Bearing the Cross Part3

 遠距離から先手を打ったのはマルツィオだった。ガラス張りの屋根から射す陽光が、鏡のような大盾で反射され、正対するカリナの目を晦ませる。
(なんでィ。ンなの、見なきゃいいだろ)
 そうして顔を傾けた瞬間、マルツィオが発砲! 全弾命中とはいかなかったものの、数発の銃弾がカリナの胴体や太腿を貫き、表面を抉る。
(マルツィオさん、怒ってます……?)
 迷うことなく円滑に行われたファーストアタックにより、観客たちは大いに沸き立っていた。一方クリスティーネは、さっきまでカリナに馴れ馴れしかったマルツィオのニヤついた顔を、恐るおそる見つめていた。
「べらぼうめェ!」
 所々から血を流している喧嘩っ早いカリナは、早くも怒りを爆発させた。グリップのハンドルを回すと、高熱を帯びて赤くなった刀身を頭の横で構え、猛然とダッシュしてゆく。その間マルツィオは、メーションでどこからともなく現した替えの弾倉を、空になった弾倉と取り替えていた。
(遠距離から揺さぶり、リロードで隙を見せて、かーらーの!)
 真っ直ぐ近寄ってきたカリナが、大剣で大盾ごとマルツィオを貫こうと剣を繰り出した時だった。手早くリロードを終わらせていたマルツィオは、突如斜め前に大きく跳躍する。
 死角に回り込んだマルツィオは、ジャンプの頂点に達した所で180度回転していて、カリナの後ろ首を拳銃に取り付けたスタンロッドで突いた! 一瞬とは言え、電撃をモロに受けたカリナの筋肉は硬直し、武器を取り落としながら前のめりに倒れてしまう。
「ウェーイ!」
 若者集団は、男も女も皆「ウェーイ!」という歓声をあげる。他にいい言葉が思いつかないのだろうか……?

 いい気になったマルツィオは、何とかうつ伏せから仰向けに体勢を整えたカリナを、大盾で押さえつける。表面に無数の棘が付いた大盾の下敷きになったら痛いじゃ済まないので、咄嗟に拾い直した大剣で受け止めるカリナ。
「寝んな! カリナ!」
「お昼寝返上で観に来てやってんだよォー! 仕事しろ、カリナ!」
 体勢的に不利な力比べに陥ってしまったで、カリナのファンが野次を飛ばす。いや、ちゃんと応援しているのだろうが、その荒っぽい声調がどうしても野次に聞こえてしまう。
「そーれ! マッルツィオ! マッルツィオ!」
 マルツィオのファンたち(と、彼女たちを狙う男たち)は、手拍子と共にマルツィオコール。マルツィオが力比べに勝ったら、絶対に「ウェーイ!」と叫ぶに違いない。
(誰も悲しまないのでしょうか……?)
 四肢切断などの過激すぎることは起こり得ないらしいが、この光景自体が既に刺激が強い。アニメや映画などの創作物でさえも、クリスティーネは暴力的なそれとは無縁だった。
 体重を載せられるという有利さも手伝って、力比べではマルツィオの方が有利だった。盾の表面はいよいよカリナの胴体に迫り、棘の先端が刺さって微かに流血させる。
「クソッタレェ!」
 完全に押し潰されてしまうその寸前で、カリナはマルツィオの金的を蹴り上げた! 盾に体重を乗せることを徹底して、防御を忘れていたマルツィオは、それをモロに喰らってしまう。
 「あがっ!?」とおったまげたマルツィオは、反射的にカリナの上で蹲ってしまう。押さえつける力が弱まった隙を逃さず、カリナが大剣で押し飛ばす。ひっくり返った亀のようになったマルツィオは、大盾を装備する手で股間を抑え、尚も悶絶していた。
 観客は腹を抱えて笑いながら、口々に「だっせー!」と言う。マルツィオの応援に駆け付けた若者集団まで爆笑している。ひどい。笑っていないのは、クリスティーネくらいのものだ。
運休ウヤってんじゃねェゼ、オイ!」
 そう言うや否や、頭の横で大剣を構え直したカリナは、仰向け状態のマルツィオの腹目掛けて突きを繰り出す。が、マルツィオは咄嗟に大盾で大剣を弾き、鈍いペースながらも何とか立ち上がる。
(なンだこの盾!? 分厚い鉄板も、一瞬で溶断できンのによォ!)
 突きが弾かれたカリナは、素早く構え直して今度は袈裟切りを放つ。これもまた大盾に弾かれたので、今度は切り返しての逆袈裟切り。またもや大盾に弾かれたので、頭の横に構え直した剣を小さく水平に回し、裏刃で攻撃を仕掛ける。当然の如くガードされたが、更に袈裟切りを放ちラッシュを止めない。
(剣を振り終ると同時に、別の構えに移行してやがる。どっからでも切り返せるという、攻防一体の動きだ。リーチ差もキチいし、反撃ができねー!)
 大盾に身を隠すマルツィオは、延々と繰り出される斬撃の合間を縫って、どうにか懐や死角に潜り込む隙を窺っていた。
「マルツィオー!? ナンパで鍛えた、斜め前から近づくテクニックはどうした!?」
 若者集団は、マルツィオがなぜ反撃できないのか分からない。ちなみに、気に入った女の子に斜め前から近づくことで、相手を驚かせることがなく自分の存在感をアピールすることができる。
「ナハハハハ! さすがだな、カリナちゃん!」
 カリナのファンことドール・トリンド駅の職員たちは、攻撃しまくっているカリナの方が圧倒的有利にあると、単純に判断した。
 一見闇雲に剣を振るっているように見えるカリナだが、その実、足を巧みに捌いてマルツィオさんとの間合いを一定に維持している。時々手首を捻って、身体の側面で剣を回しているのは、反撃を受け流すための備えだ。マルツィオも、それを理解しているから手が出せない。

