オルガvs花月

 水上遊廓”夜桜島よざくらとう”。その二つ名に違わず、雪洞ぼんぼりの光によって妖しく湖に浮かび上がる遊廓では、古くから多くの遊女が勤めを果たしてきた。何も売色だけが遊女の勤めとは限らず、歌謡や舞踊によって客をもてなした例も多々あり、仕事を求めて流れ着いた武者が住みこんだことに起因してか、武芸に秀でた遊女も少なくなかったと言う。
 今回の出張ライブのステージは、夜桜島の細長い廊下の屋根上だ。この廊下は、引き手茶屋と遊女屋を繋ぐ、いわばホテルの本館と二号館を繋ぐ連絡通路のようなもので、仮に屋根の上から落ちれば湖のど真ん中に真っ逆さま。灰色の瓦が敷き詰められた屋根で催されるライブは、さながら吊り橋の上で繰り広げられる果し合い。と言っても、屋根の周囲を丸々と見えない壁で囲っているので、ライブ中に屋根から落ちる心配は無いが。
 観客たちは、廊下によって繋がれた二つの建物の窓から顔を出して、瓦屋根を見下ろしている。もしくは、百を超える数の小舟に乗って、瓦屋根を見上げている。極々小さな埋立地に植えられた木々から、吹雪のように桜の花弁が舞い散り、水面に映る満月と相俟って、夜桜島全体が朧に見えた。

 今回のステージこと、瓦屋根の上にて佇むのは、オルガ=アントネッティ。見えない壁越しに、暗い湖の上で妖しく舞う桜を眺めている。
 身長が低く、かなり白い肌をした十代半ばの少女に見えるが、実際は老年であることから、付いた二つ名は”去翅蝶きょしちょう”。翅を切除された蝶の成虫と言う意味で、その姿は幼虫に相違ないという比喩だ。
 オルガの戦闘服は、肌の露出がかなり少ない、豪華絢爛なゴシックロリィタドレス。短い黒ベール付きのヘッドドレス、真っ黒なレース手袋、真っ黒なワンストラップシューズ。童顔だが、近寄りがたい目の光を放ち、髪型は真っ黒な縦ロールロング。背中には、黒を主色とし、青緑色の帯が貫いている四枚翅がある。
(桜か……)
 紅に染まって落葉することなく、満開に咲き誇るとともに潔く散りゆく。十代半ばの少女こそが、女性の絶頂であると信じて疑わないオルガは、老いさらばえることなく命を閉じる桜の花弁に、ある種の憧憬を抱いていた。

「こなたの桜、お気に召しんたか?」
 桜に見惚れながら思案していたオルガは、艶っぽくも凛々しい声を耳にして我に返る。やおらに正面を向くと、数十メートル先に、今回の対戦相手が立っていた。いつの間にか、瞬間移動で入場していたらしい。
 その名は天羽花月あもうかつき。この夜桜島の出身であることから、二つ名は”夜桜道中”と言うらしい。背中に鴉のような黒い翼があるのを見るに、鴉から進化を重ねてきた人間なのだろうか。
 眉毛が細く、目尻が赤く、うなじがとても美しい。白粉などを塗布せずとも、その肌はとても白い。漆黒を背景に、金糸で樹枝をあしらった着物の上には、朱色を背景に、薄紅色の桜の花弁が舞っている羽織。肩を出したり、着崩したりせず、正しく着付けされている。両のもみあげを三つ編みにした黒髪には、満開の桜が模られた一本の簪を挿す。
 両手と肩で保持しているのは、漆黒を基調に、桃色の桜の花弁を散らした傘。手元の部分は真っ直ぐで、握りやすくする為か日本刀の柄のようになっている。

