Diamond Revolt Part3

 昨今にしては稀な程、大規模な乱入劇がレイラ中に放映され、一時間弱した頃合。
 ミシェルの実家、すなわちルィトカ家の豪邸内部にて。

 そのホールには、億単位の値段で購入したという抽象的な絵画が幾つも飾られ、有名な芸術品の盗品と思わしき物がちらほら見受けられる。テーブルには、肥満の原因になるような料理、そして酒の空き瓶が大量に散乱し、絶えず獣のような笑い声を発する輩ばかりがいる。
「アホだなぁ、あいつら」
「ちょっと煽てればすぐに乗せられる」
「生き甲斐も友だちもいない連中なのね~」
 こうした罵詈雑言を飛ばしては、賛同を求めるように周囲の席を見回し、醜く口を歪める大人ども。彼らが巨大スクリーンで観ているのは、先ほど生放送で繰り広げられた、ミシェル軍団による乱入劇だ。録画した映像を、何度もリピート再生している。

「な? 脳に欠陥のある人間どもは、血を見せれば喜ぶだろ?」
 巨大スクリーンに背中を向けるように座っている男が、嘲笑い交じりに言った。ルィトカ家の現当主、ペムロド=ルィトカ。ミシェルの実父だ。
「そうですね!」「その通りです!」「さすがです!」
 ペムロドの晩餐会に出席した同類たちは、条件反射に主催者を賞賛した。
「考える力が無ぇ欠陥人間どもはよぉ、こうして血を見せればパチパチ鳴らして名作だと持て囃すんだ。中身なんか見ちゃいねぇ」
 いい気になったペムロドは話を続ける。不幸にも、心ない言葉を発する現当主を咎める者は存在しない。参列者たちは地位の保守に徹しているから、一様に「そうですね!」と答えるだけのイエスマンだ。
「要は誰かをぶち殺せば名作になんだよ。ぶち殺される奴は、悲劇のヒーローや可愛いガキならもっと良い」
「そうなんですか?」
 御機嫌を取るのが特に巧い参列者の一人が、敢えて訝しげな顔をして聞き返す。

「欠陥人間どもの溜まり場を覗いて来いよ、おめぇ!」
 バンとテーブルを叩き付けながらペムロドが叫ぶ。無知な参列者に怒りを覚えたのか、それとも支配下にある者を叱り飛ばすチャンスに狂喜したのか。
「勘違いした売れねぇクソ雑魚ライターどもが、ショートケーキにマスタードを塗りたくったみてぇに、必要も無ぇのにぶち殺す! ガキのおままごとに人殺しをブチ込んで、出し抜いたつもりで笑ってやがる! さもこれが現実の厳しさだと、クソ雑魚ライターどもが知ったかぶって、味覚障害の欠陥人間が涎垂らして頷きまくる!」
 聞き返した参列者は、大袈裟に頷きながら「欠陥人間ですなぁ!」と言って同調する。
「いやぁ気持ち悪い。生きてる価値ありませんね」
「考える力が欠落しているのですわ」
 礼節を弁えた人間が不在なのを良いことに、ゲラゲラと大笑いしている参列者たち。ペムロドは更に持論を垂れ流す。
「何もできねぇ欠陥人間どもはよぉ! 勝ち組人間が許せねぇんだよぉ! 仕返しも何もできねぇから、昼も夜も勝ち組がぶち殺される所を観たがってる!」
「だからああいうのが流行るんですね」
「やれやれ……」

「おうよ! だからミシェルには、勝ち組をぶち殺したがっている欠陥人間どもを付けてやった! わざわざ大金叩いて、欠陥人間どもを囲いこんでやった!」
「何でですか?」
 2番目に御機嫌を取るのが巧いと思わしき参列者が、ここぞとばかりに聞き返した。
「BASを乗っ取ったあいつを出汁にして、こいつで商売する為だよぉ! 欠陥人間どもに、少しは生きてる価値を与えてやろうってんだ!」
 ペムロドはテーブルクロスの中から、近未来的なゴーグルを取り出し、椅子を蹴飛ばしながら立ち上がる。
「このゴーグルは”エスケーパー”つって、掛けるとターゲットにした奴の感情や思考を追体験できる。まだ試作段階だけどよぉ。要するに、オリンピックの金メダリストをターゲットにセットして、このゴーグルを掛けりゃ、欠陥人間でもヒーローになったような気分を味わえる」
 ペムロドが説明している最中、見計らったようなタイミングで現れた召使いたちが、参列者にエスケーパーを配布する。
「何の生き甲斐もねぇ欠陥人間が、エスケーパーで逃避すればどうなる? 24時間ゴーグルを付けっぱなしにして、現実に帰って来れねぇだろうよ。完成した暁には、エスケーパーは使い捨て前提の量産品になる。エスケーパー中毒になった欠陥人間どもは、メシを食うのも服を着るのも忘れて、こいつを買い漁るようになるってわけだ」
「合法的な麻薬ですね!」
「欠陥人間にはお似合いですなあ!」
「あえて欠陥品を売るなんて天才ですねぇ!」

「ミシェルを操り人形にするんですか?」
 誰もが思いつく疑問を、誰よりも先に言う事ができた参列者は、内心でほくそ笑んだ。
「いつまでもターゲットにするわけねぇだろ、おめぇ! 欠陥人間どもは、根性だの気合だのにアレルギーだ。すーぐブラック企業だ、体育会系だと、赤ちゃんみてぇに泣き喚いて、そのクセ自分では何もしねぇ。BASを乗っ取ったあいつをターゲットにするのは、あくまでエスケーパーを流行らせるための叩き台だ」
 ペムロドは懐からリモコンを取り出し、スイッチを押す。絵画も何も飾られていない、不自然な壁のスペースが、引き戸のように左右にスライドを始めた。
 仕掛け壁の奥に隠されていたのは、強化ガラスとガラス扉で隔てられた、簡素な待合室だった。ガラス越しには3人の子どもが椅子に座っているのが見えるが、マジックミラー加工が為されており、待合室側からホール側を見ることはできない。この晩餐会における余興のために、わざわざ突貫工事で作られた部屋らしい。
「エスケーパーが欠陥人間どもの間で流行ったら、ターゲットにするのはこいつだ! こいつが本命だ!」
 大層興奮した様子のペムロドが叫ぶと、すぐ隣に殆ど透明になっている者が姿を見せた。徐々にその姿は色濃いものとなり、遂には完全に不透明となった彼は、この世の者とは思えない完璧な容姿の、純白の羽根を持つ少年であった。

「こいつは”イドル”っつう、ルィトカ家の財力で創り上げたミュータントでよぉ! 俺の命令には絶対口答えしねぇようにできてる! 今おめぇらに渡したエスケーパーは、こいつをターゲットに設定している!」
 イドルという名の、少年型のミュータントの背中を、音が響くくらいに叩いたペムロド。
「おいイドル! あの部屋にいるガキどもは、自分勝手な行動で人様に迷惑を掛ける、欠陥人間だ! ちょっと行って説教してこい!」
 ペムロドが言った瞬間、参列者たちは今にも笑いだしそうになるのを堪え、一斉にエスケーパーを掛けた。
「俺は、自分自身の”正義”を貫いてみせる。たとえ誰から、どのように批判されたとしても」
 天使のミュータントは、待合室とホールを隔てるガラス扉に向かって、ゆっくりと歩み始める。その姿は徐々に透明へと近づいてゆき、再び参列者たちの目に映らないものとなった。

 

「ったく! いつまで待たせんだよ!」
 待合室にいる子どもの一人、喧嘩が強そうな柄の悪い不良少年が、テーブルの脚を蹴飛ばしながら叫んだ。サムエルという名の少年は、濃い肌の牛人間であり、僅かに彎曲した二本の角を持つ。
「パーティの招待状寄越したんなら、しっかり準備しておけっての! 大人のクセによー! 時間ギリギリまでジムでスパーリングしときゃー良かった!」
 サムエルは大層イライラした様子で立ち上がり、数秒間待合室を歩き回った後、テーブルの上でノートパソコンを開いている眼鏡の男の子の脇で立ち止まる。
「おい、リヤンシュって言うんだっけか? お前も招待状貰ってここに来たんだよな?」
「そうだよサムエル。僕のプログラマーとしての資質を表彰したいって言うらしいから」
 リヤンシュという名の、タコから進化を遂げてきた眼鏡男子は、タコのような8本足をフル活用して、高速タイピングしている。
「プログラマー? 子どもなのにか?」
「うん。携帯電話で数学の練習問題ができるプログラムを作ってるんだ。僕の将来の夢は、特許が貰える発明をすること」
「よく分かんねーけど、マジ半端ねぇヤツなんだな」
 サムエルはノートパソコンを覗いてみたが、アルファベットや数字が羅列されているのを見て、頭痛を覚えるのみであった。
「最近、電車やバスで学校に行く人増えてるよね? 疲れるし、帰ったら宿題どころじゃない。電車の中とかで宿題ができればいいなぁと思ったけど、ノートを広げると邪魔になるし、だから誰でも持ってるようなもので、レイラ中の皆が楽して宿題できればなぁって」
「オレ、練習があるから全然宿題やってねーし、そもそも学校に行ってねーけどよ。そんな風にできるなら、ちょぴっとくらいはやってやるぜ」

