小さな巨人

 昼間にも関わらず薄暗い大森林、”バッシュレンヒーザ”の中にドロテアとデルフィーヌはいた。魔女の呪いを受けたように、絡み合う異様な形状の木々に囲まれた、淀んだ沼。所々で水面から顔を出す植物は、道連れを求めて手を伸ばす幽霊たちのように不気味だ。

「こ、ここは安全なのでしょうか……?」
 デルフィーヌは、今にも水面から怪物が飛び出して来るのではないかと怯えている。憧れのドロテアに肖ってとはいえ、いよいよもってオカルト映画の見過ぎだ。
「巨大な未確認動物UMAが生息しているらしいわ。でも安心して。こっちから危害を加えないなら、向こうも何もしてこないから」
 実際にUMAを確認したわけではないが、ドロテアはあたかも目撃者であるかのように説明する。
「はい……」
 この魔女の森に足を踏み入れた瞬間から、恐怖に打ち克つようにと、ドロテアから口酸っぱく言われ続けてきたデルフィーヌ。恐怖と炎は似ているものだからと、あのドロテア様がいつも来ている場所だからと、両手を握り締めて身体を震わせるのを堪えていた。

 水際に立っていたデルフィーヌは、イメージを膨らませながら一歩踏み出す。普通なら、そのまま沼の中に落ちる所であろうが、華奢な人形の爪先が水面に触れると、波紋が広がる代わりに氷の結晶が広がった。
「何があっても、イメージを途切らせないようにね。メーション使うのやめたら、沼の中にドボンだわ」
 ドロテアは、片手を腰に当てた状態で言う。
「が、頑張ります……!」
 デルフィーヌは結晶の上に乗ったまま、両手を前に組んだ状態で、ゆっくりと頭を下げた。

 
 すぅ、と小さく深呼吸したデルフィーヌは、さながらフィギュアスケートのように、淀んだ沼の上を滑り始めた。デルフィーヌが通過した箇所は一瞬凍り付き、数秒と経たずに儚く氷解する。メーションで水面を凍らせつつ、優雅に、儚げに舞っている。
 自身を含む、物質の”硬さ”を自由自在に操ることが、元来のデルフィーヌのメーション・スタイル。自分自身を溶かしたり、欠損した部位を修復した際に、”涙”のような残滓が身体を伝うのが印象的だった。”メルト=テラー”と呼ばれていたように、泣くことで恐怖を揉み消したい、溶けることで消えてなくなりたいという無意識が、如実に表れていたのだろう。
 人の温かさに触れることによって、心を覆う氷の壁が溶けたせいなのだろうか。デルフィーヌは水を凍らせ、氷を溶かす能力を開花させた。物質の硬さを自在に操るという能力に、どことなく近しいものがある、氷のメーションだ。

「幸先良いスタートだわ。その調子で、自由に跳んだり攻撃してみて」
 水面上でゆったりと舞っているデルフィーヌを監視しながら、ドロテアが声を投げかける。
「は、はぃ!」
 言われたデルフィーヌは、滑りながら後ろ向きにターンした。その際の回転力を利用しつつ、片足を振り上げることで、ジャンプを完成させた。何度も空中で回転するデルフィーヌの周囲で、極々小さな氷の欠片が幾つも舞う。

 ウォーミングアップとして、何度か回転ジャンプしていたデルフィーヌは、次のステップに移る。跳び上がった瞬間、人工衛星のようにデルフィーヌの身体を周回する、鋭い氷の破片の複数を発生させた。空気中に含まれる水分を凍らせる――別の言い方をすれば、”硬くする”ことによって作り出した、氷の剣。
 綿毛を飛ばすように息を吐けば、口元から氷の枝が発生した。届くはずがないと分かり切っていながら、満月に定めて放たれたそれは、陽光を追い求める花々のように、複雑に分岐しながら闇を目指す。
 一時的に氷結した水面を、蛍の光のように撒き散らしながら、その場で優雅に、何度も回転する。デルフィーヌの身体の表面が僅かに”溶けて”、やがて分離すると大きな氷の結晶となる。ある程度の距離をゆったりと進むと、本体と同様にその場で低速回転に徹し、複数ある氷の結晶らに囲われて、中央のデルフィーヌは舞踏会の主役となる。

