蚕の鎧

 ゆっくりと流れてゆく雲の下、今日も『アリアゼーナ』の大通りには、レイラ中のお洒落さんたちが集まっている。
 隣の世界で言えば、パリのような街並み。都市そのものが巨大な芸術のようで、古風な建築物のどれもが美術館のようだ。道行く先々にレトロなオープンカフェがあり、道端に腰を下ろす画家たちが「買ってください」とばかりに作品を並べている。
 真っ黒な高級服を着た金髪のマダムが、背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ歩き、真っ白な日傘をさした茶髪のマドモアゼルが、軽やかな足取りとともに気品を撒き散らす。誰も彼もが、服を着て外を歩くことそのものを、心の底から楽しんでいるように見えるのだ。

「じゃあ、寝間着はどうしているの?」
 黒ストッキングを履き、薄茶色のトレンチコートを着こなしたグロリア=エルモーソが、並んで歩くデルフィーヌに目を遣りながら尋ねる。胸元と、片側の太腿辺りをはだけさせて、茶白のランジェリーをチラ見させるグロリアは、セクシーな大人のお姉さん。当然、グロリアを見つめたまま横を通り過ぎてゆく通行人も少なくない。
 左目周りにある大きな茶斑すら、泣きぼくろのように妖艶なチャームポイントとなっている。白い肌に点在する薄茶色の斑は、猫人間の母から遺伝したものだ。
「そ、その、身近にある物をメーションで溶かして、固くして、パジャマの代わりにしています」
 華奢で手足が細く、少女漫画のように細く薄幸な瞳をもつ、やや蒼白い肌の少女、デルフィーヌ。赤基調、白フリルの、ロココ風で華麗なドレスを纏い、おでこをみせるミルクティー色のロングヘアの上に、可憐なボンネットを被っている。
 古き良きアリアゼーナでは、若干時代錯誤なこの格好も景観と見事に調和しており、カフェの席に着く客やベンチに座る観光客たちは、嬉しそうにデルフィーヌを眺めている。整形手術を疑われてもおかしくないほど、不自然な美貌を誇るデルフィーヌの正体は、等身大の球体関節人形(メーション・ドール)だ。
「それって一晩中持つものなの? すぐに元通りになってしまうと思うけど」
 男が聞くとゾクゾクするような声で、更に質問するグロリア。
「即席でメーションを使うとそうなりますけど、じっくりと集中してイメージを注ぎこむと、長い間形を保つんです。わ、私の場合、一晩中着るパジャマを創るなら、数分くらい集中し続けなければなりませんが」
 棒読みに近い喋り方をするデルフィーヌは、どこか怖々とした様子だ。
「大変ね~。『お着がえ』に数十分も掛かるなんて。できるだけ、着るのに手間取らないお洋服を買ってあげないとね、ドロテアちゃん」
「あ、うん……」
 デルフィーヌの反対側で並んで歩くドロテアは、グロリアにウインクされて我に返る。
「それって、どういう風なお洋服なんですか?」
 今までロココ風の服しか着せられなかったデルフィーヌは、女の子らしく興味津々だ。
 それもそのはず、ドロテアに引き取られた以後も、デルフィーヌは一日中ロココ風の服で過ごす日々を送っていたからだ。ドロテアが古着やジャージを貸したところで、華奢なデルフィーヌにはサイズが合わない。そもそも、あまりお洒落をしたことがないドロテアの衣類の数は限られているから、洗濯などを考慮するとデルフィーヌに貸せるだけの衣類が無いのだ。
 たまにデルフィーヌに会いに来るグロリアがそれを見兼ねて、三人でファッションの聖地であるアリアゼーナに行く約束をしたというわけだ。
「そうね~。実際に店に行ってみないと、どういう服があるのかあたしにも分からないけど、まずはカジュアル系から攻めてみるつもりなのよ~」
「カ、カジュアル系……?」
「堅苦しくないお洋服ってところかしら。動きやすくて楽なのが長所よ。具体的には、ロングシャツとか、ジーンズとか――」
 そうして、グロリアの丁寧な説明が始まると、ドロテアはじんわりと疎外感を味わうのであった。

