そのステージの名は密林。本来はタッグマッチを想定した設計のため、一対一のライブに使うにしては広大な円形のステージだ。
苔むした倒木や、曲がりくねった太い枝が行く手を阻むため、移動の際はかなり制限されてしまう。木の枝に引っ掻かれたり、倒木に躓いて転んだりするので、強行突破はなるべく避けたいところ。更に、隙間なく生い茂った樹木のせいで視界が悪く、敵を見失いやすい。一旦離れれば、どちらが先に奇襲を仕掛けるかの緊迫した展開となるのだ。
ステージ中央の開けた空間で佇むのは、恰幅の良いレフ=カドチュニコフ。見えない壁の外側に居る観客たちには、樹木などの遮蔽物が半透明になって見えるため、目が細いその強面を問題なく拝むことができる。肌は白く、種族は猿人間。隣の世界における『人間』と同じような外見だ。
レフはフィールドジャケットとカーゴパンツ、そしてヘルメットを装備していて、それらの配色は密林に相応しい緑基調の迷彩柄だ。切るよりも草木を薙ぎ払うことに特化した
いつもは『ヴィクトリア』と呼ばれる、戦車の砲身をぶっこ抜いたような無骨なランチャーがメイン武器だが、今回は一対一のライブに備えて単発式のグレネードランチャーを携えている。ヴィクトリアと比べると威力で劣るが、取り回しの良さでは勝る。さしずめ『ヴィクトリアJr.』と言ったところか。また、今回は密林でのゲリラ戦に備えて、集音マイクを装着しているようだ。
「総員、起立ッ!」
ステージを囲うように設置された観客席の最前列で、軍服を着た男たちが、鬼軍曹に叱り飛ばされたかのように立ち上がった。指の一本に至るまで規則に従うかのようなその立ち方からは、レフと同じミリタリーオタクの匂いがする。
「軍歌斉唱ォ!」
レフを鼓舞する為なのか、彼らは突如として軍歌を歌い始めた。ゆったりとしたリズムだが、力強い男性たちのコーラスが威圧感を醸し出す。巨大な戦車が戦列を為して、地の果てからじわじわと攻め寄せてくるかのよう。
(うるせぇな、こいつら)
観客席の最前列に座る猫人間のケヴィン=シンクレアは、戦車の発射音のような爆音に囲まれているため、耳を塞いでいた。塞ぐといっても、ピンクのニット帽の下にある猫耳をだ。水色のラインが入ったピンクのブルゾンに、緑と紺のチェックなロングパンツ。センター分けの髪と細長い尻尾は、赤茶色に染めている。
レフは他のアーティストと組んでタッグマッチに出場することが多く、ケヴィンは何度も相方を務めた。今回レフが珍しく一対一のライブに出場するというので、ケヴィンは冷やかすつもりで現地に足を運んだというわけだ。
瞬間移動で、茶色い肌をしたもう一人のアーティストが中央広場に現れた。リバウド=グルベール、栗色の短い縮れ毛の上に、闘牛のような湾曲した銅色の二本角がある、牛から進化した人間だ。
破れたボロボロの黒シャツの上に、若草色の防刃服を羽織り、下半身はカーキー色の防刃ズボン。片手で軽々と担いでいるのは、二鋸のチェーンソーをハサミのように繋げた機械、『クライ”ティンバー”』だ。今は閉じている状態で、僅かな隙間を隔てて二枚の
見るからに暴力的な武器とギョロリとした目が相俟って、さながらホラー映画に出てくる凶悪な怪物。プロレス的に言えば、モンスターヒールに該当するだろう。
早くも凄惨な惨劇を予期してか、軍歌の斉唱が止んだ観客席に緊迫感が圧し掛かる。張り詰めた空気の中、リバウドが空いた方の片手を突き出すと、目の前に木像らしき物体が出現。メーションによって出現したそれは、軍服を着たレフの姿にそっくりだった。