「で、お前も招待状を貰ったのか?」
 とても精巧に可愛らしい人形を、怪物から守るように抱きしめている、身体が弱そうな少女に話しかけるサムエル。
「え、え……」
 病弱少女は、言葉を詰まらせながらも弱々しく頷いた。この子の名前はウズマと言って、大きな一つ目を持っていて、その瞳は常に潤んでいる。
「んなに怖がらなくていーだろが」
 舌打ち交じりにサムエルが言うと、ウズマは「ご、めん……」と漏らして、一つ目から大粒の涙を流してしまいそうになる。イライラして、つい棘のある言い方をしてしまったサムエルは、心の中で自分に舌打ちしながら、少女が抱き締める人形に目を遣る。
「……お前が作ったのか?」
「う……」
 ウズマが微かに頷く。
「うめーな」
「うん……。野菜なの」
「野菜? 野菜から作られた人形か?」
「うん……。で、でも、売れないような、捨てるはずだった野菜を使って……。いつかは、野菜が好きじゃない子どもが、食べたくなるような……何でも口に、入れたがるし」

「2人ともすげーヤツだな」
 テーブルに座ったサムエルは、両手を枕にして天井を見上げた。
「ルィトカ家って、凄く大金持ちらしいね。そのパーティーに招待されるってことは、君も凄い人なんじゃないのかい?」
 そう言ってリヤンシュは、キーボードをタイプしていた8本足を、テーブルの下に隠した。
「俺はレスリングの大会で優勝したことがあるぜ。俺メチャクチャつえーぞ。親父をバカにした大人たちも、投げ飛ばしてやった」
「すごい……」
 ウズマがか細い声で言う。
「俺の親父は、我流の柔術を創始したんだ。メチャクチャつえーからな。だのに、もっとつえーヤツと戦った時に膝を壊しちまって、それから皆よえーよえー言いやがる! そりゃー、昔と比べて歳だし、膝も不調だから確かに弱くなっちまったけど、昔の親父知らねークセに、皆がよえー言うから自分もよえー言いやがって!」
 怒りが込み上げてきたサムエルは、椅子の背もたれを思い切り蹴り飛ばした。「う……」と怖がったウズマが、野菜人形を強く抱き締める。
「だから、学校や宿題の時間も惜しんで、ひたすら練習しているんだね」
「ああ! 何も知らねークセに、勉強しろとか、基本に忠実にやれとか、ふざけんな! 全員投げ飛ばしてやる! いつか、必ず!」

「目上の人間に敬意を払えねぇ、生まれつき欠陥抱えたガキが!」
「近頃の若者は、すぐ携帯電話で楽したがって困りますなぁ!」
「あんな人形が流行ったら、真似する人が出てきて、食べ物を大切にしない子どもばかりになりますわ」
 待合室に仕掛けられた小型マイクによって、ホールにいる参列者たちは”すごい”子どもたちの会話を盗聴していた。3人の子どもは、マジックミラーの向こう側から、卑しい大人たちに批判されていることに全く気が付かない。

 
 と、テーブルに直接腰を下ろしていたサムエルは、突如背中に強い衝撃を受けて、ほぼ真横に吹っ飛ばされてしまう! 「えっ?」「え……」と、他2名が困惑する中、不良少年は壁に激突した後、床に落下する。彼がレスリングの受け身技術を活用しなかったら、間違いなく重傷を負っていただろう。
「なんだなんだ!?」
 若くして実践経験豊富なサムエルは、大人にいきなり背中を蹴られた時のことを思い出し、重心を低くして構えつつ周囲を見渡す。

「――誰も言わないから俺が言ってやる。今すぐ不良をやめて、マトモな生活に戻れ」
 テーブルの上には、全身がほぼ透明になっている、天使のような羽根を持つミュータント――すなわちイドルが立っていた。ドアが開けられた気配はしないし、ホールとこの部屋を隔てるマジックミラーが割られた形跡もない。壁をすり抜け、音もなく待合室に侵入したというのか?
「はぁ!? 誰だよお前!」
 構えたまま、一歩踏み出したサムエルが叫ぶ。リヤンシュとウズマは、そっと立ち上がり、恐るおそる部屋の隅へと後ずさっている。
「俺はイドル。自分の正義に忠実である者。この生命いのち、ミュータントという創られた悲劇だとしても、自分が自分であることを証明してみせる」
 完全に透明感がなくなったイドルは、テーブルの上から不良少年を見下しながら言った。自分の正義に忠実とは言うものの、その発言すらもペムロドの命令によるものだ。

「俺とやろうってか!?」
 すっかり頭に血がのぼったサムエルは、一発ぶん殴ってやろうと、もう一歩踏み出した。その瞬間、イドルの純白の羽根が白く輝く。
 すると、サムエルが着ていた使い古しの上着が、空気を限界以上に詰め込んだ風船みたいに爆散した! 銃で撃たれたかと思った不良は、さすがに「おわぁ!?」と仰け反り、他2名の子どもは思わず目を瞑る。
「お前は全てを暴力で解決しようとする。心が弱い証拠だ。勉強をサボっているから、話し合いで解決することも出来ない。マトモな大人に成れるはずがない」
 テーブルから降りたイドルは、ペムロドや参列者が好きそうな言葉を口にしながら、無表情のままサムエルの目の前に立った。
「ケチつけんじゃねーよ!!」
 完全に我を忘れたサムエルは、イドルの鼻先に全力の鉄拳をぶち込んだ。が、このミュータントの皮膚はダイヤモンドかと思えるほどに硬く、逆に不良の拳が傷つく形となった。「いってぇ……!」と、傷ついた拳を擦りながら間合いを取るサムエル。

「俺はお前のことを想って言っているんだ。大人たちを見返してやりたいんだろ? じゃあ正しい知識が必要なことは、お前のような馬鹿でも分かる。それなのに、現実から目を逸らして、どうして矛盾した行動をとる?」
「何も知らねークセして、調子こいてんじゃねーぞ!」
 今度は投げ飛ばしてやろうと、イドルの腰に両手を回そうとする。が、サムエルの手先が触れた刹那、あろうことか10本指の爪全てが、極々小規模な爆発とともに亀裂が走る! 幸い、大怪我には至らなかったが「があぁぁー!?」と悲鳴をあげて身体を丸めてしまう程の激痛が走る!
「分かる。俺には分かる。だから説教してやるんだ。俺の正義を貫く為に」
 仰向けになったまま、激痛と憎しみで歯を食い縛っている少年を、見下しながらイドルが言った。

 
「いやぁ、いい教育になる!」
「大人の階段を登ったわね!」
 エスケーパーを装着した参列者たちは、イドルの思考を追体験することによる快感で、頭を真っ白にしていた。自分たちより生きた時間が短いのに、自分たちよりも活躍する子どもたちを、徹底的に踏み躙って支配する快感だ。
「イドルにはよぉ! 念じただけで物を破壊できる、プロのメーション使いのクローン細胞を仕込んでんだ! オリジナルとは比べ物にならねぇ威力だからな、おめぇ!」
 そのイドルの主であるペムロドは、エスケーパーを装着していないのにも関わらず、参列者以上の狂乱を見せていた。欠陥人間どもが崇める偶像を操り、支配された人間の価値観や人生をも支配する、より巨大な快感によって。

 
「お前は楽して成長することばかり考え、先人が流した血や汗や涙を、蔑ろにしている」
 イドルの純白の羽根が白く輝くと、テーブルの上に置かれていたノートパソコンが、爆発して粉々になってしまった!
「どうして!?」
 ウズマと共に、待合室の隅に退避していたリヤンシュは、気が動転してノートパソコンの残骸に駆け寄った。彼の努力の結晶は、今や火山灰のように椅子とテーブルを覆い尽くしていて、せめて記録メディアだけはと思って粉塵を掻き分ける。
「古いやり方は間違っていると決めつける。お前の傲慢さが表れている証拠だ。古いやり方には、お前も知らないような、大切なものが隠されている。素直に従わないと、いずれしっぺ返しがやって来る」
「僕は何も、決めつけたことなんか!」
 すっかり粉塗れになった両手で、バンとテーブルを叩き付けながら、リヤンシュは抗議した。
「いや、決めつけている。あらゆる可能性を模索する知性があれば、『レイラ中の皆が』なんて思い上がらない。お前は、お前にとっての普通を、皆の普通だと勘違いしている。だから俺が、目を覚ますチャンスを与えた」
「決めつけているのは、君の方だよ!」

