ドロテアvsカリナ

 曲がりくねった木や、異様に丈の長い木などが、絡み合うように密集しているせいで、”バッシュレンヒーザ”と呼ばれるその地帯は、昼にもかかわらず薄暗い。不気味な植物が多く繁茂するせいか、この森には魔女が住んでいるという言い伝えが存在する。密猟者を捉えて釜で茹でて食うとか、不老不死のために迷い込んだ子どもの生き血を啜るだとか、大概は森の奥深くに行くのを躊躇させるものが多い。
 有毒、無毒問わず様々な品種のキノコや、病気に効くとうたわれる薬草などが繁茂しており、また魚釣りの穴場でもある。キノコ狩りや薬草採集のために、勇んでこの森に足を踏み入れる者も少なくないが、狼をはじめとした獰猛な野生動物も生息しているため、魔女が不在でも危険な場所であることには変わりない。
 非常に広大な森、あるいは山地であるために、古くから多数の集村が、この森と密接に関わって生きてきた。林業や観光業が発展しており、近場にある集村では、蒸留酒やソーセージなどが特産品。高原地帯においては、農業や牧畜も盛んだ。また、古来より多くの吟遊詩人や文学者が、この森をモチーフとした作品を創ってきたために、詩や童話に関する博物館や街道も有名であるという、意外とメルヘンチックな一面もある。

 大きな木々が連なるせいで、反り立つ壁に挟まれたかのような車道から少し逸れた、バッシュレンヒーザの開けた場所が、今回の出張ライブのステージだ。僅かに深入りしただけでも、日食が起きたかのように辺りが薄暗くなり、奇々怪々な植物が密生する景色も相俟って、遭難したのではないのかと不安な気持ちに陥る。
 見えない壁で囲われた開けた場所には、多数の松明や篝火によって十分な明るさを確保していた。悪魔の笑い声が聞こえてきそうな薄暗さの中で、人目を忍ぶように点けられた炎の揺らめきは、邪悪な魔女たちが集う魔宴サバトを彷彿とさせる。
 ステージの端の方で佇んでいるのは、赤い目と、赤い鱗に覆われた尻尾持つ、蛇人間。人呼んで”スカーレット=ピグチェン”、赤い姫カットとそばかすが特徴的な魔女、ドロテア=ギンザーニだ。
 黒い毛皮ファーポンチョ、黒いフェザースカート、黒のファーブーツといった、野性的な魔女服がコスチューム。アクセサリーとしては、赤黒い宝石が煌く皮のブレスレットに、蛇柄の赤黒ベルト、そして赤い羽根が付いたインディアンネックレスだ。

「オ、オルガ様……ここにいて大丈夫なんですか?」
 微かに震えているデルフィーヌが、か細い声で言った。赤が基調で白いフリルのついた、ロココ調の華麗なドレスを着て、おでこを見せるミルクティーのロングヘアをした少女。少女漫画のように、細くて薄幸な瞳を持っていたり、若干病的にすら感じられる蒼白い肌をしているのは、デルフィーヌが等身大の球体関節人形であるからだ。
「いよいよ辛抱堪らんか? お主は来歴が来歴じゃから、血腥い残酷劇グラン・ギニョールの開幕が直近となって、臆病風に吹かれても無理はあるまい」
 デルフィーヌの隣に立つオルガ=アントネッティは、甘ったるいような、どす黒いような、しかし確かに優しさを籠めた声で言い聞かせた。身長が低く、かなり白い肌をした十代半ばの少女に見えるが、その実かなりの老年だ。時を操るメーションを、絶えず己のみに掛け続けることで、本人曰く”究極の美貌”を保っているのだ。
 着ている服は、肌の露出がかなり少ない、豪華絢爛なゴシックロリィタドレス。短い黒ベール付きのヘッドドレス、真っ黒なレース手袋、真っ黒なワンストラップシューズ。童顔だが、近寄りがたい目の光を放ち、髪型は真っ黒な縦ロールロング。背中には、黒を主色とし、青緑色の帯が貫いている四枚翅がある、蝶人間だ。