(可哀想だけど……)
 デルフィーヌが知らぬ間に、ドロテアは黒い液体入りの瓶を、沼の中に投げ込んでいた。腸のように赤くグロテスクな巨大ミミズ、イメージ=サーヴァント”毒喰腸虫オルゴイコルコイ”の触媒だ。
 水面下で実体化した巨大ミミズは、氷の結晶らと共に舞い遊ぶデルフィーヌの真下に忍び寄る。できるだけ多くの結晶を生み出し、できるだけ長い時間維持することによって、スタミナ鍛錬に夢中になっているデルフィーヌのそばに。

 と、水中でダイナマイトが爆発したように、激しい水飛沫を撒き散らしながら、巨大ミミズがデルフィーヌの眼前に姿を現す!
「ひ、ひぃ!?」
 瞬間、恐怖で頭が真っ白になったデルフィーヌはイメージを絶やし、周囲の結晶や、未だ天を目指す氷の枝が残らず霧消した。デルフィーヌが立っていたごく小さな面積の氷が、元の淀んだ水面へと戻ったため、そのまま沼の中にドボン、と。
(やっぱりか……)
 儚く氷が消え失せ、代わりに水面に広がった波紋を、ドロテアはしばらくの間見下ろしていた。

 水中でもがいているであろいデルフィーヌを追いかけて、巨大ミミズも水中に潜る。等身大の球体関節人形だから、酸欠で死ぬことは無いだろうが、沈みゆく哀れな少女を傍観するだけなんて趣味が悪い。
 身体の先端、巨大な口が付いた部分を下げたまま、再度巨大ミミズが顔を出す。徐々に全身を水上に現しつつあるサーヴァントは、首(?)の部分にずぶ濡れのデルフィーヌを乗せていた。
「す、すみません、ドロテア様……あれだけ言われたのに、驚いてしまって……」
 ドロテアに叱り飛ばされる前に、冷たさと恐怖で震えているデルフィーヌが言った。
「まあ、その為のトレーニングだし」
 低い声でドロテアが答えた。沼の端までデルフィーヌを運んできた巨大ミミズは、ほぼ直角に身体を曲げて、水際に華奢な人形を降ろしてやる。

 土砂降りに遭った子犬がそうするように、デルフィーヌは身体を震わせた。同時に、纏わり付いた水分を凍らせ、それを粉雪のように散らし、気体に還すことによって、実質的に身体を乾かした。
「メーションに関しては、私から言うことは何もないんだけれどもね。はっきり言えば、短時間でそこまで成長したのに驚いているわ」
「はい……」
 申し訳なさそうに頭を垂れているデルフィーヌ。生後数年で紆余曲折、波乱万丈の人生があったとは言え、メーションに関する才能は目を見張るものがある。
「だけど、バトル・アーティストとしてデビューしたいなら、それだけじゃ足りないわ。実戦では何をされるか、分かったもんじゃないから」
「はい……」
 もしかしたら、ドロテアたちから無意識下で影響を受けたのが、メーション能力が強化された最大の要因かもしれない。闘争本能を刺激されたのか、勇敢に戦いたいという願望が増大し、恐怖をも昇華させたいという動機づけ。バトル・アーティストとしてデビューすることが、それら全ての欲求を満たす手段のように思われたのだ。

「や……やっぱり、怖いです……」
 怯えたデルフィーヌの「はい……」以外の声をドロテアは待っていた。いつまでも会話の主導権を与えないのは、主体性の欠如を引き起こす。
 厳しく接することに、一切の躊躇が無いわけではないが、デルフィーヌの決意を信頼し、応えなければならない義務がある。教育として理にかなっているかは分からないが、試行錯誤するドロテアも一生懸命だ。
「誰でも最初はそんなもんだわ」
 ドロテアがツンと言い放つと、デルフィーヌは上目遣いとなった。
「……ド、ドロテア様ならどうします? いきなりモンスターが出てきたら……」
「そうね」
 ドロテアは少しの間、沼の端で大人しくしている巨大ミミズを眺めていた。主から新たな命令を下されるのかと思いきや、何の言葉もイメージも送られて来ないので、巨大ミミズはキョトンと首を傾げる。