 
「あーあ。顔を真っ赤にしちゃって、泣きそう」
「図星を突かれて狼狽えていて笑える」
 思春期に入るか入らないかの年齢で、大人顔負けの知識量を誇るプログラマー。そんな彼の甘ったれた根性を、必要以上に叩き直すイドルの思考を、エスケーパーで追体験する参列者たちは、自分らは眼鏡少年の上に立つ大人だと一様に錯覚していた。
「正論が勝って小気味いいですねぇ!」
「俺に感謝しろよおめぇ! イドルを創ったのは俺だ!」
 正直な所、ルィトカ家の財力なら苦労して金儲けをする必要は無いし、するにしたってもっと効率的なやり方は幾らでもある。ペムロドの真の目的は、レイラ中の人間が崇める強大な偶像を操って、絶対的なアイデンティティを確立させること。
 祝福の言葉だけを主神に告知し、呪詛の言葉は自らが背負う。無限に肥大するであろうペムロドのアイデンティティを、一切穢さない為の守護天使。不滅の心理的障壁。永遠なる偶像。それこそがイドル。

 
「不謹慎極まりない物体だ。存在するだけで皆が不幸になる」
 部屋の隅で、野菜人形を抱き締めたまま震えている、ウズマの方へと近づきながらイドルは言った。
「食べ物に恵まれない子どもたちが、それを見たらどう思う? お前は飢えに苦しむ人間を考えもしないで、絶望の淵に追いやる悪魔だ」
「こ、これは、す、捨て……」
 恐怖で全身を震わせるウズマは、それ以上続ける事ができなかった。
「お前の年下が真似することについては、どう思っているんだ? いずれ食べ物を粗末にする人間で溢れ返るぞ。お前の浅はかな行いのせいで」
 言い終わった瞬間、イドルの羽根が白く煌く。野菜人形は、内側にダイナマイトを仕込まれたかのように、見るも無惨に粉々になってしまった!
 無常にも、火山灰のように足元に降り積もる、野菜人形だったはずの粉塵。大切なお友だちを抱えていたはずの両手を、大きな一つ目に押し付けて、「ぐすっ、うぅ……」と悲痛な声が漏れた。

「お前いい加減にしろー!! 物を壊すことしかできねーのか!?」
 未だに蠢く激痛に身体を丸めながらも、鬼のような形相でイドルを見上げながら、サムエルが糾弾した。野菜人形だった粉塵が触れては、雪のように溶けてしまう為、綺麗な姿が保たれているイドルの後姿。
「俺は自分の正義を貫き通した。あの不謹慎な物体がある限り、この子に幸せな人生は訪れない。だから破壊してやったんだ」
「悲しんでいるじゃないか! 君は間違っている!」
 今度はリヤンシュが糾弾した。唇を噛み、両拳を強く握り締め、無力な自分を呪ってすらいる。
「正義を貫くことは、憎まれ役になることだ。誰からも理解されない生き方だろう。俺はその現実を甘んじて受ける。自分が自分である為に」
「言い訳してんじゃねーぞ!」
「屁理屈だ!」
 無力な子どもがいくら糾弾しようとも、イドルは眉ひとつ動かさない。
「俺は、俺の信念に忠実で在りたいだけだ」

 
「欠陥人間が好きそうですねぇ!」
「負け組どもにウケそうだ!」
 かく言う参列者たちが、イドルの思考や感情を追体験し、悦に浸っている。生意気な子どもに正論を下す思考回路、弱者の糾弾を耳にしても揺るがぬ感情。エスケーパーによって、自分はイドルへと転生したような心地になって、絶対的な支配者として君臨する快楽に酔い痴れる。
「欠陥人間どもは、喜んで中毒になると思いますわ!」
 いや、支配と言うよりは、イドルとペムロドが齎す快楽に従属しているのかも知れない。身も心も偶像と一体化するのを望むことは、偶像を前にして跪いたのも同義。ペムロドの思惑に嵌まっていることに、薄々と気が付いている参列者もいるが、しかし彼らはむしろ従属することに悦びを見出している。
「楽して偉くなれるなら、やらねェ手はねェよなァ!」
「分かったかよ、おめぇ! 俺が欠陥人間に生きる価値を与えてやろうってんだ! 欠陥人間どもの人生は、俺のものだ!」

 服従か支配か。マゾヒズム的かサディズム的か。どちらにせよ、参列者もペムロドも、権威主義を基にアイデンティティを確立している事には変わりない。他者への強い依存によって成り立つ、仮初の”自分らしさ”。
 それは偶像によって現世で肥大化し、自由から逃走した人間を呑み込み、糧にし、融合して、やがて美学や信念を踏み躙る白痴の神と成る。

 

「FU●●●●●●●●●●K!」
 子どもたちの悲痛な叫びや泣き声が流れていたスピーカーから、突如甲高いシャウトが届いた! エスケーパーによって快楽に溺れていた参列者たちは、思わず両手で耳を塞いだ。
「カタツムリ!?」
 テーブルの下から、無数のカタツムリが姿を現したのに気付く参列者たち。毒々しい色の、催眠術で使われるような渦をした、殻を背負っているカタツムリの大群。

「フォーク無しではフライドポテトも食えねぇ、テメェら●無し貴族の為に、オレがエスカルゴを食わせてやるぜ!」
 堂々とホールの正面扉を蹴り破って登場したのは、”背徳の預言者”レジナルド=マーフィー。ダブルネックギターで掻き鳴らされる、邪悪なリフに呼応して、ホール内のあらゆる隙間から次々とカタツムリが出現する。
「イドル! 早くこっちに来て俺を守れよ、おめぇ!」
 ペムロドがそう叫んでから数瞬後、待合室にて透明化したイドルが、ペムロドの真正面にて実体化した。絶えず天使の羽根を輝かせ、近付くカタツムリから次々と木端微塵に破壊し、霧消させてゆく。

 ウナギのように身体をくねらせながら、それはもうカタツムリとは思えない程の猛スピードで、椅子の脚から参列者の身体へと登ってゆく。農園のキャベツみたいに、大量発生したカタツムリ塗れにされたら、こういう生き物が嫌いな人はショック死するレベルだ。
「うわっ!! 気持ち悪い!!!」
「いやぁ!! 来ないでぇ!!!」
 乱痴気騒ぎにあったホール内の雰囲気は一転、カタツムリによって阿鼻叫喚の終末劇場と化した! 我を忘れて、真っ青な顔で逃げ回る参列者もいるが、カタツムリを踏ん付けた際に滑って転び、倒れた所に更なるカタツムリが群がるゾッとする結末に!
「ソースはセルフサービスだ! チキン貴族のゲ●風味エスカルゴってな!」
 イメージ=サーヴァントに纏わり付かれた参列者たちは、特に外傷を受けた様子はないものの、カタツムリの粘液によって眩暈と吐き気を催していた。
「目が回る!」
「吐きそう……」

「なんのつもりだ、おめぇ!?」
 ただ一人、イドルのおかげで無事でいたペムロドが叫び、怒り任せにフォークを投げつける。
「レジナルド=マーフィー……どこにメス入れてもウジ虫しか湧いてこねぇ、欠陥だらけの人間さ」
 参列者たちがもがき苦しむのを見て、一先ず満足したレジナルドは、ギターを弾き終わると共にマジ●チスマイルを見せ付けた。程なくカタツムリの大群は残らず消え失せ、参列者たちは間一髪、ゲ●風味エスカルゴのセルフサービスをせずに済んだ。
「うぉおい!!」「ゴルァ!!」「何すんの!!」「ふざけんな!!」
 愉しみを台無しにされて御立腹な参列者たちは、眩暈で足元が覚束ないままに、レジナルドに詰め寄って拳を振り上げたり、指差したりする。

