【お仕事】Over the Moon

 

如月レムリアさん、プロのダンサーから直々に、ポールダンスの魅力、やりがい、理念、練習の難しさ、ジャンルの多様性などを伺いながら執筆しました!

ガールズ向け洋画のようにしみじみと、尚且つエネルギッシュにセクシーに!

如月レムリアさん
Twitter:@lemuriakisaragi
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   ◆   ◆   ◆

 

 微かな吐息でさえ、耳たぶが熱を帯びてしまう程の、パフォーマンス前の静寂。ポールダンス教室の中、少女は見入っていた。窓から差し込む月光に照らされた、女神の美貌に。

 

 天井と床で固定された、複数の銀製ポール。その内の一本を、女神は両手で掴み、ポールと見つめ合っている。囁くようにダンスミュージックが流れ始めた刹那。氷上を滑り出すように、何度か片脚を後ろに蹴り上げた。透明感のある女性ボーカルが、しじまに滴り落ちる。

 半円を描くように綺麗なセクシーウォーキング。スローなリズムに合わせ、片手でポールを握ったまま、体重を外側にかけた遠心力を利用して歩く。レザーニーハイブーツの折り曲げたトップエンド、そこを縁取る金装飾が月光を照り返す。

 片足立ちのまま、光沢のある黒に包まれた膝裏を、ポールに引っ掛けた。膝裏とポールの間に生じた摩擦・・を利用して、ポールを軸にして回転。そのまま軽やかに宙に上がる。

 回り続けた後、バレエダンスのように大きく前後開脚スプリッツした状態で着地する。肉付きの良い太腿が強調され、両の爪先は綺麗に伸びていた。

 

 両膝を床に付けると、大きく身体を反らす。ショートパンツと、シースルースポーツブラ。合間にある引き締まったくびれの曲線美。

 立ち上がりつつ、両脚をポールに絡めてよじ上る。ポールを掴む両手を頼りに、空中で身体の上下を反転させた。左の膝裏を引っ掛け、右の脇下で挟み、そして露出した脇腹の摩擦で、肢体が空中に浮遊した。

 逆さになったまま、床と平行になる程に開脚。後に両脚をポールに絡めると、身体を正立させながら更にポールを上る。大腿の間にポールを挟み、両手を広げポーズを取った。

 と、女神は床に墜落する――かと思いきや、寸での所でピタリと止まった。肘裏と脇腹をポールに接触させ、身体を小さく丸めて留まる。

 

 そうして地に降りた女神は、割座になって少女に背中を見せる。膝上まで伸びた紫色の長髪、その先端が床で渦を巻く。片手を後頭部にやると、少女の方を振り返った。

 女神の名は如月レムリア。艶かしい肉体美とは裏腹な、眩しくも愛らしい童顔。パフォーマンスを自慢するように、得意げな笑みを浮かべると、少女は心臓が高鳴った。

 低い体勢のまま床上で回転を始めて、ロングヴェールのような髪を翻す。花の蜜のような、うるさくないアロマの香りが振り撒かれ、女神の周囲だけに春風が吹いたかのよう。

 時に水面で跳ね上がるイルカのように、弓なりに身体を反らし。時にベッドの上で眠るネコのように、抱き締めるみたいに身体を丸めて。ポールダンスで鍛えられた健康的な身体を、惜しげも無く披露する。

フロアダンスを披露しながら、窓から一番近いポールの下へ辿り着いた。女神の肌は、月光でより輝いて見える。

ポールを伝って天に上昇。窓越しの街の夜景を背負い、立ち姿勢で何度も回転する、羽毛が舞うように。

 

 満たされた表情で空を飛ぶ女神を眺めて、少女は幼少期の思い出を重ね合わせた。懐かしむような、切なげな面持ちで想っている。

 それは遊園地に行った時の出来事だった。写真に残された昔の少女の姿は、人目を気にせずにはしゃぎ、満面の笑みをカメラに向けていた。中でもメリーゴーラウンドに乗ったときは、「本当にメルヘンの国に行ったの!」と、サンタさんと出会ったかのように、友だちに自慢していたくらいで。

 いつしか背丈が大きくなり、目立つようになると、思い切って笑うことが出来なくなっていた。何となく、周りの視線が気になるようになった。それは生まれ育った環境のせいだと考えた。けれども、この街に引っ越しただけでは、思いっきり笑えるようになるには、まだ足りなくて――。

 

「FOOOOO!」

「すごいすごーい!」

 周囲の歓声によって少女は我に返った。知らぬ間に、ポールダンス教室の天井照明が、点っている事に気が付く。

女神は右手を腹に、左手を背中へ回し、満面の笑みでお辞儀した。他の生徒や先生たちは、拍手喝采を絶やさない。

「どうかしら?」

 少女の前まで歩きながら、女神レムリアが尋ねる。スリムで整った、かつ嫌みのない色気を孕んだ声。

「……とても、綺麗でした」

 女神よりも背が低い少女は、その得意げな笑みを僅かに見上げながら言った。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 ガラス張りの入口越しに、簡素なネオンライトで「OPEN」と主張している、ベトナム料理店。四階建てのビルの、二階にあるテナントの一つが、女神レムリアの行きつけだ。今夜はレッスン帰りと言うことで、件の少女――ペイトンという名の少女と共に食べに来た。

 入口付近には、簡素なカウンターテーブル二台。それぞれ四席で、計八つのカウンター席。清潔感のあるキッチンを横目で見ながら、細長い通路を奥に行くと、テーブル席がある。

 シンプルモダンな内装とよく馴染む、木目のテーブル。向かい合って座るレムリアとペイトン。早くも肌寒さを感じさせる秋の夜には、温かいフォーが身に染みる。副菜には、バジルとライム、そしてモヤシのサラダだ。

 