「邪魔だから潰すわ。気色悪い虫が出てきた時と一緒よ。ほったらかしにするよりは、いっそ殺した方が清々するでしょ」
「こ、殺す……!?」
 電流が走ったように、ビクリと震えたデルフィーヌ。
「そう、ぶっ殺す。寝床にゴキブリが潜んでいることが恐怖と言うなら、叩いて潰すことこそが安心というものだわ。次あいつが出てきたら、遠慮なく殺して」
 今度は巨大ミミズが、電流が走ったようにビクリと震えた。
「いいんですか……!?」
 にわかに震えはじめた巨大ミミズを眺めながら、デルフィーヌが恐るおそる聞く。
「あいつは私が召喚すれば、嫌でも生き返るんだから気にしないで。さあ、再開するわよ」
「わ、分かりました……」

 デルフィーヌが沼の方に向かって踏み出すと、巨大ミミズはドロテアを見詰めたまま、デルフィーヌが近寄った分だけ後退する。
「文句あんの?」
 人使いならぬ、サーヴァント使いが荒い主に睨まれた巨大ミミズは、頭部をブンブンと振り回しながら、底なし沼に囚われたかのように、ゆっくりと沈んでいった。
「……ほ、本当に大丈夫ですか?」
「何処だ!? 何処におるのだ!?」
 デルフィーヌに返答する間もなく、どこからか野太い声が響いてきた。バサリ、バサリと植物が掻き分けられる音と、突進するサイのような重々しい足音。
 本物のモンスターが現れたのではないかと、ドロテアとデルフィーヌは、迫り来る爆音の方に向き直して、身構えた。

 

 ブレーキが壊れたブルドーザーのような騒音が迫り来る。
 恐怖の根本は潰すに限ると、有言実行せんと言わんばかりに、メーションで両手首の中から蛇を召還するドロテア。
 叱られたことはすぐに直さなければと、身体に水分を纏わせて、その一部が凍り付いて涙を流しているように見えるデルフィーヌ。
 沼の中で待機していた巨大ミミズも、主らの危険を察知して、水面から顔を出し、巨大な口をグロテスクに蠢かせて威嚇する。

「そこか!?」
 絡まり合って束となった細長い木々を、チェーンソーで薙ぎ倒しながら現れたのは、ぎょろりとした目を持つ双角の牛人間。この大森林で林業を営んでいるバトル・アーティスト、リバウド=グルベールだった。
「……むう?」
 ドロテアに睨まれたリバウドは、けたたましく駆動するチェーンソーを鎮め、不可解な面持ちで立ち尽くす。沼の方を見やると、敵意はないと訴えるように頭部を振る巨大ミミズと、両手を前で組んで神妙にしているデルフィーヌが確認できた。
「あんた……」
 驚いて損をしたと言わんばかりに、ドロテアはうんざりした。ドロテアは一応、リバウドと面識がある。
「ここで何をしておる?」
 大人しくなった二連チェーンソーを肩に担ぎながら、リバウドが言った。
「この子のメーションの練習に付き合っているのよ。そういうあんたは?」
 召還した二体の蛇を霧消させながら、ドロテアが言った。

「バーベキューに使う茸を採取している最中、悲鳴と共に、何ものかが水に落ちる音を耳にした。ここでは、足場の悪さ故に、釣り師が溺れかけることは物珍しくない。もしやと思ったが……」
「す、すみません……」
 意味も無く救急車を呼んでしまったような罪悪感が湧き上がったため、デルフィーヌは深く頭を下げて詫びる。
「デルフィーヌ、謝る必要はないわ。誤解させて悪かったわね、リバウド。私がわざとこの子を驚かせて、沼の中に落としたの」
「左様か。ならば安心だが……酷だなァ」
「……フン」
 傍目から見れば、批判の的になる教育方法だというのは、よく分かっているつもりだ。しかしながら、他の方法が思いつかないし、仮に思いついたとしても実践できない。一から経緯を説明するのも言い訳がましくて、強がりとしてリバウドから目を逸らした。

「……詫びよう。己にも、早合点という非があった。徒にその……小娘に恐怖を植え付けたかもしれん」
 その容貌と言動から、ただでさえリバウドは人に怖がられ、避けられている。だからちょっとしたことで、卑屈なまでに謝ってしまうのだ。
「丁度良いくらいよ。恐怖を克服するための練習をしていたんだから」
「いや、すまぬ。今一つ冷静さに欠けていた」
 常日頃からキツいドロテアの言葉が、小心者のリバウドには、慰めではなく皮肉に聞こえてしまった。

