ケヴィンvsデニス

 レイラ最高水準の都市と呼ばれている、自由都市”メネスト”。レイラ中のみならず、隣の世界を始めとした、様々な異世界の娯楽や文化が集うメガロポリス。かの有名なBASドームは、ここからそう遠くない場所にある。ミクロな発展と退廃が、数秒単位で繰り返されるこの巨大都市は、神の杖によって掻き回されているかのような、渦巻く混沌の海の渦中。
 他ならぬ巨大都市によって齎された心の虚無は、何食わぬ顔をしたメネストそのものが、偽造された充足感で埋め合わせてくれるだろう。星一つない闇を衝かんばかりの、無数の巨大建造物によってできた、迷宮の通路を右往左往している限りは。
 一度高層ビルの屋上で、星々よりも近く、故に虚しい数多の電灯を見下ろせば、空っぽになった心の片隅に追いやっていた、強烈な孤独感が暴れだす。墓石のように並び立つ建造物と、送り火のように揺らめく明かりのみが、地平線の彼方まで続く殺風景。獣の鳴き声さえ響かない高原よりも、無尽蔵の青が広がる大海原のど真ん中よりも、ある意味で恐ろしく、哀しい光景。

(ビル風か……? 生温い風が吹き上げてくるぜ)
 高層ビルの屋上の中央で、片足を軽く開いたまま佇んでいるのは、”ストロング=ピジョン”ことデニス=ダヴェンポート。ベリーショートな黒髪の頭頂部が、赤みがかった茶色になっている、ゴリラ人間のB-Boyブレイクダンサー。凛々しさと威厳で満ち溢れているその風貌は、ギャング団のボスのように見えなくもない。
 筋肉質で肌は黒く、口の周りに髭を生やしていて、両の前腕にはトレードマークである、白い鳩のタトゥー。真っ黒なサングラスを掛けていて、上半身に着ているのは、鷹のような目つきで、雄々しく翼を広げた鳩がデザインされた黒シャツ。下半身は、黒いカーゴパンツと黒いバスケシューズ。手首には、黒基調赤ラインのスウェットリストバンド。
 今回の出張ライブのステージは、自由都市メネストにある複数のビルを、大規模な”見えない壁”で囲った一画だ。デニスが踏みしめているビルでさえ、階数は三十を下らないほどの高層だが、見えない壁の外側に沿うように並ぶ建造物や、見えない壁の内部中央付近に密集している建造物は、それさえも軽くも超えるほどの超高層ビルばかり。複雑な進路を描く、人間の皮膚のように生温い風が、デニスの黒シャツをはためかせる。

(クラブハウスでは、今頃派手にDance Battleがおっ始まってる頃合か。感じるぜ――奴らの熱気を)
 メネストのクラブハウスをアジトとしているB-boyたちとは、旧知の中だ。幾度となく、彼らが支配する領域に乗りこんでは、ダンスで派手にやり合ったものだ。互いの技量、そして闘争心を競い合う真剣勝負は、喧嘩寸前になるまでヒートアップするケースも珍しくなかったが、どのダンスバトルにおいても、最後は熱い抱擁で締め括られた。
 気のいいダチとの記憶が脳裏に過ぎったデニスは、無意識に身体を揺すっていた。星一つ無い闇の彼方へ向かって、通り過ぎてゆく生温い風から、下界で踊り狂うB-boyたちの熱気を感じ取ったのかもしれない。BGMが流れてこなくとも、絶えず吹き抜けて来る生温い風から、一定のリズムを感じ取れる。微かな全身の揺れは、両手を開くと同時に片足を前に出すトップロックへと移行し、やがて四拍子に合わせてジャンプや回転を繰り返すアップロックとなった。

「来たぜ、おい! 生でデニスのダンスが拝めちまう!」
「この階からだと、遠すぎて点のようにしか見えねぇぞ!?」
「だったらスクリーン見りゃいいだろ!」
 見えない壁を挟んで、デニスの背後に位置する超高層ビル――デニスが立つ高層ビルよりも遥かに高いビルには、各階に彼のファンたちがぎゅうぎゅう詰めになっていた。この超高層ビルの内部には、主にスポーツジムやヨガスクールなどがあり、スポーツバーやビリヤードバーなどといった施設もある。要するに、スポーツに関連する様々な店舗が展開されている、総合スポーツビルと言ってもいい。
 重力を無視したようなデニスのダンスの、開始の合図を目の当たりにした観客たち。比較的距離が近い階層にいる者は窓越しに、直接観るのが難しい階層にいる者らは、スクリーンを通してデニスの動きに注目する。デニスの動きのリズムに合わて、手を打ち鳴らしたり、持ち寄った打楽器を打ち鳴らしたりして、その高揚感を皆で共有しているのだ。

 デニスがビルの屋上に手を付いて、得意の床技フロアーを披露しようとした瞬間だった。複数のビルで形成されたステージの中央、周囲にあるどの建築物よりも高い超々高層ビルの、細長いアンテナの先端から、一筋の七色光線が降ってきた。
 弾速としてはかなり速い光線だが、超遠距離戦を想定しただだっ広いステージの、中央から端まで到達するには時間を要した。不意を突かれたデニスではあったが、回転の寸前に光線を視認して、片手をバネにして逆立ち状態のまま”跳躍”して意図も容易く回避した。デニスが立っていた場所に、細長い光線が着弾すると、小さな穴がその場に抉られた。
 空中で反転し、両足で着地したデニスは、片足を僅かに開いた体勢で一番高いビルを見上げた。遥か遠く、高くにあるアンテナに背中を預けている、その者の姿ははっきりとは見えない。だが、ステージに仕掛けられた特殊な装置によって、その者の声ははっきりと聞き取れた。デニスにも、その背後のビルの中にいる観客たちにも。