「女神的には、カロリー控えめでありがたいのよね~」

 そう言いながら、レムリアはライスヌードルを、箸で口元に運ぶ。女神が頼んだ料理はフォーガー。スープには鶏の骨、肉、卵などが使われている。旨味とスパイスの相性が、何とも堪らない。

「……いつも、カロリーに気を遣っているんですか?」

 一旦、フォークを皿の上に置いて、ペイトンが尋ねた。少女が頼んだ料理はブン・ボー・フエ。牛の風味が効いたパンチのある味。ラーメンに近い濃厚さだが、さっぱりとしたレモングラスが食欲を増進させる。

「そうでもないわ。きほん濃い味が好きなのよ」

 レムリアはお茶目に舌を出した。

「あー、私もですぅ……」

 ペイトンは笑った。楽しそうに、それでいて、どこかホッとしたように。

「やっぱわかる? メンタルやられたら、脂っこいもの食べたくならない?」

「分かります、分かります! ついついホットドッグを、買い食いしちゃいます」

 レムリアは話しやすい雰囲気の女性だ。シャイなペイトンは、自分が話に花を咲かせている事実に、人知れず驚いている。これが初めての会話ではないが、会話する毎に何度も。

「ねー。つい食べちゃうよね。女神、食べたぶん動けば、べつに良いかってなる」

「そうですよね。ポールダンスって、疲れますし」

 ペイトンの表情が、微かに曇る。

「ダイエットには、良いですよね」

 

 ウェーブがかかった金髪セミロングヘアの少女、ペイトン。ベージュのニットから、チラ見させた白シャツ。赤いフレアーサーキュラースカートに、黒タイツ。プラスサイズの、ブランドものだ。所謂ぽっちゃり体型である。

「あら、痩せたいの?」

 レムリアはそう言いながら、モヤシを箸で摘まむ。

「はいぃ……元の体型に戻るまで。こっちに引っ越してから、太っちゃったんですよ」

「うんうん」

「ジムに通おうとも思ったんですけど、知り合いにダイエットしているところ見つかったら、恥ずかしいし。でも、ポールダンスなら多分知り合いには見つからないかな、なんて」

「そうだったんだ」

 何度も頷くレムリアと、自分のお腹を見下ろすペイトン。

「来たばかりで、友達もいなかったから、食べるのしか楽しみがなくって」

「わかるー。女神もつい間食するもん。手持ち無沙汰だと」

 女神が冗談めかして笑うと、少女の深刻さは下火になった。

「あぁー。痩せたいです。なんか……自分に甘い女って、晒されてるみたいで」

 天井のシーリングファンに視線を逸らしながら、ペイトンは願望を述べる。

「ペイトンちゃん、そのままでも魅力的だよ~」

 レムリアに言われたペイトンは、「えっ?」と声を出した。そして、見開いた目で女神を見つめる。

「むりに変えようとせずに、してて楽しいことに夢中になればいいのよ」

 ペイトンは思わず言葉に詰まる。無意識下では、「ダイエット頑張れ!」という励ましを、期待していたのかも知れない。しかし、自信に溢れた笑みで「魅力的」だと言った恩師から、嫌味っぽさは微塵も感じられない。

「……そんなものなのかな?」

 思わず口元を押さえる少女。

「絶対そうだよ!」

 女神は、少し身を乗り出しながら言った。

 

「楽しいこと……」

 そう呟いた後、ペイトンはブン・ボー・フエの辛くも酸っぱいスープを何回か飲みつつ、少し考え込んでいた。

「……ポールダンスは、楽しいかな」

 自前のおしぼりで口を拭ってから、ペイトンが言う。

「上達したというのが、とっても実感しやすくて……自分でもよく続けていられるなって考えてます」

 レムリア先生の技を間 トリック 近で見ると、『空を飛んでいる』と圧倒される。だからこそ、自分も挑戦してみたいという気持ちが高まり、練習の末に成功した暁には、かなり興奮する。

自分がトリックを決めた瞬間を、誰かに撮影して貰うと更に嬉しい。恥ずかしがり屋なペイトンには珍しく、その写真を教室のクラスメイトに見せることさえある。

「ペイトンちゃんのダンス、この前見てて、とてもエネルギッシュだと思った! あと、手足がセクシー!」

 女神が言った通り、ペイトンのポールダンスは生き生きとしている。少女自身は気付いていないだろうが、ダンス中の彼女は、かなり良い笑顔を浮かべているのだ。

「あ、ありがとうございます!」

 赤面したペイトンは伏し目になり、食事に夢中になるフリをした。彼女が美味しそうに残りを平らげるのを、女神は黙って見守っていた。

 

「ビール、飲みたくなった」

 ペイトンが食べ終わった頃合に、女神が思い出したように言う。この店から女神の住んでいる場所は近いので、仮に悪酔いしても歩いて帰る分には問題ない。

「私はシントーを飲もうかな?」

 急に食欲が増したペイトンは、ご機嫌そうに言った。

 ちなみにシントーとは、ベトナムで人気のフルーツスムージー。コンデンスミルクが使われていて、舌触りはなめらかで味は甘め。

 当初はちょっと食べて終わらせるつもりが、すっかり盛り上がってしまった。追加の飲み物やデザートが止まらない。結局二人は閉店間際まで、楽しく歓談していた。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 それから数日。

 街道や公園のカエデは、錦色に染まりつつある。農作物の収穫は粗方終わり、農家直売のマーケットではパプリカやチーズなどが惜しみなく陳列されている。今夜は打って変わって、夏の陽気が戻ったかのように暖かい。道行く人々は、ジャケットやセーターを軽く羽織っていた。