「だからいいって。気にしてないわ」
「誠意を示させて欲しい。まだ少しばかり、鍛錬に励むつもりか?」
「そうだけど、あんたに関係ある? 私たちが邪魔なら、はっきりそう言って。他のところでやるから」
「否、続けてくれ。手土産を持参する」
「手土産? 別にいらないけど――ねぇ、待ちなさい!」
 ドロテアに背を向けたリバウドは、自慢のチェーンソーで木々を薙ぎ倒して作った、細い道を後戻りしていった。
(どうしたものだろうなァ……意味もなく切り倒した木々は)
 誤解とはいえ、人命に関わる非常事態だったのだから、仕方がないと言えば仕方がない。しかし、無意味に木々を切り倒したことに、内心しょんぼりしていたリバウドであった。同業者に見つかったら、なんと言い訳したらいいものか。

「……お知り合いでしたか?」
 嵐が過ぎ去った後で、恐るおそるデルフィーヌが聞いてみる。
「あんたと出会う前に、試合ライブで戦ったことがある。それだけだわ」
 蜥蜴の尻尾の先端で、貧乏揺すりをするかのように、地面を抉っているドロテアが答える。
「図体がデカい割に、謝ってばかりで根性ないわね」
 苛立ちを覚えると、どうしても口調が荒くなってしまう。リバウドが下手に出過ぎなのもあったが、上手く気持ちを伝えられない自分の口下手さにも、憤っている。
(根性がない……)
 自分の非を責められているような気がしたデルフィーヌだが、いつものように「すみません」と頭を下げることはなかった。

 

 あれから暫くの間、デルフィーヌはドロテアの脅しに耐えながら、引き続き沼の水面でスケートしていた。
 疲労が蓄積し、そろそろ休憩の許可が下りるかと思われるような頃合いに、リバウドが再び姿を現す。両手に引っ提げた籠の中には、先ほどこの森林で調達した分も含めた、バーベキューの食材。

 半ば無理矢理、ドロテアの傍まで歩いてきた巨人は、メーションでバーベキューセットをその場に展開した。
「あんたいつも、バーベキューセットを”個人空間”の中に収納してんの? 重たい物を収納しっぱなしじゃ、出し入れする時に余計に疲れてしまうわ」
 こう言って呆れ返ったドロテアをよそにして、黙々と食材を焼き始めるリバウド。断るための言い訳も思い付かないし、二人は休憩がてら、リバウドの好意に甘えることにした。

 
 美味しい食材が眼前にあると、共通の話題を見付けるのにさほど苦労しないし、求められるリアクションも容易に想像できる。肉こそ無かったものの、リバウドが焼いた野菜や茸は文句の付けようがない美味しさ。ドロテアが「美味しいわね」と何度も発する内に、リバウドとある程度打ち解けていた。
「それにしても、あんたがこの近くに住んでいるとは、今の今まで知らなかったわ」
 リバウドが用意したキャンピングチェアでくつろいでいるドロテアが言う。巨人サイズの特注品だから、低身長のドロテアが座ると、社長室に忍び込んだ子どものように見えてしまう。
「この地には、よく足を運ぶのか?」
「昔からね。美味しい食材が豊富だし、それに群れる”羊”どもが寄りつかないから取り放題で最高だわ。それにこの雰囲気も、なかなか悪くないし」
「フッ……ならば、これはどうだ?」

 バーベキューコンロのすぐ横に置かれた籠の中には、食材ごとに分別された革袋が何個か入っており、リバウドはその内の一つを取り出す。
「それはまさか……!?」
 紐を緩めて袋を開け、見せ付けられたそれは、俄には信じがたいものだった。大量の昆虫の死骸が、革袋の中に詰まっている……!
「こいつを串焼きにするのが、通のやり方でなァ」
 そう言いながらリバウドは、躊躇いもなく死骸の山に手を突っ込み、一つひとつを串に通していく。見ているのがドロテア以外の女性だったら、間違いなくドン引きされる。
「ワイルドだわね。エビに似た味で美味しいのよね。私はたまにスープにしているけど」
 当のドロテアは、沢山の昆虫がコンロの上で焼き上がってゆく過程を、嬉々として眺めている。
「己の町では、こやつをビールのつまみにするのが伝統だ」
 心なしか、串焼きをひっくり返すリバウドの手が動きが、速くなる。
「意外とあんたたちとは気が合いそうね。田舎者同士」
 ほどなくして昆虫の串焼きが焼き上がったので、ドロテアはその一本を受け取り、簡易机に置かれたソース入りの皿につけた。
「冥利に尽きる」
 勝ち誇ったような笑みとともに、ドロテアが昆虫を頬張るのを見て、リバウドも満足顔でいた。

