個人アパレルブランド、『異端者のお茶会』の主であるゴスロリのオルガは、従業員のマガリを慰めていた。
マガリが個人製作したバッグが、衆愚を熱狂させる”ブランシェ”を模倣したと、難癖をけられたらしい。
「放っておけ」とオルガは諭す。
◆ ◆ ◆
シャンデリアライトが、白黒チェックの床やワインレッドの壁、そして多種多様なロリィタ衣装を照らしている。ここは個人アパレルブランド
「……そうか。御主が拵えたバッグが、蔑まれるとはのう」
豪華絢爛なゴスロリドレスを身に纏う、店主のオルガが慰めた。蝶の四枚翅を持つ、思春期の身体で
「ええ。故に
テーブル越しに、従業員のマガリが返した。眼帯を着用した、蝙蝠羽を持つ女性。口を結んで、怒りを抑えている。
「
オルガは優雅に睫毛を上下させ、紅茶を口に含んだ。
「御言葉ですが、クリエイターとして容認できませんの」
マガリは瞼を閉じて、おもむろに頭を横に振った。
「彼女たちは流行のバッグを……ブランシェを見せびらかしながら言いますの。『貴方のそれは、ブランシェの醜いコピー』と。持ち手根元が偶然似通っただけで、酷い難癖ですわ」
この都市、アリアゼーナでは、現在ブランシェと呼ばれるバッグが人気を博す。それを持ち歩くことが洒落者の証明であり、その概念は伝染病の如く浸透し、集団浅慮に導く。
「持たざる者程、純血主義に傾倒するものじゃ」
オルガはどす黒い微笑を湛えた。民主主義への侮蔑の意。
「ええ。されど真実の美は、我ら異端者から芽生えるもの。私は矜持をかけ、断固として異議を唱え続ける所存ですの」
「控えよ。偶像を崇める者共に説いても、徒労に終わる」
「……左様でございますか……」
マガリはばつが悪そうに、視線を逸らした。
「妾もブランシェを吟味したが、使われている革は紛い物じゃ。云わば精巧に作られたスーパーブランドコピー。半年後には、踊らされた衆愚は癇癪を起こす。
そう言ってオルガは、僅かに残った紅茶を喉に通す。
「……出過ぎた口を利いてしまい、申し訳御座いません」
マガリはわざわざ椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「うむ、宜しい」
オルガは頷いてから立ち上がり、マガリに背を見せる。
「さて。迎賓の御膳立てに励むか」
「ええ。選ばれし者の革命故に」
休憩を終えた二人は、開店準備に取り掛かる。
後日。真昼時、アリアゼーナの大通りを、オルガは歩く。
(上質な生地じゃ。供給が追い付かんのも頷ける)
手提げるは洋服の原料、体躯を覆うは何にも染まらぬ黒。白昼堂々と、数奇者、傾奇者が跋扈する渦中。跳ね除けるように、悠然と闊歩する。
レイラ中の伊達者、洒脱者が集う、この花の都においても、悪魔崇拝めいた純黒のドレスには、冷めた視線が集中する。それで良い。何時の世も、異端者こそ革命の先駆者なのだ。
「ねぇーマガリ。これ以上ブランシェを穢さないで下さる?」
鼻につく高らかな女声。オルガが見遣ると、オープンテラスに座るマガリが、ブランシェを持つ徒党に巻かれていた。
「まぁー
あのサングラスの女こそが、ブランシェの製作者なのだろう。マガリは製作者や取り巻きに、無言で威圧されているが、素知らぬ顔をしてエスプレッソを味わっている。
「それとも、
「……司法の場ではっきりさせて頂けるならば、私と致しましてもそれに越した事は御座いません。では、失礼します」
そう言ってマガリは、そそくさとその場を立ち去ろうとする。先日、オルガに教わった在り方を遵守するように。
「パクリもんを持ち歩かれるって、ムカつくんだけど!」
マガリの前に立ちはだかった取り巻きの一人が、声を荒げて奪い取った。マガリ自ら製作したバッグを。
「なっ……! 泥棒!」
無視などできる筈もなく、マガリは手を伸ばした。
「これだから一匹狼って大っ嫌い! どうせ嫉妬でしょ!?」
「どうした、贋作師? また作り直せば良かろう?」
集中砲火を浴びたマガリは、頭に血がのぼって言い返す。
「贋、作……? そちらのブランシェこそコピー品。紛い物の革を崇める衆愚に、言われる筋合いは御座いません!」
「あらぁー? 人聞き悪いわね。ブランシェは正真正銘の本革よ。専門家や口コミで証明されているのに、何を今更」
ブランシェの製作者が嘲笑うと、取り巻きどもも同調した。
(……衆愚と関わるな。そう諭したのは当の妾じゃが……)
それまで遠目に眺めていたオルガは、足元に時計盤のビジョンを出現させた。それは秒針が、数倍もの速さで動く。
オルガに流れる
(実害を被る同胞を見て、看過する道理はあるまい)
周囲の人間は、溜めた速度を解放して高速移動したオルガを、黒い煙を絡めた突風として視認しただろう。超絶ピアニストの『ラ・カンパネラ』のように、尋常でない速さの、そして高音域の足音が聞こえるや否や。マガリの隣に突如出現したオルガを見て、製作者や取り巻きは呆気に取られる。
「オルガ様……?」
マガリは若干動揺した。オルガが片手にブランシェを、もう片手にデジタル時計を持ち、不敵に笑っているからだ。
「ねぇー、ババア! そのカバンと時計、ワタシの!」
どうやら製作者から、瞬時に奪い取ったものらしい。
「妾の十八番は知っておろう。時を自在に操る
両手を広げながら、オルガが言う。狂ったようにデジタル時計の月日が進み、瞬く間にブランシェが変色してゆく。
「嗚呼、心配には及ばん。加速させた時間は、一時間も経てば縒りを戻す。効果を持続させる事は不得手でのう」
醜く変色したブランシェ。蒼褪めた顔の製作者。
「さりとて、半年後には斯様に成り下がる定めじゃろう?」
オルガはデジタル時計を――今日から丁度半年後の日付を表す時計を、製作者に返却した。取り巻きたちは、来たるべき定めから逃避するように、目を泳がせ続けること一、二分。
「……なんか言えっつーの、製作者!」
取り巻きの一人が耐え切れず、製作者に食って掛かった。
「あらぁー。これを本革と信じていたの? お馬鹿さん」
開き直った製作者は、踵を返し輪の中心から逃れる。
「ふっざけんな! 一から十まで嘘っぱちなんて!」
「だってアンタたち、周りが良いって言えば満足じゃない」
「借金までして買ったと言うのに、よくも、よくも……!」
「どうせ
取り巻きだった集団から、誹謗中傷を受けながらも、製作者は言い返しながら人混みの中に消えて行った。
「現世は情報伝播が早い。今暴かれた真実も、瞬く間に崇拝者の耳に達し、そして大狂乱を来たす。製作者をも巻き込み」
「我々が手を下すまでもない。そう仰いますね、オルガ様。――お助け頂き、誠にありがとうございます」
マガリが深々と頭を下げると、オルガは小さく頷いた。
「時にそちらの忘れ物。私が持ち主に届けましょうか?」
「嗚呼……然しこのバッグ、中に何も入っておらんぞ?」
束の間の沈黙。結局二人は、ブランシェをその場に放置し、立ち去った。やがて日が沈み、変色したブランシェは元通りになったが、それを持ち去る者は遂に現れなかった。