スカーレット=ピグチェン

 悪魔像を彷彿とさせる山羊の頭蓋、背表紙に魔法陣が描かれた分厚い本。棚に収納された小物は、どれもおどろおどろしく、迂闊に触れれば呪われてしまうかもしれない。
 死神の足音のように、不気味な音が鳴る振り子時計。死に至る毒に蝕まれて嗚咽する者が描かれた絵画。壁一面に”磔”にされた家具は、邪悪な魔女に囚われた贄であるかのよう。
 カーテンが解放された窓から差し込む、薄く伸びつつある昼下がりの光が、辛うじてここがお化け屋敷ではないことを思い出させてくれる。洋風のランプがあって、大きなリラックスチェアがあって、ティーカップを置くのに適した小机がある、ごく普通のリビングであることを。

 
「お持ちしました、ドロテア様」
 モンブランとハーブティー、そしてフォークとティースプーンを乗せたトレイを持つデルフィーヌが、一旦立ち止まってから笑顔で言う。ロココ調のフリルドレスを着て、おでこを見せるミルクティーのロングヘアをした少女。少女漫画のように、細くて薄幸な瞳を持っていたり、若干病的にすら感じられる蒼白い肌をしているのは、デルフィーヌが等身大の球体関節人形であるからだ。
「一人でできるようになったわね。成長したものだわ」
 リラックスチェアに座るドロテアが、外した黒い手袋を小机の上に置きながら言う。帰宅したばかりのドロテアは、黒いフェザースカートや皮のブレスレットなどはそのままにして、上半身だけをタンクトップに着替えている。

 今日の午前にドロテアは、BASドームのトレーニングエリアにある、大規模な図書室から、オカルト関係の本を幾つか借りた。思ったよりも早く用事が済んだので、その後は気の向くままに、見知らぬアーティスト同士のライブを観戦してきた。
 一方は、着ているコスチュームを変化させるとともに、自身の能力をも変化させる、今時珍しいオールドタイプの魔法少女だった。正義に燃える警察官に”変身”すれば、格闘技や射撃が得意になり、気品漂う西洋の騎士に”変身”すれば、華麗な剣捌きで観客を魅了することができる。かつてはトップモデルを目指していたコスプレイヤーらしい、千変万化なメーションだった。
 もう一方は、超遠距離は勿論、組み技の間合いである超接近戦でさえも、ボルトアクション方式の狙撃銃で敵を仕留める、凄腕のスナイパーだった。手動装填の速さは神業の域まで達しており、スコープに頼らずとも数百メートル離れた者の眉間に風穴を空ける。量産型の狙撃銃では、その超人的技量を存分に発揮できないらしく、そのアーティスト専用の狙撃銃には、あらゆるセオリーを無視した徹底的な改造が施されているのだとか。

 観客として一時の高揚感に身を任せていたドロテアはは、その反動で割と疲れてしまっている。まずは妹分のデルフィーヌから差し入れられたおやつを味わうことで、英気を養いたいところだ。今晩、メーション使いとしての基礎鍛錬も兼ねて、趣味であるオカルト関係の本に読み耽るために。

「その、本当は元からできたんです。ただ、零したりしたらどうしようって、怖くて仕方がなくて……」
 トレイを置いてから、モンブランとハーブティーを小机の上に置くデルフィーヌは、脇目でドロテアの顔色を窺っていた。
「トラウマってわけね。仕方がないことだわ。どうしても頭に思い浮かんでしまうなら、どうにかして”昇華”させないと」
 そう言ったドロテアは、早速ハーブティーを一口含む。トレイを持ったまま、身体の前で姿勢正しく手を組むデルフィーヌは、ほっとして口元を緩めた。