「凄いや! これがチェーンソーアート!? ぼくにくれるの!? いやあ、実に精巧だなあ! 本物のぼくより一回り大きく見えるけど、なんか戦車みたいで格好いいよ!」
興奮してマシンガントークを繰り出すレフを余所に、リバウドはチェーンソーのエンジンをオンにした。バリバリバリバリ! と、パトカーのサイレンよりもけたたましい駆動音が響く。ちなみに、チェーンソーアート以外のリバウドの趣味はバーベキュー。代々林業の家系なので、どうしても森の中でできる趣味ばかりになってしまう。
「欲を言えば、ヴィクトリアの方も作って欲しかったんだけど、もしかして資料が少ないから断念したのかな? だったら今度、貸してあげるから――」
レフを黙らせるように、木像の首を一気に切断するリバウド! 馬力が異常に高いチェーンソーの二枚刃が、蜘蛛の巣を指で切るかのようにスパッと頭を吹っ飛ばしたので、最早お笑いになるレベルだ。
「これがおぬしの命運ぞ」
エンジンをオフにしたチェーンソーの刃を向けながら、太くて逞しい声を投げかけるリバウド。軽々と扱っているが、エンジンをオンした時の反動は、常人が持てば刃が自分の顔に飛んでくるほどの暴れよう。不必要な時はエンジンを切っていた方が、スタミナの消耗が少なくて済むのだ。
「ははん、他国の国旗を燃やすかのような挑発行為だね。よしきた!」
嬉々としてレフが言った瞬間、ミリオタたちが鬨の声を上げた。間もなくゴングが高鳴り、戦いの火蓋が切って落とされる。
開始早々、グレネードランチャーの銃床を肩に付けながら発砲するレフ。分かり切っていたリバウドは、横に大きく飛び込んだ後にうつ伏せになって倒れ、爆風と破片から少しでも身を守ろうとする。
しかし、地面に着弾した弾は派手に爆散することなく、緑色の煙を激しく噴出させた。グレネードランチャーに籠められていた弾は、榴弾ではなくて発煙弾だったらしい。
(リバウドくんは、規格外のタフネスを誇るらしいからね。一発の榴弾で仕留めることは、まず不可能だろうさ。おまけに開始地点が彼我ともに中央付近ときた。仕留め損なえば格闘戦に持ち込まれて、間違いなくぼくが負けてしまう。というか、あんな近距離で撃てば、散弾でもない限りぼくが巻き込まれ――)
マチェットで草木を薙ぎ払いながら、密林の深くへと逃走するレフ。真っ直ぐ走るのではなく、蛇行しながら道を切り拓くことによって、少しでも逃げ延びる可能性を高めている。倒木を越えるために足を持ち上げたり、走り高跳びのバーのように行く手を塞ぐ木の枝と飛び越えるのは、巨体かつ重装備のレフにとってかなりキツイ。
(むぅ……。むしろ挑み掛かって来れば、反撃に転じようものを)
銃で撃たれたり、刃物で斬りつけられたりすれば、視界が不明瞭でもレフの位置が大体わかる。外傷に対してはとてつもなく頑丈だから、一、二度攻撃されるくらいは問題ない。レフの攻撃を誘う意味でも、下手に動いてどつぼに嵌まらないためにも、リバウドは中央広場で佇んでいた。
(大木を背にして、前方と両側面に指向性対人地雷を設置! 前面から展開されるセンサーの範囲内で、ある程度以上大きな物体が、ある程度以上の速度で動くと、内部の鉄球が扇状に発射されるのさ! 昨日完成したばかりだけど、ちゃんと動いてくれるといいなあ! 本来は加害範囲外半径100m圏内は危険だし、銃弾とかに反応してしまったら困るから、色んなところの調整が――)
