Bearing the Cross Part10

 三階まで吹き抜けとなった、天井がアーチ状のダンスホールが、本出張ライブのステージだ。豪華絢爛なシャンデリア、金に輝く壁や床、アーチを支える円柱らは真っ白で、ホール中至る所に大掛かりな宝石細工があしらわれている。
 階上廊である二階、三階では、ライブ開始を告げるゴングが高鳴ったことで、すし詰め状態の観客たちが早くも騒然となっている。対して、一階に設置された数多くの”特等席”では、オペラホールが暗転した時のような静寂に包まれている。

(これ以上負けたら、私、ファンの皆さんに愛想尽かれてしまいますっ……!)
 ゴングが鳴ると同時に、腰の鞘から二本の短剣を引き抜いたのは、水色ローブを着た犬人間のクリスティーネ。引き抜くと同時に、柄頭に付いた手首の錠が自動的に手首に嵌められた。その場で二振りを縦横無尽に振り回し、二本の鞭と化したディバイン=メルシィが遠距離の敵を襲う!
(決闘が開幕すれば二の足を踏まない、その勇猛心ッ! やはりわたくしが見込んだ傑物だけはありますわッ!)
 真紅と漆黒のコルセットドレスを着ている、無色の宝石が額に埋め込まれたハイ・カーバンクルのミシェルは、両腕を軽く開いたまま不動でいる。痛みを全く感じていないようだが、露出した白い肌に次々と鞭の痕が付けられ、クリスティーネ側の観客は大いに沸き立っている。周囲の様子と負った傷跡から察すれば、攻撃されていることには容易に気が付くはずだが……。

「アクアマリン 豊作の石よ――」
 何やらミシェルが呟き始めると、片手に四つずつ、計八つあるダイヤの指輪から、透明な光が放たれる。察知した観客らが一瞬ざわめいた直後、ミシェルの両腕が薄い水色の宝石に覆われた!
「呪文を唱えるタイプのメーションか。今時珍しいな」
 頬を指で掻きながら、一階の特等席の最前列に座る、花柄エプロンドレス羊人間のロジータが言う。
「呪文を唱え始めた時、あの指輪光ってたよね」
 ロジータの隣に座る、若草ローブ犬人間のクリストファーが言う。
「じゃあ、あの指輪はメーションを使う時の”触媒”ってわけか」
 更にその隣に座る、赤ジャージズボン狐人間のピーターが言う。

 話は逸れるが、戦闘用のメーションはその昔、杖や指輪、本などいったものを触媒とした上で、呪文を唱える方式が主流だった。発動までに時間は掛かるが、習得は他の方式と比較して容易で、かつ見習いメーション使いでも強力な効果を得ることができる。
 ところが、銃火器が台頭し、機関銃や突撃銃などといったものが戦場の主流となると、このタイプのメーションは衰退の一途を辿ることとなる。詠唱中に遠くから撃たれてしまうし、達人メーション使いでもない限りは、火力やスピードで銃火器に見劣りしてしまうからだ。ジャングルや市街地でのゲリラ戦における、不意の接近戦に弱いことも理由の一つ。当然、抗メーション物質AMMの存在も大きい。
 主に銃弾を防御するためのバリアを展開するメーション、通称対銃弾防護壁ABBが広く普及したことが、銃火器の恐ろしさを物語っているとも言える。武器に一切頼らない格闘家や、突撃銃や手榴弾で重武装した特殊部隊でさえも、ボクシングにおけるダッキングと同じように、ABBを基本テクニックとして習得しているほどだ。銃口が自分に向いた瞬間に平均的なABBを展開すれば、護身用の小型拳銃程度なら無傷でガードできる。
 ただし展開中は、やはり他のメーションと同じように、スタミナを消耗する欠点がある。銃を撃つ側には、フェイントで無駄にABBを展開させたり、絶え間なく連射してABBを解く暇を与えないなどして、使用者のスタミナを削るという対抗策が挙げられる。勿論、AMMや超火力で一点突破したり、仲間がいるなら背面や側面に回ってバリアの薄い所を狙うのも有効だ。

