ケヴィンに土下座してまで、バトル・アーティストに推薦して欲しいという男。
彼は、かつてケヴィンが中退した、プロアスリート養成アカデミーを、不祥事によってクビになった元監督。
「勝負して勝てたら推薦してやる」と、ケヴィンは渋々持ちかける。
◆ ◆ ◆
「お願いします! 俺をBASに推薦してください!」
街中で堂々と、ハゲ始めな筋肉質のオッサンは土下座する。
「だから、おれじゃなくてスタッフに言えっつってるだろ」
細く引き締まった身体に、銀毛に覆われた猫耳、赤茶に染めた細長い尻尾――ケヴィンは、気怠げな目つきで返答した。
「掃除でも運転手でも荷物運びでも、何でもしますから!」
怒鳴るような声で、道行く人々の視線が二人に集まる。
「毎日ストーカーみてぇに、うぜぇ。ヨイショしても無駄だ。アカデミーでイキってる、井の中の蛙どもとは違ぇんだよ」
そう言ってケヴィンが去ろうとすると、オッサンは「お願いします!」と叫び足首を掴んできた。舌打ちしたケヴィンが軽く蹴飛ばそうとすると、周囲のヒソヒソ声が耳に入った。
「あのオッサン、不祥事起こしたレスリングの監督だよね?」
「飲まず食わずの
「それでプロアスリート養成アカデミーをクビになった……」
「ダンベルで生徒を殴る等、パワハラや体罰の常習犯らしい」
かつてケヴィンも門戸を叩き、実態に失望して中退した、養成アカデミーの元講師。彼はプライドをかなぐり捨てて、何度も地面に顔面を叩き付け、「お願いします!」と繰り返す。
「噂じゃ、面が割れているから、誰も雇ってくれないとか」
「BASに推薦……あの猫人間、バトル・アーティストか」
「あの青年、監督の教え子だったのかしら?」
「じゃあ、同類の人間? 彼も不祥事を起こすのかも」
周囲に不審がられるケヴィンは、眉を顰めて唸った。
(いい加減こいつを諦めさせねぇと、色々とだりぃな)
ケヴィンはゆっくりと首を回した後、ヤンキー座りになる。
「しゃーない。バトル・アーティストに推薦してやる」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
元監督は大袈裟にも、何度も顔面を地面に打ち付ける。
「ただし、一つ条件がある。いいか――」
後日、養成アカデミーのレスリング場に、二人はいた。ケヴィンが正規の手続きを踏み、この場所を借用したのだ。学内施設ではあるが、外部の人間でも利用可能である。
(クハハ。『このレスリング場で、勝負して勝てたら、アーティストに推薦してやる』とは。うますぎる条件よの)
元監督は、内心ほくそ笑んでいた。ケヴィンの指示通り、レスリングスーツを着て、レスリングマットの上に立っている。アカデミー生や、マスメディアで経緯を知った一般客からは、白い目で見られているが、元監督は平然としている。
(俺にリベンジするために、わざわざこの場所を選んだに違いない。アーティストに成り上がって、浮かれているようだがよ。レスリングで俺に敵うはずがねえ!)
「おい、準備いいか?」
レーシングスーツ風の戦闘服を着るケヴィンが、猫の尻尾を気怠げにブラブラさせながら言った。
「はい! よろしくお願いします!」
素早くお辞儀した元監督は、重心を低くして構えを取る。
(とはいえ就職が懸かってるから、ドーピングはしたがな。だが卑怯者とは言わせん。ずる賢いケヴィンは、メーションで身体能力を強化するに違いない。だから、これで平等よ!)
「じゃ、さっさと行くか」
ケヴィンは脱力した棒立ちになる。ボクシングで言えばノーガード状態。多くの人から、挑発行為として捉えられる。
「はい! よろしくお願いします!」
言い終わるや否や、元監督はタックルを仕掛けて来た! なるほど、確かに監督を務めるだけはある、強烈な勢い。
にわかにケヴィンが、広げた手を突き出した。直後、凄まじい閃光が放射され、元監督の視界が遮られる! 元監督が思わず立ち止まると、後頭部に鈍い痛みが走り、片膝をつく。
「おめぇ……ちっとも怪しいと考えなかったのか?」
ケヴィンはダンベルを握っていた。元監督が、体罰の際に用いていた凶器で、再び頭部の力任せを振り下ろす!
