【超短編】高尚なる芸術

 猟奇趣味で有名な悪役アーティストのブルーノは、とある演劇に飛び入り参加することになった。
 歌や踊りが愉快な子ども向きの演劇に乱入し、姫役の女優を痛めつけろと指示を受けるが、ブルーノは不可解に感じていた。


◆   ◆   ◆

 

「姫が王子と別れたら舞台に上がって、痛めつけろって?」
 舞台袖に隠れている、吸血鬼じみた蝙蝠人間のブルーノは、指示を出した脚本家に訊く。薄笑いを浮かべて脚本家が返す。
「そうです。見えない壁・・・・・があるので、どうぞ殺すつもりで!」
 BASから借用した装置が使われているため、舞台上は怪我しても死なないし、後遺症も残らない空間と化している。
「姫役の女優に、許可を得ているのは事実だろう?」
 ブルーノは不可解に感じていた。先日、急遽飛び入り参加のスカウトを受け、演者との開幕前の挨拶もさせて貰えず、秘密裏に舞台裏まで連れて来られたのが。
「当然だ。BASのように、血の惨劇を見せ付けるがいい」
 脚本家の隣に立つ団長は、不敵な笑みを浮かべた。
「お客さんはそういうのを、求めていないんじゃあないか?」
 歌や踊りが愉快な、子ども向けの演劇。観客席は当然、純粋無垢な子どもの数が多い。暴力は明らかに場違いだ。
「俺の高尚なる芸術に口出しするな! いいから行け!」
「ほら! 王子が離れましたよ! 八つ裂きにして下さい!」
 団長と脚本家に背中を押されて、ブルーノは仕方なく舞台袖から飛び出した。観客から嫌われるのは悪役ヒールの役目。徹底的に切り刻んでやるのがプロの仕事――そう思いながら。

 
「はあ。舞踏会終わりの帰り道って寂しい……って、えっ?」
 台本に従って喋っていた姫は、両手から血塗れの爪を繰り出す見知らぬ男と目が合い、硬直する。楽しそうな歓声が静まった次の瞬間、乱入者は容赦なく姫の心臓を爪で貫いた!
 完全な不意討ちで、皆の頭が真っ白になったのだろう。観客席から悲鳴が上がるまで、少し間があった。見えない壁のおかげで、姫は即死に至らなかったし、痛みは殆ど感じなかったが、恐怖で声も出ず、そのまま崩れ落ちてしまった。
 そんな姫の顔を、ブルーノは指示された通りに、針がびっしりと生えた靴底で蹴り飛ばす! そのまま片足で踏み付けると、剣のように伸びた血塗れの爪で、身体中を何度も刺してやった。子どもの泣き声が飛び交う観客席は、逃げ出そうとする家族連れが縺れ合って、パニック状態だった。
(……どうした? 僕をやっつける筋書きなんだろう?)
 ブルーノはぐったり倒れている姫を踏み付けたまま、舞台袖に隠れている王子役の俳優を見据えていた。青年は蒼褪めた顔で立ち竦んでいる。断じて演技などではない。彼の奥にいる照明係や音響係は、勝ち誇るような笑みを浮かべていた。

 
「おい、なぜ出入口を塞ぐ!? 逃げなきゃ殺されるぞ!」
 舞台スタッフたちが、出入口を厳重に封鎖していた。観客たちは怒鳴ったり、中には殴り掛かる寸前までいく者も。
「警察! 救急車!」
 老婆は顔を引き攣らせながらも、携帯電話を取り出す。脚本家の男が、背後からそれを取り上げた。気色悪い笑顔で。
「ご安心ください! これも演出で御座います故!」
 呆気にとられた老婆は、脚本家に手の平で示されるがままに、舞台上でこれみよがしに両手を広げる、団長に注目した。
「どうだ、この展開は予想できなかっただろう!」
 そう言うと、劇団のスタッフたちが盛大な拍手を送った。王子やブルーノは、困惑して周囲を見回している。姫の傷も癒えてきて、両手で身体を起こしつつある。
「古今東西、前例のない演出だったが、大成功だな!」
 団長が高笑いすると、凄まじい怒号や罵声が発生した。
「なぁにが大成功だ! 子どもを泣かせやがって!」
「ああ、羨ましい! 涙を流せる子どもが羨ましい!」
 脚本家が舞台に登りながら、芝居がかった口調で言う。
「作る側には味わえぬ感動! 暴力を素直に恐怖できる純粋さ! これぞ、私どもが希求した人間賛歌で御座います!」
「子どもたちよ! その感性をいつまでも大切にせよ!」
 団長の言葉が、泣きじゃくる子どもたちに届くはずがない。