(よっしゃー、スキあり!)
 大剣が水平斬りを盾で防いだ瞬間、マルツィオは踏み込みながら拳銃をカリナのヘソに突き出した。切り返しながらの水平斬りが往復するまでの、一瞬の隙であったはずだが――。
 マルツィオが大盾から身を現すのを確認するや否や、カリナは大剣のグリップを雑巾を絞るかのように捻った。すると、赤くなっている機械大剣の刀身から、蒸気機関車のような黒煙が噴出。バネではね飛ばされたかのように戻ってきた大剣が、マルツィオの胸の表面を溶断した!
(うぉ!? はえー! なんか速かったな、いまの!)
 スタンロッドは寸分のところで届かず、胸を一文字に溶かされたマルツィオは、すぐに大盾に身を隠した。見切れなかった攻撃についてよく考察したいところであったが、そんな暇は与えないとばかりに、カリナが尚も大剣でラッシュを仕掛ける。
「何が起こった? 黒い煙にやられたのか?」
「で、でも、それじゃあ全身が焦げない……?」
 マルツィオのファンたちは、互いに困惑した表情を見合わせて話し合う。
 カリナの機械大剣は、噴出させた黒煙の反動を利用して、倍以上の速さで切り返すことができる。連続斬りの合間を縫って反撃してくる敵に対し、逆にカウンターを見舞える。攻防一体の剣術の、いつでも反撃の用意ができているという長所を、更に伸ばしているのだ。

