【お仕事】月輪の導き

 詩人戦隊ポエーマンズ、月白さんを主人公とした長編小説の第三話です!

◆ポエーマン月白:上月える 様
Twitter:@sktr11139
作中詩:『挿入詩/無題』 5篇
「可愛い後輩と、憧れの連詩や共闘の実現。プルシアンの熱と言葉にはいつもリアルで励まされています。ありがとう! そして今回も、1号は安定して天使可愛いですね……。」

◆ポエーマンプルシアン:白樺 様
Twitter:@prussian146
作中詩:『刑死者の踊り』 1篇
「素晴らしい先輩と端麗な文体、いや舞台で共闘させて頂けまして本当に幸せです。著者のsunさん、構想を練って下さいました上月えるさん、そして読者の皆さん、本当にありがとうございました!」

◆連詩 『宵月止』(よいづくし) 上月える 様、白樺 様

◆挿入詩(作:sun)
『はちみつ』、『テレビやさん』、『おるすばん』

◆プロット作成:sun、上月える 様、白樺 様


◆   ◆   ◆

 

「この子の心を、ケアをしてくれないかい?」

 月白は、面識のあるカウンセラーに、そう頼んだ。

 ポエーマンズ基地内には、充実した精神科の設備が備わっている。被害に遭った民間人への、心的なケアリングは元より、戦闘で負傷した隊員の治療も施されている。敵対組織の雑音舞踏軍は、精神攻撃を得意とする輩が多い。外科や内科以上に、精神科に重点を置くのは、当然とも言える。

 さる医務室の内にて、カウンセリングを受ける11号を、月白は見守っている。彼が着ているスーツは、以前よりも随分と綺麗になっている。11号が着ている、買ってあげたばかりの白ワンピースと同様に。

 こなすべき家事が倍増したから、月白の睡眠時間は日に日に短くなっていく。心地良いソファーに腰掛けると、ものの数十秒で半目になって、意識を手放してしまいそうになる。

 奇妙なオブジェクトから発せられる、澄んだ金属音のようなノイズ。これが眠気を誘う。副交感神経を優位にして、クライアントの不安を和らげる為だろう。部屋の責任者曰く、ポエーマンズの能力を応用した代物らしい。

 また、この部屋には奇妙な程に無臭だ。人臭さ、薬臭さ、紙や埃の臭いに至るまで、何も感じない。これも部屋の責任者曰く、とある化合物によって、臭いの元になる物質を吸着させているとのこと。

この医務室だけ、基地から、人が住む街から、隔絶されているかのようだ。悍ましい暗闇の廃病院を彷徨う内に、原型を留めた一室に逃げ込んだ時のような、安心感。

 

 リラクゼーションソファーにちょこんと座る11号。背の低いテーブルを挟んで、同様のソファーに座るカウンセラーが、優しい声で語り掛ける。

「じゃあ、私とこれからお話しましょうか。好きなものって何かあるかな?」

 聡明で穏和そうな青年の名は、墨址阿蘭。顔立ちは繊細で女性的、また眼鏡を掛けている。白衣は服の内側でボタンを留めており、流星をモチーフとしたイヤリングを、左耳に着けている。

 彼自身はポエトリーチェンジなどの能力を持たないが、秀でた観察眼と分析能力で、隊員をサポートしている。言語や人文学に深い造詣がある点も、頼りにされる理由だろう。

「11号、カレーすき」

 11号は、膝の上にある手を、ぎゅっと握ったまま答える。月白は11号に「この人はお医者さんだから、大丈夫だよ」と言い聞かせている。だから11号は素直に答えている。

「おや、カレーですか。甘いカレーと辛いカレー、どちらが好きなのかな?」

 クローズド・クエスチョンで問いかける阿蘭。初対面の人と打ち解けるには、答えやすい質問が有効だ。

「辛いのがすき」

 11号は、より大きな声で答えた。好きなものに対する、子どもらしい反応。本当に辛いのが好きなのだろう。

「そうなのですか。月白さんとは正反対ですね」

 冗談を言った阿欄は、眼鏡を指で上げ、口元を緩めた。

「辛いものくれるから、月白おにいちゃんがすき」

「そうなんですか。私も好きですよ。親切な方です」

 阿蘭は静かに頷いた。月白さん本人はと言うと、船を漕いでいる。断片的に、会話は聞こえているらしいが……。

「あと、ねるときに絵本よんでくれるから、すき」

 大人しく耳を傾けて、肯定してくれる阿蘭。子どものみならず、お喋りな大人でも、喜んで話したくなる青年だ。

「そうだったのですか。どういう所が、好きなのかな?」

 多少は11号との距離感が縮まったと判断し、オープン・クエスチョンで問いかける阿蘭。11号の深層心理に切り込む、その糸口を探っている意図もある。

 

「うーん……」

 11号は俯いて考え込む。感覚的に、月白の朗読が好きな所は、感覚的には分かっていても、それを言葉にするのが難しいのだろう。

「ガアガアしてないから」

 サッと顔を持ち上げて、11号は言った。

「ガアガアしてないから?」

 阿蘭が聞き返す。ほんの一瞬、目つきが鋭くなった。

「うん。11号ね、けんきゅうじょでねるとき、ガアガアしたのきいてたよ」

(研究所……)

 阿蘭は予め、今回のクライアントに関する情報を聞いていた。時々発せられる、「研究所」という不穏な単語。そして、11号という、家畜ないし機械を識別するような呼び名。この子が受けた心的外傷は、カウンセリングを始める前から、ある程度は推測可能だった。

(ガアガア……)

 阿蘭は無意識にも、腕組みをして考え込んだ。11号が怪訝に思って、首を傾げた頃合に、阿蘭は姿勢を正して言う。

「ガアガアした音が、怖かったのですね」

 阿蘭は当たり障りのない言葉を返した。深入りして、11号のトラウマを刺激しないのが、この子の為だからだ。

「うん。とっても頭ズキズキしたの」

「そんな、可哀想に……」

 

 きっと11号は、自身が受けた恐ろしい体験を、正義の味方に知ってもらうことで、助けて欲しいのだろう。彼女なりに必死に、彼女が受けた非道な経験を、思いつくままに阿蘭に訴えた。

 カウンセラーの阿蘭は、聞き手に徹していた。時折11号に、慰めの言葉を掛けながら。断片的で抽象的な情報の数々からは、研究所での全貌は掴めない。だが、阿蘭の方からトラウマを抉るような質問はしなかった。今はクライアントとの信頼関係を築くのが最優先事項なのだ。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「月白おにいちゃん……?」

 11号の小さな声がした。

「はっ!?」

 ビクリと月白が跳ね起きる。いや、ソファーで背中を丸めていたから、座ったまま一、二センチ飛び上がったと言うのが、適切だろうか。

「ああ……」

 上目遣いで見てくる11号を見て、月白は思い出した。今は11号のカウンセリング中で、疲労困憊な自分は、ソファーでうたた寝していたことを。

「お疲れのようですね、月白さん」

 阿蘭は11号の背後から、眼鏡を指で押し上げつつ言う。

「あー、あはは……すまないね」

 月白は素早く立ち上がり、軽く頭を下げた。寝起きで視界が霞んでいる。

「月白おにいちゃん、昨日ずっとせんたくしてたんだよ」

 背後に立つ阿蘭へと振り向きながら、11号が言う。

「おや。洗濯物が溜まっていたのですか?」

 阿蘭は心配するような視線を、月白に向けた。

「まあ……漂白剤を、ちょっとね」

 昨日、11号がカレーをこぼして、白いワンピースを汚してしまった。不幸にも丁度良い感じの漂白剤が無かったため、買い出しに行って、そこからワンピースの染み抜きやら何やらで忙しかった。それをハッキリ言わないのは、11号を傷付けないための配慮だった。

 

 その後阿蘭は、今回のカウンセリングの成果を月白に報告した。大人二人が、パーティションに遮られて見えない間、11号はソファーに座り『白き月の王』の絵本を読んでいた。

「月白さん。私の見立てから申すことには、11号さんには、極度に心身を脅かされる経験が、少なからずあったように見受けられます」

 クリップボードを持つ阿蘭が、冷静な口調で説明する。椅子に座って正対する月白は、真剣な表情で聞く。

「今のところ、彼女のトラウマを刺激させない程度まで、調査できることはそこまでです。徐々に信頼関係を構築しながら、深掘りするのが最善かと。気長にやっていきましょう」

「……何か、僕に出来ることはありますか?」

 僅かに月白は身を乗り出す。

「今からカウンセラーではなく、言語学者としての見解を述べさせて頂きます」

 阿蘭は一旦眼鏡を外すと、クロスでレンズの汚れを拭いた。

「月白さんはご存知でしょうか? 人間の話す言語が変化すると、当人の人格すら変化することを。植民地化された民族に、支配者側の母国語を強制するのは、一種の洗脳とも言えます」

 拭いた眼鏡を掛け直しながら、阿蘭が説明する。

「ある言語学者の実験です。自動車の方向へと歩いている人物の動画を、被験者に見せ、内容を説明して貰いました。結果、言語Aを母国語とする被験者の多くは、『人が歩いている』と述べたのに対し、言語Bの被験者の多くは、『自動車に向かって歩いている人』と述べました」

 月白はしきりに瞬きをしている。

「これは、前者には現在進行形、すなわち「-ing」形が存在し、行為そのものだけに注意を集中させる傾向があるからです。一方、後者には現在進行形が存在しない。厳密な文法構造と表現を特徴とし、故に学術においては優れた・・・言語とされています。バイリンガルが言語Bを話すとき、その者は言語Aを話す時よりも、理論的な人格になるらしいです」

「ああ……」

 顎を手で支えながら、集中して話を聞く月白。

「11号さんは、身体的発達の割には、言葉がたどたどしい。また一人称は『11号』、主体性が排除されているとも取れる。両者とも、当人の個性と受容される程度に、世間では珍しくもない特徴ですが……11号さんの、毎日研究所で『ガアガア』を聞かされていたという証言を踏まえると――」

「まさか、言語に――人格に何かされている!?」

 月白は思わず、椅子を後ろに蹴飛ばしそうになった。

「月白さんも、やはりそうお考えですか?」

「はい。11号ちゃんを発見したとき、ノイズで記憶を消す能力を持った戦闘員パリピーと鉢合わせましたから」

「なるほど、そんな人が……把握しました」

 阿蘭は顎に手を当てて、何やら考え込んだ。沈黙のまま十秒経過。阿蘭が唐突も無く黙り込んだため、月白は当惑する。

 

「……失礼しました。話を戻しましょう」

 白衣の裾に付着した埃を払いながら、阿蘭が言った。

「月白さんが11号さんにできるケアリング。私の観点から言えば、多種多様な言語に触れさせるのが宜しいかと」

「僕が、言語を……?」

「はい。一般的な女児が話すような言語を習得すれば、自ずと精神構造も変化するはず。主体性が確立され、女児らしい無邪気さを得て、支配的な言語からも解放されるでしょう」

「言語……僕たちポエーマンの専門ですね」

 月白の肩がほぐれるようだった。自分の得意分野を活かせるなら、自信を持って11号のケアリングができるから。

「まさしく、言語の専門家に相応しい手法でしょう。また、語彙を増やすことで、ストレス軽減にも繋がります。ある著名人は言いました。『たくさんの本を読み、自分の気持ちを表現する適切な言葉を知れば、ストレスは溜まらない』と」

 月白は、我知らずに身体を反らし、パーティションの陰から11号を見た。やはり11号は、白き月の王をじっと読んでいる。毎晩、自分が読み聞かせしている絵本だ。

「毎晩11号さんに、絵本の読み聞かせをしていると、先程仰っていましたね。分野を限定せず、様々な本を読み聞かせることをお勧めします」

 阿蘭が言うと、月白は彼と向き直った。

「わかりました。特にどのような本が、お誂え向きかな?」

「もし、11号さんのルーツに関する情報が一つでもあれば、それを彷彿とさせる本がお勧めです。仮に記憶喪失だったとしたら、何かの弾みで記憶が戻る可能性も考えられます」

「……手掛かり、何もないんだよなあ」

 疲れからか、月白は目を擦りながら言う。

「11号ちゃんから無理には聞けないし。捕虜にしたパリピーたちは、上司から『捕まえて来い』と命令されたのみ。肝心な事は、何も知らないようだ。リーダー格に支給されたガスマスクについては、解析が難航中。11号ちゃんを初めて発見した遊歩道には、足跡などと言った痕跡が一切見当たらない。かなり遠くからワープして来たとしか思えない」

 阿蘭は何度も頷く。頷く度に、彼の目つきが鋭くなる。

「取り付く島もない、ですか」

「雑音舞踏軍絡みなのは、確実なんだけどなあ……」

 再び沈黙が訪れる。床を見つめる月白と、腕組みしたまま天井を見上げる阿蘭。

(機械的な子、か……僕も興味はある)

 両者の視線が交わらないまま、数十秒は経過した。

「……阿蘭さん?」

 ずっと返答を待っていた月白は、困ったような顔を阿蘭に見せた。

「……失礼しました。そういえば、ある『依頼』があったことを思い出しました。基地内でも極秘の情報とはなりますが」

 それだけ言うと、阿蘭は電話の受話器を手に取り、手早く内線を掛けた。

「プルシアンさん、医務室に来て頂けませんか?」

 阿蘭はすぐに受話器を置いた。

「今暫く、お待ち下さい」

 その言葉に月白は従い、内線で呼び出した人物を静かに待った。

 

 数分後。トン、トン、トンと、秒針が動くように規則的なノック音が聞こえた。

「阿蘭博士、プルシアンです、失礼致します」

 阿蘭の「どうぞ」という声を聞いてから、ドアが開かれた。

 プルシアン。詩人戦隊としてのフルネームは、プルシアンブルー。その名が示す通り、髪は濃青色で、目は銀河の星雲のように妖しく光っている。均整の取れた顔立ちに、セーラー服。冷徹な少年兵にも見えれば、儚げな文学女子にも見える。ポエーマンズ基地内では彼女・・と呼ばれることが多いが、雑音舞踏軍の中には『They(彼及び彼女)』と呼ぶ者も。

『恐縮ですが、一つ報告致します。阿蘭博士がご指示された、宇宙波動サンプルPの音声波形グラフ化への変換作業は、先程完了致しました。当方、次のご指示にはすぐに対応が可能です』

 これから発する言葉を、頭の内で演習しながら歩くプルシアン。彼女がソファーの前を通った時、気配を感じた11号が、顔を隠していた絵本を閉じた。

 瞬き一つ無く、呼吸をしていないかのように肩の微動がない、中性的な人間。無邪気な女の子は、何か違和感を覚える。

 演習を完了させたプルシアンが、パーティションの背後に回った直後。

「阿蘭博士。恐縮ですが――」

 それだけ言った後に、思考回路がショートした。振り返った月白の目に、見つめられたプルシアンは、しきりに瞬きをしている。

 ――たしか、彼の訓練を見学していた時だっただろうか。月白がもたらす月光浴を、初めて耳にしたとき、プルシアンの胸は言いようのない熱を帯びた。

そこには、身体の命令権が奪われてしまうかも知れない、根拠のない恐怖もあった。だがそれ以上に、人工的な熱エネルギーとはまた違う、『安らぎ』や『悦び』とも称えられる熱をもたらす月白に、強い興味と畏怖を抱いた。

そんなプルシアンが、阿蘭に呼ばれた先で、満月と対面することになる想定外。さながら月光に曝されたように、一瞬感情が処理できなくなったのは、想像に難くない。

 

「プルシアンさん。来られて早々に申し訳ありませんが、月白さん共々、お二人にある依頼があります」

 阿蘭は、プルシアンが戸惑いを消化・・し切った頃合を見計らって、そう告げた。

「先日、郊外の山をパトロールする班が、雑音舞踏軍のアジトと思わしき廃墟を発見しました。平時の巡回ルートに、突如として出現したのが、不可解でなりませんが……」

 月白はプルシアンに席を譲るつもりで、無言で立ち上がった。プルシアンはと言うと、遠慮して席に座ろうとしない。

「考えられる原因としては、ステルス装置で建造物そのものを隠蔽していたが、何らかの事故によってアジトが壊滅、ステルス装置が停止して全貌が露わになった、という所でしょうか。そして、廃墟の発覚の時期は、11号さんが保護された時期とほぼ合致する」