「緋蜥蜴も心得ているから、お主が劇中で退館したところで、咎めはせんよ。即刻にでもこの場から立ち去りたいならば、妾が転送装置まで手を引いて行ってやるぞ」
 先日ドロテアから「デルフィーヌがBASのライブを観に行きたいんだって」と聞いた時、オルガは思わず耳を疑ったものだ。兼ねてからデルフィーヌの境遇は耳にしていたが、どう考えてもBASにいい思い出などある訳がない。強いて良い思い出を挙げるなら、こうしてドロテアたちと巡り会ったきっかけであることくらいか。
「い、いえ。私、頑張ってドロテア様を応援するって、決めましたから……」
 ドロテアと一緒に暮らす内に、気が付けば自分の臆病さを克服したいと考えるようになったデルフィーヌ。ドロテアのようになりたいという一心なのか、あるいは恩返しのつもりなのか。それとなく、デルフィーヌがドロテアに憧れていることは察していたので、オルガは口元を吊り上げながら、黙って頷いた。
「でも、あの人たち、襲って来たりしませんよね……?」
 そう言ってデルフィーヌは、怯えた子猫のような両目を、向こう側の観客席の方へ向けた。

「おう、入場料分楽しませてくれンだろうなァ?」
「しょっぺぇ戦いしやがったら、ぶん殴るから覚悟しとけよォ!」
 見えない壁を挟んだ、デルフィーヌたちが位置する観客席とは対極側に集うのは、半ば暴言や強迫に近い言葉で応援している、柄の悪い男たち。
「分かった、分かったから、ちったぁ黙ってろ、べらぼうめェ」
 咥えていた煙草を指で挟んだまま、心底うんざりしたように言い返したのは、”暴走蒸気機関車”ことカリナ=ベタンコウルト。伸ばし放題にした藍色の髪型を、結びもせずに垂れ流している。首や腕がもふもふの毛で覆われているのは、熊から進化を重ねてきた人間であるからだ。
 ヘソ出しのタンクトップを着ており、左肩甲骨にある黒い”剣”のタトゥーや、割れた腹筋を大胆に露出させている。所々煤がこびり付いて黒ずんだ、カーキー色の作業ズボンを履いていて、鉄道線路のような形状をしたベルトで締められている。
 特殊な革でできたサスペンダーの、両肩部分が大きなパッド状になっているのは、すぐ傍の地面で突き立ている武器を担ぐための工夫だ。軽くて長くて、握りにあたる部分がオートバイのアクセルグリップのようになった、諸刃の機械大剣の名前は”ボイト”。
 グリップを回すと刀身が高速振動を開始する。すると、刀身は赤くなって高熱を帯び、溶断された者は血液が蒸発してしまうのだ。サウナのような蒸気を放出することで、放熱しながら攻撃することもできる。特殊な黒煙を噴出させ、切っ先から火花を散らして誘爆させることも可能など、かなり多機能な機械大剣だ。
「成程。恐喝罪の嫌疑をかけられても、文句が許されん連中ではあるな。じゃが、心配には及ばん。万が一狼藉を働こうものなら、妾が鉄槌を下してやる」
 見るからに喧嘩っ早い男たちに、蔑むような視線を送ったまま、オルガは優しい声でデルフィーヌを安心させた。

「テメェ、服の下に何仕込んでやがる? ヘソクリか?」
 吐き捨てた煙草を足底で潰しながら、ぶっきらぼうな調子でカリナが問う。先ほどドロテアの黒ポンチョが、もぞもぞと動いていたから、暗器か何かを隠している可能性が高い。それを確かめる為に、本人に直接聞くと言うのが、実に直情的なカリナらしい。
「さあ? お腹の虫が鳴っているのかも。おやつ時だわ」
 キツイ調子の声が返ってくると、カリナは突き立てた機械大剣を引き抜き、その切っ先をドロテアに向けた。
「とぼけてんじゃねェぞ」
 カリナの背後から、「やっちまえ!」だの「ぶっ潰せ!」だの、分かりやすい声援が大きく轟いた。ライブ開始のゴングが鳴り響いたのは、それからすぐだった。

 

 ライブ開始のゴングが高鳴った直後、ドロテアは片腕を前に突き出し、手首を上にする。すると、手首の血管から暗緑色の蛇が飛び出してきて、機械大剣を脇で構えたまま猪突猛進してくるカリナに迫る!
(たかが長虫一匹じゃねェか!)
 飛び道具のように掛かって来るイメージ=サーヴァントを、一刀両断するために、カリナは大剣を垂直に振り降ろした。タイミングこそばっちりだったが、蛇は身体を溶断されながらも、残った頭部のみでカリナの手の甲に噛み付いた!
 縄のように切断された蛇が霧消した直後、カリナは前のめりに倒れそうになった。咄嗟に大剣を地面に突き刺し、杖代わりにして何とか持ちこたえた。極めて急速な麻痺を引き起こす、蛇の神経毒が作用したのだ。