「下らねぇダンスで尺稼いでんじゃねぇよ」
 ケヴィン=シンクレア。アーティストネームは”光速の流星”。スポーツバーなどに設置された、スクリーンを眺めている観客たちには、よく通る声の持ち主の姿を確認できた。
 赤茶色に染めたセンター分けの髪を持つ、気怠そうな垂れ目をした色白のケヴィン。素早く動き回ることに特化した身体造りのために、細マッチョな身体つきとなっている。銀毛に覆われた猫耳と、髪と同じく赤茶色に染めた猫の尻尾を持つケヴィンは、猫から進化を重ねてきた人間。
 着ているコスチュームは、カラフルなデザインのレーシングスーツ。青や緑、橙や黄色など、様々な配色が施されている。そのレーシングスーツと同様に、カラフルなスパイクシューズに、カラフルなグローブ。

「大したGutsしてやがる。パフォーマーとあろうものが、オーディエンスの楽しみを奪うとはな」
 拡声器が使われたかのような、ケヴィンの声を耳にしたデニスは、ステージ中央の超々高層ビルを見上げながら言った。
「まったく、焦らしてくれんなぁ!」
「空気読めねぇ、自己中野郎が……」
 背後にある総合スポーツビルの中にいる観客たちは、皆揃って不愉快そうな顔をしている。
「知らねぇよ、てめぇらの期待なんざ。とっとと始めんぞ。試合時間は一分でも長い方がいい」
 スクリーンに映っているケヴィンは、猫の尻尾を気怠そうに揺らしながら言った。
「おう、さっさと始めろや。俺たちゃあ、ダンス観に来たんじゃねぇし」
「何だァ、あのグラサン野郎? 詐欺師か? ぼったくりか?」
 複数の高層ビルを囲む大規模な見えない壁を挟んで、総合スポーツジムと向き合っている高層ゲームセンタービル。そこには、純粋に何でもありの試合だけを求めてやって来た、血気盛んな若者たちがすし詰めになっていた。

「Battleの善し悪しだけが、BASのライブの全てじゃないだろ。どんな気持ちでBattleに臨んで、何をもって語り合うかが重要さ。その為の前フリやアピールも、欠かしちゃダメだ」
 裁縫針のように小さく見える、超々高層ビルのアンテナを見上げるデニスは、ゆっくりと両手を広げながら訴え掛ける。
「おれに大人しく社交ダンスを観て欲しいってか? 何でもありの試合で不意打ち止めて下さいとか、ばかじゃねぇの?」
 嘲笑交じりに言うケヴィンは、アンテナに背中を預けたまま、デニスが立つビルを気怠そうな目で見下ろしている。ゴングが鳴る以前から、傍若無人極まりない言動をしているのは、わざとデニスを怒らせて試合を有利にする為なのだろうか。
何でもありバーリトゥードというものは、悲劇しか招かないもんさ。カラーギャングの話は知っているか? 勝つためなら何でもするという連中は、相手がナイフを持ち出したら拳銃を調達して対抗する。行き着く先は――分かるだろ?」
「そんな最低限のルールすら守れねぇやつらと、一緒にすんじゃねぇよ。ここにいる全員が、おめぇの社交ダンス観に来てると思ってんのか? それでもおめぇは好き放題やってんだから、おれが何しようと文句つける筋合いねぇだろ」
「俺のDanceを妨害しておいて、よく言うぜ……!」
 デニスは舌打ちをすると、二本指でサングラスのブリッジを掴み、ゆっくりと持ち上げた。スポーツビルやゲーセンビルのスクリーンに映っているケヴィンは、デニスを見下すかのように、調子に乗った笑いを浮かべてる。

「Battleの中で、語り合うしかないようだな」
 外したサングラスを、メーションで消失させながらデニスが言う。着ているシャツにプリントされた鷹と同じような、鋭く凛々しい両目が露わになった。
「端からそのつもりで、ここに来たんじゃねぇのか?」
 不敵に笑っているケヴィンは、首を回転させることで骨をビキビキと鳴らした。
「Strong styleで頼むぜ! あんな小賢しい猫野郎、ぶっ飛ばしちまえ!」
「ああいう脳筋が顔真っ赤になると、マジ爆笑もんなんだよな」
 スポーツビルやゲーセンビルの中にいる観客たちは、ライブ開始のゴングが高鳴るのを、今か今かと待ち望んでいた。スクリーンはデニスとケヴィンの代わりに、打ち鳴らされる激しいビートでヒートアップするスポーツビルの内部と、脳内麻薬で忘我して法悦を極めるゲーセンビルの内部を、交互に映し出す。
 それに気づいた両陣営の観客たちは、カメラに向かって攻撃的なハンドサインを送ったり、マイクに向かって挑発的な言葉を飛ばしたりした。熱狂の最中、ライブ開始のゴングがメガロポリスに轟くと、両陣営の代表者二名が、同時に身体を前に出す――!