「研究所……もしやすると」

 月白は思わず低い声で呟いた。

「不用意に近づけない為に、パトロール班は廃墟への接近は避けているのが現状です。罠や待ち伏せの危険性がありますから。しかし、個人的な見解では、調査する価値はあると考えております。月白さんの考えを、お聞かせ下さい」

「ええ、行きますよ。もちろん」

 間髪入れずに返す月白。

「11号ちゃん、僕が絵本を読み聞かせして寝かしつけても、ときたま夜中に目を覚ますんだ。けんきゅうじょ……と呟いたり、何か恐ろしいものでも見たように叫んだり。だから、11号ちゃんがぐっすり眠れるためにも、何かが手掛かりがあるならば」

「お優しい月白さんなら、そう仰ると確信しておりました」

 プルシアンを一瞥して、阿蘭が続ける。

「ではプルシアンさん。後日、月白さんと同行して、廃墟の調査を願います。遠隔よりの調査では、内部の把握は不可能。現地で放出される音波を解析し、情報を特定するように」

「かしこまりました。差し出がましくも、私が斥候を務めさせて頂きます」

 プルシアンは阿蘭を見据えたまま、淡々と述べた。五、六回ほど瞬きをしながら。

「頼りにしているよ、プルシアンさん」

 プレッシャーを与えないよう、月白は笑顔を作りながら言った。プルシアンは一瞬だけ、月白に視線を移すと、再び阿蘭を正面に捉えた

「了解です。ご期待を裏切らないよう、全力を尽くします」

 その機械的なやり取りを見て、阿蘭が思う。

(少しでも月白さんへの抗体を作らなければ、何かの弾みで暴走してしまいそうだ。まだ『喜び』や『憧れ』という感情には慣れていない)

 一秒ごとに、顔の角度が下がるプルシアン。やはり言い過ぎてしまったかと、笑顔の下で不安がる月白。そこに阿蘭の一言。

「月白さん、少しお時間頂けますか?  当方で廃墟に関する資料を調達します。小腹が空いた頃合だと思われますので……プルシアンさん」

 阿蘭に呼ばれると、プルシアンは「はい」と背筋を伸ばす。

「何か甘いものでも……失礼。具体的には、シュークリームなどのお菓子が在庫にあるか、事務員に確認した後、一人分を持ってラウンジで待機して下さい」

「かしこまりました。滞りなく。では失礼します」

 プルシアンが九十度したとき、セーラー服の裾が僅かに舞い上がった。その横顔は、北極星のような愁いを滲ませていた。プルシアンは、出入口手前でお辞儀した後、医務室を後にした。

 

「月白さん。極秘任務のブリーフィングの前に、お伝えしたいことがあります。彼及び彼女の性質についてです」

 プルシアンが去ってから数秒後、阿蘭が口を開く。柔らかな笑みから、真剣な眼差しになった。

「はい? 彼女が、何か……?」

 月白は少し身構えた。阿蘭の表情は二転三転とするから、微妙にやりにくい所がある。

「プルシアンさんは、大きな感情を覚えた際に、処理し切れず暴走する危険性があります。月白さんに対する、憧れや敬意、同時に抱く気恥ずかしさや焦りなども、例外ではないと私は考えます。理論的には」

「そ、そうなの?」

 プルシアンに慕われていると聞き、少し照れる月白。ちょっと肩肘に力が入っていたから、余計に。

「私からは一つ。数分後には、プルシアンさんはラウンジで座っていることでしょう。さりげなく、気さくに話し掛けて、プルシアンさんの緊張を解してあげて下さい。打ち解けた間柄の方が、効率的な分業を期待できるのは、プルシアンさんにおいても変わりありませんから」

「分かりました。気さくに、ですね?」

 月白はそう言うと、時計を確認する。

絵本を読んでいる11号の隣に座って、「何読んでいたの?」「面白かった?」と語り掛けながら、数分の時間を潰す。「王さまが街をパトロールするところ」「やさしいね、王さま」などと言った、11号からの楽しそうな返事は、難しい話続きで疲れた月白の頭を、甘いお菓子のように癒やしてくれた。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 ポエーマンズ基地内にあるラウンジは、空港に備わったそれのように、広々と開放的である。高階層にあるため、長大な面積の窓ガラス(防音・防弾仕様)からは、街を一望できる。これは、頻繁に起こる都市内での襲撃に備え、見張り塔としての機能も持たせられている為だ。

 大量の本棚が、余裕を持たせた間隔で設置されている。機密事項に関する本は無い代わりに、所蔵されているのは古今東西の詩集や文学。やはり、詩人戦隊という訳か。隊員らの、お勧めの作品を語り合う場所にもなっている。

 本格的なコーヒーマシンによって淹れられた、酸味と苦味のバランスの良い香りが、ほんのり室内に薫っている。このような憩いの場には多く見られる、大型スクリーンなどの賑やかなものは存在しない。静かに読書できる場所が欲しい、そんな隊員たちの要望に答えた結果だろう。

 

 ラウンジに入室した月白。部屋で休む数人の誰かが、本をめくる音が聞こえた。刹那、いつものようにスーツのポケットからイヤホンを取り出し、お気に入りのバンドの曲を聴きたい衝動が走った。

 見渡すと、一番端の席の傍にて、プルシアンが立っていた。丸テーブルに置かれたトレイの上には、言われた通りに一人分のシュークリームとコーヒー、そしてミルクとシュガーがある。俯きがちのプルシアンは、その状態のまま時間が止まっているみたいだった。

『月白さんに対する、憧れや敬意、同時に抱く気恥ずかしさや焦り』

 先程の阿蘭の声が、月白の脳内で繰り返される。なるほど、僕を前にして緊張しているんだね。なんて、我ながらのナルシストぶりに、一人で苦笑いしながら歩み寄る。

「やあ、プルシアンさん。コーヒーも用意してくれたんだね。どうもありがとう」

 プルシアンの前で立ち止まり、小さく頭を下げて礼を言う月白。プルシアンは我に返ったのか、駐屯地のラッパを耳にしたかのように、踵を揃え直す。

「はい。ラウンジでお休みなっている、隊員の皆さんを観察すると、コーヒーをお飲みになっていますから……」

 プルシアンは、落ちていく椿の花弁を追うように、瞳を動かした。

 

「さて、ブリーフィングの前にひと休みかな。君もどうだい?」

 席に座りながら月白は言う。

「ひとやすみ、ですか?」

 意表を突かれたのか、プルシアンは僅かに口を開いた。真面目なプルシアンにとって、唐突な一休みというものは、なかなか難しい。

「そうだよ。せっかくだから、話し相手が欲しいんだ。僕が美味しくシュークリームを食べるお手伝いと思って、ね」

 月白はおどけて、大きく笑ってみせた。プルシアンは無表情のまま、数秒考え込む。

「では、その椅子に腰掛けさせていただきます」

 プルシアンは、背骨を殆ど揺らすことなく、下半身だけを規律正しく動かして腰掛ける。

「君は……プルシアンブルーは、とても丁寧なんだね。僕は直属の上司ではないんだし、もっと気軽に話しかけて大丈夫だよ?」

 初対面の緊張もあるのかと見て、月白が少し微笑んだ。

「ありがとうございます。例えどの様な方であっても、初対面の方ならば端正な言葉を使うべきであると、自身のプログラムにコードされているのです」

 月白に倣って、プルシアンも少し微笑んだ。心理学の領域では、相手の所作をミラーリングすることで、互いの安心感や親近感を高める効果があるらしい。どこで吸収した知識かは憶えてないが、憧れの人に対して実践する価値はある。

 類を見ない対応に、月白は戸惑った。同時に、プルシアンが微笑みかけてくれたのが、嬉しかった。

「僕の事は、少し歳の離れたお兄さんだと思って、気軽に接していいんだよ。その、プログラム? に反しなければ、だけど」

 彼の低く震える声を聞くと、温覚の閾値が急激に下がってしまう。もしも根拠となるデータが得られていれば、少しは平静でいられたのだろうか。

「すみません、すこしおこがましいのですが、先輩とお呼びしてもよろしいでしょうか」

 直属ではないとは言え、上司に無礼と捉えられかねない発言。普段のプルシアンなら、口が裂けても言えないだろう。はにかむような、微笑むような、曖昧な表情が無意識に表出していた。

「先輩? 僕が……先輩か。うん、ありがとう。改めて、よろしく頼むよ」

 年下から慕われる事実に、悪い気はしなかった。プルシアンを驚かせないように、微笑む口元は変えなかったが、内心で結構嬉しそうにする月白。

「では、改めて月白先輩とお呼びさせて頂きます」

「あはは……こそばゆいぞ……。じゃあ、僕もプルシアンと呼ばせてもらうね」

 

 月白がコーヒーを飲んだり、シュークリームを味わっている中、プルシアンは黙って待っていた。月白がシュークリームを食べ切り、満足そうな表情を浮かべたのを見計らって、プルシアンが尋ねる。

「月白先輩。話は変わるのですが、この前戦闘された雑音舞踏軍の輩、どんな奴がいたんですか?」

「そうだなあ。まずはガスマスクとモヒカンの柄の悪い男。彼はかなり厄介で、辺りに騒音を響かせたり、ビリビリさせたりしてきたっけ」

 嫌なことを思い起こして、月白は少し苦い顔になった。甘いお菓子の後だから、否応なしに苦味・・が引き立ってしまう。

「それはとても大変でしたね」

 月白を心配するような、気遣うような表情のプルシアン。多少は打ち解けた彼女は、表情筋を制御する義務感から解放されている。

「ああ、正直かなりの苦戦を強いられたなあ。あとは、精神が屈強すぎる手下とか……。月光浴で夜桜見物を始めたりね」

 想起しては、苦笑いが深くなっていく月白。罰ゲームで渋柿を次々口に放り込まれているみたいだ。

「精神が、屈強……? それはある意味で、敵方ですが、見習いたい部分もあるような無いような……」

「本来なら僕も見習いたいところだけど、あいつの自堕落具合は反面教師といったところかなあ……」

 月白の眼差しは、「君にもオススメはできないぞ」と暗に言い聞かせているようだった。

「とにもかくにも、私はまず、精神および自分自身をコントロールする事が大切ですね」

「そうなのかい? キミはとても落ち着いていて、充分に見えるけど……」

 月白は、自意識過剰を自覚しながらも、プルシアンが自身に対する幾許かの動揺心があることは見て取れた。とは言え、冷静沈着な彼女が、自制を失うとは到底思えない。

 月白はプルシアンのことをよく知らないが、そもそもこの子は初陣を経験しているのだろうか? 暴走しやすいという自覚は、経験不足から来る不安の表れなのだろうか?

「今回の戦闘も、暴走せずに終わってくれればいいんですけどね……。でも、そうは言っていられません。私たちは詩人戦隊です。人々を守らなければならないのですから」

 話しながら、プルシアンは両手で胸を押さえるようにした。自分自身を強く戒めるように。

「暴走!? ええと、うん、大丈夫だよ! いざとなったら、先輩である僕が、しっかりサポートしてみせる!」

 暴走という言葉に引っ掛かった月白は、若干慌てた様子で述べた。先程、阿蘭からも『暴走』という言葉を聞いた……ような気がするが、本人の口から聞くと段違いの不穏さだ。

興奮すると、必要以上に敵を痛めつけてしまう恐れがあるとでも? プルシアンが自分自身に言い聞かせるように言った真意について、気付く暇はなかった。

「それは心強いですね。もしそうなった時は……いや、でも今は考えないでおきましょう」

 先程とまではいかないが、どこか含ませるような言い方だった。瞼を閉じ、顔から表情を消したプルシアンは、何を見ているのか皆目見当もつかない。

「そうだね。今はもう少し、頭も身体も休めなくちゃな。さて、僕は先に医務室に戻るよ。11号ちゃんも心細いだろうし」

 そろそろ行かなくては。11号が安心して眠れる為の、重要な作戦のブリーフィングを控えている。月白は11号を思い浮べ、軽く伸びをすると立ち上がる。

「……月白先輩」

 プルシアンが目を開き、起立し、真顔で月白を見る。

「……頼りにしております」

 プルシアンは、ぎこちなくも笑顔を作りながら言った。医務室にて月白から、優しい口調で言われたように。

「……ああ! 僕もさ」

 そうして二人は、どちらからともなく、深々と頭を下げるのであった。月白が歩きだす。プルシアンは、月白がラウンジから去ってから、ゴミやトレイを片付けようと、先輩の背中を見送っている。

(少しは距離を縮められたかな?)

 プルシアンが見せたぎこちない笑顔が、脳裏に焼き付いていたのだった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「ただいま」

 マンションに帰宅した月白が言う。ちょっと前までは、何も言わずに玄関の扉を開いていた。せいぜい疲労と安心感のため息が漏れるくらいで。

 それが11号と一緒に暮らすようになってからは、彼女の教育の為にも、「ただいま」と言うようにしている。

「ただいまー」

 と、11号の元気な声が室内に響けば、仕事の疲れも吹き飛ぶのだ。

 月白は今夜の食材の他に、書店で買ってきた十冊程度の本を持っている。11号の語彙力を増やすに相応しい、子ども向けの絵本が大半だ。他に二、三冊、月白が懇意にしている詩人の詩集をついで買いした。詩集の著者は、ポエーマンズ隊員でもある、さる詩人である。

 

「フンフンフーン。フーフフフフーン」

 ショッピングモールの販促スクリーンで流れていた、幼児好みしそうなキャラクターソングを聴いて以来、ことあるごとに11号が鼻歌を繰り返している。11号が勢い良く脱ぎ捨てた靴は、靴箱の上に置かれた、人間の手と睡蓮の花を象ったアクセサリースタンドにぶつかりそうになった。(なかなか珍しいデザインだが、魔除けを兼ねているらしい)

「11号ちゃん、家に帰ったら、まず何するんだっけ?」

 脱いだ革靴を揃えながら、月白が少し厳しい口調で言う。

「……てあらい、うがい?」

 11号はソファに飛び乗ろうとした寸前、振り向いて目をパチクリさせた。

「そう、大正解。11号ちゃんのお手々に、ばい菌さんがいっぱい付いてるよ?」

 月白が言うや否や、11号はダイニングキッチンの流し台の前に小走りで移動。プラスチック製踏み台の上に乗ると、短い腕でハンドルを回し、手を洗い始めた。

(11号ちゃん、か……)

 阿蘭から言われたことを思い出す。――一人称は『11号』、主体性が排除されているとも取れる。自分の名前が一人称というのは、子どもなら珍しくないし、キャラ性重視のアイドルや芸能人にも稀にいる。阿蘭も言ったとおり、考えすぎかも知れないが。

他に呼び名がないから、『11号』と呼んで以来、それが板に付いてしまった。それが何だか急に、年老いた女性を『ババア』呼ばわりするような、えげつなさを感じるようになって……それに代わる、新たな名前を考えてあげるべきだ。月白は密かに思う。

「おわったよ」

手洗いを終え、次いで水を吐き出した11号が、月白に報告した。「うん、上手だね」と声掛けしながら、月白はティッシュで11号の濡れた口を拭いてあげた。

 今度は月白が、手洗いうがいをする番だ。人が大勢居るショッピングモールに寄って来たから、入念に行わなければ。11号にばい菌が移ったらマズい。

 手洗いの前に、月白は左手中指に嵌めた指輪、『月輪』を外した。明日、例の廃墟に調査に赴くのだから、変身の為に必要なこの装備を、入念に手入れしておきたい。武器・・を大切にしない者は、戦いに勝てない。騎士でも、侍でも、詩人戦隊でも。

 

 そうして手洗いうがいを住ませた月白が、テーブルに指輪を置き、ソファの脇で本入りのレジ袋を開封した時。

「おにいちゃん、これよんで!」

 袋の中から絵本を取りだした11号が、目を輝かせながら言った。それは男児向けの戦隊ヒーローの絵本。彼女に好きに選ばせた三冊の内の一つだ。これに興味を示すのは、詩人戦隊と関わった影響なのだろうか?