「然り。美に殉ずる気高き乙女たちに、見惚れておったわ」
 甘ったるいような、どす黒いような声でオルガが言うと、花月は妖しく微笑んだ。
「勿体無きお言葉で御座いんす。わっちらの先祖も、極楽で悦に入っているでありんしょう」
 廓言葉にしては、分かりやすく、微妙な違和感がある物言いだ。花月が若手であるせいなのか、ちゃんと話せる遊女が減ってきているせいなのか。
「ほう、この夜桜は形見なのか?」
 オルガは何かを期待するような視線を花月に向ける。
「それは違いんす。敢えて言うなら、わっちら一人一人が桜の花弁そのもの。孝行を尽くして昇天すうら若き遊女は、一夜に散り乱れる満開の桜そのもので御座いんす」
「老いさらばえて衆目を穢す前に、花盛りの内に自ら腹を切るのじゃな。和に生きる武士もののふどものように、気高く美しい」
 オルガは満足そうな笑みを浮かべたが、花月は微かに眉を顰めた。
「切腹など、言語道断でありんすぇ。貧しい家族を扶けんと、幾夜も身を売り続けるので御座いんす。戦場(いくさば)に散るのが武士の本望なれば、わっちらは空腹や過労、そして病に倒れるのが本望でありんす」
 避妊や医療の技術が未発達で、仕事柄食生活も不規則であったその昔、遊女の平均寿命は二十歳程度という、実に儚いものであったらしい。また遊女らは、困窮した家族のために自ら身体を売ったとして、敬意を示される場合が多かったと言う。親孝行によって早死にする遊女たちの生き様が、いつしか桜に例えられたのだろう。
「下らんのう。お主らの抱え手による方便ではあるまいか?」
 そう言ってオルガは、露骨に不愉快そうな顔をした。
「……今何と?」
 月明かりに照らされた花月の両目は、少なからず敵意に満ちていた。
「下らんと言ったのじゃ。やれ親孝行だの、やれ武士だのと抜かしても、伴侶以外に純潔を安売りしていることには変わりあるまい。お主には、乙女としての矜持は無いのか?」
 つい先程まで花月に敬意を表していたのに、一転して見下すような態度へと豹変した。穢れなき乙女こそ究極の美しさと考えているオルガにとって、愛しい人との契りはまだしも、気安く純潔を捧げる行為は許しがたいのだろう。実年齢相応の頑固さとも言える。
「腹の立つお言葉。頭の固い御方でありんす」
 花月は傘を閉じると、それを左手で逆手に持った。鞘に収めた日本刀を保持しているような体勢だ。花月はこの傘を、武器として振り回すつもりなのだろうか。

「理解できんとはな。まあ良い。少しばかり、灸を据えてやろう」
 そう言って不敵に笑ったオルガは、開いた両手にメーションで創った武器を現した。
 右手には、時計の長針を模った片手剣。剣身は銀、グリップは黒、護拳は金色でゴシック様式のように複雑だ。
 左手には、時計の短針を模った短剣。番いとなっている長針と同様に、剣身は銀、グリップは黒、盾のような銀色の護拳も付いている。敵の攻撃を受け止める、あるいは受け流すことに特化した、防御用の短剣なのだ。物理的には難しいとされる、幅広の刀剣を受け止めることも、メーションの力によって可能となる。
 オルガは、時間を操るメーションや、時計針を創るメーションに長けている。永遠に少女の姿で在りたいと言う、強烈な無意識が影響しているのだろう。付いたメーション・スタイルが、ルナティック=オクロック。意訳するなら、狂った時刻だ。
「夜桜や 病みて散りぬは 誉れこそ なべて一夜の 夢幻泡影」
 静かにオルガを見据える花月は、古くから夜桜島で詠まれてきた歌を口にする。歓声やブーイングは聴こえてこない。この神妙な静寂を打ち破ることは、猛る鬼神にすら憚られてしまう。

 満月と夜桜に彩られた湖の上、ライブ開始を告げるために鳴らされたゴングは、除夜の鐘のようにくぐもって聴こえた。

 

(さて、まずは探り合いと洒落込むかのう)
 傘を逆手で持ったまま動かない花月に対し、オルガは長針を向ける。イメージを研ぎ澄ますと、その先端からより短い時計針が機関銃のように射出された!
 その弾速は銃弾には及ばなくとも、剛腕ピッチャーの剛速球に迫るほど速い。射出された時計針自体に、時間を加速させるメーションが掛けられているのだ。あくまで時間経過のみを加速させているため、初速による運動エネルギーはそうでもないが、威力の低さは手数で補う。
 花月は傘を開き、正面で回転させることによって、時計針の群体を弾き飛ばす。
(ほう、なかなか反応は悪くない)
 射出を止めたオルガは、弾かれた時計針が瓦屋根に落下しては霧消するのを眺める。時計針の嵐が止まったことを悟るや否や、花月は傘布を持ち上げ、手元に当たる部分を引き抜いた。取り出されたそれに刀身が取り付けられているのを見るに、どうやら仕込み刀の類らしい。
 仕込み刀が水平に振るわれた直後、花月の正面に桜吹雪が巻き起こる。横殴りの突風に散らされたように真っ直ぐ飛来して来るので、オルガは桜吹雪を飛び道具と認識した。
 オルガは主に短針を巧みに扱い、飛来して来る桜の花弁を弾き飛ばそうとする。自身の身体をメーションで加速させているオルガは、驚異的なスピードを手にしている。しかし、短針で花弁らに触れても全く手応えがない。指先が蜃気楼すり抜けるかのようだ。
 そうして桜吹雪が、オルガの真横を通り過ぎようとした刹那、オルガの胸が横一文字に切り裂かれた! 抉られた白い肌から鮮血が迸り、ゴシックロリィタドレスの残骸が宙を舞う。一瞬転倒しそうになったオルガは、割と大きなダメージを受けた自分の胸を見下ろして困惑する。
(風の刃か? 桜吹雪は、あくまで其れの軌跡……)
 オルガが視線を正面に移した時には、花月は仕込み刀を収めて閉じた傘を逆手に構えていた。

