PARUさんの『空想旅行』シリーズの続編です!
今回は生きものたちとの意思疎通が特に上手い少年、ディルが主役です。
また、PARUさんのHPへのリンクを、当サイトの『リンク』のページに掲載いたしました。
キャラクターや3Dモデル、Vtuberデザイン等々、かなり多岐に渡ってお仕事をされています。
実際に動くイメージが目に浮かんで来る、素晴らしいイラストを描かれる御方ですので、ご興味があれば是非!
PARUさん Twitter:@paruDevelop tumlbr:paru-develop
◆ ◆ ◆
分厚い雲の切れ目から、純白の光線が降り注いでいる。雪山で躍動するコルクを照らしている。
コルクは急斜面を下る際、身体を進行方向に対して斜めにし、サイドステップの要領で走る習性がある。こうすることで、横方向にエネルギーを逃し、転倒しにくくなる。その大きな蹄が体重を分散するため、雪上でも沈むことはない。また蹄の裏には、小さな突起がいくつもあり、それが鉤爪のように働き滑り止めの役割を果たしている。
穢れの無い、つぶらな瞳に映るのは、村はずれの一軒家。幹は細いが、しなやかな枝葉は分厚い雪に覆われても決して折れない、そんな逞しい木々が生い茂る森を、見守るかのように建てられた一軒家。そして、宝石のように美しい氷が浮かぶ湖。溶けない氷のドームで覆われた家庭菜園では、苔やキノコが栽培されている。
湖の水面では銀色の魚が飛び跳ね、森の彼方から白鳥の群れが舞い降り、庭ではリスが雪塗れになって駆け回る。銀世界に浮かぶこの楽園では、生きものたちは争わない。争う必要がない。共に生きていく方法を知っているから。
急斜面を下り切ったコルクは、木々の合間を縫って駆ける。そうして鄙びた農道に飛び出すと、導かれるがままに一軒家の方へ走っていった。
まもなく、一軒家の間近まで来たコルクは、穏やかな歩みへと移り変わった。駆け回るリスや、昼寝しているフェルネの邪魔をしないよう、下げた首を左右に動かして注意を払っている。
出入口から数メートルほどの地点で立ち止まる。両耳を後ろに引っ張るようにしながら、鳴き声を微かに震わせる。別の地方では「草笛に似た声」とも謳われる、コルクの澄んだ声。間髪を容れず、扉が開かれた。
「やっぱりね。そろそろ来ると思ったよ」
現れたのはディル・ヴィンター。村人の中でも、特に生きものたちに慕われている少年。積み重なった小樽を抱えているが、中身は大量の乾燥キノコだ。
「どうせ君たちも露天市の準備でこき使われているんだし、お腹が減って仕方ないんだろ」
ディルは小樽を置くと、コルクの頭を撫でてやる。コルクはキュウキュウと鳴きながら、耳をパタパタさせた。このコルクは、群れの中でも若い個体で、ディルに言わせれば「甘えん坊」。人間たちの荷物運びなどを手伝う代わりに、人間の知恵によって作られた、冬でも美味しく食べられるキノコを貰いに来ているのだ。
「――今日はいつもより少ない? 悪いけど、そろそろ貯蓄が切れそうなんだ」
そう言ってディルは、一番上の樽の蓋を開け、長い布を取り出した。若コルクは「キュウ~」と甘えた声を発し、ディルの頬を舌で舐める。
「そんなワガママ言うなって。雪を掘って苔や木の根を食べればいいだろ」
片目を瞑りながら、やんわりと若コルクを払い除けるディル。「キュウ……」と残念そうに漏らした若コルクは、つぶらな瞳でディルを見つめながら、忙しく口呼吸を始めた。
「――なんだって? 最近食べ物が少なくて困ってる? 食べ物の匂いが全然しない?」
人間の真似をし、首を上下させて肯定する若コルク。雪の下にある食べ物を探すために、コルクの嗅覚はとても優れているのだが……。
「多分、村の人間がここ数日で採り過ぎたんだろうな。露天市のために。まったく」
ディルはコルクに背中を見せ、腕を組んでしばらく考え込んだ。若コルクは耳をパタパタさせながらも、大人しく待っている。
「……分かった。明日の露天市で、集められる限りの食べ物を集めておくよ。僕が独り占めしたら、人間たちはうるさく言うだろうけどさ」
若コルクは首を震わせると、きょとんとなった。「どうやって?」と訊ねられているのが、ディルには分かる。