湾曲した箱状の物体を三つ敷設したレフは、集音マイクを取り付けたグレネードランチャーに榴弾を装填すると、銃口をあちこちに向けた。ちょうど緑の煙幕が消失する頃合だが、リバウドの足音やチェーンソーの駆動音らしきものは全く聞こえない。ちなみに、近くで轟音が鳴っても大丈夫なように対策が為されているため、集音マイクに爆発音を拾わせて爆弾魔レフの聴覚を破壊するといった戦術は通用しない。
煙幕が消えたおかげで、斜め前に草木が薙ぎ払われた跡を目視できたリバウド。
(待ち伏せされていることは明白だが……。その路網、辿らせて貰うぞ。おのれは不器用でな。正面突破しか能がない)
チェーンソーを担いだまま、レフが通った跡をずしずしと辿るリバウド。怪物めいたパワーとタフネスに恵まれたリバウドだが、本人も自覚しているように、搦め手や知恵比べといったものは苦手だ。
ついでに言うと、リバウドは私生活でも不器用だ。その恐ろしい風貌のせいで、道行けば通りすがりの人々を震え上がらせ、口下手なせいで不本意にも相手を威圧してしまう。コンプレックスを克服しようにも不器用だから、己の運命を正面から受け止める覚悟を決めた。そうしてリバウドはモンスターヒールになった。
(よし……よし……! こっちに近付いているぞ! ぼくが切り拓いた道を辿っているみたいだ! 一定間隔で聴こえてくる足音に混じって、木の枝が踏み折られる音も聴こえる。フェイクの可能性は極めて低い!)
正面にグレネードランチャを構えたレフは、リバウドの足音がする辺りに照準定めて榴弾を撃った! 直撃は端から期待していないが、広範囲に行き渡る破片を浴びさせれば十分だ。
『ぐほぁ! むぐぅ……うぅ……!?』
リバウドの呻き声を集音マイクで拾ったレフが、ニヤリと笑う。具体的なダメージは分からないが、少なくとも無傷ではないだろう。
見えない壁の外側からだと、草木などの遮蔽物は半透明になって見えるため、観客たちはリバウドの様子がはっきり分かる。直撃こそ免れたものの、大量の破片が全身を貫通したため、リバウドは大量出血を来たしていた。片手で腹を押さえているが、それでも二本の足でしっかりと立ち続けることができるのは、さすがのタフネスと言うべきか。
「流石だ、同志レフ!」
「轟音と黒煙、これぞ戦場の華よ!」
たった一発の榴弾でクライマックスばりに大喜びするから、ミリオタたちはちょろいものだ。
(しょっぺぇ戦いで入場料ぼったくりやがって)
別に本当にそう思っている訳じゃないケヴィンだが、周囲のミリオタたちと一緒に大騒ぎするのが、何となく癪だった。
(この木の穴を見やるに、あやつは――)
不器用なリバウドだが、幼少の頃から林業に携わってきたため、木を見る目に関しては確かだ。破片が貫通した木々の様子から、榴弾の着弾点、そしてレフの大まかな位置を絞り出すと、リバウドはチェーンソーのエンジンをオンにする。
(チェーンソーの駆動音……! まさか、着弾点からぼくの所在地を割り出したのか!? 確かに遮蔽物が多いから、不可抗力にも射線が限定されてしまうよなあ! でも一応罠を張ってあるし、焦らずに迎撃態勢を維持しよう。指向性対人地雷地雷を含めて、あと二、三発くらいリバウドくんに命中させれば、いくらA-10並の頑丈さがあったとしても――)
グレネードランチャーに榴弾を再装填する動きからは、レフの熟練が伺える。リバウドの姿が見えないのに、(マイクに頼らずとも)チェーンソーの馬鹿でかい駆動音だけが聴こえるのが、ただならぬ恐怖を感じさせる。
(ん? なんだろう、この音? 丸太トラップを仕掛けた覚えはないけど――!?)