「謝れぇえ!」「土下座しろ!」「弁えろ!」「自分が何したか考えろ!」「マナー違反だ!」「何様なのアンタ!」
「あァン?」
 レジナルドは老人のように、耳元で片手を広げて聞こえないフリをした。
「それが目上に対する態度か!」「私たちが貴様の給料を払ってやってるのだ!!」「舐めてんじゃないわよ!」「ごめんなさいって言えぇ!!」「赤ちゃんかよぉ!?」
「あァ~~~ンン??」
 詰め寄って来る参列者を押し返すように、負けじと前進しながら聞こえないフリをするレジナルド。
「言葉通じねぇのかよ!」「謝れっつってんの!」「クビにするぞオメェ!」「欠陥人間が!!」「ごめんなさいは!?」
「FU●●●●●●●●●●K!」
 レジナルドはいきなり鋭利なギター音を轟かせ、取り囲んでいた参列者を衝撃波で吹き飛ばした! ドミノ倒しめいて次々と倒れた参列者たちは、眩暈も相俟ってなかなか立ち上がれない。絨毯のようになった彼らを、レジナルドは走り回りながら、一人ひとり踏み付けてゆく!
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「いだいいだい!」
「腹踏み付けんなゴラァ!」
「こいつ頭おかしい……いだっ!!」

 
 一方、イドルが去り、ウズマのすすり泣く声のみが聞こえる待合室に、新たな招かれざる客が入って来た。ホールへと続く扉ではなく、通路に続く方の扉からだ。
「君の使用していたPCが、光学ドライブ搭載型だったのは幸いだ」
 ”思案するガラクタドール”、イグノランスだった。無表情のまま、呆然と立ち尽くしていたリヤンシュの方へと歩んでいく。握っているレーザーライフルには、外付けの光学ドライブが装着されている。
「誰……?」
 半ば投げやりになっていたリヤンシュだったが、イグノランスがふいに銃口を向けて来たので、力士に突き飛ばされたように自ら尻餅を付く。トリガーを引いたのを確かに観た時、身体中から色んな物が飛び出そうになり、目を瞑って頭を抱えた。

 数秒後、特に痛みを感じなかったリヤンシュは、身体をガタガタと震わせながらも目を開く。青紫色の光線が、木端微塵になっていた元パソコンに対して照射されている。細長い光線が、残骸全体を覆い尽くすように拡散している。
「レーザー光を照射することにより、保存されていたデータを読み込んでいる」
 イグノランスの淡々と説明したを聞いたリヤンシュは、敵意が無いことを悟り、安心して立ち上がった。
「そんな技術が、レイラで実用化されているの?」
「ディスク表面上のピットが、粉塵の面積よりも細微であったのが、奇跡的とも言えよう。ただし、ピット自体が寸断された場合は、復元率が低下する」
 外付けの光学ドライブには、進行度合いが青いゲージで表示されていた。おおよそ3分の1くらい進んでおり、完全にコピーするまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。

 
「お人ぎょうさん、おかあさんの心の鏡。たくさんある自分のひとり」
 どこからともなく、呪われそうな言葉が聞こえてくると、すすり泣いていたウズマも涙が止まった。両手をどかし、一つ目で野菜人形の残骸を見下ろすと、まるで分裂したアメーバの映像を巻き戻したかのように、カラフルな粉塵が身体の部位を為してゆく。
「あなたがお人ぎょうさんをだっこするのは、お人ぎょうさんがあなたを守っているから」
 ウズマの斜め前で、底知れぬ闇から削り取ったような、不気味な粉塵が渦を巻く。あんな色、野菜人形のパーツに使っていなければ、ノートパソコンの残骸でもない。
 どこからともなく現れた蝕胞の一部が、半分ほど元通りになった野菜人形の内部へと侵入していった。やがて、野菜人形が元通りになると同時に、蝕胞はあらゆる生物を継ぎ接ぎにしたような混沌とした寄生キノコ人間――”虚蝕”ことティミュリィとなった。

「ほら。今はこの子が、あなたのおかあさん」
 床に転がっていた野菜人形を拾い上げたティミュリィは、大きな一つ目をパチクリさせているウズマに渡してあげた。
「ナカナイデ、ウズマ」
 口は動かなかったが、少しぎこちない声が、野菜人形の腹の中から確かに聞こえた。
「喋った……!」
 さっきまでの涙が嘘のように、パッと笑顔となるウズマ。話すのが苦手なウズマは、よく野菜人形たちに話し掛けながら、自分の感情を確かめていたものだが、まさかこの子の方から声を掛けてくれる日が来るなんて! 夢が叶ったウズマは、ギュッと野菜人形を抱き締めて頬ずりした。
 ここだけの話、ウズマのことが可哀想に思ったティミュリィが、さり気なく蝕胞を寄生させて”自我”を植えつけたのだ。今はまだ、ありきたりな言葉を発するだけの未熟な自我だが、向けられた感情などを糧にして成長できる。母親が毎日話し掛けてあげれば、蝕胞は半永久的に野菜人形に寄生し続け、いつかきっと流暢な言葉を話すウズマの半身になる。

「あなたのおかげで……!」
 さっきの不可解な光景を目の当たりにしたウズマは、目の下が真っ黒な少女のおかげで、野菜人形が喋るようになったことを、それとなく理解していた。
「ううん。あなたのおかげ。たくさんいるあなたのひとりが」
 ティミュリィは、野菜人形を撫でるウズマの手に、自分の手を重ねて言った。

 
「復元率は、99.2%だった」
 限界までデータを吸い上げたイグノランスは、レーザーライフルから外付け光学ドライブを外す。
「不完全な僕を許してくれるのか?」
 光学ドライブそのものを、リヤンシュに差し出したイグノランスは、真剣な眼差しをしている。リヤンシュは視線によって、脳を射抜かれたような感覚を覚える。
「十分過ぎるよ! だって家にはバックアップがあるから、0.8%はそれで補完できるよ、きっと! その内に、この場で打ち込んだプログラムが含まれたとしても、今日一日が無駄になることよりずっとマシ!」
 リヤンシュは慌てて何度も頭を下げた後で、恐るおそる外付けの光学ドライブを受け取った。
「なんてお礼を言ったらいいのか……!」
天上的な愛ウラニオス・エロスを実践しているんだ。精神を研磨する、崇高な行為。肉体ではなく、精神を愛することを」
 そう言ってイグノランスは、片手を広げて握手を求めた。握り返されたイグノランスの冷たい手が熱を帯び、その瞬間初めて彼は存在価値を証明され、無表情のまま頬を赤らめるのであった。

 
 と、突如ホールとを隔てていたマジックミラーに、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。次の瞬間、音を立てて崩壊すると、向こう側に立っていたレジナルドが、間近に立っていたサムエルを指差す。どうやらギターを掻き鳴らした際の衝撃波で、マジックミラーを割ったらしい。
「おい。コイツら●無し貴族どもが、テメェらのこと低●のガキって散々言ってやがったぜ」
「んだとー!?」
 サムエルは、それまで隔てられていた向こう側の景色を見て、全てを察する。
 贅沢過ぎる料理を囲って、何者かたちが大騒ぎしていた形跡。唯一人無事な人間、主催者のペムロドが一番目立つ席に座っていて、庇うように憎きイドルが立っている状況。そして大人たちが転げ回っているのは、目の前のゴキブリ人間が叩きのめしてくれたからだと、それとなく理解できた。
「どいつもこいつも、子どもだからってバカにしやがってー!!」
 サムエルは思わずテーブルに頭突きをかまし、二本角で面を抉り抜いた。
「テメェにコイツをやらぁ! オレと一緒に、オヤジ狩りしようぜ!」
 レジナルドは腕に付けていた、スパイクだらけのアームプロテクターをサムエルに投げ渡した。これを付けて前腕で殴打したら、間違いなく物凄く痛い。

「ああよ! 倍返しだ!!」
 迷わず手に取ったサムエルは、スパイクを装着してホールの方に飛び出していった。レジナルドの背後には、両手で高価なツボを持ち上げているチキン貴族がいるが、気配を察知しながらも敢えて知らんぷりしている。
「死ね! 欠陥人間!」
 今まさに、ツボをレジナルドの頭上に直撃させようとした瞬間、真横からサムエルの前腕が炸裂した! やっぱり物凄く痛い! 「うぎゃあぁ!」と悶絶した参列者を踏み付けながら、サムエルが叫ぶ。
「どうせ暴力はいけねえとか言うんだろ!? 分かってんだよー! お前がそうやって言葉や仕組みで暴力を振るって、俺たちにできる暴力だけを禁止するってことが!」
 忌々しく蹴りで追撃したサムエルは、次々と襲い来る参列者たちに対して、格闘で反撃していった。狡猾で悪徳な大人たちに抗う為の、不良少年ができる唯一の方法であった。必死に生きてきた道を肯定するための。
「やっちめぇな! ワルになってこい! テメェのようなク●ガキが必要なんだ! 大人しいガキばかりじゃ、大人どもに都合の良い世界になっちまうぜ!」

