Bearing the Cross Part4

 ゴングが鳴ると同時に、両者とも勢いよくステージ中央に踏み込んだ。水色ローブの犬耳お姉さんなクリスティーネと、狸尻尾のおっさん農業者の健司。カッと見開いたクリスティーネの目つきと、雄々しさを感じさせる健司の顔つき。それぞれの得物は、十字架のような短剣二本と、刃先の尖ったシャベルだ。

(さーて、まずはクリスちゃんの持ち味を吟味せんとな)
 武器のリーチで勝る健司が先手を仕掛ける。間合いに入った瞬間、走った勢いを借りつつの真っ直ぐな突き。しかし、素早いクリスティーネが半身になって突きの軌道から逸れ、健司の懐に入って逆に突きを食らわせる!
「うおっ、はえー!」
 ほんわかとした普段のクリスティーネからは考えられないスピードを目撃して、観客席の最前列にいる狐耳の悪ガキピーターが声をあげた。
 刺された肩口から、僅かに鮮血を散らせながらも、健司が素早く一歩引いてから水平に薙ぎ払う。だが、即座に反応したクリスティーネが身を屈め、頭上をシャベルが通り過ぎた直後、立ち上がりながらの斬り上げ攻撃! 逆手に握られた短剣が、健司の青いオーバーオールを縦に切り裂く。
「えらいこっちゃ! うちの虎太郎よりも速いわい!」
 早くも雲行きが怪しくなって来たので、ケンちゃん親衛隊の囃し声は一段と騒々しくなる。余談だが、虎太郎とは飼い犬の名前らしい。

(本番用のステージって、練習用のステージよりも痛くないんやな! こんくらいなら、気合いでどうにかなるわ!)
 自らの身体にできた二つの傷をを認めた健司であったが、幸運にも痛みは全く感じない。ステージによって軽減される痛みはどれほどかと、練習用のステージの上で、村人に木刀で思いっきり叩かれたことがあるが、あまり痛みを感じなかった。本人曰く、「小指を箪笥にぶつけた時の方が痛いわ!」とのこと。それほどの僅かな痛みさえも感じないのだから、おとこ健司は何も恐れることがない。

 三度目の正直とばかりに、健司がシャベルを振り上げた。縦に切り下ろされると見切ったクリスティーネが、健司の正面から真横に踏み込んだ瞬間、案の定シャベルが垂直に落ちてきた。
 クリスティーネが健司の脇腹を、擦れ違い様に斬った時だった。ガツンと刃部の側面が地面に刺さると同時に、健司を中心として円を描くように、ステージのフロアが斜め気味に隆起したのだ!
(な、なんです!?)
 クリスティーネは隆起する地面の勢いに突き上げられ、斜めに放り投げられた。着地と同時に、後転するように難なく受け身をとったクリスティーネは、素早く立ち上がる。傷は全く受けなかったが、健司との距離を離されてしまった。
 フロアの隆起した部分が霧消し、元通りになると、片手でシャベルを突き立てた健司が姿を現した。刃先が突き刺さった辺りから、砂礫が強烈な勢いで噴出。散弾銃が如く放たれた小石の数々が、鋭い角度でクリスティーネに迫る!
「そうかっ。土を操るメーションだ」
 テンションの高い歓声が巻き上がったのを背中で感じながら、ピーターの隣に座るクリスティーネの弟、クリストファーが呟く。
 いつでも食べられるように冷凍保存した餃子を解凍するように、シャベルに籠められた”土を操るメーション”の力が、健司のイメージに反応して引き出されているのだ。一般的には、物質に籠められた力を引き出すタイプのメーションは、素人でも容易に扱うことができる。テレポート・チケットがいい例だ。
 クリスティーネは双剣を突き出し、それぞれ異なる回転方向で円を描き始める。すると、クリスティーネのイメージに反応したのか、双剣の剣身が伸長し、鞭のような形状となった。
 嵐に吹かれる風車のように高速回転する双鞭は、ある程度纏まって飛来する小石の数々に触れると、それらを霧消さる。二本の鞭の陰に立つクリスティーネは、石つぶてに掠りもしなかった。
 メーションによる防護壁などを突破したり、逆にメーションによる攻撃を防御するために、この世界の武器にはAMMを含ませるのが基本とされている。AMMの量や質、製作者の技量や加工方法などによって、その抵抗力や性質が変わってくるが、AMMを使った分だけ武器本来の性能が劣化する傾向にある為、対非メーションリアルとの兼ね合いが難しい。
 クリスティーネが持つディバイン=メルシィは、日本刀で言うところの”業物”だ。武器としての強度もさることながら、かなり良質なAMMによってメーションへの抵抗力も大きく、それでいてある強力なメーションが籠められている。さすがは”伝家の宝刀”と言ったところか。
 長くなったが、つまりクリスティーネの武器の抵抗力が、健司のメーションの強度を大きく上回ったことで、無効化したのだ。
 最後の小石を霧消させたので、高速回転を止めたクリスティーネは、双鞭を縦に放った。バチンと甲高い破裂音とともに、音速を超えた先端が健司の両肩を打つ! 白い半袖の抉られた箇所に、赤いみみず傷ができてしまう。