(なんか分かんねーけど、迂闊に手を出したらカウンターされちまうな……。しかたねー。防御は最高の攻撃だ!)
 反動切り返し恐れるマルツィオは、大盾でラッシュを受け続ける他なかった。優れたディフェンステクニックのおかげで、自慢の身体に大剣が直撃する自体は避けている。
(引き篭もってんじゃねェ! テメェそれでも男か!)
 無鉄砲なカリナは、恐ろしく頑丈な大盾を無理矢理にでも弾き飛ばしたいのか、黒煙を吹き散らしながらの倍速斬りでラッシュを仕掛けていた。マルツィオが受ける衝撃は更に増したが、大盾を器用に動かすことでクリーンヒットは免れている。
 それどころか、拳銃を斜め下に向けてカリナの足を撃ったり、大盾ごと体当たりをかましたりして、しつこく反撃を繰り出している。手数と攻撃速度こそずば抜けているカリナだが、動きそのものは単調なため、リズムえ掴めば反撃ができる。
「ウェーイ! マルツィオ! ウェーイ!」
「とっとと終わらせやがれってンだ! 次の列車が発車しちまう!」
 膠着状態に陥った両者に、それぞれ個性的な声援が送られる。
(怪我をしたなら、労うべきだと思うのですが……)
 クリスティーネは、いよいよ駅の構内にいる人々の冷酷さに、恐怖心を抱き始める。
(つーかあちーな! サウナの中にいるみたいだぜ! なんかフラフラしてきたし……!)
 縦横無尽に振り回される、大剣の切っ先から撒き散らされている黒煙は、マルツィオの全身を包んでいた。浅黒い肌からは、滝のような汗が流れ出ている。それによってスタミナが急速に奪われ、動きが徐々に鈍ってきている。
 対してカリナは、黒煙ラッシュのリズムを一定に維持している。(猪突猛進な性格の割には)長期戦を想定した身体造りをしている為か、持久力がとても高いのだ。持久力ならマルツィオも負けてはいないが、蒸し暑さが彼のスタミナを奪っている。
「あー、いい駆動音だな。あの機械大剣はよォ。噴き散らかす黒い蒸気もたまんねェ」
「ヘヘ。まるで暴走蒸気機関車みてェだ。たまらねェ。がぶりつきに来た甲斐があったゼ」
 鉄道マニアでもあるカリナのファンたちは、荒ぶる機械大剣を眺めながら、豪快に笑っていた。
「フラフラじゃん、マルツィオ! 攻めろ攻めろ!」
「ワンチャンあるよ、ワンチャン!」
 さすがの若者集団も、「ウェーイ!」と茶化すことはしない。

 決着は一瞬だった。
 汗を出し尽くしたマルツィオは、突如強烈な眩暈に襲われて片膝をつく。カリナがその隙を逃さず、火花を散らせる大剣を360度回転しながら薙ぎ払うと、周囲にあった黒煙が一斉に爆発したのだ! 何やら特殊な液体から気化した黒煙を、火花によって引火させたらしい。
 ドーナツ状の爆発の真っ只中に居たマルツィオは、水平に吹き飛ばされて黒焦げになった! ホームから線路へと落下するかと思いきや、見えない壁に叩き付けられた後、うつ伏せに倒れる。カリナ側の観客たちは天を衝かんばかりの歓声をあげるが、マルツィオ側の観客たちは静まりかえっていた。
「女々しい男に用はねェゼ。一から鍛え直してこい。一人でな」
 『一人』を強調して言い聞かせたカリナはニカッと笑い、未だ蒸気機関車のように黒煙を吹き散らかす大剣を担いだ。
「あぢー……太陽サンサン、サーフィン日和だなぁー……」
 わざわざ仰向けたなってからそう言ったマルツィオは、虚ろな目をしたまま伸び放題になってしまった。盛り上がりのピークを迎えたと判断したスタッフがゴングを高鳴らして、このライブに終わりを告げる。
 観客は満足そうに拍手を送るか、残念そうにため息をついていた。大剣を地面に突き刺したカリナは、首の熊毛に付着した埃を手で払うと(それでも黒ずんだ箇所はそのままだが)、知り合いの男たちに軽く手を上げることで応えていた。
 そういえば、銃と棘でやられた傷が殆ど治っている。見えない壁の内部では、本当に自然治癒力が著しく高められるようだ。ビーチで日焼けする気分でいるマルツィオの傷も、直に治るだろう。

(死なないとはいえ……傷が残らないとはいえ……こんなことをしたら悲しむべきではないのでしょうか……?)
 フェンスを腹で押しつけるようにしながら、クリスティーネは自分の犬耳を下に引っ張っていた。善は急げの考え足らずでアーティストになったことを、少なからず後悔していた。
(……職に就いた以上はきちんと責任を果たすべきですよね。責任を放棄することもまた、立派な罪ですから)
 考えれば考えるほど気が滅入る。胸焼けで体内が燃え尽きてしまいそうだ。だがこれは、自分の意志で背負った十字架。ここで自分自身が穢れることを厭えば、母親が過労死で倒れてしまうかもしれない。
 それどころか、ノイシュウィーン村の皆から、パルトメリス私立教会堂という安息を奪ってしまうかもしれない。いや、それどころか……。とにかく、アーティストは辞めるべきではない。
 心の中で誇張されてゆく不安に頬を叩かれる形で、クリスティーネはどうにか正気を保つことが出来るのだ。

 

