【超短編】自傷願望

無機質、故に愛について哲学するイグノランスが主演!
いつもはヒャッハーライトノベルなBASですが、今回は0.0000000001グラムほどの純文学っぽさを混入しました(^^*
見知らぬ子どもたちに奉仕する青年から、無垢な少年は何を学びとれるのでしょうか?(`・ω・´


◆   ◆   ◆

 

 窓ガラスを小指で突くような雨音が絶え間ない、モダンな木目調の書店にて。唯一人の常連客が、窓際の丸椅子に姿勢正しく着席し、瞬きの一つも無く読書に耽っていた。

「――あの人が私を愛してから、自分が自分にとって、どれほど価値のあるものになったことだろう、か……」

 淡々とした独り言。その主はイグノランス。服装はパブリックスクールの制服のように格調高くも、膝小僧が露出した短パンが少年らしさを残留させる。眼球のほぼ全体が真っ黒で、皮膚の所々が黒い装甲に覆われた蟻人間。

「奥深いでしょ。人生を感じさせるようだ」

 やや気障に、しかし朗らかな声調で、大きな黒縁眼鏡を掛けた青年はイグノランスに話し掛けた。その名はタキス。流麗な碧髪、手は優美な鎌状の蟷螂人間。この書店の長だ。

「その小説の影響で、多くの若者が自ら命を絶ったらしい」

 タキスは隣の席に座り、微笑み掛けながら述べた。

「人間は生来死の欲動タナトスを抱えている。やはり自傷と愛は、等式が成り立つのだろうか?」

 イグノランスは、本を真っすぐに見詰めたまま問うた。

「それは幾ら何でも、論理が飛躍しすぎだよ」

 タキスは両手の平を上に向けて、頭を振る。

「僕は、いずれ種族のイドラに囚われる日の、到来を望む」

「うふふ。そんなキミに、今日もボランティアのお願いだ」

 タキスはカウンターテーブルに、複数個の段ボールを置いた。語学や算数の教科書などが、大量に入っている。

「……把握した。教育格差に苦しむ子らに、奉仕しよう」

 イグノランスは本を閉じるや否や、迅速に席を立った。

「この地域では、貧乏な子はロクな教育を受けられない。金持ちが労働搾取するには、お誂え向きな制度さ。それが憎い」

 タキスは眼鏡を指で押し上げ、力強い目となった。

「非観測状態にある人物らを想う。理想的な隣人愛フィリアだ」

 少年の綺麗な瞳を向けられ、タキスは微かに紅潮する。

「ああ。ボクはいつでも、誰かの英雄でいたい。キミのような純粋な子に称賛されると、間違いは無かったと安堵できる」

「その証言によって、僕の存在価値が実証できるのだ」

 集会所に向かう際、イグノランスはある疑問を投げかけた。

「それにしても、何故これ程大量の寄贈品を、毎度のように調達出来るのだ? 僕の他にも、ボランティアがいるのか?」

「……実は借金しているんだ。ボクが教科書を買っている」

自己犠牲愛アガペーか。君は真に、師事するに値する男だ」

 

