クリスティーネvsケヴィン

 時刻は昼下がり、神に愛された盆地”ノイシュウィーン村”の広大な牧場にて。
 この日ノイシュウィーン村では、有志によるBASのチャリティーライブが開催されるため、平時の牧歌的な光景からは想像もできないほど賑わっていた。
 ベテランスタッフたちによる公式な興行ではないから、その規模や品質はどうしても見劣りしてしまう。が、早朝からのバスに乗らなければ、雑誌で見るようなレストランでお昼ご飯が食べられないほど、都会から遠い場所に住むノイシュウィーン村の人々にとっては、突如としてサーカス団の巨大なキャンプが展開されたかのような衝撃だった。

 綿菓子のような雲がのんびりと流れている青空の下。我こそはと名乗り出た牧場主によって、牛などといった家畜が牧舎に残らず押し込められた為に、小さな草原のようになったその一帯は、試合ライブを開催するには十分なスペースだった。
 牧場敷地の中央付近が、今回のチャリティーライブのステージ。見えない壁で正方形に囲われた芝生の一帯を、大勢の観客たちが取り囲んでいる。家族や友達同士で仲良くピクニックシートや簡易椅子に座り、村の特産品である果物やら何やらを味わっている。まるで子犬のレースを観に来ているかのように、至って平和な様相だ。

「みんなBASに悪いイメージ持っていたっぽいけど、意外と人が集まったね」
 若草色のローブ――ではなく、サッカー選手のような青と白のジャージ姿で、最前列で芝生に直接座っているのは、クリストファー=ビルンバウム。自慢のお姉ちゃんがお金を稼いでくれるおかげで、服を買ったりする余裕が出てきた今日この頃。
「クリスティーネお姉ちゃんがいるからだろ。そうじゃなきゃ、ちっこいガキは行こうと思わねぇし。なぁ、ビビ?」
「うん」
 得意気に先輩風を吹かせているピーター=クライスラーと、無口だが話し相手ができて嬉しいと思っているビビ=ブラームス。顔馴染みのノイシュウィーン村人たちが、チャリティーライブのボランティアスタッフとして、慣れない仕事にてんやわんやしているのを眺めながら、クリスティーネの入場を待ち遠しそうにしている。

 
「うぅ~、セクシー!」
 小さな天才オモチャ博士ことエマ=レジャーが、クリスティーネ=ビルンバウムの新たな衣装を目にして興奮している。アシンメトリーの靴下に、濃い青色のデニムサロペットスカートという、性格までもがカートゥーン調の女の子でも、大人の女性特有の魅力に憧れることはあるらしい。
「クリスちゃん、えらく雰囲気が変わっとんな!」
 クリスティーネと共にデビュー戦を飾った、長い付き合いである竜山健司も、そのイメチェンぶりには驚きを隠せないでいた。いつでもどこでも”仕事”ができるようにと、白い半袖と青いオーバーオールがトレードマークになっている何でも屋。そういえば、コスチュームチェンジについては何も考えていなかったことを思い出し、東流津雲村ひがしるつくもむらの伝統衣装を着てみようかなと、一瞬考える。

 形状こそ、動きやすいようにスリットの入った修道服という、今までと変わらないものではあるが、清らかさを思わせる水色から、暗殺者を思わせる黒色に変わっている。隠密性を意識してなのか、随所にあしらっていた十字架は捨て去り、より機能的な造形に。
 また、肉弾戦の際に手と前腕部を保護するために、薄手だが丈夫なグローブを両手に装備している。頭部の頭巾は脱ぎ捨て、クリーム色の天然パーマと、側頭部に垂れ下がった犬耳が露出している。
 そのグローブと、露出した黒ストッキングを履いた両脚に、無数の極小な十字架を繋げて形成された、銀色の鎖が巻き付いているのが特徴的。鞭状に変化する短剣”ディバイン=メルシィ”を分解して、幾千ものワイヤーとして生まれ変わった新たな武器、”ディバイン=スティグマータ”だ。
 よく見ると、十字架を模した銀細工のネックレスや、腰や肘辺りに巻いたベルト、ストッキングを固定するガーターベルトなど、全てがこの銀ワイヤーが集束、変形してできたものだと分かる。無地の黒の上に絡み付く無数の銀ワイヤーは、エマが言う通りにどことなくセクシー。

「そんな恰好してたら、神さまの罰が当たっちゃうんじゃないの?」
 本来無神論者であるロジータが、禁欲的と問われれば首を傾げたくなるような恰好をしているクリスティーネを、からかうように言う。
「私は聖職者として、子どもたちの望みを叶えてあげるまでですよ」
 何ら揺るぎない声で言ったクリスティーネは、いつものように優しげな糸目。
「へぇ~! 誰から? 誰からのリクエスト?」
 エマはまだ年齢的には幼い女の子だから、誰かの噂話だとか、身近な人間のスキャンダルには、興味津々なのだろう。
「クリストファーやピーターさん、その他大勢の村の子どもたちです」
 広げた手で観客席を示しながらクリスティーネが言った。弟のクリストファーや、その悪友であるピーター、ビビと目が合ったクリスティーネは、幼稚園の先生のように楽しげに手を振る。「お姉ちゃーん!」という声と共に、子どもたちも手を振り返してきた。

「なんでまたそんな意匠に行き着いたんや?」
 例えば、盗みを生業とする家系の子どもたちだったら、こういうダークな雰囲気の衣装を好み、リクエストしてきても不思議ではない。しかしながら、このノイシュウィーン村は争い事とは無縁そうだし、健司が住む東流津雲村のように、狩猟もあまり盛んではない。この村の子どもたちが考え付いた衣装にしては、些か不自然だ。
「何でも、流行っている”トランプ”の絵柄を参考にしたそうですよ」
「TCG! トレーディングカードゲーム!」
 エマがキャンキャンとした声で言い直すと、クリスティーネは犬耳をふわりと持ち上げて、照れ臭そうにする。
「あっ、そういう名前でしたね」
「クリスちゃん、PS4のことをファミコンとか言ってそうやな。機械音痴のおっかあみたいや」
 腕組みしながら健司がからかってきた。
「分かりますよっ。ファミコンとゲームボーイの違いくらい」
「あ~、ダメだこりゃ」
 エマと健司は二人して笑ったが、その訳をクリスティーネは知る由がなく、しきりに瞬きをした。本当に分からないのだろう。

「あんた騙されちゃってるよ、それ。思春期のむっつりスケベたちによる陰謀だよ」
 心が汚れている――と言うより、何事も疑わなければ生き残れない世界に住む、ストリートチルドレンのロジータが言う。
「そうなんですか? トラ……ティーシィージィーの絵を実際に見せてもらいましたけれども、とてもかっこ良かったですよ」
 クリスティーネは、不思議そうな面持ちになってロジータと向き合う。
「逆に聞くけどさ、いくらBASとはいえ、そのカッコ恥ずかしくない? 色んな意味で」
 ロジータは両手に腰を当てたまま、少しだけ上体を屈める。
「子どもたちが喜んでくれるなら、謹んで恥を忍びますよっ」
 そう言ってにこりと笑ったクリスティーネには、正真正銘他意はない。
「話すだけ時間のムダになっちゃうかぁ……」
 わざとらしく深いため息をついたロジータは、本当にそれ以上何も言わなかった。