 
(あれが、この大自然で暮らす皆様の常識……!?)
 フォークで茸をちまちま食べていたデルフィーヌは、昆虫の串焼きを豪快に食する二人を、遠巻きに眺めていた。小さな木の椅子の上で、ただでさえ病的に蒼白い肌を、凍り付かせたようにして。
「あんたも食べる?」
 打って変わって、機嫌が良くなったドロテアが、遠距離から串焼きを掲げながら言う。
「デルフィーヌと言ったか? 遠慮はいらん、好きなだけ食うがいい」
 その野太い声が、意図せずしてデルフィーヌを震え上がらせた。
「は、はい!」
 そう言ってデルフィーヌは慌てて立ち上がった。

「……食べられる?」
 ドロテアと寝食を共にする内、最近は多少の免疫がついてきたが、(やっぱり)未だにゲテモノ料理に抵抗のあるデルフィーヌ。時々勇気を振り絞って、カエルのサンドイッチなどに齧り付くことはあるものの、未加工の昆虫はまだ早いかもしれないと、ドロテアが心配している。
「だ、大丈夫です!」
 右手に三本、左手にも三本、合計六本の串焼きを持ったリバウドが、ずしずしとデルフィーヌに近づいてくる。今更断れる雰囲気ではない。
「ほう……常日頃から、このドロテアと行動を共にしているだけはあるなァ。鍛錬の邪魔をした詫びだ。たらふく喰らって、身体作りに励むがいい」
 そう言って全ての串焼きを、デルフィーヌの真横にある簡易机上の紙皿に置いたリバウドは、大きな背中を向けてずしずしと後戻りしていった。
(お残しは、悪いことですから……)
 デルフィーヌは、ドロテアが好みそうな昆虫の死骸を暫く見つめた後、何も考えずに目を瞑り、ちょっとだけ齧ってみた。

 
「あのね、下らない意地を張る必要なんてないからね。私たちだけ貰っていたら、あんたの家族だか友達だかの分が無くなってしまうわ」
 少なくとも一度はライブで顔を見合わせているとはいえ、二人は赤の他人と言っても過言ではない関係だ。タダより怖いものはないと言うし、病的にものを貢ぐのは何か裏があるのではないかと、勘繰りたくなるが、リバウドがそんな器用な真似をできるとも思えない。
「心配には及ばん。元々、己一人でバーベキューをする積もりだったからな」
 再びコンロの前に立ったリバウドは、ドロテアと目を合わせることなく、串焼きを裏返していく。
「ヒトカラならぬ、一人バーベキュー? それがぼっちな木こりの過ごし方なの?」
「むぅ……日によっては、孤独なりに釣りを嗜むこともあるが……」
 調味料を振り撒いているリバウドが、気恥ずかしさからか一旦黙り込んだ。
「うむ。バーベキューの練習と言ったところか」
「練習? バーベキューって、皆で順番に焼くから楽しいんじゃないの? それともなに、バーベキューシェフを目指しているつもり?」
 リバウドは何も答えず、ただ黙って焼き上がった串焼きを手渡してきた。
「フン……まあ、どうでもいいけど」

 
 その後は暫く歓談に熱中し、いい加減お腹も一杯になって来て飽きてきた頃。
 ドロテアは、目が利くフクロウのイメージ=サーヴァントを召喚し、お気に入りのバスケットを提げていた。いつもドロテアが、この大森林でキノコなどを調達する時のスタイルだ。
「貰ってばかりなのも癪に障るし、私も食材調達してきてあげるわ」
「むぅ……すまんな」
「別に良いわ。昆虫の串焼きとか、カエルのサンドイッチとかを馬鹿にする奴に、反撃できるカードを得たことだし。” 鋸双角のこそうかくの巨人”のお墨付きと言えば、馬鹿女どもは黙るだろうし」
 先程の反省点を活かして、してやったりの笑顔を浮かべながら答えた、らしくないドロテア。
「フフ……」
 誤解が解けた嬉しさからか、もう恨まれていないという安心感からか、自然とリバウドの頬も弛んだ。