「ああ……お兄ちゃん、今から夜ご飯作らなくちゃいけないんだ。だから、寝る前にしよう?」

 月白は両手を合わせて11号に謝った。今夜のメニューは青椒肉絲。豚肉やタケノコを切らなければならない。

「なんで?」

 11号がとても悲しそうな表情になる。月白の良心が、ひどく傷ついた。

「なんでって……お兄ちゃんがご飯を作らないと、11号ちゃんはばんご飯食べられなくなるよ?」

 月白は屈むことで、ソファに座る11号と目線を合わせた。口をポカンと開いて絶望する無邪気な女の子は、「別れよう」と言われた彼女のように、悲壮感溢れるものであった。少なくとも月白はそう感じる。

「ばんごはん……」

 そう呟いた11号は、手をぎゅっと握り締めて、悲しみを堪えた。

「こ、今夜は青唐辛子を使った、辛い料理だよ! 絶対美味しいからね? ね?」

 慌てて機嫌を取る月白。

「……辛いのすきだから、がまんする」

 11号はちょこんとだけ頷いた。

「うん。後で読んであげるからね。約束するよ」

 月白は小指を差し出しながら言った。11号も、ゆっくりと小指を差し出し、絡め合って指切りげんまんした。

「じゃあ、明日いっぱいよんで」

 いつになく一生懸命おねだりする11号。それもそのはず、書店で沢山の絵本に囲まれた11号は、数え切れない程の流れ星を見上げているように幸せだった。お星さまに願い事をするように、月白の前でぎゅっと両手を合わせる11号。

「明日? 明日はなぁ……」

 月白は困り果てた。繰り返すが、明日はプルシアンと共に廃墟の調査に赴く。不測の事態を予期すれば、朝早く出かけて、下手すれば基地へ帰投するのは日付を跨ぐかも知れない。よって明日は、絵本の読み聞かせが出来るか怪しい。

「だってお兄ちゃん、阿蘭先生とばっかりはなしてて、今日ぜんぜんよんでくれなかった」

「そ、そうだ。明日は、阿蘭先生に絵本を読んで貰うのはどうだい?」

 咄嗟に言葉が飛び出した。明日は阿蘭に丸一日、11号を預かって貰う予定だ。無論、11号も納得の上。

「お兄ちゃんがいい」

 身体を揺すってぐずる11号。

「明後日! 明後日にいっぱい読むよ! ほら、指切りげんまん!」

 月白はすっかり平常心を失っていた。さっきショッピングモールで、人形を買ってもらえずに、ショーケースの前で座り込んでわんわん泣いている子が居た。叱り付ける事もできず立ち尽くしていたママさんの、気持ちがよく分かった。

 月白は、もう一度指切りげんまんをしようと、小指を差し出した。が、11号はイヤイヤと首を振って断固拒否。

「よんでくれるまで、ついていくもん」

 一旦好奇心に火が付いた子どもというのは、一日後、二日後の約束なんて、おねだりを却下されたも同然。

「こら。お兄ちゃんに付いて来るのは駄目だ。この間、危ない目に遭ったのを忘れたのかい?」

 再び強い口調で言うと、11号は押し黙った。先日、ワープして戦場に乱入して、戦いに巻き込まれた時の恐怖は、流石に11号も忘れていない。だとしても、11号は月白に上手く言いくるめられたようで、あまり良い気分ではなかった。

「明日は阿蘭先生と一緒に、良い子で待っているんだよ。いいね?」

「……うん」

 しょんぼりしたまま、11号が返事をした。

 

 そんなこんなで、月白の夕飯作りはようやく始まった。

 豚肉を細切れやこま切れに切り、ピーマンはタネとワタ部分を器用に取り除く。食欲旺盛なのは自覚しているし、一人暮らしが長いと来たもんだ。年齢を重ねれば、そこそこ料理が上手くなる素質はある。

 続いてフライパンにてごま油を熱し、切った肉を投入。肉に色が付いたら、ピーマンとたけのこも投入して炒める。香ばしい肉の香りが漂うと、味見という名のつまみ食いをしてみたくなる。

 11号はと言うと、月白に叱られたこともあり、ソファでずっとしょんぼりしていた。やがてしょんぼりするのが飽きた11号は、テーブルに置かれていた月白の指輪、月輪が目に入る。神秘的に光る指輪を。

 お兄ちゃんは料理に夢中だから、気が付かない。今の内だ。少しだけお尻を浮かせ、手を伸ばして指輪を回収する。月白の真似をして、左手中指に指輪を嵌めてみるが、如何せん指が細すぎる。指を下に向けると、床にコトンと落ちてしまう。

 拾い上げて、再び左手中指に指輪を嵌める11号。今度は落ちないように、右手を指輪の上にあてがった。

 ――香ばしい肉の香りが漂って来る。

(お兄ちゃん、なにつくってるの?)

11号は晩ご飯に対する興味が湧いた。すると、どうだろう。手から離れた風船が、空に向かって飛び立つように。11号は座った姿勢のままで、ふわりと浮かび上がった。

「あ……」

 自分でもちょっぴり驚く11号。宙に浮かんだまま、両足立ちの姿勢に移る。空中浮遊する11号の目線は、大体180cmある月白と同じくらい。

11号は空中を歩き、月白の肩越しにフライパンを覗き込んだ。丁度月白が、フライパンで肉や野菜を炒めているところだ。

「ああ、調味料作ってなかった」

 思わず漏れた月白の独り言。わざわざ調理台に、計量カップや調味料一式を置いていたのに。

「お兄ちゃん。11号、てつだうよ」

 月白の耳元で、11号が言う。

「いいの? 助かるよ、11号ちゃん」

 月白はフライパンで炒めながら言った。忙しいので、背の低い11号が耳元で言った・・・・・・不自然さを、気にする暇もない。

「じゃあ、お醤油を大さじ二杯、そこにあるカップに入れてくれるかい?」

 月白に頼まれた11号は、「うん」と返事してから、調理台の上にあるしょうゆに手を伸ばした。いつもなら踏み台を使っても、届くかどうか怪しい場所にある醤油でも、空中浮遊している状態ならなんのその。

 醤油を手に取り、大さじを手に取る。月白に言われた通りに醤油を二杯計って、計量カップに入れた。この際、右手で左手中指から落ちないようにしていた指輪が、床に落ちてしまったが、11号は尚も空中浮遊を続けている。

この子は驚異的な学習能力の持ち主だ。毎晩、月白が料理するのをまじまじ眺めて、「これは大さじって言うんだよ」という風にちょっと言葉を教わったら、次の瞬間にはものにしている。だから、手伝わせても問題ないと、月白は判断した。

「できた」

「いいね。じゃあ、次はお塩を少々だよ」

 次も同様に、お塩を計量カップに少々入れる11号。

「できたよ」

「いいね、いいね! 11号ちゃんも、すっかり大きくなったなあ!」

 なんて上機嫌になる月白。勢いに乗った11号は、月白の指示を受けて、更に酒を大さじ三杯、オイスターソースを小さじ一杯入れる。

 

「じゃあ最後に、お砂糖を小さじ二杯だよ」

 フライパンから目を離さずに月白が言った。

「おさとう……」

 11号はあからさまに嫌そうな顔をした。お砂糖は甘い。甘いのは、嫌……。

(からいの、すき)

 そこで11号は、お砂糖ではなく、あろうことか七味唐辛子を手に取り、シャカシャカと計量カップに大量投入した!

「おや? お砂糖って分かるよね?」

 11号の反応が微妙だったから、月白は訝しんで言った。それから脇目を振るまでの、数秒間のロスが命取りだった。

「こ、こら! 11号ちゃん!?」

 月白が驚きの声を上げると、11号はシャカシャカ振るのを止めた。そして、「うふふ」と楽しそうな笑顔を月白に見せた。イタズラのつもりだったのだろうか。さっき叱られたことの、仕返しなのかも知れない。良くも悪くも、聡明な子だ。

「うわあ……。でも捨てるの勿体ないなあ……」

 調味料、と言うよりはほぼ七味唐辛子そのものと化した計量カップの中身を見て、月白は途方に暮れた。フライパンで炒めることも、すっかり忘れて。

「……11号ちゃん?」

 ここで月白、11号の身に起きた事件にハッとする。11号ちゃんが、浮いている。目線の高さが、同じになっている。

「……11号ちゃん?」

 二度も繰り返す月白。目を落とすと、やはり11号は地に足ついていない。と、床に月輪が転がっているのを見つけた。

 そういえば、初めて出会った夜に、11号が月輪に手を触れた時、一瞬だけ月白おじいちゃんになってしまったなあ。年齢操作と同様、これもガチリングさんを使っての11号のイタズラらしい。

 

 結局、11号特製の調味料を使って、青椒肉絲を完成させた。11号は、とても美味しそうに食べていたが、月白はとにかく涙が止まらなかった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 翌日。月白は早朝に11号を基地に預け、プルシアンと共に郊外の山にある廃墟へ出発した。極秘任務故に、パトロール班らの足を借りられないのがしんどいが、仕方がない。

 電車で郊外の駅まで移動したら、隣町へと向かうバスに乗る。峠にあるバス停――山頂へと至る登山口と、簡易なサービスエリアが傍にあるバス停で、二人は降りる。その後は、山林を蛇のように這う登山道を、徒歩で登る他なかった。

 そのまま道なりに進めば良いと聞いたが、確かに半時間ほど進んだ所で、登山道の脇に目的地らしき廃墟が見えた。如何に人里離れた場所と言えども、山林に横たわる不審な建築物があれば、ハイキングや山菜、キノコ狩りに来た人、猟師などに通報されるはずだが……。「ステルス装置で建造物そのものを隠蔽した」という、阿蘭の見解を思い出す。

 ひび割れ、粉砕された壁材のそこかしこで、歪んだ鉄骨が露わになっている。周囲の木々が薙ぎ倒され、ガラス片や綿状の断熱材が、建物の内側よりも外側に多く散らばっているのを見ると、内部から強い衝撃が発生したと推測できる。

 ガラスが張られていた枠から、月白は恐るおそる、内部を覗き込んでみた。やはり半壊した廊下の壁には、橋の下の落書きのような、主張が激しいペイントで埋め尽くされている。

 床に散乱するのは、統一性のない種々雑多なインテリア。各所から寄せ集められた盗難品を、無造作に並べた結果だろう。それらに混ざるヘッドホンやラジカセ、DJ機材などは、破損したと言えどもマニアを唸らせるような上等品ばかり。騒ぐことに命を賭けるが、その他のスキルは壊滅的と言う、雑音舞踏軍の性格が顕著に現れている。

 

「プルシアン、何か怪しい音は聞こえたかい?」

 月白は窓枠から頭を引っ込め、背後で控えているプルシアンに尋ねる。

「個人的な感性に基づけば、怪しい音ばかりです」

 そう答えたプルシアンは、目を瞑ったまま案山子のように両手を広げている。彼及びは彼女は、音の波長や振幅などを、音響研究所の機器のように聞き分け、識別できる。この能力を活かし、雑音舞踏軍が放出する、極めて特異な音波を聞き分けているのだ。

「まさか……敵が大勢居るのかい?」

「すみません、そこまでは特定できません。先輩の仰る通り、大人数で待ち伏せているのか、それとも何らかの機器が壊れたことで、雑音音波が漏洩しているのか――」

 ピリッと、プルシアンは強い静電気を受けたように、身体を震わせた。

「ど、どうしたの?」

 立ち眩みでも覚えたのかと、プルシアンを心配して月白が一歩近付く。

「波動の爆発的な変化を検知しました」

 ピタリと身体の震えが止まったプルシアンが、相変わらず目を瞑ったまま答える。

「……と、言うと?」

 月白は困惑しながら、更なる質問を投げ掛ける。

「感情によって生じる音波・・が、不自然な変化をした、と言うべきでしょうか。憎悪に満ちた人間が、突如慟哭に囚われたような……詩的に言い換えるのであれば、暖かな春風が、にわかに真冬の北風に変貌したかのような」

「それは……きな臭いね?」

 何か不自然な出来事が、廃墟の内部で起こっているらしい。月白はもう一度、窓枠越しに内部を覗き込んだ。

「けれど、すまない。僕には何も感知できない」

 そう言って申し訳なさそうにしている月白の、背後に立つプルシアン。

「先輩、烏滸がましいですが、私が単独で内部偵察を行っても宜しいですか?」

「えぇ? でも一人だと危険じゃ……」

 目を丸くしながら振り返る月白。プルシアンの細めた目からは、憂いの色が汲み取れる。戦闘に対する恐怖と言うよりは、上司・・に対する失礼を働いていないかという不安で。

「危険だからこそ、先輩の安全を確保したいと存じます。私は仮にダメージを負っても、修復は容易ですから」

「修復、ねぇ……」

 月白は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。数秒間考えた後、道を譲るように窓枠の前から退いた。

「……分かった。危ないと思ったら、すぐに助けを呼ぶように。ここで待機しているから」

 厳しい目つきと共に、月白は言い聞かせた。

 

 プルシアンは空を見上げた。虚ろな黒い瞳に映るのは、蒼天を揺蕩う高積雲。月白の瞳に映る、青い光がプルシアンの瞳に吸収される光景は、果たして現実か、幻覚か。

 ふいに月白は、空間に違和感を覚えた。何か神聖な場所に転送されたような感覚。正体は匂いだ。山奥にも関わらず、草木や土の匂いが無くなっている。まるでプルシアンに吸い込まれたかのように。

「夕のくらやみ、有明のわかれ、プルシアンブルー!」

 プルシアンが口上を言い切り、その瞳は青に染まるや否や、不可思議な熱波が一挙に放出された。爆発が発生したのかと、「うわっ!?」と両腕で顔を隠す月白。サウナ室の扉を開いた時のような熱波は、一瞬にして治まった。

「今のは……?」

 両腕を下ろした月白は、プルシアンを再度見た。彼及び彼女の周囲で、無数の幻影が蠢いている。月白が見たこともないような姿形の、異星人たちの幻影だ。

 その中央で佇んでいるプルシアン。瞬き一つなく、色を失いつつある幻影たちが、消失するのを待ち続ける。やがて完全に幻影が消える。冷え切った空間に、プルシアンの小さな足音が木霊する。

 プルシアンは変身を終えると、続けて朗読を始める。

 

 フラフラ パラパラ 寒風に吹かれて
 クルクル コロコロ 回っている
 ちらちら ひらひら 落ちるものは
 風化した 白骨か それとも 灰雪か

 

 『刑死者の踊り』を朗読し終えると共に、プルシアンの皮膚や衣服から、白い粉が零れ落ち始めた。その心象風景の中で、脱皮したかのように皮膚は瑞々しく、衣服の繊維は絹糸のように艶を帯びる。

 それは体内のエネルギーが励起され、超人的な身体能力が引き起こされた証左。伴って武術の達人めいた動作も可能に。ブラックホールに吸われるように、心象風景がプルシアンの体内に収まると、火葬めいた寂しく燻る匂いも消えた。

 高い戦闘能力を発揮したプルシアンは、窓枠に手を掛ける。一瞬振り返り、険しい顔をした月白と目を合わせた。その後、軽々と窓枠を飛び越えて、内部に単独突入するのであった。

 

 廃墟の内部は、当然の事ながら灯りは無いし、日の光が差し込む程の穴や亀裂は天井には無い。仮に月白が単独突入するならば、懐中電灯や月光浴で生まれた光が無ければ、ロクに前進できなかったであろう。

 プルシアンは、建物の奥から発せられる、異様な音波の発信源へと向かう。蝙蝠が発した超音波の反響を聞くことで、暗闇でも障害物にぶつからず飛行するように。プルシアンもまた、物体が反響する音波を感知することで、目的地までの最短経路を導き出す。

 地面で音波を反響する数多の物体――蛍光灯の残骸や鉄屑などは、避けながら進んだ。物音を立てて、ターゲットに接近を気取られないように。あわよくば、奇襲を仕掛けようとも企てていた。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 ――シュウウウウッ……。火が付けられた、ダイナマイトの導火線のような音。プルシアンは立ち止まった。その怪音の正体を探るに、聴覚に頼る必要はなかった。

 縦長に収束した赤色の煙。プルシアンの165cmを超える大きさだ。それらが突如、プルシアンに立ち塞がるように複数出現した。可燃性ガスに引火したのか、それとも鬼火などの超常現象か。

 煙どもが色濃くなり、徐々に人型を形成すると共に、得体の知れぬ音波が大きくなった。人間が土砂崩れに呑み込まれるように、プルシアンを覆い尽くす不快音。

 敵が来ると確信したプルシアンは、咄嗟にロッカーに隠れた。もっと良い隠れ場所があったかも知れないが、吟味している猶予はなかった。

 通気口から外部のようすを伺うプルシアン。得体の知れぬ煙は、二足歩行の怪物と実体化していた。その双眸は両目が抉られたように凹み、ミイラのように乾燥した皮膚から、肋骨などが二、三本突き出ている。右手の爪は異様に長く、それは烈火のように赤熱している。生ゴミを詰め込んだゴミ捨て場のように、吐き気を催す悪臭が漂ってくる。