 
 その頃、ステージを挟んだ反対側では、もう一方のアーティストが仲間たちから熱いエールを受けていた。
「誇りに思いなさい、シンクレア次男ッ! 貴方の狡猾な戦いぶりが、理不尽に虐げられる弱者に知恵を授け、下克上の糧となるのですわッ!」
 ミシェル=ルィトカ、今回のチャリティーライブにおいて多額の資金を提供してくれた主催者だ。真紅のロングドレスを着たお嬢さまは、いつもと変わらぬカラフルなレーシングスーツを装備したケヴィン=シンクレアの前に立ち、喝を入れている真っ最中。
「知らねぇよ。なんだよ、チャリティーライブって。こんな戦いでいじめがなくなったら、誰も苦労しねぇわ」
 さっきから事ある度に、ミシェルが面と向かって主張してくるため、ケヴィンは結構イライラしている。カラフルなレーシングスーツを着ており、戦闘態勢の方は万全だが、ボランティアをやろうという気概は全くもって感じられない。

「本当に強い人はいじめなんかしない! 何度でも立ち上がるって、日本のプロレス団体が言ってたよ。一生懸命戦う姿を見せて、いじめや困難に立ち向かう子どもたちに勇気を与えるんだって」
 赤と黄の特注ジャージを着たクローディア=クックが、割って入って来て説明する。趣味であるプロレス観戦と同じ感覚で、この”チャリティーイベント”に足を運んだらしい。
「プロレス技を真似して、いじめが増えるような気がするけどな」
 ケヴィンはクローディアを軽くあしらいながら、赤茶色に染めた猫の尻尾を、気だるげに動かしている。
「これはofficialな仕事とは違うし、乗り気じゃないなら帰ったらどうだ?」
 真っ黒なサングラスを掛けたゴリラ人間、デニス=ダヴェンポートがやや遠間から問う。ダンスバトルと同様、”No touch”の掟を絶対遵守しながらも、常に平和的な戦いを追及しているブレイクダンサーB-boyは、チャリティーライブの可能性をその目で確かめに来た。
「誰が帰るかよ。あいつと殴り合えんなら、ボランティアだろうがサビ残だろうが関係ねぇ」
 怠そうに目を細めながら、首の骨を鳴らすケヴィン。兼ねてからクリスティーネと一戦交えたかったらしい。

「タダ働きの心配は無くてよ! 例え慈善事業とはいえども、雇用者が労働者に相応の報酬を支払うことは、当然の義務ですわッ!」
「おめぇ、たかがボランティアごときに、そんな無駄使いして大丈夫なのか?」
 一々大声をあげてくるミシェルに、いい加減言い返すのも疲れてきたケヴィン。
高貴さは義務を強制するノブレス・オブリージュという言葉は知っていて? 誇り高きルィトカ家の末裔たるもの、社会への奉仕は当然の義務ッ! 甲斐性無しの現当主に大金を握らせるよりも、よっぽど有意義ですわッ!」
「そんなに父さんのことが嫌いなの?」
 完璧な両親から理想的な教育を受けて育ったクローディアは、父や母は敬愛するべき対象であり、人生の目標として定めるべきだと、無意識下で思っている。堕落し切った父親へのあてつけの為に、バトル・アーティストとしてデビューし、無断で資金を横領しているミシェルは、不道徳極まりないワガママお嬢さまのように思えるのだ。

「当然ですわ! あのような腐敗しきった輩に、ルィトカ家の当主を名乗る資格はないですわッ! 貴女には理解し得ない、贅沢な悩みでしょう!」
 ミシェルはミシェルで、いい歳こいて親離れできないクローディアの事を、甘ったれた箱入り娘だと見做している。親に溺愛され、敷かれたレールの上をのほほんと歩いているのは、道から踏み外す勇気も、親に反抗する度胸もない、意志のないロボットだと。
「どういう意味……?」
 クローディアがミシェルの前に立ちはだかる。
「とぼけても無駄ですわッ! 所詮、貴女の名望は大衆操作の上に成り立つ贋造ッ! 父親の保護無くして、今の貴女が在り得るとお思いかしら!?」
「贋造かどうか、この場で証明してあげよっか? 真剣勝負シュートマッチでさ」
 クローディアは表情を固くしたまま、ミシェルが着るロングドレスの胸元を引っ張り上げた。
 実力が伴わない癖に、大勢の人間に支えられ、煽てられ、いい気になっている。クローディアにとって、最も言われたくない言葉だ。絶大な権力と財力、そして人脈を後ろ盾にして、好き放題やっている自覚があるからこそ、指摘されるとムキになる。
「よせ。チビたちの夢が壊れちまう」
 デニスがクローディアの両肩を掴み、そっとミシェルから引き剥がした。
「親父や同僚と仲良くできねぇ奴が、チャリティーライブってか」
 そう淡々と言い放ったケヴィンを、ミシェルは鬼のような形相で睨んだ。

 
「いやあ、すごいや! ケヴィンがボランティアだなんて、明日はカチューシャの雨でも降るのかな!?」
 見計らったようなタイミングで、緑迷彩のカーゴパンツを履いた、レフ=カドチュニコフが現れる。ステージを取り囲む人だかりの中から、ひょいと飛び出すなりマシンガントークを繰り広げながら、一触即発な雰囲気の四人に近付いてゆく。
「せっかくだからさ、子どもたちにも分かりやすい戦い方をしてあげなよ! ケヴィンってあまりにも速いもんだから、何が起こってるのか観客目線じゃ分からない時が少なくないからさ!」
「どうしろっつーんだ?」
 ケヴィンは生粋のミリオタであるレフが、本質的には争い事を好まない人間であることを知っている。目の前で殴り合いの喧嘩が始まりそうになった時には、「まあまあまあ!」と言いながら仲裁をするような、大らかな性格であることを。だからケヴィンは、親友がこうして割って入って来た意図を、真っ先に察した。

「誰でも知っている、定番のmoveがいいだろうな」
 暴力による”battle”の虚しさを知っているデニスは、同じく戦争の愚かさを学んでいるレフの心意気に感謝しつつ、そのペースに乗った。
「BASの前身でもあるプロレスに因んで、キン肉バスターとかはいかがかしらッ!?」
 ルィトカ家の末裔たるものが、感情に振り回されてしまうなどと反省しつつ、脳筋クイーンなりの筋肉トークで場を和ませようとした。
「できねぇよ。関節技とか苦手だわ」
 どうもケヴィンは、関節技や寝技の類を「つまんねぇ」と思っているらしく、そのせいで練習する気力も湧いてこないのだ。
「じゃあ、アルティメットアトミックバスターは!?」
 クローディアもケロッと明るい表情に様変わりし、嬉々としてはしゃぐように言った。
「なんでウルトラコンボへ難易度アップさせるんだよ、ばーか」
「ゲージ貯める必要ないよ! 実際にやってるプロレスラーいるよ!」
「知らねぇよ」