 
「おめぇら! 自分が何してるのかちょっとは考えろよぉ!」
 遂に堪忍袋の緒が切れたペムロドは、大笑いしているレジナルドを指差し、イドルに攻撃を指示した。
「イドル! 手加減してやれよ、おめぇ! おめぇがヒーローになるための踏み台なんだからよぉ!」
「俺が言ってやるんだ。あいつらが間違っていることを。正義を貫くために」
 機械的にそう答えたイドルの、天使の羽根が光を帯びる。直後、サムエルの大立ち回りを観て、腹をよじって笑っているレジナルドの全身に激痛が走った。あらゆる体内器官が破裂したような感覚を覚えたレジナルドは、「あうっ!?」と身体を棒にして硬直し、心臓麻痺したかのようにそのまま倒れ込んでしまった。
「え……!?」
「身体が破裂したってこと!?」
 待合室の中から、外の様子を伺っていた子ども二人は、顔を真っ青にして立ち尽くす。

「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ……!」
 レジナルドは生きていた。実際に体内器官が破裂した訳ではないが、今まで味わったことのない苦痛に苛まれ、脂汗を滝のように流しながらも立ち上がる。
「テメェも大量●戮が好きらしいな!」
 レジナルドはゼーハーと苦しそうに呼吸しながらも、壇上から見下すイドルを指差す。
「お前は腐ったミカンだ。平穏を乱し、罪のない人間を悪に堕とす悪魔だ。音楽を隠れ蓑にして、やってることは弱い人間の為すことと変わらない。だから俺が、皆を代表して手を汚すんだ。自分の正義を貫くために」
「聖戦の為にぶっ●す! いい言葉だよな! 約束された安堵だ! 何も考えなくても、37兆の細胞が射●しっぱなしだ!」
「正義の反対は別の正義。俺のやることもまた、見方を変えれば悪なのだろう。だけど俺は、自分が自分らしくある為に戦う」

 
 ふと、イドルの周囲に蝕胞が集う。渦潮のようにイドルの足元に集積した蝕胞の中から、卵の黄身のように蕩けたティミュリィの腕が飛び出し、その先がイドルの胸に触れた。イドルの全身、そして天使の羽根は、瞬く間に蝕胞によって黒く塗り潰される。
 大量の蝕胞によって、強烈な自我を寄生させて、イドルを止めるつもりだった。が、全身を覆う蝕胞が霧消しても、現れたイドルは依然天使のような美貌を保ち、純白の羽根の煌きは一層強くなっていた。
 直後、イドルの足元に集積された蝕胞が、内側にダイナマイトを仕込まれたかのように爆破された! 元の姿に戻ったティミュリィは、腹を押さえて激痛に耐えるレジナルドの方へと吹き飛ばされた。
「馬鹿野郎、おめぇ! 最高級のAMMだ! メーションなんて効かねぇんだよ!」
 イドルに隠れて、椅子に腰を下ろしているペムロドは、レジナルドの傍で倒れたティミュリィを嘲笑う。

「中途半端な覚悟なら、今すぐアーティストを辞めろ。自分の弱さを克服したいと本気で思うなら、普通はその能力を封印し、別の道を模索するはずだ。普通はな。俺はお前の為を想って言っているんだ」
 イドルが淡々と言うと、エスケーパーを装着した参列者たちは手を叩いて爆笑した。
「普通の人間じゃないからねぇ!」
「欠陥人間ですもの!」
「意思亡き意志が我ら……に絡んでは蹂躙するという悪魔、の児戯が我らがまるで戦火に覆われた廃屋のように」
 興奮して支離滅裂な言葉を話すティミュリィは、両手で身体を持ち上げるが、激痛によって立ち上がれないでいる。
「アァン!? テメェ! 嬢ちゃんは自分らしくやっちゃダメか!?」
 苛烈な痛みで、片膝立ちになっているレジナルドは、再度イドルを指差して抗議した。
「自分らしい人生を歩ませる為に、間違ったことをはっきり指摘するべきだ。俺には分かる。正しい道筋に導かれなければ、最悪の結末が待っている」
「虚無、が……降りてくる歓喜の言葉が金の陽光となってお前は太陽だ! 砂漠で殺す邪悪の化身正義の外套を被った――」
 何とか立ち上がったティミュリィはフラフラしており、その姿を観て参列者たちがゲラゲラ笑う。

 
「アンチノミーを克服する」
 待合室の窓枠から飛び出したイグノランスは、片肘から地面に着地すると共に、レーザーライフルの照準をイドルに定めた。”STUN”の文字が投影されたホロサイトを覗きこみ、イドルの胴体に多重になった円形ロックオンカーソルがあることを確認する。本来、複数のターゲットに向けて同時攻撃する為のシステムを、単体に対する集中攻撃として応用している。
 多重ロックオンしたイドルに向けて、非殺傷の光線を複数同時に発射する! 複雑に絡み合いながら直進し、道半ばで夏の大三角を描くように分離した。それからイドルの胴体一点目掛けて収束し、光線全てが同時に命中した!
 しかし、光線はイドルの身体を麻痺させるどころか、全く同じ軌道でイグノランスの方に跳ね返されてゆく。微かに目を見開いたイグノランスは、後ろに転がって回避を試みるが、間に合わずに頭部に受けてしまった! 激しく痙攣し、手放されたライフルが床に転がる。

「理論ではなく、心で愛を理解してみろ。もっと単純に考えることはできないのか? 誰もお前のように、難しく考えていない。お前のやっていることは無駄だ」
 無疵のままでいるイドルが、イグノランスを見下ろしながら言った。
「君は何をしたいのか?」
 麻痺から復活したイグノランスは、ライフルを拾い直して立ち上がり、尚も非殺傷の光線を発射した。一本ずつ正確に、イドルの異なる部位へと発射するが、手に撃っても足に撃っても光線が反射され、イグノランスの身体が痺れる一方だ。
「お前はお前を愛する人間のことを想ったことがあるのか? カッコつけて自分を犠牲にしても、お前を愛する人間を悲しませるだけだ。何も考えずに戦うだけじゃ、ただの機械だ。お前の為を想って言っているんだ」
 徐々に出力が上がってゆく光線を、微動だにせず跳ね返しているイドルが言った。イドルは僅かに表情を硬くしながら、自身に跳ね返ってくる光線に耐えている。が、遂に重篤な麻痺に耐えられずに片膝をついてしまう。
「いぐのらんす、空っぽにならないで。あなたへの愛で、虚無をみたして」
 ティミュリィがイドルの背中に手を当て、蝕胞を纏わり付かせた。自我を寄生しているのではなく、蝕胞で麻痺の症状を吸い取ることで、イグノランスを治療しているのだ。
「君たちの信念に、悉く白いカラスを示すのは、見ていられない」
 感情が希薄なイグノランスだが、今回ばかりは胸の内で何か熱いものが暴れている。
「見ろ。お前のせいで、誰かが傷ついた。だから言ったのに」
「FU●K!! テメェがやったんだろうが!! ペテン師めぇ!」
 レジナルドは足元に転がっていた皿をイドルに投げつけたが、ダイヤモンドのような皮膚には傷一つ付かない。

 
「ざまあ見ろ! 欠陥人間ども!」
「普通に生きていれば、こんな屈辱とは無縁だったのにねぇ!」
 イドルの思考や感情を追体験していた参列者らは、あらゆる痛みを忘れて狂喜乱舞していた。
「何だよお前らー!? 殴られたらちょっとは痛がれよ!」
 先ほどから憑りつかれたように笑っている参列者たちに、一人ひとりスパイクの殴打をお見舞いしていったサムエルは、奴らの笑い声が全く絶えないことに尻込みした。
「人をバカにするのが、そんなに楽しいこと!?」
 待合室の物陰に隠れたリヤンシュは、携帯電話で警察を呼ぶか否かで悩んでいる。
「いじめ……!」
 弱い者いじめが子どもの世界だけだと思っていたウズマは、3名の生贄を取り囲んで罵詈雑言を浴びせている大人たちに、恐怖している。
「分かったかおめぇ! おめぇらなんか大人しくした方が、世の中の為になる! 普通に生きている奴らを邪魔すんなよおめぇ!」
 イドルの隣に立ったペムロドが、ゲラゲラ笑いながら叫ぶと、参列者たちの声は更に大きくなった。
「欠陥品が!」「悪魔の子!」「犯罪予備軍!」「人間の恥さらし!」「自己満足野郎!」「親不孝!」「三流芸術家!」「幼稚園行けば!?」「赤ちゃんからやり直して来い!」「生きてる価値ないですな!」「何で生まれて来たの!?」「よく生きてられるねぇ!」「死ね!」「死ねよ!」「さっさと死ね!」

