行くね」

「是非ぜひ! 今度は月白さんも一緒に食べましょうよ!」

 普段から仲良しな二人の、脱力気味な日常会話を見せ付けられて、パリピーたちは憤慨する。

「お喋りしてる場合か!」

 一番近くに居たパリピーが、キレて突っ込んで来た。

 

「はいはい……急かさないでね!」

 既に詠銃を撃つには間合いが近すぎた為に、月白は体術で応戦した。重傷を負わせないよう、急所を避けてのパンチやキックの連打。パリピーはモロに喰らっているが、あまり怯まない。

 おおよそ、武術の心得があるとは思えない、粗雑なモーションのパリピーの水平切り。月白は、身体をくの字にしながらバックステップ。華麗に回避する。

「二人居るの、忘れないでくださいね!」

 この数秒の間に、白藍は詠銃を手に取っていた。あやめの花を象った、リボン付きの小型ピストル。

 白藍は詠銃で、攻撃を外したパリピーの、後隙を狙い撃ちする。薄紫の花弁を押し固めたような小粒が、パリピーの胸に炸裂! 彼は「うがぁ!?」と大きく仰け反った後、その場で蹲った。

「テメェら! 今から手を抜いたヤツはお仕置きだかンな! やっと本命のヤツが現れたンだ!」

 ガスマスク男が怒鳴ると、部下たちは「は、はいィ!」と奮起した。それまで負傷を恐れて、及び腰になっていた部下たちだが、上司からのお仕置きはもっと恐ろしい。

 嫌な仕事を押し付け合うように、一人ずつ前に出ていたパリピーどもは、全員で突撃を仕掛けた! 白藍を庇うように立ち回る月白は、側面から来た一人に、羽交い締めにされた。時間差で正面に来た二人目は、身動きできない月白の腹部に前蹴りを入れる! 僅かな苦悶を見せる月白。

 月白への誤射を防ぐためにも、白藍は若干横方向に移動した。そして、月白に二発目の蹴りを入れようとするパリピーの、片足を狙って詠銃で撃つ! 片足立ちになっていた彼は、軸足を崩され、その場に転倒。その隙に、月白は羽交い締めにする背後のパリピーに、肘鉄をお見舞いした。

 と、テーブルの上に乗り、更にジャンプしてから襲い来る三人目が。そいつは、高所から白藍の胴体を踏み付けるようにして、全体重を以て押し倒す。反応がおくれた白藍は、「きゃあ!?」と声を上げる。羽交い締めにして来たパリピーと、取っ組み合いになっていた月白は、ハッと振り返る。

 白藍にマウントを取ったパリピーは、ナイフを彼女の顔面に突き立てようとしている……! 月白は、縺れ合っていた相手を押し飛ばすや否や、助走を付けた。手近にあった椅子を、踏み台代わりにしてジャンプ。

 今まさに、ナイフが振り下ろされようとする刹那。急降下しながらの強烈な跳び蹴りを、馬乗りしているパリピーの顔面にブチ当てる! 馬乗りの奴は「あがァ!?」と吹き飛ばされ、背中から壁に激突。

 月白が着地し、解放された白藍が身体を起こしつつある。その一瞬の隙を狙って、他のパリピー共は、ありとあらゆる物を投擲し始めた! (店にある食器としての)ナイフをダーツみたいに投げるわ、お玉やフライ返しを手斧みたいに投げるわ、コーヒーソーサーをフリスビーにするわ。

 回避する程の隙間が無いため、月白と白藍はガードを固める他なかった。パリピーどもが持参した、戦闘用のナイフが刺さるよりは、受ける傷は微々たるもの。が、それでも無数に浴びせられるならば、力尽きるのも時間の問題だ。

(まずいな……二人の技の系統は似通っている……。僕の体術戦だけでは、彼女をサポートできない!)

 交差させた両腕に隠れた月白の顔は、焦燥感が滲み出ていた。緩やかに、されど確実に奪われる体力。

(『月光浴』を使うしかない。だけどあのガスマスク、昨日流されて行った奴だよな? 耐性ができていたら厄介だが……)

 

「ヒャッハー! 体育の通信簿1だったかァ!? ポエーマンさんよぉ!」

 調子に乗ったパリピーどもは、馬鹿笑いしている。食器などが弾切れになったら、ボールペンやメニュー表、チェアクッションなどを投擲する。当たっても殆どダメージにならない攻撃、世間ではそれを挑発行為と呼ぶ。

「うっしゃあ! ブッ倒しちまえ!」

 完全に投擲物が無くなった頃を見計らって、ガスマスク男が叫んだ。騒ぐのが好きなパリピーどもは、「ィヨッシ!」「ヒャヒャヒャ!」「OK!」などと騒音を発しながら、四方からポエーマンズに突撃する!

『其処は、白き嚆矢の地。浸透するは淡青のヴェヰル』

 月白は、眼前で交差させていた両腕を、舞台の幕を開く座長のように、勢い良く横に広げた。

(お! 月光浴ですね!)

 すぐ傍に立つ白藍は、詩の詠唱が始まったことに気付く。

『届く事なき煌星目掛け、極夜の空にて風と成る』

 詠唱を完了させて堪るかと、矢のようにパリピーどもが突っ込んでくる。白藍は、彼らの進路を妨害するように、床を狙って詠銃を何発か撃った。足下で散華するあやめの花を見て、反射的に立ち止まってしまうパリピーども。

『清風は城塞へと到りて群衆を導かん。誉れ高き彼の者、今こそ幾百の聲を掬う時』

 にわかに月白の背後が、夜の帳を背負ったように暗くなる。間もなく詠唱が終わると悟ったパリピーどもは、再び突撃を開始した! 足止めしようと、白藍はトリガーを引くが……。

(ない……!?)

 銃口から何も出てこない。冷や汗をかく暇もなく、パリピーどもが月白に押し寄せる!