「ドコダドコダドコダドコダ……」

「サガセサガセサガセサガセ……」

 砂嵐のように擦れ切れた呻き声と共に、怪物どもは周囲を物色した。よもや、侵入者に対してクリアリングを実行しているのではと、プルシアンは覚悟を決めた。赤熱した爪により、周囲の光景は蝋燭で灯されたように、薄気味悪く浮かび上がっている。

 床に転がる箱の蓋。掛けられた南京錠を、赤熱した爪で焼き切って、中身を左手でぶっきらぼうに漁る。

「ナイナイナイナイナイナイナイナイ……」

 また別の怪物は、小学生が使うような勉強机の引き出しを、おもむろに引っ張ったかと思えば、空と分かるなり八つ当たり気味に乱暴に押し戻す。

「ココモココモココモココモ……」

 奴らは、人と言うよりは物を探していると推測される。お目当ての品がなかなか見当たらないのか、結構苛立っているらしい。

 

(九体。一旦退いて、先輩に報告した方が賢明ですね)

 特有の音波からして、怪物どもは雑音舞踏軍に使役されたモノに違いない。九体の他に、見落とした怪物がいないか確認しながら、プルシアンは脱出の隙をうかがっていた。

 各個撃破ができるならばまだしも、密集している上に多勢に無勢だ。一人で奇襲を仕掛けるのは、若干無謀だ。早い所、怪物どもにはこの場を立ち去って貰いたいのだが、なかなかロッカーの前から離れてくれない。

 視界を塞ぐように横から飛び出した、怪物の乾いた身体。抉られた様に凹んだ眼窩が、通気口を覗き込む前に、プルシアンは姿勢を低くする。すぐ様、内部の傘立てや雫受を掴む。

 直後、怪物はロッカーの取っ手に左手を掛ける。が、プルシアンが内側から固定しているため、力を籠めても開かない。

「ヒラケヒラケヒラケヒラケ……」

 呻き声は、より早口になった。内側にプルシアンがいるとは知らず、より力を篭めて扉を引く。やはりプルシアンの怪力が勝り、扉はビクともしない。

「ナンダナンダナンダナンダ……」

「ココカココカココカココカ……」

 周囲の怪物が、続々とロッカーの前に集まってきた。この開かずのロッカーに目的のブツがあると、怪物どもは考えているのだろう。脱出もままならないどころか、プルシアンは完全に包囲されてしまった。

 相当苛立っている一体の怪物は、取っ手から左手を離すなり、ロッカーの扉を力任せに殴りつけた。更には憂さ晴らしと言わんばかりに、ロッカーを何度も蹴る。

内部にいるプルシアンは、コンクリート塀に激突した自動車の運転手のように、前後左右に激しく揺さぶられた。頭部がロッカーの壁に何度も激突して、少々痛い。

 と、赤熱した爪がプルシアンの頭上を掠めた! 烈火さながらに高温の爪は、ロッカーの鍵を貫通している。壊れた鍵を溶断すれば、ロッカーが開くと考えたのだろう。

 

(交戦は回避できませんか……)

 判断してからコンマ五秒、プルシアンは躊躇いなく扉を蹴り飛ばした! 超人的な脚力により、吹き飛ばされたロッカーの扉は、爪を貫通させていた怪物を巻き込み、諸共数メートル宙を舞う!

 近くに立っていた怪物二体は、鍵を溶断していた仲間が吹き飛ばされるのを、目で追っていた。やがて扉と一体の怪物は、後方にいた怪物ども六体とぶつかり、まるでボウリングのピンのように転倒してしまう。

 何が起こったか理解できずに、呆然と立ち尽くしていた、ロッカーの傍にいる二体。、物音立てぬように忍び寄ったプルシアンは、その片割れを背後から奇襲する。

 膝の裏を蹴り飛ばすと、バランスを崩した怪物が片膝をつく。プルシアンの胸辺りにある、怪物の頭部を上下から挟み込むと、赤子の手を捻るように、首の骨を折った。糸が切れたように、怪物は床に倒れ込むと、赤色の煙へと気化した後消滅した。

「ダレダ」

 遅れて気付いた近くの二体目が、赤熱した爪を水平に振るった。プルシアンは屈みつつ、片脚を伸ばしながら縦軸に回転。爪が頭上で宙を切ったと同時に、プルシアンの片脚は怪物のふくらはぎに引っ掛かる。

 片脚を払われた怪物は、攻撃の後隙で前のめりになっていた理由もあり、背中から派手に倒れ込んだ。淡々と、しかし素早く起立したプルシアンは、片膝を真っ直ぐ上げてから勢い良く怪物の顔面を踏み付ける!

 踵側の足裏が、怪物の顔面に突き刺さった。プルシアンがやおらに脚を戻すと、風化した頭蓋骨のように崩壊した、怪物の頭だったものが露わに。まもなく、そいつも消滅した。

 

「ポエーマン……ポエーマン……」

 吹き飛ばされた仲間と扉に、薙ぎ倒された遠間の怪物ども。

 身体を起こしながら、異口同音に呻いている。一層低い声で、威圧的に。烈火の怒りで爪がより激しく赤熱すると、血の色に染まったように室内が明るくなる。吐き気を催す異臭が、皮膚にへばりつく程に強くなった。

 三体目が、前傾姿勢になりつつ突撃して来た。振り上げた烈火の爪を、プルシアンの頬を目掛けて薙ごうとする。が、プルシアンは左手で怪物の膝裏を受け止めると、すかさず右肘を怪物の顔面に打ち込む!

 怪物は一瞬硬直し、気絶したのかそのまま前のめりに倒れ込む。怪物がプルシアンに対して後頭部を曝した瞬間、追撃で鋼鉄の肘をそこに振り下ろす! 金槌のように、顔面で床を打ち付けた怪物は、微動だにしない。

 続け様に四体目が、爪を振り下ろしてきた。プルシアンは左腕を風車のように一回転させ、怪物の右腕を巻き込み、捉える。右手で怪物の手首と、左手で肘を掴むと、そのまま腕を外側に折った!

 激痛で怪物がくの字になる。今度は内側に怪物の腕を折り畳むプルシアン。更に押し込むと、赤熱した爪が怪物自身の首を貫いた! 乾燥した身体が爛れ、強烈な異臭が発する。

 隙有りと斬り掛かる五体目。咄嗟に四体目を解放したプルシアンは、間一髪怪物の右手首を打ち払い、軌道を逸らす。

 そのまま二、三撃目を放つ怪物。やはり打ち払うプルシアン。怪物の四撃目は刺突だった。不用意に伸ばされた怪物の右腕を、プルシアンは半身になりながら前進して回避。

 懐に潜り込んだ彼及び彼女は、ローキックで反撃する。当然の如く片膝を付く怪物。低くなった怪物の頭部を両手で掴み、引き寄せながら膝蹴りを喰らわせる! 前後から怪力プレスされた怪物の頭部の命運は、想像に難くない。

 

「コイツコイツコイツコイツ……」

 残る四体は、プルシアンを包囲している。前後から二体が同時に斬り掛かってきた。プルシアンは横への足捌きで範囲から逃れる。

と、前から来た奴の爪が、不運にも後ろから来た奴の胴体を貫いてしまった。哀れにも、苦悶の呻きと共に消滅してしまう六体目と、同士討ちしてしまって困惑するもう一体。

 七体目の膝の皿を、プルシアンは踏み潰すように蹴り込んだ。軸足を壊され、尻餅をついた怪物の頭目掛けて、すかさず前蹴りを打ち込む! 怪物は後頭部が床に激突し、その際に鉄球が落とされたかのような陥没が出来上がる。

 と、プルシアンの背後から、八体目の怪物が羽交い締めにして来た。そのまま斬り掛かれば良いものを、仲間が近くにいたから、同士討ちを恐れたのかも知れない。

 九体目――一番最初に、プルシアンに扉諸共吹っ飛ばされた奴だ。大層ご立腹名なそいつは、拘束されたプルシアンを何度も殴る、蹴る。羽交い締めから逃れようと、激しく身体を動かすプルシアンには、しかしながら打撃はあまり効いていない。それが烈火の爪による一撃ならまだしも。

 羽交い締めにする八体目の力が、一瞬緩んだ刹那。プルシアンは横向きになりつつ、背後の怪物の首に腕を回す。そのまま地面に引き倒すと、九体目を見据えつつ八体目の後頭部を踏み潰した。コクン、と生々しい骨が砕ける低音が響く。

 狂乱した最後の一体が、側面から捨て身でプルシアンを押し倒した。対処が遅れて、仰向けに倒されたプルシアンの腰辺りに、怪物の頭部が乗る体勢になった。

 九体目は僅かに上体を起こし、左腕でプルシアンの首根っこを押さえる。そして、右手を振り上げる。烈火の爪が、プルシアンの顔面を貫こうとする……!

 だがプルシアンは、眉一つ動かさず、冷静かつ的確な動作で片脚を上げる。そして、上から怪物の首を押さえ込み、地面と自分の片脚で怪物の頭を挟み込んだ。

 振り下ろされた怪物の爪は、寸での所で両手で受け止める。怪物の右腕が引き伸ばされ、腕挫十字固のような体勢に。カウンターで拘束された九体目は、死に物狂いでのたうち回る。

プルシアンはもう片方の脚を、怪物の頭の下に潜らせ、上下から挟み込む。怪物に頸動脈があるかは怪しかったが、十秒程度で最後の一体は地面に伸びた。

 

「プルシアン! 大丈夫かい!?」

 おもむろにプルシアンが立ち上がった直後、月白がその場に駆け付けた。戦闘の騒ぎを聞き付けて、助けに来たのだろう。

 彼は既に変身を済ませている。月白色に染まった髪、瞳、衣装。後ろ髪は伸びており、暗闇で視界を確保するためなのか、左手中指の指輪は強い月光を放っている。

「月白先輩……勝手に交戦してすみません」

 と言いつつプルシアンは、九体目の頭部を踏み付けてトドメを刺す。乾いた皮膚と腐敗した骨が、粉々に砕け散る。咄嗟に把握ができなかった為に、プルシアンが人を殺したのかと思い、月白は蒼白になった。

 やがて最後の怪物が煙に気化する。数秒の沈黙があった後、今のは誰かに使役された怪物だったと理解した月白は、プルシアンに歩み寄りながら声掛けする。

「怪我はない?」

「えぇ……」

 淡泊に返答したプルシアンは、胸の辺りを摩りながら、息を整えている。「フーッ、フーッ」と、何かを息で冷ますように喘いでいるプルシアン。

「本当に? ひどく苦しんでいるように見えるけど」

 月白は、プルシアンの肩に手を置きながら言った。

「少しばかり、胸焼けが……。しかし、任務の続行には差し支えありません」

 深く息を吸い込んだプルシアンは、取り繕うように月白と向き直った。

「うん、それなら……。でも、無理はしないでね」

 確かに、彼及び彼女に、見たところ外傷は存在しない。慣れない実戦で、心身共に疲弊したのだろう。経験不足は、先輩の自分がカバーしなければ。

 

 踊るも 揺るぐも 傾かぬ塔の内
 篝火の熱ならば 一処ではあるのだ
 言葉は伝達を成し得ず散らされて行った
 がらんどうに夜空を注ぎたかった
 駆ける足音を鼓膜にぶつけ 瞳さえ遠ざかる日

 

 月白は、朗読によって放たれた指輪からの光を、プルシアンに向けた。彼及び彼女を懐中電灯で照らすように。神秘的な月の光は、熱が籠もったプルシアンの身体を、心地良い夜風のようにクールダウンさせた。

「先輩、それは沈静化の能力ですね。感謝します」

 プルシアンが、遠慮しがちに頭を下げる。月白は力強く頷き返した。

「それで、今のは一体――」

 そう月白が尋ねている最中のことだった。

 

「何でだよ何でだよ何でだよ何でだよ」

 怨嗟の声が響いた。月白とプルシアンは身構えるなり、声のした方に視線を送る。

「ほぼ間違いなく、本体です」

「今しがた、君が倒した怪物たちの、かい?」

 忍び声で話す内にも、地団駄を踏むように荒れた足音は、緩慢に接近してくる。暗闇に覆い隠された通路の曲がり角を、月白は指輪から放つ月光で照らす。

「何でどこに閉まったか忘れてんだよ、ここの連中は」

 愚痴と共に、通路の角から何かが飛んできた。二人から見て、左から右へと飛んだそれは、トン、とか弱い音と共に壁にぶつかった。

床に落ち、パーツがバラバラになったその一部が、二人の足元に転がって来る。ピンクのリボンに、ブラウンのロングヘア、可愛い顔をしたお人形の……生首だ。

「僕のせいじゃない僕のせいじゃない僕のせいじゃない」

 曲がり角に横たわる人形の胴体を、思い切り踏み潰し、砂埃のように破片を蹴り飛ばした。

その青年は、白系のパーカーを着ており、フードの下は短髪で少々ボサボサな銀髪。下半身は淡い茶色のズボン。左右に貫通した、腹部のポケットに両手を突っ込みながら、死神のように俯いたまま、曲がり角で立ち止まったフードの男。

「僕のせいじゃない。ディスクが見つからないのも、ポエーマンズに見つかってしまったのも」

 そう言ってパーカー男は、ポケットから両手を引き抜いた。右手には紫色のカードが一枚、左手には色を異にする三、四枚のカードが握られている。月白とプルシアンが、威圧するように一歩間合いを詰めるや否や、パーカー男は右手のカードを投げ付けた。それは二人の足元で、床に突き刺さる。

「復讐復讐復讐復讐復讐復讐復讐復讐……」

そしてパーカーの呪術師は、何やら呟きつつ視線を持ち上げ、ポエーマンズを睨み付けた。彼の目の下には、幾日も不眠でいるような不健康な隈があった。不協和音のような声が繰り返される度に、彼の目は赤く染まっていく。

「聴くまでもないが……」

 月白は周囲を警戒しながら言った。床に刺さったカードを中心点に、紫色の煙が発生している。二人を包囲するように。

「雑音舞踏軍、戦闘構成員パリピーです」

 プルシアンが言いつつ、二人は自ずと背中合わせになった。紫色の煙は、次々と復讐の怪物へと実体化する。ミイラのような身体には、全身至る所に紫色の痣がある。

 

 怪物の出現と同時に、月白は回し蹴りを、プルシアンは肘打ちを、それぞれ目の前の一体にお見舞いする! 先制攻撃を食らい、よろめく二体の怪物。

「うわっ!?」

「くっ……」

 と、月白の足とプルシアンの肘に、ダメージが跳ね返ってきた。ダイヤモンドを素手で殴ったかのような、痺れるような痛み。

「……触っちゃ駄目な能力持ちみたいだね」

月白は痛みを逃がすように、爪先で床を叩きながら言った。

よろめいていた怪物二体は体勢を立て直し、他の怪物は動かない。再び背中合わせになって構え直すポエーマンズ。仕切り直しだ。

「恐縮ですが、何か武器を使うのが、上策かと」

 プルシアンは脱力した腕をブラブラさせながら返した。と、月白は床に転がっている鉄パイプを拾い上げ、すかさず目の前の怪物の脇腹を殴った! プルシアンもコンクリートの瓦礫を持ち上げると、もう一体の怪物の頭部目掛けて投げ付けた!

 両名の攻撃は直撃、再度二体の怪物はよろめく。が、鉄パイプを伝導して月白の手にダメージが反射し、怪物の頭に当たって砕けた瓦礫は、破片となってプルシアンに跳ね返る。

(よしよしよしよし……そのままあのカードを引くまで、時間を稼げよ)

 またもや怯み、背中合わせになるポエーマンズ。取り囲みながら、敢えて仕掛けずにいる復讐の怪物ども。離れた場所で観察するパーカー男は、フードの下でほくそ笑む。

(あの女……いや、男か? まあいい。アイツは疲れているから、強欲の怪物で体力を吸収すれば――)

 先程の戦闘もあり、プルシアンは早くも肩で息をしていた。パーカー男はニヤリと笑いながら、右手を腹部のポケットから引き抜いた。彼が掴んでいる一枚のカードは――。

(クソクソクソクソ! 早く来いよ、強欲!)