 その後、両者は激しい攻防を繰り広げた。遠距離戦では、縦横無尽に繰り出される双鞭や、多様なパターンで放たれる小石が飛び交う。一度間合いが近くなれば、剣身を縮小させて短剣に戻してから接近戦を挑んだり、地面を隆起させるなど搦め手を交えながらシャベルを振るったり。決定打こそ見られないものの、どちらが先に膝をつくのか予測不能な状況だった。

「あいつ全然倒れねぇな。さっきからメチャクチャ食らっているのに」
 手に汗握りながらピーターが呟く。クリスティーネはかすり傷を幾つか受けた程度だが、健司は身体中至るところが切り刻まれ、打ち据えられていた。
「ヤバイことになっているのを知らないんだよ。痛みを感じないからね」
 得意になったクリストファーがそう言って目を細める。
「あぁ、ステージの上だとあんまり痛くねぇんだよな。忘れてたぜ!」
 両膝を叩きながら、自分の察しの良さをアピールするように、クリストファーの顔を覗きこむピーター。
「違うってばっ。あの武器で攻撃されてもね、全然痛みを感じないんだよ。元々あれは、救いようの無い悪人を暗殺するために使われていたんだけど、せめてもの慈悲として痛みを感じさせずに死なせてあげようって、強い祈りメーションが籠められているんだ」
 クリストファーは、まるで自分だけが特別なんだと言いたげに、にんまりとしてみせた。
「は? 弱いじゃんそれ。痛くなかったら意味無いじゃん」
 クリストファーに自慢されっぱなしが癪なので、ピーターは苛立ったように言い返した。
「いや、痛くないだけで意味あるよ。多分そろそろ――あ、ほらっ!」
 突如、親衛隊が「ケンちゃーん!?」と狼狽えたのを聞いて、ピーターはステージの上に目を遣った。
(アカン! 脚に力が入らへん! 痛くはあらへんけど、立っていられへん!)
 健司は両膝立ち状態になり、突き刺したシャベルを支えにしていた。リボンを扱う体操選手のように、双鞭のフォロースルーを身体に巻きつけながら一回転するクリスティーネ。余裕をアピールするかのようなその動きで、観客たちは物凄い歓声をあげる。
「ケンちゃんにカカアの声を聞かせてやるんや! ほれ、ケンちゃーん!」
「あんたケンちゃんのカカアじゃあらへんがな! って、突っこんでる場合ちゃうわ!」
 主に親衛隊によるケンちゃんコールが轟く中、クリストファーは得意気にこう語る。
「痛みを感じないって、恐ろしいことだよ。だって、自分が攻撃されたことに気付けないんだもん」
「暗殺者じゃん、完全に……」
 ピーターは、豆鉄砲を食らった鳩のようだった。

(やっぱり、とどめを刺すべきですか……)
 健司が両膝をついたのを見たクリスティーネは、ライブ終了のゴングが高鳴ることを期待した。観客が満足するにはやや短すぎるが、戦う本人にしてみれば何十分もの出来事に思えた。
 はっきり言って、人を傷つけるのは嫌いだ。話の通じない悪人ならまだしも、同郷の者らから慕われ、愛されている人に暴力を振るうのは。
 だがクリスティーネは、思い通りにいかないからと言って、嘆き悲しむだけになるほど弱くはない。ライブが終わるその時まで、罪の重みに耐える覚悟はできている。ぐっと喰い縛ったクリスティーネは、おもむろに双鞭を掲げた。