 

 複数のビルを見えない壁で囲った、広大なステージの中央にある超々高層ビル。その先端にあるアンテナを起点として、一筋の光が闇に昇る。メーションで身体能力を強化したケヴィンが、”副作用”として七色の光を纏いながら、空高く跳躍したのだ。
 七色の光を曳きながら、超高速で駆け回るその様から、付いたメーション・スタイルは”フラッシー=ミーティオ”。ハイジャンプの頂点に達したケヴィンが、デニスが立っている高層ビル目掛けて、一気に急降下してくるその光景は、光速の流星の二つ名に違わない。

(こんな地形じゃ、空中戦Aerialが一番手っ取り早いだろうさ。――俺以外に対してはな!)
 様々なビルが密集する地帯である以上、それらの屋上で戦うことになる今回のステージでは、必然的に大きな高低差が要所に生じてしまう。その上、ビルの屋上から屋上に移動するには、当然ながら優れた跳躍力などを以って、飛び移るしかない。段差が少ない、または皆無なステージよりも、どうしても滞空する機会が増えてしまう。
 自ら相手に接触してはならないと言う、B-boy絶対の掟を遵守するデニスは、一切の肉弾戦を禁じ手としている。遠距離戦ではかなり強いのだが、意外にも近距離戦は不得手としている。その弱点を突くため、地上からは勿論、場合によっては空中から懐に飛びこもうとするアーティストも少なくないので、デニスは対空迎撃のメーションをみっちり練習している。

 肩をビルの屋上につけ、開いた両脚を斜め上に向けたデニスは、ダイナミックにその場で高速連続回転を始めた。そしてデニスの身体から、闇夜に昇った七色の光に向かって、大規模な竜巻が巻き起こる!
 竜巻によって舞い上がっているのは、鳩のような白い羽々。”ピジョニック=ストーム”と呼ばれるメーションスタイルは、平和的なバトルに殉じるデニスの確固とした無意識の産物だ。
 開始早々に放たれた必殺技の竜巻は、ケヴィンが立っていた超々高層ビルのアンテナよりも、遙か高くまで届くように思われた。竜巻の中心点に捉えられた七色の光は、闇夜に溶けたかのように姿を消した。少なくとも、十秒以上は続いた竜巻が止まると、仰向けのまま回り続けていたデニスは軽々と跳ね起きた。

(……どこまで吹っ飛んだ?)
 両足を肩幅に開いて立ち尽くすデニスは、摩天楼の数々を眺め回していた。自分が立つビルのすぐ後ろにある、総合スポーツビルからは、熱い歓声やら口笛やらが聞こえてくる。
 と、大きな歓声が、突如悲鳴めいた叫びの束に変貌する。「横だ、横!」と叫んで、危機を知らせようする男たちもいたが、腰を深く落として身構えたデニスの耳には届いていない。
(どこからだ……!?)
 できる限り遠いところを見詰めていたデニスは、いきなり側頭部に途轍もなく硬いボールを投げつけられたような衝撃を受ける! メーションで七色の幻影を上空に飛ばし、陽動している内に側面に回り込んだケヴィンが、隣のビルから飛び蹴りをかましたのだ。
 身体能力を強化した影響で、七色の光を曳きながら飛んでいく様は、まさしく流星の如し。心の準備ができていなかったため、ダメージが大きく響く。
「いやー、見事な一本釣りだったわー」
 ゲーセンビルにいる観客たちは、スクリーンに映っている、ケヴィンの片脚が顔にめりこんだデニスを観て大爆笑。

(Damn it……!)
 デニスは水平にぶっ飛ばされながらも、空中で両脚を扇風機のように回転させ、横殴りの突風を巻き起こした! 跳び蹴りを食らわせ、跳ね返されたように宙で一回転した後に着地したケヴィンは、その僅かな隙を突かれて突風をモロに受ける! 力士が猛スピードで体当たりをしてきたかのような、凄まじい衝撃力だった。
 デニスとは逆方向へと、弾丸もかくやに吹っ飛ばされたケヴィンは、くの字になったまま何枚もの窓ガラスを突き破るする。数棟のビルを貫通した後、より高層なビルの壁に背中から激突したケヴィンは、しばし張り付いた後に剥がれたポスターのように虚しく落下を始める。
 一方、跳び蹴りで吹っ飛ばされたデニスも、見えない壁に頭から激突した後、しばし頭を抱えて悶絶する。だが、スクリーンに交互に映し出される両アーティストを見比べるなら、無数のガラス片が突き刺さったことで、瞬く間に血塗れになったケヴィンの方が、負ったダメージは大きいものだと推測できる。
「Good job! 一撃で消し飛ばしたな!」
 卑劣なアーティストが呆気なく返り討ちにされたことで、デニス側の観客たちは大喜びした。

(初見殺し感、ハンパねぇな)
 地形にぶつけられたことも手伝って、一撃で刺傷裂傷だらけになったケヴィンは、真っ逆さまに地上へと落ちてゆく最中であった。いくらケヴィンが猫人間であったとしても、この高さからこの体勢で地面に落ちれば、まず間違いなく戦闘不能になるだろう。
 ケヴィンは不敵に口元を吊り上げると、空中で身体を半回転させ、ビルの壁を蹴った反動で斜め上に大きく跳躍する。再び七色の流星が、都会の闇夜に舞い昇る。
(よく注意しないとな。何だか分からんが、どうも最初の一撃はNo damageだったらしい)
 特大の打ち上げ花火のようになって天に昇るケヴィンを、いつでもフロアーで迎撃できるよう身構えながら見上げているデニス。と、ジャンプの頂点に近付き、常勝の勢いが衰えたケヴィンが、野球ボールほどの大きさの、七色光球を掌から撃ちだした。
 素早く、かつ鋭く横に跳躍して、降ってくる七色光球の射線から逃れるデニス。だが、光球がビルの屋上に着弾すると、強烈な程に眩い光を拡散させ、デニスの視界を奪った!

