学生時代のいじめっ子が、「カレシがデキたんでしょ?」とドロテアに話し掛けてきた。
かつて彼女は、付き合う男の価値で優劣を決めるグループの一人だった。
「何か悩んでいる事があったら、ワタシに言いなよ~!」とソイツは先輩風を吹かす。
◆ ◆ ◆
黒いフェザースカートや皮のブレスレット。気味の悪い魔女のような衣装で、蜥蜴の尻尾を持つ、赤髪でそばかすがチャームなドロテアは、買い物でBASドームを歩いていた。
「ねぇ。ドロテアって、カレシがデキたんでしょ?」
無礼にも、いきなり横から話し掛ける女が一人。学生時代のいじめっ子だった。白を切るような笑顔を被っている。
「……今更友だちヅラしても、アンタに話したいと思う?」
ドロテアは彼女を睨み付けた。確かに、想い人はいる。
だが、無視して仲間外れにして陰口を叩いて、無能な教師の前で被害者を装った、陰湿な田舎者の声など耳にしたくない。「協調性がない」、ただそれだけを理由にした奴らの……!
そのまま去ろうとするが、いじめっ子が前に立ち塞がる。
「照れ隠しか~! 話してくれていいじゃん、友達だったし」
ドロテアは無視して踵を返す。やはり立ち塞がる自称友達。
「あの時はごめんってば~! でも不登校になったのがキッカケで、バトル・アーティストになれたなら良かったじゃん」
チッとドロテアは舌打ちした。そのタバコで黄ばんだ汚い口に、握り締めた拳をぶち込む寸前で、どうにか思い留まる。
「ねぇ、カレシってバトル・アーティストなんでしょ?」
一瞬、そいつの眼差しが鋭くなったのを見逃さなかった。
――学生時代を思い出す。娯楽の少ない田舎の学校では、同級生の色恋ゴシップが常に流行ネタで、彼氏がいない空白期間の短さを競う勝負に、皆が熱中していた。付き合った男の身長やデート代は、そのまま学校での地位の点数になった。当時のドロテアは、「下らないわ」と関わらなかったが、どうやらそれが「協調性がない」、いじめられて当然の理由らしい。
今のコイツとくっ付いている男は、コイツにとってバトル・アーティスト以下の点数に違いない。世界中を魅せる未来のプロレス、バトル・アート・ショー。ステージで戦うアーティストらは、憧れの的である点は事実である。
「何か悩んでいる事があったら、ワタシに言いなよ~!」
だからソイツは恋の大先輩になることで、「協調性がない」ドロテアよりも優れた女であることを、証明したいのだ。
「……マウントを取りたいわけ?」
ドロテアが毒づくと、ソイツは「ん?」と満面の笑顔になった。図星を突かれたのを、悟られまいとしている。
「……アンタは男に媚びるしか能がない、寄生虫だわ。人に自慢できるモノがないから、恋の大先輩でいたいわけね」
ソイツの妙に肌がテカる顔は、一瞬でしわくちゃになった。
「女として終わってるあんたに、言われたくないけど!?」
声を震わせたソイツに、通路を行き交う数名が振り返る。
「そばかす隠さないメイクとか、芋臭さ丸出し! それにババア臭いファッション! ってか、デカい虫やモンスターを召喚して戦うの、キモ過ぎなんだけど!」
「……だからなに? 彼氏ができるのがありえないって?」
「あっハーイ! 言っちゃった! ボロ出した! カレシがデキたから調子乗ってまーすって宣言した!」
言い逃れる為か、苦し紛れの反撃か。ソイツのこじつけが甚だしかったから、呆れを通り越して無表情になるドロテア。
「なんで必死に努力したワタシより、あんたが幸せなの?」
ソイツは暫く睨んだ後、両手でドロテアを押し退けた。
「あんたね、調子に乗っていると、いつか痛い目遭うから」
呪詛を吐き捨てると、ソイツは道行く人々と目を合わせないよう、床を見詰めたまま歩き去った。
(下らないわ。恋愛経験豊富なのが、そんなに偉いわけ?)