(防御用のメーション……ですか?)
 ミシェルの両腕が宝石に覆われたことで、クリスティーネは一瞬攻撃の手を緩め、様子を伺う。
「――恵みの雨を降らせた賜え――」
 ミシェルは呪文の詠唱を続けている。「賜え」を言い終わると同時に、両脚に新たな宝石の鎧を纏う。防御用のメーションにしろ、攻撃用のメーションにしろ、決して詠唱の完了を許してはいけない。骨董品とすら称されるほどデメリットが多い呪文詠唱型だが、威力だけなら現代で主流となっているメーションを遥かに上回る。術が完成したら、一気に窮地に追い込まれるのは目に見えている……!
(あの宝石、見るからに硬そうですね。素直に覆われていない部分を狙いましょうっ……!)
 両腕を振り上げたクリスティーネは、連続して二本の鞭を振り降ろし続け、その先端でミシェルの頭部や胴体を攻撃する。ミシェルの顔面などには、赤く腫れたような傷が次々と増えるが、呪文の詠唱をキャンセルする気配すら見られない。
「――大海原を彷徨う 飢渇にもがく漁夫には 聖母の乳を――」
 ミシェルが更に呪文を読み進めると、今度は全身が宝石の鎧で覆われた! 兜にあたる部分に何度か鞭の先端が当たったが、クリスティーネの予想通り傷一つ付かない。物理的にもかなり硬いし、メーションとしての強度も、良質なAMMが使われているディバイン=メルシィの(メーションへの)抵抗力を上回っている。

(グランドクラスは……隙が大きいですし……)
 全身に宝石の鎧を纏っても、ミシェルは尚も詠唱を続けている。いよいよ術が完成するのではないかと、クリスティーネは一刻を惜しむようになり、焦るがままに鞭を振るった。
 クリスティーネは、二本の鞭をミシェルの足首(を覆う宝石)に巻き付け、勢いよく引っ張る。するとミシェルは、柔道で足を刈られたかのように盛大に転倒! 宝石の鎧を纏った状態で、身体が重かったせいなのか、受け身もままならず背面や後頭部を強打する。
「――荒れ狂う波に潜む 怒り狂う海神わだつみには 処女おとめなみだをッ!」
 だがミシェルは、転倒しても詠唱を中断せず、遂に完了させる。仰向けになったまま両手を大きく開くと、纏っていた鎧が粉々になり、ダンスホールの天井付近に無数の宝石が出現した。人の頭くらいの大きさはある、球体で薄い水色の宝石だ。そして、吹き抜けとなったダンスホールの三階から一階へと、無数の宝石が落下し始める!
(なんて数! 逃げ場がありません!)
 クリスティーネは引き戻した鞭を、咄嗟に二本の鞭を頭上で高速回転させ、アクアマリンの雨を凌ごうとする。だが無数の宝石は、傘代わりとなった鞭に触れてもびくともせず、容赦なくクリスティーネの頭に衝突する!
 先程ミシェルが纏っていた鎧と同様、物理的な硬さもさることながら、メーションとしての強度もかなり高いようだ。一発当たってふらついたクリスティーネに、なし崩し的に無数のダイヤが降り注ぐ!

「流石っす、姉貴! 打たれても殴られても動じねぇ!」
 鉱員たちの野太い歓声に紛れて、一際威勢の良い男の声が聞こえてきた。ミシェルはのっそりと起き上がると、鉱員たちが陣取っている、ダンスホールの二回を見上げながら返答する。
「当然ですわッ! 誇り高きルィトカ家の一族は、荒波に揉まれて研磨されたダイヤモンドッ! 痛みを伴わない攻撃など、取るに足りませんわッ!」
 その際、ミシェルの両膝が僅かに震えていたのを、ロジータは見抜いていた。
「とか言っちゃって、結構効いてるじゃん。やせ我慢して詠唱してたんだ」
「詠唱中は攻撃され放題だと分かった上で、気合と根性で耐え切る作戦か」
「いや、作戦とかどうこうじゃなくて、ただのゴリ押しじゃねぇか!」
 男の子二人は、驚き半分、呆れ半分の様子だった。

 

 クリスティーネは、片手を杖のようにして身体を支えにしている。ただでさえ一発の威力がとても痛そうなのに、それを立て続けに食らったのだから、すぐに立ち上がれないのも無理はない。
(まだ……やれますっ……!)
 ややあって、クリスティーネは跳ね起きるなり猛然とミシェルに向かって走りだす。単発の威力が低い鞭撃では、ミシェルの詠唱を妨害することができないと判断し、近接戦闘に持ち込む作戦だ。
「ガーネット 燃える石炭よ――」
 ミシェルはまたしても両腕を軽く開き、新たな呪文メーションを詠唱する。「石炭よ」を言い終えた瞬間、ミシェルの両腕が宝石に覆われる。薄い水色のアクアマリンではなく、今度は深紅のガーネットだ。