 再び長針を花月へと向けるオルガ。連射された極小の時計針は、大半が先程と同じ超高速だが、一部が超低速で飛行している。時間経過のみを減速させているに過ぎないから、威力は超高速の時計針と同等だ。
 再び開いた傘を回転させて、時計針を弾き飛ばした花月。全て防御しきったと踏んだ花月は、傘布を持ち上げつつ抜刀するが……。
(不覚……!?)
 花月が仕込み刀を水平に薙いだ瞬間、タイミングよく超低速の時計針が突き刺さった! 慌てて傘布を下げて防御するが、数本の時計針が刺さって、僅かながら流血を来たす。
 放たれた桜吹雪は、残る超低速の時計針を次々と巻き込み、残らず霧消させた。一般論として、現実から乖離したメーションほど、その”強度”は低くなる。時間を操るメーションは強力だが、現実から大きく乖離しているが故に、ちょっとした弾みで効力を失ってしまうのだ。
 オルガのメーションは強力だが、強度の低さが難点となる。二刀流として構える長針と短針以外は、下手すれば素人のメーション使いや、低質な抗メーション物質AMMにすら無効化されるほどなのだ。
(小癪な……!)
 イメージを注いだ短針で、風の刃を辛うじて受け流したオルガだが、早くも不利そうな試合展開になったので苛立っていた。
 風の斬撃は、少なくとも、オルガのメーションと比べたら遥かに強度が高い。傘で防御されることも相俟って、遠距離での撃ち合いは分が悪いようだ。
(解せぬ……何故一々納刀する必要がある!? 妾を愚弄するつもりか!?)

 痺れを切らしたオルガは、再三に渡って超高速の時計針を射出した。続けざまに超低速の時計針を放つと、それを追い掛けるように前進。前のめりになって蝶の四翅を羽ばたかせ、ホバー移動気味に間合いを詰めてゆく。
 当然のように花月が傘を回転させて超高速のを防ぎ、時間差で迫ってきた超低速の時計針をも弾き飛ばす。最後の一本が弾き飛ばされた直後、間近に迫ったオルガが長針で花月の心臓を貫かんとする!
 花月は傘を逆手に持ち、それこそ居合の要領で刀を抜いた。水平に振られた仕込み刀は桜吹雪を纏っていて、花月は突風に押されたようにふわりと後方に移動する。風の斬撃ではなく、後方移動しつつの通常斬撃のようだ。だがオルガの長針の方が僅かに速く、その切っ先が花月の胸を掠めた。
(逃がさんぞ!)
 バックダッシュで間合いを取った花月を、鋭いステップで追い掛けたオルガは、時間操作のメーションで強化したスピードを以って、次々と刺突を繰り出した。
 対する花月は、抜き身の刀と鞘代わりの傘による二刀流で、長針のラッシュを防ぎつつ反撃の機を伺った。時々刀で反撃するが、それは桜吹雪が巻き起こらない普通の斬撃で、オルガは容易く躱すことができた。

 満月の陰りが広がり、湖の水面は墨を溶かしたようになる。あえてライトアップされないステージの上では、蝶の翅が揺らめき、鴉の羽がはためく。障子に映った影のように、おぼろげに。