 どうやらお目当ての強欲のカードではなかったらしい。即座にそれを、ポエーマンズの足元目掛けて投げ付けると、何やらブツブツ呟き始める。

 

「先輩、一つ思い付きました」

 プルシアンが言うと、焦燥感に駆られている背後の月白の返答を待たずして、目の前の怪物の身体を掴んだ。そいつを怪力で投げ飛ばすと、手近に居た他の一体と衝突させる。

 と、彼らは「グオォーッ!」と断末魔を上げながら、地面を無様に転がり回り、呆気なく消滅した。

「……そうか! 反射能力を持つ者同士が、お互いにダメージを与えることになったら――」

「はい。相互でダメージの反射が繰り返され、結果指数関数的に被害は深刻化します」

 感心する月白と、次の目標を見据えているプルシアン。先程までの余裕な態度はどこへやら、復讐の怪物どもはたじろいでいた。

 数瞬後、パーカー男が詠唱を完成させたことにより、増援の怪物が現れた。ダメージ反射への対処法を確立された以上、待ちの戦術に何の意味もない。復讐と、増援の怪物たちは、一斉に突撃を仕掛ける!

 プルシアンは主に投げ技で迎え撃つ。怪物の身体を武器として、反射能力を逆手に取りつつ、多数の敵を巻き込みながらの大立ち回り。

 

 幾重の手と手の階に
 解けた隙間の冷を識り
 生く新しきを知る者が
 躍動遂げれば石弾く

 

 月白はプルシアンの攻撃に巻き込まれないよう、距離を取りながら後輩を、朗読による沈静化能力で癒していた。既に疲れを見せているプルシアンは、徐々に動きのキレが衰えていくし、人数差故に軽微とは言えダメージを多々受けている。プルシアン程体術が得意ではない月白は、足を引っ張らないよう支援役に徹した。

 靴の先で、何度も床を叩いているパーカー男。イライラしながら、ポットから新たなカードをひいては、それが『強欲』でないと認知するなり、包囲網の中心に投擲。同様に増援を送り続けている。

 目当てのカードを引くまで粘る中、怪物たちは着実に数を減らし、呪術師は追い詰められていく。

 

   ◆   ◆   ◆

 

(来た来た来た来た! 強欲!)

 ようやく目当てのカードを手にしたパーカー男は、不敵に笑う。これがポーカーなら、「こいつジョーカーを持ってやがるな」と思われるに違いない。

 強欲の怪物は後衛に配置したいから、カードを自分の足元に投げ捨てる。「強欲強欲強欲強欲強欲強欲強欲強欲……」と唱え始め、パーカー男の周囲に緑色の煙が発生。

 やがて強欲の怪物どもが、パーカー男の目前で横陣を組んで召喚される。やはりミイラの身体、それを飾り付けるは緑色に腐食した金銀財宝。

「ふぅ……」

 前衛の怪物ども、その最後の一体首を、背後からへし折ったプルシアン。動かなくなった怪物から手を離すと、一瞬フラリと倒れそうになる。もし月白が癒してくれなかったら、とっくにスタミナ切れで倒れていただろう。

「チョウダイ……チョウダイ……」

 いやに不気味なソプラノボイスが聞こえた。パーカー男の方に目をやると、飴をねだる子どものように、両手を差し出している怪物どもが、横一列に。

 誘蛾灯に引き寄せられるかのように、数多の緑の粒子が、そいつらの両手に集まっていく。ハッとなって自分の身体を見るプルシアン。強酸のプールに沈んだ金属が、泡を放出しながら溶けるかのように、緑色の粒子が自身から漏洩している……!

「くっ……」

 後方を顧みると、月白は自らの頬を平手で叩き、意識を保っていた。何かしらの攻撃を受けているに違いない。

(体力吸収の能力ですか)

 プルシアンは強欲の怪物へと一直線に走り出す。視界の四隅が霞み、奴らの声は次第に小さくなる。焦点が遠のいた奴らまでの道のりは、暗く長いトンネルのよう。

 

「怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰……」

 戦闘開始から手札として保持していた、怠惰の怪物の召喚を試みるパーカー男。強欲を守るように、新手を配置するつもりだったが……。

 時既に遅し、急速接近したプルシアンが、瞬く間に強欲どもを薙ぎ倒す! 肘打ちや膝蹴り、一体につき一撃で呆気なく崩れ落ちる、耐久力が脆い強欲たち。

「待て待て待て待て!」

 場に出ている全ての怪物が倒れ、無防備となったパーカー男。詠唱を中断し、慌てた様子で後ずさりする。

 この好機をプルシアンが逃すはずもなく、男の腹部にストマックブローをブチ込んだ!

「ウッ!? クッ、カッ……」

 生身の人間が相手だから、流石に手加減はしてある。が、的確に胃袋を押し潰されたパーカー男は、持っていたカードを取り落としながら両膝をつく。

「やった!」

 体力吸収能力が止まり、マトモに動ける気力を取り戻した月白。後輩の活躍を前にして、自身も嬉々とした表情を浮かべる。

「ア、アッ……」

 両手で腹を押さえて蹲るパーカー男は、蛙のような悲鳴を上げる。内臓から逆流したかのように、口から唾液が垂れ流され、それどころか涙さえ零れ落ちる。

 プルシアンは念入りに敵を無力化すべく、背後から彼の首に腕を回す。裸締め、或いはヘッドロック。首の頸部を締め上げれば、ものの数秒で彼は気絶するだろう。

「……?」

 ところがだ。二十秒ほど経過しても、パーカー男は意識を失わない。激痛に喘いでいる彼を、プルシアンが首を支点にして持ち上げているだけに見える。

「プルシアン?」

 月白が不審に思って声掛けする。虚ろな半目をしている後輩からは、返事がない。

「……ガキが!」

 パーカー男が気力を振り絞って、プルシアンを振り払った。超人的な腕力を誇るはずのプルシアンは、簡単にバランスを崩し、前のめりに倒れ込む。

「やりやがったな、やりやがったな!」

 パーカー男は脂汗や涙を垂れ流しながら、お返しとばかりに鈍いキックを繰り出した。プルシアンなら防御するのは造作もないはずだが、その素人キックはプルシアンの側頭部にモロに入った。

 

「プルシアン! 大丈夫かい!?」

 まずい、体力切れだ。最早プルシアンは、返事をすることさえままならない。月白は動揺しつつも、プルシアンを救出する為に、接近戦の備えをする。

「詩刃、顕現」

 月白が嵌める指輪、月輪に指で触れてそう唱える。指輪の青白い光が一際煌めくと、満天の星々のように無数の光子となり離散。それらが月白の左腰部に移動すると、太刀の鞘へと変形する。

朔太刀ついたち、抜刀認証」

 佩刀された太刀の柄に、手を掛け唱えた。強い煌めきは収まったが、尚も淡く光る詩刃、朔太刀を抜刀する。

 形状そのものは、古き良き倭の国の太刀。でありながら、月輪と同様のアラベスク模様が、柄や鞘、鍔などにあしらわれ、古代密教的な様式を思わせる。刃文は乱刃の一種のようにも見えるが、その実どの種類にも該当せず『月相』と呼ばれている。

「烈火烈火烈火烈火……っ!」

 ポケットから烈火の怪物のカードを引くと、パーカー男の方も召喚を開始。胃に受けたダメージが残留し、時折苦しそうに呻いている。戦況が変わったため、守りに向いた怠惰よりも、今引き当てた近接線に長けた烈火の召喚を優先すべきという判断。

 月白は詩刃にコトダマを籠め、有明色の刃とした。詩刃に籠めたコトダマによって、その性質は変化する。

 

 ほぼ同時に、烈火の怪物らも戦場に現れる。その数三体。プルシアンが相手取った九体と比べれば、三分の一。倒された怪物らは、時間経過で復活するのだが、再召喚するには早すぎたかも知れない。

(まだ三体しか復活してなかったか。まあ、あのオッサンくらいなら)

 パーカー男は無言で月白を指差し、烈火の怪物らに攻撃を指示する。未だに激痛に苛まれるパーカー男は、足を引きずるように移動しつつ、取り落とした手札の回収を始める。

 

 相互にじりじりと間合いを詰める、月白対怪物三体。朔太刀・有明の全長は110cm、刀身は80cm。烈火の爪と比べてリーチが倍以上ある。

 月白が一歩踏み込めば、詩刃の切っ先が届くか届かないかの間合いで、一人と三体は歩を止める。頭上で刀を斜め気味に構える月白。これ以上近付けば、斬られると理解している烈火どもは、立ち往生していた。突き出された烈火の爪が放つ黒い赤光と、掲げられた有明が放つ深く透明感のある青が、間合いの中央で黄昏のように入り交じる。

 中央の一体が、爪で頭上からの斬撃に備えつつ、恐るおそる一歩踏み込んだ。

「せいやっ!」

 すかさず月白も踏み込み、袈裟斬り! 垂直に刀が振ってくると読んでいた怪物だが、生憎の斜めな太刀筋が、肩口から腰に掛けて斜めに切り傷を作る。堪らず身を引き、間合いの外へ逃れる怪物。

「ウオェ……」

 手札の回収を終えたパーカー男は一瞬、胃液を吐きそうになった。辛うじて耐えた後、怠惰のカードを月白の足元目掛けて投擲、床に突き刺す。

「怠惰、怠惰……くっ」

 増援を送り込もうと企むが、プルシアンが与えた激痛が、召喚の速度を大きく遅延させている。

 

 ややあって、手負いの怪物が姿勢を低くし、前転しながら間合いを詰めようと再チャレンジ。

「はあっ!」

 気合いと共に、二度目の斬撃を繰り出す月白。今度は垂直に振り下ろされた。手負いの怪物は立ち上がる中途で、防御が間に合わず腕と太股に傷を受ける!

 と、朔太刀が振り下ろされた隙を突いて、他の二体がダッシュで間合いを縮めてくる。月白はすぐに朔太刀を引き戻すと、水平に払い斬りしながら、側面へ大きく移動。両側から囲まれないように、全ての敵を視界の中央に留めたい。

 重傷の一体と、すかさず九十度方向転換した二体は、尚も月白に全速力で迫る。月白は後退しながら、自分に有利な間合いを保とうとする。

 背中が何か硬い物に触れたとき、月白はほんの一瞬だけ振り返った。壁だ。これ以上後退できない。縦陣となって迫り来る三体の怪物。既に先頭の一体の烈火の爪が、届く間合いまで踏み込まれている……!

 月白は朔太刀の刃を下に向けた状態で、左腰部にて脇構えする。先頭の一体が爪で斬るよりも早く、左下から右上に向けての逆袈裟斬り! これはタイミングが早かったので、先頭の怪物に爪で防御される。

 攻撃後の隙を狙って、重傷を負っている一体が、爪を上から振り下ろそうとした。だが月白は、一合目の勢いを生かしたまま、朔太刀を斜め軸に回転させ、二度目の逆袈裟斬り!

 一合で終わると踏んでいた重傷の怪物は、綺麗なカウンターを受け、ついにダメージの許容限界を超えた。爪を振り上げたまま数瞬硬直し、やがて倒れる。

 その間、三体目の怪物が月白に爪で斬り掛かって来たが、これは朔太刀の刃で間一髪防御に成功。素早く月白が横に移動し、残る二体を正眼に捉える。

 

 ここで怠惰の怪物の召喚が完了する。例によってミイラの身体、しかし現れた怠惰の二体は度を超した肥満体型であった。烈火の二体は、それぞれ一体の怠惰の背後に身を隠す。

 前後から挟撃するように迫り来る怠惰たち。あまりにも鈍重。歩幅が小さい11号が歩くよりも、更に遅いのでは?

 前の怠惰の怪物は、クレーン車が鉄球を引き揚げるかのように、極めて遅く拳を振り上げた。喰らえば間違いなく全身の骨が砕けるに違いないが、走れば容易に脇の下を潜り抜けられる遅さ。振り上げられた巨大な拳が、怪物の頭上で一瞬止まった刹那。

「せいっ!」

 月白は怠惰の胴体を、力一杯水平に斬りながら、斜め前に走り抜ける! 鉄球のような拳が空を切ったのは至極当然。綺麗に巨漢を切り裂いたという、確かな手応え。

 だが、月白が怠惰と擦れ違った瞬間、巨体の陰に隠れていた烈火が、爪を伸ばして月白の脇腹を引っ掻いた!

「うっ!? くっ……」

 烈火の爪の間合いの外まで走り抜けると、月白は振り返りつつも、片手で引っ掻かれた場所を押さえた。見れば爪痕が――というより、焼き切られた跡の四本がスーツにできていた。高熱のアイロンを押し当てられた場合に似た、熱いような、鋭い痛みが、月白の内臓へと潜り込もうと暴れている。

 狼狽えている暇はない、正眼に構えながら四体に対して向き直る月白。一閃を決めたはずの怠惰には、身体に赤いみみず傷が出来ているのみ。殆どダメージを喰らっていない。

「効いていない? ……ならば!」

 すかさず月白は、新たなコトダマを太刀に籠める。今度は宵待色の刃に変化した。

 

(月白……先輩……)

 虚ろな半目をしているプルシアンは、辛うじて意識があった。渦潮のように撹拌される視界には、孤軍奮闘する月白の姿が。

 一定の間合いを保ちつつ後退りする月白は。怠惰の一体には腹部に、もう一体には脚に、朔太刀・宵待の刃を浴びせた。タフな巨漢は、まるで痛みを感じていない。

 壁際に追い詰められた月白。怠惰の二体の間を駆け抜けてて、背後を取ろうとする。怠惰と擦れ違った瞬間、両側から烈火で引っ掻かれる月白。肩と脚に新たな火傷を負い、苦痛に眉を顰めた。

(『雑音吸収』を使う他、選べませんか……)

 このままでは、月白がやられるのも時間の問題だ。プルシアンが見上げると、パーカー男は新たな怪物を送り込むため、呻きながらも召喚の詠唱をしている。今すぐにでも救援しなければ、先輩が危ない……!

(ですが、私が暴走してしまったら?)

 プルシアンは、能力を行使する寸前で踏み止まっていた。それは彼及び彼女が恐れる、『暴走』の危険性を孕んだ禁じ手であった。

 

 再び壁際に追い詰められる月白。背後に回り込もうとすれば、巨漢に護られた烈火の爪に、引っ掻かれてしまう。かと言ってこれ以上の接近を許せば、退路を断たれて袋叩きだ。

 月白は冷や汗を垂れ流しながら、壁に背中を押し付けて動かない。巨漢が一歩距離を縮める度に鳴る、凄まじい地響きが、月白の心臓を突き上げる。高層ビルが自分の方に倒壊して来るのを、すぐ傍で見上げているかのような悪寒だ。

 ――突如、怠惰の二体が歩みを止めた。そして口を手で押さえた。

(やっと毒が回って来た……!)

 宵待のコトダマ、それで斬り付けた相手の体内には毒が回る。外部からの攻撃で、怠惰を倒すのは至難だと判断した月白は、毒が効くまで逃げ回っていたのだ。

(体内に毒が回っている最中は、通常攻撃でも絶大な威力になる。動きが止まった、今だ!)

 巨体の陰に隠れた烈火の爪。その間合いに入らないよう、月白はあえて踏み込まずに、片手を伸ばして太刀を薙ぎ払う。

 その切っ先は、怠惰の二体の肥えた腹を、僅かに切り裂いた程度であった。だが、朔太刀・宵待に反応した体内の毒が、爆発的な劇毒へと変貌し、巨漢の体内を冒す!

