Sublimation of My Heart Part13

 灰色のビジネススーツを着たジャスティンは、豪邸の屋根に設置された、天使像の陰に隠れていた。屋根の上に人が登るとは思わないだろうし、星の見えない闇が視界を遮ってくれるから、ジュリアナの配下がこの『特等席』を発見する恐れはないだろう。
「ジャスティン=クックだ。君に従ってこの場所に陣を取ったが、なかなか良い眺めだな。当然、BASドームの夜景には劣るがね」
 天使の像に背中を預け、首を後ろに向けて豪邸の庭を見下ろしながら、携帯電話で部下に連絡するジャスティン。
「お褒めに預かり、恐縮で御座います。スポットライトの調子はいかがですか? 観戦に障害がある場合、我々が調整いたします」
 凛々しい部下の声が聞こえてくる。昨晩、社長室でジャスティンと対話した現場責任者と同一人物だ。
「いや、構わんよ。奴の姿と、ミーハーどもがよく見える。下品な演説と歓声付きでな。この私が命令を下したとはいえ、奴に調子を合わせる実況者や解説者には同情するよ」

 ジャスティンが俯瞰するのは、大きな円となった石塀の内部にある噴水広場。石塀を縁取るように、見えない壁が展開されていて、一時的にBAS用のステージと化しているのだ。
 星明りを遮らんばかりの、けばけばしいスポットライトを注がれるジュリアナ。下品な金色ドレスを見せびらかしつつ、ステージの中央で延々と自分語りを続けている。女神像が設置された、巨大な噴水の前に立ちながら。ちなみに、登場直後は、例によって透明な化粧瓶の中身を飲んでいた。
「あたしは逃げないわぁ! 真の指導者とは、犯した過ちを自ら拭ってこそ! どんな制裁も甘んじて受けるわぁ! でも、あたしは絶対に負けない! 全力を尽くして戦ってこそ、観客に対する誠意だからねぇ!」
 このようなセリフをのたまっては、馬鹿の一つ覚えのように歓声が巻き起こる。ステージを囲うように設置された、芝生の上の観客席で、「感動をありがとう!」とか、「勇気をもらった!」とか叫んでるミーハーたち。
 多分、雑誌やテレビで腐るほど使われているセリフを、彼らは使いたがるのだろう。そんな思考回路をしているから、ジュリアナに乗せられるに違いない。

「おっと、そろそろブルーノ君の入場か。……怪我したマルツィオくんには、後で臨時手当をたっぷり与えんとな」
 買収されたフリをする実況者と解説者が、一転して、突如ライブを棄権したマルツィオを貶しつつ、ブルーノの恐ろしさを語り上げる。ほんの数十分前に、BASドームの控え室に現れたブルーノが「マルツィオの代役を務める」と宣言したばかりだというのに、難なく喋られるのは流石プロ。ミーハーな観客たちは、わざとらしく悲鳴や「こわい……」を漏らしている。
「では、しばしブルーノ君の残酷劇を鑑賞するとしようか。勿論、君たちの働きぶりもな」
「かしこまりました。お任せを」
 ジャスティンの目に、現場責任者が深々と頭を下げる光景が浮かんだ。

 

「――まさしく、レイラ中の負け犬やクズニートを象徴するかのような負け組! 醜い男の欲望を剥き出しにした狂気の青年! 口に出すのも悍ましいですが、言わせていただきましょうッ! バイストフィリア、ブルーノ=ブランジーニ!」
 血飛沫のヴィジョンが飛び散ると同時に、ステージの外周付近に現れた、血塗れな燕尾服のブルーノ。BASドームの控え室から、テレポート装置で瞬間移動したのだ。
 騒ぐのが好きな観客たちは、大音量のブーイングを響かせる。「悪魔!」、「クズ野郎!」、「女の敵!」などと、汚らしい野次が絶えない。