 
 そうこうしている内に、クリスティーネが見えない壁の外側から内側に進入し、大きな歓声が巻き起こった。「クリスティーネお姉ちゃーん!」という子どもたちの歓声。至って平和的であり、暗殺者と戦闘狂の死闘がこれから始まるとは、到底思えない。
「ほら、出番だってさ! 行ってきなよ、ケヴィン!」
 レフがケヴィンの背後から、ポンと肩を後押しした。
「やっとか」
 それまで怠そうにしていたケヴィンは、急に気合の入った面持ちになって、強い向かい風の中を歩いて行くように、見えない壁を通過していった。

「ケヴィンさん、よろしくお願いします。”光速の流星”と名高いアーティストと手合せできるなんて、とても光栄ですっ」
「偽善者ぶって手を抜くなよ。試合がつまらなくなる」
 両アーティストが遠間から、最低限の挨拶だけ済ませた直後、ライブ開始を告げるゴングが高鳴った。

 

(そういえば、あの短剣はどこいった?)
 簡単な挨拶を澄ませて、ゴングが高鳴るまでの僅かな間、ケヴィンは気だるげな目つきのまま、新コスチュームに身を包むクリスティーネを眺めていた。
 ディバイン=メルシィと呼ばれる、鞭状に変形可能な一対の短剣のことは、今となってはあまりにも有名。相手に痛みを与えずに、手傷を負わせることが可能らしい。救いようのない悪人を抹殺する時、せめて苦痛を与えずに昇天させてあげようと言う、慈悲深さから作られた伝家の宝刀なんだとか。
(両腰にあるはずの鞘がねぇ。服の下に隠しているのか……?)
 地味な黒い修道服や身体の各所に、茨のように絡み付いた、幾千本もの銀色ワイヤー。一見では、ネックレスのようなアクセサリーにも見えるし、ともすると修道服の装飾のようにも思える。

 ゴングが高鳴ったその瞬間、クリスティーネは素手の状態で、真っ直ぐに掌底を突いた。開始直後で、互いの立ち位置が大きく離れている状態だというのに。
(ん……?)
 動体視力に優れているケヴィンは見切っていた。クリスティーネが着る修道服の袖の下から、ほつれた刺繍が真っ直ぐ引っ張られたかのように、数本の極小ワイヤーの束が放たれたことを。ワイヤーの先端が迫ってくるスピードもなかなかのものだが、何よりワイヤーの束そのものがとても細くて、常人には”見えない”攻撃だ。
「チッ……」
 心臓狙いの一突きを、軽やかなサイドステップで回避するケヴィン。ついでに眼前を手で水平に切る動作とともに、無数の七色の光弾を一斉に放ち、遠距離カウンターを狙う。この間、僅か一、二秒。

「What? メーションか?」
「毒針か何か投げた?」
 デニス、クローディアをはじめ、多くの観客たちはどうしてケヴィンが回避行動をとったのか、理解不能でいるようだ。
「あー、あれを初見で躱しちゃうなんて、さすがだな」
 ノイシュウィーン村で作られた、素朴だが座り心地の良い敷物の、最前列に座っているロジータが呟く。ディバイン=メルシィを改造したクリスティーネの新武器、”ディバイン=スティグマータ”の運用方法は、ロジータの入れ知恵に依る所が少なくない。
 スラム街で日々逞しく生きているストリートチルドレンたちの間では、袖の下に糸と針を仕込んで、護身用の暗器とするのが流行っているんだとか。メーションとも銃器とも知れない、目視困難な攻撃で、敵を怯ませる効果は大いにあるらしい。成功率の高い奇襲方法だからこそ、ケヴィンが回避したことには驚いた。

 
 ケヴィンが放って来た無数の光弾に対して、片手を向けるクリスティーネ。すると、その腕に絡み付いていた無数の銀ワイヤーが、修道服から分離するなり、クリスティーネの目前で扇風機のように高速回転! 改造前のディバイン=メルシィでよくやっていた、鞭状に変形しての”回転防御”と同じ要領だ。
 隙間なくクリスティーネを守る巨大扇風機に触れると、無数の光弾は残らず霧消した。最後の一個が掻き消された瞬間、ワイヤーを回転させていた方の腕を引くと同時に、もう片方の腕を突き出した。
 今度は袖の下からの一本とは言わず、広げた五本の指の延長線を辿るように、腕に絡み付いていた五本のワイヤーが一挙に放たれた! ファーストアタックよりは太い束になっていたので、クリスティーネがどのような攻撃を仕掛けているのか、観客の目にもはっきり見えた。

「そうか、分かったぞ! 分解して全身に巻き付けたんだ!」
 ここまで披露されると、レフのように戦闘勘のある者なら、クリスティーネが今まで使っていた武器がどうなったのか、容易に想像できるだろう。
「鞭だと振り上げる時に、どうしても隙ができてしまってキケンだけど、これなら小さなモーションで素早く攻撃できるよね~」
 ちなみに、エマたちのようなクリスティーネ側のアーティストたちは、この新武器のギミックの事を予め知っていた。理由はそう、クリスティーネの弟であるクリストファーが、我が物顔で知人たちに言い触らしていたから。

 扇状に放たれた五本のワイヤーを、その場でハイジャンプすることで回避するケヴィン。お返しと言わんばかりに、立てた人差し指から七色の光線を飛ばしたが、クリスティーネは上体をちょっとだけ反らして難なく回避する。
 依然、滞空しているケヴィンを叩き落とすかのように、クリスティーネが空いた方の手を縦に振る。数多のワイヤーが極太の束となり、それこそ鞭のような形状となった”一本”は、バシン! と音が鳴って振り降ろされる。クリスティーネの腕の動きを見ていたケヴィンは、七色の光を曳きながら斜め下へと高速移動。辛うじて回避に成功する。

「いけーお姉ちゃん!」
「うわ、危なっ!」
 暫くの間、片や無数のワイヤーとしなやかな体捌きで、片や光速のメーションと自慢のスピードで、両アーティストは互いの攻撃を躱しながら、激しい遠距離戦を繰り広げていた。拮抗した試合の流れに観客たちは大いに沸き立ち、どちらが先に有効打を浴びせるのか緊張している。
(練習不足でしたか……?)
 今回が初披露となる新武器が、全くと言っていいほどケヴィンに命中しないので、クリスティーネは焦ってきた。真面目に鍛錬に励んできた彼女の身体能力と技量は、決して未熟などではないが、相手がケヴィンだから攻撃が当たらなくても仕方ない。
(このワイヤーが、ディバイン=メルシィを改造したやつだとすると……いつやられたのか分からねぇし怖いな)
 対するケヴィンも、隙のないワイヤーの連撃の突破口を見いだせず、僅かながら焦っていた。様子を伺っているのかもしれない。ディバイン=メルシィは、痛みを感じさせずに傷を与える武器。こうして光弾や光線で反撃を試みている間にも、いつの間にか重傷を負っているのかもしれないのだ。