(もう一発ぶち込んでやる)
 思わず片腕で両目を覆ったデニスを見下ろすケヴィンは、七色の光を片足に纏わせ、上空からの急降下キックを喰らわせようとする。その刹那、デニスは両目を瞑りながらも片手を地面に付け、それを軸に何度も力強く回転。デニスが立っているビルの屋上、全体をすっぽり覆う程の、巨大な竜巻が巻き起こった!
(……無理だな)
 総合的なスピードで勝るケヴィンは、巨大な竜巻に巻き込まれる寸でのところで、七色の光を曳きながらの空中バックダッシュ。メーションによる高速移動で大人しく引き下がり、デニスの必死の抵抗をやり過ごした。
(搦め手で崩してから攻め込んでも、ゴリ押しのカウンターでぶっ飛ばされるのがオチだわ。まともにやり合ったら、勝ち目がねぇ)
 隣のビルの柵に着地したケヴィンは、屈んだ状態で、竜巻の中心点で踊り続けるデニスを見下ろしていた。その表情は、にわかに楽しそうでいる。普段はグロテスクな光景を苦手とする、意外と臆病なケヴィンだが、試合の興奮に身を任せている時はなかなかに強気だ。

 視界を取り戻したことで、巨大な竜巻を巻き起こすダンスを止めたデニスは、両手をバネにしての半回転ジャンプで立ち上がる。少しの間周囲を見渡した後、隣のビルの柵の上で屈んでいるケヴィンと目が合った。
動くなよFreeze!」
 デニスは叫ぶとともに、ストレートパンチのモーションで、掌から突風を繰り出した。突風に乗って舞い散る白い羽々が、超高速でケヴィンへと迫る!
 ケヴィンはひょいと柵を蹴って、大きく後ろへと跳躍。寸前まで乗っていた柵に力強い突風が直撃し、自動車が衝突したガードレールのように壊れてしまった。
 逃すまいとデニスは助走をつけてから、足底から突風を噴出させるハイジャンプを行い、隣のビルの屋上へと乗り移る。ケヴィンは既に、もう一つ奥の方にあるビルの屋上へと飛び移っていた。やる気無さそうな立ち姿で、気怠そうに赤茶色の猫尻尾をぶらぶらさせている。
 デニスは回し蹴りの要領で、水滴が落ちてできた波紋のように広がる、円状の暴風を発生させた。三百六十度に放たれた風圧は、高層ビルの窓ガラスを粉々に吹き飛ばし、コンクリートの壁を発泡スチロールのように大きく抉る! だがしかし、ケヴィンは障害物競走をするかのようなジャンプで、いとも容易く円状の暴風を避けることに成功する。

 その後暫くは、デニスが次々と力強い風を繰り出しては、ケヴィンがその全てを避ける光景ばかりがスクリーンに映った。一方は逃走のために、一方は追撃のために、何度もビルからビルへと飛び移るものの、似たような光景ばかりで進展がない。
「あの野郎、舐め腐ってやがる!」
「あんだけ試合試合言っときながら、全然やる気ねぇときた!」
 スポーツビルの内部にいる観客たちは、揃ってブーイングを轟かせていた。というのも、気怠げな動作でデニスのメーションを回避し続けるケヴィンが、一切攻撃をして来ないからだ。避けるのに必死で……という話ではない。欠伸をしながら横殴りの突風を躱したり、ブリッジ運動で円状の暴風を避けたりと、余裕であるどころか、あからさまにデニスを馬鹿にしているのだ。
「積極的に煽っていって、スタミナを削っていくスタイルか」
「攻撃する時の、ちょっとした隙を見せるだけでも、返り討ちに遭うからな」
 ゲーセンビルにいる観客たちは、飄々と風を避け続けるケヴィンを、面白おかしそうに観ている。

(挑発されているらしいな。まあ、よくあることだが)
 全然反撃しようとしないケヴィンに、割と気性が荒い性格のデニスは苛々していたが、猛る感情を抑え込めるほどには経験豊富だ。迎撃戦を得意としているデニスを挑発して、むしろこっちがデニスを迎撃してやろうと考えるアーティストは少なくない。だから、ライブの回数をこなす内に、自然と冷静に振る舞えるようになった。
 もう一つ、デニスは感情に任せて人を絶対に殴らないという、確固とした信念に基づいて生きている。観客を楽しませるなら、たとえ女子供を思いっきりぶん殴っても許されるBASではあるが、デニスにとって観客を楽しませるということは、B-boyとしてダンスバトルに徹することなのだ。
「お前のturnだ。アップロックでもなんでも、好きにやるがいいさ」
 白羽舞い散る暴風を、延々と巻き起こしていたデニスは、両手を広げ、隣のビルの屋上に立つケヴィンを見上げながらこう叫ぶ。ケヴィンの挑発を無効化するための、挑発返しだ。
「おめぇが遠距離戦ばっかで殴って来ねぇ手抜き野郎だから、本気出すのだりぃ」
 ケヴィンが面倒臭そうに返すと、「Hmm……」と漏らしてデニスが肩を竦めた。

 