 間合いを詰めたクリスティーネは、真っ直ぐに短剣で突いてきた。一旦詠唱を中断したミシェルは、繰り出された短剣の刀身を片手で掴む。指先まで分厚い深紅の宝石で覆われているから、ミシェルの手は一切傷ついていない。
「その不撓不屈の精神、褒めて差し上げますわッ! されど、この”ダイヤモンド=クイーン”を砕くには、まだまだ気合が足りなくてよッ!」
「なんですって……!?」
 腕に力を籠めて、短剣をミシェルのコルセットドレスに押しつけるはずが、逆に押し倒されないように両脚で踏ん張っている。ミシェルが怪力を以って、強引に押し返しているのだ。筋力だけで言えば、ミシェルはクリスティーネを圧倒するようだ。
「フンッ!」
 ミシェルはもう片方の腕で、クリスティーネの身体を突き飛ばした! 派手に一回転したクリスティーネだが、華麗に受け身を取って素早く立ち上がり、双剣を逆手に持ち直す。
 勢いよくダッシュしてきたミシェルが、宝石を纏った腕を大きく振りかぶる。ミシェルの怪力に、宝石の硬度や重量を上乗せしたストレートパンチは、食らったら一溜りもないだろう。
 クリスティーネはその場で回転しながら姿勢を低くする。宝石に纏われた腕が頭上を掠めた瞬間、クリスティーネはミシェルの腹部を足底で真っ直ぐに蹴る! 腹部から背中に衝撃が突き抜けたミシェルは、若干後方に押し退けられてしまったが、何事もなかったかのように再びクリスティーネに立ち向かっていった。

「クリスちゃん、頑張ってー!」
「脱力だ! 脱力して素早くなれ!」
 しなやかな身のこなしで攻撃をかわしつつ、カウンターの機会を伺っているクリスティーネ。
「姉貴! 根性見せて下せぇ!」
「力こそ正義でっせ!」
 気迫溢れる動きで攻撃を耐えつつ、宝石を纏った腕でパンチを繰り出し続けるミシェル。
(宝石を纏っているからでしょうか……? パンチのモーションは大振りですねっ……!)
 クリスティーネは、徐々にミシェルの動きを見切りつつあった。のっそりとしたミシェルの右ストレートを、最小限の動きで潜るように躱したクリスティーネは、綺麗な左フックでカウンターを決める!
「やるー! クロスカウンター!」
 プロボクサーレベルの高度なテクニックを見せ付けられて、ロジータはじめ多くの観客が歓声をあげる。ミシェルの上半身は大きく揺れ、隙を逃さずクリスティーネが腰回りを両腕で抱え込む。身体がとても柔らかいクリスティーネは、ミシェルに組み付いたままお手本のようなブリッジを行い、フロント・スープレックスが炸裂!
 頭からフロアに叩き付けられて、仰向けに倒れたミシェル。すかさず上から抑え込んだクリスティーネは、逆手に持った短剣で、ミシェル首を掻き切ろうとする。
「このまま行けば勝てるっ!」
 何戦かぶりの勝利を期待して、クリストファーは思わず立ち上がりそうになった。勝利そのものよりも、クリスティーネが自信と元気を取り戻すことを、期待しているのかもしれない。

 ミシェルは仰向け状態のまま、喉元に触れようとした短剣を掴み、怪力でクリスティーネの腕を押し返そうとする。同時に、もう片方の腕を上に伸ばし、クリスティーネの首を捉えると、ヒートアップしていたライブ会場は更に昂った。
「我の往くべき道を照らせッ!」
 詠唱文と思わしき言葉を耳にしたクリスティーネは、咄嗟にミシェルの顔面を蹴りつつ、首絞め状態から脱出する。宝石の鎧に纏われているせいなのか、首絞めの”握り”が不十分だったので、身体の柔らかいクリスティーネには容易なことだった。
 クリスティーネが自ら仰向けに倒れた瞬間、ミシェルの両腕を覆う宝石が粉々になり、首を捉えていた方の掌から、深紅の宝石の大群が放たれる! 斜め上に向けて、一直線に放たれたその軌道から推測するに、クリスティーネを拘束した状態から、メーションを接射するつもりだったらしい。
 あと一歩脱出が遅れていたら、クリスティーネの顔面が跡形もなく消えていたかもしれない。見えない壁の内部だから、そういう放送禁止レベルの事故は起こり得ないが。