レフが榴弾の再装填を終えると、ガサガサガサと、木の葉が擦れ合う音が聞こえてきた。まさかと思って見上げると、複数の大木がこちらに向かって倒れて来るのだ! レフが待ち伏せする辺りに倒れるよう調整した上で、リバウドが数本の大木を伐倒したのだ。元々クライ“ティンバー”は、林業に便利な多機能チェーンソーを改造したものだから、リバウドにかかればこの程度は朝飯前だ。
(まずいなあ! 逃げないと! ああ、でも指向性対人地雷を敷設しているから、逃げ場が無かった! くそう! 石を投げつけたりするならまだしも、まさかこのような――)
立ち上がったものの、その場で足踏みをするしかなかったレフは、一本の大木の下敷きになってしまった。センサー内で、ある程度以上大きな物体が、ある程度以上の速さで動いたので、反応した地雷は全て爆発してしまう。
(いてて……骨が何本か折れたかも……。でも良かったあ! 指向性対人地雷自体は、ちゃんと動作するみたいだ! 命令された通りに動いただけで、兵器は何も悪くない! 期待通りに動かなかったのは、使いこなせなかったぼくが悪いからね! それはそうと、なんかチェーンソーの音が近づいてくるんだけど――)
自作した兵器の働きぶり(?)に喜ぶのも束の間、大木と地面に挟まれて身動きがとれないレフに、重い足取りでリバウドが接近してゆく。
(ふ。運が悪かったなァ。今にその肥えた身体を枝下ろししてやろう)
ダブルチェーンソーの唸り声は、まるで死神が鎌を引きずっているかのよう。
(まずい! ようし、こうなったらスタングレネードだ! 片手が下敷きになっているけど、安全ピンは歯で噛んで抜くから大丈夫! こんな簡単に安全ピンが抜けたら、持ち運びの時に危険だけど、見えない壁の中でしか使わない兵器だからね。ついでに近接戦闘を想定して、効果範囲も縮小して――)
とにかく、レフはピンを歯で抜いて特殊な手榴弾を投擲し、それは残り数十メートルほどの距離まで迫っていたリバウドの足元に転がった。
(小癪な! 蹴り飛ばしてくれる!)
こんな至近距離だと走って逃げても間に合わないし、その判断は間違っていなかっただろうが、如何せん動作が遅すぎた。のっそりと特殊手榴弾を蹴り飛ばそうとした瞬間、爆音と閃光によってリバウドの視覚と聴覚が無力化される!
(あいつおれの技パクリやがった。態度わりぃ)
相手が聞いているかどうかは関係なく、ケヴィンはからかわずにはいられない。
リバウドの身体が麻痺している最中、レフは腰付近に装備していたプラスチック爆弾(粘土状)を手に取り、圧し掛かっている木の隙間に詰め込んだ。起爆装置を挿し込み、今度はリモコンのようなものを手に取る。
スイッチを押すと、詰め込まれた爆弾が起爆し、大木はレフの真上辺りで真っ二つになった。間近にいたレフも無事では済まされなかったが、こうでもしないと脱出はできない。グレネードランチャーを拾い直すと、一目散に逃げて行く。下敷きにされた時に骨折したせいか、その走り方はどことなく苦しそうだ。
「おのれィ! 逃がさんぞォ!」
身体の麻痺から立ち直ったリバウドは、エンジン全開にしたチェーンソーを軽々と振り回しながら、行く手を阻む草木を全て薙ぎ倒す! まるで竜巻が通過したかのように、次々と木々が倒れて地面を揺らす!
逃げる側のレフは、木の枝に顔や手を引っ掻かれつつ、倒木や太い木の枝を避けながら走る。全速力で走った場合、両者ともその最高速は似たり寄ったりだろうが、リバウドは最短距離で迫るからその間合いは徐々に縮んでゆくのだ。
(まずいなあ……! このままだと追いつかれる!)
顔や手の甲が切り傷だらけになったレフは、突如反転してグレネードランチャーを発砲。大木の下敷きになる前に装填していた榴弾が、リバウドの足元で炸裂した!