「届いてくれ……『月典詩/序ノ譜』!」

 間に合った。一か八かの月光浴。背負った夜の帳が広がり、カーテンを翻したかのように、周囲の空間を染め上げた。喫茶店の天井は消失し、月白色の満月が中天に鎮座する。月白を取り囲むパリピーどもは、我を忘れて狂月を見上げる。

「おい、テメェら! 月を見るな! 目を閉じろ!」

 ガスマスクの奴が叫ぶ。彼は昨晩、月白が召喚した月を見上げていたら、いつの間にか海にダイブしていた。泳げないから必死に漂流物にしがみついて、対岸まで流れ着くまでの数十分、どれほど恐怖したことか。必ずや月白に復讐すると誓ったのだ。

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 月白の朗読に対抗し、ガスマスク男は目を閉じたまま、凄まじいノイズ音を放出した! 騒音こそが、雑音舞踏軍の命の源。月に魅入られたパリピーどもは、狂気に身を任せるすんでのところで、ノイズ音によって正気を保っている。

 

 ねえ、もしも私が死んだら
 泣かないと約束してくれますか
 悲しまないと約束してくれますか

 

 白藍がしっとりとした声で、朗読を開始する。

 

 生きる意味は人任せになってしまったから
 死なない理由だけは私から奪わないで
 私の「死なない理由」にならないで
 そして私をあなたの死なない理由にしないで

 

 物悲しさを声に篭めながら、降り注ぐ月光を浴びる月白の、隣に並び立つ白藍。ガスマスク男が放つ騒音は、果てしがない月夜に吸収され、彼方からの残響のように聞こえる。むしろ雨音のようにさえ思えて、白藍の朗読をより悲哀に彩る。

 

 神様、もしも居るならどうか
 私のお願い事を聞いてください叶えてください
 ダメだと言うなら

 

 白藍は朗読しながら、詠銃を空に向けて放った。途端に、地上は桜の木で埋め尽くされた。枝に芽吹いた花芽は、万華鏡を回すかのように、一瞬で満開となる。月光に曝され、花弁は誘うように妖しく煌めいている。

 

 せめて素直に死なせてください
 もしくは残酷に殺してください

 

 散るは花弁、儚く悲愴に。満月の下、そよ風一つで無為に散華する無数の生命は、見惚れるパリピーどもの胸中に、ある感情を刻み付けていた。

 

 道端のタンポポがひっそり枯れていくように
 蜻蛉の屍が、雑踏の中で踏み砕かれるように
 誰も知らないうちに、消えるように

 

 桜、そしてタンポポや蜻蛉と同様に、自らが朽ち果てる光景が脳裏を過ぎる。全ての者に、等しく静寂が訪れるならば、俺たちが騒ぎ続ける意味は一体なんだ? パリピーどもは、さっきまでのハイテンションが嘘のように、ネガティブな心情に支配された。

「ヒャッハッハッハ……スミマセン、スミマセン!」

 悲劇のクライマックスの如く、両手で顔を覆い膝をつく者。

「なんで俺は、ヒトのモンぶっ壊したんだ?」

 破壊された食器の破片を掻き集め、涙を流す者。

「女の子に手を上げるなんて、クズ男じゃないかっ……!」

 桜の大木にヘッドバッドを繰り返し、自らを痛めつける者。

 輪になって、のたうち回るパリピーどもの中央にて、月白と白藍が目を閉じたまま佇んでいる。舞台の幕が下ろされるまで、もののあはれを漂わせるように。

「んあ~桜キレ~」

 誰かの暢気な声で、両ポエーマンは目を見開いた。幻想の月見夜桜に立ち入った、喫茶店の椅子と、そこにぐでぇと座る一人のパリピー。どこに隠し持っていたのやら、カップ酒片手に花見を始めている。

「なにテメェだけカップ酒キメてんだあ!」

 ノイズ音で抵抗していたガスマスク男が叫ぶ。手近にあった分厚い本を、なかなかに精神屈強な部下に投げ付ける。

「へ? あ、なんかぁ、キレ~だなと思ってぇ」

 頭部に本の角がぶつかっても、相変わらずな精神屈強奴。

「月に~桜? そして朗読? いやー久々だな~外で酒とかぁ? ……あー、たーのしー。うん。うん~」

 そう言って、ずずずーっとお酒を飲み干した。

「まともな(?)見物客が居る……」

 ゆっくり瞬きしながら、後頭部を掻く月白。

「……あら」

 白い目つきで、酔っ払いを見る白藍。

「こうなったらアレですね月白さん」

「そうだね」

 二人はキリッとした表情になると、何やら手をワナワナさせながら、花見と洒落込んでいる奴に近付いていく。

「わ~っこちょこちょこちょこちょ~♪」

 月白と白藍による合体技、くすぐり攻撃!

「!? アハハハハ、や~め~ろ~! ひい~~~~~~!!!!」

 精神屈強奴は、大した抵抗を見せず、容易に椅子から転げ落ちた。物理的にやられてピクピク倒れてる精神屈強奴。ゼエハアしている。

「何やってんだ、テメェら……」

 ガスマスク男は、呆れてものも言えない。「どうだ~!」「どうだ~!」となおも追撃し、「うわあ~~~~wwww」ともだえ苦しむ精神屈強奴。

 

 霧が晴れるように、徐々に幻覚が消え、現実世界の輪郭が取り戻されていく。半透明の夜桜と喫茶店が重なり合った空間で、突如、薄白い光が現れた。そこから、小さな女の子が飛び出してきて――。

「わあ、おはながいっぱい」

 11号だ。ウェーブのかかった白いロングヘアに、細かく短いファー素材のワンピース。間違いない。

 名前も知らない花が、無数に散りゆく幻想を、11号は目を輝かせて眺めている。

「そうだなあ。今日の月光浴は華があって……」

 月白は、精神屈強奴をくすぐりながら、一瞬だけ背後を振り振り返って言った。

「えっ」

 くすぐり攻撃を中断して、二度見した。コバルトに預けたはずの11号が、喫茶店の中央に立っている。

「あれ。もしかして、逃げ遅れた子?」

 白藍もくすぐり攻撃を中断して、見知らぬ女の子を見た。朝に喫茶店に入ってから、今の今まで、この子を見た覚えはないのだが……。どうしよう、今の戦闘に巻き込まれていて、怪我でも負っていたらどうしよう。思わず白藍は駆け寄る。

「11号ちゃん、どうして!? というか、コバさんは?」

 ほぼ同時に、月白も11号に駆け寄った。この子をコバルトに預けたつもりで急行したため、状況がいまいち掴めない。まさか、こっそり後をつけてきたとでも?