 とどめの強烈な一振りを放とうとしたその刹那。健司は杖代わりにしたシャベルの握り部を手で押し、刃先をより深く突き刺した。すると、フロアから巨大な土壁が隆起してきて、プロレスリングのような正方形のステージは、対角線を引かれたかのように二等分されてしまった。
 真っ直ぐ降り下ろされた二本の鞭は、現れた土壁に直撃したが、びくともしない。さっきの小石よりも、(物理的な意味でも)遥かに強度が強いメーションだ。とてもじゃないが、これを壊すのは不可能だ。
(漢健司、本領発揮や! 母なる大地の力を借りるで!)
 健司はシャベルをフロアに突き刺し、そこから大きな角度で砂礫を噴出させる。壁の向こう側にいるクリスティーネは、頭上で双鞭を高速回転させて、降り注ぐ小石を弾き飛ばす。次に、健司がシャベルの面をフロアに叩き付けると、クリスティーネがいる側のフロアに土でできた棘が数多く隆起してきた!
 降り注ぐ小石に気を取られていたクリスティーネは、危うく突き上げてきた土棘をモロに喰らうところだった。瞬時に身を引いたが、水色ローブに先端が掠って切り傷を受けてしまう。
「ずりぃ! 壁に隠れないで堂々と戦えよ!」
「シャベルだけに、地形を自由に操れるんだ。意外と頭脳派なのかも」
 すっかり頭に血が上ったピーターと、徐々にダメージが蓄積する姉に一抹の不安を覚えるクリストファー。余談だが、観客席からはステージ内の遮蔽物(この場合土壁)が半透明になって見えるので、座る席によって「一人しか観えない!」という悲しい事態が起こることはない。
 降り注ぐ小石や、突き上げてくる土棘の狙いはでたらめだが、数が多いし上下を抜かりなく警戒しなければならないため、全てを回避するのは困難だ。崩壊してくれるのを祈りながら、双鞭を土壁に何度も当てるクリスティーネだが、あまりにも頑丈で徒労となるばかり。クリーンヒットこそ受けていないものの、この状態ではジリ貧で負けてしまう。
「その調子やケンちゃん! ほんま頭ええなー!」
「くぉらあ、そこの青二才! 力比べで敵わん奴に、知恵比べをするのは卑怯やないで! 熊を狩る時は、獣を持ってようやっと対等になるんや!」
 堅実ではあるが、地味な戦い方に対して、ブーイングも少なくはなかったが、親衛隊はひたむきに健司を応援している。

(何とかして向こう側に行かなければっ……!)
 自身が窮地が陥っていることを理解しているクリスティーネは、徐々に現実味を帯びる敗北の未来に恐怖していた。よりにもよって、デビュー戦で黒星を喫してしまえば、今後のアーティスト生命、そして収入にも響いてしまう。単純な勝敗がファイトマネーの高低に直結しないのは、十分に理解しているはずだが、右も左も分からずにこの世界に飛び込んだものだから、何もかもが一々恐ろしい。
 そんなクリスティーネだから、ディバイン=メルシィで可能なことを思い出すまで、結構時間が掛かってしまった。放物線を描く膨大な数の小石を見上げていると、ふと土壁の上端が目に入る。壁の向こう側から小石が飛んでくることを考えれば、当たり前と言えば当たり前だが、土壁は天井まで届いていないことに気付く。
(ありました! 向こう側に行く手段が! やるしかありませんっ!)
 何の恐れも疑問も持たずに、クリスティーネは片方の短剣を伸張させ、その先端を土壁の上端部分に突き刺した。砂浜に寄せる波のように、一定周期で襲い来る小石と土棘の切れ目を狙い、突き刺した鞭をクライミングロープ代わりにして、土壁を駆け登ってゆく。鞭を縮小させ、引き寄せられる勢いで”飛行”するのではなく、一旦壁の傍によって垂直に登ることで、降ってくる小石に当たらないようにしている。
「すげぇ! そうやればいいんだ!」
「さっすがお姉ちゃん!」
 男の子二人と同様、観客はクリスティーネの機転に沸き立つ。向こう側から蹴られて出てきた土埃が、鯉の滝登りのように舞い上がっているのに気が付いた健司は、素早くシャベルを振り上げた。
(アカン! クリスちゃん壁を登っとる! 大工の爺ちゃんが、念のため”ねずみ返し”取り付けろ言うとったけど、ほんまに駆け登ってくる人がいるんやな! この壁にねずみ返し付けてると時間が掛かるから、敢えてやらんかったけど――漢健司、抜かりはないで!)
 健司はシャベルの面でフロアを叩きつけた。次の瞬間、クリスティーネが駆け登っていた土壁は崩れ落ち、霧消してしまった。
(えっ、あっ、足場が――!)
 あと少しで土壁の上端部分に辿り着けたのに、クリスティーネは背中を下にして落下を始める。そのまま地面に激突するかと思いきや、間髪入れず巨大な土棘が突き上げて来て、クリスティーネの胸を串刺しにした!
 両手の武器を落とさないよう握り締めているのが精一杯で、自力で胸を貫通した岩棘を抜くことができない。大量の血が太い岩棘を伝い、フロアを赤く染めてゆく。
「あっ、お姉ちゃん……」
「やべぇ……!」
 クリストファーは、母親にキツく叱られた時のように、気が遠くなりそうだった。真っ赤な顔だったピーターは真っ青な顔になっていた。
「おお、心臓に悪いわい。まあ、竹やり付きの落とし穴に落ちたイノシシよりはマシじゃのう」
「若いのに哀れなもんや。じゃが、これが生きとし生けるものの証やな」
 山村出身の親衛隊たちは、日常的に血を見ているから冷静なのだろう。なにせ、牛や鶏を屠殺したり、釣ったばかりの魚を捌いたりする人たちだ。自分たちが、湖よりも膨大な流血によって生かされていることを、身を以って知っている人たちだ。
 しかし、クリストファーやピーターには刺激が強すぎた。銃で撃たれて人が死ぬ”演技”なら、アクション映画で何度も観た。だが、目の前で人間が、それもとても親しい人間が、苦悶の表情を浮かべて血を流している。淡々と見過ごせる方がおかしいのだ。
 やがて岩棘が霧消すると、クリスティーネは背中から落ち、何とか立ち上がろうと手足を気力で動かす。
(駄目ですっ、ここで倒れたら……! クリストファーやピーターさんも観に来ているのに、こんな不甲斐ない姿を見せてしまったら……!)
 健司は油断なくシャベルを正眼に構えていて、観客たちは大声で喜んでいる。大好きな姉が苦しみもがいているのに、それを哀れむような声が一切聴こえないのが、クリストファーにただならぬ苛立ちを感じさせる。