 
「ふざけるな! ボクの恋人は、お前らの道具じゃない!」
 怒りで顔を真っ赤にした王子は、拳を握り締めながら叫ぶ。
「こんなサイコパスに刺されるとか、契約にないけれど!?」
 殆ど傷が癒えた姫は、ブルーノを指差しながら叫ぶ。
契約・・……どうやらこのカップルも、僕と同じ雇われた人間らしい。やはり、僕が来ることを二人は知らなかったか)
 ブルーノは何も喋らずに様子を見ている。
「俺が演劇を盛り上げてやったのに、その口はなんだ!」
「これぞ私めの美学! 悲劇が二人の恋を彩るのです!」
 王子と姫を睨みつける団長。ヘラヘラ笑っている脚本家。
「ボクは彼女が刺される姿見たくない! 観客もそうだ!」
「悲劇にする必要ないでしょ! この悪魔! 人でなし!」
 王子と姫は、それぞれ団長と脚本家に掴み掛かった。だが劇団員が群がって来て、王子と姫は引き剥がされてしまう。

 
「見たまえ諸君、これが人間の本性だ!」
 団長は、非難轟々たる観客席に向かって、嬉々として叫ぶ。
「こんなことされたら、当然の反応でしょ!?」
 観客の非難は、むしろ団長を喜ばせている。
「さあ、ブルーノ様。王子と姫にトドメを!」
 脚本家は涎を垂らしながら言った。それまで棒立ちだったブルーノは、僅かに眉を顰めた。被害者のカップルは、団員に羽交い締めにされており、死ぬ気でもがいている。
「私どもは貴方の惨劇の高尚さを、十分に理解しております」
「さぁ、平和ボケの上っ面を剥ぐのだ! 英雄になれるぞ!」
 悦に入る団長や脚本家、そして劇団員。「来るな!」「やめて!」と暴れ狂う王子と姫。大人は子どもの目や耳を塞ぎ、泣き声はますます大きくなる。
 ブルーノは無言で、指先から血塗れの爪を展開した。阿鼻叫喚とした場内で、鈍い足音の幻聴が聞こえた。ブルーノは一歩踏み出すごとに、腕を徐々に振り上げる。ブルーノが嗜虐的な笑みを浮かべ、王子と姫が凍り付いた直後――!

 
 「うがぁ!?」と悲鳴を上げたのは、団長だった。脳天に爪が深々と突き刺さった団長に、脚本家は目を白黒させる。間髪容れず、「痛ぁ!?」と脚本家の悲痛な叫び。見えない壁の内部だから血は噴出しないが、爪が腹を貫通して痛々しい。
「僕は女の子を痛めつけるのが好きだ。胸がスッとする」
 ブルーノは双爪で、二人の顔を切り裂きながら言った。
「それ以上でもそれ以下でもない。僕自身と、同じ穴の貉の、穢れなき欲望を満たすだけだよ」
 静かに語りながら、淡々と二人をいたぶる。下手に刺激し巻き添え食うのを恐れ、観客の悲鳴が失せ、泣く子さえ黙る。
「奇才気取りが出世する為の道具なんかじゃあない」
 ついに倒れた団長と脚本家を、針塗れの靴底で幾度となく踏み付ける。今更になって、団員が押し寄せて制止しようとするが、ブルーノは全員をズタズタに切り裂いてやった。王子や姫、観客たちは、無関係を装って沈黙している。

 
「良い! 実に良い! 素晴らしい画が撮れたぞ!」
「素晴らしい! これぞシュルレアリズムの体現者ですな!」
 団長や脚本家、そして劇団員らは、無惨な姿にされても尚、狂い笑っていた。ブルーノは、彼らが転げ回っているのを余所に、撮影係が持ってたカメラの前で、やおらに足を上げる。
「馬鹿、やめろ! そんなシナリオ、求めた覚えはない!」
「集客パフォーマンスのつもりですか!? なんと下品な!」
 ブルーノは眉一つ動かさず、カメラを踏み躙り破壊した。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。