 カリナが一瞬だけ麻痺している間、ドロテアは羽織ったポンチョの中に手を突っ込み、蜘蛛の糸がぐるぐる巻きになった太い棒を取り出した。そのまま放り投げられた太い棒が、ドロテアからやや離れた位置にコロンと転がると、そこを中心点として巨大な蜘蛛の巣が地面に展開された! この蜘蛛の巣に足を突っ込めばどうなるか、想像に難くないだろう。
 すぐに立ち直ったカリナは、突き刺した大剣をぶっきらぼうに引き抜いた。向こう見ずで突進を再開したものの、蜘蛛の巣に足を囚われる寸でのところで、急ブレーキをかけて立ち止まる。
(小細工ばっかりでうざってェな……!)
 ドロテアはその隙を逃すまいと、手首から数体の淡褐色の蛇を繰り出してきた! 地面に張り巡らされた蜘蛛の巣の上を通過する蛇らは、束のようになっていて、一本の巨大な触手のようにも見える。
 本能的と言うべきなのか、それとも学習能力がないと言うべきなのか――カリナは機械大剣のグリップを、雑巾を絞るかのように捻って、刀身から黒煙を噴出させながらの強烈な水平斬りを放つ! 真っ二つに溶断された蛇の束は、四方に飛び散り、最後っ屁でカリナの身体に噛み付くことはなかった。

 片腕から繰り出した蛇の束が切り裂かれたので、ドロテアはもう片方の腕から、新たな蛇の束を繰り出す。斬撃を終えるとともに、次の斬撃の構えに即座に移行できる、攻防一体の剣術を用いているカリナは、続けざまに迫って来た蛇の束をも、容易く水平に溶断した。
 地面に展開した蜘蛛の巣を盾にしつつ、リーチの長さを活かしてドロテアが一方的に攻撃を加える。ラッシュの最中、さり気なくポンチョの中に手を突っ込み、黒い液体が詰まった瓶を足元に落とす。瓶が割れると、黒い液体は意思を持ったように地面へと潜ってゆく。

 連続して放たれる蛇の束を、次々と切り捨てているカリナは、ドロテアの連続攻撃の僅かな合間を見いだし、何もない場所で大剣を垂直に振り下ろす。剣先から噴出した黒煙が蜘蛛の巣にふれ、残留物が付着した直後、大剣を下から上に切り返した。剣先で火花が散った次の瞬間、黒煙が付着した蜘蛛の巣が爆破された!
「よーしよしよし! 一気に決めちめェ!」
 野太い声援を受けたカリナは、ドロテアに向かって突進する。互いを隔てるものは霧消したし、ドロテアは手首を上にしただけで、蛇の束を繰り出してこない。スタミナが切れたのか、焦ってイメージが途切れたのか。
 足がとても速いカリナが、もう一歩踏み込めばドロテアを溶断できる、その寸前のことだった。何かが踵より少し上の部位に食らい付き、カリナはまたも転倒しそうになった。
(今度はなんでィ……!?)
 大剣を地面に突き刺し、片膝立ちとなっているカリナが振り返ると、腸のように赤くグロテスクなミミズが、地中から現れていたのだ。黒い液体を触媒にして、召喚されたイメージ=サーヴァントが、背後から奇襲を仕掛けて来たというわけだ。
 刹那の好機を逃さず、ドロテアが手首から蛇の束を繰り出す。数体の蛇は、全員が同じタイミングでカリナの顔面に噛み付いた!
「彼奴らの出血毒は、実に長らく獲物を責め苛むものよ。ククク……」
 何度もドロテアとのスパーリングに付き合ったオルガは、皮肉交じりに呟いた。