 

(窮鼠猫を噛むと言うから、慌てて止め刺しをするのは危険や。ワイヤーに引っ掛かったイノシシは、遠くから槍で刺さなアカン)
 健司は鮮明なイメージを浮かべた後に、シャベルの面をフロアに打ちつける。健司は東流津雲村ひがしるつくもむらの近辺で、実際に野生動物を狩ったことが何度もある。その際にお世話になったその道のベテランからは、BAS出場にあたって様々なアドバイスを受けたものだ。
 四つん這いの状態から立ち上がりつつあった、クリスティーネの両手の辺りから、猛烈な勢いでフロアが隆起してきた。突き上げてきたフロアによって、クリスティーネの手首と短剣の柄を繋ぐ鎖が破壊され、握られていた双剣は天井高く弾き飛ばされてしまう!
(そ、そんなっ……!)
 慌てて立ち上がったクリスティーネの周囲で、新たな土壁が隆起してきた。それはステージに立つ二人を正方形に囲むようになっており、プロレスリングは”回”の字のようになった。ディバイン=メルシィを弾き飛ばされてしまったため、壁を駆け登って脱出することはできない。
「うわっ、負けそう……」
「頑張れ! 負けるな! クリスティーネお姉ちゃん!」
 とめどなく胸から血を流すクリスティーネを観て、急に弱気になったクリストファーと、我を忘れて大声を出すピーター。
「慎重にやれよ、ケンちゃん!」
「追い詰められた人間を甘く見たらアカンで!」
 親衛隊を始めとする大歓声が、場内のそこかしこから聞こえる。このライブにおけるクライマックスが近い。

(どうしましょう……。武器を弾き飛ばされましたから、下手に手を出せません。しかも、動ける場所が狭くなってしまいましたから、逃げ続けることは不可能ですね)
 シャベルを正眼に構えたまま徐々に接近してくる健司と、一定の距離を保つように後退りするクリスティーネ。健司は健司で、クリスティーネの思わぬ反撃を警戒しているので、土壁のコーナーに追い詰めてから確実に仕留めようとしている。
 土壁の角に追い込まれてしまったクリスティーネ。両肩が直角になった壁に触れていて、文字通り後がない。かつてない危機感によって心臓が胸から飛び出そうになり、嫌な汗が否が応でも流れ出てしまう。それでも、身体中切り刻まれても尚、引き締まった表情をしている健司の一挙一動を注視する。
 日本刀を持つように柄部を握る、健司の手元が土に塗れたのを、クリスティーネは見逃さなかった。メーションを使う際の副作用だ。一瞬の間をおいて、土で柄が延長されて槍のように長くなったシャベルが、真っ直ぐに繰り出される! ワイヤーで固定されたイノシシへの、”止め刺し”のような動きだった。
 事前に攻撃を察知していたクリスティーネは、瞬時に前進し、伸び切った健司の片腕を、自らの両腕と胸で挟み込む。
(しもうた!)
 肩の裏側に回りこまれてしまった健司は肝を潰し、鋭い肘打ちを顔面にお見舞いされた!
「おろろ~!? 速いの~!」
 顔への衝撃に備えていなかった健司は、肘打ちされた勢いで後ろに倒れてしまい、親衛隊たちが驚嘆する。その際、クリスティーネは健司からシャベルを奪い、見様見真似で正眼に構える。使い慣れない武器だが、素手よりはマシだろう。