「ヒャハハハ! そんなにク●してぇか、テメェら! いいぜ! オレがパンツを脱がしてやる!」
 脂汗を垂れ流しながらも、レジナルドは歯を食い縛ってギターを構えた。
「てぃみゅりぃてぃみゅりぃてぃみゅりぃてぃみゅりぃ……わたしはてぃみゅりぃ。わたしは、わたしのことを好きでいたい」
 自分の名前を連呼して正気を保ったティミュリィは、両手の内に蝕胞を発生させて、撃ち出す準備をした。
「これが限界状況であるならば、理性を捨て、本質を掴みとってみせる」
 イグノランスの目がかつてなく真剣になり、レーザーライフルの銃口をイドルに向けた。

 

 イドルの純白の羽根が煌き、3人のアーティストが僅かに引き下がる。ふと、イドルの頭頂部に影が覆い被さったのを見て、レジナルドもティミュリィもイグノランスも、一斉に天井を見上げた。イドルの足元にある円形の影が、急速に広がってゆく。
 不審に思ってペムロドが眉間に皺を寄せた瞬間、天井から降って来た宝石尽くめの人型が、イドルの頭部に肘を直撃させた! 薄い水色の宝石を、重装鎧のように全身に纏う彼女は、ズドン! と重い音を立てて倒れ込み、床に亀裂を走らせる。彼女が片手を支えにして、のっそりと立ち上がると、物臭そうに振り返ったイドルと目が合った。
「やれやれ……」
 一切痛がる様子を見せないイドルは、宝石鎧の肘の辺りを見つめている。角にぶつけられた卵のように凹み、亀裂が走っている肘の辺りを。純白の羽根が煌くと、その亀裂はミシミシと音を立てながら四肢の末端まで走り、間もなくガラガラと音を立てて重装鎧が崩れさった。

「ミシェル、おめぇ! またワガママかよ!」
 崩れた鎧の中から現れたのは、ペムロドの実娘、”ダイヤモンド=クイーン”ことミシェル=ルィトカだ。露出度の高いロングドレスを着ており、イドルに浴びせた渾身のエルボーの反動で、肘から出血しているのがはっきりと分かる。
「乱入劇を終え、早々に撤退した甲斐がありましたわ。私の留守を見計らった晩餐会とは、どういうお積り?」
 ミシェルは3人の子どもと目配せを交わしながら言った。ルィトカ家に仕える人の中でも、ミシェルの方を支持する人間が、こっそりと告げ口したらしい。
「呼ばれなかった理由ちゃんと考えて物を言えよ、おめぇ! せっかく欠陥人間どもに更生のチャンスを与えてやってんのに、おめぇらのせいで台無しだ!」
 顔を真っ赤にしたペムロドがテーブルを蹴り飛ばす。
「戯言を! 言わないで下さいまし! 更生のチャンス!? 理不尽に反逆する彼らに、貴殿如きが更生など、見上げた横暴さですわッ!」
「おめぇがBASでやってることと同じだろうがぁ! 弱い奴を集団で滅多打ちにして、根性を鍛えてやってんだよ!」

「精神論を押し付けるのは、人間として一番やっちゃ駄目なことだ」
 主人のペムロドを庇うように、守護天使のイドルが喋り出す。
「馬鹿の一つ覚えみたいに根性、気合を押し付けて、それで過労死した人が何人いると思っているんだ?」
「一理ありますわ。――それで? 貴殿の考える改善方法を教えて下さいまし」
 ミシェルは両手の骨をバキバキと鳴らしている。
「僕は自分の正義を貫く。自分が自分である為に」
「あらまあ、詰まらない偶像ですこと。何も考えていない、誇りも信念も持ち得ない。そのような輩の説法など、取るに足りませんわッ!」
 4個のダイヤ指輪を嵌めて、メリケンを装着しているようなミシェルの拳。天井に向かって掲げると、勢いよくイドルの頬に叩き付ける! しかしイドルは全く痛がる素振りを見せず、「はぁ……」と漏らして呆れた。
 それどころか、例によって純白の羽根が煌き、ミシェルの全身に尋常ならぬ痛みが走る! 第三者の視点では、ミシェルが急に歯を食い縛り、微かに前のめりとなり、脂汗を流し始めたように見えた。姿形や音が存在しない、”破壊”するだけのイドルの能力。

「馬鹿野郎、おめぇ! 何もできねぇ欠陥人間どもは、こういう奴が好きなんだよ!」
 激痛に悶えているミシェルを見て、ペムロドが大笑いしている。
「ほら! 根性ですぞ~! お嬢さま~!」
 エスケーパーでイドルの人生を追体験している参列者たちも、大爆笑している。
「おめぇが好きな、誇りも信念も根性も気合も、欠陥人間の人生には不要なんだよ! 適当に飯食って糞して、ヒーローや可愛い女がぶち殺されるところ見てりゃ満足なんだよ! あいつらそれで、全てを悟ったみてぇに澄ましてやがる!」
 壊れた猿のオモチャみたいに手を打ち鳴らしながら、イドルの方へと歩んでいくペムロド。
「おめぇらは大人しく踏み台になってるこった! 欠陥人間は変わることが嫌いだから、一人完璧なアーティストがいれば十分だ! エスケーパーが完成したら、おめぇらにも分けてやる! イドルとエスケーパーを作った俺に感謝しろよ、おめぇ!」
 歯を食い縛っているミシェルをはじめ、レジナルド、ティミュリィ、イグノランス、サムエル、リヤンシュ、そしてウズマを、順々に指差しながら、勝ち誇ったように叫んだ。今やペムロドは、偶像を産み落とした邪神そのもので、人間を超越した力で価値観を支配する快楽に酔い痴れている。

 
「あらお父様。完璧なアーティストを名乗らせるなら、もう少し改良が必要なのではなくて?」
 脂汗を垂れ流しながらも、ミシェル不敵に笑ってみせる。
「何言ってんだぁ、おめぇ!」
 ミシェルが精神論に依存して、現実逃避をしているようにしか思えなかったので、ペムロドや参列者はゲラゲラと笑った。
「すぐに気合に頼る癖を直さないと、最後にはお前に跳ね返って来るからな」
 呆れながら言い放ったイドルの額には、一筋の血が流れていた。頭にエルボーを落とされた際に、僅かながら傷を受けたのだ。
 ふとペムロドがイドルに目を遣ると、「はぁ!?」と怒鳴って顔色を変えた。それこそ偶像のように佇んでいたイドルは、物臭そうに額を撫で、赤く染まった指先を見る。
「まったく……」
 眉を顰めて呟いたイドルに、顔を真っ赤にしたペムロドが掴みかかり、激しく揺さぶった。不滅の心理的障壁、無垢な守護天使に泥が塗られるのは、許されざること。主人の顔に泥を塗るにも等しい、裏切り行為なのだ。
「ボーっと突っ立ってるからだろ、おめぇ! 俺におめぇのケツ拭かせるつもりか!?」

「なんて厄日だ……!」
 戦いで一切傷を受けない、無敵の自分という精神的拠り所が揺らぎ、イドルはストレスを感じていた。
「何やってんだ!」「調子に乗ってんじゃないわよ!」「欠陥人間以下かよ!」
 エスケーパーでイドルの思考を追体験していた参列者らは、狂喜が瞬時に反転して憤怒に染まった。我を忘れて快楽を訴えていた彼らは、我を忘れてイドルに罵詈雑言を浴びせていた。
「うわあああああああ!!!」
 イドルはペムロドを突き飛ばすと、激しいストレスから齎される頭痛に頭を抱えた。
「うおぉい! 何すんだおめぇ!」
 背中からテーブルに突っこみ、あらゆる食器を破壊したペムロドは、這う這うの体で逃げだした。
 エスケーパーを外すことすら忘れた参列者らは、イドルのストレスを追体験することで、更に汚い言葉を浴びせまくる。イドルのストレスが増大する程に、エスケーパーを通して自分が苦しむことも忘れて。
 次第に言葉だけではなく、皿やフォークや空き瓶まで投げ付けられた。ストレスによって集中力を削がれている為か、頭を抱えたまま動けずにいるイドルは、投擲物を身に受ける寸前で破壊できないどころか、マトモに受けて傷を受けている。
「テメェガリ勉ブレインのゲ●野郎か? 初めて皮剥いたくらいで夜泣きしやがって」
「みんな意識が溶けてひとつのホットケーキになっちゃった」
「失われた半身は、やはり共依存では埋める事が不可なのか?」
「まあ、なんてだらしのないこと。自分らしさを貫くならば、今すぐ立ち上がってみせなさいッ!」
 飛び交う投擲物が当たったら危ないので、4名のアーティストはイドルから離れた所で屈んでいる。