「コバさん、いないよ~」

 無邪気に答える11号。そこに、目線を合わせるため、屈み込んだ月白の顔が、11号の目の前に現れる。

「……おにい、ちゃん?」

 あやかしのように伸びた長髪、そして着ているスーツは、月白色に染まっている。驚きで僅かに口が開かれた、端正な顔立ち。その面影によって、昨日助けてくれたお兄ちゃんと同じ人だと、11号は辛うじて認識できた。だが、11号の表情は依然として、どこかで圧倒されたような色が見える。

(おおっと、ラッキー。ターゲットのガキだ)

 ガスマスク男は、無言のまま懐に手を伸ばす。

(まずガキを確保して、人質作戦なり何なりやるか。最悪、ガキを連れて帰れば、ノイジー様にお仕置きされずに済む)

 彼が手に握ったのは、信号拳銃のような形状の拡声器。11号を捕獲する為にと支給された武器で、一発しか撃てない。切り札を使うならば、今が絶好のチャンスだ――。

 

「え、ええと、月白さんの身内の子ですか?」

 月白の横から白藍が尋ねる。「おにいちゃん」と呼んだからには、きっと月白の身内なのだろう。

「うん。姪っ子ではないけどね!」

 白藍に言われるよりも早く、月白は否定した。さっきコバルトに「姪っ子?」と聞かれたことを思い出しつつ。

 月光と夜桜が半透明になったことで、一部のパリピーどもは正気を取り戻し、回復しつつある。傷が酷い奴らは、地面に伸びて動かないでいるが、継戦に支障がない奴らはゆっくりと立ち上がる。

 ポエーマンズの傍に、見知らぬ女の子が一人増えていることに気がつくパリピーども。「あのガキか?」「多分そう」「ッシャアア!」「やっと見つけた!」「囲め、逃げ道を塞げ!」と、意思疎通を図る内に段々とテンションが高くなる。

 パリピーどもは、三人の逃げ場を奪うように包囲した。背中合わせで立つ月白と白藍。そして、護られるように、二人の間に立っている11号。両陣営とも動く気配はない。何とか隙を見つけようと睨むパリピーどもと、11号に近づけさせまいと迎撃体勢に徹する月白と白藍。

「おいおいおい……奴さんの方から来てくれるとはよォ!」

 ガスマスク男は、銃のトリガーガードを指に引っかけ、クルクルと回している。11号を中心点として、弧を描くように移動。月白や白藍の陰に、11号が隠れない位置を取る。

(まずい……!)

 スピーカーのような銃口を、側面から向けられた月白は、咄嗟に11号を抱きかかえて守った。直後、黒板を引っ掻くかの如く強烈な不快音が轟き、スピーカーから視認可能な衝撃波が放たれた! 実銃で言えば薬莢に該当する、筒状のラジカセテープが排出される。

「きゃあ!」

 月白に庇われた11号は、その薬莢が桜の花弁よりもゆっくり落ちるように体感した。砂嵐にも似た衝撃波は、月白の背中に命中する!

「月白さん!?」

 白藍は思わず片手を伸ばした。

 

「うっ、ぐっ……!」

 物理的な痛みは、すぐには生じなかった。しかしながら、まるで夥しい数の蟲が体内に侵入したように、吐き気を催すかゆみが血管の中でのたうち回る!

 11号を抱いたまま蹲り、かなり痛そうに顔をしかめる。全身は電気のような砂嵐に覆われ、微かに震わせる。外部から見れば、高圧電流を浴びて死にそうになっているのと、何ら変わりがないのだ。

「……おにい、ちゃん……!?」

 11号は、今にも泣き出しそうだった。

「大、丈、夫、だ……よ……」

 諭すように月白は言ったが、微笑んであげることが出来ない。視界がぼやけ、あろうことか前後不覚の症状まで発している。ついには、脳味噌がミキサーで切り刻まれているような、想像を絶する頭痛を来たす。片手で頭を押さえる月白だが、11号を抱える片腕は、意地でも動かさない。

「チッ。大人じゃ脳味噌ブッ飛ぶまで、時間が掛かるか」

 ガスマスク男は、弾切れになった拡声器を、八つ当たり気味に月白に投げ付けた。

「でもよぉ、テメェがヒィヒィ言ってんのは、マジ受けるんだよなぁ!」

 唐突にガスマスクは走り出した。今までのお返しと言わんばかりに、蹲る月白を蹴り飛ばすつもりだ。

「させません!」

 察知した白藍が、ガスマスク男の行く手を阻んだ。ガスマスク男に組み付き、相手の勢いを利用して投げ飛ばそうとした。が、ガスマスク男はそのままショルダータックルをかまし、白藍を壁に押し付ける。月白を庇うことはできたが、自分がガスマスク男と取っ組み合いを始める羽目になった。

「ヒャハー! クソダセェ!」

 付け上がったパリピーの一人が、蹲っている月白の顔面を蹴り飛ばした! あえなく仰向けに倒れた月白だが、11号に覆い被さるよう、すぐにうつ伏せになる。

「ガキを渡すんだったら、許してやってもいいぜ~?」

 他の一人は、月白の後頭部を踏み付けながら言った。

「誰が……渡すもの、か……!」

 物理的な暴力で打ちのめされる月白は、いよいよ重傷を通り越して、致命傷が危惧される段階までに陥った。

「おにいちゃん……!」

 11号が涙声で漏らすと、月白は彼女を抱える腕に、残る全ての力を篭めた。

「ポエーマンって、お子ちゃまなんですねぇ。いい歳こいて、ヒーローごっこが卒業できないなんて」

 また別の一人が言う。終いには、一人が月白の空いた腕を地面に押し付け、他の一人が取り落としたナイフを握り、それを月白の小指に近づけた。

「んじゃ、駆け付け一本、いっちゃいまーす!」

 ナイフを持つ奴が、ふざけながら宣言すると、パリピーどもは「ウェーイ!!!」と狂喜乱舞した。

 

 パン! と銃声が鳴った。パリピーどもが振り返ると、半透明の月夜に、銃口を向けていた白藍が。取っ組み合っていたガスマスク男は、白藍が辛うじて投げ飛ばした為、地面に倒れている。

 

 からからと
 ビニール傘に踊る音

 

 一瞬の好機を逃さず、白藍は祈るポーズで朗読を開始した。「あ?」「さっきと違う詩だ」「何が起こる?」と、身構えるパリピーたち。深呼吸しながら、白藍を監視する。

 

 無地の傘すぐ水玉に染まる
 無味乾燥なコンビニのビニール傘

 

「???」「何も起こってなくね?」と顔を見合わせるパリピーども。ふと、一人が「もしや……」と月白を見下ろすと、彼の怪我が徐々に治っていることに気がついた。彼だけに降り注ぐ音符型の雨によって、殴られて変色した箇所は元の色になり、全身を覆う砂嵐のようなノイズは無くなっていく。

 

 空見上げてため息をつく女子高生
 でも、一歩進めば音符が跳ねて
 水玉模様にほら早変わり

 

 放置してはまずい。「とめろおおおおおおお」と、立ち上がりながらガスマスク男が叫ぶと、敵の攻撃の矛先が白藍に向いた。一番近間にいたパリピーが、跳び蹴りを繰り出した。白藍は胸にマトモに受け、詠唱は中断される。

 白藍は転倒したが、後方回転で受け身を取って直ぐに復帰。すかさず、11号を庇っている月白を確認した。完治には至らなかったが、致命傷は免れた月白。白藍は安堵した息をついた。