「じゃあ、行ってくるわね」
 ゆっくりと飛行するフクロウを引き連れながら、ドロテアが森の奥へと歩を進める。が、数十メートルほど進んだところで、思い出したかのように振り返り、いつの間にか握っていたありったけの”触媒”をリバウドに見せつける。
「……言っておくけど、デルフィーヌに手出しをしようとは思わない事ね」
 睨みを利かせながら言ったドロテアは、握っていた触媒全てを、前方に放り投げた。それらは次々と、巨大ミミズや黒毛で覆われた巨人などに変貌し、頑張って昆虫の串焼きを食べているデルフィーヌを取り囲む。
「えっ、えっ……!?」
 小さな木の椅子の上に座っていたデルフィーヌは、気が付けば、多数のUMAに取り囲まれていた。それがドロテアから派遣された、自分を守ってくれる親衛隊だと分かり切っていても、凄惨な戦争が起きる前触れのように思われて、危うく串焼きを取り落としそうになった。
「前にあんたが負けたライブの時よりも、この子たち成長しているから」
「それは敵わんなァ」
 今度こそ森の奥深くへ探検に行ったドロテアを見送りながら、リバウドは苦笑いしていた。肩がぶつかるだけで、危害を加えられそうな人物と誤解されていることには慣れているが、見ず知らずのか弱い少女と二人きりというのは、おおよそ人生で初めての経験かもしれない。

 

 今頃ドロテアは森の奥深くで、フクロウ型のイメージ=サーヴァントにキノコを採取させている最中だろう。
 淀んだ沼の畔に置いてきぼりにされたデルフィーヌは、過剰な戦力とも言えるドロテアの置き土産――赤くグロテスクな巨大ミミズやら、全身が黒い毛で覆われた巨人やらに囲まれている。
 リバウドはと言うと、手持ち無沙汰なのか、相変わらず食べ物を焼き続けている。出会ってすぐに、この子は臆病だということがはっきり分かるし、ぎょろりとした目などが意図せずして威圧的なのを自覚しているし、口下手だし……いっそ話し掛けない方が、平和の内に終わるだろうと思っている。

 頑張って昆虫の串焼きを食した所で、さすがにお腹いっぱいになって来たデルフィーヌは、余った食べ物をサーヴァントたちに分け与えていた。氷のメーションによる冷凍保存して持ち帰ろうとしても、今のデルフィーヌの技量では、二時間くらい保存できれば良いところ。今すぐ消費した方が良いという判断。
 奇々怪々なUMAたちは、まるで更に盛られたフードに夢中になる子猫のように、差し出された肉や野菜を大人しく食べている。デルフィーヌを守りたいと言うドロテアの無意識が、サーヴァントたちに大きく影響しているせいか、彼らは動物好きな球体関節人形に対してとても優しい。あるいは、サーヴァント使いが荒い主人がいないことに安心して、ここぞとばかりにペット気分を満喫しているのかもしれない。

 
 焼き上がった料理がある程度まとまった所で、リバウドは大容量の皿を持ち上げて、木椅子に座るデルフィーヌの方にずしずしと迫って行く。重低音の足音に我に返ったサーヴァントたちは、デルフィーヌがビクリと身を震わせると同時に、身体を緊張させる。臨戦態勢に入ったとも言えるが、もしお姫さまに万が一のことがあれば、主人から火炙りの刑を受けてしまうという恐怖。
(むぅ……流石に満腹か)
 不審者に話し掛けられたシャイな子どものように、震える瞳で見上げてくるデルフィーヌを、リバウドはぎょろりとした目で見下ろしていた。巨大ミミズが噛み付きを仕掛ける準備を整え、ビックフットがクラウチングの態勢になって構え、その他大勢のサーヴァントも一触即発の状態だ。
 このように、近付いただけで怖がられるのは、リバウドにとって日常茶飯事。「逃れられぬ己の宿命よ」と卑屈になることで、繊細な心を防御している。リバウドは寸秒瞑目した後、たまたま足元にいた巨大ミミズと向き合いつつ、巨体を低くした。