 地面を手で叩いて受け身をとった健司は、素早く片膝立ちとになる。と、奪われたシャベルが振り上げられたのを確認するなり、立ち上がりながらのすり足で横に移動し回避。シャベルを空振ってしまったクリスティーネは、横から健司の手刀を顔に受け、怯んでしまう。そこに健司が組み付いて来て、足を狩られて真後ろに投げられてしまった!
 フロアに激突したクリスティーネは、片腕を拘束されたまま健司に顔を踏み付けられる。更に、健司が手首の関節を極めて来たため、辛うじて放さなかったシャベルを奪い返されてしまった。
「なんでだよっ……!」
 悔しさからか、悲しさからか、そう呟いたクリストファーは顔を手で覆った。隣に座るピーターはと言うと、必死で叫び続けている。
「やったれ、ケンちゃん! 確実に仕留めろ!」
 クリスティーネの顔を踏み付けたまま、持ち直したシャベルを真下に向ける健司に、本ライブ一番の大歓声が送られる。そのままシャベルを、片足で押さえられたクリスティーネの胸に突き刺して、揺るぎない勝利を得ようとする。
(ここで、諦めてしまったら……!)
 絶体絶命となっても、クリスティーネは貪欲に勝利を追い求めた。身体の柔らかさを活かして、健司の脛を踵で蹴り飛ばすと、「あいたっ!?」という声とともに踏み付けてくる足の力が弛んだ。一瞬の隙を逃さず、頭を引いて踏み付けから脱出したクリスティーネが、片手を軸に一回転しつつの足払い! 下腿の辺りを払われた健司は、盛大に転んでしまった。
「なんやあの動き!? ほんまにあんなことが出来るんかいな!?」
「なんちゅーテクニックじゃ!」
 一種の気持ち悪ささえ覚えるクリスティーネの身のこなしに、驚き半分呆れ半分の声を上げる観客たち。回転の勢いを利用して立ち上がったクリスティーネは、負け試合を弟たちに見せてしまう罪に怯えるかのように、無我夢中で前宙返り。両脚を折り曲げた状態で落下し、健司の胸に膝を落とした!
 ダブル・ニー・ドロップをモロに受けた健司は、衝撃で上体を起こしたまま片手を伸ばした。
(これはもうアカンわぁ……。道場の爺ちゃんに頭から落っことされた時みたいや……)
 すぐ傍に突き刺さったシャベルに向けて伸びていた手は、やがて力なくフロアに伸びてしまった。積もりに積もったダメージによって、とうとう限界を迎えたのだ。
「ケンちゃあーん!?!?」
 そうして親衛隊の悲鳴が場内に轟くと、ライブ終了のゴングが高鳴るのであった。

 

(終わり……ましたか……?)
 両膝を健司の上に乗せた状態で静止するクリスティーネは、瞼を閉じた健司を見下ろしていた。健司が気絶したことで、正方形に二人を囲んでいた土壁が霧消する。
 「すげー!」とか「やるぅ!」とか「かっこよかったよ〜!」などといった声が、ようやくライブが終わったことをクリスティーネに認識させる。安堵して気を抜いてみると、そのままバタリと倒れそうになった。

「すげぇ! 逆転勝ちだぜ! 観てたよな、クリストファー!?」
 ピーターは、クリストファーの首がもげそうになるほど、激しく肩を揺すった。
「えっ、勝ったの?」
 顔を覆っていた手を降ろしたクリストファーは、俄には信じられないとも言いたそうな面持ちで、興奮したピーターと見合う。
「なんだよ! 観てねぇのかよ! しっかり応援しろよな!」
 そう言ってピーターは、クリストファーの頭を平手でバシッと叩く。
「だ、だって、大事なところで騒いだら、お姉ちゃん集中できなくなるじゃん」
 尤もらしいことを言って、クリストファーはピーターを睨んだ。