 イグノランスはタクシーを利用して、集会所に到着した。華奢な身体の割に、どうして30kg以上もの荷物を、片手で軽々と運搬できるものか。

 いつもの待ち合わせ場所、小会議室。イグノランスはドアを数回ノックして、「失礼する」と言って入室した。

「待っていたぞ。私たちのシノギを掻っ払う、偽善者め」

 聞き覚えのない、威圧的なハスキーボイスだった。腕を組み、テーブルに腰を下ろしている、タトゥーの入った女性。

「何者だ? 子供らを代表して来たのか?」

「あの書店のケツ持ちさ。お前らに落とし前を付けて貰う」

 直後、タキスが真横に「うわっ」と倒れて来た。振り返ると、手下らしき者が、外部から扉を閉め施錠した。なるほど、イグノランスが発った直後、タキスは捕まったらしい。

「先回りしたおかげで、拷問部屋を探す手間が省けたよ」

 そう言って女性は、「ククク」とどす黒い笑みを見せた。

「拷問? 僕とタキスにか? 何の罪状があろうか?」

「とぼけるな。何度も売り物をくすねては、貧乏人どもに配っていたのだろ。その荷物が動かぬ証拠だ」

 女性はイグノランスが持っている段ボールを指差した。

「これは、タキスが自費で購入したもので――」

「本来、無償で配られるべき物を配って、何が悪い!」

 タキスは怒鳴りながら、見下す目をした女性に詰め寄る。

「ケツ持ちの私に、その口の利き方は、いい度胸だな」

 女性は椅子を蹴り飛ばしつつ立ち、タキスの胸倉を掴む。

「誰が貴様のチャチい店を、競合店から守ったんだ、ん?」

「黙れ! そうやって市場を独占し、教育格差を広げ、暴利を貪った挙句、みかじめ料を要求する、オマエらなんか!」

(……僕は無知だったが、悪事の片棒を担いでいたのか?)

 イグノランスは、瞬き一つせずに二人を見詰めている。

「誰かが叛するべきなんだ。教育の平等を確立するには。不当な労働搾取を根絶し――この街を、救済するために」

「ハン。教育が必要とするのは、貴様の方だ」

 女性は言うなり、タキスの腹を殴った。彼が悶えてくの字になると、今度は顔面に容赦ないフックを浴び、床に伏す。

「うふ、うふふふ……。これは、勲章と言ったところか」

 恍惚の表情を浮かべるタキス。女は軽蔑の眼差しを向けた。

「誰かの英雄になるには、これくらい覚悟の上さ。むしろ暴力に訴えれば、ボクという生贄を信管とし、オマエたちの悪行が世に広がる。うふふ、破滅の一歩を踏み出したのさ」

 盛大に嘲笑うタキスを、興味深く観察するイグノランス。

「チッ……ならば、手っ取り早く、英雄にしてやる」

 いやにゆっくりと述べた女性は、氷のような殺気を放つ。懐から取り出した、サプレッサー付きの拳銃を向ける……!

 一瞬タキスは目を見開いたが、すぐに満たされた顔に戻る。

「沸点が低い人だ」

 そうして目を瞑り、栄誉ある死を受け容れようとした。鐘音無き終末は、さぞ平和で心地良いものだろう。タキスという名が記された歴史書を夢想しながら、神の祝福を祈った。

 

「ぐはっ……」

 ドサリ、と。崩れ落ちる音が響いた。この目を開けば、自らの死体を俯瞰できるのか、或いは地獄の門を目撃するか。意を決して、タキスは両目を開く。

「イ、イグノランス……!?」

 庇うように正面に立つ、無垢な少年。片手には、いつの間にか現した光線銃。隔てて、刺青の女性が倒れている。

「タキス。僕は君の盾になれたか?」

 そう言って反転したイグノランスの腹に、穴が開いていた。

「た、大変だ! 傷が、傷が……!」

 タキスは蒼褪めた。身体を震わせ、恐怖している。

「彼女なら問題ない。スタン・モードで気絶させただけだ」

 淡々と述べるイグノランス。痛みを感じていないらしい。

「違う、キミが……! 傷ついてしまった。ボクのせいで」

「君に師事して、アガペーを実践したのみ。見て取れるように、流血はしていない。バトル・アーティストに心配は不要」

「ボクの真似をしてか? ボクのせいだと……言うのか?」

 タキスは、イグノランスの穢れなき瞳から、目を逸らした。

「何故、悲しい表情を浮かべるのだ? 怖かったのか?」

「……ボクは、無垢な少年に禍なす者に非ず。だが、子供の未来を想う甘い夢に、憑かれたせいで……何が、アガペーだ」

 外側から扉が開かれる。二人の男は、倒れた女性と、イグノランスが保持する光線銃を確認すると、一目散に逃げた。

「そう、か……。キミは、これ以上ボクを模倣しては、ならないよ。これはアガペーじゃない。浅ましい自己愛だ ナルシシズム った」

 タキスはそう言い残し、覚束ない足取りで部屋を出た。「どこに行くのだ?」と尋ねた、イグノランスを置き去りに。

 

 ナルシスティックな人間は、その対象となる人格・・の一部分が傷つけられると、ひどく憂鬱な気分に陥る。イグノランスがそれを知ったのは、タキスが警察に自首した後の事だった。

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