「ミシェルは詠唱した呪文を宝石の鎧に変えて、いつでも撃てるようにストックしているのか」
 立ち上がった両名が、激しい肉弾戦を演じているのを観ながら、ロジータが呟く。
「詠唱を妨害してくる相手への防御手段かも。あと、詠唱している最中に接近された時の対抗策」
 続けてクリストファーが口にする。丁度クリスティーネが、ミシェルのアッパーカットをバックステップで躱してから、カウンターのハイキックを顔面にお見舞いしたところだ。
「んで、詠唱に時間を掛ければ掛けるほど、宝石の鎧が全身に広がるし、ストックしたメーションの威力も高くなるって寸法か。だから、速攻で潰さないと手遅れになる」
 ピーターが言うと、隣に座っているクリストファーが丸い目で見てきた。数多くのBASのライブを観戦しながら、クリストファーの知識自慢を耳にするうちに、自然と洞察力が鍛えられたのかもしれない。
 ミシェルからフックを貰ったクリスティーネは、パンチが伸びる方向と同じ向きに顔を背けて、衝撃を和らげた。ミシェルの四本指に嵌められたダイヤの指輪が、メリケンのように頬にめり込んだが、緊急回避的な防御技術を用いたクリスティーネは、何とか耐えてみせた。

 “ダイヤモンド=ガイスト”、ミシェルのメーション・スタイルはそう呼ばれている。奴隷としての苦役や屈辱を耐え忍び、主人から大富豪の座を奪い取った、ルィトカ家の誇り高き精神の結晶だ。ルィトカ家が所有する鉱山で、ダイヤモンドが採掘されていることも、ミシェルの”無意識”に影響を与えているのだろう。
 詠唱中の無防備なところを攻撃されても、気合と根性で食いしばり、雌伏の時を経た後逆転の大技を放つ。ミシェルの先祖の生き様を準えるかのような、豪快かつガッツ溢れる戦い方なのだ。

 

 本能にダイレクトメッセージを叩き込むような、激しい肉弾戦の最中、クリスティーネのローキックを受けたミシェルは、一瞬身体のバランスが崩れてよろけてしまう。そのままハイキックを繰り出そうとしたクリスティーネに向かって、低姿勢になったミシェルが組み付いてきた!
 ミシェルがクリスティーネの腰に両腕を回すと、二人はその場で少しの間もつれ合った。ややあって、クリスティーネは怪力によってバランスが崩され、身体を反転されながらミシェルに持ち上げられてしまう。そして、その場でジャンプしたミシェルは、着地とともに両膝を突き、クリスティーネの頭部を垂直に落とした!
「垂直落下式パワーボム!? かなりムチャな入り方だったけど」
 頭部からフロアに突き刺さってから倒れ、苦悶の表情を浮かべているクリスティーネを観ながら、ロジータが言った。クリスティーネは甚大なダメージで意識が朦朧としており、すぐに立ち上がることができない。

「アクアマリン 豊作の石よ――」
 クリスティーネがダウンしている隙に、ミシェルは詠唱を始めた。ライブ開始直後に詠んだ文章と同じことから、ミシェルは宝石の雨を降らせる魂胆だと分かる。やはりミシェルの両腕が、薄い水色の宝石の鎧で覆われる。
 クリスティーネは慌てて、仰向け状態のまま独楽のように回転しつつ起立する。立ち上がるとともに回転の勢いを増し、握っている二振りの短剣を伸張させる。その場で激しく回転させながら、二本の鞭で竜巻のような連撃だ!
「出たっ! ウロボロスクロス!」
 姉の必殺技が繰り出されたことに、誰よりも先にクリストファーが叫んだ。
 僅かに腕を広げたまま詠唱に集中するミシェルは、鞭の嵐の半径内に立っているために、瞬く間に全身がみみず傷だらけとなる。痛みは全く感じないため、詠唱妨害としては効果が殆どないかと思いきや、身体からダメージの深刻さを警告されたかのように、立ち眩みを覚えた。