「ああ。君たちから授かったコルク毛で、物々交換するんだよ。人間にとって、便利で貴重な物だからね。君たちの
納得した若コルクは「キュウキュウ」と言いながら、頭をディルの胸に押し付けてきた。ディルは苦笑いしながら、ポンと頭に手を置く。
その後ディルは、長い布で数個の樽を、若コルクの背に括りつけてやった。仲間が布の端を口で引っ張れば、簡単に解ける結び方だ。蓋の方も、若コルクが咥えやすいような取っ手が取り付けられている。空になった樽は、後で他の生きものが回収してくれるだろう。
「そういえば生きものたちから、山の尾根で雪が張り出していると聞いた」
最後の一個を括りつけたディルは、思い出したように言う。
「雪崩の前兆だ。急な坂は避けて帰れよ」
やはり人間の真似をして頷いた若コルクは、耳をパタパタさせて挨拶した後、踵を返した。いつもより少ないとはいえ、背に乗せた荷物は結構な重量。ここに来た時よりも、その足音は重々しいものとなるが、逞しい若コルクなら大丈夫だろう。大切な食べ物を落とさないように、若コルクはゆっくりと歩いていった。
(秋までは、食べ物が不足しているとは聞かなかったんだけどな)
出入口の扉を閉めながら、ディルは考える。
(大きな自然災害もなかったから、食べ物が一気になくなるとは考えにくい)
そのまま本棚の前まで歩き、この地方の歴史が記された本を手に取り、ページをめくってゆく。
(ああ言ったけど、実際どうなんだろ? 雪の下にある食べ物を探すのは、人間よりもコルクの方が上手い。コルクが困るほど食べ物を採るなんて、普通の人間には無理がある)
歳の割に賢いディルは、しばしば生きものたちに知恵を貸している。外に出るよりかは、家で本を読んでいたりする時間の方が、多いせいだろうか。雪山の食べ物が少なくなった原因の究明、その切り口を探していると、とある一ページでめくる手が止まった。
(外来種……まさかね)
例えば、愛玩用や家畜として持ち込まれたウサギが野生化すると、その地域の植物相が破壊されてしまうらしい。最近物珍しい動物を見かけた話など、全く聞かないが。
「ごめんくださぁい!」
扉がドンドンと叩かれた音と共に、聞こえてきたのは男の子のやんちゃな声。歴史書を本棚に戻すと、ディルは渋々と玄関に向かい、扉を開く。
「ディルお兄ちゃん、こんにちは!」
”気をつけ”の姿勢で待っていたジョイが、元気に言った。
「出たな。お騒がせのジョイ」
ディルは扉を片手で支えながら、眉を顰める。
「コルク毛をわけてください!」
そんなのお構いなく、ジョイはより元気な声で言った。
「なんだよ、いきなり」
早く扉を閉めないと、家の空気が冷え切ってしまう。ディルとしては上手いこと話を切り上げて、帰ってもらいたい。
「コルク毛がないと、靴が作れないんです!」
「靴? もしかして、アーシェさんに頼まれたのかい?」
ジョイの後ろで、プティたちがピョンピョン飛び跳ねている点も、アーシェからの使いだと判断した材料だ。どこからジョイに付いて来たのかは分からないが、村の中でこんなに多くのプティが居る場所と言ったら、仕立て屋『プレイシル』以外に考えられない。
「はい!」
返事と共に、僅かに身を反らせるジョイ。
「あの人、すぐに大切な物をなくすからな……。その靴って、シャロルが
「わかりません!」
呆れたディルは舌打ちをして、「まったく……」と漏らした。
「どうしてもコルク毛が欲しいんです!!」
ジョイはもっと大きな声でお願いする。子どもらしい一生懸命さだ。
「というか、何で僕の所に来るんだよ。そりゃあコルク毛はあるけどさ。僕だって使う予定があるし」
ディルは明日の露天市で、コルク毛と引き換えにコルクたちの食べ物を調達する予定だ。いつもなら同じ民族のよしみで、コルク毛を分けていたかも知れないが、今あげてしまったらコルクたちが食うに困ってしまう。
「ください!! お願いします!!」
ジョイは頑張って食い下がる。
「ダメだ」
ディルはいよいよ面倒になって、突き離すように言った。
「シャロルちゃんがこまってるんです!!」
思いっ切り叫ぶジョイ。
「靴くらい、いつものを履けばいいだろ」