 
 X状に振り降ろされたワイヤーの束を、真横への高速移動で回避した時だった。
(あぁ?)
 痛みはないが、押し戻された感触は確かにあった。平行に張られた巨大なゴムに体重をかけ、ふいに力を抜いた時のように。
 思わず横を見たケヴィンは「チッ」と舌打ちした。先ほどから続く攻防の際に放たれた無数のワイヤーが、ケヴィンの後ろにある見えない壁に突き刺さっている為に、有刺鉄線のような障害物と化しているのだ。クリスティーネの衣服に巻き付いているワイヤーの一部が、引き戻されずに突き刺さったままになっている。
 更に自分の身体に視線を移したケヴィンは、ワイヤーに触れた箇所の衣服が切断されていることを悟る。
(迂闊に動けねぇじゃねぇか)
 よく目を凝らさないと分からないこの”結界”が、周囲にどれほど展開されているのか分からない。躊躇して、一瞬動きが止まったケヴィンに、クリスティーネが両手で掴んだ”鞭”の二本を振り降ろす。頭部を隠すようにブロックしたケヴィンの両腕はに、ワイヤーを束ねてできた”鞭”によって、無数の切り傷ができあがった。

「そういえば聞いたことがあるぞ……! 走行する軍用車両から、身体の一部を露出した兵士の身体を切断するため、路上に極細のワイヤーを展開するというトラップのことを!」
 張り巡らされたワイヤー結界の中、最小限の動きでクリスティーネの追撃を防御しているケヴィンを観ながら、興奮した様子でレフが独り言を言う。
「あの状態では、ご自慢のspeedが封じられたも同然だな」
 はなからまともに付き合うつもりがないのか、レフの隣に立っているデニスは、腕組みしたままいつもの調子で言う。
「なんか暗殺者らしさが増したよね!」
 クローディアは、一人の観客として純粋にこの闘いを楽しんでいる。フランケンシュタイナーなどと言った、プロレス技をも使いこなすクリスティーネの事は、以前から気に入っているらしい。
「えっ、なんで動かないの!?」
「おい! ワイヤートラップが張られてるぜ! 見えにくいけど!」
「上にも張られているから、ジャンプして抜け出すのも無理だな、ありゃ」
 観客たちも、試合の流れが一変したことに気付き始めてきた。腕や脚でワイヤーの連撃を受け止めざるを得ないケヴィンが、軽傷とは言え着実にダメージが増えている。村中で有名なヒーローが悪役ヒールを追い詰めているこの光景、盛り上がらない方がむしろおかしい。ケヴィンにとっては、完全なアウェー戦だ。

 
「ここで膝を突くようなことがあっては、観衆が不完全燃焼になりますわ! ショーマンシップと根性を見せなさい! 根性をッ!」
 このままケヴィンが敢えなくやられてしまったら、せっかく来てくれた観客たちにも申し訳がなくなる。だからミシェルは、主催者としてケヴィンに喝を入れた。
「うるせぇ。今どうするか考えてんだよ」
 その場に留まったまま、上体を丸めたり片腕でワイヤーの束を受け止めたりして、辛うじてクリーンヒットだけは回避しているケヴィン。と、片手で握り締めていた”鞭”を、クリスティーネがこれ見よがしに振り上げた。
 さすがに受け止めきれないと悟ったケヴィンが、背後にも張られているかもしれない、ワイヤートラップに注意しながら、少しだけ後ずさる。直後、手首のスナップを利かせたクリスティーネの一撃が、ケヴィンが立っていた地面に直撃! 芝生ごと地面が抉れ、池の中に大岩が落下したかのように、茶色の物質が四方八方に飛び散る。

(やっぱ、次々と新ムーブが開発されているBASで人対策しても、あんま意味がねぇな)
 兼ねてから一戦交えたかった強敵とのライブに臨んで、割と頑張って鞭を回避するための練習を重ねていたケヴィン。一度に大量のボールを撃ちだすピッチングマシーンのような、通称”弾幕掃射機”で動体視力と反応スピードを高めたり、回避から素早く反撃に転じられるように、いつもより素早く、小刻みにメーションの”素振り”を行ったりした。
 しかし、それらは古いクリスティーネの戦い方をモデルにしたトレーニングである。想定以上の手数、スピード、そしてトリッキーさを誇る新たなクリスティーネの武器には、あまり意味を為さないのだ。
(逆に言えば、トレーニングのセオリーなんて存在しねぇ。好きなことやってれば、勝てるようになるってのがいいんだよな)
 地面が打ち砕かれた際に飛び散った、手頃な小石を瞬時にキャッチしたケヴィン。そうして両手に数個ずつの”弾丸”を握り締めたまま、両腕全体から蒼白い閃光を発生させ、立てた人差し指を対峙するクリスティーネに向ける。

「あ~!? もしかして!?」
 何やら勘付いたエマが叫んだ瞬間、蒼白い閃光を纏った小石が、発射された! その弾速たるや凄まじいもので、それなりに距離が離れていたはずのクリスティーネの所まで、文字通り一瞬で到達するほど。
 ケヴィンの両腕に閃光が発生した瞬間、悪い予感がして半身の態勢になっていたクリスティーネは、幸運にも直撃は免れた。だが、彼女の片腕から伸張しているワイヤーが、飛来する小石によって切断され、ケヴィンを囲うように展開されていた結界は破壊されてしまう。
 間髪入れずに、二発目、三発目の弾丸が発射される。しなやかな体捌きによって、ギリギリのところで射線上から逃れているクリスティーネだが、触手が伸びるように展開されている幾千ものワイヤーは、身体に掠った際に切断されてしまう。ケヴィンが全弾撃ち終える頃には、結界を構成していたワイヤーのほぼ全てが、それこそ切れた糸のように地面に落ちていた。

 
 クリスティーネに反撃の猶予を与えまいと、ケヴィンが真上に大きく跳躍した。真昼でも目立つほど激しい、七色の光を曳きながら上昇する様は、さながら立ち昇る打ち上げ花火。
「来るで! “光速の流星”の十八番が!」
 健司のような同業者じゃなくても、ケヴィンの代名詞の事はよく知っている。”光速の流星”の由来ともなった、七色の光を曳きながらの強烈なキックだ。ジャンプの頂点に達したケヴィンを見上げているクリスティーネも、ガードポジションになって備えている。
あかに――」
 予想通り、急降下しながらの強烈なキックを放ってくるかと思いきや、ケヴィンはバレーボールで言うスパイクフォームに移行した。頭の横で広げている手の平の内には、メーションで創り出した光弾を溜めている。禍々しい月にも見えなくもない、緋色の光弾だ。
「何あれ? 新技?」
 一般客たちは言うまでもなく、どうやらロジータたちも、ケヴィンのこのムーブを観たことがないらしい。困惑して少しだけ鳴りを潜める観客席だが、期待に膨らむ歓声は絶えず鳴り響いていることに変わりはない。
(多分遠距離攻撃……ですね)
 やはりクリスティーネも、ケヴィンが片手に溜めている光弾の事は知らないようだ。しかし、フェイントや奇襲が得意なケヴィンのことだ。最も警戒されやすい急降下キックの代わりに、遠距離攻撃を仕掛けてくるのは、容易に想像がつく。