(ほう、至近距離ではあれが来ぬか。行使に時間を要する、遠距離用の技だったか?)
 花月が持つ武器は”一夜櫻いちやざくら”と呼ばれ、風を操るメーションの力が籠められている。各地を巡回する芸者たちの護身用暗器として作られたのが起源だ。直接発動のメーションにしろ、触媒を介して発動するメーションにしろ、風を操るアーティストや武器は少なくないが、一夜櫻は取り分け風を利用した斬撃と移動に特化している。
 実はこのメーションの力は、仕込み刀ではなく鞘に、つまり傘に付与されている。本来仕込み刀は護身用に用いるものなので、強度や切れ味に優れた業物である必要は無い。だから、刀は幾らでも替えが利く量産品にした上で、肝となる傘を使い回した方が安上がりなのだ。
 納刀すると仕込み刀にメーションパワーが注入されて、抜刀後の最初の一撃は強力な技となる。桜吹雪が巻き起こるのは、その副作用だ。夜桜島のメーション使いによって作られた武器だから、同郷の花月と似たような者の無意識が顕在しているのだろう。
 もう一度納刀するまでは、風の斬撃などが使えないという弱点が存在するが、初撃に全てを賭ける暗器として用いるならば、あってないようなもの。しかし、何十合もの打ち合いを前提としたBASにおいては、その弱点はかなり響いてくる。

 オルガはやや離れた間合いから踏み込みつつ、あえて花月の左半身のみを狙って、単調に長針を振り回している。優れたスピードのおかげで、それだけでも花月の刺傷を増やすことができるが、本当の狙いは別にある。
 後退しながら刀と傘で必死に防御しつつも、二割ほどが防ぎ切れずに長針が身体に掠っている花月は、焦燥感に駆られていた。考える暇すら与えられず、長針が飛び回っているせいでもある。
(疾くと決めるべし。路頭に迷った者は、須く無念を遺す)
 徐々に長針に目が追い付いて来て、オルガが自分の左半身を狙っていることを気取った花月。攻撃と攻撃の僅かな隙を逃さず、右斜め前に踏み込んだ花月は、オルガの頭目掛けて垂直に刀を振り落とそうとした。思い切った動きというか、捨て身と言ってもいい大胆さだった。
(くふふ……! やはりな)
 老獪なオルガは、花月がこのように動くことを分かっていたらしく、左手に握った短針で打ち下ろされた刀を受け止めた。すると花月は、ピタリと硬直してしまう。
 攻撃を受け止めたのとほぼ同じタイミングで、オルガが短針にイメージを注ぎこんだことで、それに触れたものの時間が停止したのだ。本当にほんの僅かしか停止しないが、オルガにとっては十分だ。
 強力過ぎるこのメーション、時間を止めるという極めて現実離れした効果なので、一瞬だけでも短針にイメージを集中させると、結構スタミナが消耗してしまう。常に短針にイメージを注いでいると、すぐにスタミナが切れてしまうだろう。だから、敵の攻撃を完全に読み切った上で、完璧なタイミングで短針で受け止め、最小限の合間だけイメージを研ぎ澄ませなければ、とても実戦で使えたものではない。
 硬直した花月の心臓を狙って、オルガは長針を深く突き刺した! 引き抜き、間合いを取った直後に、花月の時間が動きだす。
 オルガと観客たちには、一瞬だけ不自然な体勢で硬直していた花月が認識できたが、時間を止められた本人は突如オルガが目の前から消えたので、激しく困惑した。
(神速……!?)
 刀は虚しく空を切り、左胸の激痛によって思わずよろめいた花月は、いつの間にか急所を刺されていたことを悟る。