つい意地悪な事を言うディル。
埒が明かない。ジョイは気をつけの姿勢のまま、じーっと見つめてきて動かない。ディルは無言で扉を閉めることもできるが、それは流石に可哀想だ。ジョイの足元にプティたちが集まる。訳を知ってか知らずか、あざとくも一緒になって見上げてきた。
ディルは視線を逸らして考え込む。手持ち無沙汰なジョイが、バネのように身体を上下させている。ふと、良いアイデアを閃く。
「……分かったよ。それじゃ、”とりかえっこ”にしよう」
「くれるの!?」
ディルは背伸びをして、目をキラキラ輝かせた。
「ああ。僕の言うことを聞いてくれたらね」
「やったー!」
バンザイしてジョイは喜んだ。何故かプティたちもピョンピョン飛び跳ねる。ディルは「ちょっと待ってろよ」と言って、家の奥から一つの小樽を持ってきた。背負うことができるように、紐が取り付けられた小樽だ。
「いいかい。この小樽がいっぱいになるくらい、コルクの食べ物を持って来て欲しいんだ」
コルク毛と食べ物を物々交換するにしても、なにも露天市にこだわる必要はないのだ。
「コルクが食べる物って分かるかい?」
ディルは屈み込み、ジョイと目線を同じくした。
「葉っぱと、根っこと、コケとキノコ!」
ジョイは手を上げ、身体を揺らしながら答えた。はなまる満点だ。
「分かっているじゃないか。その内ならどれでもいいし、他のものと混ざってしまってもいい。アーシェさんに言えば分かるはずだから」
「うん、わかった!」
ディルから小樽を受け取ったジョイは、紐を両肩に通して背負った。樽の底が背中にピッタリくっ付いて丁度良い。
「探してきます!!」
元気に言ったディルは、全速力で走りだした。来た道ではなく、真横の方向に。そっちは森の方角だ!
「あ、おい!?」
ディルは身を乗り出して手を伸ばし、引き留めようとしたがもう遅い。ジョイは村に戻って、アーシェからコルクの食べ物を受け取るだろう。あるいは人々を訪ねて回って、食べ物を分けて貰うのだろうと考えていたのだが……。
「……そう来たか!」
ディルは理解した。ジョイが何か勘違いをして、森の中で葉っぱや根っこを、小樽いっぱいになるまで集めようとしていることを。お騒がせのジョイは、木々に紛れてもう見えない。後を追うプティたちが、列を為してピョコピョコと走っている。
ディルは心底うんざりした顔になった。ジョイが遠くに行ってしまう前に見つけないと、村中大騒ぎになる。率先して自分が探さなければならない。だが憎いことに、すばしっこいジョイを走って捕まえるのは困難を極める。
「……近くにいる、暇なコルクを呼んできてくれ! ソリを引いてもらうから!」
ディルは屋根で羽休めしている鳥たちを見上げて言った。ハッとなった鳥は、数瞬辺りをキョロキョロ見回した後、四方に飛び立った。そうしてディルは出入口の扉を閉め、自らも外出の身支度を整え始めた。
慌ただしさとは無縁にも、ピクニック気分で農道を歩く人影が二つ。手を繋ぎ合って歩く二人は、実の姉妹のように見える。
「ほら、あそこ。シャロルちゃん、頑張れ~」
アーシェはディルの一軒家を指差しながら、シャロルを励ました。ちなみにシャロルは、出発の際にヨイクの衣装から水色のコートに着替えている。
歩く速さを合わせてあげているつもりだが、シャロルは少しずつ後ろへ離れていって、気が付いたら一瞬立ち止まって再出発するのを繰り返している。仕立て屋『プレイシル』からこの場所まで歩くのは、小さな女の子にはちょっとキツイかもしれない。冬の日なら尚更だ。
だからアーシェは「無理しなくていいのよ?」と止めたのだが。「アーシェさんが寄り道しないよう見張ります」とシャロルが言って聞かなかった。
「アーシェさん。あんなに生きものでいっぱいですけど、お邪魔して大丈夫なんでしょうか……?」
いざディルの家に近付いてみると、色々な生きものが集まっていて怖くなってきた。羊や犬の注目が集まる。シャロルは、棒のようになった足をせかせかと動かし、アーシェの腕にしがみついた。
「こっち見てますよ……!? 誘拐されませんよね? 大丈夫ですよね?」
「大丈夫、大丈夫~! きっとシャロルちゃんと、お友だちになりたいのよ」