 ふいにデニスは、両の足底から突風を噴出させ、垂直に空高くジャンプした。飛行機雲を引くかのように、白い羽を散らしながら、力強い鳩は闇夜に舞い昇る。ケヴィンは気だるそうな目でデニスを見上げる。
 デニスはハイジャンプの頂点に行き着く寸前で、オーバーヘッドキックの要領で一回転。両脚で下から上に弧を描き、ケヴィンが立っているビルの屋上に向けて、舞い散る白羽を乗せた巨大な風の塊を放つ! その際、テニスボールがバウンドするようにデニスの身体が浮き、滞空時間が延長された。
 ケヴィンは七色の光を曳きながら、後ろに大きく跳躍。何の問題もなく、風の塊を躱したように思われた。が、風の塊が、ケヴィンが立っていた場所に着弾すると、一帯を覆う程のドーム状の突風が発生。羽毛枕を爆破したかのように、周囲に白い羽々が舞い散った。
(攻撃範囲広いな……)
 ドーム状の突風にあおられたケヴィンは、空中で姿勢が崩れてしまった。そのため、後ろの方にあったビルに着地した際に、危うく転びそうになって一瞬隙を見せてしまう。

 片膝立ち状態になりながらも、頭上を警戒したケヴィンは、今度は回転しながらの踵落としで風の塊を放ってきたデニスを目撃する! 反動で更に浮き上がったデニスは、しばらく地上に降りてくることはないだろう。
(地上に張り付いていれば、バランスを崩した隙にぶち込まれるって感じだな。飛んだら不利になるけど、飛ぶしかねぇ)
 ケヴィンはすかさず垂直にハイジャンプする。七色の光を曳きながら上昇するケヴィンは、立っていた場所に着弾して発生した、ドーム状の突風にあおられて、赤茶色の髪が逆立ちとなった。

「流れ星は夜空を翔るもの。お前が飛ばなきゃ、何も始まんねぇさ。そうだろう?」
 徐々に高度を上げつつあるケヴィンに向かって、デニスは再び両脚のオーバーヘッドキックで弧を描く。垂直に惹かれる七色の光を、一刀両断するかのように、縦方向に対して非常に長い突風が発生。
 このまま真上に上昇を続ければ、間違いなく弧状の突風にぶっ飛ばされると判断したケヴィンは、メーションによる高速移動で進路を変える。垂直に惹かれていた七色の光は、”10時30分”を示す短針と長針のように屈折。横方向には短い突風だったので、ケヴィンは辛うじてメーションの回避に成功した。
 デニスは自らが竜巻に呑み込まれたかのように、空中で激しく踊り狂い始めた。回し蹴り、踵落とし、オーバーヘッドキックなど、様々なモーションとともに突風を繰り出す。更には、ウインドミルやら開脚旋回トーマスやらスワイプスやら、ブレイクダンスの技をも空中で行い、両手両足から非常に力強く激しい風を巻き起こす。

(障害物だらけの地上にいた時よりも、弾幕が激しくなってんな。しかも突風を出した時の反動を、空中では利用し放題なのか、動きがもっと速くなってる)
 攻撃範囲が広く、弾速が速く、しかも連続して飛来するメーションの数々を、ケヴィンは七色の光を曳く空中高速移動で避け続けていた。何とか全弾の回避に成功しているものの、先ほどのようにデニスを馬鹿にしているような余裕は見受けられない。
(やべぇな。脳汁が止まんねぇ……!)
 大ダメージ必至な突風を、ギリギリのところで避け続けるという、極限のスリルにただならぬ高揚感を覚えたケヴィン。牽制を兼ねた遠距離攻撃として、指先から超高速の七色光線を放ったり、夥しい数の丸い光弾を乱射したりして、デニスの弾幕に対抗する。
 対するデニスは、繰り出した突風の反動を利用して、空中でダッシュして光線を躱したり、力強い突風で大量にある光球をまとめて吹き飛ばしたりした。防御のことも考慮する必要が出てきたため、若干ではあるが猛攻の勢いが衰えた。

 自由都市メネストの、星一つの煌きすら失せた孤独な闇夜。その広大な純黒の海の中で、力強い鳩が無数の白い羽々を舞い散らせ、光速の流星が七色の光を曳きながら所狭しと飛び回る。両者の間で絶えず飛び交っているのは、鳩羽を乗せた巨大な突風や竜巻、そして派手に輝く光球や光線。
「Hahha! やっとあの野郎もその気になってきたな!」
「所謂、Dance Battleってヤツだ!」
 否が応でも、デニスのバトルに付き合う他ないケヴィンを観て、スポーツビルの観客たちは大いに盛り上がっている。ズームアップされた両者の姿を、スクリーンで観戦するのも一興だが、闇夜を駆け回る白羽と閃光を窓越しに見上げた方が、臨場感があって良い。
「ケヴィンの方が押されてんな」
「少しずつ、見えない壁の方に追い詰められてる」
 ゲーセンビルの内部にいる観客たちは、ここからケヴィンがどんな卑劣な手段で反撃に転じるのかと、期待していた。