「ありがと……」

 月白の弱々しい声を、確かに聞き取った白藍は、神妙な面持ちで頷いた。

「回復技も使うのかよ。邪魔だな、先に消しとくか」

 そう言うと、パリピーどもは白藍に集団で殴り掛かった。手柄を目前にして、彼らも本気だ。数人がかりで容赦なく畳みかける。白藍は、捌ききれないパンチやキックを、何度も受けてしまう。

 うつ伏せのまま月白は、怖くて涙を流した11号を抱き抱えたまま、詠銃で牽制、応戦する。後ろから撃たれるパリピーどもは、体勢を崩されたりするが、月白には構わないでいる。真っ先に、白藍を潰すつもりでいる。完治しない内に、身体を無理に動かすから、月白の傷が再び開いていく。

(困ったなあ。これじゃあ暴走する事もできないけど……ここで隙を作る訳にも……)

 普段は暴走しないよう、気を散らしながら戦っている白藍。だが、唯でさえ敵の攻撃は苛烈を極め、月白が負傷し、11号もいる今、その余裕は一切ない。白藍にとってかなり戦いづらく、危ない状況だ。

「そらよッ!」

 味方が白藍の動きを封じている内に、一人のパリピーが椅子を武器にして、白藍を殴打した! 容赦のない一撃を顔に受けた白藍は、月白のすぐ傍に倒れ込む。間近で顔を合わせる形になった。

「すまない、白藍さん……」

 月白はかなり苦しそうな顔で、耳打ちするように言った。

「月白さんはお気になさらず。私は全然平気ですから」

 白藍の返答には、強がりが入っていた。

「おねえちゃん……」

 立ち上がる中途、白藍は視界に捉えた。月白の腕の中から、「たすけて」という表情で見つめてきた11号を。

(どうしよう……助っ人が現れてくれたら……それとも、暴走出来たら……)

 11号を守らなければ。その想いは強くても、不安が先立って仕方がない。パリピーどもは首を捻り、指の骨を成らし、得物で自らの肩を叩き、ナイフの切っ先を向ける。今更ながら、その数の多さに圧倒される。

 

「テメェら! 何もたついてやがるんだ!」

 優勢にも関わらず、白藍を仕留めきれない部下たちに苛立ち、ガスマスク男はカウンターを乱暴に蹴った。

「もういいわ、役立たずどもが! オレとコイツで始末してやらぁ! 今から全力でブッ放してやる! テメェ、オレが食い止めてる間に、ブッ飛ばしてこい!」

 ガスマスク男は、未だに地面に伸びている精神屈強奴を、指差しながら言った。

「へ……?」

 だらけた表情で見上げた部下の、返答を待たずして――。

「とっとと落ちな」

 そう言って、ガスマスク男は、身体を限界まで反らして、肺が破れるくらいに空気を吸い込んで――。

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 恐るべきノイズ音が放たれる。先程とは、比べものにならない威力だ。床に散らかった、窓ガラスや食器の破片が、地震に見舞われたかのように震えるや否や、爆発する!

「オイィ!? 巻き添えかよォ!?」

「手加減してくださいよー!」

 部下のパリピーどもは、花見を決め込んでいた一名を除いて、上司のノイズ音に悶え苦しんだ。味方に被害が及ばないような、調整や配慮といったものを蔑ろにした、全てを破壊し尽くす意思だけで満ちた、全力のノイズ音。一人、また一人と、パリピーどもは気を失い、バタリと倒れる。

「うぅ……」

 か細い声を漏らした直後、11号は気絶してしまった。

「11号、ちゃん……!?」

 月白は11号の頬に手を当てようとしたが、寸でのところで彼も気を失ってしまう。万全の状態ならいざ知らず、深手を負っている月白には、耐えられなかった。

「だ、大丈夫ですか!?」

 白藍はぎょっとした。それまでは、ガラスが砕け散って、凍て解けの大地みたいで美しい、などと気を散らしていた為に、平常心を保つことができた。が、仲間の危機を目の当たりにすると、あらゆる臓器が鉄ヤスリで削られる不快感が、一瞬にして白藍の身体を覆い尽くす!

(あの猫ちゃん、仲直りできたかしら……)

 痛みから逃避するように、今朝の小さな出会いに思いを馳せる。それは、戦術的に価値のある行動だった。

(まあるい雲、少し林檎に似てる……)

 辺りを見回し、微かに鼻歌を歌っている。そうすると、多少は臓器が削られる感覚が、遠のくような気がした。ガスマスク男のスタミナが切れるまで、そうやって気を散らす。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 やがてガスマスク男は息を切らし、ノイズ音も鳴り止む。彼は両膝に手を置いて、肩を激しく上下させ、額からは汗が滴り落ちている。

「ヤッたか……?」

 ガスマスク男は、ゆっくりと顔を持ち上げた。

「ぅあ~んあたまいた~い、あはは~ん」

 精神屈強奴は、椅子に座ったまま、ぐるぐると上体を回してヘラヘラ笑っている。ガスマスク男のノイズで、気絶寸前まで追い込まれたのか、それとも酒が回ってきたのか……。

「!? うおおい!? テメッ……何のために連れてきたと……!」

 その怒鳴りつける声で、白藍はハッと我に返った。白昼夢のように、まあるい雲の景色に引き込まれ、そのまま帰って来れなくなる所であった。片手を胸に当て、体内の澱みを吐き出すように、深呼吸を繰り返す。

「へっへ……一騎打ちかよ」

 なんて述べながら、ガスマスク男は精神屈強奴が座る椅子を蹴り飛ばした。座っていた奴は、椅子共々その場に転がった後、ピタリと止まる。

 手をわなわなと動かしている、ガスマスク男の目は笑っている。「まあいいや、手柄独り占めだぜ」と言わんばかりだ。

「ふふ。むしろ好都合です」

 白藍はガスマスク男の瞳を、真っ直ぐ見つめた。鼻歌はすっかり止まっていた。微かに頬が染まったように見えたのは、ガスマスク男の見間違いだろうか。

 好都合。それは強がりでもなければ、はったりでもない。心置きなく暴走できるから、白藍にとっても好都合なのだ。

 月白(と彼の連れ子ちゃん)には申し訳ないが、共闘が成り立たないという暴走状態のデメリットも、今なら無視できる。そして、上司でありながら、白藍が懐いている雑音舞踏軍さんの方々に、酷いことをしたガスマスク男相手ならば――オーバーキルしたところで、一切心が痛まない!