 純粋なデパートメントストアとして見た場合でも、BASドームはレイラにおいてトップクラスを誇る。ドーム内のメインコンテンツである『アリーナ』では、毎日のようにライブが開催されているため、客足が遠のくことは一切ない。
 レイラ中の企業が、ドーム内の賃貸商業スペースを求めるのは自明の理。倍率もコストも非常に高いが、それに見合うだけの集客率を誇る。BASそっちのけで、ショッピングのためだけにドームに足を運ぶ客も大勢いるのだ。

 クリスティーネの弟であるクリストファーと、悪友の狐人間ピーターは、生まれて初めて訪れたドームに目が眩み、好奇心に身を任せて歩き回っていた。
 スケートリンクのようにきら光るフロア。品の良さを醸し出す観葉植物と造花の数々。未来にタイムスリップしたかのように、ハイテクな広告用ディスプレイやエレベーター、その他自動販売機などが点在し、レイラに存在する全ての店を詰め込んだかのようにあらゆる店が立ち並ぶ。田舎暮らしの二人にとっては、見るもの全てが新鮮だった。
 このドームを探検し尽くすには、一週間でも足りないかもしれない。足を踏み入れてから僅か数時間しか経っていないが、二人の人生に深い影響を与えるには十分すぎた。来てそうそう、「将来はBASドームのスタッフになろう!」と二人で誓い合ったほどに。
 そうすれば、ドームの近くにある家を買って、毎日ライブを観て、毎日ドーム内の物を買い漁るだけで生きていける。カジノやゲームセンターだってドーム内にあるし、バーやエステというものまである。きっと、死ぬまで暇しないで生きていけるだろう。

 子ども二人だけで、このBASドームを歩き回れる理由。それは、クリスティーネがクリストファーとピーターに、使用回数こそ少ないものの、各々の自宅とドームを往復できるテレポート・チケットを与えたからだ。
 アーティストと親しい人が、観客席の最前列で応援すると、よりライブは盛り上がること間違いなしだ。それを狙ったBASの本部が、いわゆる”お友だち招待券”としてのテレポート・チケットを、アーティスト一人につき数枚支給しているのだ。
 クリスティーネは、二人が以前BASドームに行きそびれたことを知っているから、テレポート・チケットをあげたというわけだ。家族全員にチケットを渡すには数が足りないため、特別に保護者の同伴無しでここに瞬間移動してきた。

 せっかくのテレポート・チケットを貰ったのだから、クリスティーネのライブを観るだけにするよりも、心ゆくまでドームで遊んだ方がお得に決まっている。幸いにも今日は学校が休みだったから、二人は早起きしてドームへとテレポートした。
 まずはTCG売り場を探し、単売りされている珍しいカードと、その値段を眺めて一喜一憂。その後はゲームセンターに行き、お腹が減るとフードコートでファーストフードを食べた。それでも時間に余裕があったので、アイスクリームを食べたり、色んな店を巡ったり、バッティングセンター等々を遊び倒したり。一ヵ月分のお小遣いが、全て消える勢いであった。

 クリスティーネのデビュー戦は昼下がりから始まるが、クリストファーとピーターは、後三十分ほどのところでアリーナへ向かおうとした。しかし、広大なBASドームは時にスタッフすら道に迷うほどの複雑な迷宮。「ヤバイ、ヤバイ!」と連呼しながら、広大なドーム内を全速力で行ったり来たりする二人は、さぞ迷惑極まりなかったであろう。
 何とか探し当てたアリーナへの入場口は、さながら駅の改札口のようだった。本来ならば、近場にある券売機から入場チケットを購入して、それを改札口に挿入して各アリーナへと入場するのだが、クリストファーとピーターはなんと無料で通過できる。クリスティーネが出場するライブに限っての話だが。

「ヤベエ! あと3分で始まる!」
「あれっ、何番目のアリーナだっけ?」
 二人が走っている通路の両脇には、近未来的な自動ドアが幾つもあって、その上部のスクリーンには番号とステージの形式、そしてライブに出場するアーティスト達の名前などが表示されている。
 ちなみに、入場口には抗メーション物質AMMと呼ばれる、メーション全般を弱体化、あるいは無効化させる効力の物質が含まれているため、瞬間移動のメーションなどで違法侵入することは(並のメーション使いには)不可能。このAMMは、レイラの至るところで使われているため、メーションが得意な者とそうでない者の格差は、ごく軽微なものとなっている。