(上も下も右も左も、鳩の羽ばっかだわ。これじゃ回り込むことができねぇ)
 両手から無数の光球や光線を繰り出していたケヴィンは、空中で後方への高速移動を繰り返していたため、間もなくステージ端の見えない壁に辿り着いてしまう所だった。デニスの方も、ケヴィンがバックダッシュした距離だけ、両足から突風を噴出させて前方にダッシュし、彼我の距離を維持したまま追い詰めてゆく。
(仕方ねぇな……)
 ケヴィンはあえて、自ら見えない壁に向かって全力で高速移動した。直後、見えない壁を両足で蹴ったケヴィンは、通常以上の速度で一直線にデニスに迫る! その際、両掌から夥しい数の光球を乱射し、数の暴力で白羽を乗せた突風を霧消させながら突き進んだ。
(……OK!)
 ケヴィンが壁を蹴った瞬間から、身体を地上に対して水平にしたデニスは、片足を闇夜に向かって上げていた。そして、身体ごと片足を一回転させると、とてつもなく巨大な旋風で、無数の光級ごとケヴィンを迎撃した!
 巨人の踵落としをモロに受けたかのようなケヴィンは、ハエ叩きで叩き付けられたかのように、恐ろしいスピードで落下した。真下にあったビルの屋上に激突し、そこに大きな窪みを中心とした、乾いた荒野のような亀裂を走らせるまでは、本当に一瞬の出来事だった。

 

「Excellent! もう勝ったも同然だろ!」
 何とか身体を持ち上げた、血塗れのケヴィンが立っているビルの屋上に向かって、風に身を任せるように落下しているデニスには、ありったけの声援が送られた。
 着地寸前、一瞬だけ両脚から突風を噴出させてふわりと浮き、位置エネルギーを相殺してから降り立つデニス。スタミナを消耗している為に、呼吸が苦しそうでいるが、これみよがしに両手を広げてみせる。
「どうした? 俺はこんなにも近くにいるぜ。それとも、まだ逃げる気か?」
 両前腕にある白鳩のタトゥーと、黒シャツに描かれた鷹のような目をした白鳩。フクロウが威嚇する際に、身体を大きく見せるため、両翼を広げているかのよう。デニスにとってバトルとは、直接敵を痛めつけると言うよりも、信念と気迫を以って精神的に相手を圧倒することなのだ。

「ハハハ……。笑うしかねぇ」
 片手で顔を隠しながら立ち上がったケヴィンは、静かに、そしてとても楽しそうに笑いだす。傷だらけの身体を、フラフラと揺らしながら。
「……頭でも打ったか?」
 腕組みしたデニスが、訝しげな面持ちでケヴィンを見る。
「笑うしかねぇだろ、あんな理不尽」
 いつもは何事に対しても興味が無さそうでいて、斜に構えているのが常のケヴィンだが、忘我状態にある時は何もかもが面白おかしく見えてしまう。苦手であるはずのグロテスクな光景も、自分自身が傷ついてしまうことも、本気で遊んで夢中になっている間はどうでもよくなる。

 突如ケヴィンが前のめりになり、ニヤリと笑ったその顔を露わにすると、無数の残像が次々と繰り出された! 読めない動きで縦横無尽に高速移動を繰り返しているのか、数多の幻影に紛れて本体で奇襲を仕掛けるつもりなのか。
(何度来ても同じさ……まとめてKnock outだ!)
 デニスはビルの屋上に肩をつけ、両足を開いたまま回転し、大規模な竜巻を巻き起こす! 四方八方から迫るケヴィンの残像、または幻影は、残らず竜巻に巻き込まれて姿を消した。回りながらも、全てのケヴィンの像が霧消したことを目視したデニスは、片手のみを使ったジャンプで両足立ちになって周囲を見渡す。
「全部幻影だから。バカじゃねぇの?」
 いつの間にか隣のビルの縁の部分に、片足立ちで立っていたケヴィンが、片手で両目を隠しながら嘲笑う。デニスの周囲に飛ばしたのは全部幻影で、本体は高みの見物を決め込んでいたという訳だ。
「Tch……!」
 この期に及んで、尚もおちょくってくるケヴィンに、流石のデニスもキレた。スタミナを消耗していて、思考が鈍っているせいでもある。
 デニスは斜め上に向けてストレートパンチを繰り出し、強烈な突風を巻き起こす! しかしケヴィンは、難なく右方向へと跳んで避け、ついでに左方向には対称の動きをする幻影を飛ばした。

 広範囲に及ぶ竜巻を再び巻き起こしても、ケヴィンの残像のみを霧消させるだけに終わるだろう。それではスタミナの無駄になるし、ケヴィンにもう一度嘲笑されると考えると癪に障る。
 四方八方から接近しようと試みる、ケヴィンの本体と数多くの残像らに対して、手当たり次第に白羽を乗せた突風を繰り出すデニス。絶え間なく四肢を振り回していると、その動作は自然といつもやっているダンスのそれに近いものとなる。
「デニス! Coolになれ! お前らしくない!」
 怒りを表現するかのように、荒れ狂うダンスを踊り続けているデニスを観て、スポーツジムにいる観客たちが怒鳴っている。意味のない攻撃を繰り返していては、それこそケヴィンの思う壺だからだ。
「お? あのゴリラ、バテてきてんな」
 ゲーセンビルにいる観客たちは、性質の悪い笑い方をしている。デニスが巻き起こす突風の数が減っていることや、ダンスのキレが悪くなってきているのが、素人目でも分かるのだ。
「序盤に煽られた時のと、今顔真っ赤にしている時ので、だいぶスタミナ削られたんだろうな」
「つーかアイツ、ステージがデカいからって、アホみてーにメーションの攻撃範囲広くし過ぎなんだよ。だから疲れんだ」
 ケヴィンの掌の上でダンスを踊っているデニスを観るのは、ゲーセンに屯する青年たちに取って、実に爽快であった。