(幾らなんでもあれをほったらかせば、馬鹿の一つ覚えになりますわ)
 気合と根性であらゆる困難をチャンスに変えるミシェルも、流石にメーションを中断した。ではどうするのかと言うと、二本の鞭を広げたままフィギュアスケートのように回転するクリスティーネに、何の躊躇いもなく突っ込んでいった。
 鞭跡だらけにされて、素肌全体が赤くなっているミシェルは、鞭の竜巻の中心点に位置するクリスティーネ対して、低姿勢のまま肩と頭でぶつかっていった! スピアー・タックルを腹部にかまされたクリスティーネは、小さく吹っ飛ばされたものの、後転しながらのしなやかな受け身をとって、すぐに立ち上がる。
(復帰が早いッ……! 妨害してくる度に迎え撃っていては、いたちごっこになりますわ)
 自分で思っていた以上に、ガタが来ているミシェルは、タックルを当てた際に両手を突いてダウン寸前になっていた。一方のクリスティーネは、熟練した受け身の技術によって、素早く戦闘状態に復帰している。
 ついでにと言わんばかりに、クリスティーネは双鞭を振り降ろして、ミシェルの頭部を強く打ち据える。ミシェルは一瞬頭部をガクッと下げたが、気合を以ってして片膝立ちに移行する。

「愛情の雨を降らせた賜えッ!」
 片膝立ちになったミシェルが、そう言いながら勢いよく両腕を広げた。例によって腕を纏う宝石の鎧は粉々になり、天井付近に薄い水色の宝石が無数に現れる。詠唱した時間が短かったせいか、一回目に放った”アクアマリンの慈雨”よりは宝石の数が大きく減っているが、それでも逃げ場が見出せないくらいには密度がある。
(隠れませんとっ……! でも、一体どこに……!?)
 アクアマリンの慈雨を、ディバイン=メルシィの高速回転で防ぐことは、不可能だと体験済みだ。さっきよりも詠唱時間が短かったから、もしかしたら宝石の強度が低下しているかもしれないが、一か八かの賭けには出たくない。だからと言って、この雨を凌げるような場所も無い。
 クリスティーネは、顔を引き攣らせながらミシェルに向かってダッシュする。ダッシュしながら二本の短剣を鞘に収め、その錠が意志を持ったかのように手首から離れる。人の頭くらいあるアクアマリンが直撃する寸前、迎撃するために立ち上がったミシェルを、クリスティーネが掴んで引き倒す!
「あ、姉貴の下敷きにッ!?」
「そこを俺っちと代われ~!」
 クリスティーネは、自らミシェルの下敷きになることで、彼女を”傘”としたのだ。鉱員たちは、クリスティーネを羨ましがっている。
 降ってくるアクアマリンがミシェル自身に触れても、霧消するだけでダメージは無い。メーションを上手く制御している証だ。ミシェルが代わりに雨を受け止めてくれたおかげで、クリスティーネはダメージを一切受けずに済んだ。

 ダイヤの雨が止むと、ミシェルは仰向けになっているクリスティーネに馬乗りとなる。他に回避方法が無かったから仕方がないのだが、クリスティーネは自ら不利になる状況に持ち込んでしまった。
 ミシェルの空いた手が、クリスティーネの頭部目掛けてガツンと振り降ろされた! 辛うじて、腕で顔を隠して防いだが、ダイヤの指輪がメリケンサックのような働きをして、受け止めた腕がじーんと痛む。
 地面に押さえつけているクリスティーネの顔に、何度も拳骨を振り降ろすミシェル。対するクリスティーネも、何とかマウントを返そうと、柔軟な足でミシェルを蹴ろうとしたり、ブリッジのような体勢になって逃れようとする。だが、ミシェルが押さえつける力はあまりにも強く、簡単にはマウントを返せない。
「グーで女の子の顔を殴っちゃったらダメじゃん……って、人のこと言えないかー」
 打ち下ろされる拳骨を払ったり、時に腕で受け止めたりして、顔面へのクリーンヒットだけは防いでいるクリスティーネを観ながら、ロジータが言った。