 地味な水玉模様ワンピースに、安価な黒ストッキング。低身長を少しでも高くするための、黒ハイヒール。肌はというと、実家が農家であったせいか薄めの小麦色で、頬と鼻の上にそばかすがある。赤い目と、姫カットにした赤い髪と、赤い鱗に覆われた蜥蜴の尻尾。それが、目を伏せて黙って歩くドロテア=ギンザーニの姿。
 ドロテアが一人暮らしをする以前、つまりあの忌々しい排他的な田舎にいた時は、そもそもお洒落をするお金も環境も無かったし、陰湿でネガティブな性格が出来上がった頃には、「どうせ私なんか」とファッションに対する興味すら失せてしまった。家に衣服があまり無いのも、それが理由。
 そんなドロテアは、アリアゼーナを歩くこと自体が苦痛だ。裸で家の近所を歩かされるような屈辱を感じる。そんじょそこらの店で調達したみずぼらしい衣服は、ブランド品を着こなすお洒落さんの視界には映らないも同然。
 せめて化粧をしてくるべきだったと思いつつも、ドロテアは殆ど化粧をしたことがない。要らぬ悪あがきをして、かえって目立つよりはいいだろうと、強引に自分を納得させている。田舎者が背伸びした所で、都会っ子になれやしないのだ。

「ドロテアちゃんは、どういう風な服が好きなの?」
 隣から話しかけてきたグロリアの声で、ドロテアは再び我に返る。
「えっ? いや、その……」
 さっき聞こえてきた「カジュアル系」とでも答えるべきなのか。それとも、コスチュームとして使用している魔女服とでも答えるべきなのか。無言のまま視線を泳がせていると、フォローするつもりでデルフィーヌが代わりに答える。
「水玉模様のワンピース、ですよね?」
「へぇ~、そうなんだ。確かに、ドロテアちゃんいつもそれを着ているわよね~」
 グロリアに顔を覗き込まれたドロテアは、思わず顔を背けながら言う。
「まぁ、家に色違いのがたくさんあるし……」
 タイムセールでまとめ買いものとは言いたくない。
「そうなのね~。うふふ。あたしのランジェリーも、茶色に白の水玉模様みたいだから、お揃いね~」
 悪意のないグロリアの言葉と、善意で言ったデルフィーヌの言葉が、ドロテアの居心地を悪くさせる。嫌味に聞こえるのは、捻くれた自分の性質によるものだとは分かりつつも、目を伏せずにはいられない。
「デルフィーヌちゃんは、水玉ワンピースは好き?」
「ど、どうでしょう……?」
 グロリアとデルフィーヌは二人で盛り上がる。内気なデルフィーヌを気遣って、いつも会えるわけじゃないグロリアが話題を振っているのは、百も承知だ。だが、仲間外れにされたようで、どうにも気持ちが晴れない。

 こういう時、コスチュームの魔女帽があればいいなと切に思う。つばが広いあの魔女帽があれば、どんよりと曇った目を隠すことができる。ドロテアにとっての衣服とは、お洒落の道具と言うよりは、隠したいものを隠す為の道具なのだ。

 

 手始めにと訪れたのは、カジュアル系のファッションショップ。
 ゆるやかなラインのジャケットや、ふわふわなセーターが着せられている、ポーズをとった八頭身のマネキンたちが三人を出迎えてくれた。狭くもなく広くもなく、一般的な大きさの店内では、客と区別がつかないくらいラフな恰好の従業員が、商品を畳んだりレジを打ったりして仕事している。小さな子どもが節操もなく走り回り、老人が杖をついてゆっくりと歩いたりと、客層は広いようだ。