 ごちゃごちゃした広告スクリーンやポスターの合間にある、自動ドアの前で立ち止まって見上げては、「ここじゃない!」と転々するクリストファーとピーター。ようやくクリスティーネが出場するステージへの入口を見つけると、両者とも無言のまま自動ドアの向こうへ飛び込む。
「――という、新人アーティストッ! 竜山健司たつやまけんじでありますッ!」
 二人がアリーナに辿り着いた時には、既に一人のアーティストが瞬間移動で現れていた。映画館のような暗がりの中、中央にあるステージだけがライトアップされている。隣に並ぶ親友の表情を確認できるのがやっとで、数メートル前に進んだ所で座る見知らぬ人々は、幾千もの黒い影になって見えるのだ。
「一番前の席、空いてる?」
 クリストファーとピーターは、サッカースタジアムのように並べられた席の、最前列に座る権利がある。クリストファーは、最後の猛ダッシュを以ってして到達すべき場所を訊きたかったのだが、耳を劈くような歓声と実況の声が絶えず、呆気に取られているピーターには聞こえていなかったようだ。
「ねぇ! 一番前の席で、空いてるところ見つけられる!?」
「お、おう!? あそこじゃねぇの!?」
 肩を片手で揺すられて、ピーターは、下り階段の最下段、つまり観客席の最前列を指差しながら口を動かす。丁度二人分の空席があったので、答える間もなく階段を降りてゆく少年たち。
 今回のステージはスタンダード。見えない壁の内部はプロレスよろしく、正方形のリングが設置されている。特殊な仕掛けも障害物も一切ない、最もよく使われるステージだ。

 一足先にステージのコーナーに降り立った健司は、小麦色の肌をしたおっさんだ。白い半袖、跳ねた泥がこびりついた青いオーバーオール、同じく泥だらけの黒い作業長靴に、白い軍手。茶、黒、白模様のずんぐりとした尻尾を持っている健司の先祖は、狸だったのだろうか。実は半円の黒と茶の耳も持っているのだが、白い手拭を頭に巻いているために今は見えない。髪の色は黒で、後ろの方は手拭いからはみ出て、襟まで伸びている。
「ケンちゃんいったれー!」
「よっ! 東流津雲村ひがしるつくもむらの何でも屋!」
「どひゃー! 今日は一段と男前っすなあ!」
 クリストファーが座る場所とは、逆にある最前列の観客たちが熱狂している。隣の世界で例えるなら、日本の田舎に住んでいるかのような服装の老若男女たちは、健司と同じ村の人々だ。
 東流津雲村の何でも屋と称されるほど器用万能な、竜山健司ことケンちゃん。地元愛が強く、故郷の名をレイラ中に広めたいと言う理由で、先日アーティストになったばかりだ。
 村人たちは健司のことをとても頼りにしているし、たくさんの恩を受けている。だから、健司がデビューするに当たって、村人たちは”ケンちゃん親衛隊”を結成することで恩を返すことにしたのだ。
「クリスティーネお姉ちゃんはまだ?」
「……もう終わってたりしてな」
 ようやく空席に座っても、激しい呼吸が止まない二人の少年。本当にここでいいのか不安に思いながらも、クリスティーネの対戦相手を務めるおっさんを見上げる。
「デビュー戦ということやし、自己紹介代わりに東流津雲村井のーマソングを歌うで! ゆるキャラにはテーマソングが必要や!」
 そう言って健司が、メーションで現したギターを持つと、騒がしい観客席が少し静かになった。
「ゆるキャラ……?」
 同じことを言ってきょとんとするクリストファーとピーター。あまり深く考えない方がいいだろう。
「はぁ〜東流津雲村〜 のんびりいいとこ山の村〜 野菜を食えばほっぺた落ちる〜 動物撫でりゃ癒される〜」
 シャギン、シャギンとギターを鳴らして、逞しい声で歌い上げている、ゆるキャラケンちゃんこと竜山健司。
「ケンちゃん! ケンちゃん! ケンちゃん!」
「ハイ、ハイ、ハイ!」
 拍子をとる村人たちがあまりにもパワフル過ぎるので、他の観客たちは気後れしている。とりあえず調子に合わせる者も少なくなかったが、近頃の若い者よりも遥かに勢いのある老人たちの声が、一際アリーナに響いていた。
「どや! 東流津雲村に行きたくなったやろ? いつでも歓迎するから、待ってるで!」
 歌い終わると同時に、どや顔で観客席を見回しながら健司が言う。祭囃子のような叫びをあげた村人たちに続いて、他の観客もとりあえず歓声をあげた。
「ここがアリーナであってるよな……?」
「やっぱり、場所を間違えたのかな……?」
 ピーターもクリストファーも、茫然と観客席を見回しながら、更に不安を募らせていた。

