【超短編】母なる森のセレナーデ

 精霊や小鳥の声を聴きとれる、エルフの美青年コスティ。
 死んでも離れまいと、ただ一匹森に残ったカンテレドリは、来る日もセレナーデを歌う。
 コスティは風の精霊を指揮する能力を応用し、彼女の番の鳥探しに協力するが……。

 

「今日もつがいの鳥は見つからなかったのかい?」
 エルフの美青年コスティは、雌鳥に訊ねた。
『えぇ。もっと大きな声で歌わなきゃ』
 この森に残った最後のカンテレドリは、弦を弾いたように、美しくも凛とした声で鳴いた。
「やっぱり、君も引っ越した方が良いよ」
 この地方にしては暑い夏が数年続いたせいで、カンテレドリの主食、ラピの実がめっきり減った。だから食糧を求めて、鳥たちは故郷を去ったのだ。彼女を除いて。
『いいえ。まだどこかに仲間がいるはずだわ』
 木の枝に立つ彼女は、同じ目線でコスティを見据える。
「思ったんだけど、この森にカンテレのオーケストラを取り戻すのは、数年経ってからでもいいんじゃない?」
 コスティは物憂げな面持ちを、やせ細った鳥に見せた。
「その頃には、君にもたくさんの子どもがいるだろうし、ラピの実も増えていることだろう?」
『ダメよ! 一日でも歌声が消えたら、この森は死んじゃうの! 人間エルフにとっては聖なる森なんでしょ!?』
 弦を掻き鳴らすように鳴かれ、コスティは眉を顰める。
『知っているわよ。リスもウサギも風の精霊シルフィードも、私たちの求愛歌セレナーデを聴きに来ることを。私がいなくなった瞬間、この森に誰も来なくなって、やがて色褪せた景色になるわ。私の想い出がそうなるなんて、絶対にイヤ!』
「……強情なんだから!」
 数分間、コスティはトリを睨んでいた。彼女は倒れそうになっては我に返るのを、何度も繰り返していた。

 やがてコスティは、一本の指揮棒をやおらに掲げる。周囲に揺蕩う透明なシルフィードが色濃くなり、優しい風が一人と一匹の周りで円を描く。
 ――冬夜に光る星々のように繊細な歌声。守ってあげたくなるような儚さの、カンテレドリの番を探す声。
 コスティは精霊たちを指揮することで、彼女の歌を森全体に運んだ。空気の振動である”音”を、風の精霊たちが再現するのはお手の物。トリが起こした空気の振動を記憶し、再現し、伝言ゲームのように遠くへ、遠くへと。
「番の鳥が、無事に見つかるといいけど」
 コスティは心にもないことを言って、深いため息をついた。歌い終えた鳥に背中を見せ、一歩を踏み出す。
『ねぇ、つむじ風の旅人さん』
 童話を朗読するような優しい鳴き声に立ち止まる。
『この森は私の全てなの。森から授かったあらゆる物を、残らず森に還すのが自然の摂理。……分かるわよね?』
「意地っ張りすぎるでしょ、君は」
 そう言い残したコスティが、枝葉に遮られて見えなくなるまで、鳥は枝から落ちないように踏ん張っていた。

 

 数日後、コスティは不安で堪らずに森を訪れた。
「今日も彼女はいつもの場所かい?」
 森に揺蕩う精霊の一体は、コスティに頷いてみせた。
「それは何より。歌声も元気そうだし。ほっとしたよ」
 森の奥から聴こえてくる。カンテレそっくりな声をした、精霊たちの輪唱が。木霊するセレナーデが、耳打ちしたかと思うと、遥か彼方まで旅立ってゆく。まるでこ
の森に、カンテレドリたちが還ってきたかのようだ。
(あとはリスとかの声が聴こえれば完璧なんだけど)
 歩きながらコスティは、子どもの頃を思い出す。大好物のラピの実を探すため、カンテレドリの合唱を手掛かりに、森中歩き回ったことを。ラピの実が減り、歌声が消え、リスが去った今では、何もかもが色褪せている。
「あるぇ? 君たち一体……?」
 いつもの場所の間近まで来たとき、カンテレの輪唱が止まった。本物のセレナーデさえ聴こえない。太い木の枝を輪で囲うように、風の精霊たちが宙で佇んでいる。
「おい、まさか!」
 元気な歌声に油断していたコスティは、一転して蒼褪めた。精霊たちを手で払い除けて木の枝を見下ろす。
「だから皆について行けって言ったでしょ……!」
 枝の上で、目を閉じて横たわる彼女に放った言葉は、もう届かない。エルフの耳を以ってしても、心音は聴き取れず、吸い込まれるような静寂に気が遠くなる。
「なんで言わなかった! 救えたかもしれないのに!」
 コスティは木の根を蹴りながら、彼女の危篤を知らせずに、黙りこくっていた精霊たちを問い詰める。
『ごめんなさい、旅人さん。この言葉を聴く頃、私は森に還っているでしょうね』
 精霊の一体が、彼女そっくりな鳴き声を発した。コスティは涙を溜めながら、「あぁ!?」と乱暴に怒鳴る。
『私のことを旅人さんに知らせなかったのは、私の頼みよ。だからシルフィードたちを責めないであげて』
 セレナーデを記憶させ、再現させるのと同じ要領で、彼女は精霊に遺言を残したらしい。
『精霊たちがこのことを知ったら、旅人さんの指揮を無視して私を助けようとして、歌声が止まっちゃうでしょ。そうしたら、この森は死んじゃうの』
 精霊たちは俯き、これで良かったのかと後悔している。
『この森は私の全てなの。……分かるわよね?』
「……彼女は、救いようがない、カッコつけたがりだ」
 そう謗ったコスティは、溢れ出した涙を腕で隠した。

 

 ――彼女が森に還ってから、幾月経ったのだろう。
 殆どの精霊は何も知らず、今日もカンテレドリのセレナーデを輪唱している。いつからだろうか。この森にウサギやリスが現れて、元気に駆け回るようになったのは。
 一人なら、いずれは風化してしまう旋律も、互いに歌い合うことによって、いつまでも真新しい記憶となる。だから精霊たちの輪唱で、カンテレドリたちが森に還ったと、すっかり信じられるようになって――。
「今日も番の鳥は見つからなかったって」
 彼女の様子を尋ねてきた精霊たちに、コスティは嘘をついた。真実を知る精霊の一体が、ぎこちない笑顔で首を縦に振る。何も知らない一同は素直に頷き、森の奥へと消え、今日も大好きなセレナーデを楽しそうに歌う。
 一体の精霊だけが留まり、キョトンとしながらじーっと見つめてきた。「彼女、最近誰も見ないけど、一体どこに居るのかしら?」と。
「もちろん、森の中にいるよ。ただ、誰もがセレナーデに聴き入り過ぎて、肝心の姿を忘れちゃっただけさ」

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