「グロリア様、着替えが終わりました」
 律儀に試着室の中から伝えるデルフィーヌ。外で待っていたグロリアが、閉じられたカーテンを開くと、ピンクとグレーのストライプなTシャツを試着したデルフィーヌが、決まり悪そうに立っていた。
「あら、これでも大きすぎたかしら? 三度目の正直ならずね」
 こういう服には縁が無かったのか、試着する服を決めあぐねていたデルフィーヌに、グロリアは自ら選んだTシャツを勧めていた。Tシャツの裾が腰よりも下に位置しているし、手足が細過ぎるせいで、袖の隙間がだぼだぼ。つまり、デルフィーヌにはサイズが大きすぎて、だらしなく見えるため論外だ。
「一回目の白シャツや、二回目の黄色パーカーよりは、ずっと動きやすいですけど……でも、まだ動きづらいです……」
「でも、これ以上小さいサイズは無かったのよね。店員さんに聞けば、持って来てもらえるかもしれないけど。聞いてくるわね~」
 そう言ったグロリアが、90度ほど回転したところで、デルフィーヌが慌てて呼び止める。
「そ、その、グロリア様……! この服も、ちょっと……」
 今度こそと思って、デルフィーヌが声に出す。呼び止められたグロリアは、デルフィーヌと向き直り、視線の高さを合わせて妖艶な笑みとともに問いかける。
「お気に召さなかったかしら?」
「い、いえ……このお洋服は素敵ですけれども……」
 怒りを買わないように念を押したデルフィーヌは、一瞬だけ身震いした。
「しかしながら、なんか私が私じゃなくなった気がして……」
「サイズはともかく、とっても似合っているわよ~」
「で、でも、こういう服を着させて頂いたら、私も皆様のようにならないといけませんよね……!? 元気に挨拶したりとか……!」
 デルフィーヌには色々あって、それまでのアイデンティティを手放して生まれ変わった。第一の人生から引き継いだ唯一のアイデンティティは、ロココの服を着る少女と言う点だろう。たったこれだけの個性が、気弱で繊細なデルフィーヌの不安を和らげ、第二の人生を切り拓く拠点となっているのだ。
「別にカジュアル系を着たから、デルフィーヌちゃんもカジュアルになる必要があるわけじゃないけど、そうね~」
「ちょっと変わった服を着ていた方が、話しかけられずに済みますし……」
 まだまだ日常世界に溶け込めないデルフィーヌにとっては、繊細な心を守る『鎧』を着て歩いた方が、むしろ楽なのだ。
「じゃあ、今着ている服に近い系統のがいいわよね~」
 そう言ってグロリアは、優しい笑みを浮かべながらウインクした。
「す、すみません、まだ慣れなくて……。三度も服を選んで頂いたのに、申し訳ありません」
「いいのいいの~。皆が着ている服が、デルフィーヌちゃんにピッタリな服とは限らないからね~」
 大人の余裕を湛えながら話してくれるから、グロリアには安心して気持ちを打ち明けられる。もちろん、ドロテアのことは心の底から信頼しているが、気遣いができるデルフィーヌは下手なことを言って迷惑を掛け、嫌われたくない。だから、ちょっとした我が儘は、グロリアにだけ言うことに決めているのだ。

 その頃ドロテアは、整然と並んだハンガーラックで作られた、細長い通路の中央で佇んでいた。目の前には、様々なワンピースがハンガーに掛けられている。ベージュ色の花柄ワンピースや、赤黒チェックの洋風チックなワンピース、シンプルな水色という清楚なワンピースに、子どもの落書きとしか思えないような派手なワンピース。
 じっくり見ると、一つ一つの違いがよく分かってくる。意識して見たことがないので分からなかったが、興味を持つと見知らぬ物が驚くほど眼前に迫ってくる。
(いい加減、陰湿な田舎者から卒業しないとだわ。本当はデルフィーヌの為に来たんだし、お金に余裕があれば、だけど)
 一連の出来事によって、ドロテアはただの根暗女から変わりつつある。曲がりなりにもお洒落に興味を持ち始めたのは、その一端だ。だが思っているだけで、行動に移したことはない。カジュアル系をはじめ、ファッション用語は分からないことだらけで、何から手を付けたらいいのか分からない。グロリアが選んだこのお店なら、初心者のドロテアにもお誂え向きだとは思われるのだが……。