「お、やったか?」
などと、わざと不吉なことを呟くケヴィン。
「
爆発は漢の浪漫とばかりに、ミリオタたちは再び熱狂する。実にちょろい。
リバウドはほぼ真上に吹っ飛び、背中から落下してチェーンソーを取り落とす。破片を貫通した跡が倍になり、流血の絶えない双角の巨人は、より魔物に近しいものとなる。それでも尚、のっそりと起き上がった後に、地面で暴れ回るチェーンソーを拾い直す様は、生きる屍と呼ぶべきか不死身の化け物と言うべきか。
(やっぱりなあ! そんなことだろうと思ったよ! どうしよう!? グレネードランチャーの再装填には時間が掛かるし、その間にリバウドくんに接近されて、一刀両断待ったなしだ!)
ただでさえ太った体で激しい運動をしているのに、チェーンソーの駆動音が本能的な恐怖を煽るせいで、流れ出る汗の量は凄まじいものとなっていた。
(くそう、こうなったら……! ぼくはミリオタだけど、戦勝のためにジャングルを焼き払うような非人道的な行為には断固反対だ! でもこれはショーだから、きっとみんな大目に見てくれるはずだろう! どうしてもぼくの作戦を批判する層はいるけど、そもそもミリオタを名乗っている時点で――)
腰に装着した焼夷手榴弾を投げつけるレフ。何とか立ち上がったリバウドが、周囲の木々を薙ぎ払おうとチェーンソーを振り上げるや否や、目の前で眩い光が激しく迸り始めた。飛び散る光は超高温で、リバウドの防刃ズボンや防刃服が溶けて穴が開く。薙ぎ払われた木々や低木が延焼するため、炎に呑まれる前にリバウドは側面に進路を変える。
レフは焼夷手榴弾を、次々とリバウドの手前辺りを狙って投擲する。リバウドの姿は視認できないが、流砂に沈むかのように薙ぎ払われる木々と、チェーンソーの駆動音によって、集音マイクに頼らずとも大体の位置は分かる。
「賢明な判断だ、同志よ!」
「目標の接近を許してはならんぞ! 何が何でも!」
レフを囲むように展開された炎の壁を、お花が大好きな癒し系女子が見たら多分泣きだすが、ミリオタたちは手放しで賞賛している。
(囲師には必ず
炎の壁から逃げるリバウドが、密林の外周付近、つまり見えない壁のすぐ傍まで追い詰められると、レフは焼夷手榴弾の投擲を中断した。自慢の指向性対人地雷を、燃え盛る密林にある僅かな隙間に面するように敷設する。
(むぅ……弾切れか?)
観客席が一望できる見えない壁と、恐ろしいスピードで燃え広がる炎の壁の間に、僅かながら炎上を免れている地帯があることに気付くリバウド。この僅かな隙間も、間もなく延焼してしまって、リバウドとレフの間は炎の壁によって完全に遮断されてしまうだろう。そうなると、レフの豊富な銃火器によって、消し炭になるのを待つだけになってしまう。いや、実際に消し炭にはならないが。
(腹立たしい! よくも樹木をそう易々と! 植林に幾年要すると思っているのだ!)
頭では虚構だと理解しているが、リバウドは林業に携わる者として、樹木を燃やし尽くすレフに激怒していた。自らも木々を薙ぎ倒しているが、日常的な作業と非日常的な火災とは、感じるものが違うのだろう。夥しい量の火の粉が降り注ぐ中、ぎょろりとした目を血走らせ、ボロボロの血塗れになったその姿は、もはや怪物ミノタウロスだ。
リバウドはチェーンソーの馬力を更に高めた。今まではしっかり押さえ付けられていたチェーンソーが、今にも飛び出しそうになるくらい暴れだす。うっかり手を離してしまったら、まるで突風に飛ばされたかのように空を飛ぶだろう。
限界まで出力されたエンジン音は、ミリオタたちの鬨の声や、一般的な観客の歓声、悲鳴、ブーイングをも打ち消すほどだ。爆撃機が真上を掠めたかのような恐怖。脱水症状の恐れすら疑われるほど汗を流すレフは勿論、待ち構える惨劇に身の毛がよだっている観客も少なくない。
怪力で強引に押さえ付けられたチェーンソーは、遂に出力が頂点を迎えて解き放たれた。ギリギリ手放さずにいるリバウドは、最高速に達した貨物列車の手摺りに掴まっているかのように、チェーンソーに引きずらながら猛烈な勢いで突進する! 炎の壁と見えない壁の合間で繁茂する草木は、その速度と体重によって轢かれ、薙ぎ倒される!