「てやんでェ! うざってぇ真似ばっかしやがって!」
 杖代わりにした大剣のグリップを、雑巾みたいに両手で絞るカリナ。毒蛇の束に噛み付かれたせいで、身体の節々が圧迫されるような痛みに苛まれ、重い風邪を患ったかのように発熱している。
 突き立てた機械大剣の剣身から黒煙が噴出し、それはドーム状となって周囲に拡散した。
(……何か来るわね)
 カリナの目の前に立っていたドロテアは、急いで身を翻し、全速力でその場から遠ざかってゆく。ちゃっかりと、ポンチョの中に手を突っ込んで、新たな触媒を進行方向に放り投げる。薄茶とこげ茶が入り交じった、フクロウの羽根だ。
 ほんの二、三秒後、カリナは勢いよく立ち上がるとともに、機械大剣を引き抜きながら下から上に振るい、剣先から火花を散らす。次の瞬間、真正面に漂っていた黒煙が派手に爆発! 続いて斜め前、側面、斜め後方、真後ろの順に、ドーム状になっていた黒煙が次々と誘爆した!
 最初の爆発の、爆炎に呑まれることは無かったものの、爆風によって大きく吹き飛ばされるドロテア。車に撥ねられたかのように、数メートルほど放物線を描いた後、地面に叩き付けられた。
 カリナの足に噛み付いていた巨大ミミズは、最後の爆発にモロに巻き込まれ、電流が走ったかのように身を反らせた後に霧消した! 即死レベルの大ダメージだったという訳だ。

「ぶった斬れェー!」
 再度野太い声援を受けたカリナは、うつ伏せに倒れているドロテアに向かって、全速力でダッシュする。一瞬で間合いに踏み込み、脇で構えている大剣で、ドロテアを縦にぶった斬ろうとした刹那。突如真横から、カリナの行く手を阻むように、鋭い目つきをしたフクロウが飛んで来た。
「邪魔臭ェ!」
 目の前で羽ばたいているフクロウの頭部目掛けて、垂直に大剣を振り降ろすカリナ。が、フクロウはひらりと横に飛行して躱し、両翼を広げるとともに数本の羽根を放ってきた! 見た感じ、投げナイフのように敵を仕留める攻撃なのだろう。
 間近で飛び道具を撃たれたのにも関わらず、カリナは野性的な勘が命ずるまま、無意識に大剣のグリップを絞っていた。刀身から黒煙を噴出させる、下から上への切り返しの斬撃によって、放たれた羽根の全てを溶断する!
「無骨故に、速度だけは立派なものじゃ。気品は欠片ほども感じられんが」
 逐一余計な言葉を付け足しているオルガは、カリナの色々な所が気に食わない。

 素早く仰向けに反転したドロテアは、上に向けた手首から蛇の束を繰り出した。フクロウの羽根を全て溶断した直後のカリナは、再度大剣を振り降ろして蛇の束を叩き斬る。
 その隙に、ドロテアのイメージ=サーヴァントであるフクロウが、鋭い爪でカリナの顔面に蹴りを入れようと試みる。やはりカリナが、黒煙を噴出させながらの、下から上への切り返しを行った為に、フクロウは僅かに引き下がって紙一重で回避する。
 ドロテアは、出血毒を持つ蛇の束や、神経毒を持つ飛び道具代わりの蛇によって。フクロウは、死角に回りこんで数本の羽根を撃ったり、何の前触れもなく突然蹴りかかったり。本体とサーヴァントの波状攻撃によって、神経毒で着実に体力を奪われつつあるカリナに、物量攻めを挑んでいた。激しい攻防を演じているため、カリナの毒の回りが早く、急速に全身から力が抜けてゆく。
 それでも尚、手数においても攻撃速度においても、カリナの方が上回っていた。隙を見つけ次第、何も考えずに機械大剣を振るい、切り返し、また斬り掛かる。たったそれだけなのに、相当強い。蛇の束は容易に溶断され、神経毒を持つ飛び道具代わりの蛇は、鋭いステップでカリナが避ける為、刀身に絡み付くこともできない。