「ドロテアちゃ~ん、欲しい服とか決まった?」
 試着室の方から歩いてきたグロリアが、興味津々に聞いてきた。人見知りをする我が子のように、デルフィーヌを後ろに付き従えながら。
「えっ、いや特に……。そっちは?」
 Tシャツ売り場と試着室を何往復もしていたのに、何も手に持っていない二人を不思議そうに眺めるドロテア。
「い、いえ、私も……」
 もじもじしながらデルフィーヌが言うと、ドロテアは更に怪訝になる。
「どれも良さげで、迷ったというわけ?」
「違います……。どれも、その、私が着たらいけないような気がして……」
「えっ? どうして?」
 前で手を組み大人しくなっているデルフィーヌは、従業員に盗み聞きされるのが怖いのか、はっきりと気持ちを伝えることができない。
「皆が着ているものが、デルフィーヌちゃんに似合うとは限らないからよ~。極端な話、デルフィーヌちゃんがヘソだしホットパンツだったら驚くでしょ?」
「確かにそうだわ……」
 ドロテアは納得すると同時に、デルフィーヌにも着られない洋服があるという、ある意味当たり前のことに安心する。ずらりと並んだワンピースの全てに、ピンとこない自分のセンスが、必ずしも絶望的とは限らないことに安堵する。
「さてさて。そそられるお洋服が無いのなら、他のお店に行くわよ。二人とも、普通のじゃ満足できないって分かったから、とっておきの秘密を見せてあげるわ~」
 そう言って先頭を歩いたグロリアの後を、デルフィーヌとドロテアは付いて行った。

 店の外に出て、服屋特有の匂いが消えたところで、グロリアの隣に並んだドロテアが問いかける。
「次はどんな店なの?」
「うふふ~。プロデューサーさんが言うには、選ばれし者しか入れない店らしいわ。その名も『Heretic’s tea party』、訳して異端者のお茶会と言ったところね~」
「選ばれし者って……何だか、恐ろしい響きです……」
 眉尻を下げたデルフィーヌが、心配そうに言う。
「あたしのお友だちと言えば大丈夫よ~。凡人さんには来て欲しくないから、あたしのように信頼できる人にしか教えないらしいのよ。類は友を呼ぶという考え方から、あたしのお友だちも選ばれし者になるわ」
「聞くからに気難しそうな人だわ。一体どうやって知り合ったの?」
 顔を顰めてドロテアが問う。
「あの人――あの子ったら、バトル・アーティストでもあるのよ。あたしがステージガールを務めている時に一目惚れされて、あの子と二人だけの時間が増えたのよ~」
 そう言って妖しい笑みを浮かべたグロリアは、どことなく楽しそうであった。

 

 黒く分厚いカーテンが閉められたせいで、そこは真昼時と思えない程に暗く、仄かに光るシャンデリアライトが、ゴシック調の赤い壁を照らしている。白黒チェックな床の上にはマネキンが沢山並んでいて、着せられている商品はどれ一つとして重複することがない。
 ネイビーブルーのジャンパースカート、特徴的な黒いレースで装飾された真紅のドレス、リボンフリルが付いた真っ黒なコート、古典的な童話のお姫さまを模したワンピース。多種多様な洋服のどれもに、デザインした者の拘りが見て取れる。

「ようこそ、異端者のお茶会へ」
 ボンネットとフリルワンピースを着たロリィタショップの従業員は、そう言ってグロリアたちを迎え入れた。大通りから路地裏に来た時点で、妙な静謐さに一抹の不安を覚えたドロテアとデルフィーヌであったが、Heretic’s tea partyの店内に入ると否が応でも緊張感が高まる。一人の従業員と三人の客以外には誰も見当たらず、心構えができていないのに、自分らが選ばれた者だということを思い知らされる。
「プロデューサーさんはいらっしゃるかしら?」
 アンティーク調のレジ台の前で作業している従業員と向かい合って、グロリアが問う。
「ランチタイム故に不在で御座います。伝言でしたら、私めがお預かりしましょうか?」
「いえいえ。ちょっと挨拶をしたかっただけよ。まあランチタイムなら、そのうちやって来るでしょうね~」
 そう言ってグロリアは、店の奥の方へと歩いてゆく。ドロテアとデルフィーヌも、怖々とした様子でついて行った。