 ポールダンスの教室では、生徒たちがレッスンに打ち込んでいる。天井と床で固定されたポール数本、それらの周囲には落下に備えて円形のマットが敷かれている。

 壁に取り付けたバーを利用し、腕で身体を持ち上げながら、空中を走るように両足を前後させる、筋肉質な青年。ポールに上る前に、足の動きを重点的に練習している。

 片手でポールを掴みながら、セクシーウォーキングをする女性。既婚の四十代だ。鏡に映った彼女自身と見つめ合い、より美しい歩き方を目標に、入念に姿勢を確認している。

 

 さて、ペイトンはウォーミングアップを済ませ、身体が十分に温まった所だ。肌の保湿を目的に履いていた、レッグウォーマーを脱ぐ。普段から保湿クリームを塗るなどして、肌の乾燥対策をしなければ、ポールと肌が擦れる際に、痛い思いをする。

 露わになった練習着は、脇腹が露出したレオタード。摩擦を利用して中に浮かぶため、膝裏、太腿、脇腹、脇の下などが、布で隠されているとやり辛い。スポーツブラとショートパンツを着た女性も、上半身裸に肩までのアームカバーだけを付けた男性も、理由を同じくしている。

 ペイトンが取り組み始めたのは、『スターゲイザー』と呼ばれるトリック。ポールに上った状態で、右脚を持ち上げ、右の膝裏でポールを挟む。次に、左手で右足首を掴み、右脚を折り畳むようにして、ポールに固定。安定させたら、ポールから手を離し、上半身を思い切り反らせる。

 一連の動作を、ポールを軸にした回転の中途に行えば、踊る紳士の腕に抱かれて回るように、優美な円を描いて飛行する。右の膝と内腿、そして左の脛でポールに止まり、上半身を反らすペイトンは、星空を仰ぐように浮遊している。

金髪ウェーブのセミロング、雨で濡れたように揺れ動く艶やかさ。ペイトン自身は、床と平行になるまで上半身を反らすのが目標だが、現時点でも十分サマになっていた。

 

 と――。

「あうっ!」

 ポールからペイトンが落ちた! ブン、とマットが衝撃を吸収する音が響き、教室内の全員が彼女を見る。背中からマットに激突し、そのまま後転した後、丸い目をして尻餅になる少女。

「大丈夫か!?」

 一番近くに居た青年――壁で空中歩行をしていた彼――が、すぐ様駆け寄った。膝を屈めて、ペイトンの顔を覗き込む。

「あぁ、うん。大丈夫です……」

 ペイトンは驚き、座ったまま僅かに仰け反る。幸いにも、マットのおかげで彼女に怪我はない。背中が若干、痺れている程度だ。

「立てるかい?」

 そう言って彼は手を差し伸べる。数秒間、ペイトンは硬直する。頭が真っ白になった。

 青年の手は骨っぽくてゴツゴツとしている。その割には指先が長い。激しい運動をした直後の荒い呼吸に合わせて、微かに震えている指先は、何かを誘っているように思えた。

 青年の鋭い目つきが、僅かに柔らかくなった。ペイトンからの反応がなくて困ったのかも知れない。

「あ、ありがとうございますぅ!」

 慌てて差し伸べられた手を掴み、ペイトンは立ち上がった。背が高い青年とは、少女が起立しても見上げなければ目線が合わない。

 金髪のイカしたジェットモヒカンな青年の名は、ジョスリン。革のロングアームカバーに、同素材のショートパンツ。胴体や脚の殆どを、大胆に晒している。腹筋は六つに割れ、鎖骨の間の銀のネックレスが眩しい。ペッパーウォッカのようにスパイシーな香りは、整髪料から来るのだろうか。

 束の間、ペイトンはジョスリンの喉仏を見上げていたが、やがて目を伏せてしまう。

「無理するなよ」

 そう言い残して、ジョスリンは壁付けのバーの方へ戻り、練習を再開した。ペイトンは、汗で湿ったポールをタオルで拭きながら、脇目でジョスリンの空中歩行を眺めていた。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「こんどの感謝祭の日、みんなどういうダンスする?」

 いつもより早めにレッスンを切り上げて、女神レムリアは生徒たちに言った。

 この地方は寒波が来るのが早い。農作物の収穫を祝う記念日は、秋の中頃に差し掛かった辺りと、これまた他と比べて早い。

 感謝祭の日ばかりは、家族とともにゆっくり食事を味わうのが、例年の習慣となっている世帯も多い。一方、気心の知れた友人らと、パーティを開くのを愉しみにする若者も多い。

 当教室では、ハロウィンや女王誕生祭などの行事がある際に、発表会を催すのが恒例となっている。磨きに磨かれた魅力を、多くの人に披露する絶好の機会だ。

「私は着物を着て踊るわ」

 ある女性は、嬉々としてそう言う。

「僕は久しぶりに、床技フロア中心にやろうかな。ブレイクダンスっぽく」

 ある男性は、懐かしむように目を細めて言った。

「俺は……いつも通りだな。とにかくアクロバティックに決める」

 ジョスリンは腕組みしながら言った。

「クソ真面目なスポーツじゃなくて、皆を魅せるダンスをしてぇんだ」

 ジョスリンは幼少期、厳格な父親から競技としての体操を、徹底的に仕込まれたという。ある時父親と喧嘩して以来、体操の大会などに出場することは辞めたが、体操そのものは今でも好きらしい。曰く、「親父から地味なことばかりやらされたから、その逆がしたい」と、この教室に通うになったとか。

 

 ダンスの内容が決まった順に、生徒が教室を後にする。しかし、ペイトンはイメージが固まらずにいる。最終的に、ペイトンとレムリアの二人以外帰ってしまった。

一緒に探しているレムリアは、自分のスマホで多種多様なポールダンスの動画を探し、「これはどう?」と体育座りするペイトンに見せている。色々と見させられるペイトンだが、「うーん……」と首を傾げるばかりで、なかなか決まらない。