「染まりな!」
 掛け声とともに片手が振り降ろされると、緋色の光弾はほぼ一瞬でクリスティーネの目前まで到達した! あまりの弾速によって、球状の光弾が細長い槍のように変形している。
 結界を張るために伸び切っていたワイヤーの殆どが、先ほどの射撃で切断されてしまったが、依然修道服に絡み付くワイヤーの本数は多分にある。両腕を突き出し、纏っていたワイヤーを高速プロペラ回転させることで、槍状に変形したケヴィンの一撃を受け止めるクリスティーネ。
 溶断バーナーで切断される鉄板のように、光槍は徐々に削られてゆく。その際に飛び散る緋色の光の極々一部が、無数のワイヤーのプロペラ回転の合間を抜け、近くで窓ガラスが割れた時のように、クリスティーネの身体に裂傷、刺傷を負わせる。巨大な槍で胴体を貫かれる惨事に比べたら、一つ一つはどうってことがないが、無数に蓄積しているから無視できないダメージだ。
「Guardの上から削ってやがる……」
 腕組みしながらそう呟いたデニスは、サングラスの下で険しい目付きになっているに違いない。
「あれで目標を”制圧射撃”しているのさ! 本命はもちろん――!」
 あの新ムーブが密かに開発されていたことを、親友のレフは知っていたらしい。

 体力を消耗しつつも、なんとか光槍を受け止めきったクリスティーネは、躊躇いなくバックステップした。直後、立っていた場所にケヴィンが急降下キックを炸裂させ、芝生と砂礫を周囲に飛散させる。
(搦め手が豊富ですね。一筋縄ではいきませんか)
 肉弾戦の間合いに踏み込まれたクリスティーネは、袖の下に仕込んだワイヤーを伸ばし、束とした上で両手に絡み付かせた。無数の十字架が針となって敵の身体に喰い込む、言うなれば茨のメリケンサックといったところか。
(用心深いな。小技があんまし通用しねぇ)
 片足を地面に直撃させた後、片膝立ちになって反撃を警戒していたケヴィン。両者の視線が宙でぶつかり、互いが先制攻撃に対してカウンターを食らわせてやろう考えるあまり、少しの間お見合い状態となっていた。

 

 数秒間睨み合った果てに、どちらともなく駆けだした。クリスティーネとケヴィン、両者の間合いはそれほど遠くはない。共にスピードタイプとして分類されるアーティストだけあって、最初の一歩を踏み出してから激突に至るまでは、正に一瞬の出来事だった。

 クリスティーネの間合いに踏み込んだその瞬間から、ケヴィンは金色の光を纏った両腕で、猛然とラッシュを仕掛けた! 尾を曳く金色の光が消え失せるよりも早く、新たなパンチが次々と繰り出されるので、まるで二本の腕が四本にも六本にも分身したかのように見える。
 スピードスターとして有名なケヴィンであるが、局所的なスピードならば、クリスティーネの方も負けていない。袖の下に仕込んでいたワイヤーを伸ばし、さながら棘付きのバンデージのように手に絡み付かせているクリスティーネ。
 側面や後方への無駄のないステップを織り交ぜながら、的確にケヴィンの両腕を捌いている! 多少パンチが身体にヒットしているが、急所は免れているため問題はない。

(クソ……ワイヤーのトゲが刺さってんのか?)
 繰り出したパンチをクリスティーネの手で受け止められると、ピンクのグローブを突き抜けて妙な痛みが走るのだ。思い当たる節があって、後方へと七色の光を曳きながらの高速移動をしてから、自分の両手を検めてみる。やっぱり、クリスティーネの手に絡み付いたトゲ付きワイヤーのせいで、グローブが小さな穴だらけにされていた。
「あれじゃあ、手数で押すケヴィンは不利だよ! 跳弾の危険を顧みない、マシンガンのパニックトリガーと同じだ! 遠距離から銃火器でドカンとやらないと!」
 長い付き合いだからこそ、異変に真っ先に気付いたのか、レフは指差しながら背後に向かって叫ぶ。
「うるさいってば。言わなくても分かるよ、私たちなら」
 呆れて目を細めながらクローディアが言う。
「いいえ! 自己主張するなら、声を大にするのが当然ですわッ!」
 レフに負けじと大声をあげたミシェル。それが自分へのあてつけと理解したクローディアは、真っ黒なハーフブーツを思い切り踏み付けてやろうとしたが、いつにも増して子どもたちの歓声が多いことを思い出し、留まる。

 
 僅かに五本指を曲げた両手を、頭の横でばっと広げるクリスティーネ。すると袖の下から、蜘蛛が糸を吐き出したかのように、無数の細長いワイヤーが放出された。陽光の反射によって、観客の目にも辛うじて視認できる細さだ。それらは波打つ軌道で、あらゆる角度から棒立ちになっていたケヴィンに迫る!
「あれくらいじゃ、ケヴィンに効き目ないと思うけどねー」
 羊毛のように縮れた髪の毛を指で掻きながら、あの新武器開発に携わったロジータが言う。確かにケヴィンは、全方位から迫り来る無数のワイヤーを、七色の光を曳く両手の光速パンチで、残らず叩き落としている。
 これはクリスティーネも予想の上のムーブであり、無数のワイヤー放出による牽制を仕掛けてから、全速力で間合いを詰めていた。叩き落とすこと自体は余裕であっても、流石のケヴィンも、飛んだり跳ねたりして包囲網から抜け出すのは不可能な密度。対峙者の立ち位置を釘付けにするだけでも、トリックスター相手には有効な布石。

 しかし、最後の一本が叩き落とされ、全てのワイヤーが”糸が切れた”ように落ちる。身動きできないケヴィンに、飛び蹴りを食らわせるつもりでいたクリスティーネは、予想よりも早くケヴィンが持ち直したので作戦変更。地に落ちたワイヤーを、掃除機のコードさながらに回収する暇もなく、更なるワイヤーを袖の下から繰り出した! 服の下に仕込んだワイヤーが、一時的に希薄になってしまうが、致し方ない。
 ケヴィンは気だるげな面持ちのまま、あっという間に第二波のワイヤーを叩き落とし、コンビネーションのフィニッシュのように、間合いに入って来たクリスティーネにストレートを打ち込む。……が、打突を見切っていたクリスティーネは、頭を低くしながら肩でケヴィンの腰にタックル! そのまま両手で捕えることに成功する。