 この店には、デルフィーヌ好みの商品がちらほらあるらしい。さっきの店では、グロリアが試着するための服を選んであげたが、ピンクと白のロココ服にしばし見惚れていたデルフィーヌは、それを試着したいと自ら申し出た。結局ロココ服に行き着いたのは、外の世界から自分を守るための鎧や、新たなアイデンティティを創造するまでの精神的な拠り所が欲しいからかもしれない。
 例によって、デルフィーヌが試着室で着替えている間、グロリアは外で待つことにした。しかし、なかなかデルフィーヌの着替えが終わらない。
「す、すみません、グロリア様。ちょっと手伝って頂けませんか?」
 デルフィーヌの焦った声が、カーテン越しに聞こえてくる。
「あら、どうしたの?」
「ちょ、ちょっと、背中の紐が結び辛くて……」
「どれどれ~?」
 カーテンをめくり、試着室の中に入るグロリア。
「これは……そうね~。一からやり直した方が良さそうだから、お洋服を脱いじゃいましょうか」
「はい、グロリア様……」
 二人は狭い試着室の中で、窮屈そうに身体を動かし始めるのであった。

 ドロテアはと言うと、やはり整然と並んだマネキンを見回しながら、店内を歩いていた。ファッションのことはよく分からないが、子どもの時に見た絵本や、最近流行っているアニメで見たことがあるような服ばかりで、ドロテアにも何となくその良さが分かる。
 ふと、一体のマネキンの前でドロテアの動きが止まった。ドロテアの背と同じくらいのマネキンには、黒いファー(毛皮)ポンチョと黒いフェザースカートが着せられていた。妙に惹かれたドロテアは目を凝らす。黒のファーブーツ、蛇柄の赤黒ベルト、赤黒い宝石が煌く皮のブレスレット、そして赤い羽根が付いたインディアンネックレス。ロリィタ系の服で埋め尽くされたこの店には珍しく、荒野的な情緒が溢れている。
(シャーマンみたいでカッコいいわね。でも、見るからに高そうだわ。値札は見当たらないけど……)
 ドロテアはオカルト好きだから、このような洋服が琴線に触れたのかもしれない。

「戻ったぞ」
 甘ったるいような、どす黒いような声。その主は、出入り口の扉を開けた少女のものだった。
 童顔だが近寄りがたい目の光を放つ少女は、黒髪を縦ロールロングにしており、肌はかなり白く身長は低い。服装は、肌の露出がかなり少ない、豪華絢爛なゴシックロリィタドレス。短い黒ベール付きのヘッドドレス、真っ黒なレース手袋、そして真っ黒なワンストラップシューズ。黒を主色とし、青緑色の帯が貫いている四枚翅を背に持つ少女は、蝶から進化を重ねてきた人間なのだろう。
「お疲れ様です」
 レジ台の前にいた従業員が、頭を下げて言った。
「うむ、御苦労じゃった。……どうやら新たなる『選ばれし者』が招かれたようじゃの。ここは妾に任せて、お主は蜜滴る花弁で翅を休めるが良い」
「承知いたしました。では、御機嫌よう」
 従業員は丁重に頭を下げると、一般客は立ち入り禁止となっている扉を開き、去って行った。