 すこし大きめに切られた肉を、皿に載せていたトングで掴んだリバウドは、それを巨大ミミズのどでかい口に近付ける。僅かに身体を反らして警戒した巨大ミミズだが、くねくねと気持ち悪い動きで四方八方から肉を調査した後、器用にもトングに触れずして肉だけを引き抜き、身体全体を蠢かすように咀嚼する。
「あ……」
 木椅子に座ったまま、その様子を眺めているデルフィーヌが声を漏らす。無事、肉を呑み込んだ巨大ミミズは、礼を言うかのように、舌鼓を打つように、小さく頭を上下に動かすのであった。
「ありがとうございます……」
 食べてばかりいないで、バーベキューシェフを手伝えと、叱られるのではないかと怯えていたデルフィーヌ。誤解による気恥ずかしさで伏し目になりながら、か細い声で言った。
「ふ……」
 怒っているのか、笑っているのか分からない、強面のリバウド。今度は、自分よりも背丈のあるビックフットの前に立って、トングで掴んだ肉を差し出す。巨大ミミズに比べると陽気な性格なのか、黒毛の巨人はすかさず両手で肉を掴み、お菓子を貰った子どものように口内に投げ込んだ。
 残るサーヴァントたちにも、順繰りに食べ物を分け与えている内に、余った食べ物は自然と消化されていった。

 
「頼もしい者どもだ」
 飾られた人形のように、木椅子に座ったままデルフィーヌの近くまで、キャンピングチェアを持ってきたリバウドが、満足そうに横たわっているUMAたちを見回しながら言う。
「この子たちの……ことですか?」
「うむ」
 あくまで敵意はないことを、言葉で証明したいのだろうか。
「あ、ありがとうございます……」
 リバウドが軽く頷いただけでは、デルフィーヌの不安を取り払うことができない。
「平気ですか?」
「む?」
「……怖く、ありませんか?」
「むぅ……」
 そのため息はデルフィーヌにしてみれば、不機嫌から出てくるもののように思えた。
「己も同類よ」
「そ、そんなこと……!」
 リバウドの口数の少なさが、デルフィーヌの誤解を招いてしまうのかもしれない。

「リバウド様も頼もしいお方です。お身体がとても強そうで、雄々しくて、赤の他人でも危機とあらば駆け付けて下さって、美味しい物をたくさん下さって……」
 デルフィーヌは出自が出自だから、危機を感じ取るととにかくご機嫌をとろうとする。
「そうか」
 本心では寂しい思いに苛まれているし、こうして人とゆっくり話す機会にも恵まれないため、お世辞だと分かっていてもリバウドは嬉しかった。心の底から。
「……ふ、不愉快な思いをさせてしまったら、申し訳御座いません」
 どういう顔をしたらいいのか思い悩んだ末、にっかりとした表情になったリバウドが、デルフィーヌには怖かった。この二人、お互いを憎み合っている訳ではないのだが、とにかく相性が悪い。
「気にするな。ただ、己には過ぎた言葉かも知れぬと思ってなァ」
「そ、そんなことないです! お世辞なんかじゃありません!」
「お主がそうであるとは得心しておる。ただ……なァ」
 キャンピングチェアに凭れ掛かったリバウドは、にわかに星が見えない闇を見上げた。
「仮に、腑抜けだと周囲に知られても、己は同様の賛辞は得られるのか?」
「それは、一体……?」

 
 コンロの火種が絶えるまでの長い間、リバウドは己の境遇について話していた。危害を加えられたくないという一心で、デルフィーヌは大人しく聞いていた。UMAたちは、その辺をぶらぶらしたり、地べたに寝そべって欠伸をしたり。
「とどのつまり、己は物で人を懐柔し、相貌で人を威圧するしか能がない、小心者よ。況してや腹を括って本性を曝け出すことも出来ん」
 子どもの時から図体ばかりデカくて、そのせいで怖れられ、孤独な人生を歩んできたこと。寂しさを紛らわすように、一人でもできる仕事や趣味に打ち込んできたこと。
 そうして培った技術を披露する一瞬、ヒーローになれた気がして、強張った表情がその時だけ若返るのだが、用済みになったらすぐにぎょろりとした目が戻ってくること。それが余計に、”普段はいなくてもいい奴”という認識を強調させ、より心を荒ませてしまうこと。
 その結果、自棄になってモンスターヒールとしてデビューし、今に至ることを打ち明けた。