「よし! お姉ちゃんの得意な間合いだ!」
 もうすっかり、”プロレス”ないしBASの楽しみ方を心得ているクリストファーが叫んだ。互いに大きなダメージを被っていない本ライブにおいて、ようやくターニングポイントを迎えたことに、他の観客たちも大いに沸き立つ。
(じゃまくせぇ……!)
 腰に纏わり付いているクリスティーネに対し、執拗に拳や肘を打ち下ろすケヴィン。クリスティーネが反応する間もない程の、”光速”だ。だが数発ほど後頭部にお見舞いしてやったところで、背後から親に制された子どものように、ケヴィンの片腕が振り上げられた状態で静止する。
「……霞網に捕らわれちまったな」
 サングラスのしたの鷹のような目が見逃さなかったのか、デニスはいち早く気づいていた。クリスティーネの両手を起点に、ケヴィンの身体を這いずるように伸びてきた無数のワイヤーが、その両腕をガッチリと捕らえていたことを。
「危なかった~! 逆に投げ飛ばされていたら、せっかくのチャンスが台無しだもん!」
 オモチャの設計図を書きながら、仕事仲間と下らない電話をしつつ、ポテトチップスを食べていながら、見ているカートゥーンの内容をきっちり記憶する。そんなマルチタスクの天才であるエマの脳内では、数ある不安要素の一つが消え去っていた。

(やりましたっ! このまま間合いをとって――!)
 ケヴィンの上半身の動きを封じたクリスティーネが、後退しようとした瞬間。下半身は自由だったケヴィンが、目にも止まらぬ速さの膝蹴りを放ってきて、それが顔面にモロに入ってしまう! 一度のみならず、二度も、三度も。クリスティーネはよろめきながらも、彼我の距離をとって退避したが、できれば痛手を受けずに済ませたかったところであろう。

 
「やったな、クリスちゃん! これで相手は虎挟みにかかった猪や!」
 健司が言っているそばから、”止め刺し”と言わんばかりに、片手にワイヤーを束ねて形成した太い”鞭”を形成するクリスティーネ。
 もう片方の手は、人形を操っているかのように、ケヴィンを拘束するワイヤーを掴んでいる。絶妙な力加減とテクニックでワイヤーを操り、高速移動で無理矢理逃れようとするケヴィンを、なんとか封じ込めている。ケヴィンは歩いたり、身を捻ることはできるものの、下手に動くと上半身に巻き付いたワイヤーが深く食い込み、より深刻な被害を受けるだろう。

 サッカーボールを蹴り飛ばすように、ケヴィンが片足を突き出すと、足先から楕円形の光弾が発射された。適当にばら撒く訳ではない、一撃に賭けた圧縮された光弾。しかし、いつものように手から発射していないせいか、その弾速は心なしか緩やかのように思える。
 ケヴィンの蹴りのモーションの大きさも相俟って、本調子ではない弾速の光弾を躱すのは、クリスティーネにとって赤子の手を捻るようなもの。するりと側面に移動した後、太い鞭をケヴィンの脳天目掛けて思い切り振り降ろす! 空気を破壊するようにバチン! と音が鳴った直後、痛みこそないがケヴィンは脳を揺らされて一瞬視界が真っ黒になって倒れた。
「ワオ! 痛そう!」
 エマはキャンキャンした声でそう叫んだが、本当に”痛み”は感じていない。外傷の程度はなかなかのものだろうが。眩暈を起こしているのか、腕立て伏せの途中で限界を迎えたかのように、ケヴィンは両手で身体を支えた状態で持ち堪えている。

 
「――その魂が悪魔に侵されるよりも速く」
 茶髪の陰に隠れたケヴィンの表情は分からない。だが、犬人間の生まれ故なのか、聴力に優れているクリスティーネは、彼が早口で何かしらを呟いているのを聞き取った。と、彼の全身から七色の光が激しく迸り始めた。
「詠唱式のメーションか! 珍しいなあ!」
 レフが(頼まれてもしないのに)解説してくれたおかげで、ケヴィンが突如発光した訳を知る、ケヴィン側の観客たち。
「近頃のアーティストは、詠唱式のメーションを時代遅れだと侮って、”口”への警戒を怠っているのではなくて?」
 こういうミシェルの一言ずつが、隣で黙って立っているクローディアの神経を逆撫でするのは、認めたくないコンプレックスを刺激されている証拠なのだろうか。

「――その声が枯れて消失するよりも速く」
 瞬きする間に、ケヴィンの全身の光がより眩いものと化してゆく。
(経験上、私の攻撃で止めるのは無理ですね……)
 攻撃した相手に痛みを感じさせない、ディバイン=メルシィ改めディバイン=スティグマータは、必然的に相手を怯ませたり、驚かせたりすることを不得手とする。猿轡のように、ケヴィンの開いた口に束ねたワイヤーを喰い込ませようとも考えたが、ケヴィンの詠唱スピードは他のアーティストと比較しても明らかに速い。

「――最高速で告げろ、ノイズ交じりの鎮魂歌!」
 ケヴィンが詠唱を完了させる、その寸でのところで、伸ばしたワイヤーの全てを収納したクリスティーネが、後方へとダイブするように倒れ込んだ。直後、ケヴィンが強烈な閃光に遮られるや否や、甲高い爆発音が轟く。太陽が青空を覆い尽くすかのような勢いで、恐ろしい程に燦々たる光の爆発が、クリスティーネをも呑み込む!
 爆発の規模の割には、光が霧消するまでの時間は極々短いものであった。僅か二、三秒後、爆発光の残滓のせいで微かに眩いステージ内部では、ケヴィンが猫の尻尾でバランスを取りながら、ひょいと立ち上がっていた。クリスティーネの方も、衣服や露出した肌や髪にダメージを負っているものの、軽やかな身のこなしですぐに立ち上がる。
「技の見た目の割には、クリスちゃんの傷は大したことなさそうやな」
「あくまで速さを重視した、緊急回避手段ってわけかー」

 
「赫に――」
 ケヴィンはバレーのスパイクを打つような態勢で、片手の内に緋色の光を溜めている。
「さっきの光の槍がくるよ!」
 子どもたちの叫びが届いたのか、クリスティーネはすかさず斜め前に摺り足で移動。斜線上から退避した上で、メーションを撃った後隙に蹴りなりなんなりお見舞いしてやろうと、一気に間合いを詰めてゆく。
「染まりな!」
 予想通り、凄まじい弾速、しかし融通が効かない直線的な軌道で、緋色の光槍が放たれた――と思いきや、ある程度進んだ辺りで焔を纏ったかのような大剣に変形し、あろうことか周囲を薙ぐように、ケヴィンを軸に回転してきた!
 槍を回避したと油断していたクリスティーネは、横っ腹を水平に切り裂かれてしまう。思わず膝をついたクリスティーネの身体からは、火達磨と化したように緋色の閃光が迸っている。正々堂々とした戦いを嘲笑うかのようなケヴィンに、村人たちの手厚いブーイングの御礼。
「……Feintか」
「通りで予備動作がわざとらしいと思ったよ」