(マズイわね……押されてきたかも)
 一人と一匹の波状攻撃を迎撃するように、カリナの機械大剣が振るわれていたはずだった。が、今やブレーキが壊れた蒸気機関車の如く、暴れ回る機械大剣の合間を縫うように、ドロテアとフクロウは苦し紛れの攻撃を放っていた。
 押し切られるのは時間の問題たと判断したドロテアは、淡褐色の蛇の束を繰り出すのも、暗緑色の蛇の一匹を撃ち出すのも止めて、片手をポンチョの中に突っ込んだ。そして、蜘蛛の巣が絡み付いた太い棒を、カリナに対して直接投げ付けた。だがしかし、どうやって不意の搦め手を察知したのかは不明だが、カリナは投げ付けられた蜘蛛の巣の棒を、水平に振るった大剣の切っ先で溶断した!
 ドロテアの猛攻が途絶えたのを好機とばかりに、カリナは素早く後ろを向くと同時に、黒煙を噴出させる切り返しの水平切りで、羽根を撃とうとしたフクロウを溶断する! 胴体が切り裂かれたフクロウは、ダメージに耐え切れなくなり霧消する。
(まさかの展開だわ……!)
 フクロウが霧消する瞬間を目の当たりにしたドロテアが、思わず一歩引き下がった直後。カリナは水平切りのフォロースルー中に、もう一度黒煙を噴出させて、振り向き様に回転斬りをお見舞いする!
 黒煙が噴出する勢いを借りた、猛スピードの斬撃を避けることができず、腹部が切り裂かれたドロテアは大きなダメージを負う。と、一文字に溶断された黒いポンチョの隙間から、神経毒を持つ暗緑色の蛇が飛び出してきた!
 黒煙を二度も噴出させる、回転斬りの後隙は、通常の斬撃よりも大きくなってしまう。その為、カリナは機械大剣を切り返すことができず、服の下に仕込まれていた蛇に、首筋を噛み付かれてしまった!

(チィ……! さっきよりも、身体が痛みやがる……!)
 神経毒を持つ蛇が霧消すると、最初に噛み付かれた時と同様、カリナは大剣を地面に突き刺して片膝立ちとなる。注入されたのは、出血毒とは違うはずだが、身体の痛みと発熱がより重篤になったように感じる。
 ドロテアは、溶断されて血が蒸発している腹部を片手で押さえながらも、もう片方の腕から蛇の束を繰り出した。麻痺して動きが取れないカリナの顔面に、蛇に束が食らい付くと、水道管が破裂したかのように血飛沫が舞い上がる!
「ひいぃ……! さっきよりも沢山の血が……!」
「緋蜥蜴の毒が回っている最中は、受けた傷がより甚大なものとなるのじゃ。――時にお主は、TRPGやコンピューターゲームの心得はあるか?」
「はい、少しだけ……何だか、気味の悪いタコが出てくるゲームを、ドロテア様と一緒にやったことがあります」
 その間、ドロテアはファーポンチョの中に手を突っ込み、束ねた黒い毛を握っていた。
「然らば、話が早くて済むのう。つまり緋蜥蜴は、TRPGやコンピューターゲームで言うところの、”状態異常”を与えれば与えるほど、より多くの”ダメージ”を与えることができるのじゃ。それだけではない。複数の状態異常を与えることで、めいめいの効果はより強固となり、作用時間も長きものとなる」
 ドロテアが体毛を前方に投げた瞬間、手から離れた触媒は、黒い体毛に覆われた巨人へと変貌した。力自慢のイメージ=サーヴァントは、召喚されると同時に拳を振りかぶり、片膝立ちになっているカリナにストレートをぶち込んだ! カリナはバットで打たれたバッティングセンターのボールのように、彼方まですごい勢いでぶっ飛ばされた。
「刻下あの湯気女は、所謂”毒”と”麻痺”の二つ――”出血”を頭数に入れるも可ならば、三つの状態異常に掛かっておる。故に、先程よりも出血毒の苦痛は増大し、神経毒で硬直している時も延長しているのじゃ」
 大幅に変化したドロテアのメーション・スタイルに対して、BASのスタッフは新たな名前を与えようと、目下検討中だったりする。

 

(毒塗れで弱っているからって、不用意に近づくのは愚の骨頂だわ。一人と一匹掛かりでも、返り討ちに遭うだけの暴れっぷりだし)
 ドロテアは、ポンチョの中から蜘蛛の巣の棒を放り投げ、再度足止め用の蜘蛛の巣を地面に展開する。更に、上に向けた手首から、神経毒を持つ暗緑色の蛇がゆっくりと出現し、ドロテアのファーポンチョの中に袖から入っていった。毒と出血によって、カリナが自ら倒れるまで、時間稼ぎをするつもりなのだ。ちなみに、役目を終えた黒毛の巨人は、既に霧消している。
 さり気なく、後ろを振り返って、得意げな顔をデルフィーヌに見せるドロテア。「あっ……」と声を漏らしたデルフィーヌは、頑張って最後まで見届けようと、勇気を振り絞ってみた。