「まさか、あなたが店長?」
 独特な言い回しをする少女を不審そうに見ながら、ドロテアが訊ねた。
「まさかとは、失敬な娘じゃ。今の会話を見て分からぬか?」
 ドロテアの予想した通り、気難しそうな店長もといプロデューサーだ。出会って早々、敵意の眼差しを向けられている。
「いや、だってアンタ、従業員よりもずっと若いじゃない」
 若干意固地になってドロテアが言い返す。
「……嗚呼、無知が故の無作法か。にしても、敢えてこの口振りをしておるのに、察しが付かなかったか? まあ、この崇高な美貌の前には、血に飢えた獣でさえも少女性を見出す故、仕方あるまい」
 そう言った少女は、なぜか勝ち誇った笑みを浮かべる。
「妾の名は、オルガ=アントネッティ。刻(とき)を巻き戻すメーションを恒常的に使用しておるから、羽化して間もない蝶のように見えるだけで、齢は七十を超えておる。勿論、道具の類は使っておらん。邪道じゃからな」
「……嘘でしょ?」
 さり気なくとんでもないことを暴露したHeretic’s tea partyのプロデューサーは、優雅な足取りで、驚嘆したドロテアに近づいてゆく。
 時間を操るメーションは高難度だが、それを専門的に扱う人間は割と存在する。オルガと名乗った老女の恐ろしいところは、激しくスタミナを消耗する時間操作のメーションを、道具に頼らず恒常的に使用し続け、かつ十代の少女として在り続けられるほど劇的な効果を維持できることだ。規格外の技量とスタミナと言ってもいい。不老に憧れる女性は珍しくないが、オルガの無意識下に秘めた執念は極めて強いらしい。

「して、お主の名は?」
「……ドロテア=ギンザーニだわ」
 時間操作メーションの件については、話半分に聞き流すことにして、ドロテアは受け答える。
「ドロテアか。何れの者より、招待状を預かった?」
「……誰の紹介で来たかと言いたいわけ? それなら、グロリア=エルモーソよ」
 言い終わったドロテアは、試着室の方を振り返るが、いつの間にかグロリアが消えていたので、目を丸くする。
「ほう、『魅惑の茶斑』の。然すれば、盃を酌み交わすに値するのう」
 ドロテアの隣に立ったオルガが、満足そうに言う。
「この服が気に入ったのか?」
 オルガが黒いファーポンチョを着るマネキンと向き合うと、ドロテアも同じようにマネキンを眺めた。
「まあ、そんな感じではあるわ……」
「それは何よりじゃ。醜悪な俗物どもと戦う貴族たちは、耽美と幻想を象徴した戦闘服で鎧おうとするから、この異端者は眼中に映らん。見ての通り、ロリィタ系を扱うブランドじゃから、当然と言えば当然じゃがの。然し、如何なる時代も、真実の美は異端者にこそ宿る。故に妾は、革命を起こしたまで」
「……何が言いたいわけ?」
 半ば呆れながらドロテアが言う。
「つまり、マンネリを打破するためにこの服をデザインしたのじゃが、露ほども興味を持たれなくてのう。お主が初めてとなるが、これは天命に違いあるまい」
「なっ、何よいきなり」
 これまた面倒な人に絡まれたなと、ドロテアは眉間に皺を寄せる。
「魅惑の茶斑に導かれたならば、此処がどのような場所か改めて言う必要もあるまい。ウサギ穴に落ちた雛鳥らは、幻想世界でのお茶会を通じて、現実世界へと巣立つのじゃ」
 反応に困ったドロテアは、片目を強く瞑って押し黙る。