「そう、だったんですか……」
 口下手なリバウドの、途切れ途切れの人生語りが、現在と言う終着点まで行き着いたところで、デルフィーヌがか細い声で言った。
「もし……もしもだぞ。己の口が上手ければ、お主も少しは怖がらずに済むだろう? 己の存在を」
「……はい」
 分かり切った嘘をついても、すぐに見破られるだろうと察した。それくらいなら、正直に答えた方が無難だろうと、デルフィーヌは考えた。
「だろうなァ」
 そう呟いて、リバウドが重苦しく息を吐くと、デルフィーヌは糸の切れた操り人形のように、俯いて黙りこくってしまった。

「鍛錬に励むべきなのだろうが……いざ本番に来られると、過去の失敗ばかりが脳裏を過ぎる。緊張して恐ろしげな表情になってしまうと自覚する」
 目を合わせなくては……。デルフィーヌは、生活指導の先生に呼び止められたように、すかさず顔を上げてリバウドを見る。
「己には、無理な話なのだろうなァ。己には、修羅の如きが相応しいのだろう」
 リバウドがぎょろりとした目で、闇夜を見上げているのは、デルフィーヌを怖がらせないための配慮なのだろうか。
「己は”モンスターヒール”になる為に、生を受けたのかも知れん。だが、お主は特に気が弱そうだから……今日の出来事を、恐怖の記憶に終わらせたくなくてなァ」
 一般人だったら、最初からそう言えば良かったのにと、呆れたように言うのかもしれない。でも、自分も”小さい人間”だと自覚しているデルフィーヌは、わざわざ最後にその言葉を持ってきた理由が、それとなく分かった。
 きちんと伝えたいという想いが強いあまり、裁判でアリバイを証明する無実の人間のように、一から十まで説明したくなるのだ。恐れや不安を抱くと、長々とした嘘をつくように、却って口数が多くなってしまう。何かと釈明ばかりして世渡りしてきたデルフィーヌは、隣に座っている巨人の根底に、自身と同じものが流れていることを悟る。

 
「素敵なことですよ、リバウド様……。劣等感や負の感情を受け容れ、”昇華”できることは、本当の臆病者にはできません」
「む?」
 思わぬ言葉を掛けられると、闇夜を見上げていたリバウドは、強面だけをデルフィーヌに向けた。
「ドロテア様の、お言葉ですけれども……」
 ちょっとしたきっかけで、どうしてブルーノのことが好きなのか、ドロテアから聞いたことがある。最初は調子に乗った女を徹底的に嬲るその戦いぶりに、心底スカッとしたのが理由だったが、実際に会って話している内に、バイストフィリアに対する憧れの意味が変貌した。
 理不尽を理不尽で返すような不毛な憎しみや、世間から白眼視されること必至な忌むべき趣味嗜好。それらを臆することなく曝け出し、身に注ぐ非難には恍惚すら覚えている。人並みの感性では決して理解が及ばない、高潔な魂。いつしかそれが、彼に惹かれる理由に変わっていたのだと。

「そうか」
 何も知らない巨人は、掃き溜めを受け容れてくれる無垢な少女に、一種の近寄り難さを感じていた。
「確か、アーティストになるための鍛錬として、この地に来たのだったな? お主も強く生きるのだぞ」
 素直にありがとうと言えば良かったのに、強がった言葉を吐いた後に後悔する。
「はい……!」
 バトル・アーティストデビューを決意したのはいいが、やっぱり自分には向いていないのかもしれない。一抹の不安を抱いているデルフィーヌには、先輩アーティストからの言葉がとても心強かった。
「リバウド様は、とても頼もしいお方です。巷で言われるような、”お父さん”のようなお方です」
「フ……」
 輝かしい若者たちを遠巻きに眺めることしかできないのは、自分が父親のような存在だからかも知れない。彼女たちを見守っているのだと考えれば、悪い気分ではなかった。……自分自身もまだ、若者に分類されるべき年頃なのは置いておいて。

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