 カリナはと言うと、向こう側の見えない壁に、背中から激突した後、座り込んで項垂れている。もはや瀕死の状態だが、機械大剣のグリップは片手でしっかりと握り、決して手放さないでいる。ベラボウに腕が立つ技術者――カリナが大好きな爺ちゃんに作って貰った、機械大剣を。
(頼むぜェ、爺ちゃん……!)
 カリナはおもむろに立ち上がり、地面に突き刺さっていた大剣を引き抜くと、思いっきりグリップを絞る。すると、蒸気機関車の出発の汽笛のような音が轟き、膨大な黒煙が勢い良く噴射された。
(これは……いや、駄目だわ。自分から出て行ったら、それこそ敵の思う壺)
 すぐにステージ全域が黒煙で満ち、ドロテアは身の危険を感じたが、冷静さを保つように自分に言い聞かせる。

 毒と流血によって、意識が朦朧とし始めたカリナが、ゆっくりと大剣を持ち上げる。歯を食いしばってそれを振り下ろし、剣先に火花を生じさせると、真正面の空間が爆発。黒煙に次々と誘爆して、現れては消える小規模な爆発が、一直線にドロテアへと迫る!
(文字通りの炙り出しってわけね)
 真っ直ぐに並べたダイナマイトが、一発ずつ爆発してくる光景を目の当たりにしたドロテアは、渋々と真横に向かって走った。蜘蛛の巣は爆破されたものの、爆風にちょっと煽られる程度で済んだドロテアは無傷――のはずだったが、突如着ているポンチョが爆発した!
(なっ……!? そうか、さっき斬られた時に、黒煙の残留物が……!)
 一挙にボロボロにされた黒ポンチョを見下げながら、大きなダメージを被ったドロテアは、トカゲの尻尾をピンと立てて気を確かにせんとする。
「爆風だけならともかく、間近で爆発に巻き込まれたのじゃ。服の下に仕込んだ毒蛇も滅したに違いない」
 若干苛立ったようにオルガが述べた通り、黒ポンチョとドロテアの身体の合間に潜んでいた毒蛇は、爆炎が消えるのと同じくして霧消していた。

「行け行け行けーィ! もう一発ぶん回せ!」
 長時間に渡る責め苦で、まともに立っていることも難しくなっていたカリナは、大量の黒煙を噴出し続ける大剣を、杖代わりにして持ち堪えていた。歯切れのいい声援を受けると、ゆっくりとした動作で、機械大剣を掲げる。再び垂直斬りで火花を散らし、ステージ全域に撒き散らした黒煙と、ドロテアの衣服を誘爆させるつもりだ……!
(上等だわ! 逃げるだけが毒使いの能じゃないこと、証明してやる!)
 赤い瞳でカリナを睨み付けたドロテアは、直線的な連鎖爆発を、一旦側面へ走って避けてから、全速力で接近してゆく。爆風が肌に触れた時、ドロテアはヒヤっとしたが、幸運にも二度目の誘爆は発生しなかった。黒ポンチョにこびり付いた、黒煙の残留物が、一回しか誘爆を発生させることができない、微々たる量だったおかげなのだろうか。
 フラフラな身体に鞭を打ち、今にも取り落としそうな機械大剣を水平に振るって、爆発による炎の壁を展開させるカリナ。ドロテアは、炎の壁に巻き込まれる寸前のところで立ち止まり、爆炎が収まるや否や蛇の束を繰り出す!
 身体の奥深くまで毒に侵されたカリナだが、野性的な勘は未だ健在だ。やや遠間から伸びてきた毒の束が、自分の身体に届くその寸前、まともに構えていない大剣を振り上げ、数多の毒蛇を真っ二つにする。

 イカれた蒸気機関車から噴出されたかのような、黒煙で満ちている小空間。そこでは、カリナの機械大剣の動きに合わせて発生する、小規模な連鎖爆発が絶えず轟く、爆炎の焔地獄であった。
 リーチの長さを活かして、中距離から毒の束を繰り出し続けるドロテア。毒と出血に苛まれている今のカリナは、蛇の一匹に噛み付かれただけでも、かなりのダメージを負ってしまうだろう。一気に押し切るチャンスではあるが、興奮する闘牛のように暴れ狂うカリナは、毒の束全てを溶断してゆく。
 ほんの数秒足らずで、蛇の束を繰り出す余裕が殆どなくなるくらい、カリナの爆発ラッシュは激しかった。時に直線状に連鎖し、時に円状に展開され、次々と発生する爆発群が、機械大剣を振り回し続けている、カリナの周囲一帯を埋め尽くすのだ。
 せめて一発……蛇一匹が噛み付いただけでも、十分に勝機はあるだろうと、不利な間合いにも関わらず、ドロテアは粘っていた。尻尾を巻いて退いたところで、毒によってカリナが倒れるまで、自身が爆破されずに済むとは思えない。だからこそ、根性を振り絞る必要があるのだ。