「あーそうだ。ペアダンスは?」

 ふと探し当てた、男女ペアのポールダンスの動画。ポールの上部に登った女性が、下部で宙に浮いている男性の身体を、足場代わりにしながらポーズを決めている。

「ペア……二人組ですか?」

 思わぬ角度から攻められたので、動画を観ながら素っ頓狂な言葉を口走るペイトン。

「そうそう。教室の他の子を誘って」

 レムリアは悪戯っぽく口端を持ち上げた。

「えぇ……でもみんな、もう決まってますよぅ……」

 体育座りをするペイトンは、立てる膝を両腕で更に引き寄せる。

「試しにジョスリン誘ってみたら?」

 女神が悪戯っぽい笑みで言った瞬間、ペイトンは座ったまま滑るように後退した。

「えっ? えっ? えっ?」

 慌てて立ち上がる寸前で中断。体育座りからペタン座りになった。

「仲良くなれる、いいチャンスだよ~」

 女神と少女、二人だけの秘密だが、ペイトンは密かにジョスリンに好意を寄せている。元体操選手ならではの逞しさ。ストイックさ。見せ付けるようなセクシーさ。そして時折見せる優しさに、いつしか夢中になってしまった。

「で、でも、ペアダンスなんてやったことないですよぅ……」

 ペイトンは、真っ赤になった顔を両手で覆い隠した。

「慣れてないのに、彼と一緒だなんて……」

 消え入るような少女の声。女神はやおらに立ち上がり、片手に腰を当て、窓の外の月を見遣る。

「う~ん、だったら……」

 少女の恋路を応援したい。女神は以前からそう思っていた。どうにか二人の仲が進展できる、キッカケを作れたらいいな。夢は地球平和、つまりは愛で満たすこと。女神は思案した。

恥ずかしがって、座ったまま俯く少女。ややあって、突如閃いたレムリアは、紫の長髪を翻しながら、ペイトンを振り返った。

「たった今、いいアイディアが降りてきたのよ」

 女神は自信満々な表情を浮かべている。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 そして、イベント当日。

 さほど広くない屋内の会場には、元気な若者たちがすし詰めになっている。三本のポールが設置されたステージは、艶のある赤系統の照明で彩られている。十分に昂ぶった観客たちの視線を集めているのは、最後から数えて二番目に披露される、ジョスリンのポールダンスだ。

 

 鍛え上げられた彼の筋肉は、伝統ある彫像のように美しい。ありのままでも、ある種草原を駆け回る肉食獣の如き、雄々しい爽快感を与える。そこに、光沢のある装飾が入ったアームカバーや、同様のショートパンツを纏うことで、黒曜石のように硬質かつ誘惑的な身体と化していた。

 流石は元体操選手、ポールを掴みながらの側転や、バック宙に似たアクロバットをダイナミックに決めている。バックで流れている音楽はデスメタル。荒々しいギターや、マシンガンのようなドラムに、社会の理不尽さを歌ったボーカル。大嫌いな親から仕込まれた体操選手としての技能を、彼自身の意思で、この場所で披露するというアンビバレント。

 おおよそ世間でイメージされるポールダンスとは、「女性によるセクシーなストリップ」というもの。初見で来た青年たちも同様であったが、ジョスリンの迫力を前に「マジかよ!?」と驚嘆し、ダンスバトルを観戦するように歓声を上げている。

 まもなくジョスリンは、鷹の翼のように両手を広げた後、ガッツポーズを決めてダンスを終える。赤色の照明が消えると同時に、会場は歓声、拍手喝采で満ちた。

数秒後、無地の照明が点き、会場全体が明るくなると、ジョスリンの可愛らしい笑顔が見えた。鬼気迫る男らしい表情とは一転、子どものような表情のギャップ萌えに、イチコロな女性陣。

 

 グルーヴィーな口笛や、競い合うような黄色い声。それらは、ドア一つ隔てて通路で待機している、ペイトンの耳にもハッキリと届いている。

「こ、こわいよぅ……」

 普段、独り言を言わないペイトンも、思わず弱音が漏れてしまった。足が竦んで仕方がないのは、脇腹が露出したレオタードのせいで、寒いからではない。

 熱狂の渦、その中心にて色気を撒き散らジョスリン。今から彼と、取って代わると……歓声、拍手喝采は、野次や嘲笑に変貌するのだろうか。凄まじいプレッシャーに耐えられず、すぐにでも逃げ出したい。

「大丈夫よ~。めがみが付いてるから」

 レムリアはペイトンの背後から、その肩に手を置きながら言った。ジャケットを脱ぎ、上半身はシースルースポーツブラのみで、下半身はショートパンツ。つまり、女神もポールダンスを踊る準備が整っている。

 パッと振り返ったペイトンは、視線を泳がせながらも、こくりと頷く。

 

「あのぅ……本当に、私なんかと一緒のペアダンスで、良かったのでしょうか?」

 そう、今夜の大トリは、ペイトンとレムリアのペアダンスだ。先日、レムリアが「ペアダンスにしない?」と誘ったとき、ペイトンは「新人の私が!?」と心底慌てた。当初は断ったペイトンも、憧れの女神と一緒ならば、ある意味安心だからと言う観点で、思い切ってペアを踊ることにした。

 その決意も、本番直前にして揺らいでしまう。新人が、この大歓声の中に、今から飛び込むならば、ペイトンでなくとも怯んでしまうだろうが。

 ペイトンは、控えめに聞いた。

「私に大トリのダンス、できると思います?」

「できる! 絶対に!」

 即座に肯定した女神は、にっこり笑ってみせた。

 

 ――あぁ、女神様の笑顔は、いつも私を勇気付けてくれる。緊張が解れたペイトンは、顔が綻んだ。都会の冬空、微かな星を照らす、輝く満月のように。見上げる必ずと、消して独りじゃないと、後押しされている優しさに溢れている。