 チャンスと見たオルガは、鋭く踏み込んで花月の額を貫かんとする! 刀を中棒に収めた花月は、オルガに向けて傘を開く。傘布で長針を防御するのかと思われたが、傘が開かれると同時に猛烈な突風が巻き起こった。体重の軽いオルガは、そのせいで身体がふらついてしまった。
 すかさず立ち上がった花月は、開いたままの傘で突きを繰り出す。露先を身に受けたオルガは、一直線に吹き飛ばされる! 傘に籠められた、風を操るメーションの力によるものだ。傘の直接的な攻撃力は皆無に等しいが、仕込み刀と違って何度でもメーションを扱うことができるのだ。
 背中から建物の壁に激突するオルガ。花月は逆手に持った傘の先から猛烈な桜吹雪を噴出させ、ジェットエンジンの要領で一気に迫る! 壁にめりこんだオルガは瓦屋根の上に立ち直すと、長針短針をともに突き出し、腰を深く落として構える。納刀しながら、超低空飛行で突っ込んで来る花月を迎撃するつもりだ。
 オルガの長針三本分の距離まで接近すると、花月は刀を抜いて水平に振るう。桜吹雪とともに風の刃が放たれ、普通に斬撃が来ると思っていたオルガは、またもや胸が一文字に切り裂かれてしまう! 飛び散る鮮血に驚く暇もなく、抜身の刀で斬り掛かってきたので、オルガは思わず長針でそれを受け止めた。
(こやつ、どこからでも斬って来おるわ……!)
 刀を握る花月の手を、長針を握る腕で押し退けようとするオルガ。
(その思惑、霧中にあり。呑まれる前に勝負を決したい。命絶える前に)
 オルガは短剣にイメージを注ぎ、花月の脇腹を刺そうとする。攻撃力は低いが、一瞬花月の時間が止まるため、追撃の急所攻撃で大きなリターンが得られる。しかし、オルガの”神速”を警戒していた花月は、斜め下に向けた傘から桜吹雪を噴出させると、ふわりと後方に跳んで離脱した。

 

 その後しばらくは、両者とも一進一退の攻防が繰り広げられた。
 オルガは超低速の時計針を盾にしながら進近したり、短針による防御をちらつかせつつ長針で傷を負わせる。攻撃力が低い上、メーションによるスタミナ消耗が激しいのがオルガの弱点だが、故に防戦一方では勝ち目がない。
(はっきりとしない輩じゃのう……! 付き合う方は骨が折れるわ)
 対する花月は、傘でオルガを殴って吹き飛ばしたり、前方に向けた傘から桜吹雪を噴出させてバックダッシュしたり、有利な間合いを選びながら主に遠距離攻撃で削ってゆく。今回のステージは細長く、横に逃げるための幅が狭いため、ステージの端に追い詰められると風の斬撃の回避は困難となる。間合いを自在に操るのを得意とする、花月ならではの戦術だ。
(決着を……決着を着けねば。病みて散りぬるよりも先に……!)
 オルガも大概だが、花月は一触即発の戦況にかなり苛立っていた。その短気さは、若くして命を散らした遊女らの昔話を、幼少期から耳にしてきた影響か。ステージの端に追い詰めておきながら、決定打を浴びせられない事態に、焦燥感を駆られていた。

 烈風が吹き荒ぶ轟音。時計針が弾き飛ばされる甲高い音。長針と仕込み刀がかち合う金属音。
 それらは壺の中で震えたかのように、籠った音となって湖全体に響く。遊郭の窓から見下ろし、漂う小舟から見上げる観客たちは、それらが無音で舞散る花吹雪の声無き声のように思われた。

(もう堪忍ならん……!)
 傘で打ってオルガを建物の壁に衝突させた花月は、なぜかふわりとしたバックダッシュで桟橋屋根の中央付近に後退する。風斬撃に備えていたオルガは拍子抜けして、仕込み刀を納めて静かに佇む花月を見据える。
 敢えて誘っているのではないかと、疑心暗鬼になりながらも、オルガは時を加速させたホバー移動で迫る。警戒しつつなので、全速力ではない。
 と、イメージを練りきった花月が、一回転しつつ抜刀したことで、激しく渦巻く桜吹雪を前方に放った! 竜巻に呑まれたように舞い上がる桜吹雪は、半径こそ人一人分と小規模なものの、高さはそれなりにある。恐らくこれに巻き込まれれば、ミキサーに掛けられたかのように切り刻まれてしまうだろう。

(望みは薄いが……)
 目前に竜巻が現れたことで、急ブレーキをかけたオルガは、ゆっくりと迫り来る竜巻から数メートルの位置から、数本の時計針を射出する。案の定、それらは竜巻に触れると呆気なく霧消した。竜巻の方は、全くと言っていいほど勢いが衰えない。オルガのメーションは総じて強度が低いため、この必殺技級のメーションとぶつかり合っても、有意なレベルで弱体化できるかどうかさえ怪しい。
 それならばと、オルガは足元を長針の先端で軽く叩いて、そこを中心点に時計盤のヴィジョンを現した。秒針が一目盛り動くのに二秒かかる、ゴシック様式の時計だ。
 直径が、オルガの長針の攻撃範囲と大体合致するこれは、上に在るものの時の流れを(メーションへの抵抗力などを考慮しなければ)大体半分ほどに低下させることができる。接近戦の際に対峙者をこの上に載せれば、速度差によってオルガが大幅に有利になるし、短針での時間停止パリィも決めやすくなる。素早い上に間合いを自由自在に選べる花月に対しては、展開してもすぐに離脱されると判断してか、本ライブでは全く使っていなかったようだが。
 渦巻く花吹雪の中心点が時計盤内に差し掛かると、その迫る速度は確かに遅くなった。だが、それはほんの二、三秒ほどの間だけで、時計盤が霧消するとすぐにまた元の速度で迫り来る。
(嗚呼、こうも儚く消え失せるとは……!)
 本来ならば、もう少し長く時計盤が展開されているはずだが、竜巻の強度があまりにも強いために、強度の低い時間操作のメーションは軽々と吹き飛ばされてしまうのだ。