 
「うおぉい! さっさと緊急停止させろよ、おめぇら!!」
 参列者の輪の外側に避難したペムロドは、近くにいる召使いたちを手当たり次第に殴り飛ばしながら叫ぶ。
「俺に恥かかせるつもりかおめぇ! スイッチ押すのもできねぇのかよ!? 頭おかしいんじゃね!?」
「その……緊急停止スイッチが……何者かに盗まれてしまって……」
 召使いの中の一人、マルコという青年が恐るおそる告げた。リーダー格とも言える存在だが、召使いとしては経験が浅い。しかし、他の召使いはマルコよりも若いから、仕方なくリーダーを務めているのだ。
「盗まれてしまってじゃねぇだろ、おめぇ! おめぇのせいで晩餐会が台無しだ!」
 ペムロドはまずマルコを蹴り倒すと、近くにある皿やフォークや椅子を、次々と顔面目掛けて投げ飛ばす。マルコに庇われた若き召使いたちは、どうにもできずに硬直している。

「何で報告しなかった!? あぁ!?」
「ふ……紛失したことが表沙汰になったら、晩餐会が台無しになると思って、さっきまで全員で探し回っていましたが……」
 鼻血を出しているマルコが答えた。その目は虚ろ。この失態を報告したら、部下共々酷い目に遭わされることを確信していたが、面と向かってそう言えるはずがない。完全な存在であるイドルを、緊急停止させる必要は無いだろうと、自分に言い聞かせていたが、不運にもミシェル軍団の乱入によって失態が露呈してしまった。
「誰がそんな事しろっつった! 自分で勝手な行動するなっつっただろ! 責任は自分で取れよおめぇ!」
 ペムロドに股間を蹴り飛ばされ、マルコは両目を強く瞑って丸くなる。
「ど、どうすれば……?」
「それくらい自分で考えろよ、おめぇ!」
 ペムロドはムシャクシャして、マルコの顔面を乱暴に踏み潰した。確かに、スイッチを紛失したのはマルコの失態に違いないが……。

 

「そちが所望するのは、これのことか?」
 何食わぬ顔で、ペムロドの背後から躍り出てきた、孔雀人間の女性。ベリーダンス風の衣装に身を包んだ女傑、”纏璽玉膚てんじぎょくふ”の茶恩だった。薄手のアームカバーを纏った手には、緊急停止スイッチが握られている。
「なに人の物勝手に盗ってんだ! 提訴すっぞ、おめぇ!」
 怒鳴ったペムロドは無視して、4名のアーティストの前に立つ茶恩。

「御見事ですわ、茶恩ッ! やはり私に奪われることを恐れて、召使いはあえてスイッチを携帯しなかったようですわね」
「ちなみに、どこにかくれんぼしていたの?」
「此処より最寄りの紳士御手洗い、不自然な壁掛け鏡の裏側ぞ。テコを利用しても微動だにしなかったが、植木鉢の底面に押し釦が在り、解除したら壁ごと開いた」
「何故そこにあると分かったのか?」
「吾等の強奪を未然に抑え、且つ有事の際は即座に持ち出せる。加えて、赴くに自然を装える場所となれば、召使いの筆頭が男である観点からも、紳士御手洗いの可能性が高くなるものよ」
「テメェ頭良いな! コイツが『ク●して来る』って便所に行けば、確かに気づかれにくい!」

「うわあああああああ!!!」
 悪役アーティストらが呑気に語らっている間にも、イグノランスと参列者たちは同士討ちに熱中していた。茶恩は芝居掛かった様子で、緊急停止スイッチをこれ見よがしに押し込んだ。
「うっ……」
 ミュータントの体内に仕込まれた何かが作用して、イドルはバタリと倒れてしまった。参列者らも、糸が切れた人形のように、座り込んだり倒れ込んだりした。

「死ん、だの……?」
 ウズマは自我が芽生えた野菜人形と抱き合いながら、見てはならぬものを見て、小刻みに震えていた。
「彼奴は気絶したのみぞ。エスケーパーという、あの伊達眼鏡を掛けた者等は、彼奴の思考を追体験して虚脱感に襲われた」
 まるで託児所の職員が子どもに言い聞かせるように、声の調子だけを変えた茶恩が、おもむろに子どもたちの方へ歩んでいった。屈んで、三人組と目の高さを同じくすると、腰に巻いていた宝石やら何やらを差し出した。
「是。そち等にルィトカ家の財宝をくれてやろう。巨腹の肴と化すよりも、後の世の英傑に投資した方が、財宝も破顔する。是を売り払い、パソコンでも上着でも、野菜人形の農場でも買うが良い」
 それがこの家から盗んだ金銀財宝であることは、リヤンシュやウズマの目にも明らかだった為、二人は互いに顔を見合わせて困惑していた。

「姉ちゃん。ひょっとして”テンジギョクフ”か? 映画に出ていただろ」
 喧嘩好きなサムエルは、昔観たアクション映画に茶恩が出演したことを知っていた。おぼろげな記憶だが、確か悪い奴が一人占めしているお宝を盗んで、皆のために分け与えている、正義のヒーローだったはず。
「如何にも。吾は喜ばしいぞ。そちのような子供にまで、吾の名が知れ渡っているとは」
 茶恩が言うと、サムエルはしたり顔で金銀財宝を受け取った。「有名人……?」とウズマが恐るおそる訊くと、茶恩が「うむ」と答えた。
「やった……! これでプログラムの続きができる!」
 まだ完全には信用していなかったが、まあサムエルも受け取ったことだし、リヤンシュもウズマも今後の活動資金を頂くのであった。
 
「うおぉい! 人の物盗るなっつってるだろ、おめぇ!」
 散々狼藉を働かれたペムロドは、自分の着ている服を引き裂かんばかりに怒り狂っている。
「茶恩、私が許しますわ! この豪邸に住む私がッ!」
 心の底から憎い父親に対抗するように、ミシェルが声を張り上げる。
「ガキの人気取りができて幸せもんだよなぁ! 根っからの悪党のクセして、善人ぶりやがってよぉ、おめぇ!」
「そちの創造主芝居に比べれば、余程有意義だと思うが?」
 おもむろに立ち上がった茶恩が、激しく指差してくるペムロドの方を向く。台本通りのセリフを言われたに過ぎないという、余裕の表情だ。
「ガタガタ芝居っつってんじゃねぇぞ! なぁにが”纏璽玉膚”だ! おめぇはベビーシッターを雇う金があるクセして、子育てごときで芝居から引退した、ワガママ女じゃねぇか!」
「なぬ……?」
 茶恩の顔付きが一気に曇る。
「そしてガキがいじめられたら、何食わぬ顔でアーティストデビューだぁ!? 芝居しかできねぇ女が、殺し合いできると思ってんのか! そもそも、芝居でのし上がって調子こいてる女のガキなんか、いじめられて当然だろ! 嘘吐きの成り上がりに育てられたガキは、芝居しか能のない嘘吐きに決まってるだろ、おめぇ!」
 言っている内に、ペムロドは上機嫌になっていた。あの纏璽玉膚が犯したミスを指摘するのは、鋭い観察眼と教養の深さが不可欠に違いないからだ。

 
 と、茶恩が一歩踏み出したかと思うと、その一歩で数メートル離れていたペムロドとの距離を瞬時に詰め、いつの間にかペムロドは水平に蹴り飛ばされていた!
「己! 詫びろ! 吾の娘に!」
 壁に激突し、例によって「うおぉい!?」と怒鳴ったペムロドに、再度間合いを詰めての回し蹴りをお見舞いする茶恩。脚に玉璽纏ぎょくじまといを装備しているため、ペムロドでも何とか耐えられるくらいに攻撃力が低いが、壁に叩き付けられた際の痛みが体内に響く。
「そちの様な輩が蔓延る限り、吾等の家庭に安息は訪れぬのだ! 身代金目当ての悪漢共が、何時娘を誘拐せんかと震え慄く日々! 否が応でも衆目を集める重圧に、幼き魂が擦り減らされる日々! 吾の目上の俳優等は、斯様な苦痛に人知れず涙していた……!」
 2度目の蹴りにより、壁にもたれてぐったりしているペムロドの前で、憤怒が籠められた身振り手振りを交えながら語る茶恩。
「故に我は帰家穏坐したが、己んぬる哉、星の巡りには抗えぬものよ。左様なら、人事を尽くして天命を待つまでと、今一度闘技の世に身を投じた。吾の娘を謗る者に、恐慌の玉璽を刻印せんが為!」
 茶恩はペムロドの顔面に渾身の蹴りを叩きこんだ! 玉璽纏によってペムロドの顔に、立派な飾り羽で渦を巻く孔雀の印が刻印される。弱体化されても尚強烈な蹴りを受けたペムロドは、最早怒鳴ることもできない。