 ドン。片膝を付いた怠惰の怪物。そして、ズドーン! と巨大トラックが横転したかのような轟音と共に、二体の怪物は倒れ込んだ。巨体を盾にしていた烈火の二体は、素早く後退して、月白の間合いから逃げる。

 と同時に、またもや怪物の増援が現れてしまった。しかも数が多い。瞬く間に半円の包囲網を完成させる怪物ども。

「キサマキサマキサマキサマ……」

「カクゴシロ……カクゴシロ……」

「サス……! サス……!」

 めいめいに呪詛を吐く怪物どもは、月白の攻撃を誘うように、じわじわと包囲網を狭めていく。誰かに斬り掛かったが最期、全軍突撃してやられてしまう。理解している月白は、太刀を正眼に構えながらも、一切の行動ができない。

「慟哭慟哭慟哭慟哭……」

 パーカー男はダメ押しだと言わんばかりに、更なる増援を召喚中である。

 

(……すみません、使います)

 一刻を争う事態によって、プルシアンは『雑音吸収』を使う踏ん切りがついた。強く念じると、全身の感覚が曖昧になる。自身が周囲の空間と一体化するように思えた。

「慟哭慟哭慟哭慟哭……」

「トドメトドメトドメトドメ……」

「シマイダ……シマイダ……」

「ヤッチマエ、ヤッチマエ……!」

 敵軍勢の呻き声は、口元に布を押し当てられたように、くぐもって聞こえる。それらはプルシアンの体内循環器に流入する。雨水が地面に浸透し、地下水に取り込まれるように。

「eamittay adiamis emodot ukokuod…」

 擦り切れたレコードのように、アクセントが狂い、調子が不安定な発声。何かが崩壊しながらも、プルシアンは上半身を両腕で持ち上げた。

「adiat usas orisogukak amasik amasik amasik…!」

 奇っ怪な叫び声は、マイクのハウリングのように、近くに居たパーカー男の耳を劈いた。思わず目を瞑ったパーカー男は、「慟哭慟哭……」と詠唱を続けながらも、背後を見た。

「ukokuod ukokuod ukokuod dddddddd!」

 何かに取憑かれたように、スクラップのような音声を嘔吐しながら、プルシアンは腕を水平に振るった。鋭敏で的確な武術とは、お世辞にも言えない乱雑なモーションだった。

 バットでスイングするような腕を、大胸筋に受けたパーカー男。理に適ったではないため、致命傷には至らなかったが、それでも彼を吹き飛ばすには十分だった!

 後頭部と背中が壁に激突したパーカー男は、「ぐはっ!」と短い悲鳴を上げた。持っていた怪物のカードが、宙を舞う。壁をずり落ちると、そのまま壁に凭れ掛かって膝立ちに座り込むのであった。

 

 烈火の爪が届く範囲まで、包囲網が狭まった。朔太刀に別のコトダマを宿している暇もない。

「サセ、サセ……!」

 息を合わせて、二体の烈火が爪で突いてきた。月白に出来ることと言えば、二体の攻撃を刀身で防御することだけだ。

そこに僅かな隙が生じる。刀で爪を弾いたときの「キン!」という高温が、総攻撃の合図となる――!

「esasssssssssssssss!」

 比喩すれば早送りしたビデオ、もしくはコンマ一秒間以下のリピート再生。猫背で駆け付けたプルシアンの声を、月白は機械音声と勘違いしていた。

 無数の怪物が一斉に床を蹴り出した瞬間、プルシアンが半円陣の側面から、ショルダータックルを仕掛ける! 密集していた怪物たちは、ドミノ倒しのように総崩れになり、互いに縺れ合いながら押し倒される。

「プルシアン!」

 勢い余って、敵軍諸共倒れたプルシアンを見て、月白がすぐに駆け寄った。

「nnaisurup p p p…」

 ケーブルが焼損したかのような、小さな破裂音を連呼しながら、重い身体を持ち起こすプルシアン。月白は後輩の顔を正面から覗き込んだ。するとプルシアンは、血走ったを通り越して血塗れになった両目で、月白を見返して来た。

「p p p p p…!」

 四つん這いのまま、プルシアンは床を蹴った。無駄な力が入り過ぎて、そのまま滑って転倒しそうだったが、無理矢理前進した。そして何の脈絡もなく、月白の首を両手で締め上げる!

「ど、どうしたの!?」

 宙吊り状態で頸動脈を締め上げられた月白は、動揺や痛みが入り交じり頭に血が上った。自身の顔面に異常な熱さを感じながらも、寝入りばなのように意識が遠のいていく。

「onatisuod od…」

 力で持ち上げた月白を、見上げる形となっていたプルシアン。またもや意味不明な言葉を吐くと、俯きがちになり、溺れる寸前で陸に上がったかのように、痛々しい呼吸を始める。月白の首を締め上げる力が、少し弱くなった。

「レッカ、ダ。レッカ、ダ。レッカ、ダ。レッカ、ダ」

 と、他の怪物たちに下敷きになっていた、烈火の怪物二体が這い上がった。

「r r r r」

 反応したプルシアンは、月白を投げ落とした! 床に叩き付けられた月白は、二階から転落したような痛みを背中に受ける。幸いにも武術的な投げ技では無かったため、行動不能になるほどの傷でなくて済んだ。

 プルシアンの背後で、既に一体の烈火が爪を振り上げられていた。振り向きざまに、全体重を乗せた右ストレートで、怪物の胸を貫くプルシアン! あろうことか、その右拳は身体に風穴を開き、背中の穴からプルシアンの拳が露出している。そのまま赤色の煙となった怪物。

 プルシアンが右拳を引き戻すと、もう一体の烈火が真っ直ぐに爪で突いてきた。又々あろうことか、プルシアンは一切の防御姿勢を見せず、左手を大きく振りかぶる。そのまま腹部を爪で貫かれながらも、平然と左手を怪物の首筋に打ち下ろす! 腹部に刺傷及び火傷を被ったプルシアン。怪物は首の骨が折れて、一撃で赤色の煙と化した。

「お、落ち着いて!」

 月白は朔太刀を指輪に変形させ、沈静化能力を発揮した。

 

 鍵束は見せかけの行方
 眼前の門が開けばいい
 他所を閉ざす事はない
 両手を広げて僕は待つ
 君のとなえる挨拶を。

 

朗読と共にドーム状に広がる青白い光は、月白の外傷は元より、プルシアンの精神も癒してくれるはずだ。

「ヤレヤレヤレヤレ……」

「erayerayerayerayyyyyyyyyyyy!」

 暴れ回るプルシアン。身体能力が更に強化されたように見えるが、狂乱した獣のように乱雑な動きは、時折怪物に躱され、反撃さえ許してしまっている。手痛い傷を喰らっても、プルシアンが一切怯まないのは、恐らく月白の沈静化能力だけが原因ではない。

(何か、コトダマを吐き出しているのか?)

 月白は思い出す。阿蘭やプルシアンが口にしていた、『暴走』という二文字を。後輩が正気を取り戻す鍵は、漏洩している言葉にあると考えた。

この一連で、プルシアンが喋った言葉について思案する。詩を使って戦う戦隊、ポエーマンズなのだから、言葉に隠されたギミックを炙り出すのは得意だと自負している。

(アナグラム? 暗号? それとも、別の言語か?)

 月白が考えている間、パーカー男は這いずりながらカードを回収していた。

(道連れだ、道連れにしてやる……)

 全てを回収し終えると、蚊の鳴くような声で詠唱を開始する。あまりにも弱々しいぶつぶつ声。怪物たちの呻き声に掻き消されて、暴走したプルシアンに集音されることはなかった。

 

「プルシアン、後ろ!」

 月白が叫ぶ。プルシアンの背後から、鉄パイプを持った怪物が襲い掛かったからだ。

「orihsu naisurupppppppp」

 やはり解読不能な言葉を発すると、プルシアンは背後の怪物が攻撃するよりも速く、そいつの胴体に両腕を回す。まるで発泡スチロールのように軽々と、怪物の身体を持ち上げると、それを月白目掛けて力ずくで投げ付ける!

 月白は寸での所で、側面へ飛び込み前転して回避した。沈静化能力によって、自分の傷はある程度治療されている。月輪の加護がなかったら、こうして回避する気力も残っていなかっただろう。プルシアンにやられていたかも知れない。

「ヨクモヨクモヨクモヨクモ……!」

 また別の怪物が、プルシアンの襲い掛かってくる。素早く振り返って攻撃するプルシアン、しかしモーションに無駄があって、怪物にギリギリで避けられてしまう。

(……何か喋った者に対して攻撃するのか?)

 指輪を上に向け、半球状に沈静化の光を展開し続ける月白。脳内で、神経と神経が繋がりそうなむず痒さを覚える。

(いや、でもさっき僕が「落ち着いて」と言った時には、攻撃されなかった。十分に沈静化されたからなのか? あぁ、でもその説に則ると、今僕が攻撃されたのはおかしい)

 プルシアンが蹴散らした為に、残る怪物は二、三体。ふと月白は、パーカー男の方に目を遣る。彼の周囲に煙が展開されているのを見るに、何らかの怪物を召還中だろう。

「ゲホッ、ゲホッ」

 しかし、プルシアンから二度も強烈な打撃を受けたパーカー男は、激痛に起因するのか咳き込んでいる。あのペースでは、プルシアンが全ての怪物を片付けるまでに、間に合わないと確信する。そうすると、プルシアンはパーカー男に……最悪月白にも、トドメを刺すだろう。

 意を決した月白は、沈静化を使うのを止めた。

「詩刃、顕現。朔太刀、抜刀認証」

 指輪を再び詩刃形態に変化させる。次に籠めるコトダマの色は、黄昏色だ。尚も暗闇の深さが増す空間に、射し込んだ光は、憂愁か、希望か。

 

 朔太刀に黄昏のコトダマが宿るとほぼ同時に、プルシアンは最後の一体を倒した。プルシアンは血走った目で、交互に視線を送っている。太刀を脇に構えている月白と、腹部を押さえながらのたうち回っているパーカー男を。

 獲物と見定められたのは、月白の方だった。朔太刀に宿した黄昏のコトダマに、反応したのかも知れない。頭を抱えながら、前後左右にフラフラと揺れていて、すぐには飛び掛かって来ない。だが、あらゆる負の感情が渦巻いている双眸は、間違いなく月白を見据えている。

(ツイてるな。アイツら完全に仲間割れだ)

 ほんの一瞬、パーカー男はニヤリと笑った。すぐに苦悶の表情に埋め尽くされたが。

「ハァ……ハァ……・」

 肩で息をしているプルシアンを、月白はじっと観察していた。プルシアンの両手が赤熱しているのは、烈火の怪物のエネルギーを吸収したせいだろうか。

 暗闇の廃墟は、火災が発生したかのように、赤い光に呑まれた。月白の周囲のみが、黄昏の光に庇護されている。

 プルシアンが一歩踏んで、静止した。あわや倒れる寸前で踏み止まったのか。そのままもう一歩を踏み出すのかと思いきや、その場から月白の方へ、鋭く低い軌道で跳躍する。立ち幅跳び、いや走り幅跳びだとしても、明らかに人間の限界を超えた跳躍力だ。

 低軌道で飛んでくるプルシアンは、反り返った体勢で、両手を頭の上で組んでいる。その鈍器・・を月白の頭に叩き付ける魂胆だろう。

対する月白は、後ろ足を更に引き、また姿勢を更に深くした。脇に構えた太刀、握る力を一瞬わざと緩めた。

流れ星のように、赤い光を曳きながら迫るプルシアンの両手。踏み込むタイミングを見計らっている月白は、その速さが実際の五分の一にも、十分の一にも感じる。

 少しでも遅れれば、頭が潰されるかも知れない。かといって、少しでも速ければ太刀を外して、カウンターで首の骨を折られてしまうかも知れない。極限状況だった。知らぬ間に流れた冷や汗が、月白の顎から滴り落ちる。

 そして――。

 

「やあっ!!」

 赤い閃光と黄昏の閃光が交差する!

 胴斬りの残心で駆け抜ける月白。組んだ両手を振り下ろした状態で着地するプルシアン。二、三メートルの間合いで、互いに背を向けたまま、数瞬の沈黙。

 険しい面持ちで、正眼に構えている太刀の先を見詰める月白。血走った目のまま、息を荒げたまま床を見詰めるプルシアン。

 緊張が頂点に達した瞬間の記憶がない。その太刀を握る手に、その振り下ろした手に、両者とも手応えは感じられなかった。

 やがて、片膝を付いたのは――。

「うっ……」

 プルシアンの方だった。

「すまない、プルシアン」

 斬り付けた後輩に、背を向けながら月白は言った。

プルシアンは、激しく髪を振り乱しつつ立ち上がる。歯を食い縛りながら反転すると、既に接近していた月白が、上段に太刀を構えていた。

「本当に……ごめん!」

 引き攣った顔で月白が言うと、容赦なく太刀をプルシアンに浴びせた! 袈裟斬りから始まったその連斬は、肩から腰へ、右腕から左腕へ、太腿から脇の下へと、文字通り八つ裂きにする勢いだった。

 

(馬鹿だ、馬鹿だ……!)

 這う姿勢で、たどたどしい詠唱を続けていたパーカー男は、笑いを抑えるのに必死だった。

(あのオッサン、自分だけ生き残ろうとして、テンパった仲間を見捨てやがった! 僕の詠唱が終わったら、あいつ如きじゃ勝てなくなるのになぁ!)

 十合以上も斬り付けられたプルシアンは、ぺたんと座り込んでしまった。怪物に殴打されても、殆ど外傷を受けなかったプルシアンだが、朔太刀・黄昏により大人しくなる。血走っていた目は、変身後特有の青い瞳に戻った。

「月白、先輩……」

 僅かに開かれた口から、か細い声が漏れ出た。月白は、容赦なく切り刻んだ後輩に、手を差し伸べる。プルシアンは、先輩の手を借りて立ち上がると、何度も深々と頭を下げる。

「大変ご迷惑お掛けしました。本当にすみません」

 失意の底にある面持ちながらも、その動作は溌剌としたもので、おおよそ瀕死であるとは考えられない。

(な……なんだなんだなんだ?)

 パーカー男は詠唱を続けながらも、胸中では唖然としていた。月白に切り刻まれたと言うのに、なぜプルシアンは立ち上がれる? 外傷がないのはさておき、さっきの怠惰の怪物のように、毒か何かで内側から破壊したはずでは?

「いいんだよ、プルシアン。手荒い方法になって、すまなかったけれども」

 月白は、少し無理して微笑みを作る。

「消化不良を起こしていたらしいから、黄昏で体力を吸収させて貰ったよ。……こんな不快な感覚だったら、暴走してしまうのも無理ないよね」

 朔太刀・黄昏の能力は、斬り付けた相手の体力を奪う。あえてプルシアンを斬ることで、許容量を超えた体力を代わりに請け負ったのだ。

 主に怪物から吸収したこのエネルギー。強い酒に酔った際の体調不良を伴う高揚感を、月白は感じていた。プルシアンは、この二倍も三倍ものに魘されていたと考えると、暴走してしまうのも無理はない。正常に消化されれば、心地良い熟睡から目覚めたような、安全なエネルギーとなるのだが。

「何故、私の暴走が消化不良に拠る事象だと、把握できたのですか?」

プルシアンは訝しんだ。

「君は誰かが喋った言葉を、逆さ読みにして吸収していた。『どうしたの』と僕が言ったならば、『おなちすお、d』と。そして、母音で始まらない文は、上手く消化できなくなる」

 月白が手短に答えると、プルシアンは驚いたのか、しきりに瞬きをした。

「よく分かりましたね……」

「それはもう、言葉を武器に戦う詩人戦隊だからね。得意分野だよ」

 月白は微笑みを絶やさずに言った。後輩をこれ以上落胆させまいという意図があったが、しっかり謝罪しなければやはり気が済まないプルシアン。

「本当に、ご迷惑お掛けしました。見苦しい言い訳とはなりますが、消化が不可能な言葉を耳にすると、あまりの不愉快さに、その発生源を排除しなければという意識に囚われ――」

 

 長大な時間を掛けた末、パーカー男がようやく詠唱を完了した。詩人戦隊とパーカー男、両者の間に割って入るように出現した怪物ども。その数は今までで最大限であり、正しく呪術師にとっての切り札・・・とも呼べる。

 謝罪を中断して、プルシアンは敵の軍勢を見据えた。月白は横からプルシアンの肩に手を置く。

「プルシアン、君から体力を吸収できたおかげで、傷が元通りだよ。それどころか、今までにないくらい絶好調だ」

 プルシアンが一瞬目を合わせると、月白の顔は自信に満ちていた。

「はい。私も体力が限界を超えて回復しました。先輩が消化不良を治療して下さったおかげです」

 

 にわかに、同時に、「すぅー」と息を細く吸う音が二つ。敵の大軍勢を目の前にして、一瞬目を閉じたのは、外界の情報をシャットアウトし、意識をシンクロさせる為なのか。

 

 廃屋の根城は待てど暮らせども常夜に据わり暁を見ず

 

 格調高く、ドスを利かせた月白の声が響く。廃墟を支配する暗黒を、上塗りするかのように、薄暮の景色が広がった。半紙に墨汁を零したが如く。

 二人のポエーマンは、どちらともなく目を開く。背後に三日月が浮かび上がった。薄暮、つまり低い位置にある月は、二人の影を長く伸ばす。ガラスのように透明となった床を、侵蝕するように伸びる鋭い影は、怪物どもの足首に絡み付く。