 だが、精神論だけで勝敗が逆転するほど、バトル・アーティストの死闘は甘くはない。あちこちから巻き起こる爆発に埋め尽くされ、遂に逃げ場を見失ったドロテアは、連鎖した爆発にどうしようもなく巻き込まれ、ふっ飛ばされてしまった!
「ド、ドロテア様!?」
 デルフィーヌが悲鳴のような声を上げる。背中から激しく地面に衝突し、何とか起き上がろうと手を伸ばしている、苦悶の表情を浮かべたドロテアを目の当りにしたら、無理もない。
 ドロテアからダウンを奪ったカリナは、とどめを刺すために、今にも取り落としそうな機械大剣を、ゆっくりと持ち上げようとする。足がガクガクと震え、噛まれた箇所が紫色に変色していて、見るに堪えない状態になっても、気合いで機械大剣を持ち上げる。
 だが、長い時間を掛けて、頭上に機械大剣を掲げた瞬間、カリナは遂に機械大剣を取り落としてしまう。危うく顔面から地面に激突しそうになり、腕立て伏せのような体勢で堪えるのがやっとだ。
「おいぃ!? 終電が運休ウヤるとか、ふざけてんじゃねぇぞ!」
 罵声なのか声援なのか区別が付かない、野太い声がそこかしこから上がる。
「考えの足りん輩じゃのう。激しく動き回れば、当然毒の回りが早くなってしまう。緋蜥蜴が自ら打って出たのは、窮鼠の如き必死の抵抗を強要する為じゃ」
 いい気味だと言わんばかりに、オルガが笑い交じりに言った。
「攻めれば攻めるほど優位に立てる毒使い。実に痛快な”異端”だとは思わぬか?」
「は、はい……」
 オルガの解説に黙って頷いたデルフィーヌは、未だ小刻みに震えていた。

「――安息の白衣に御名を伏す、慈悲深き神性よ――」
 至近距離で爆風を受け、仰向けに倒れていたドロテアは、震える両手を上にしながら詠唱を始める。銃火器の台頭や格闘技術の発展によって、詠唱して発動するタイプのメーションは時代遅れと見做されているものの、威力そのものは非常に高い。
「――畏怖を忘却せし白痴の虫に――」
 身体の髄にまで毒が行き渡り、カリナの意識は混濁している。両手で身体を支えることすら不可能になり、自らうつ伏せに倒れ込む。まるで暴動が起きる寸前のような、荒々しい声援が続く中、不気味な調子でドロテアは詠唱文を詠み進める。
「――今一度、原初の刻印を焼き付けろ――」
 顔だけを持ち上げるのが精一杯なカリナの目の前に、突如魔法陣のような蜘蛛の巣が展開され、そこから浮き上がるように現れたのは、切り札とも呼べる強力なサーヴァント。純白の衣装に身を包む、女神のような美しさを思わせる人型だが、交差させた八本の腕の全てに、死神が携えるような鎌を握っている。そして、衣装のフードに顔が隠れていて、半透明な幽霊のように下半身が存在しない。
「――アトラク=ナクア!」
 ドロテアが言い終わると同時に、純白の死神は断末魔のような甲高い声を上げ、着ている白装束を破り捨てながら、交差していた八本の腕を一気に広げた。八本の鎌が虚空を切った直後、至近距離で見上げてくるカリナの身体は、刃に掠りもしていないにも関わらず、文字通り八つ裂きされるかのように切り刻まれた!
(てやんでェ……!)
 心臓を貫かれた贄のように、夥しい量の鮮血を噴き上げたカリナは、そのまま血の海の中に沈んだ。微塵切りになった白装束――蜘蛛の糸で形成された衣装の残骸が、雪のように舞っている。その中で、鎌を持つ八本の腕を広げたまま浮いているのは、腫瘍のような真紅の目が非対称無規則に幾つも並んだ、黒檀色の毛で覆われた奇怪な蜘蛛だった……!