(健司さん、大丈夫でしょうか? やり過ぎたかもしれませんね。東流津雲村の皆さんも悲しみますし……)
 ステージのコーナーに落ちている双剣を回収するため、クリスティーネはとぼとぼと歩いていった。
「負けちまったなぁ……」
「やっぱ世の中甘くねぇわな」
 こういった言葉で残念がる親衛隊が、今にも自分を詰ってきそうなので、ビクビクしている。
「ふわぁ〜……おろ? もしかして終わっとる?」
 昼寝から覚めたように、大きな欠伸をあげた健司が、上半身だけを起こした。短剣で切り刻まれ、鞭で打ち据えられた健司の身体やオーバオールなどは、ステージの効果によって半分ほど元通りになっていた。双剣を鞘に納めたクリスティーネも、胸に開いた大きな刺傷が殆ど塞がっている。
「健司さん、大丈夫ですかっ!?」
 健司の元に駆け寄り、手を差し伸べるクリスティーネ。どのような謗りを受けるのかと、内心恐怖している。
「おお、クリスちゃん! ひょっとして、俺気絶オチとった?」
 ごく普通にクリスティーネを振り返っては、その手を借りてゆっくり立ち上がる健司。
「はい。痛くなかったですか?」
 そう言ってクリスティーネは、両手を前で組んで伏し目となる。
「雪かき中に屋根から落っこちた時に比べたら、屁でもあらへん。あん時は死ぬかと思ったわー!」
「そ、そうなんですか……。うふふっ。健司さんって、本当に逞しい方ですね」
 カッと目を見開いていたクリスティーネは糸目となり、聖職者らしい慈悲深い笑みを浮かべた。少なくとも健司には恨まれていないことが分かって、笑顔で取り繕う余裕を得たのだろう。

「そういや、クリスちゃんってどこの生まれや? 特産品とかある?」
 もう傷つけ合う必要がないので、回収したシャベルをメーションで消失させながら健司が訊く。
「私は、生まれも育ちもノイシュウィーン村です。特産品は――ブドウとか、リンゴとかでしょうか?」
 ニコニコと満面の笑みを絶やさずに、変に愛想のいい声で答えるクリスティーネ。
「果物かー! せやったら、甘いもの好きなんちゃう?」
「はい、 大好きですっ! アップルパイとか、ブドウのタルトとか――」
「ほんなら、東流津雲村のヨモギ餅食っとき! 頬っぺた落ちるほど美味いでー! ほれ、クリスちゃんの分と、親御さんの分と、それから――」
 どうやら、最初から地元の特産品を宣伝する魂胆だったらしい。次から次へと、ヨモギ餅入りの白い箱を両手で持つように現しては、クリスティーネに押し付ける。
「えぇ!? 頂けませんよ、こんなに!」
 両手を振りながらクリスティーネが断る。
「いや、ぼくそれ欲しいんだけど!」
「おれも!」
 最前列から男の子二人が叫ぶ。育ち盛りは食べ物に目がない。
「ええから、ええから! お近づきの印だと思っといて! 渡すときに、東流津雲村のケンちゃんからって言えば、それがお代になるから!」
 あくまで村のPRに全力を尽くす健司は、まさにゆるキャラ(?)の鑑と言えよう。
「そんなに仰るなら……。すみません。後でしっかりと形あるものでお返しいたします」
 クリスティーネは小さく頷いて、少なくとも十以上は積み重なった長方形の箱を受けとる。バランスが崩れて大惨事が起きる寸前に、メーションでそれらを自分の”収納空間”へと消失させる。
「ほんまか! いやー気が利くなぁ、クリスちゃん! そん時は、東流津雲村に直接来てや! 村総出で歓迎するでー!」
 些細な出来事でも、村おこしのチャンスに繋げようとする健司。厚かましいと言うべきか、バイタリティ溢れると言うべきか。
「おいでませ、東流津雲村へ!」
「美味しいお野菜が待ってるでー!」
「せっかくだから、せがれの嫁にならんか!?」
 観客席からも、バイタリティ溢れまくる声が聞こえてきた。一般観客たちも、その威勢の良さに興味を持ち始めている。東流津雲村の村おこしは、幸先の良いスタートとなりそうだ。
「わ、分かりましたっ! その時はよろしくお願いしますっ!」
 そう言ったクリスティーネは、ケンちゃん親衛隊に向かって頭を下げた。親衛隊にも嫌われていないことが分かったので、小さく安堵のため息をついた。

 

 母なる山の女神に抱かれたかのように、自然の恵みたっぷりな山村、”東流津雲村”。
 村全体を取り囲む小高い丘の数々には、天然の木々が群生しており、時折その中から「ホーホケキョ」と鳴き声が聞こえてくる。様々な品種の畑が点在しており、合間には新旧織り交ざった茅葺き屋根の家屋が点在している。まだ背丈が低い稲が並ぶ水田には、なぜか懐かしさを思わせる青空と、のんびりとした白い雲が映っている。