 ふと、健司の反対側のコーナーで、無数の銀色の十字架が繭のように集ったヴィジョンが出現した。そして、殻を破るように十字架が飛散するとともに、中から現れたのはクリスティーネ=ビルンバウム。
「さぁ、二人目の新人アーティストを紹介いたしますッ! ノイシュウィーン村のパルトメリス私立教会堂出身! ファイトマネーで教会堂の経済難を救うために立ち上がった、心優しき聖職者! 慈悲深き暗殺者と呼ばせて頂きましょう! クリスティーネ=ビルンバウムッ!」
 その瞬間、アリーナは再び熱狂を迎え、スリットの入った水色ローブを着た糸目のお姉さんに夢中になった。若干異端とは言え、本物のシスターがアーティストになって、しかも所属する教会堂のために戦うなんて、絵に描いたような善人だ。十分キャラが立っている。
 薄暗い観客席のあちこちで、クリスティーネのふんわりとした佇まいに感嘆を漏らす人や、醸し出される神聖な雰囲気に静かな歓声をあげる人が見受けられる。知人がレイラ中の有名人として受け入れられたみたいで、ピーターははにかんでしまった。
「そんなに貧乏じゃないんだけどなぁ。お小遣いは少ないけど」
 実況に対する不満を漏らしたクリストファー。確かに、貰えるお小遣いはピーターたちと比べて若干少ないが、サッカーや鬼ごっこで遊びつつ、たまにトレカを買うだけにすれば十分な額だ。それに母親のヘディには、美味しくてちょっと贅沢なおやつをたくさん作るだけの余裕があるし、善行を欠かさない父親のフェリックスは、(本人は断っているが)村人から寄付金を結構受け取っている。
 だからクリストファーは経済難だなんて思わないし、きっとフェリックスもヘディも現状におおむね満足している。経済難だなんて、失礼な。
 実際は、クリスティーネ本人が「教会堂の経済難を救うため」と誇張な発言をしていて、実況は忠実に代弁しただけに過ぎない。

 控え室の瞬間移動装置を利用して、一瞬でステージの上に降り立ったクリスティーネ。薄暗い観客席のことはよく分からないものの、俄かには信じられない数の視線と歓声が、この田舎娘の身体一つに集中しているのが分かる。
 果たして、ここはノイシュウィーン村が存在する世界と同じなのかと疑いたくなる。あまりにも非日常的だ。地獄に堕ちたかのような熱気と、天国に昇るかのような高揚感が入り交じっていると言えばいいのだろうか。
 緊張していることが自覚できないほど、緊張している。スタッフに教わった通り、笑顔で観客席に手を振るリラックス方法を実践してみたが、糸目と真横に結んだ口はあまりにも硬かった。
「お姉ちゃん、がんばってー!」
「クリスティーネお姉ちゃん、がんばれー!」
 クリストファーとピーターの応援すら、耳から耳へと通り抜けてゆく。「可愛い!」とか、「強そう!」とか、「おねいさーん!」とか、見知らぬ人からの声援については言わずもがな。
 千は優に超える人々の前に立つのさえ未経験なのに、初めてのライブと来たものだから、クリスティーネが緊張するのも無理はない。