「オラァ! なにやってんだ、このノロマ!」
元監督の怒声に、居合わせたアカデミー生は、思わず怯んだ。彼がパワハラを行う時の口癖、そのものだったからだ。
「は? BASだよ。何でもアリのプロレスに出るんだろ?」
三度、ダンベルで殴りつける。かつて自分がされたように。ケヴィンの専攻はレスリングではなかったが、元監督がしゃしゃり出て、威張って、殴られた回数は少なくない。
「お前の指示を守って来たのに、何様だ屑野郎!」
「大方、尻尾振って推薦してもらおうって魂胆だろ。表面上だけな。どうせバレないと思って、ドーピングしてんだろ?」
何度も殴られる元監督を前に、周囲は少しだけ騒然とする。
「け、警察、救急車とか呼んだ方が良いんじゃあないか?」
「いや。
「いつも監督がやってた事だし、いつものように無視しよう」
「規則にもあるだろ。
誰一人、元監督を助けようとはしない。
「お前はいつもそうだった! 楽する事ばかり考えて、上を敬う心が全くない! だから落ちこぼれになったんだ!」
地に伏し、痣だらけになって尚、元監督はがなり立てる。
「……ここに居た時、思い知ったんだ。宗教みてぇに媚びへつらって、上の発言に絶対逆らわないやつらの、ヤバさをな」
ケヴィンはダンベルを投げ捨て、元監督に背を向ける。
「在学中、バイトの面接受けた時もな。『公共の場で迷惑掛ける講師や先輩を見て見ぬフリして、昇進したらマネする奴らは、イメージが悪くなる』っつって落とされて。黒歴史だな」
聞き耳を立てるアカデミー生らは、首を傾げている。
「マトモなやつはここを辞める。残っているのは、井戸の中でしか生きられない、独裁者と奴隷だけだ。クソだりぃんだよ、おめぇらと同類と思われんのが」
「うるせえ、誰もが通る道だ! お前だけ逃げんな、腰抜け!」
ある程度傷が癒えた、元監督が立ち上がる。ケヴィンを躾けるため、捨てられたダンベルを拾い、猛然と走る。
ケヴィンは片脚に、七色の光を纏った。振り向き様に、強烈なハイキックを繰り出し、元監督をぶっ飛ばす!
「社会の負け犬が。思考停止してんじゃねぇぞ」
見えない壁と激突し、崩れ落ちた元監督に、そう言い残す。
あれから数日。夜の自由都市の、とあるビルの屋上。
ケヴィンは塔屋に凭れ掛かり、手紙や色紙、集合写真、果ては履歴書などを読んでいる。先ほど、舎弟気取りで後を付けてきた、アカデミー生たちから無理矢理持たされたものだ。
『僕たちの仇を討ってくれて、ありがとうございます。先輩のファンクラブを作りました。先輩を見習って、僕たちもバトル・アーティストを目指すので、よろしくお願いします!』
どれもこれも、似たような文面が羅列され、吐き気がする。
(就職できねぇからって、媚売りやがって)
ケヴィンは知っていた。元監督と同じ穴の貉が、プロアスリートにもコンビニ店員にも成れないことを。自分の頭で考えられない彼奴らは、権力者に大声で挨拶をして回っている。
向かいのビルにある、屋外巨大スクリーンを見下ろした。新たに発覚した、アカデミーの不祥事に関するニュースが流れている。ケヴィンとのトラブルについては、闇に葬られた。
(邪魔なだけだ。何でもアリな試合を楽しむにはな)
ケヴィンは全てを破り捨て、残骸を吹き上げるビル風に乗せた。そうして家に帰るため、七色の光を曳きながら、宙高く跳ぶ。星一つない都会の闇夜に、一筋の流星が煌いた。