(来たか! さあ、来い!)
レフの予想通り、リバウドは超高速で突っ込んできた。榴弾の再装填が間に合わなかったので、グレネードランチャーをその場に置き、素早くマシンピストルを引き抜いて迎え撃つ! しかし、突進の勢いがあまりにも凄まじい為か、規格外のタフネスには今更な軽傷なのか、チェーンソーに引きずられるリバウドはびくともしない。
猛スピードで突っ込んで来るリバウドに面した地雷が、両者の命運を分ける。放出される無数の鉄球によってリバウドが崩れ落ちるのか、リバウドが持ち堪えて二枚の刃がレフの腹部を突き刺すのか。チェーンソーが暴走してから僅か数秒、場内はかつてない緊張感に包まれた。
センサーの範囲内にリバウドが侵入した瞬間、レフの緊張は頂点に達した。極限状況からか、迫り来るモンスターの動きがスローモーションに見えた。緩やかに流れる時の中、指向性対人地雷が爆発する瞬間を、頭を真っ白にしたまま待ち構えたが――。
「不発ッ!?」
あの新型地雷の性能をよく知ってるミリオタたちは、大半が異口同音にそう叫んだ。
真っ青になったレフの腹部に、激しく震える二枚の刃が突き刺さる! レフの背中から二枚の刃が突き出たのを確認したリバウドは、目先にあった大木にチェーンソーごとレフを押しつけ、釘付けにする! 本来のチェーンソーなら、キックバックなどしてリバウド自身に危害が及ぶ恐れがあるが、これは戦闘用に改造したチェーンソーだから安心だ。
(どうして!? さっきは大木と言えど、ちゃんと動作したのに! 運悪く不発弾だった!? いや、まさかそんなはずは――)
切断される丸太が木屑を撒き散らすように、レフは腹と背中から尋常ではない量の血を撒き散らす。見えない壁の内部で死ぬことはないが、撒き散らされる血が尽きることもない。軍服も防刃服もチェーンソーも草木も、あらゆるものが許容量を超えた血に濡れる様は、ある意味で現実以上に恐ろしい。
(待てよ……もしかしてあまりの速度で、センサーが『動いている物体』を認識できなかったんじゃないか!? ハイスピードカメラを使わなければ、ミルクが落ちる際にできる『ミルククラウン』を撮影できないのと同じだ! ぼくはカメラに詳しくないから、間違っているかもしれないけど、1秒間に30フレームでしか撮影できないカメラだと、60分の1秒を捉えることができないのと、同じようなものじゃないかなあ!? くそう! 作戦は完璧だったのに、どうしてこんな――)
大量と言う言葉すら生温いほど出血したレフから、二枚の刃を引き抜いたリバウドは、震えるがままの二枚のバーを左右に広げる。ハサミのように開かれたダブルチェーンソーは、どす黒く染まった大木に凭れ掛かるレフの首を、まさしくハサミのように挟み込む! モンスターヒールとしての、最後の仕上げだ!