「クリスちゃん言うんやっけ? よろしくな!」
 健司の男らしい声で、クリスティーネは我に返る。ぼやけた視界の中央に、くっきりと映った健司の少年のような笑顔。
「はっ……はいっ! よろしくお願いします!」
 電流が走ったかのように、ピンと背筋を伸ばして返答するクリスティーネ。健司が手を上げたので、その手を握り返す。厚みがあって、ごつごつした手だった。
「とても強そうなお方ですね。逞しくて、優しくて、礼儀正しくて、それから――とても多の方に慕われているんですねっ」
 健司と、その肩越しにいる東流津雲村人たちを見回しながら、クリスティーネはとにかく誉めた。
「クリスちゃんも強そうやなー! それにべっぴんさんや! そんでもって親孝行ときたら、非の打ち所が無い!」
ニッと笑って手を離した健司が答える。
「そんなことないですよっ! 健司さんは、村の皆さんのために戦っていますが、私は家族を救うので精一杯です。健司さんの足下にも及びませんよ」
(別にそこまで困ってるわけじゃないけどなぁ……)
 怪訝な面持ちとなったクリストファーは、犬耳をむず痒そうに動かす。
「救うなんて、そんな大それたことやないって! あくまで東流津雲村の広報部やで! 主役は村の皆やから!」
「そうなんですかっ! 縁の下の力持ちなんですね! でも私、そういう健司さんこそが――」
 以降、お互いを褒めては謙遜することがしばらく続く。クリスティーネが、健司のご機嫌をとろうとしているからだ。これから傷つける相手だから、せめて戦う前に優しくして、プラスマイナスゼロにしたい。罪を先に償いたい、あるいは嫌われたくないという心理だ。
「なぁ、クリストファー。クリスティーネお姉ちゃんの腰の辺りにあるのって何だ? 二刀流なのか?」
 褒めては謙遜しているクリスティーネの腰に装着されたものを眺めながら、クリストファーの耳元で囁くピーター。鞘に収まった十字架のような二本一対のあれを、ピーターは見たことがない。それもそのはず、あれこそがビルンバウム家の家宝なのだ。
「あれはディバイン=メルシィだよ。短剣だけど、剣身を伸ばして鞭のように使うこともできるんだ。とっても強いメーションが掛けられているから、ピーター絶対にビビるよ」
 得意気な顔をしてクリストファーがからかう。本来ピーターは悪ガキで有名なはずだが、どうもビルンバウム家の朝稽古を見せつけられて以来、立場はクリストファーの方が上になりつつある。

「――それでは、全力を尽くしますね! お許しをっ!」
 カッと目を見開くとともに、二本の短剣を勢いよく抜いたクリスティーネ。それらを降り下ろすと、伸びた剣身の先端が音速を超え、ソニックブームによってバチン! と鋭い爆発音が鳴る。そのまま、両手を掲げ両足を広げるという、独特な構えをとるクリスティーネ。全身で十字架を表しているかのように見えなくもない。
「遠慮はアカンでー! 遠慮は!」
 健司は笑いながら、メーションで自慢の得物を現した。両手で正眼に構えられたそれは、”ななひかり”と呼ばれる刃先の尖ったシャベル。その長さは、日本刀のように振り回すには丁度いい。
「……ふざけてんの? あんなの持つくらいなら、普通の剣とか槍とか持った方がマシじゃん」
 そう言って健司を小馬鹿にするように笑うピーターの横で、クリストファーがピーターを小馬鹿にするように笑う。
「ふざけてなんかないよ、きっと。お父ちゃんが言ってたけど、隣の世界で起こった第一次世界大戦では、最も活躍した白兵戦武器があれらしいんだよ。斬ってよし、突いてよし、殴ってよしの何でも屋さんだからね」
「マジ? 戦争の道具じゃなくて、雪かきや畑作業に使うもんだろ、シャベルって」
「色んな使い方ができるからこそ、戦いの道具にもなるんだよ。それに、お姉ちゃんのディバイン=メルシィみたいに、あのシャベルは何か秘密がありそう。わざわざBASに持ってくるってことは」
 朝の稽古をサボりがちなクリストファーだが、年齢の割には戦いに造詣が深い。日頃フェリックスから戦いのレクチャーを受けている上に、年頃の少年らしく、BAS等のような戦いものが好きということもある。
「そ、そうか……詳しいんだな」
 それなりに喧嘩が強いという自負があったピーターだが、ここ最近、話せば話すほどクリストファーとの知識の差を思い知る。ピーターはばつが悪くて、ステージの上で無言のまま対峙する両アーティストを、大人しく眺めることにした。

おとこ健司、全力で行くで!」
 健司に続いて、親衛隊たちが鬨の声を上げる。クリスティーネと親しい人間はクリストファーとピーターのみだが、慈悲深き暗殺者に魅せられた観客たちが味方し、対抗するかのように歓声をあげる。暫く観客たちで応援合戦を繰り広げた後、ライブ開始を告げるゴングが高鳴った。

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