悪役アーティストとして、ブーイングや憎悪を浴びるのに慣れているドロテアは、服に付いたソイツの手の垢を叩き落とすと、何事も無かったかのように歩きだす。
後日。試合を終えたドロテアが、一般人立ち入り禁止のオフィスエリアの出入口から、デパートエリアへと入る。
「いた。あそこ。ほら、ドロテア」
背後のドアが閉じた瞬間、陰湿な田舎者の声がした。斜向かいに視線を投げると、先日のいじめっ子と、そのカレシと思わしき男が立っていた。高身長で、高級な色物スーツを着ていて……胸の名札には、大手企業の社名が記載されている。
「ね? 睨んでくるでしょ。この前も嫌がらせされたの」
目に涙を浮かべたソイツに、カレシは悲しそうな目配せをした後、額にキスをした。ドロテアが梟のように首を傾げていると、カレシはドロテアとの間合いを詰めてきた。
「お前、ボクのカノジョをぶん殴ったんだって?」
眉間に皺を寄せながら、カレシは訊いた。
「ハン! 言い掛かりだわ。バカが伝染りそうで触るのも嫌」
ドロテアが言い返した直後、アイツはわざとらしく鼻をすすり、両手で顔を覆った。あからさまな泣いたフリだ。
「帰ったら、ベッドで慰めてあげるからね」
振り向きながらのカレシの言葉に、ドロテアは「プッ」と噴き出した。目は全然笑っていない。侮蔑の行いだ。
「笑うな! ボクたちは心の底から愛し合っているんだ!」
カレシは壁を殴りつけた。怒り心頭と言ったところか。
「どうせお前も、他の有名人と同じように破局して面白おかしく記事にされるだろうさ。だけど、ボクたちは違う。地位もお金もないけれど、平和な世界でいつまでも愛し合える!」
「そのダサイスーツを脱ぎ捨ててから言ったらどう?」
カレシが「うるさい!」と、拳を振り上げた瞬間。その肩越しに、スマホをこちらに向けているアイツが目に入った。
(このっ……! 私をハメるつもりだわ。動画を撮影して、私が反撃した部分だけを切り取って、それをネットに流して)
こんな勘違い男の一人、蛇を召喚して噛み付かせてやればそれで済むだろう。それこそが、ドロテアを社会から除け者にしようとする、いじめっ子の思う壺なのだ。
カレシが力任せに拳骨を振り降ろす。ドロテアは体術が苦手なアーティストだが、BASで戦ってきた多くの武術家と比べれば、カレシの動きは欠伸が出るほど遅く見える。難なく腕の下を潜り抜け、背後を取ったが、何もしない。
馬鹿みたいに繰り返される、大振りなパンチやキックを避けながら、ドロテアはフェザースカートに手を突っ込む。スカートの裏では、ドロテアの掌から暗緑色の蛇が飛び出し、太腿に絡み付く。アイツが持つカメラから見て死角だ。
暴れ狂うカレシを見据えたまま、後退を続けるドロテア。迫る二人から離れようと、ソイツも後退を始めるが、カメラで撮影することに気を取られ、二人が迫るよりも速度が遅い。
「いい加減にしろ!」
カレシが両手を振り上げたと同時に、ドロテアは背中を、ソイツのスマホに押し付けた。直後スカートから蛇が飛び出し、カレシの脛に噛み付く! すぐに蛇は霧消し、「ぎゃあ!?」と麻痺を来たしたカレシは、前のめりに激しく倒れる。ドロテアは躱したが、ソイツはカレシの下敷きになった。
「ったくもう……使えない奴!」
いじめっ子は、カレシを持ち上げようと必死に身体を捩る。すぐに麻痺から回復したカレシが、「何つった?」と呟く。
「使えないって言ったの! ワタシの立場暴落じゃん!」
「うるせぇ! お前は黙って股開いてりゃいいんだよ!」
カレシはソイツの顔面に、幾度となく拳を振り降ろす。
「……所詮、恋の大先輩なんて、掃いて捨てるほどいるわ」
ソイツの悲鳴を背にしながら、ドロテアは歩き去った。