「御託は終わりにしよう。早速着てみるのじゃ」
 言った傍から、オルガは黒ポンチョをマネキンから脱がし始める。
「ちょっと待って。まだ買うって決めたわけじゃ……」
「なに、試着するだけなら金は取らんぞ。腹が肥えた悪徳商人と同類にされては困る」
 慣れた手つきでフェザースカートを脱がせているオルガ。その強引な展開に、ドロテアはついつい意地を張ってしまう。
「でも、試着させるってことは、買わせるってことでしょ?」
「……妾がデザインした服を着たくないというのか?」
 服を畳む手を止めて、睨みを利かせるオルガ。
「そんなつもりじゃないんだけど……」
「なんじゃ? はっきり言うてみい」
 色々考えた挙句、ドロテアは苦虫を噛み潰したようになって言う。
「……だって、私が着ても可愛くないし」
 こういうネガティブな台詞は言わないように心掛けているが、今だけは言い逃れの口実として許して欲しい。こんな言い訳しかできない自分が悔しいが、ちっぽけなプライドよりも懐事情の方が心配だ。さっきのカジュアル系の服ならともかく、素人目でも高価だと分かるこの服を買ったら、デルフィーヌもドロテアも食うに困ってしまう。
「可愛くない女子(おなご)など存在せん。仮に存在するとすれば、それは魅せ方を心得ていない女子じゃ。ほれ、これでお主の魂に革命を起こすのじゃ」
 そうしてオルガが、黒ポンチョの一式を差し出した時、ドロテアは助けを求めて振り返る。だが、グロリアもデルフィーヌも、未だ試着室の中にいる。
「グ、グロリア様……! 優しく……優しくお願いします……!」
「あらあら、痛かったかしら? でも、もうちょっとだけ我慢してね~」
 カーテン越しにゾクゾクする声が聞き取れるが、グロリアと親しいはずのオルガは意に介さない。
「言っておくが、このまま帰れると思わんことじゃ。お主は選ばれし者、穢れた魂を持った大人と戦う使命が課せられた。四の五の言わず、早く着るのじゃ」
 こんな芝居がかった喋り方をするから、ドロテアが警戒しているのに、オルガはとことん強引だ。商売魂に溢れているというか、絵に描いたような職人気質というか。
「分かったわよ。着ればいいんでしょ、着れば。別に着たくないなんて、一言も言ってないし。でも、買うと決めたわけじゃないからね」
 呆れ果てたドロテアが言い放つと、オルガは悦に入るような笑いをするのであった。

 

「ドロテアちゃん、見て見て~!」
 グロリアが勢いよくカーテンを開けるなり、ピンクのロココ服を着たデルフィーヌのお披露目タイム。デルフィーヌがいつも着ている、赤基調白フリルのロココ服に比べると、白基調ピンクの花柄というワンピースは、いい意味で気取っていない。ショーケースに保管された球体関節人形から、散歩が大好きそうなふんわりガールへと大変身だ。
「ど、どうですか? 似合ってますか?」
 すこし緊張しているデルフィーヌは、そう呟きながら店内を見回すが、ドロテアはいない。そのかわり、カーテンが閉じられた隣の試着室の前で、オルガが蝶の翅を煌かせながら立っていた。
「久しぶりじゃのう、魅惑の茶斑。お主も新顔か、よくぞ参った」
「久しぶり~! ごめんね~、挨拶が遅れちゃって。話し声は聞こえていたんだけど、このお洋服の紐を結ぶのを手伝っていたのよ~」
 嬉しそうにウインクするグロリア。
「ほう……。ちいと手直しが必要じゃな。後で預からせて貰うぞ」
「す、すみません。紐も一人で結べなくて……」
 か細い声で言ったデルフィーヌが俯いてしまう。
「気に病むな。平均的な体型の女子を想定してデザインしているに過ぎん。細かい調整は、試着せんと不可能じゃからな。――秘密の花園の真中において尚、一際咲き誇る純潔の白百合のようじゃ。世に満ちた悪意から可憐さを守り抜いてきた、お主の高潔さあってこそじゃな」
 言葉の意味がよく分からなかったが、オルガが納得したように何度も頷いたことから、褒められていることだけは理解したデルフィーヌ。
「あ、ありがとうございます……」
 デルフィーヌは、蒼白い顔を微かに染め、恭しくお辞儀した。グロリアも、ほっこりと笑顔になる。
「うふふ、良かったわね~。ドロテアちゃんは、お着替え中かしら?」
「今出るから待って!」
 カーテンの閉めた試着室の中から、ドロテアの声が漏れてきた。