 
「それ、紅茶とは違うお飲み物なのでしょうか?」
 ペットボトルや石ころを主食としていたデルフィーヌだが、生身の人間が食べるようなものを口にするよう、少しずつ訓練している。味覚を十分に発達させて、ドロテアが飲み食いするようなものを共に愉しむ日を夢見るデルフィーヌは、訓練の一環としてハーブティーのことを訊いたのだ。
「言うなればハーブティーね。カモミールのお茶よ」
 ドロテアは疲労解消のために、いつもとは違う飲み物を淹れるように頼んだ。先日読んだオカルト関係の本に、カモミールのことについて詳しく書かれていたので、その影響でハーブ・アロマセラピーショップに足を運んだというわけだ。
「カモミールって……?」
 行儀よく両手を組んだまま佇むデルフィーヌが、もう一度質問する。
「古代から伝わる、薬草の一種とでも言っておくわ。不眠症改善や、心身のリラックスに効果があるの。聖なる薬草と崇められるだけの効能はあるわね」
 そう言ってドロテアは、モンブランをフォークで掬って、口の中に運ぶ。

「そのような仰々しいお名前……。お米一粒に七人の神様がいらっしゃるとお聞きしますが、カモミールもそうなんですか?」
 “聖なる”というキーワードに、ほんのちょっぴり怖気づいたデルフィーヌが訊いた。
「さあね? まあ、悪魔払いに使われるとは、聞いたことがあるわ」
「悪魔払い……ニンニクみたいに、その匂いで……?」
 デルフィーヌはつい最近、僅かに開いたドアの隙間から、興味本位でドロテアが観ていたオカルト映画を覗き見した。やっぱり怖かったので、泣きそうになっだデルフィーヌに、ドロテアは映画に出ていた吸血鬼の退治方法を教えてやったものだ。
「悪魔全部が吸血鬼なわけないわよ。カモミールをくべて、かがり火を焚いて、その上を何度も繰り返し飛ぶ儀式らしいわ」
 心当たりがある節に、思わず吹き出しそうになりながらも、ドロテアは丁寧に説明してやった。
「ひぇえ……うっかりかがり火の中に落ちたら、末恐ろしいですね。ど、どうして飛ぶ必要が……?」
 ますます恐怖を感じて、デルフィーヌは組んだ両手に力を籠めている。
「香りを直に嗅ぐためかもだわ。アロマテラピーにおけるカモミールは、中枢神経を鎮静させる作用があるし、頭痛や腹痛に効くとも言われているわ」
 覚えたばかりの知識を、尤もらしく語るドロテア。あくまで冗談でのつもりだ。
「ご説明、ありがとうございます。だから、できるだけ煙に近付くために、火の上を飛んでいたのですね」
 度しがたい現象に納得がいったので、デルフィーヌもとりあえずほっと一安心。
「あくまで”かも”だけど」

 
 済ました顔で、ドロテアはもう一度ハーブティーを含んだ。デルフィーヌがその場で立ち尽くしていて、間の悪さを埋め合わせようと、ティーカップを置いたドロテアが再び語りだす。
「悪魔払いとか降臨の儀式とかって、意外と科学的根拠に基づいてる場合があって、感心するものだわ。経験則で得た知識を、神様とか悪魔とか、素朴な理論に結び付けているのかも。きちんと調べれば、そんなに怖いことじゃないわ」
「分かりました。気を付けます」
 デルフィーヌが恭しくお辞儀すると、再三に渡ってドロテアがハーブティーを口にする。息を吐きながら、カモミールの香りの余韻に浸るドロテアを、デルフィーヌはまじまじと見つめている。気づいたドロテアが、ティーカップを差し出しながら話し掛ける。
「アンタもリラックスするために飲んでみる? クセのある味だけど、味覚の鈍いアンタなら逆に大丈夫かもだわ」
「が、頑張ります……!」
 デルフィーヌは恐るおそる、両手でティーカップを受け取り、小鳥が餌をついばむかのようにハーブティーを口にした。慣れない味が受け付けなかったのか、それとも鈍い味覚では何も感じなかったのか、デルフィーヌは何とも微妙な表情を浮かべる。ドロテアは、フォークでモンブランを掬うと、笑いながらそれを差し出すのであった。

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