「よっしゃー! 待ち侘びたぜ、ブルーノ!」
 円になった群衆の最も外側に立つ、包帯とガーゼだらけのマルツィオが叫ぶ。出張ライブの観戦料を払い、BASドームからテレポート装置で敵地に乗り込んだのだ。同じように、ジュリアナを敵視するアーティストや一般人が、ミーハーたちを囲むように立っている。
「ほら! 応援してくれる人がたくさんいるでしょ!」
 大音量のブーイングに掻き消されることは承知だったが、魔女服に身を包んだドロテアは、叫ばずにはいられなかった。観客席の外側で立つ人々は、一丸となってブルーノを応援している。
「いやあ! まさかブルーノくんに、復讐戦の代理をしてもらえるとはなあ!」
 緑迷彩の軍服に身を包んだレフが、手を打ち鳴らしながら言う。
「愚痴るくらいなら、最初からライブに出るなよ」
 カラフルなレーシングスーツを装備したケヴィンが毒づく。レフはつい先日、一対一のライブをジュリアナに申しこまれて、惨敗を喫している。
 そもそも、レフは多人数戦のライブを得意としている。ケヴィンを含む他のアーティストたちとチームを組むことで、初めてヒト型重戦車の役割を果たせるのだ。にも関わらず、「明日ジュリアナとライブしろ」といきなり言われたから、大した練習ができず、対抗できる武器も作れなかった。ジュリアナが箔を付け、俗衆を手玉に取るために、勝てそうな相手を選んで戦ったとしか思えない。
 ケヴィンは、結果の分かりきったライブで、レフがボロ負けする光景を観たくなかった。だから当日、応援に駆けつけなかったし、敗北を承知でライブに出たレフが馬鹿らしいと思っているのだ。
「仕方がありませんよ。もし辞退していれば、解雇される可能性もありましたから……」
 水色の修道服を着たクリスティーネは、とても正直者で、BASのスタッフたちが本当にジュリアナに買収されたと思っている。だから、このようにケヴィンを宥めた。
「あ、あの……皆様、どうして戦う恰好をしていらっしゃるんですか?」
 小さくなっているロココの少女、デルフィーヌが、隣に立つトレンチコートのお姉さん、グロリアに恐るおそる聞く。
「もちろん、万が一の時に乱入するためよ~。あのオバケ女、何しでかすか分かったものじゃあないし」
 ドロテア、マルツィオ、レフ、ケヴィン、クリスティーネ、それ以外にも多数のアーティストが集結している。いざとなったら、見えない壁の外側から内側に侵入して、ブルーノを手助けするつもりでいる。

「お前が相手なら、心置きなく戦えそうだな」
 噴水の前に立つジュリアナに向かって、淡々と述べるブルーノ。
「ギャハハハ! 誰が相手だろうと、逃げる気はないわぁ! 人間は、間違いを犯して当然だけど、その後の対応が大切だからねぇ! 悪玉としてのお披露目は失敗したから、善玉となってあたしは罪を償うわぁ!」
 有料放送で生中継されている手前、下手なことが言えないのだろう。何も知らない人が聞けば、ジュリアナを高潔で誠実な人間と勘違いするかもしれない。事実、何も知らない、というか何も知ろうとしないミーハーたちは、大歓声をあげることでジュリアナを称賛している。
「思い上がるなよ……! 本当に罪を償うつもりなら、今すぐドレスをお前の血で染め上げてみろ。グロリアも、ドロテアも、マルツィオも、デルフィーヌでさえも、没落したお前の姿を見たがっている」
「あのねぇ! 女子を代表して言うけど、あんたたちが思っている以上に女子って不便でねぇ! 化粧にお金はかかるし、身体は弱くて当たり前だし、強がっているけど実は弱音を吐きたくて仕方ないの! ねぇ、これって不公平じゃない!? だから男子は、女子に食べ物を奢って当然だし、女子よりもキツイ仕事をするべきだし、どんなにキツイこと言われても、見捨てないで手を差し伸べるべき! あんたのように、女子を殴りたいとか思っている男子は、死んだ方が世のためだわぁ!」
 妙に高揚しているジュリアナは、大袈裟な身振り手振りと共に叫んだ。同意するかのようなジュリアナコールが、観客席の中心に近い部分から聞こえてくる。
「マジぶっ殺してぇわ、あいつ」
 舌打ちとともに発したケヴィンを皮切りに、群衆の外周ではあらゆる罵詈雑言が飛び交う。
「どうしてあたしが、あんな人に代表されるのよ!?」
 背筋に悪寒を走らせながら、グロリアが言う。

(デルフィーヌでさえも、ねぇ! 結局帰って来なかったけど、予想通り捕まって寝返ったか! まぁ、あんな役立たずいない方が清々するし、新しいのを社員に創らせればいい話!)
 いくつか用意した作戦の内、どれを採用するか一瞬で見極めたジュリアナ。女神像の噴水をバックにして、尊大に両手を広げる様は、それを『所有』する自分の方がもっと崇高な存在だと言っているかのようだ。
「ちょっといじめられた程度でバイオリンを辞めたあんたなんか、そんじょそこらの負け犬と変わらないわぁ! ただの負け犬のクセに、人気になったアーティストを貶して偉そうにして、なんでそれが商売として許されるの、ねぇ!? まぁ、今更あんたのような、吠えるしか能がない負け犬なんて見飽きたわぁ! いつものように、自分の道を突き進むまで!」

 