 それなりに手痛い一撃を食らって、クリスティーネの動きが僅かの間止まっている。その隙を逃すはずもなく、ケヴィン十八番の流星のような飛び蹴り!
 しかし達人のクリスティーネは、迎撃の準備を怠ってはいなかった。袖の下からワイヤーを繰り出し、蜘蛛の巣のように前方に張り巡らし、飛び蹴りを放ってきたケヴィンを絡め取ろうとする――が。
(お姿がはっきりしませんね……)
 さっきの変形大剣で、馬鹿正直では倒せない相手だと思い知ったクリスティーネは、直感に従うままに目を瞑った。次の瞬間、前脚を突き出したまま迫ってくるケヴィンが爆発し、強烈な光を放った後霧消する! 光の虚像で目眩ましと陽動を目的とした、二段構えのムーブだ。

(そこですっ!)
 犬耳で拾った足音、着地音が、ケヴィンの位置を知らせてくれた。真後ろよりも、僅かに左の立ち位置。正面を”北”とするなら”南南西”の所にケヴィンがいて、組技の間合いではない。
 動きを読んだクリスティーネは、ガッツポーズのようにした左腕を、頭の横に持ってきた。ケヴィンは後頭部狙いのハイキックを繰り出してきたが、それはクリスティーネの片手によって受け流されてしまう。
「は?」
 まさか立ち位置を気取られると思わなかったケヴィンは、怪訝な面持ちで声を漏らす。
「不用意に片足立ちになったな! チャンスだよ!」
 クリストファーが自慢げに言い終わる頃には、クリスティーネは小奇麗なバク宙でケヴィンの肩に飛び乗っていた。ケヴィンは舌打ちしながら、肩車を強制してきた頭上のクリスティーネに人差し指を向ける。
 そのまま光線でクリスティーネを貫こうとするよりも速く、ケヴィンは投げ飛ばされてしまった。ケヴィンの頭部を両足で挟み込んだまま、再度バク宙の要領で回転するクリスティーネのフランケンシュタイナー! 芝生に頭部を叩き付けられて、ドン! と鈍い音が響く。
 いつものように、ケヴィンは軽快に跳ね起きようとしたが、結構なダメージが頭部に入って、すぐには立ち上がれないでいた。なかなか痛々しい光景だが、他でもない姑息な猫人間がそう言う目に遭うと、不思議と子どもたちは笑ってしまうものだ。

(……もしかして、組み技が苦手ですか?)
 間合いの取り方、組み技に持ち込まれた時の対応等々、ケヴィンのあらゆる行動から、クリスティーネの内に一つの考えが生じた。相手の動きを見切りつつあるということは、決着が近いという証でもある。

 

 地面に頭突きする羽目に遭わされたケヴィンは、ぐらつく視界が明瞭になるとともに、ブレイクダンスの要領で回転蹴りを繰り出しつつ、立ち上がった。頭の中で作戦を組み立てつつも、備えていたクリスティーネは、一歩下がって難なく回避。
 それからというものの、再び激しい肉弾戦が始まった。多彩な技と読めない動きで翻弄するケヴィンと、隙を狙って確実に攻撃を差し込みつつ、隙あらば間合いを詰めてゆく。

「アカンなぁ……。ケヴィちん生粋の何でも屋や。遠近どっちもいける口やし、速さも持久力も知恵もある」
「意地悪く言うなら、ちょっとパワー不足なだけかな~!?」
 半月の軌道で、挟み込むように放たれたくの字状の二発のメーションを躱した――と思いきや、さながらブーメランのように戻って来たので、あえなく背中に二発を受けてしまう。メーション弾幕の合間に不意打ちを受けて、なかなかのダメージを負ったクリスティーネを観ながら、観客たちが不安を募らせる。
「アイツ相手なら、誰でもこうなると思うけど……。クリスティーネ翻弄されちゃってるから、段々と体力奪われていっちゃうよ」
 一見隙のないケヴィンの動き。しかしクリスティーネは、見えないほど細いワイヤーの結界を、パンチやキックに織り交ぜて展開しつつ、超接近戦の間合いに踏み込む機会を伺っていた。

 
 光速の流星その名のままに、七色の光を曳きながら急発進と急停止を繰り返しているケヴィン。クリスティーネの攻撃の殆どを回避、あるいは防御に成功しており、光のメーションによる物量攻めでじわじわとクリスティーネを削ってゆく。
 しかし、激しい動きをするたびに、否が応でもピンと張られたワイヤーが身体に喰い込んでしまう。一本ずつなら大した傷にはならないが、移動する度にそれが続いてしまったら、下手すればクリスティーネよりも早く体力が尽きてしまうだろう。
「攻撃しつつ、ワイヤーを展開しているね」
「Bodyに結構食い込んでいるようだが……」
 たまにケヴィンの動きが、蜘蛛の巣に引っ掛かった虫のように止まったり、不意にレーシングスーツがビリッと裂けてしまうから、例えワイヤーの結界が視認できなくても、何をされているのかは簡単に分かる。

「本命は首狙いの綱ですわッ!」
 ミシェルが叫んだ通り、大半の結界はケヴィンの胴体に合わせた高度で展開されているが、素人目でもはっきり見えるほど太く束ねられたワイヤーが、ケヴィンの首に合わせた高度で張られているのだ。もし、スウェーバックの際などに、自らそのワイヤーに首から触れてしまえば、痛みを感じずに”暗殺”されてしまうだろう。

(あぶね)
 一気に踏み込んできたクリスティーネのハイキックを躱した際、後ろ首の辺りが太いワイヤーに触れてしまいそうになった。急に身体を反らしたものだから、スピードが乗っていた分、ワイヤーから受ける切り傷も深くなる。
(腹や背中はともかく、首を切られたら下手すりゃ死ぬ)
 かと言って、クリスティーネの正確な連続攻撃を、辺りに張られたワイヤー全てを意識しつつ、躱し切るなど不可能に近い。首狙いの致命傷さえ凌げればいい。そう判断したケヴィンは、一刻も早く決着をつけようと、より苛烈なメーション弾幕を展開してゆく。

 
(そろそろ良いタイミングですね)
 何やら思い付いたのか、クリスティーネは無数のワイヤーを袖の下から伸張させ、それらを前方一帯にて縦横無尽に振り回す! 痛みを全く感じないからと言って、そのキルゾーンに漠然と立っていれば、瞬く間に全身がボロボロにされてしまうだろう。
 当然ケヴィンは後方に退避した。胸やお腹の高さにあるワイヤーはダメージ覚悟で、高速移動によって強引に突破しつつ、首の高さにある太いワイヤーは、リンボーダンスみたいな感じで器用に避けている。

(追い詰められてヤケに走ったな。次の一撃でぶっ倒してやる)
 ワイヤーの嵐を巻き起こしつつ、ゆっくりと歩くクリスティーネから離れながら、ケヴィンは暗殺者を葬る算段を立てている。と、首狙いのワイヤーを潜り抜け、丁度足首の高さにあるワイヤーに触れてしまった瞬間。その一本はケヴィンの足首に巻き付き、片足が捕らえられてしまったケヴィンは、そのまま後方に倒れてしまう!
(足かよ!?)
 決して見えないほど細いくらいのワイヤーじゃないし、原理としても至って単純な罠。だが、首狙いの致命傷に気を取られて、文字通り足元がお留守になっていたのだ。
「ワンツーパンチからのキックが、なかなか対応できないように――」
「首ら辺に意識を集中させれば、足元がおろそかになるってな!」
 ずる賢い癖に、いざ自分が騙される側になるとチョロイもんだなと、村の子どもたちはにっくきヒールがもがいているのを観て喜んでいる。