「いい夢見させてあげますよ……私を信じて、ゆだねてくだされば」

 

   ◆   ◆   ◆

 

「コバのもう一つのスキル、ご存知でしたっけ?」

 一方、遊歩道で対峙しているコバルトと†卍†の戦闘も続いていた。両者とも、まだ決定的なダメージは被っていない。

 濃霧が展開される中、不意に手を天に掲げるコバルト。変身時と同じようなゴボゴボ音、手のひらにスライム状の水が現れ、銃の輪郭を形作り『詠銃』になる。グリップの色はコバルトブルー、他の部位はシルバーを基調とした、コンパクトで女性にも握りやすい自動拳銃だ。

 濃霧に浮かぶ†卍†のシルエットに、コバルトは銃口を向ける。直後、詠銃の先からシャボン玉みたいに水粒が出て、無重力空間に放たれたように浮く。水粒は空中で形状を変え、水のお魚五匹に変わり、コバルトの肩や指にくるくるじゃれる。

「なんだ、それかよ。『ちっこいお魚ちゃん』が数匹出るだけのスキルだろ?」

 嘲るように言った†卍†だが、少しほっとしたのが隠せていない声色だった。水のお魚と霧は併発しない。濃霧は晴れつつあり、よって浮かび上がっていた†卍†の輪郭線も、秒刻みで細くなっていく。

(まずい。海に頼りすぎた。【彼】にはこれ・・じゃない)

 コバルトは、大きなミスをしでかしたと悟った。水のお魚で狙い撃ちにしようと思ったが、よく考えればステルス能力を使う敵には不向きだ。そもそも、霧を解除してしまえば、目視が不可能になって、逃げられてしまう。

(いや、だからって【青天の霹靂】でもない。あれは彼の位置が分かるだけ)

 束の間、心の底から狼狽えたが、すぐに解決策を思い付く。技と技を合わせれば良いのだ。体力が持つか、と不安が脳裏をかすめるが振り払う。

「普段はね」

 不敵な表情で、コバルトは放った。同時に、シャボン玉を放った詠銃が、いったんスライムに戻り、コバルトの足元に滴り落ちる。

地面に広がって波打つスライムは、ゆっくりと巨大化していった。

「ここ、海が近いんですよね」

 そう呟いたコバルトは、無邪気に身体を震わし、真ん丸い触角二本が楽しげに揺れた。

 

『前書き』

 それは、これから朗読を始める詩のタイトルだったが、†卍†は訳が分からず「は?」と言う。

 

 知っていますか?
 カラス スイカ カモメと、
 とにかく くっつけていく遊び。

 

 朗読と併用した【青天の霹靂】によって、空からは巨大なゴシック体の文字ブロックが降って来る。朗読にもリソースを割いている手前、先程と比べてブロックの落下速度や手数は落ちている。

 落ちたブロックが濃霧を展開し、†卍†のシルエットが再び浮かび上がる。彼は難なく躱しながら、コバルトとの距離を取っていく。鳴り続ける低い轟音に、耳を塞ぎながら。

 

 ビックリなことにこの本は、
 初めから ラストまで
 伝言のように一続き。

 

 ここで†卍†は、ステルス能力の出力を最大限まで上げた。濃霧に浮かび上がっていた、彼の輪郭線が消える。出力を上げた分、かなり体力を消耗するが、見つからずに逃げるために必死なのだ。

 巨大化する地面のスライムは、車輪を形成し、防盾を形成し、砲身を形成し――カノン砲のシルエットを少しずつ創り上げる。地面に対する砲身の仰角が大きく、砲身が太い、近代的なカノン砲だ。

 

 切りがないしりとり。
 リトミック万歳。
 イエア、遊び心だらけ!

 

 詠唱が終わり、カノン砲が完成した。シルエットのみだったカノン砲には、獲物に食らい付く猛獣の口のような砲口や、砲架、土台などといった細部のパーツが出来上がっていた。

 

 地響きが鳴り、大砲から巨大な水球が放たれる。深海、だけど微かな陽光に温められたような、コバルト色の水球。

 それは、石鹸が泡を立てるように穏やかに、それでいてあっという間に分裂し、鰯大の水の魚の群れとなる。コバルトの周囲を遊泳していた五匹も併せて、まるで一つの巨大な鮫となったように、群れはむくむくと大きくなる。

 しかしながら、恐ろしく高い身体能力を誇る†卍†、飛来する魚群を次々と避ける。霧やブロックのせいで、ずぶ濡れになって、身体が重いにも関わらず、まるでシャッフルダンスを踊るように、小刻みで素早い動きだった。

 仮にステルス能力を失い、コバルトが†卍†を目視できる状態だったとしても、全弾避けられるという結果は変わらなかっただろう。とは言え、†卍†の動きを制限する目的は達成できている。本命の一撃が、コバルトにはある。

「くらいやがれ、【魚形水雷】―ッ!」

 コバルトの声に呼応して、遊歩道の側の海から、鯨のシルエットをした巨大な水が登場した。鯨が宙高く舞い上がった時に、滝壺付近のように激しく水飛沫が舞い散り、濃霧に僅かな切れ目ができた。

 もしも見上げれば、雲の切れ目から天国を垣間見たかのように、コバルト色の水飛沫を纏って空を飛ぶ、大きな鯨に見惚れていたに違いない。昨晩の雨上がりによる、空にうっすらと架かった虹を背にして。

(あーあ、強えの)

 魚群の嵐は止んだし、鯨の弾着までには十分な時間があった。†卍†はステルスを維持したまま駆け出し、悠々と戦場から離脱した。疲労が蓄積し、これ以上コバルトを足止めできる自信がなかった。

 遂に鯨が、遊歩道に落ちて来る! 海面でジャンプした魚が、再び海中に潜るかのように、上から下へと通り抜ける流麗さだった。辺り一帯は大洪水に見舞われたかのように、水浸しとなる。建造物や道を盛大に濡らしたが、すぐ霧になって晴れていった。

 

 南の島の砂浜が、波に濡れて一層輝くように。霧が晴れた遊歩道は、太陽の光を浴びて煌めいている。

 †卍†はとっくに退避している。それを知らないコバルトは、未だに†卍†がステルスを維持しているのだと考えた。 これだけ広範囲に及ぶ一撃なのだ。。ステルス使いは近くで、イテテーと倒れている……はずだ。

「居る?」

 当たっていればいい、倒れていればいい。そう願いながら、コバルトはひそひそ声で呼び掛けた。

 ……返事はなかった。触覚の神経を研ぎ澄まし、近くに息づかいがあるか探るが、呼吸一つすら聞き取れない。激しい運動の直後だ。息を止めているとは思えない。

「居ない。合わせ技、意味ねえー」

 深いため息をついた。†卍†を取り逃してしまい、落胆するコバルト。

「聞き出すチャンスを、判断ミスで逃した……」

 コバルトは頭を抱えた。気持ちは暗くなる一方で、同時にある種の冷静さも取り戻した。そこでコバルトは、11号を探すために、基地を飛び出してきたと思い出した。

「11号ちゃん」

 そう呟き、自分を責めるような言葉が出掛かったところで、グッと我慢した。独り言を並べた分だけ、余計に体力が吸い取られるような気がした。急に、体を酷使してはいけないことを思い出す。激しい動悸や、自分の忙しない呼吸も、思い出してしまう。