 農道を歩くクリスティーネ。やっぱりスリットの入った水色ローブと黒ストッキング。
 あの後色々話した結果、ノイシュウィーン村で余っているブドウを買って貰い、東流津雲村の特産品と組み合わせて新たな”特産品”を創り出すという計が立案された。ヨモギ餅に対する形のあるお礼であったはずが、健司の野心によって、いつの間にか規模がデカイことになっている。母親のヘディは、「キャパオーバーになるからやめた方がいいわよ」と良い顔をしなかったが。
 この日は、健司はじめ村の料理自慢たちが、実際に新たな特産品作りに取りかかる日。ノイシュウィーン村の代表として、クリスティーネが呼ばれたというわけだ。交通費は東流津雲村が負担してくれるし、来れなかったノイシュウィーン村人達のためにお土産を大量に持たせてくれるらしいから、クリスティーネは罪悪感を背負うことなく赴いた。

(ノイシュウィーン村と比べると、周りの山が近くてちょっと狭い印象ですね。草原があるかないか、土地が広いか狭いかの違いでしょうか? でも耕作面積は、もしかしたらノイシュウィーン村よりも広い気がします。東流津雲村の方々は、土地の使い方や自然との付き合い方が、とても上手いのでしょうね)
 田畑の間を歩くクリスティーネは、いつもより頭が冴えているような気がしていた。森の香りを孕んだ風を肌で感じ、作物を育てる恵みある陽光を浴びる内に、歩きながら瞑想しているかのようになる。普段だったら気にも留めない物事が、今は鮮明に目に映るのだ。
 合鴨の行列が農道を横切る。人に慣れているせいか、突然足元に現れた彼らに「わっ!」とクリスティーネがたじろいでも、平然と、悠々と歩いていた。長靴を履いて水田で作業する農家たちは、クリスティーネの少し甲高い声に気づくと、おもむろに手を振ったり、威勢の良い声を掛けたりしてきた。照れ笑いするように挨拶したクリスティーネは、村の屋外集会場へと向かう。

 正午を過ぎた頃、東流津雲村を一望できる村の集会所に、クリスティーネは辿り着いた。
「おぉ! みんな、クリスちゃんやで! おーい、クリスちゃん!」
 屋外集会所に続く長い階段を登り終えたクリスティーネを、真っ先に確認したのは健司だった。四本の柱に板を乗せただけかと思うほど、簡素な屋根の下の作業台を囲んでいた老若男女は、一斉にクリスティーネの方を振り返った。
「こんにちは、皆さんっ。少しだけ遅くなってしまって、申し訳ありません」
 クリスティーネが丁寧に頭を下げると、特産品作りに当たっていた人々がぞろぞろとクリスティーネの周囲に集まり、思い思いに話しかける。
「いやぁーよく来たなぁー! この階段登るの大変だったろ?」
「平気ですよっ。ここよりも広いノイシュウィーン村を、いつも歩き回っていますから。あっ、狭苦しい村だと言っているんじゃないですよ。気に障ったなら申し訳ありません」
「行儀の良いお嬢ちゃんねぇ。言葉遣いも綺麗だし、可愛いし、強いし。絶対モテるでしょ?」
「そんなことありませんよ。生まれてこのかた、ボーイフレンドができたことなんてありませんから」
「おろ? したら、うちの息子の嫁になるべか? 姉ちゃん、腕っぷし強いし真面目だから、きっといい嫁さなれるべ」
「えぇっ!? それはちょっと……」
「ドアホウ! 失礼だろうが、バカ亭主!」
 クリスティーネはすっかり東流津雲村の有名人になっていて、数分もの間持て囃されっぱなしだった。その間健司は、ほぼ一人で作業台に向かって忙しなく手を動かしていた。
 散乱した調理器具を見ると、作業は殆ど終了しており、最後の段階にあるらしい。狸耳を隠した白い手拭に白い半袖、青いオーバーオールという、ライブの時と全く変わらない健司の服。クリスティーネのように、ライブとプライベートの境目がないのか、それとも傑作を生みださんとする気合を表した勝負服なのか。