(勝機……!)
 例によって納刀した花月は、ダメ押しとばかりに風の斬撃を放つ! 抜刀とともに巻き起こった、突風に吹かれたような桜吹雪が、渦巻く桜吹雪をすり抜ける。オルガは咄嗟に屈んで、竜巻の向こう側から放たれた風の斬撃を躱したが、すぐに次弾が襲い来る!
(先程から忙しなく前に行き後に退き、何の脈絡もなく奥の手を繰り出しては、馬鹿の一つ覚えのように……。此奴、いずれ精魂尽き果てるのではないか?)
 敵の攻撃に抵抗できるという自信メーションを籠めた短針で、次々と襲来する突風を受け流しつつ後退するオルガ。メーションによる大技は激しくスタミナを消耗するため、当たると確信したときに行使するのがセオリーだ。セオリーに従わない花月が未熟だと決めつけるのは早計だが、人一倍疲労しやすいメーション使いであるオルガは、ついついスタミナ配分が気掛かりになってしまう。
 ステージの端、つまり水上建築物の壁にたどり着いたオルガは、淡い期待を抱いて竜巻の頂点を見上げる。――数メートルにも及ぶ竜巻は、オルガの身体能力では、飛び越えることが不可能だろう。真横を通過してやり過ごせればいいが、連絡通路の瓦屋根は横に対して狭いため、無理がある。
「この無粋者めが!」
 オルガは発狂したように、夥しい数の時計針を乱射する! 強度の低さを数が補って、竜巻の向こうから連射される風の斬撃を、辛うじて無効化することができた。
 だが桜吹雪の竜巻は、百とも千とも知れぬ時計針とかち合っても、依然勢いが衰えることがない。オルガが自分を見失っているせいか、時計針の多くが竜巻の遥か上を通過したり、殆ど真上に放たれていたりする。スタミナに難があるオルガにとっては、無駄弾の数だけ敗北の恐れが濃厚になる。

 遂に退路がないオルガの目先まで、花吹雪の竜巻が迫り来る。オルガは長針の先端を瓦屋根に押し付けたまま、連続して時間遅延の時計盤を展開した。すぐに霧消されるこのメーションも、連続して展開すれば長持ちするだろう。
 花月は、死力を振り絞って風の斬撃をひたすら撃っていた。目の前で水平に納刀しては、振り下ろすように抜刀し、腰の脇で刀を納めては、逆袈裟斬りのように刀を抜く。

 花吹雪を散らせる剣の舞いが、再び雲間から顔を出した満月に照らされ、晦冥に煌めく。見えない壁の外側で舞い散る、天然の乱れ花吹雪と一体化するかのように。

(ええい、まだか……!?)
 恐らく、時間経過で竜巻が霧消することを狙っているオルガは、気力を振り絞って短針で風の斬撃を受け流し続けている。先程の猛連射に加え、連続して時計盤を展開しているせいで、オルガのスタミナは限界近い。
 竜巻が間近まで迫ると、オルガのドレスや病的に白い肌が、リンゴの皮を剥いたように引き千切られてゆく。オルガは展開し続けている時計盤に、更なるイメージを注ぎ込み、上に在る竜巻の時間をより遅くする。ただでさえ消耗が激しいメーションだから、一線を越えてしまった代償として、フルマラソンを終えたときのような疲労感が一気にのし掛かってくる。