 思えば、初めて教室に飛び込んだ日もそうだった。ポールダンスを始めるか、半分迷っている最中、練習風景を見学させてもらったあの日のこと。

 生徒の皆が確固とした信念を持って、真剣に練習していた。私みたいな人は、やっぱり入るべきではないと、教室に入らずに帰ろうと考えていた。すると女神様が、強張った顔の私の傍に来て、今のような笑顔と共に、励ます言葉を投げ掛けてくれた。それは霧を晴らすような、眩しい笑顔だった――。

 

 レムリアが両腕で、ペイトンをハグしてくれた。ペイトンは思わず、女神の肩口に顔を埋めて、甘えさせて貰う。束の間の出来事が、少女に平常心を取り戻させる。

 ドアの向こうから、二人の出番を告げるアナウンスが聞こえた。レムリアが先に立ち、ドアを勢い良く開く。熱い風が二人に吹き付け、大声援が一気に接近する……!

「ペイトーン!」

 これ程の大騒音の中でも、誰かが自分の名前を呼ぶのが聞こえた。棒のようになっていた両足は、勝手にステージに向かって進んでいる。眩い逆光によって、観客席の様子はよく見えない。でも、多くの視線が集まっていると感覚で悟る。

 もはや恥ずかしくはなかった。この身体を隠すのが、レオタードだけだったとしても、堂々と人目が集まる場所まで行ける。誰かが自分の名前を呼んでくれたのは、女神様の笑顔と同様に、「自分はここに居てもいい」と勇気付けてくれた。ありのままを曝け出しても問題ないと、温かく迎えられた気がして。

 

 観客より見て右側から、ステージに登壇する二人。ほぼ中央で立ち止まり、ほんの僅かではあるが、女神との距離が離れてしまう。ちょっとした不安を覚える。

 脇目で見た女神の紫色の長髪、それが突風に戦ぐように思えた。明るい会場は、天井照明が消えて暗くなり、スポットライトは落ち着きのある青系統に切り替えられる。

 音楽が始まる前の静寂。一度は呑み込んだ緊張感が、再び胸から込み上げてきそうになった。

 もう一度だけ、レムリアを脇見した。神妙な表情だった女神は、まるで心を読んでいたかのように、一瞬だけ、笑顔でウインクしてくれた。ペイトンの緊張感が、消えて無くなる。

 十数秒くらいの静寂は、五分にも十分にも感じられた。その長い時間の果てに、スピーカーから音楽が響き始める――。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 音楽が始まった直後、二人は間近にて、身を乗り出して見つめ合う。片割れが胸を突き出しながら、更に前のめりになると、もう一方は身を逸らしつつ上半身を退く。この殴り合いのような動きを、何度か繰り返すのが導入部分。

 と、俄に二人は独楽こまのような回転を始め、各々両端のポールに移動する。回転する回数、速度が同じで、鏡に映したかのように息が合っている。

 ポールの目前で立ち止まると、二、三秒間を置いた。曲のイントロが終わり、本格的にエネルギッシュなメロディが流れた。二人は両手を縦に大きく広げ、同じポールを掴む。

 両脚で地面を蹴り上げた。そのまま、鉄棒における逆上がりのように、真っ逆さまの状態で静止する。今度はゆっくりと、両脚で直角を作りながら、胴体を床と平行にして、笑顔を観客席に送った。瞬間、拍手と口笛が轟く。

「身体柔らかっ」

「水泳のシンクロみたいだな」

 こうした観客の呟きは、流石にダンサー二人には届かない。が、ペイトンは演技ではなく、本心からの笑顔を浮かべていた。幾許かの安堵が混ざった笑顔を。

 それこそ、シンクロナイズなパフォーマンスが続いている。ヘソの辺りと太腿でポールを挟み、空中で両脚を180度に開脚する。一旦ポールから手を離し、髪を靡かせるように後方で両手を大きく開いた。直後、小さくジャンプし、同様にヘソと太腿、そして脇の下でポールに身体を固定する。

 自然な動きで平然とやってのける、レムリアの凄さは勿論のこと。プラスサイズのペイトンが実行すれば、そのダイナミックさに圧倒される。

「無駄な脂肪」と嘲笑されるかも知れない。そんなペイトンの予想とは真逆に、観客の目に映るのは、力強く躍動する身体と、しなやかに円を描く指先や爪先の優美さ。激しい回転から、ふいに繰り出される優しい手付きは、ふとした瞬間に女を見せたかのように、ドキリとする。

 

 二人はポールから両手を離した。セクシーウォーキングで、三本ある内の中央のポールに近付く。青い光に染まった、二人の模範的姿勢が、ともするとファッションモデルのウォーキングを彷彿とさせる。

 ペイトンが観客席を向き、両膝を曲げ、重心を落とした。更に、肘を九十度に曲げ、両手の平を天井に向ける。

 ペイトンの背後に立つレムリア。上からペイトンの両手を握り、少女の太腿に両足を乗せる。

 上下で手を結んでいる二人は、手を離すなり両手を広げた。素晴らしいバランス感覚。口笛や歓声は控えめに、品のある拍手で満ちたのは、そこに芸術性を感じたから故なのだろうか?