「今ので……何分経った……? 何分、使わされた・・・・・……?」

 走っていいの、お前? という言葉を思い出す。あーあ、立ち止まった。残念でーした。と、と、と、と、と。心臓の音。

 隊員用のPHSを確認する。共に捜索に当たってくれた隊員たちからの、どこそこには居なかったというCメールが並んでいる。メールの受信音に――もしかしたら、電話の着信音に、全く気が付かなかった。そもそも、言葉遊びが楽しくなってしまって、一瞬は探し出す使命すら頭を離れていた。

 思わず立ち止まったコバルトは、PHSの連絡先から月白を選んだ。

『ごめんなさい。最低なご連絡です。預かったのに』

とメールを打ちかけるが、数文字消して、

『とても心配をかけてしまうご連絡になります。いつの間にか居なくなり』

 と直したが、やはりそのまま消去し送るのをやめる。

「これだからだめだ」

 ひゅー、と息をしてしゃがみこんでしまう。そのまま倒れ伏してしまいそうだったが、気合いを振り絞る。

「だめだ、だめだ。しゃがんでいたらだめだ」

 立ち上がり、半透明のバイザーの奥で眉を吊り上げ、再び走り出した。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「でも残念です。そちらの方はお花見が好きそうでしたのに……」

 白藍は、床で居眠りしている精神屈強奴改め役立たずを、安らかな眠りに誘うように、撫でてあげている。

「一緒に見せてあげたかったなあ……命を燃やして咲く花は、とても綺麗なんですよ」

 そう繋ぎながら、満面の笑みを浮かべながら――ガスマスク男に、詩刃の先端を、詠銃の銃口を向ける。

「花だあ?」

 ガスマスク越しの、窄まった呼吸音が早くなり、やがて嘲る目的の低い笑い声が始まる。

「おー、分かった! 今からブッ殺される白髪ジジイの、墓前に供えてやろうってか? 切ねぇ話だな~オイ!」

 全くカチンと来なかった訳ではないが、白藍は精神統一に集中した。これから始まる朗読で、より強いイメージを思い浮かべる為に。

「待っていてください。今、助けますから」

 気絶している月白と11号を一瞥してから、白藍は詩刃

と詠銃を交差させ、自分を抱き締めるような体勢で、朗読を開始した。

「『転生植物図鑑 月白さんVer』です。行きます!」

「でもよぉ、残念だったな。墓参りできなくてよぉ」

 遮るようにガスマスク男が言う。

「テメェの記憶は、今ここで消されるンだからな! 水入らずの密室に連れ込んで、こいつら存分に可愛がってやらぁ!」

 白藍の朗読とほぼ同時に、強烈なノイズが放たれた――!

 

 月下美人
 胸に秘めたる情熱と
 繊細な心持つ戦士から
 育つは月下美人の花
 月の光を恋しがる
 儚い花は甘く香り
 たとえ一夜の逢瀬でも
 一緒に過ごすは真実の時
 小さな花弁と優しい風は
 生涯忘れられはしませんから

 

 白藍の朗読は、擦り切れたテープカセットのように、所々砂嵐のような音が被さっている。月白色の植物が、喫茶店の床に繁茂する――かと思いきや、嵐に見舞われたが如く、ノイズ音によって薙ぎ払われる光景。

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 朗読が進められると共に、白藍が発する音が減少し、代わりに砂嵐で覆い隠される頻度が増えた。白藍はかなり疲れている一方、ガスマスク男はさほど消耗していない。生い茂る月白色の花畑は砂塵と化し、嵐となって白藍に襲い掛かる! 外部からも内部からも、全身を削られる痛みに苦しむ白藍。

 

 ――何かしらの騒ぎを聞き付けたコバルトは、嫌な予感を覚えながら、ここに駆け付けてきた。雑音舞踏軍が暴れ回っているに違いないと。想像したくはないが、それに11号が巻き込まれているとしたら……。息も絶え絶えなコバルトは窓越しに、凄まじいノイズに満ちた喫茶店の内部を覗く。

(嘘やろ……)

 真っ先に目に入ったのは、気絶している11号と、彼女を庇ったまま同様に気絶している月白。コバルトは頭が真っ白になった。漠然とした恐怖や、うっすらとした罪悪感は、吐き気を覚える程に増大した。肝心な時に私が居なかったせいで……胃袋を縄で締め上げるような不快感が襲う。

 

 ココマグノリア
 気高さ香る美しい人の
 背に芽吹くはココマグノリア
 身体抱いて育つ木は
 太陽の下で空に枝伸ばし
 夜になれば柔らかく開く蕾
 降り注ぐ月光花弁に溜まり
 さながら白いランプのように
 闇を暖かく照らし出す

 

 白藍はここまで詠んだ直後、スタン、と両膝から崩れ落ちてしまった。そのまま床に座り込む寸前で、何とか踏み止まっているが、朗読が中断してしまった。

 窓越しに戦闘を見ているコバルトは、一目で白藍の劣勢を悟った。自分を罵るような、淡々とした妙な独り言が漏れている。ガスマスク男を、遠く睨んだ。使命感と言うよりは、罪悪感を埋め合わせたい一心によって。

(良いとこどりにきたクズみたいだ)

 下手に突っ込めば、ガスマスク男の攻撃に巻き込まれて、白藍の足手まといになるに決まっている。せめてガスマスク男の気を逸らせれば……。

 息が上がったコバルトには、声を張ることも難しい。一瞬考えたが、そうだ、霧を生み出せば援助できるかも知れない。

(少しの助けにはなると思う)

 コバルトはその場にしゃがみ込む。

 

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 白藍の頭の中で、ガスマスク男のノイズが延々と反響する。まるで恋人の死体を、合わせ鏡のように無限に並べ連ねて、見せ付けられているような責め苦。破裂しそうな程に頭痛は酷く、体内の器官は溶けそうな程に熱い。

(タンゲマル……花言葉は『枯れない愛』でしたっけ? ふふ……)

 ここで、白藍の気を散らす技術が役に立った。次に詠む連の内容から想像を広げ、即座に『雑音舞踏軍への枯れない愛』にまでイメージを膨らませる。そこでも、あそこでも気絶している、雑音舞踏軍の方々と同じように、ガスマスクさんも愛して・・・あげなければ、不平等ですよね? 刹那的に解放された『秘めた熱意』は、それが流星のような儚い煌めきだったとしても、白藍を再び立ち上がらせるには十分だった。