(そろそろ行くか)
 手数が減少したデニスに、いよいよ攻撃を仕掛けることを決意するケヴィン。幻影を周囲に飛ばしながら、自身もメーションによる高速移動を繰り返しているから、疲れていないと言えば嘘になる。だが、ライブ開始直後と先の空中戦以外には、ほとんど攻撃を仕掛けなかったことで、攻勢に転じる為のスタミナは温存されていた。
 幻影を風で殴りつけることに夢中になっているデニスの背後に、高速移動で迫るケヴィン。全ての幻影を霧消させると、本体の姿は何処かと周囲を見渡しているデニスの真後ろから、後頭部にハイキックを見舞う!
「遅ぇんだよ」
 敢えて追撃せず、余裕の表情で嘲笑うことで、デニスの苛立ちを更に募らせた。
「調子に乗りやがって……!」
 うつ伏せに倒れていたデニスは、素早く身体を反転させ、仰向け状態になる。そして、肩を地面に付けて一回転し、ケヴィンの脛を目掛けた超低空の円状突風を巻き起こす!
 やはりと言うべきか、ケヴィンは七色の光を曳きながらのハイジャンプで難なく回避。落下するまでの僅かな間、両手の指先で数発の光線を繰り出し、立ち上がる中途であったデニスの身体を貫いた! 投げナイフが当たったかのような、鋭い痛みをデニスは感じた。
「あいつは絶対に人を殴りやしない。だから、接近戦でも風のメーションで戦うが、発動までの僅かな隙が命取りになる」
 スポーツジムの中で騒いでいる男たちの誰かが、焦りで思わず口走った。

 デニスのダンスが、一時的に力強さを取り戻す。幻影から新たな幻影が分裂するために、ケヴィン本体が攻撃を行わなければ、どれが本体なのか非常に分かりにくい。構わずデニスは、突風の連撃で一体一体を消し飛ばした。荒れ狂う嵐と化したデニスが、幻影を残らず霧消させるまでには、そう時間が掛からなかった。
 怒りのダンスを踊り終えたデニスは、両膝の上に手を付いて、忙しなく呼吸していた。その間にも、周囲を見渡してケヴィン本体の姿を警戒しているのだが、見当たらない。ビルの陰に隠れて、嘲笑っているのだろうか。
 と、頭上から一筋の輝きが落下してきた。すかさず真上を見上げた頃にはもう手遅れで、超々高度から繰り出したケヴィンの急降下キックが、デニスの顔面にクリーンヒット! 七色の花火が周囲に迸り、仰向けに倒れたデニスはケヴィンの両足で押さえ付けられてしまった。

「どうした、デニス!?」
 スポーツビルにいる逞しい男たちは、あってはならぬ事態に狼狽えていた。ライブに負けることはともかく、信念も何も持たない小賢しい猫人間の掌の上で、ダンスを踊るようなことなどあってはならない。
 鼻血を垂れ流す顔面を、スパイクシューズで踏み付けられながらも、デニスはケヴィンを睨み付けていた。蔑むような目で見下ろしてくるケヴィンを。
 と、突き出されたケヴィンの掌から、目まぐるしく七色に変色する、強烈な閃光が放たれた! 近距離で直に目視していたデニスは、光過敏性発作を来たし、「ぐうぅ……」と呻き声をあげながら頭痛や吐き気に苛まれる。ちなみに、スクリーンや見えない壁越しにこの閃光を観ても、真っ白い光が数秒間に渡って輝いたようにしか観えないため、観客たちは安全だ。
 ケヴィンはデニスの顔面を蹴り飛ばしてから、隣のビルの壁に向かって、七色の光を曳きながらの高速移動をした。
「ハハッ、勝ち確だな」
 ゲーセンビルの意地悪な青年たちが、倒れたまま両手で顔を覆っているデニスを観て嘲笑う。直後ケヴィンが、隣のビルの壁を利用して、三角跳びでより高く跳躍。デニスの真上、遥か上空に差し掛かったところで、またもや流星のような急降下キックを繰り出した!
 真っ直ぐに落ちてくる七色の光が、ビルの屋上でのた打ち回っている、デニスの頭部に突き刺さる! 大の字になったまま、電気ショックを流されたかのように両の手足がバウンドしたデニスは、一瞬ビクリと痙攣した。

(このまま勝ってもつまらねぇな。こいつはまだ本気を出してない)
 スパイクシューズを、デニスの顔面から退けたケヴィンが思う。光速の流星の代名詞とも言える急降下キックが、二度も顔面にクリーンヒットしたため、口と鼻からの流血でデニスの顔は赤くなっていた。
 瀕死状態のデニスが着ている、白鳩がプリントされた黒シャツの襟を引っ張り上げるケヴィン。蔑むようでいて、どこか期待が入り交じっている眼差しを送るケヴィンと、ピンチとなっても尚も鷹のように鋭い目でいるデニスが、密着状態すれすれの距離で向き合った。
「何のつもりだ……!?」
 スポーツジムの観客たちは、ケヴィンの不可解な行動を目の当たりにして、一旦鎮まり返った。
 ニヤリと笑ったケヴィンは、その場で分裂するかのように、三体の幻影を創りだした。幻影らはデニスの両側面と背後に位置取り、本体は襟を引っ張り上げる体勢を維持している。――間近でよく見ると、目の前にいる本体以外は、蜃気楼のように微かに揺らめいていることが認識できる。
「Deadlockか。幻影を形成しているエネルギーを、極太の光線へと変換して攻撃する、ケヴィンのフィニッシュムーブの一つ」
「あんな至近距離で、本体のも合わせて四本の光線を喰らったら、絶対に落ちるな」
 本体含む四人のケヴィンが、片手に七色の光を収束させたのを観て、ゲーセンビルの観客たちはニヤニヤ笑いだす。