胸に顔を押し付けているシャロルを、アーシェは撫でてあげた。鼻歌交じりに、生きものたちに手を振って挨拶してみせた。何のためにここまで来たか、忘れているんじゃないかと思うくらい、楽しそうだ。
やがてシャロルの前に、ディルの家の扉が立ちはだかる。教会の扉よりもずっと小さいはずなのに、見上げているシャロルには鐘塔よりも遥か高く感じる。色んな生きものの鳴き声が間近で聞こえて、それがやけに恐ろしくて、まるで袋の中のネズミみたいだ。
シャロルは一瞬息を止めてから、扉を弱々しく叩いた。家の中までちゃんと聞こえたかな? 「ごめんください」と言うべきだったかな? 返事が来ない数秒間で、顔が真っ赤になったのを感じた。
気だるそうな足音が近づいてきて、シャロルはビクリと震えた。叱られるかもという気持ちで、その場からビュンと逃げ出したくなる。どうしよう……なんて悩んでいる内に、扉が開かれてしまう。
「ん? 君は……?」
ディルは予想だにしなかったお客さんを、不可解な面持ちで見下ろした。
「突然お伺いして申し訳ありません。教会のシャロル・ロップと申します」
シャロルは早口で言うと、深々と頭を下げた。真っ赤になった顔を隠すように、その姿勢を保っている。
「お、おう。こんな所まで、珍しいな」
ディルは恐縮してしまう。子どもとは思えないほど礼儀正しいシャロルと、どのように接したものか。
「一つお尋ねしたいことがありますが、ジョイさんという男の子がこちらに来ませんでしたか?」
深々と頭を下げたまま、シャロルは言った。
「ああ、来たけど……」
ディルはなぜだか後ろめたい気持ちになって、言葉が出にくくなった。
「やっぱりそうでしたか」
にわかに、シャロルはあちこちに目配せをした。オモチャに夢中になっていたら、母親が忽然と消えたことに気が付いたかのように。口が僅かに開かれ、焦っているのが見て取れる。
「アーシェさん。……アーシェさん?」
斜め後ろを見た瞬間、シャロルは何かに気が付いて、ウサギの耳をピクリと跳ね上げた。指をくわえる寸での所で我慢しながら、ちょっと考え込んだ後、もじもじしながらディルに言う。
「少々お待ちいただけますか?」
「あ、うん……」
シャロルは逃げるように、真横に走り出した。森の方ではない。
(一人で来たわけじゃないんだな)
ジョイならともかく、シャロルが一人でここに来るとは思わなかったため、ディルは迷子になったのかと思ったのだ。
「シャロルちゃん、見て! この羊ちゃん可愛いくない!?」
死角になっている場所から、能天気な声が聞こえてきた。
「ほら! すぐまた寄り道するじゃないですか!」
続いてシャロルの声が。知らぬ間に置き去りにされたことを、怒っているみたいだ。緊張しすぎて、アーシェがいなくなったのが分からなかったのだろう。
「ちょっと雪を払ってあげただけなのに~」
「もう! やっぱり私もついてきて良かったです!」
なんてやり取りをしながら、シャロルはアーシェの袖を掴んで、ディルの前まで引っ張ってきた。シャロルも苦労しているんだなと、心の中でディルは思う。
「ディルくん、こんにちは~。ジョイくんここに来なかった?」
アーシェはゆっくり手を振りながら尋ねた。
「『来なかった?』って……君がおつかいを頼んだんだろ」
呆れたディルは、目を細めながら言った。
「あら~? 私ジョイくんに何もお願いしてないけど」
「はぁ?」
「……あらあら?」
たしかにアーシェは、ジョイにおつかいを頼んでいない。ジョイが一人で「おつかいをします!」と、プレイシルから飛び出したものだから。一方、事情を知らないディルは、「アーシェさんに頼まれたのかい?」とジョイに聞いて、「はい!」という返事を貰った。行き違いが生じて、二人は目を合わせたまましきりに瞬きをする。
「……ジョイさんは、中にいらっしゃるのでしょうか?」
アーシェの陰に隠れながら、シャロルはおずおずと質問した。思わず、ディルは苦笑いを浮かべる。
「それが、森の方にコルクの食べものを探しに行っちゃったんだ」
「あらまあ!」
「なんですって?」
すっかり黙ってしまったアーシェとシャロルに、なんて言うべきなのか、ディルは困り果てたのであった。