 

 タンゲマル
 秘めた情熱と暖かい心の
 持ち主に産まれるタンゲマル
 丸い姿に棘を持つ
 可愛い姿は月見れば
 秘めた熱をそっと吐き出すように
 白い大きな花咲かせ
 その花の香りを楽しむ者の
 心の棘を優しく包み込む

 

 半分以上がノイズ掛かった、白藍の決死の朗読を聞きながら。コバルトは窓の陰にて屈み込んだ状態で、小さく『気取り屋』を歌う。これは歌詞がしりとりになっている歌だ。祈るように手を合わせ、額は地面に触れるか触れないかの低さにある。

 

 ほらな 泣き言 友だちごっこ
 孤独を おどけてみせては 花火
 ビーチサンダル ルーズに履いて
 手順とか 考えちゃいなくて てんでだめ

 

 もはや廃墟と変わらない、砂塗れの喫茶店内部にて、ガスマスク男が立つ付近だけに、突如濃霧が立ち込めた。白藍へトドメを刺そうと専心している彼は、最初は別段気に留めなかった、が……。

 

 目指す何かなんてねーだろ

 

 バン! と、ガスマスクの吸入部分が、小さく爆発した。彼のノイズ音の攻撃力を高める為の、内蔵された精密機器が、多湿によってショートしたのだ。これはただの霧ではない。コバルト色の深海のような、超多湿を引き起こす技なのだ。

「っんだ急に! タイミング悪ぃな……」

 ガスマスク男は流石に驚き、ノイズ音を中断した。

(! この霧は……)

 ノイズが鳴り止んだことで、白藍のぼやけた視界は鮮明になる。あと数秒、ノイズ音が続いていたら、確実に負けていた。対峙する男だけに付き纏う濃霧。それで理解した。コバルトさんが救援に来てくれたのだと……!

 とても心強い気持ちだった。二度はないチャンスを逃すまいと、詠唱を再開する。

 

 月下の過客の意志を継ぎ
 夜に花開く植物よ
 悪から生命を吸い上げて
 正義へ転化し平和の華となれ

 

 静寂と、白みがかった空気の中に、白藍の声は綺麗に響く。慌ててノイズ攻撃を再開したガスマスク男だが、武器・・が壊れてしまった今、掻き消され、妨害されるのはノイズ音の方だ。

 砂塵の中から、月白色の植物が一斉に開花した。砂漠の廃墟は、瞬く間に温室植物園を思わせる楽園へと変貌する!

 

 ルララ 乱雑 積ん読の山
 負けず嫌いだが ガッツはないや
 ヤなこと 遠ざけ けとばしてたら
 ライムのような 涙が 崖に落ちた

 

 コバルトも小さな声で歌唱を続けた。植物園の地面から、透明度の高いコバルト色の水が湧き上がる。半ば水没した、月白色の温室植物園は、さながらアクアリウムとなった。生命の源とも呼ばれる、海の恵みを受けた白藍の植物園は、輪をかけて成長する。

 ガスマスク男のノイズ音はもう、水中での悲鳴が気泡に還るだけのように、全く聞こえていなかった。

 

 助け船 願っても来ない

 

 もしも今、あなたが死んだら
 あなたの身体からはどんな植物が育ちますか

 

 二人の朗読が、終わる。ガスマスク男の背中に、花が咲き乱れる! 真っ白な花が、乳白色の半開の花が、ラッパの白花弁の数々を纏うサボテンが! 月白が衝撃波を受けたのと、同じ箇所からだ!

 冬虫夏草が寄生したように、ガスマスク男の背で急速成長する植物ら。どんどん育ち、咲き誇り、ガスマスク男の生命力を奪っていく。

 ガスマスク男は痛みに悶えるような表情ではなく、むしろ安らかなものであった。次々と芽生える白い花々が開花する度に、おもむろに彼の瞼が下がっていく。

 月白が転生したかのような花束は、ついに寄生するガスマスク男の全身を超えるまでに、成長し切った。やがてガスマスク男は、背負った花束の重みに耐えかねたかのように、後方へ倒れる。

 彼の身体を、人の丈ほど成長した花々が受け止める。ふかふかのベッドのように、優しく受け止める。コバルト色の泉に浮かび、月白色の植物に包まれたガスマスク男。永久なる眠りについたようだった。

 

「勝ちました……」

 そう呟いてから、白藍も後方に倒れ込み、大きく成長した植物らに身を委ねた。コバルト色の水面が揺れる音に耳を澄ます。頭痛が治まり、灼けた体内器官が冷やされ心地良い。

 気絶した月白や11号、そして雑音舞踏軍らも皆等しく、植物園に抱かれて目を閉じる。暫しの間コバルトは、乱れ飛ぶ月白色の花弁が、水面で揺れている幻想的な光景を、窓越しに眺めているのであった。

「今更おさまりやがんの」

 コバルトは心臓部をおさえて、自嘲気味に呟いた。戦闘終了後に動悸が収まるとは、なんて皮肉なタイミングだ。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 その後、コバルトと共に11号の捜索にあたった隊員たちが、喫茶店に駆け付けてくれた。地面に伸びている雑音舞踏軍や、喫茶店のオーナーや近隣住民への事情説明などは、彼らが引き受けてくれた。

 散らかり放題になった喫茶店の中、子守唄のように優しい、白藍の詠唱が響いている。白藍が受けた傷に対しては、既に隊員たちによって応急処置が施されている。ガスマスク男から受けた責め苦も、喉元過ぎればどうってことない。

 如雨露で注ぐように、癒しの雨は倒れたままの月白に降り注ぐ。コバルトは、固唾を飲んで、徐々に傷が癒えていく彼を見守っている。一足先に目を覚ました11号の肩を後ろから抱くようにして。

 月白の指先が、ピクリと動いた。気付くや否や、白藍の詠唱は止まり、コバルト、そして11号は身を乗り出す。「うぅ……」と呻きながら、両手を支えに上半身を起こす月白。

「よかった……。間に合いました……」

 心底ほっとした白藍は、予めコバルトが設置してくれた椅子に、腰を下ろした。

「あれ……? ここは……」

 立ち上がった月白は、困惑して周囲を見回した。ガスマスク男の切り札を背に受けた後遺症で、本当に前後不覚になっているのかも知れない。

「おにいちゃーん!」

 目と目が合うなり飛び出して、ぎゅっと抱きつく11号。

「わっ!? ちょっ、こ、腰が」

 あまりにも元気だったものだから、月白はまたもや地面に倒れてしまいそうだった。ややあって、先程までの戦闘と、怖くて涙を流していた11号の顔を思い出す。我知らず、月白の手は11号の頭を撫でていた。