(Desperate situationってやつか。何が何でもこいつのFinishing Moveを止めなければ、確実にやられちまう)
 シャツの襟を引っ張り上げられ、強引に立たされている状態のデニスは、拳を強く握った。
(こいつはわざわざ、素人が銃を撃つ時みたいに、手で狙いを付けてからメーションを撃つ。だから近距離戦が遅ぇんだよ。相手を殴らない為の、気遣いなんだろうけどな。けど、こんな切羽詰まった状況じゃ、綺麗事なんて言ってられねぇだろ)
 殴って来いと言わんばかりの表情を見せつけ、デニスを挑発しているケヴィン。一人と三体の片腕に収束する七色の光は、より眩い輝きを放つ。
(俺にNo touchの掟を破らせるつもりか? 確かに、ここから風を巻き起こしても、こいつのspeedなら簡単に避けられちまう。俺が直接殴れば、ギリギリ当たるかもしれんがな)
 ケヴィンの思惑を悟ったデニスは、握った拳を震わせた。バトルに勝つなら、ケヴィンの側頭部に一撃をお見舞いしなければならない。勝ち負けを抜きにしても、散々言ってきたケヴィンをぶん殴りたいと、デニスの胸の内に飼っている獅子が吠え続けている。
(こいつ、おれが本気で撃つと思ってねぇのか? 脅しじゃねぇぞ。本気でぶっ潰してやる。さっさと来い)
 片手で黒シャツの襟を持ち上げたまま、もう片方の手をデニスの鼻先に突き付けるケヴィン。太陽を直接見上げるかのような眩しさで、デニスは思わず両目を瞑る。両側面と背後の幻影も、光を収束させた手をデニスに突き付ける。いつでも発射可能な状態だ――!
(だが、俺はお前の掌の上でDanceなんて、御免だぜ!)
 デニスが不敵に笑った瞬間、ケヴィンはとても愉快そうな面持ちになって、メーションをぶっ放した!

 

 四本の極太光線が絡み合って、自由都市メネストの闇夜に昇る。黒シャツの襟を締め上げている本体と、両側面と背後にいる三体の幻影に取り囲まれているデニスは、眩い七色の光柱の中にいて、姿は見えない。
 特大の花火が打ち上げられたかのような光景は、数秒間も続いた。時間経過とともに、光線を放っている三体の幻影は、徐々に透明へと近づいてゆく。
 やがて、エネルギーを使い果たした幻影たちが霧消し、やや遅れて、渦を巻いて昇っていた四本の光線も消える。現れたのは、ボロボロになった黒シャツの襟をケヴィンに締め上げられたまま、項垂れているデニスの姿だった。光線の発射を目視しても尚、微動だにしていなかった、デニスの姿が。
(マジか……)
 何やら不服そうな面持ちのケヴィンが、満身創痍のデニスをポイと投げ捨てると、ライブ終了を告げるゴングが高鳴った。

 広大なステージの中央付近にいる為か、歓声や拍手といったものがほとんど聞こえてこない。気怠さと、幾許かのやるせなさで呆然としているケヴィンは、赤茶色の尻尾をぶらぶらとさせながら佇んでいた。まるで自分が勝利を収めたかのようでいる、やり切った表情のデニスを見下ろしながら。
(ドMかよ、こいつ……全然反撃して来ねぇし。殴って来ると勘違いして、思わず撃っちまった)
 ケヴィンはデニスの顔が何となく気に食わなかったし、一切反撃して来なかったことに対して、少なからず怒っていた。仰向けのまま天を仰いでいるデニスにゆっくりと近づき、スパイクシューズで側頭部を踏み付ける。
「勝てるはずの試合に負けて、悔しくねぇか? おめぇの本気は、そんなもんじゃねぇだろ」
 踏み付けられた際に、ケヴィンが立つ方向に顔を向けられたデニスは、口内に溜まった流血を、唾とともに吐き出してから返答する。
「Ha! 分からん奴だな。Battleってのは、相手を鼻っ柱をへし折ってやるものさ。何度刃向かって来ても、如何なる小細工を弄しても、無駄なことだと思い知らせる。お前がどんなに煽り立てても、俺に対しては無駄なことだって、よく分かっただろ?」
 顔中血塗れとなっているからこそ、デニスの鷹のような眼差しが、より力強く映えていた。
「つまんな」
 溜め息交じりに言ったケヴィンは、石ころを蹴り飛ばすかのように、デニスの顔を蹴り飛ばして踵を返した。気怠げに赤茶色の尻尾をフラフラさせているケヴィンを見送るデニスは、勝ち誇ったかのように静かに笑っている。

「バトル・アーティストが試合放棄とか、マジねーわ」
「ケヴィンがフルボッコにされてんのを、笑ってやろうと思ったんだがな」
 ゲーセンビルにいる観客たちは、不完全燃焼といった様子だった。何でもありの試合そのものを、心から楽しむケヴィンと同様、いまいちしっくり来ない様子だった。
「ヘヘヘ……! あの猫野郎、ざまあみろだぜ!」
「俺は信じていたからな、ストロング=ピジョン!」
 スポーツビルにいる観客たちは、持ち寄った打楽器を激しく打ち鳴らしたり、互いにビールを浴びせ掛けたりして、早くも祝勝会を催していた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。