 

「全く、心臓に悪い果し合いじゃったな。考えなしの荒武者ほど戦慄するものもあるまい。彼奴自身にも事の顛末が分からぬならば、妾が未來を視る術など何処にあろうか?」
 ライブ終了のゴングが高鳴って、傷が癒えるまでの間、大の字で寝転んでいるドロテアを観たまま、オルガは呆れたようにため息をついた。
「然らば、速やかに凱旋の宴を支度せねばなるまい。行くぞ。転送装置が混雑しない内にな」
 ドロテアが勝っても負けても、オルガは一足先にBASドームの控え室に先回りして、そのまま三人で食事に行く魂胆でいた。勝利の美酒に酔う暇もなく、デルフィーヌの手を優しく引っ張ったが、彼女はその場から動こうとしない。
「どうした? もしや腰が抜けたか?」
「あ、あのぉ……」
 オルガが心配そうに語りかけると、デルフィーヌは震える指先を、カリナ側の観客席の方に向けた。

「クソ! よくも俺たちのカリナちゃんを! 覚えてやがれ! 絶対に仇を取ったるからな!」
 すっかり頭に血が上った、喧嘩っ早い男たちの一部が、声を荒げているのだ。大きな声と、もしかしたらドロテアが襲われるかもしれないという恐怖で、凍り付いたデルフィーヌは足を動かせない。
「バッキャロー! カリナちゃんに金玉潰されてェのか!?」
 穏やかじゃない言葉を叫んだ男を制するように、さらに荒々しい声で叫ぶ男がいた。「仇を取る」と叫んだと思わしき男は、拳骨で頭を殴られた直後、ハッと我に返って見えない壁の内部を見た。五体満足だがボロボロに切り裂かれ、血塗れになりながらも、筋の通らない発言にカッとなったカリナが、上半身だけを起こしてギロリと睨み付けてくる。
「いや、だってよォ……カリナちゃんがメチャンコ可愛いから……」
 男の声が消え入ると、カリナは口内に溜まった血をペッと吐き出した。女々しい言い訳がうざったらしく思えたのもさることながら、可愛いと言われたことが気に食わないのだ。照れているとかそういう訳じゃなく、下手に女扱いされることが気に食わない。

「嗚呼、あの負け犬どもか。杞憂じゃよ。彼奴らは吼えるだけで、実際に喰って掛かるだけの剛毅さはない。己がさも正義であるように妄信する、下らん民主主義の奴隷のようにな」
 見下すような笑いと共にオルガが言い放っても、デルフィーヌは一抹の不安を捨て去れないでいた。
「で、でも……」
「ほれ、早く先回りせんと、緋蜥蜴が何処かに消えてしまうぞ。先回りして、栄えある勝者の度肝を抜いてやろうぞ」
 オルガはデルフィーヌの背後に回り、優しくその背中を押してあげた。そそくさとその場を去ろうとする二人に、「勿体ないなぁ」という目線を向ける第三者たちは、親切にもおしくらまんじゅうのようになって道を空けてくれた。転送装置まで移動する最中も、デルフィーヌはカリナ側の観客たちが、気になって仕方なかった。

(何とか勝てて良かった……。せっかくデルフィーヌが観に来てくれたのに、負けてしまったら裏切り者だわ)
 ある程度傷が癒えたドロテアは、おもむろに上半身を起こし、身体を捩って振り返った。
(あれ? どっか行った?)
 最前列にはデルフィーヌとオルガがいるはずだが、いつの間にか消えている。得意気な笑みを作っていたドロテアだが、困惑して僅かに眉を顰める。「気分悪くなったら、すぐに出て行っていいわよ」とは、予め言い聞かせていたが、よもや最後の最後で限界を迎えてしまったというのだろうか。
(……フィニッシュムーブがマズかったのかも)
 デルフィーヌに良いところを見せようとして、ドロテアのサーヴァントの中でも、一際おどろおどろしいものを召喚したのが、原因なのかもしれない。せっかく観に来てくれたデルフィーヌに、悪いことをしてしまったと、自分の浅はかさに対してため息をつき、ドロテアは不貞寝した。
 しょんぼりしたドロテアが、控え室の前に待機していたオルガとデルフィーヌにびっくりしたのは、また別の話。

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