【短編小説】無限彷徉(むげんほうよう)

うみほたるさんの詩から作られた拙作は、『にしき的フォント』に新たに収録された文字、「吸着音」を表す逆さにした4、5、7がキーワードです!

現実と仮想の境界が曖昧になった世界での、愉快な蒐集の旅は無限に続く!

このサイトの使用上、実際に『にしき的フォント』を使えないのが惜しいのですが……。

Twitterにて画像データとしての小説があり、そこでは『にしき的フォント』を使わせて頂いておりますので、よろしければどうぞ!

うみほたるさんのTwitter

   ◆   ◆   ◆

 

 旅の始まりは、平凡な朝だった。

 その日は、寝る前に読んだ冒険記とそっくりな、大海原をわたる夢を見ていた。それは明晰夢めいせきむ、これは夢だと理解すればこそ、この夢がずっと続けば良いと願った。いろんな世界を遍歴してみたい。それなのに、太陽が沈みゆく夢の世界を、想像力で上書きすることは出来なかった。

 潮風の音が、水平線の彼方に消えるのを聴きながら、少年は瞼を開いた。天井を暫し茫然と見上げる。いろいろな人が思い描いた世界どうしを、結ぶ道があればあればいいのに。そう思いながら、身体を起こしたとき、頬が涼しい風に撫でられてハッとした。

 部屋の中央に、大海原と船の景色が、蜃気楼のように揺らめいている。今の今まで、夢で見ていた景色と、寸分違わずに。少年は咄嗟に、不可思議なトンネルに命名した。自分が冒険家に成り切った、空想の世界で創り出した、世界どうしを結ぶ道――思いの小径こみち

 清涼な風に迎えられて、少年は小径を往く。通り抜けた末、船の甲板を踏み締めると、背後には自室へ帰る為の小径も残っていたし、他の世界とを結ぶ別の小径も、複数確認できた。そうして少年は、あらゆる小径の向こうから誘う風に誘われるまま、当てのない旅に出た。

 

 ――あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。これが醒めない夢だとしたら、現実世界に帰ることも忘却していた。様々な文化圏の、折々の歳時風俗を真似た装いをしたり、時には性別を意識せずに女の子の服を着たり。今日はどんなものと巡りあえるのかと、彷徨い歩いている。

 少年は今、石柱が立ち並ぶ神殿の内部で佇んでいる。天窓から射し込む陽光が照らすのは、やはり多種多様な世界とを結ぶ、数々の小径。南国の風が、山脈の冷気が、ハイビスカスの香りが、肉を焼いた香ばしい匂いが。神殿の中央で立つ少年の、四方八方から吹き付ける。どの小径も、好奇心を擽られて、故に少年はどの小径を往くべきか、迷っていた。

 少年は、ポケットから正二十面体のさいころを取り出す。そして祈るように、詠み始める。

 

 葉隠れの一粒ひとつぶの露にも 夜明けはやど
 胸に残る語らいの熱は おきのようにとどまり
 昇る光を慕う

 地の果てより吹き寄せる声
 思いのかよ めぐり さざめく
 過ぎゆくひと どんな旅の空?
 風のの遠く 問う
 (うみほたる作・即興詩より)

 

 古い文明で使われた、二十進法の数字が描かれた、変てこなさいころ。奇しくもこの神殿は、柱ごとに二十進法で数字が刻まれ、それぞれ傍に思いの小径が浮かび上がっていた。

 さいころを振るい、示された数字を確認すると、その数字が付いた思いの小径に向かった。大量の本棚が存在する、古書店の世界へと。吹き付ける本のインクの匂いが、少年の心を躍らせる。

 新たな世界に辿り着くと、少年は暫し古書店内を巡り歩いた。背表紙が色褪せた蔵書の数々の中に、紺色で強く主張している本と目が合い、少年は無意識に手に取った。

 

 語られる言葉のかげには 歴史が眠
 消え結ぶくちづたえの声も 河のように過ぎゆく
 宵の空は深く

 熱をあとに にぎわいも果て
 思い出のめぐる しずけさのよるべ
 とどまる地の慕わしい風に
 遠い旅のを聞く
 (うみほたる作・即興詩より)

 

 口ずさみながら、紺色の本を読み進める。成程、世界の様々な言語の音声を表記する、特殊なアルファベットについての内容だ。とりわけ、逆さにした4、5、7などが興味深い。

 本を長机に置いた少年は、別のポケットからメモ帳を取り出した。表紙には、「にしき的フォント」と記されている。彼にとってこれは、ある種の図鑑や画廊、私設の博物館のようなもの。行く先々であつめた文字を、いろんな世界の人が読み書きできるフォント・・・・として記録する。

 蒼枯そうことした書架から蒐集し しゅうしゅう たような、誰からも見捨てられたはずの文字たちを包み込んだもの。それが、人から人へ伝わると考えるなら……なんだかちょっと、愉快に思われるのだ。

 

 熾のように ふたたび燃え
 千の夜も 千の朝も 越えて
 
 地の果てより吹き寄せる声
 思いの通い路 歴廻り さざめく
 過ぎゆくひと どんな旅の空?
 風の音の遠く 問う
 (うみほたる作・即興詩より)

 

 まるで魔法を詠唱するように、少年は楽しそうに詩を詠んだ。詠みながら、長机の上で開かれた本の、逆さにした4、5、7などを、メモ帳の空白に転記する。本を参照すると、これらの文字は『吸着音』という音声を表わしているらしい。アフリカの言語などに見られる、非肺気流機構の子音であるらしい。思いがけぬ、新たな出会いだった。

 自分の意思で選ばないような道を、あえて行ってみるのも、それはそれで愉快なものだ。だからこそ、無限の旅における選択は、できるだけ勇気がるほうを選ぶし、それでも選びきれないときは、さいころにそっとお伺いを立ててみる。そうした方が結局、おもしろいことになる。

 少年は吸着音という発音を、実際に聴いてみたいと願った。その瞬間、どこからか吹き付けた乾いた風が、メモ帳のページをパラパラとめくり上げる。風上を向くと、サバンナの景色が映っている、新たな思いの小径が生まれていた。少年の思いが具現化したように。

 その小径を通り抜ける前に……少年は、メモ帳の切れ端を、長机の上にそっと置いた。ラテン、ギリシア、キリルなどといった文字の他、電話やいかり、花や電球などの絵文字もある。このフォントが、誰かの目に留まって、何かに使ってくれたら愉快だな。そう思い、この世界を後にした。

 

 風の音の遠く……
 ざわめきを追って……
 風蹊かざみちをたどり……
 高鳴りをいて……
 見知らぬ空まで……
 風の音の遠く……
 (うみほたる作・即興詩より)

 

 サバンナを彷徉ほうようする少年の声に合わせて、どこかから吸着音が響いてくる。舌打ちや、キスするときの音に近い、跳ねるような発音の吸着音。静かで大らかな打楽器・・・と共に、少年の声は――そしてフォントは、風に乗って数多の思いの小径を通り抜け、まだ見ぬ世界に散らばってゆく。

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