(これだけ押せば、わっちの勝利は確実……)
 ついにオルガのスタミナが切れて時計盤が霧消し、竜巻に巻き込まれてズタボロにされてしまう――その寸前だった。息切れして、傘を支えに俯きがちになっていた花月の背中や後頭部に、夥しい時計針が降り注ぐ! すっかり油断していた花月は、傘を差して針の雨を防ぐことができず、全身を貫く無数の針によって風穴だらけにされる。
(掛かったな!)
 両膝をついてゆっくりと崩れ落ちつつある花月が、集中力を切らして竜巻を霧消させると、最後の力を振り絞ってオルガが高速ホバー前進。自棄を起こして時計針を乱射した演技をして、忘れた頃に本体にダイレクトアタックする作戦だった。老獪なオルガらしい、時間差攻撃だったのだ。
 とどめを刺そうと急速接近するオルガだが、自身のスタミナも底をついてしまい、後一歩のところで倒れそうになる。しかし、前のめりになりつつも、両膝立ちの花月の額目掛けて、投げるように長針を突き刺した!
(散る……無常なり……)
 脳天を貫かれた花月は、力尽きて横向きに倒れ込んだ。突き刺した長針と、握っていた短針を霧消させたオルガもまた、そのままうつ伏せに倒れてしまう。

 送り火のように燃え尽きた花月を弔うように、桜吹雪よりも美しく舞ったオルガを讃えるように。月下の水上遊郭で、湖に沈むかのようにゴングが震えた。

 
「ただ一夜のため舞い散る、か」
 朦朧とした意識で瓦屋根に伏すオルガは、見えない壁の向こう側で、尚も吹雪いている桜の花弁らを眺めていた。
「虚しいものよ」
 オルガ自身は実践しないが、朽ちゆく薔薇そうびの最後の一片や、聖焔に抱かれて息絶える天使の和毛にこげ、それらの散り際には感銘を覚えている。闇夜に散りゆく桜の花弁もまた一興。
 しかし、安らかな死に清らかな鎮魂歌を捧げるどころか、汚らわしいフィナーレを掻き鳴らす浅はかな連中に、嫌悪感を覚えている一面もある。ただただ散ろうとする花月と刃を交えて、何かを感じ取ったのか、今のオルガは後者の気持ちが強い。
「人生二十年、夢幻泡影。一夜櫻が散るが如し」
 オルガと同様、横たわったまま言った花月は、湖に揺れる舟に取り付けられた、淡い光の提灯をぼんやり眺めていた。
「ほう、まだ気を保っておったか」
 オルガは頭を反対側に向け、静かに横たわる花月の背を目にした。
「御主ならば、傘で我が針のむしろを防ぐことも可能だったがな。無為に刀を振るった結果がこれだ。これに懲りたら、生き急いで純潔や命を粗末にせんことじゃ。孤独の宮殿にて、反骨の精神を養うためにも」
 老婆心から忠告をすると言うよりは、権力や伝統に縛られる花月を嫌悪するような言い方。叱ると言うよりは、怒るという方が適切だ。
「長寿に努めたところで、鬼神の悪戯ですぐに逝く儚さよ。見ず知らずとの同衾も、美酒に濡れた朧の月も……所詮は一夜の儚い夢。同じ儚きならば、わっちは酒池肉林に溺れたい」
 花月はオルガと目を合わせず、泡雪のように水面に積もった桜の花弁を眺めていた。ただ”桜”としか認識されない、見世物として飼われてきた名も無き花弁らを。
「そうやって、もののあはれで御主を蜜にする連中に、最期まで隷属するつもりか?」
 水面に浮かぶ桃の花弁のように、静謐としている花月の丸めた背に、刺々しい言葉を投げ掛けるオルガ。
「墓標に名を刻まれることすら叶わず、屍を寺に投げ込まれるよりかは、詠み人知らずの哀歌に名を遺す方が果報でありんす」
「……勝手にせい」
 不貞腐れたオルガは、横たわったまま花月にそっぽを向いた。

 見えない壁の内部、細長い水上通路の瓦屋根にて横たわる二人の娘子。いつまでも吹雪く桜の花弁らが、そこに降り積もることはなく。水面に揺れる小舟の乗客たちは、糸が切れたように動かない二人の演者を、桜の裸木に見立てていた。興が終わって用済みとなり、陳列窓に封じ込められたかのような木偶人形を。

 