「できたでー、みんなー」
 十分ほど経過して健司が知らせると、村人たちはクリスティーネを背中を押してゆく。半ば強引に健司の目の前に立たされるクリスティーネ。
「ほれ、食うてみ。味見しといたから、心配せんでええでー」
 そう言って健司が差し出した掌には、薄紫色の餅らしきものが載っていた。
「ありがとうございますっ」
 クリスティーネは”特産品”を二本指で摘み、その半分を口にする。ふんわりとした薄紫の皮と、弾けるようなブドウの皮。歯型のついた特産品を見下ろすと、先日クリスティーネが郵送したブドウの実がまるごと入っていた。
「お餅の中にブドウが入っていますね。不思議な食感ですけど、美味しいですっ!」
 クリスティーネは、嬉しさのあまり目を細めた。元々糸目なだけに分かり辛いが、いつもよりも目を細めている。ここだけの話、豊作によって大量に採れたブドウを毎日食するのに飽き飽きしていたが、この特産品はノイシュウィーン村で作られるブドウ料理とは大きく違っているから新鮮だ。
「美味しいだろー、ブドウ大福。東流津雲村とノイシュウィーン村のコラボレーションやで」

 その後、集会所に居合わせた全員は、しばしブドウ大福を食べながら歓談していた。もちろん、ここにいない村人たちの分のブドウ大福もあるし、ノイシュウィーン村のためのお土産も大量にある。
 東流津雲村は、山奥に位置するためか来訪者が滅多にこない。村人たちの一体感は強く、とても平和だが、変化のない日常に退屈している人も多い。クリスティーネが村人たちの質問攻めに遭うのも、無理はなかった。
 当初は歓談だったはずが、その場の勢いでブドウ大福の名前を決める会議に変わっていた。長時間立ちっぱなしのままで。更に時が進むと、この前のライブについて語り合っていた。気のいい村人たちのおかげで、はやくもクリスティーネはこの場に馴染んだ。
 一人ひとりが強いパワーを秘めているが、健司の存在感はいつでも圧倒的だ。健司はいつも村のことを第一に思い、行動しているという事実が、押しの強い満ちた言葉を発する度に強調されてゆく。その一方で、思いの外人間臭いエピソードもあって、何でも屋と言う割には結構失敗もしているという意外な面も知れた。

 クリスティーネは、そんな健司を尊敬する一方で、四六時中村のために働く健司が気掛かりでもあった。
「たくさんの使命が身に降りかかって来て、その重みに潰されそうになりませんか? 健司さん、働き者ですから、きっと口には出さないでしょうけど」
 パルトメリス私立教会堂を、ひいてはノイシュウィーン村の財政難を救わんと、必要以上に抱え込んでいるクリスティーネ。同じく村のために働き、戦う健司の姿が、自分と境遇と重なって見えたのだろう。
 恐れるような視線と共に、思わず放ってしまった言葉は、健司をぽかんとさせた。
「ケンちゃんが?」
 テンションの高い村人たちも、互いに顔を見合わせてきょとんとしている。
「はい。村の中心人物である以上、些細なミスも許されそうになくて、辛い時でさえも誰よりも率先して行動しなければなりませんから」
「はぇー?」
 健司は親父臭い動きで、ずんぐりとした狸の尻尾を掻いた。
「や、でも俺、よく物運んでいる最中に池に落ちて、大事なもん台なしにすること結構あるからなー。前に重機壊しちゃったこともあるし。中心人物と言うには、微妙なとこやなー。このブドウ大福だって、クリスティーネちゃんが来る前に作った試作品は食えたもんじゃなかったからなー」
「だって、生地がまとまってなかったじゃない! 生地混ぜるのサボってんじゃないわよ!」
 お婆ちゃんが突っ込むと、健司含む村人たちは大爆笑。
「まだまだアタシらの教育が必要だわさ。ケンちゃん若いんだし」
 と、元気な声で言ったのは、少なくとも六十は超えている別のお婆ちゃんだった。
「だよねー! だってケンちゃん、この前障子の紙を裏表間違えて貼っていたからね! 素人レベルだよ!」
「おまっ、えっ、ほんまに!?」
 健司は慌てて、無邪気に笑う和服の少女を振り返った。
「おらァ! 健司、障子の貼り方教えたはずだよなァ!?」
「や、すんません、ほんと」
 強面の大工棟梁が躍り出ると、健司は額を抑えつつ頭を下げた。村人たちは大爆笑。大工棟梁は一喝するだけで勘弁してやり、健司もケロッとなって、再び歓談が始まる。
(どうして間違いを犯しても、笑っていられるのでしょうか? ……分かりません)
 村人たちがわいわいと騒いでいる最中、クリスティーネは密かに自問自答を繰り返していた。場の雰囲気を壊してはならないからと、健司や他の人たちとの会話もしっかりこなしつつ、次々と芽生える疑問を摘み取ろうとしていた。
 意味もなく比べれば比べるほど、健司の精神的タフさと器用さに憧れるようになって、同時に自身の未熟さを思い知るのであった。

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