 ペイトンがレムリアの二の腕を持ち上げる。空を飛ぶように、空中で水平体勢になった女神。レムリアはペイトンの腕を掴むことで、自らの身体を支えている。そのまま柔軟性を見せ付けるように、レムリアが限界まで開脚。数秒間宙でピタリと静止する光景を、観客は感嘆しながら見上げていた。

 レムリアは一旦、ペイトンの太腿にそっと足を乗せてから、ゆっくりと床に降りた。傍にあったポールを掴むと、少し距離を置いて、互いに背中を見せる。片足立ちで、片手片足を突き出すと、ポールを線にした綺麗な線対称となる。

 身体をポールに引き寄せ、互いに片膝の裏を絡め合った。緩やかに床を蹴り、回転を始める。空中に浮かび上がると、徐々にポールを上った。より高みに上ると共に、回転も速くなる。

 そしてレムリアとペイトンは、片足と片手を絡ませることで、∞の字を作った。空いた方の片足は折り畳む。そのシルエットは、蝶の翅が舞い踊るように見えた。

 ――ふいに、小さい頃のメリーゴーラウンドを思い出す。横回転する景色に点在する照明が、あの日の幻想的な光に思える。スポットライトが、暴き出すくらいの眩しい太陽であったとしても、今なら臆せずに日の下を歩ける。

 己の肌を、大衆に見せ付けた反応で悦に浸る……なんて言えば、下品と言われても仕方ないかも知れない。だとしても、女性性・・・を受容されたようで、本能以上の次元で欲求が満たされた気がするのだ。その女としての自信さえあれば、ジョスリンと二人きりになっても、大丈夫なはず。

 

 再度フロアに降り立った二人。タイミングを確認し合うように、僅かに仰け反りつつの深呼吸。

 中央のポールを、ペイトンが先んじて上った。両足でポールを挟んだ状態で、ゆっくりと上昇して行く。流れるような筋肉の動きは、重々しいと言うよりも、しなやかと比喩するのが適切だろう。

 椅子に座るような体勢で、高い位置で回転するペイトン。片肘の裏でポールを挟み、空いた方の手を下に伸ばした。

 レムリアは、片手をポールに、もう片手でペイトンの手を握り、吊り上げられるように宙に浮かぶ。少女と共に半回転した辺りで、両脚を蹴り上げた。

 尚も回り続けるペイトンは、レムリアの片脚を肘裏で挟み、更に彼女の足首をポールに押し付けている。しっかりと保持された状態。だから女神は、愛する人間の胸元に飛び込むかのように、逆さ吊り状態でも落下しない。

 先程よりも、倍は大きい歓声が轟いた。ジョスリンの男らしい激しさとは、また違った魅力に溢れる、脚線美を存分に見せ付けるアクロバティック。

 やがてレムリアは、空いた足の裏をポールにくっ付け、両手でポールを掴む。安全を確認したペイトンが、レムリアの片脚を解放。レムリアは回りながら、ゆったりとフロアに着地する。

 と、高いところで回転を続けていたペイトンが、両手を広げて失速し……落下した!

「うわっ!」

「きゃあっ!?」

 とりわけ近場で見た者は、思わず悲鳴を上げたり、目を瞑ったりした。……が、ペイトンは床に触れる寸前で、肘裏や膝裏の摩擦を利用して、ピタリと止まった。その後、何事もなく床に降り立ち、ペイトンはポーズを決めた。ホッとした視線を向ける観客たち。

「なんだよぉ~」

「ビックリしたー!」

 ポールダンスの魅力の一つは、こうしたスリリングなアクションを、間近で見られる点だろう。

 

 いよいよクライマックスが近い。今度はレムリアが、ポールを天井近くまで上った。やや遅れて、ペイトンはポールを掴む。

 二人は一瞬、上下で顔を見合わせた。そして、同じタイミングで、同じ速度で、回転を開始するや否や、ペイトンが空中の階段を駆け上るように、両足を垂直に持ち上げる。

 ペイトンが両足の裏で、レムリアの両膝を支え、持ち上げる。女神による、二度目の空を飛ぶようなポーズ。ペイトンが足裏で支えるのを止めると、レムリアは回転しながら身体を逆さにしてみせた。

 ポールの下部では、ペイトンが今まで以上に速く、激しく回転している。レムリアは、引き寄せるようにペイトンの四肢に絡み付く。そうすることで、二人の回転速度は更に、更にと増していった。

 ヘリコプターのような轟音が聞こえないのが不自然なくらい、ここ一番の大回転を見せ付ける二人。BGMが終わりに近付いているのも相俟って、素人目にも分かりやすいクライマックスだった。

「ペイトーン!」

「女神様!」

 万雷の拍手、音楽を掻き消さんばかりの歓声、その渦中にあっても、名前を呼ぶ声だけはハッキリ聞こえる。

 ――照明が少しずつ、暗くなっている。完全に暗くなるまで、このまま回り続ける、余韻を感じさせる終わり方だ。これからも回り続けたい、ポールダンスを続けたい、そんな気持ちを表明するかのように。

 会場が暗闇に覆われる寸前、女神と少女はポールで回りながら、見つめ合っていた。パフォーマンスが大成功に終わった喜びを噛み締めながら、これまでにない観客たちの大声援が、何故だか段々と遠のいていくのが感じる。レムリアは、ペイトンの全力の笑顔が、子どものように無邪気に思えた。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 夢から醒める時は呆気ないもので、会場の外に出るなり晩春の冷気を思い出す。会場の片付けを終えたダンサーや裏方担当、そして余興で飲み食いしていた観客。皆揃って、終了時刻に追い回されたかのように、屋外に飛び出した。

 ペイトンはベンチに座り、半ば疲労感に取り憑かれたかのように、街の空を呆然と見上げている。自分たちを観に来てくれた若者たちは、目の前の道路を過ぎ去っていく。若者らは、何故か一様に、妙な達成感に満ち溢れていた。あたかも自分がパフォーマンスをして、大成功で終えたかのように。

 数多くのカップル、その楽しそうな会話を乗せて、吹き付けるのは凍える風。ペイトンを包むダウンジャケット――着膨れしているのが一目瞭然な、ぶかぶかなダウンジャケット――ごと、胸を貫くように、鋭利に。

(さみしいよぅ……)

 ペイトンは思った。この街に来てから、これ程までに強く孤独を感じた経験があっただろうか。たった数十分前は、女神様と共に、女性として沢山の人々を惹き付けたと言うのに。

 観に来たカップルたちは、手を繋ぎ、肩を組みながら、自分に無関心で通過していく。ジャケットを着て、脇腹や脇の下を隠しているから? 脱がないと認めて貰えない、なんて我ながら下卑た発想が脳裏を過ぎったが、だとしても……。

 引っ越して初めて、憎しみや嫉妬を抱いた。昨日までは、自分に魅力がないからと、諦観していた。でも私は、魅力がある女でしょ? なら、どうして気付いてくれないの?