「そうか……僕と11号ちゃんを、守ってくれたんだね」

 やがて月白は気付く。清楚な笑みを浮かべている白藍と、何故かここにいて、しかも何故か沈鬱な面持ちとなっているコバルト。二人の女性に見られていると。

「すまない。ありがとう。本当に」

 

「ごめんなさい、コバが目を離したばっかりに、本当にごめんなさい」

 コバルトは震える声で喋り出す。

「月白さんも11号ちゃんも無事で、よかっ……」

 思わず涙が落ちそうになり、コバルトは目尻を拭った。白藍と11号は状況が把握できず、しきりに瞬きをする。

「ほんま、ワープでもしたんかってくらい一瞬で居なくなっちゃって……」

「だ、大丈夫だよコバさん。そんなに謝らなくても」

 宥めるように両手を小さく振ってみせる月白。

「その……僕の方こそ、ね?」

 月白は遠回しに謝罪した。11号の前で、「コバさんに11号を押し付けてすまなかった」なんて言ったら、11号が傷つくに決まっている。子どもは大人が思っている以上に、こういう話には敏感なものだ。

「でもこの子、本当にいきなり現れましたよね。コバルトさんが仰ったように、ワープでもしたかのように」

 姿勢を正しながら、白藍が言った。何せこの子は、気が付けば後ろに立っていたのだ。雑音舞踏軍に気取られずに、戦闘の真っ只中に、だ。

「わーぷ……?」

 11号は、その言葉に反応して白藍を振り返った。

「ワープ……したよー」

「は?」

 瞬間、素に戻ったコバルトの涙は引っ込んで、真顔になった。

「じゅういちごう、わーぷ、できるの~」

 そう言った瞬間、11号は薄白い光に包まれた。

「えっ?」

 腰の感触が消えた月白は、呆気に取られて硬直した。と、コバルトの背後に、同じような光が現れると、そこから11号が飛び出してきた。

「ね、おねえちゃん?」

「はいい!?」

 コバルトは叫ぶなり、11号を振り返ってのけぞった。

「あらあら……」

 まさか本当にワープ出来るとは……。白藍は片手を頬に宛がった。この子は一体、月白さんとどういう関係なのか? 謎は深まる一方である。

 

「ほっ、ほな自分なにか、その能力でおにいちゃんのとこ飛んで行ったんか!? こっちの心配も知らんと秒で!?」

 割とガチギレなコバルト。相手は小さな子どもなので、流石にハイテンションぷんぷんに変換しているが。

「コバルトおねえちゃんがキライですかッ」

 コバルトがほっぺむにむに攻撃を繰り出す。

「すきだよ~えへへ~」

「かわいい~」

 11号の無邪気な笑顔に、コバルトはノックアウトされた。

 コバルトが抱き締めると、11号も抱き返してくれた。月白が傍に来て屈み込む。

「11号ちゃん。今回は助かったけど、本当に危なかったんだよ」

 真面目な話が始まると、コバルトは11号を解放してあげた。

「おにいちゃんが戦っているところにワープするのは、絶対にだめ! だからね」

 ムッとした顔を作る月白。叱るべき時は、ちゃんと叱る男である。

「ん? はあーい!」

 11号はにこにこと返事した。

「分かってるのかなあ……」

 もっと強く言うべきだったかなと、月白は思った。

 

 外で正午を告げる音楽が流れた。近くにある商店街から、発せられたものだろう。

「えっ、もうお昼時なのか! 道理で」

 ただでさえ、時報を聴くと条件反射で、お腹が減ってしまう月白さん。朝から大忙しだったから、超空腹だ。

「せっかくなので、皆で食事していきませんか?」

 白藍が提案すると、すかさず月白が「お、いいね」と笑い出す。既に脳内では、何を食べるのか考えを巡らせているに違いない。絶対そうに違いない。

「お~、いいね~」

 月白のまねっこをして、白藍の周りをぴょこぴょこする11号。

「ねー。ふふふ」

 11号の頭を撫でる白藍。それにしても、似ている。やはり血縁者なのでしょうか? 白藍は密かに思った。

「皆さん何が食べたいです? 和食か洋食か、中華?」

 月白や11号と共にランチが食べられると聞き、すっかり元気いっぱいになったコバルト。

「ちゅーか?」

 11号は呪文を聞いたかのようにキョトンとしたが、同時にちょっとワクワクしているみたいだ。

「おっ、行ってみますか? 辛いよ~」

 脅すように、斜め口角で笑うコバルト。

「えっ! からいの? だいすき!」

「まじか」

「そうなんだよ……そして甘いものが嫌いらしいんだ……」

 月白は眉尻を下げて大いに嘆いた。

「あら、月白さんと正反対。あ、白藍さんは辛いもの大丈夫です?」

「あー、えっと……」

 白藍は刹那的に苦笑いが露わになったが、すぐにニコッ……と何とも言えない笑い方をした。

「はい、大丈夫です……」

「……無理って言って……ええんやで……!」

 コバルトが白藍をガシイと掴む!

「わ~~~~ん、なんでばれたんですか~っ」

 

   ◆   ◆   ◆

 

 それから四人は、商店街にあるらしい、中華料理店へと出発した。仲良く手を繋いでいる一行は、11号の小さな歩幅に合わせて、ゆっくりのんびり遊歩道を歩く。

 列の真ん中にいるコバルトと11号は、しりとりの真っ最中だ。

「《れ》レイクトラウト!」

 魚の名前で繋げたのは、コバルト。

「と……とうらがし」

 対する11号は、自信なさげにしりとりを繋げた。

「《し》シイラ!」

「ら……らっきょう」

 このしりとりに時間制限はないから、11号は目的地までずっと、夢中でいられるだろう。列の端でコバルトの手を握っている白藍は、「あらあら」とでも言いたげに、黙って微笑んで見守っている。

 反対端、11号のもう片手を包みながら歩く、月白。11号がコバルトと仲良くなって良かったと、心の底から思う。恐らく11号にとっては、しりとり遊びに夢中になることすら、昨日まではあり得なかった喜びだろう。そう考えると、11号を握る手に、思わず力が籠もる。

 ふいに追い風が吹き付けたとき、白い花弁が空に舞い上がった。視線が誘導され、仰向きになる月白。

 天頂点に達した太陽は、悉く闇夜を祓っていた。昨晩、11号に雨を降り注いだ暗雲さえも、嘘のように霧散していた。街の空に掛かった虹を、再認識する。

 たった一夜で、生まれ変わったような笑顔を見せる新月を、気付かれぬように脇目で見た。「この子は、虹を見たことがあるのかな?」なんて思いながら。

 

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