「オオオォォォーーー!!!」

 怪物どもは、数に任せて一挙に押し寄せた! 迎え撃たんと、プルシアンがおもむろに歩き出す。前のめりに倒れそうな程に、形振り構わず疾走する異形の者らと、上手から登壇するピアニストのように、優雅な姿勢のプルシアン。

 戦闘の一体が殴り掛かったとき、するりと拳を躱し、最小限の動きでカウンターの肘打ちをお見舞いした。恐ろしい勢いで吹き飛ぶ怪物。二体目、三体目と、次々と同様に。

 

 傲岸不遜な 恒星のフェードアウト
 客席誘導灯は 薄暮のトワイライト
 途中退出は 危うき黄昏時
 今宵の主役は 幻想の三日月
 さあ始まりです 薄明劇場

 

 整った調子で朗読しながら、次々と怪物どもに当て身を叩き込む。敵陣の中央を堂々と闊歩しつつ。海を割って進むかのように。側面や背後から仕掛ける怪物が居ても、構わずにゆっくりと進軍しながら、軽くいなしている。

 

 舞台【ステヱジ】乱痴気騒ぎが独壇場
 客席【オウデヰヱンス】逃げ惑う集塊
 些些たる、視界 薄明に、夜、瓦解
 月明かりの浮揚が時 其処からただ一人
 お前を拐引するが故の舞台装置【カラクリ】

 

 月白は後方にて、プルシアンに続いて連詩の詠唱をする。瞬く間に夜は更け、薄暮の幻覚は紺青色の夜 プルシアンブルー 空へと変貌する。空の頂点で、時が止まったかのように鎮座する三日月。

「……ッ」

 一瞬気を取られたパーカー男は、言い表せない不安に苛まれた。三日月を見上げると、それが墜ちてくるように思えた。ハッと我に返ると、プルシアンに意識を向ける。狂乱に囚われまいと、怪物の操作に集中した。

 

 惑えや惑え うつし世分かつ大禍
 哀れなり 魅入られし傀儡者【プレーヤー】
 何周目だい? 回転悲劇【トラジディ】
 疑惑の渦 偽りに塗れ 真実は見えない
 皆全て 月靄の下で 只足掻くのみ

 

 再度朗読したプルシアンは走り出し、彼及び彼女の残像と思わしきものが、あちらこちらに現れた。その高速移動を、不可思議な月光で屈折させて生みだした、謂わば合わせ技。

 怪物どもは各々にとって一番近い、プルシアンの残像に攻撃を加えた。どれもこれも、プルシアン本体に掠りさえしない。斬撃打撃は暖簾に腕押しと残像を通過し、ともすれば同士討ちをやらかしてしまう敵軍勢。

 後方にいる月白は、詩刃の柄に手を掛け待機する。籠めた 

 コトダマは『有明』、深く透明感のある青を纏っている。零時から針が動かないこの無限夜に、夜明けという希望――有明を拝むのを許された唯一無二の支配者、その名は月白。

 

 こんな夜の舞台に捕らわれ
 こんな夜を悲劇に捉えたら
 いつか来る訣別の朝焼けに
 僕/照明だけを見ていてよ
 君/証明は忘我が果たすの

 

 太刀を一回転させ、満月を描きながら朗読。言い終えると、月白は抜刀した。瓦解の兆候を見せる敵陣に向かって、劇の主役が花道を征く。

 プルシアンの残像に気を取られている怪物どもは、力強い一閃によって次から次へと薙ぎ払われる! 数の多さが災いして、視界が遮られた怪物どもは、仲間に被害が及んでいると認知できない。一振り毎に、プルシアンの残像に群れている一塊を、纏めて斬り伏せるのだ。

 

 暗澹とした 夜獣のはらわた
 ずるずると 融かされてゆく
 僕 きみ わたし おまえ
 道は暗う 来路も帰路も
 もはや見えず
 闇は喰う 夢想も自我も 腐り落ちる

 

 低姿勢で高速移動する、プルシアンの残像たち。それらが一斉に直立静止した瞬間、怪物たちも疑問に思って動きが止まる。すぐさま好機だと言わんばかりに、怪物の軍勢は全ての残像に対して襲い掛かる!

 しかしプルシアンの残像らは、どろりと蒼い泥のように姿を変えた。点在する胞子状の物体が、結合して一つの巨大な塊を為すように。ゲル状の物体は、繋がりながら怪物どもに覆い被さる。

 視界が囚われ、あちらこちらに暴力を振るう怪物たち。すっかり狂乱し、同士討ちを避ける理性は腐り落ちた。この泥ゲルは、月白の月光浴によって齎された幻覚、そして狂気。

 当のプルシアンはいつの間にやら、敵陣の外周をなぞるように進撃している月白の、背後に回っていた。翻弄されている怪物どもの、側面や背面を取るのは容易い。

「どこだどこだどこだどこだ!?」

 パーカー男も、ゲルにこそ覆われていないが、幽霊のように朧となったポエーマンズの姿を見失っていた。

 

 肩を預けた内包 夜は外に
 開かれた表舞台 君は胎に
 身を埋め 星を喰み 排除するト書き
 しんじていた なんて 狡い言葉だね

 

 朗読しながら勇猛に太刀を振り回す月白。先程まで攻撃範囲に届かなかった敵陣を、外側から一体ずつ斬り伏せていく。

 

 君の台詞【コトバ】はイツワリ
 この夜空【ステージ】もニセモノ
 宙はさかさま くるりと廻る
 演者は観客に 観客は演者に
 月光【スポットライト】だけが 彼らの行く末を照らす

 

 プルシアンは月白の背後で朗読し、コトダマを分け与えてサポートしていた。突如、何も言わずに月白は後方に跳躍し、プルシアンは彼の両脚を脇で挟むようにキャッチした。

 ジャイアントスイングの要領で、プルシアンは自分ごと回転。月白をハンマー投げのように振り回す。向心力の反作用を借りて、月白は竜巻のように周囲三百六十度を太刀で薙ぐ! 怪物どもが吹っ飛ばされる最中、離陸寸前のヘリコプターのような、轟音さえ聞こえる。

 やがて、紺青色の夜空に浮かぶ三日月が、満月となって妖しい光を降り注がせた時。プルシアンは、月白を斜め上に投射した――かに思われたが、飛び立った月白の足を掴んだまま、二人で飛行機のように飛び立った。物理法則を無視した動きこそ、詩力の為せる業。

 

 要の役割を棄て去った定位
 実を求行く術もなく 仕舞を嫌い 脂粉拭わぬ
 実にそむく者たちは 踊り続ける 立ち尽くす
 泣き腫らした目をした子はだあれ
 尋ねる声が震えていたのです

 

 宙高く舞い上がりながら朗読する月白。明らかに廃墟の天井を突き破る勢いで上昇するのは、幻覚の中での出来事だから許容されるのか。

 詩刃を詠銃に変形させる月白。攻撃機が爆弾を投下するように、鈍く重々しい月光弾が数発放たれた。ゲル状の幻覚に囚われた怪物どもは、地上で炸裂した月光弾によって、散り散りに吹っ飛ばされる!

 地上を見渡しても、ポエーマンズの姿は見えない。そもそも幻覚作用によって、仮に夜空を見上げたとしても、飛行する二人を視認するのは難しい。誰に攻撃されたのだ? 疑心暗鬼に陥った怪物どもは、本能的に保身を優先して、目に入る全ての味方・・に対し、闇雲に襲い掛かっていた。

 飛行の勢いが消失し、今まさに二人が自由落下を始める寸前。プルシアンは中天で前方回転。両脚を掴まれた月白は、彼及び彼女と共々、視界の天地がひっくり返った。

 一回転の勢いで、プルシアンは月白を真下に投げ飛ばす! 獲物を見つけた鷹のように、月白は頭から急降下する中途で、詠銃を詩刃に変形させる。

 刀身に宿したコトダマは、『月虹げっこう』。それは、夜間月光により生じる、白味が強い薄い虹色。絶大な威力と引き換えに、体力の消耗も激しい切り札だが、限界を超えた力を手にした今ならば――! 朔太刀が発する光が、流星のように尾を引いて、狂乱する怪物どもの中心目掛けて墜ちていく!

 

「まずいまずいまずいまずい!!!」

 ついにパーカー男も、半ば正気を失った状態で、迫り来る流星から逃れようと逃げ出した。が、月夜の牢獄に囚われた彼は、床にあるはずの段差や、廃墟の障害物、壁が視認できない。二、三歩走った所で、何かに躓いて「ぐあっ!?」と転倒した。

 遂に地表に辿り着いた月白は、隕石が衝突したように、激しい月光を、一瞬にして轟かせた。吹き飛び、霧散する泥ゲル。

 すぐに半球状の爆発光が消えると、今度は詩刃を振るう月白の像が無数に現れた! 先程、プルシアンの高速移動と、月白の幻術を組み合わせたのと同じだ。今度は、プルシアンが上空で月白をサポートし、月白自身は自分でさえ驚くほどのスピードで、縦横無尽に駆け回る……!

 実体のない月白の像が、次々と怪物どもを斬り付ける。スパリ! と、快刀が骨を断つ音が響く毎に、一体の怪物がその場で仰け反り、硬直する。その甲高い音は、中心から外周へ、そして這いずり移動しているパーカー男のところまで迫り来る。

「やめろ! やめろ! やめろ!」

 彼の懇願に対し、取り囲んだ複数の月白の像は、同数の甲高い斬撃音で返答した! パーカー男は、何度も斬られた実感こそ覚えたが、すぐに痛みは感じなかった。が、体内の神経が切断されたかのように、もう身体を動かせない。

 

 暗い夜はさる かなし君は去る
 詠嘆の泥濘 混迷の袋小路
 陽は夜空を照らさず 終幕【あした】は降りず
 月下の悲歌【ラメント】はただ哀れんでいる
 幽閉された滑稽な座長【プレーヤー】を

 

 プルシアンは呟きながら、詩刃の斬劇を見下ろしながら、正姿勢で落下している。表面重力が弱い月面でジャンプしたかのように、ゆっくりと落ちていく。

 全ての怪物、そしてパーカー男が斬られ、氷像のように硬直している。月下劇は終幕を迎え、剣客は月靄に消えるだろう。斬られた哀れな敵たちを、月が鮮烈に照らしていた。

 プルシアンがゆったりと着地した瞬間、無数にあった月白の虚像が消失した。プルシアンの真横、舞台の中央に現れた月白本体は、血を払うように刀を振るう。刀身に宿った『月虹』の光が、切先から放出され、霞となって消えた。月白は詩刃を鞘に収めながら、最終連を詠み上げる――。

 

 いつか/だれか/朝焼け 終ぞ来臨は叶わず
 分陰の語り部を了え 我等は告げる

 ゆえに おまえたちは 閉ざされているのだ と。

 

 連詩『宵月止』 よいづくし が完成し、詩刃は鞘に完全に収まった。その刹那、月白が斬り付けた怪物ども、そしてパーカー男が、一斉に悲鳴を上げる! 月光の舞台で、狂気の悲歌を舞い踊った、二人の演者に対する、惜しみない歓声・・

 ドサリ、と倒れ伏す音が絶え間なく聞こえて来る。今の大立ち回りで、エネルギーを使い果たした二人にとっては、拍手喝采にさえ思えた。無事に幕を下ろせたようで。

幻覚の夜が明け、元の暗い廃墟が徐々に露わになるのと同様。怪物どもは、風に吹かれる砂のように、塵となって消え失せる。うつ伏せで気絶しているパーカー男は、どんな表情を浮かべているのだろうか。

 二人はしばらくの間、無言で立ち尽くし、息を整えていた。幻覚が消え失せると、月白の斬撃に巻き込まれて、周囲のあらゆる物が切り刻まれていることに気付く。程よく体力を回復させた二人は、パーカー男の状態を確認するため、どちらともなく歩み始めるのであった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「ん、あれは?」

 半壊した壁の隙間から垣間見られる、不審な物体が月白の目に留まる。気絶したパーカー男の両手両足を、床に転がっていたケーブルで縛ったプルシアンも、遅れてその物体に目を遣った。

「……金庫、でしょうか?」

 どちらともなく、金庫の方へと歩いて行く二人。小さな正方形型の金庫は、上下から鉄骨に挟まれており、建材の一部と化している。

「何でこんな所に……」

 戦闘で乱れた髪の毛を、気怠げに掻きながら言う月白。

「よく今まで崩落しなかったですね」

 瓦礫を手で払い除けながら言うプルシアン。

「鍵掛かってないし」

 試しに月白が金庫の扉を引くと、呆気なく開いてしまった。中身を光り輝く指輪で照らすと、中にはクリアケースに収まった一枚のCDが。

「なんだろう、これ?」

 ケースを手に取った月白は、プルシアンも脇から見れる位置に持ったまま、指輪で表裏交互に照らす。

「音楽収録用のCDに見受けられますが……」

 プルシアンはCDのレーベル面を見て判断した。文字はなく、ストリートアート風の柄が印刷されたそれは、業務用のCDだとしたら少々派手すぎる。

「僭越ながら、私の推測では、施設の増築の際に不足していた鉄骨の代わりに、不要な金庫を代用したと思います。中のCDについては、後で買い直したり、人から盗めば別に良いだろうと。阿蘭博士も、『パリピーの仕事の雑さには、幹部も手を焼いているらしいからね』と仰っていました」

 いつもの月白なら、疲れ果てていたとしても「そうなんだね」と相槌の一つは返してくれるはずだ。しかし、彼は神妙な面持ちで、CDをじっと見詰めて無言でいる。

 

 月白の意に反して、月輪の光が強くなっていく。照度が不足しているとは無意識下ですら考えていないし、沈静化能力を行使しているわけでもない。

「……ガチリングさん?」

 月白は独り言つ。

「あの、月白先輩……?」

 心配したプルシアンからの呼び掛けは、月白に届かない。ヘッドホンを着けたように、聴覚は外界から閉ざされて、何者かの会話らしきものが外耳道を埋め尽くしている。

 ノイズやハウリング、あらゆる雑音に混じって、断片的に聴き取れる言葉の数々――。

『……(ザザザッ)対象……7……処(プツッ)は苦痛……』

『アァー!! イダ(キーン)ゴメンナサイ!! ゴメ(ザザッ)ゴメ、ゴメ……』

 ブチ、ブチと、弾力のあるものに、硬い物体が当たる音。例えば、人間の皮膚を、バッドで殴るかのような。

『欲し(ガガガ)ものは!? ……言……しろ!』

『オウチ! オウチ! (ザーッ)』

『……がう! さっさと……すぞ! 失(ザッ)、がぁ!』

『アァー! ア、ア、ア、アァー!』

 胸焼けがする。冷や汗もかいている。幽霊のように低い男の声と、サイレンのような高音を上げる子どもの声。そう、児童虐待の現場に居合わせたような……。

 吸い込まれていく。意識が。ストリートアート風のレーベル面は、延焼する火事のように一挙に押し寄せ、目の前を覆い尽くした。絶えず繰り返される、子どもの痛ましい悲鳴。姿形が見えない異次元の生物らに捕まったかのような、未曾有の、恐怖。

 

「先輩……?」

 プルシアンは恐るおそる、月白の肩を叩いた。月白はハッと我に返る。目の前には、月輪の目映い光で照らされたCD。聞こえるのは「大丈夫ですか?」というプルシアンの声。

「す、すまない」

 スーツの袖で額の汗を拭う月白。咄嗟に笑みを作って、「大丈夫だよ」と言う代わりに何度か頷いた。

「どうしましたか?」

 プルシアンが、しきりに瞬きをしながら尋ねる。

「いや……これは雑音舞踏軍の重要機密に違いないと確信してね」

 クリアケースを持つ手を、小さく振りながら言う月白。

「ガチリングさんが、教えてくれたんだ」

 次いで月白は、元の控えめな光を放つようになった、左手薬指の指輪をプルシアンに見せた。

「ガチリング……さん?」

「あぁ。詩刃にも詠銃にもなる、僕の指輪」

 なんて、友人を紹介するかのようなノリで言う月白。プルシアンはどう返答すれば失礼ではないか、考えあぐねる。

「……もしや、パリピーが探し求めていた物資が、これですか?」

 これなら失礼に当たらないと判断するプルシアン。

「先程の発言に、『ディスクが見つからない』というものがありましたから」

 そう言ってプルシアンは、気絶しているパーカー男に視線を移した。

「僕もそう思う。でもこれじゃあ、探し当てるのが不可能に近いよね……。まさか鉄骨の代わりに使われているとは」

 月白は浅いため息をつくと、苦笑いしてみせた。

「雑音舞踏軍は、これを我々に奪取されることを恐れたようですね。しかしながら、劣悪な管理体制によって、どこに保管していたか不明になり、仕方なく隅々まで捜索していたと」