「落ち着くんだ、茶恩。君の事情はよく分かるが」
 イグノランスの諫言に耳を貸さず、我を忘れている茶恩は、4度目の蹴りをペムロドの腹に突き刺した。骨の髄まで強さを思い知らせなければ、調子に乗った悪党が子どもを攫うかもしれないし、目の届かない場所で子どもがいじめられるかも知れない。
 ふいに、茶恩の背中が蝕胞に覆われる。背中から小さなキノコが生えてきて、5度目の蹴りを放とうとしていた茶恩は、寸での所でピタリと止まる。
「”憂鬱なアンネローゼ”を寄生させ、隕石が落ちてくるだうんの自我は……」
 一瞬興奮状態に陥ったティミュリィだったが、ふっと目を瞑って正気を取り戻す。
「……すまぬ」
 ほんの少しだけ自己嫌悪を感じた茶恩は、振り返るとティミュリィたちに頭を下げた。
「今このヤロウをぶっ●せば、姉貴の計画も台無しだぜ~?」
 マジ●チスマイルを浮かべながらおどけるレジナルド。

 
「何が姉貴だ……。俺がおめぇらを養ってやってんだ。勝手な行動すんじゃねぇ……」
 相も変わらず粗野な物言いだが、すっかり勢いが消沈しているペムロドである。
「ご存知ないのかしら? お父様。ここに集う豪勇の士は、大金に誘われた羽虫ではありませんの。下克上の世を成就せんとする、同志ですわッ」
 両手を腰に当てて、威風堂々とペムロドの前に立ちはだかるミシェル。形式上ではペムロドに雇われている4名のアーティストも、ぐったりしているペムロドを取り囲む。
「ですが、安心してくださいませ、お父様。私は敢えてお父様の手駒と成りますわ。偶像崇拝を蔓延させるのも、権謀術数で私を祭り上げるのも、大いに結構」
 ミシェルはペムロドが着る服の襟を掴み上げ、強制的に立ち上がらせる。
「私は、それすらも逆手にとって、下克上が常となる風潮を作り上げてみせますわ。まずは大衆娯楽で人心を掌握し、ゆくゆくはレイラ中の”奴隷”を解放するためにッ!」

「うるせぇ……! おめぇが気に食わねぇ奴を蹴落とすための、言い訳じゃねぇかよぉ……!」
 ミシェルがクローディアを激しく嫌っているのを、ペムロドは知っていた。その対抗意識を切り口として、ペムロドがこの偶像崇拝作戦を企てているのだ。
「えぇ! 気に食いませんとも! 私は! 家柄や権力のみに甘んじる恥知らずが全員! お父様のようなッ!」
 声を張り上げたミシェルは、父親を突き離して壁にぶつけた。
 こういう父親を持ってしまったミシェルは、本当の意味でルィトカ家らしいことを――腕っぷし一つで這い上がる逆転人生を求め、バトル・アーティストとなった。だからこそ、(少なくともミシェルの主観では)生まれ持った才能や権威で、自作自演の三文芝居に酔っているBASの看板娘が許せないのだ。もしかしたら、ペムロドと重ね合せているのかもしれない。
「どうぞ、全財産を投げ打って挑んでご覧なさい。私はそれを、正面から叩き潰す。そうすれば、誰も言い逃れができませんわ。気合と根性が、家柄や権力に打ち勝ったことをッ!」
「ほざいてんじゃねぇぞ、おめぇ! 勝つのは俺だ! 俺の思い通りになるんだよぉ!」
 威勢を張ったペムロドは、晩餐会の会場から一目散に逃げていった。イドルが横たわり、参列者らが無気力でいる中、アーティストや子どもたちの笑い声に顔を真っ赤にしながら、ホールを後にした。

 
「サンドバッグかよ俺は……。だったらジム行ってこいっつーの。まったく……有給とるの許してもらえないだろうし」
 他の召使いが立ち去って行く中、マルコは床に顔を埋めながら、心情を吐露していた。顔にケガを負っているが、あまり気に留めてないように思われる。
「俺が訴えても、どうせ弁護士に頼んで、有耶無耶にするんだろうなぁ。俺みたいな一般人では勝ち目がないし。でもお金無いしなぁ……」
 ぶつぶつ言いながらも、立ち上がる気力が残っていない為、その場に胡坐をかいてぼーっとしている。そんな召使いのリーダー格に、ミシェルは歩み寄っていく。
「いいですこと?」
 青年の両肩を鷲掴みにしながら、至近距離で声を張り上げるミシェル。
「奴隷とは、無能な人間の元に付きながら、牙を研ぎもせず、不平不満のみを言い、あまつさえ迎合して己を捨てる者のことですわッ!」
 マルコは「うるさい」の一言を言い返す気力も無く、死んだ魚の目のまま、ミシェルに揺すられるがままだ。
「悔しくありません!? 主人にやり返したいのではなくて!? 貴殿が平和主義者だとしても、この状況から逃亡したいとは思っているはず! それなのに、どうして行動しませんのッ!?」
「お前に何が分かる? 父さんが死んで母さんも病気、妹は学費に喘いでいる。ここは収入だけは良いからな。転職したところで、状況が良くなる訳がない」
 ミシェルは硬直し、数秒間険しい顔でマルコを直視しした後、両肩からそっと手を離す。
「――それでしたら、仕方がありませんわ」
 勢い任せで言い放ったことを、ちょっと反省したミシェルは、決まり悪そうにマルコに背を向け、腕を組んだ。

「そうですわッ……! 反逆心を持ちながら、ただ一つの機会すら巡らない悲劇の者が、この世にどれ程いることかッ!」
 ミシェルは、真に優れた権力者が果たすべき義務を思い起こし、即座に行動に移す。
「そもそも決闘場とは、そのような勇士に逆襲のチャンスを与える、神聖な場所であったはず。それも今や形骸化したお遊戯会」
 居ない相手に難癖付けながら、メーションで異空間から現したのは、ミシェルが所有する現ナマ。封筒に入れず、胡坐をかいて俯いているマルコの目の前で、札束を床に叩き付ける。マルコは瞬きもせずに札束を見詰め、数秒後に不思議そうに漏らした。
「……これは……?」
 姉貴と慕われるペムロドの娘のことは、マルコも一応耳にしている。どうせなら、ペムロドよりもミシェルの下で働きたかったと、少ない休憩時間中に仲間とよく愚痴っていたものだ。並ならぬ才能の持ち主が、宝くじを当てるような強運に恵まれてありつける、夢のまた夢のような幸せだろうなと。
「足りませんの? でしたら、これ以上は私の下で働きなさい。私が現場を目撃した以上、もうお父様を恐れる心配はありませんの。また殴られたりしたら、私が半殺しにしてやりますわッ!」
 ミシェルは指の骨をボキボキと鳴らした。この金剛女王なら、本当に父親を半殺しにするだろう。
「君に何の得があるんだ? 俺なんかを助けて……」
 とっくの昔に、闇黒の運命を受け容れたマルコは、希望を抱くことによるリスク、すなわち恐怖や恐れが胸中で渦巻いていた。おおよそ何年ぶりに感じた”苦痛”なのだろうか。

「敢えて自分の為と言わせて頂きますわッ! 真の強者が人の上に立つ、正しき世の為にッ!」
 ミシェルが声を張り上げると、初めてマルコは女王の顔を見上げ、瞬きをしてみせた。
「ウ●コを我慢するより、便所に流した方がスッキリするだろ?」
「財宝は、価値ある者が手にしてこそ、高貴に煌く。又、吾は切望している。健やかな家庭を」
「人類史とは、腐敗と革命の反復ともいえ、その度に自由精神の概念も発達してきた。”愛”の概念が昇華される瞬間に立ち会えることは、僕にとっても興味深い」
「みしぇるたちに自我を観測されるとね、わたしも火事になったみたい。今はまだ寄生ちゅうだけど、いつかは旅立つの」
 ここぞとばかりに、他の4名も声を張り上げる。
「来いよ! 一緒にぶん殴ってやろーぜ!」
「お兄さん、経緯はともあれ、その歳でリーダーが出来るのは凄いことだと思いますよ」
「一緒だよ……みんな、気持ちは……」
 見知らぬ子どもたち――自分よりずっと才能や幸運に恵まれた子どもたちまで、温かい声を掛けてきた。
 支配者の束縛から解放され、奴隷の枷を投げ捨てた瞬間、マルコの自由意志に基づく初めての行動は、一筋の涙を流すことであった。

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