 タイミングを見計らって、クリスティーネは振り降ろされたミシェルの腕を掴む。ガッチリと掴まれた片腕を、怪力で無理矢理引き戻そうとしながら、ミシェルが声を張り上げた。
「守るしか能が無いのでして!? ビルンバウムッ! 貴女の祖先らが轟かせた武勇に、甚だしく見劣りますわッ!」
 古くから続く家系の生まれであるせいか、ミシェルはビルンバウム家の裏事情を知っているようだ。
「これだけ一生懸命になっても、まだ足りないと仰るのですかっ……!?」
 言い返したクリスティーネは、カッと見開いていた目に更なる力を籠めた。そのままクリスティーネは、自分の腕と脇でミシェルの腕を拘束し、自分ごと半回転してマウントを返す。
 今度は自分が馬乗りする側となったクリスティーネは、素早くミシェルの頭を持ち上げ、その下に自分の片脚を入れた。そこからもう一度半回転し、三角形に組んだ自分の両脚で、ミシェルの首と片腕を締め付けようとする。
(三角締めッ! 私にとっては好機ですわッ!)
 ミシェルは締め付けられる寸前で片腕を引き戻すと、クリスティーネの腰に両腕を回し、強引に立ち上がった。宙吊り状態の逆立ち状態になっているクリスティーネは、尚も両脚でミシェルの首を挟み込んでいる。
「ちょっと待って! あのポジションは――!」
 そう叫んだロジータの嫌な予感は的中する。小さくジャンプしたミシェルは、着地とともに両膝立ちの状態になって、カウンターの垂直落下式パワーボム! 再び頭部に深刻なダメージを受けたクリスティーネは、堪らずその場に伸びてしまった。

「一度ならまだしも、二度も私の投げに耐えられる猛者など、そうそういませんわッ! 最早メーションなど不要ッ!」
 ぐったりと倒れているクリスティーネの傍に立つミシェルは、既に勝利を収めたかのように叫びながら、拳の骨をバキバキと鳴らす。ダンスホールは、トドメの一撃を待ち望んでの姉貴コールと、起死回生の復活を待ち望んでのクリスティーネコール、その二つが最高潮まで昂っている。
「またお姉ちゃんがっ……!」
 クリストファーが呟いた一言に、一体どれほどの無念や憂いが、籠められているのだろうか。隣に座っているピーターは、両膝の上で拳を握り締めて、何も言わない。
 ミシェルがやおらに片脚を上げる。そのまま背中から倒れ込んだミシェルは、仰向けのまま歯を食いしばっているクリスティーネの顔面に、容赦なく肘を落とした!
 激痛と衝撃で、両手両足が跳ね上がってしまったクリスティーネは、反撃も立ち上がることもままならない。本ライブにおける最大級の歓声が巻き起こり、勝敗は誰の目から見ても明らかだ。

「ダイヤモンドを加工する為には、同じダイヤモンドの粉末を使うしかありませんわ。”永久不変”にして”不屈”の原石に相応しき、粉骨砕身必至の困難極まりない試練。貴女はどうかしら? ビルンバウム」
 のっそりと立ち上がったミシェルが勝ち誇ったように言うと、ライブ終了を告げるゴングが高鳴った。痛々しい面持ちで倒れているクリスティーネに、ミシェルの言葉が届いたのかどうかは、分からない。

 

 クリームのように白い壁に、手触りの良い木造りのテーブル。柔らかい雰囲気の店の中には、若い女性やいちゃいちゃしているカップルが多く、天井のスピーカーから流れてくるのはスイーツな歌声のポップミュージック。
 ここは、BASドームのデパートエリアにある、小さなパフェ屋さん。程よく甘く、値段の割には量も多めなパフェは、若い女性たちから絶大な支持を受けている。中でも、通称「猫パフェ」と呼ばれる商品が大人気だ。バニラアイスクリームにチョコで茶斑を描き、チョコチップなどで猫の顔が作られている、大変可愛らしいパフェなのだ。

「そんな真に受けなくていいっての。ミシェルとあんたは違うんだし」
 小さな円テーブルを挟んで座る、花柄エプロンドレスのロジータが、素っ気なく言った。目の前に置かれた空のグラスには、抹茶パフェが入っていた。
 向かい合って俯いているクリスティーネは、まだフルーツパフェを半分くらいしか食べていない。あと一歩の所で、ミシェルに打ち負かされて落ち込んでいたクリスティーネは、BASドームに戻ると同時に、ロジータによって半ば強引にこの店に連れられた。
「でも、ミシェルさんに言われた通り、私にはガッツが足りませんし……」
 直接的にはそう言われてないが、ライブが終わり、傷が回復して立ち上がった後、ミシェルから言われた言葉を総括するとそのようになる。
「気にしちゃっても生産性がないってば。あの女の口癖かもよ。ああいうタイプって、誰に対しても同じことを言う」
「あり得るのでしょうか……?」
「さーね。でも、思うだけなら勝手じゃん。あんたが物事を悪い方へ考えるのと同じ。どうせ思うだけなら、自分にとって都合のいいことを考えた方がいいでしょ?」
 そう言ってロジータは、白髪パーマに目立っている癖毛を触りながら返答を待つ。両肘を机の上について、自らの犬耳を引っ張っているクリスティーネは、何も言わない。