(うっわ、これは18禁だわ……)
辺り一面、何もかもがどす黒く染まった空間内で、悪魔の二本角に挟まれた血達磨の首は、双方向から噴水のように血を撒き散らす。意外とこういうのが苦手なケヴィンは、思わず目を瞑った。ライブの結果は、言うまでもない。
後日、BASドームの数あるトレーニングルームの一室にて。
小さな体育館のようになった室内には、中央に模擬戦用のステージが設置されている。この部屋に設置されたステージは、プロレスリングを模した『スタンダード』だ。
「よしきた! ケヴィン、全速力で突っこんで、ぼくを殴ってくれ!」
レフがステージのコーナー、それこそ鉄柱のコーナーポストを背にしながら叫ぶ。赤シャツ、黒ジャンパー、緑迷彩カーゴパンツという私服姿。短い金髪が露わになっていて、金のイヤリングと強面の巨体の連鎖反応で、一目見たら喧嘩上等の不良番長だと誤解してしまうだろう。
レフの目の前には、先のライブで何故か不発に終わった指向性対人地雷が敷設されている。真紅の木屑を撒き散らす丸太に貶められながらも、動作不良の仮説を思い巡らしたレフは、それを実証するつもりなのだ。
「ドMか?」
対角線上のコーナーで、赤茶色の猫尻尾をぶらぶらさせながら答えるケヴィン。ピンクのニット帽、ピンクのブルゾン、レフと同様の私服姿。
昨晩友人たちを家に招いて、(据え置き型ゲーム機での)パーティーゲームに興じていたところ、「明日の昼にトレーニングルームに来てくれ!」とレフから連絡を受けた。「しょうがねぇな」と渋々やって来たはいいものの、「私服のままでいいよ!」と言われたので、怪訝な面持ちとなっている。
何はともあれ、ケヴィンはレフに言われた通りにする。メーションの副作用によって、七色の光を曳きながら全力疾走する様は、その二つ名に違わぬ『光速の流星』。地雷のセンサー範囲内に侵入しても、なぜか無数の鉄球は放出されなかったので、ケヴィンはそのままレフの腹にパンチを打ちこんだ。一瞬くの字になって「うえっ!」と漏らすレフ。
「いてて……やっぱりかあ! 度を超えて速く動く物体は、認識できないんだ! ケチらずにもっと高性能なセンサーを使うべきだったかもなあ! どうせオリジナルを一個作れば、BASでは量産し放題なんだし!」
レフはマシンガントークを繰り広げつつも、伏せるようになって、敷設された指向性対人地雷を回収する。両脚にイメージを集中させ、足元から七色の火花を散らせながら急ブレーキを掛けたケヴィンは、レフの背後で見えない壁に背中を預けている。
「いや、待てよ……。そもそも機動力を活かして戦う相手に、指向性対人地雷は通用しないんじゃないか? 敷設されたのを察知されれば背後を取られるし、複数敷設しようにもそんな猶予はない。リバウドくんのように、一時的に高い機動力を得るタイプのアーティストもいるけど、その場合は別の手段で対策をとった方が――」
(おれがこいつ殴る必要あったのか……?)
などとうっかり漏らせば、ミリオタトークの上演時間が倍になってしまう。ケヴィンは何も言わずに、メーションで現した携帯電話を弄っていた。
「よおし! とにかく、センサーの性能を向上させることから始めよう! 助かったよケヴィン! きみのおかげで、貴重なデータを得たんだから! 今日の午後は、ドーム内のメカニックルームでこいつの改造に費やすから、ケヴィンはもう帰っていいよ!」
「おめぇ……たったこれだけの為におれを呼んだのか?」
ケヴィンが眉を顰めると、レフは顔を綻ばせながらこう答える。ちなみにメカニックルームとは、トレーニングルームと同様、アーティストだけが出入りを許可された区域だ。主に銃火器の製作に必要な設備が整っており、その道の専門家たちも常駐している。この地雷を製作する際に、レフは専門家から多数のアドバイスを頂いている。
「もちろん! こんなに速く走れる友だちは、ケヴィンしかいないからね!」
「ふざけた理由で呼びつけやがって……。おれのおでん70円セール返上しろや。たまごと牛すじとチーズ天と粗挽きソーセージ買うつもりだったから、280円引いて155円な」
ケヴィンは掌を差し出して、レフから小銭を催促した。
「なんだよそのリアルな数字! 細かいお金なんて持ってないよ! この指向性対人地雷を自作するのに、かなり使ったんだからね!」
ケヴィンは無言で首を傾げた後、レフから視線を外した。と、レフがメーションで片手に封された茶色の長方形パックを現すと、それをケヴィンに差し出しながら言った。
「でもせっかく来てくれたから、何かお礼をしないとね。ほら、
「いらねーよ、ばーか」