 ぶかぶかなジャケットを脱ぎ、今一度素肌を晒したいと願った。ポールを抱き締め、回り続けなければ。ポールダンスを、もっとしたい。不純な動機だとしても、悔しさ、寂しさを握りつぶすように、拳に力を籠める。

 

(ペイトンちゃん……!)

 レムリアは、あえて建物の陰に隠れて、孤独なペイトンを見守っていた。片手には、コーヒーチェーンで買った紙コップとレジ袋。他の生徒たちが、一足先に打ち上げパーティーに赴く中、月の女神はペイトンの恋愛成就の願っている。

 

「おつかれ」

 包み込むような、低い声。握り拳を黙って見下ろしていたから、目の前に立っているのに気付かなかった。

 ジョスリンだ。真面目な学生が着るような、地味なコートを羽織っている。両手にコーヒー入りの紙コップを二つ。女神が持っているのと同じだ。その一つをペイトンに差し出す。

「あ、あぅ……」

 睨むような目つきだったペイトンは、一瞬身体をビクリとさせ、慌てて柔らかい目になる。

「あ、ありがとう……」

 そそくそに立ち上がり、震える両手で紙コップを受け取った。じんわり温かくて、肩の力が抜けた。

「どういたしまして」

 そう言ったジョスリンは、視線を泳がせる。……そういえば、相手の真似をすれば距離が縮まりやすいんだっけ? 女神から教わったことを実践するように、ペイトンも視線を泳がせている。十数秒の沈黙の末、上擦った声で彼が言う。

「……女神様が、いつものベトナム料理屋で、打ち上げをするってさ。教室の皆で」

「うん、分かった……」

 ペイトンの声も上擦っている。再び始まる沈黙。

 

(ジョスリンくん! 行ったれ!)

 陰から見守っているレムリアも、自分事のようにドキドキしている。「コーヒーをペイトンちゃんに渡して!」と、ジョスリンに頼んだのは、他でもない女神。ついでに、「ポールダンスの先輩として、ペイトンちゃんを思いっきり褒めてあげるのよ~」と、ジョスリンに言っている。

 しかしジョスリン、パフォーマンス中の力強く激しい気性とは打って変わって、緊張で身体が強張っている。そこは男らしく、ビシッと褒めてあげて欲しいと、女神は思わずにいられない。なんだか歯痒い。

 

「あのさ」

 はにかみながらの、ジョスリンの声。

「君のポールダンス、凄く良かった。短期間で、あんなに動けるようになるなんて……」

 ジョスリンは頑張って、ペイトンの顔を正面に捉えながら言った。その精悍な眼差しに射貫かれ、ドキリと心臓が跳ね上がるペイトン。危うくコーヒーを取り落としそうになる。

「手付きとか、回り続けるところとか、とても良かった。その……セクシー……だった」

「あ、ありがとう……」

 顔が真っ赤になったのが、ペイトン自身もよく分かった。夜の寒さはどこへやら、変な汗すら出てきてしまう。ジョスリンも、なんか落ち着かない様子だ。

(やっぱり、私と二人きりがイヤなのかな……?)

 妙に落ち着かないジョスリンを見て、ペイトンは不安を募らせる。こんなジョスリン、初めてだ。

「あのぅ……ごめんなさい、わざわざ私の為に。イヤですよ、ね……?」

 ペイトンは思わず卑屈になってしまった。言ったら余計に気まずくなると、話す途中で自覚してしまった。だが飛び出した言葉が止められず、消え入るような声で最後まで言った。

「いや」

 ジョスリンはカッと目を見開く。ペイトンは驚き、足が竦んだ。今ので嫌われてしまったかな……? 憧れの人を前にして、膝が笑っている。

「緊張しているんだ。女の子と二人で話したこと、ほとんどないから」

 女の子、とジョスリンは言った。その低く震える声が、耳を通り抜け、頭の中で延々と木霊する。そう、私は女の子。笑っていた膝は、ピタリと硬直する。

「それもこれも、親父が彼女作るな、体操に集中しろとか、アホ臭い命令ばっかりするからさ」

 明らかに嫌そうな顔を浮かべたジョスリン。しかし、それが自分に対しての感情ではないと、ペイトンは完全に理解している。もう、卑屈にはならない。

「俺だって、恋愛とかしたかったのに」

 

(そうなの?)

 陰で見守っているレムリアも、内心驚いていた。よく考えれば、ジョスリンが教室に来てからはそれなり経つが、プライベートの彼はあまり知らなかった。練習が終われば、すぐに一人で帰る真面目さ故に。

 思えば、彼がセクシーな衣装を身に纏うのも、闘争心剥き出しのパフォーマンスも、内なる渇望を曝け出す為だったのかも知れない。彼に配られた手札での、精一杯の自分磨き、女性を惹き付ける為の作戦。

(……ペイトンちゃん、今よ!)

 これ僥倖と言わんばかりに、女神は自分事のように、目を輝かせた。、ジョスリンの困った顔を、口を半開きにして見上げているペイトンを、強い眼差しで見守っている。

 

「え、えっとぅ……」

 ペイトンは言うのを決意した。この日に至るまで、女神と何度も相談しながら編み出した台詞を。近くで見守っているはずの、女神を一瞥しそうになったが、ぐっと堪えた。代わりに、女神様の自信満々な笑顔を、思い浮かべた。それだけで、とても勇気が出た。

パフォーマンスを終えたら、ジョスリンにこの言葉を言うんだ。そう決めていたから、短時間であれほど踊れるまでに、練習に打ち込めた。だから……!