 言った通り、間髪入れずにカーテンを開くドロテア。水玉模様のワンピースとは、打って変わった姿になっていたので、デルフィーヌは目を大きく見開き、グロリアも瞬きして一瞬目を疑う。
 ファーポンチョ、フェザースカート、毛皮のブーツ。いずれも黒で統一されたその洋服は、黒魔術に近しいメーション・スタイルを持つドロテアにぴったりだった。
 そのままでは根暗そうに見える全身図だが、腰に蛇柄の赤黒ベルト、手首に赤黒宝石の皮のブレスレット、首に赤い羽根が付いたインディアンネックレスを身に着ける。これらのアクセサリーが、姫カットにしたドロテアの赤い髪と同様、女性らしさと華々しさを加味しているのだ。
 ドロテアがいつも着ている魔女服と比べると、魔女帽子で目を隠さないことですっきりとした印象になり、色合いが紫から黒に変わったことで、今までより力強く見える。毛皮や羽を素材としている点も良い。多数の雄々しいイメージ=サーヴァントを使役するドロテアの、ワイルドな一面が強調されているようだ。赤い鱗に覆われた蜥蜴の尻尾を持つことから、蛇柄の赤黒ベルトとのマッチ具合も見事なもの。
 一言で言えば、これ以上ないくらい似合っているという事だ。

「……どう? 変じゃない?」
 三人とも無言で見つめてくるので、ドロテアは不可解な面持ちとなって聞いた。
「は、はい! ドロテア様らしいと思います」
 ピンと背伸びしてデルフィーヌが言う。慌てた言い方だが、決してお世辞ではない。
「露出度アップでいい感じね~!」
 グロリアに言われて、スカートを履いていたことを思い出したドロテアは、鏡に映る自分を再確認して薄目になる。
「二人ともありがとう。……両脚、ちょっと太いかもだけど」
 こんなに味のある衣服を着てみると、急に自分の体型や表情が気になり始めたのだ。グロリアの真似をして、妖しい笑みを作って鏡に映してみたり。
「既にお主の物にしたような言い振りじゃのう」
「だから、まだ買うって決めたわけじゃ……」
 ドロテアは途端に、反発するような視線をオルガに送った。
「衆愚を寄せ付けぬ城壁よりも、僅かな金銭に重きを置くか。修練が足りんのう。――まあ、いいじゃろう。お主に寄進するが故、それを着て精進せい」
 ゴスロリ衣装に付着した僅かな埃を払いつつ、オルガが言った。相変わらずの古風な言い回しを理解するのに、少し時間が掛かったが、意味の分かったドロテアは後ろから肩を叩かれたかのようにギョッとする。
「なっ……! タダでくれるっていうこと!?」
「然り。無論、次来た時は金を頂くぞ。幾ら詭弁を弄したところで、金が無ければ新たな繭を紡げんのが現実じゃからな」
「本当に? まさかこの服、呪われていたりしないわよね?」
「疑り深い女子じゃのう……。神器を穢すなど身の毛もよだつ。この神器は、お主との邂逅を果たすために生を受けたのじゃろう。然らば、妾は天命に従うまでじゃ」
「あ……ありがとう」
 気抜けしたドロテアが、ぼんやりとした声で礼を述べる。財布の中を守る為、壮絶な口論も辞さない覚悟でいたが……。この老女、もとい少女の考えることはよく分からない。
「良かったわね~、ドロテアちゃん。今度から、それをライブ用のコスチュームにしてみたら?」
「……いい考えだわ。ステージの上なら、皆変わった服を着ているから浮くことはないし」
 グロリアの提案を受けたドロテアは、新しいコスチュームを着て堂々とステージに立つ自分の姿を思い浮かべる。
「素敵です、ドロテア様」
「うん。デルフィーヌも、すごく似合っているわ」
 ドロテアとデルフィーヌは、ほぼ同時に安堵のため息を漏らすのであった。その様子を見たグロリアとオルガが、顔を見合わせて微笑み合う。

 ふとドロテアは、もう一度自分の姿を確認したくなった。試着室の中にある鏡に映った自分の姿を見ると、居ても立っても居られなくなってきた。
(ダイエットか……。しようと思った事、一度も無かったけど)
 後でグロリアから、思い通りの体型にする為の秘訣を教わろう。そう決心したドロテアであった。

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