 プルシアンも、僅かながら口元を緩めた。本当に僅かな表情の変化だったが、月白は見逃さなかった。

 重要機密以外の戦利品を、手に入れられたのかな? なんて、気障っぽいポエムを思い浮かべた月白は、図らずも白い歯を見せた。

 

「おい! いるのか!? 返事をしろ!」

「単独行動して迷惑掛けてるんじゃねぇ!」

「何の音だ!? ポエーマンズか!?」

 若い男たちの声が、廃墟の更に奥から響いた。「仲間……!?」と身を屈める月白と、「そのようです」と声のした方を睨むプルシアン。月白たちが入ってきた入口とは、別の箇所から入ってきたのだろう。

 床で伸びているパーカー男を見下ろす。こいつを捕虜にすれば有力な情報が聞き出せるかも知れない。とは言えども、背負った状態で逃げ切るのは、消耗している二人には無理がある。

 次に重要機密と思わしきCDを見詰めた。二、三秒後に互いの身体を眺めて、両者ともに相当なダメージが蓄積していることを再確認する。やがて、ほぼ同じタイミングで、目と目を合わせる。

「……逃げよう!」

「了解です。先導します」

 それだけ言うと、二人は脱兎の如く逃げ出した。プルシアンは、障害物から反響する音波を頼りに、暗闇の中を難なく駆ける。後を追う月白は、月輪から発する光で闇を照らしながら、時たま瓦礫で躓きそうになりながらも走り続ける。

 

 闇の中を、懐中電灯などで照らしながら進む、パーカー男の仲間たちは、結局ポエーマンズの姿を見ることがなかった。

「なんだ!? 何があった!?」

「大丈夫か!?」

 倒れているパーカー男を取り囲んで、困惑するばかり。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 廃墟から脱出した二人は、走って逃げる体力もなく、山道を歩いて下った。幸いにもプルシアンの能力のおかげで、敵の接近は事前に察知できる。

 山道を抜け、峠のサービスエリアでバスを待つこと一時間。追っ手が来る気配はない。それでも昂ぶった神経は一向に鎮まらず、月白はのんびりソフトクリームを味わう気分にはなれなかった。

(さっきの光景は、何だったんだ……?)

 ディスクを回収した時の幻覚について考える。白昼夢にしては生々しい感覚で、未だにその残滓が纏わり付く。

 疲れた身体に鞭打つように、缶コーヒーを飲み干すこと三本目。ソワソワした様子で、ベンチのないバス停周囲を行ったり来たり。プルシアンは、月白の落ち着きのなさに漠然とした疑問を持ちながらも、話し掛けることができずじっとしていた。

 

 やがてバスが来る。乗客は月白とプルシアンしかいない。目的地の駅前バス停に着くまでは、更に時間を要するだろう。最後列のシートを陣取った二人は、それぞれ両端に座って、窓の外の景色をぼんやり眺めている。

 時刻は午後三時過ぎと言った所か。分厚い雲から射し込む光が、プルシアンの物憂げな顔を照らす。鬱蒼と生い茂る木々の合間で、曲がりくねる頼りない車道。行けども同じような景色に、一抹の不安を感じる。

 月白は、小舟を漕いだかと思えば、雷に打たれたように身体を震わせ、目を見開くのを繰り返している。浅い眠りを妨げるのは、曖昧な悪夢。何かの軍勢と戦っている夢だ。いや、殺している夢かも知れない。

 日夜雑音舞踏軍と戦う月白だが、彼らを手に掛けたことは一度もない。にも関わらず、夢の中で人を殺めた時の手の感触が、あまりにも現実的だ。実体験を思い出したかのように。

 ――人殺しの夢について、聞いたことがある。それが意味する内容は、ストレス発散、新たな進展、自分が生まれ変わる、等々。むしろ吉夢であるとされているが、半ば疑わしい。

(ストレス溜まっているのかなぁ……?)

 11号と出会う前から、雑音舞踏軍の所業に頭を抱えている月白。彼らを憎んでいるのは事実だが、命を奪おうとまでは考えたことはない。それが、いたいけな女の子を守る決意をした途端に、よもや加害者への殺意が芽生えてしまったとでも……?

 

 死に行く道、
        連れを
          探してゐるのかしら
  ね
 暦を捲るのよ眸子は灼き
            きつておくかしら
  ね
        厭ならはや
 く、をかえりよ

 

 浮いては沈む意識は、思案した文字列を、底の抜けた水桶のように取りこぼす。夢と現を彷徨う内に、無事に街の駅までバスが到着する。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「ただいま、11号ちゃん」

 何とか夕食の時間に間に合った月白は、阿蘭博士の医務室の扉を開きながら言った。「ふぅ」とため息が一瞬漏れてしまったが、疲れを隠すように口角を上げている。

「阿蘭博士。プルシアン、只今戻りました」

 プルシアンも言った。入室する月白に続きながら。彼及び彼女は、早歩きで月白を追い越すと、パソコンと向き合って座っていた阿蘭博士の、すぐ隣に立つ。

「あぁ、よくぞご無事で。心配しておりましたよ」

 キリの良いところで、キーボードのエンターキーを押した阿蘭は、背伸びしつつ立ち上がった。

「月白おにいちゃん」

 ソファーで横になっていた11号は、跳ね起きるなり駆け寄り、月白の腰にしがみついた。ソファーの前にあるセンターテーブルには、色鉛筆や自由帳、国語辞典が置かれている。

「すまないね、11号ちゃん。お腹が空いただろう?」

 月白が軽く頭を撫でてやると、11号は僅かに頷いた。見上げる両目は、何だかいつもよりキラキラしている。

 と、11号はいそいそとソファーの方に引き返した。かと思いきや、テーブルの上の自由帳を手に取り、駆け足で戻ってきた。

「みて」

 そう言いながら、開かれた自由帳を見せる11号。二、三秒、ふにゃふにゃな線が形成するが、何を表わしているのか想像できなかったが、やがて月白はそれがひらがな・・・・であることに気付く。月白が、その文章を読もうと思った時。

「せっかくだから、読んでごらん」

 阿蘭が11号に言った。11号は無言で、文字が書かれた面を自分側に向くよう、自由帳を持ち直す。一旦、顔にくっつく程自由帳を引き寄せて、やっぱりちょっと離して――数秒、視線を泳がせた後に、声に出した。

 

『はちみつ』

 わたしは はちみつが あまいから きらいです
 でも かれえにいれると おいしくてすきです

 

 その朗読はたどたどしくも、大きな声で気持ちが籠っていた。『わたしは』と11号が言った瞬間に、月白は大きく目を見開いていた。驚きと嬉しさが入り交じって。

「11号ちゃんが作った詩なのかい?」

 間髪を容れずに、月白が聞いた。自由帳で目元より下を隠しながらも、11号は頷く。

「ええ。お留守番している最中に、私の方から詩作を勧めました。言葉を教える、絶好の機会ですからね」

 代弁するように、阿蘭が解説した。一瞬だけ阿蘭に視線を送った月白は、両手で11号の頭の上に手を置くと、めいいっぱい撫でてあげた。

「偉いなぁ、11号ちゃん! 詩を作れるなんて!」

 いつもよりもたくさん撫でられている11号は、鼻や口を自由帳で隠したまま、両目を僅かに細めた。

「じゅ……わたし、ね。もっと詩をつくったよ」

 11号がそう言うと、月白はすぐに両手を離して、一歩引いた。ページを一枚めくった11号は、すぐに朗読を始める。

 

『テレビやさん』

 おにいちゃんといっしょに テレビやさんに行きました
 おにいちゃんは 家で天気よほうと ニュースを見ます
 おじいちゃんは やきゅうを見ていました
 おばあちゃんは かっこいい男の人を見ていました
 おねえちゃんは おりょうりを見ていました
 テレビにも いろいろあるんだなあ
 わたしは テレビがほしくなりました

 

 言い終えた11号は、上目遣いを月白に送った。

「ふふ、テレビかぁ……」

 思わず苦笑いする月白。返答に困っている。

「ほしいなあ」

 そう言って、爛々とさせた11号の両目が、月白の視線を射止めて逃がさない。

「うん、そっかぁ。そうだよね」

 何分、テレビは高い買い物なので、おいそれと「今度買ってあげるよ」なんて言えない。無意識に、助けを求めるように阿蘭の方を向いてしまった。

「テレビ屋さんに行ったのですか?」

 心強いことに、阿蘭博士は感情の機微を捉えるのに長けた青年だった。

「いやぁ、先日、ショッピングモールの家電売場を通りすがったんですよ。電池を買いに行った時だったかな?」

 少し誤魔化し笑いを交えながら、月白は少し早口で言う。

「なるほど、把握しました。11号さん、お客さんがいない時は、ここでテレビを見て過ごしてもいいですからね」

 柔和な笑顔になって、阿蘭が呼び掛けた。

「うん……」

 11号は両手を下げると、頬を膨らませながら、足元の小石を蹴るような仕草を見せた。

「さあ、とっておき。とっておきの詩を、月白さんに聞かせてみてはどうですか?」

 阿蘭に言われた11号は、すぐに「いいよ」と言って、自由帳をもう一ページめくった。とっておき、その言葉に期待を膨らませて、月白は耳を澄ませた。

 

 『おるすばん』

 わたしは いい子で待っています
 夜が来るのを待っています

 お月さまは お昼の間はお休みだから

 そして お月さまがのぼったら
 「おかえりなさい」と言うために
 わたしは いい子で待っています

 お月さまのために 太陽になります

 

 言い終わった11号は、自由帳で顔の半分を隠しながら、月白を真っ直ぐに見つめた。月白は、呆然と口を開きながら、何も言ってくれない。顔を真っ赤にして、もじもじと身体を揺すっている11号。

「……お月さまって……」

 月白は一歩近付くと、ゆっくりとその場に屈み込んだ。神妙な表情の月白、その影が覆い被さってきたので、11号は少しばかり怖かった。

 月白が両手を伸ばした瞬間、泥や埃で汚れた手の甲が目に付いた。触れてしまえば、この前買ったばかりの白いワンピースが、汚れてしまいそうで躊躇った。だから、両腕を小さな背中に回して、優しく引き寄せた。

「……ただいま、11号ちゃん」

 耳元で、月白は言った。声は微かに震えていた。

「おかえりなさい」

 小さな声は、月白の胸の内で響いた。すぐ傍から、11号の顔を覗き込むと、太陽のような笑顔を浮かべていた。

 

 ややあって、11号が真顔になって訴える。

「おなかすいた」

「あぁ、そうだね。とっくに夜ご飯の時間だった」

 そっと11号から離れた月白は、やおらに立ち上がる。

「だっこ」

 11号にせがまれた月白は、お姫様抱っこで彼女を持ち上げた。

「カレー屋さんに……食べに行こう」

 間近で視線を交わした二人は、同時に頷いた。本当の親子、あるいは兄妹のように見える。

「阿蘭さん、プルシアン。今日は色々とありがとうございました」

 月白が言う。それまで黙って見守っていてくれた、博士と助手は頭を下げる。

「……ほんの少しでも、先輩のお役に立てたならば、幸いです」

 プルシアンは、一瞬「申し訳ありません」と言いかけたが、すぐに思い直してそう言った。

「すみません、足早になってしまいまして。今度、改めてお礼を申し上げます」

 11号をお姫様抱っこしていなかったら、月白は幾度となく頭を下げている筈だ。

「いえいえ。お気を付けてお帰り下さいね。私の医務室にいらっしゃるのは、私が繁忙でない限りは構いませんので。どうぞテレビを見に来て下さい」

 そう言った阿蘭は、11号に対して和やかに手を振った。月白の両腕で持ち上げられている11号は、可愛らしく、微かに手を振り返してくれた。

 プルシアンも、阿蘭の真似をして小刻みに手を振った。11号は、より精一杯に手を振り返してくれた。

「それでは、また」

 言い残した月白が背中を見せても、11号は手を振り続ける。扉が閉められ、二人の姿が見えなくなるまで……阿蘭とプルシアンは、手を振り続けていた。

 

 二人が退室してから、十数秒経過した頃に。

「月白さんとは、如何でしたか?」

 阿蘭は椅子に腰掛けつつ、プルシアンに尋ねた。

「とても……お話しやすい方でした」

 昨日、憧れの人と視線を交わした瞬間には、硬直して何も言えなくなった。長い一日を振り返ると、恐縮しながらとは言えども、自分から先輩に話し掛ける場面も少なくなかった。

 基本的に受け身がちなプルシアンにしてみれば、大きな変化であったことは確実だ。すっかり、月白を前に硬直することはなくなった反面、先輩に抱く憧れの想いは、更に強くなった。

「11号さんが信頼を寄せるのも、充分理解できます」

「11号さん、か……」

 阿蘭は呟くと、自分でも訳が分からずに、机から取ったペンを唇にあてがう。

「発達速度が異常に高くて、驚きました」

「そう、仰いますと……?」

 プルシアンは九十度回転して、何やら思案している博士の横顔を見た。

「プルシアンさんも、11号さんが朗読した詩を、今しがた聞きましたよね。あれは全て、今日中に書かれたものです。詩作の経験が無いにも係わらず、あのレベルに至るまで上達しました」

「無礼を承知で、申し上げますが、博士の御指導の賜物という可能性は考えられませんか?」

「私はただ、『好きなものを思い浮かべてごらん』『国語辞典を引きながら作ってごらん』と言い、あとは放任していました。結果、辞典の文字情報を、そのまま脳内にコピー&ペーストしたかのように……」

「そうでしたか、失礼しました。しかし、俄には信じ難いお話です」

「はい。……別の説を唱えるならば、喪失した記憶を思い出したのでしょうか?」

 

 阿蘭は暫く考え込んだ。その間、プルシアンも瞼を閉じて、自分なりに考え込んでいた。11号の学習能力について。

「一つ、確実に言えるとしたら」

 ふと、阿蘭が眼鏡を指で押し上げながら、背もたれから背中を離す。瞼を開くプルシアン。

「11号さんの力を悪用すると、恐るべき兵器・・となる」

「驚異的な学習能力、言語力から放出される、人智を超えたコトダマですか……」

 返答したプルシアンは、自らの胸に手を当てた。自分の手の冷たさに、ゾクリと身を震わせる。もしも11号が、自身や月白を上回る程のコトダマを持ち、その上でパリピーみたいに破壊活動に耽るようになってしまったら……。

「11号さん、月白先輩と共に、お幸せな生き方をして欲しいと願います」

 秘めやかに口にしたプルシアン。すると阿蘭は、好奇の眼差しを彼及び彼女に向けた。

「11号さんの幸せについて、どう考えられますか?」

 プルシアンが瞼を閉じる。お腹が空いた11号は、月白に大切に抱えられながら、今頃カレー屋に向かって歩いているのだろうか。ひょっとしたら、とっくに店内にいるのかも知れない。

 カレー。粉末香辛料を混合したソースと共に、様々な食材を煮込んだ料理と、定義されている。蜂蜜を入れると、美味しくなるらしい。どうやら庶民にとっての御馳走であり、細やかな祝宴や慰労には打って付け。

 白米と共に味わうのが、定番の食べ方とされている。肉や野菜を用いれば、栄養バランスの良い料理に仕上がり、教育の観点から述べても一つの理想とも言えるだろう。

 味。11号は、辛い味が好きだと聞いた。食欲は、人間にとっては三大欲求の一つだが、食べると11号も幸せそうな笑顔になるのだろうか。甘い物を食べている、月白先輩のように。

 自分の場合は、何を食べればそうなるのだろうか。瞑目し、深く考察する。胸と、そこに当てている手が、妙に温かい。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 ひとつ後の汽車に飛び乗った君を知っている
 見送る僕が強引に背を押したから知っている
 アクセサリを外し反対側のホームに立っている
 おんなし寝癖とふぞろいの背丈が見えなくなる
 君のレールはいつか、消えていく。見えるんだよ

 

 月白は、11号に対する返詩を考えながら、カレー屋さんへと歩いて行った。実際に彼女に贈ったのか。そして、11号はその意味を理解できたのか。

 それは、二人だけの秘密だ。

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