「次は私と一緒に、ペアダンスしませんか?」

 言った直後、もうちょっとタイミングを伺うべきだったかなと後悔した。直前の会話を思い返すと、ここで言うのは些か無理矢理過ぎたかも知れない。怖いバイトリーダーに呼び出され、個室での一対一で怒鳴られたように、ペイトンの血の気が引いた。

「えっ」

 ジョスリンが驚く。気が動転したのか、周囲を二、三度キョロキョロ見回す。本当に女性に慣れていないらしい。

「……いいんですか? 僕みたいな真面目君と一緒で?」

 レムリアは、素のジョスリンが抱えるコンプレックス(・・・・・・・)を、垣間見たような気がした。ペイトンは頭が真っ白で、ジョスリンが畏まった言い方をしたのに、気が付かなかったが。

「……うん」

 赤面しながら、微かに頷くペイトン。

「……じゃあ、是非」

 同様に赤面し、微かに頷くジョスリン。十分、伝わった。

 

(やった!)

 やり取りこそ少なかったが、女神は二人が第一歩を踏み出したと、確信していた。

 好意を抱く人と一緒にいる人間は、無意識に相手と同じ動作をしてしまう。恋愛でも「ミラーリング」というテクニックで応用され、例えばジョスリンが視線を泳がせたら、ペイトンも視線を泳がせれば、無意識に「馬が合うかも」と思わせる事ができる。

 女神はペイトンに、このテクニックを教えていた。ジョスリンの動作を、さりげなく真似するようにと。それが、ジョスリンがペイトンの真似を、無意識にするように変わった。間違いなく、好意を抱いている証だ……!

 

「め、女神様がレストランで待ってるし、先に行ってるね」

 気恥ずかしさからか、ジョスリンはその場を去ろうとした。レムリアは「一緒に行っちゃいなよ~」と内心思ったが、まあ女の子と二人っきりで歩くのに慣れないせいだろう。

 ほんの少し、ジョスリンが背部を見せたとき、ペイトンは切ない気持ちになった。が、振り返りながらジョスリンは、いつものような精悍な顔つきで、こう言い残す。

「俺、教室で教わったこと、ノートに書いてるんだ。家に取りに行ってくるから、レストランでペアダンスの内容を考えよう!」

 すかさず、道路を走りだしたジョスリンから、少年のような純粋さを感じた。悪く言えば、ペアダンスを口実に女の子にがっつく男。良く言えば、女の子の願いを叶えようとする紳士。どっちでもいい。ペイトンは、月にも昇る気持ちだった。

 遠ざかる彼が、道路で往来するカップルたちに紛れて、見えなくなった。手を繋ぎ、肩を組み、二人で道を歩くのは、まだまだ遠い道のりなのだろうか。いや、ペアで踊れば、物理的にも精神的にも、距離は一気に縮まる。視界に映るカップルたちの幸せそうな笑顔が、今では愛おしい。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「ペイトンちゃん、やる~!」

 うっとり月を見上げていたペイトンは、レムリアの声と、惜しみない拍手で我に返った。

「女神様、私、本当に……!」

 ペイトンは感極まった声を上げ、歩み寄って来た女神の胸元に飛び込んだ。

「女神様、ありがとうございます!」

「ペイトンちゃんのダンス、良かったからだよ~」

 互いに相手の肩の辺りを、ポンポン叩きながら、言葉を交わした。

「でも、女神様に見守って貰えなかったら、私本当に緊張して、何も言えなかったと思いますぅ……」

 ペイトンは、疲れたような笑い声と共に、レムリアから離れた。

「だから、本当にありがとうございます!!」

 そう言って深々と頭を下げる。女神のにっこり顔を目の当たりにした時、ペイトンの頬で一粒の涙が光った。

 

「レストラン、行こう!」

「はい!」

 そうして二人は、打ち上げパーティーの会場へと歩き出す。自動車の音や、沢山の足音が、急激に楽しげな音楽になる。

「ジョスリンって……」

 目の辺りを擦りながら、ペイトンが述べる。

「意外と恥ずかしがり屋なんですね」

「そこは女神もビックリした」

 レムリアがウインクを送ると、未だに温かいコーヒーを飲んだ。

「ポールダンスやってる時は、あんなにカッコ良くてセクシーなのに」

 深く息を吐き出すペイトン。

「ジョスリンくんがペイトンちゃんのダンス見たときも、同じこと言うと思うのよ」

 言いながら、レムリアが楽しげに紫色の髪を揺らすと、ペイトンは一瞬息を止めた。

「そ、そうかなぁ……?」

「いやまじで、ポールダンスって、どんなダンスとも相性が良い、身体も心もクローズアップしてくれるものだから。なんてね!」

 女神が冗談っぽく笑うと、少女も白い歯を見せた。そういえば、ジョスリンから受け取ったコーヒー、まだ飲んでいなかった。足を動かしながら、一口味わうペイトン。クリームは入っているが、シュガーが入っていなかった。

 

「あっ、女神様。もしかしてシュガー持ってます?」

 信号機の「とまれ」で立ち止まった時、ペイトンが尋ねた。

「ある! ダイエットシュガーじゃないけど、大丈夫かしら?」

 女神はレジ袋の中から、スティックシュガーを取り出す。

「大丈夫ですよぅ!」

 ペイトンは、子どものように無邪気な笑顔で返した。

「好きですから」

 スティックシュガーを受け取ったペイトンは、すぐに紙コップに投入した。甘く濃厚なコーヒーを、ゴクゴクと美味しそうに飲む。

 温かいコーヒーで、身が温まったペイトンは、着膨れするダウンジャケットを脱いだ。

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