「ワイヤーごと、地面にガッツリ固定されちゃっているね」
 足首に巻き付いた一本のワイヤーは、露出した部分が半円を形成するように、両端が地面に埋め込まれている。ケヴィンとの高速戦闘の最中、ひっそりとワイヤーを足元に向けて放ち、地中を通して離れた場所に設置したらしい。
 ――よく見ると、クリスティーネを中心にして、まるで花壇を囲むアーチ状の柵のように、”足くくり罠”が展開されていた。きっとその全てが、今ケヴィンの足首を捕らえているワイヤーと繋がっているのだろう。いうなれば、とても長い一本のワイヤーだ。
 そうこうしている内に、地面に手を付けたクリスティーネが、地中を通してケヴィンの顔近くからワイヤーを出現させていた。それはケヴィンの口を封じるように喰い込む。そして、ワイヤーの先端を地中に埋めることによって、沈黙を完成させた。
「ええやん! 猿轡を咬ませれば詠唱もできへん!」

 
 足首をロックすることで、ケヴィンを地面に釘付けにし、口を封じたことで、さっきのように詠唱式のメーションで強引に突破される恐れもない。一世一代のチャンスと判断したクリスティーネは、不要なワイヤーを袖の下へと引き戻しながら、一直線にケヴィンの方へと走りだす。
「グランドクロス?」
 クリスティーネをよく知る者には、お馴染みの光景の一つかもしれない。フィニッシュ・ムーブを仕掛けてくると悟ったケヴィンは、自由になっている両腕を合わせ、手と手の間に七色の光球を溜める。クリスティーネが彼我の距離を狭めるほどに、ケヴィンが溜めた光球も輝きを増す。結滞的瞬間を逃すまいと、観客たちのボルテージも高まる。

 今まさに、クリスティーネが空高く跳躍すると、誰もが思ったその瞬間。クリスティーネは目前で、無数のワイヤーをプロペラ回転させつつ、鋭いスライディングキックを繰り出した。
 対空射撃の体勢に入っていたケヴィンは不意を突かれたが、有り余る反応スピードによって、地面に対する両腕の角度を小さくした。そして、ほぼ水平方向に対して、七色の大きな光線をぶっ放す!
 自ら光線の方へ突っこんでいく形となったクリスティーネだが、眼前でプロペラ回転させているワイヤーたちのおかげで、顔への直撃だけは辛うじて免れた。更に幸運なことに、この光線はじわじわと体力を奪って行くタイプのメーションらしく、即座に行動不能な状態に貶められることだけは避けられた。

 遂にクリスティーネの体力が限界を超える、その刹那。スライディングの勢いに乗ったまま、突き出されたケヴィンの両腕を両足で挟み込み、そのまま腕拉ぎ十字固めの態勢に入った!
「よく滑るねー。芝生なのに」
 あれと似たようなプロレス技はクローディアにもできるが、それはプロレスリングの上での話。
「……服の下に仕込んだwireが一枚噛んでいると見た」
 なんてデニスが呟いていると、何も対処できずにただただ暴れているケヴィンの腕を、クリスティーネが容赦なく折った! 次の技に繋げるため、クリスティーネが一旦腕を解放した瞬間、ケヴィンは自由になっている方の脚を折り曲げ、蹴り上げて来た。

 組み技に持ち込まれたら、打突やメーションで強引に脱出する。そんなケヴィンの動きを見切っていたクリスティーネは、蹴りの軌道から身体を逸らせた後、伸び切った片脚を掴む。間髪入れず、ケヴィンごと身体を反転させた。
「巧いねー! 蹴り上げてくるのを利用して、仰向けからうつ伏せになっちゃった!」
 武器やメーションに頼らないからこそ、人体が秘める”器用さ”という武器を、最大限に活かせるケースがある。ロジータが感心していると、ケヴィンの背中に乗ったクリスティーネが、首から顎を掴んで思いっ切り身体を反らせる!
「キャメルクラッチですわッ!」
 ただのキャメルクラッチではない。両腕だけではなく、袖の下から伸ばしたワイヤーをケヴィンの首に絡み付けているのだ! 痛みこそ感じないが、首筋に喰い込むワイヤーは見るからに痛々しく、口を封じられているケヴィンは激しく息を吐いて痛みに耐えている。

「ああ! これはダメだ! 完全に極まっている! ケヴィンは寝技とか殆ど練習していないから、手の打ちようがない! 早くギブアップしないと背骨が折れる! いや! その前にワイヤーで締め落とされるかも!」
 薄情なことに、親友の絶体絶命を観て応援することを諦めてしまったレフは、興奮が裏返ったかのように大慌てしている。
「タオルだ! タオルを投げ込むんだ! ああ! 持ってなかった! そうだ! 白旗! 白旗だ! 何にも属さない旗! でも旗なんて持ってない! ああ、そうだ! こういう時は!」
 何を血迷ったのか、レフはその場で上着を脱ぎ始めた!
「お前何してやがる!?」
 デニスは思わず、レフの両手を掴んで止めた。

「クリスティーネ姉ちゃん、最近容赦無くなったよな」
 デビュー当初からの熱烈なファンを自称するピーターが呟く。あらゆる暴力と向き合い、十字架をその身に背負い、迷いを断ち切ったかと思えば暴行魔と立ち合い、女の醜さを見せつけられる。そんなハードな毎日を過ごしていれば、心も荒んでしまう。
「暗殺者らしくはなったけど……」
「うん」
 クリストファーやビビにも思う所があるのか、既に勝負は決したも同然だと言うのに、尚もケヴィンを責め続けるクリスティーネを、複雑な面持ちで眺めている。

 
 ……と、ケヴィンの背骨がマトモに動かなくなり、首の圧迫によって意識が消え失せてしまう寸前で、クリスティーネはケヴィンを解放してやった。全てのワイヤーを服の下に収め、ゆっくりと立ち上がり、口が自由になったケヴィンはフルマラソンを終えた時のように苦しそうな呼吸をしている。
「……舐めプか?」
 おもむろに目の前に立ったクリスティーネを、上目遣いで見たまま、抵抗する気力もないケヴィンが言い放つ。
「本当に強い人は、“弱い者いじめ”なんかしませんよっ」
 戦闘態勢のカッと見開いた目から、いつものような糸のように細めた目に戻ったクリスティーネが、悪びれもせずに手を差し伸べた。
「トドメも刺さねぇクセに調子に乗りやがって……」
 などと悪態をついたケヴィンだが、誰がどう見ても明らかな決着を否定し、悪あがきするような真似はしなかった。舌打ち交じりにクリスティーネの手を掴み、立ち上がると、どことなくほっとしたような歓声が、牧場一帯に巻き起こった。

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