 昼間にも関わらず、黒く分厚いカーテンが閉められた、服飾Heretic’s tea party異端者のお茶会内部。
 仄かに光るシャンデリアライト、ゴシック調の赤い壁、白黒チェックな床。ダンスホールのような店内で並べられたマネキンに着せられたものは、ネイビーブルーのジャンパースカート、特徴的な黒いレースで装飾された真紅のドレス、リボンフリルが付いた真っ黒なコート、古典的な童話のお姫さまを模したワンピースなど。
 現代では異端とされる衣裳を着こなした者らが、混沌を象徴する暗闇をスコーンにして、お茶会に興じているかのようだ。

 “来賓室”と、荘厳な扉一枚隔てたスタッフルームにオルガは居た。BAS以外の仕事中でも抜かりなく、豪華絢爛なゴシックロリィタドレスを着用している。
 白黒の床と赤い壁など、商品が陳列されている部屋とほぼ同様なスタッフルームだが、アンティークミシンなどが置かれた作業台や、絹糸のボビンなどが入れられたバスケットがあるなど、幾許かの忙しなさを感じさせる様子だ。目の負担にならない明るい灯りに照らされる室内は、綺麗な棚には雑多な本や食器などが並べられており、裁縫室というよりはミシンカフェのよう。

 洋椅子に座り、中央の作業台と向き合っていたオルガは、二度のノックが聴こえてきたので扉に目を遣る。
「オルガちゃん、入るわよ~」
 聞くだけでゾクゾクしてくる声とともに入ってきた者は、BASにおけるステージガールの一人、グロリア=エルモーソだった。
 黒ストッキングに薄茶色のトレンチコート。胸元と、片側の太腿辺りをはだけさせて、茶白のランジェリーをチラ見させている。グラマラスな身体のお姉さん。左目周りにある大きな茶斑は、泣きぼくろのようなチャームポイント。白い肌に点在する薄茶色の斑は、猫人間の母から遺伝したものだ。
「おぉ、魅惑の。健やかであったか?」
 洋椅子に座ったまま四分の一ほど回転したオルガは、ため息を漏らすように言った。
「エステの帰りだから、と~っても気分がいいの。腰回りのお肉を落とすためなのよ。お店の人が丁寧だったから、ぐっすり眠っちゃって」
「善き哉、善き哉。その調子で、高貴なる魂の研鑽を怠らぬことじゃ。一度美を穢す腫と交われば、垢に染まりゆくのが定め。心せよ」
 お客様に紅茶を差し出そうと、オルガがゆっくりと立ち上がった。

 ふいに、作業台に置かれていた作りかけの服が、グロリアの目に留まる。
「あらあら? それは着物かしら? 珍しいお洋服作ってるわね~」
 作業台の傍に来て、見下ろしながら嬉々として言うグロリア。定型化を嫌ってたまに変化球を投げることもあるが、オルガは主に西洋衣裳を作ることが多いため、和服は珍しかったのだ。棚の前で立ち止まって、オルガが振り返る。
「嗚呼……。此れを本式の和服と号するならば、糾弾される運命にあるだろうがな。然りとて、形骸化した威光に目を潰された連中の、奴隷と化すのも癪に障る」
 黒を基調に、桜を鏤めた和服のようなもの。さながらロリィタドレスのようにフリルをあしらい、その黒は侘び寂びに忠実な薄闇と言うより、何にも染まらぬ意志のように西洋的なブラックだ。
「へぇ~。そういえばこの桜、蕾なのね。どうしてかしら?」
 付き合いの長いグロリアは、気難しく、逐一象徴性を求めたがるオルガの扱いを心得ている。
「満開の桜とは、散りゆく末路が見え透いた虚しいものよ。口を糊する為に家宝を売り捌く、没落貴族のように。対して成長を放棄した蕾とは、永遠に変革の可能性と冀望とを孕み、仮に絶命したとて五体は満足のまま。正しく究極の美貌じゃ」
 花月が頑なに、生き急ぐ姿勢を変えようとしないことを、未だ根に持っているのだろう。頑固なのはオルガも同じだが。或いは、花月をそう教育した上の者どもに、反発しているのかもしれない。
「うふふ、オルガちゃんらしい考え方。でももし、あたしが桜として生まれたなら、一瞬だけでもいいから咲き誇ってみたいわね〜。散り際を大勢の人に看取って貰えるなんて、桜ならではの贅沢じゃないかしら?」
「……分かっておる。故に革命じゃ。忌まわしき伝統の鎖を断ち切らん為の」
 不機嫌そうに返したオルガは、くるりと回って棚と向き合う。そうして、「うふふ」と笑って気にも留めないグロリアのため、ティーポットを手にするのであった。

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