「ねぇ、そろそろ気心が知れてきたし、腹を割って話してもいい頃だから言うけどさー」
 待ち兼ねたロジータは、引き抜いた癖毛を手放して床に捨てながら言った。
「なんでそんなビビってんの? あんた、なんか悪いことした心当たりでもあんの?」
「色々あります……」
 ボソッとした声での即答だった。
「へぇー。まー、それが何かは聞かないけど、気になるんだったら素直に謝ったら?」
「いつも謝っているんですけど、それだけじゃ足りないような気がして……」
「ふーん……?」
 ロジータは、片目を瞑って鼻の頭を指で掻いた。そのまま両手を枕にして、背もたれに寄りかかって天井を仰いでると、突然テーブルをパンと叩いてから言う。
「分かった! あんた多分、ご機嫌取りたがってるんだ。確かにあんた、いつも何かにつけて謝っているけど、その時のクリスティーネすごい慌てちゃってる。もしかして、迷惑かけて嫌われたと思って、ビビってるんじゃない?」
 言われたクリスティーネは、急に顔を上げて、辺りをキョロキョロ見回した。
「そう……かもしれませんけど……。それよりも、神様の罰が……」
 彼氏がいるのを知られたくないのに、お局様から「彼氏がいるでしょ」と言われたOLのような反応だ。
「あーもう、また神さま? 育ちの悪いあたしにはよく分かんないけど、本当の神さまが居るとすれば、四の五の言わず全人類を助けてくれるはずじゃん。どんな悪人でさえもさ。あんたの言う神さまの罰って何? 人に嫌われること? 神さま、関係なくない?」
 再びクリスティーネが押し黙った。両膝の上に手を置いて、フルーツパフェをぼーっと見つめるばかり。その様子を見たロジータは、図星を突かれたに違いないと確信した。
「人間なんて所詮、持ちつ持たれつの関係じゃん。誰かに迷惑を掛けた分、誰かから迷惑を掛けられる。人から親切にされた分だけ、人に親切にすれば、それでいいじゃん?」
「はい……」
 そう返事したクリスティーネが、本当に話の内容を理解しているのか、ロジータは疑わしかった。いい加減に飽きてきたロジータは、「溶ける前に食べちゃえば?」とクリスティーネを急かす。頂き物を残すのは大変失礼だからと、クリスティーネは思い出したかのようにスプーンを動かし始める。

 クリスティーネがパフェを食べ終わると、ロジータが一足先に席を立つ。二人分の代金をまとめて支払うつもりだが、それを事前にクリスティーネに言うと面倒になる。
「あっ……私が全部払います!」
 ロジータの手に、使い古しの財布があるのを確認したクリスティーネは、慌てて席を立ちながら言う。
「いや、いいってば。持ちつ持たれつじゃん。あんたがいつも編んでるセーターに対してのお返しだってば」
 両手を突き出して止めようとするクリスティーネを無視して、レジの前に立つロジータ。
「ですが、それは裕福な人々の間でのお約束であって、ロジータさんのような方に強要するわけには……」
「あんた、何様のつもり? あたしを貧乏呼ばわりするのは、別にいいけどさ」
 紙幣を指で摘まんだ瞬間、ロジータが振り返った。黙って好意を受けとらない、クリスティーネの頑固さに辟易したのだろうか。
「まーいっか。じゃ、あんたが払って。それであんたの気が済むなら。お金を使わないで済むことだし。イヒヒ!」
 ニヤニヤ笑ったロジータは、紙幣を財布の中に戻して店の外に出た。
「……ごめんなさい……」
 そう言ったクリスティーネは、すぐに自分の口癖が憎らしくなり、嫌悪感に陥ってしまうのであった。

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