 ゴングが鳴った瞬間、ジュリアナは手元に赤い化粧瓶をメーションで現し、対面するブルーノに向かって噴射する。かなり良質なAMM入りの液体らしく、モロに浴びたドロテアはメーションを封じられてしまった。
 すかさず目の前に血の壁を展開するブルーノ。AMM化粧液を完全に防ぎ、血の壁に風穴が開くことは無かった。
「やるなー! 絶好調じゃねーか!」
 いつもブルーノの練習相手になっているマルツィオには分かる。ブルーノが思い描くイメージの大元は『感情』であるから、敵対者を痛めつけたいと強く思うほど、メーションは強力になるのだ。
 小細工は意味がないと判断したジュリアナは、腕を組んだまま背中とドレスの合間から濃緑の蔦を六本伸ばし、それらの先端に透明な化粧瓶を現す。ジュリアナ以外が触れると、時間差で爆発する黒い瘤が発生してしまう、悪名高き『ペルソナ=ネクター』だ。
 六本の蔦を蠢かせながら、それらの先端で掴む化粧液をブルーノに向かって噴射する! 逃げ道を塞ぐように、二本の化粧瓶をVの字に噴射させた上で、反撃のタイミングを悟られないよう、残る化粧瓶を噴射させ続けたり、断続的に噴射させたり。
(物量攻めか。血の壁で防御し続けたら、スタミナ切れで負けてしまう)
 ブルーノは、じわじわと間合いを詰めながら、両掌から乱射する無数の血液弾で対抗した! バイストフィリアの名に恥じぬ、狂ったようなメーションのラッシュは、噴射される化粧液を掻き消した上で、ジュリアナに直撃する。やはり、あらかじめ化粧液を纏っていたせいか、ジュリアナの肌は黒焦げにはならないが、外周の観客たちは大いに沸き立っていた。
「単純な物量で言えば、ブルーノさんの方が上ですねっ!」
 この二週間、練習試合を通してマルツィオたちと親睦を深めたクリスティーネは、自分のことのように喜んでいた。

「それにしてもクソ女、案外肝っ玉なもんだわ。絶好調のブルーノのプレッシャーに耐えるなんて」
 ドロテアも、何度かブルーノと模擬戦をしたことがあるが、対峙した時に感じる恐怖は凄まじかった覚えがある。例えるなら、一人で夜道を歩いている時に、いきなり後ろから抱きつかれた時のような感覚だ。
「な~んか、危ない薬とか打っているんじゃあない? 胸にメスを入れるような女よ。それくらい、躊躇なくやると思うわ」
 単なる皮肉のつもりだったが、実はグロリアの言ったことは本当だった。メンタル面が脆弱であることを自覚しているジュリアナは、使用によりハイ(興奮状態)になる薬物に頼ったのだ。ちなみに、他人の話に自分勝手な結論を下すのは、ハイになった症状の一つらしい。
(確かに……やりそう……)
 生まれた時からジュリアナに侍っていたデルフィーヌは、どこか哀しげに芝生を見つめる。創り主へ抱いた親愛の情を、未だ捨てられずにいるようだ。

 お互いが手を伸ばせば、指先が触れる所まで間合いを詰めたブルーノ。未だ噴射され続ける化粧液を掻き消すかのように、両手から広範囲に血液を乱射させている。Vの字に噴射されていた二本の化粧瓶は、ジュリアナが身体に纏う化粧液の塗り直しに使われていた。
 至近距離で撃ち合っていた二人だが、化粧瓶の一部を使い果たしたせいか、ジュリアナが展開する弾幕の勢いが弱まってゆく。中身の尽きた化粧瓶を消失させ、新たな化粧瓶を蔦の先端に現す、その刹那。
 片手の乱射のみで、化粧液を十二分に相殺できると見たブルーノは、もう片方の手の五本指から、血塗れの針を突き出した! 化粧瓶の数本を針で貫くと、そのまま針を引き戻しつつ、後方に化粧瓶を投げ捨てるブルーノ。五本の化粧瓶を奪われたジュリアナは一瞬怯み、残る一本の化粧瓶も針で貫かれ、引き寄せられ、ブルーノの手中へと収まる。握った化粧瓶の中身が残っていることは、その重さで感じ取れる。
(さて、これを少しだけ飲むと、即座にペルソナ=ネクターへの免疫が付くらしいけど……。なんか信用できないんだよなぁ。デルフィーヌには悪いけど)
 六本の蔦に握られた化粧瓶を、全て奪い取ることに成功したとはいえ、ジュリアナは新たな化粧瓶を無尽蔵にストックしていることだろう。化粧液を纏い直す前に、一気に決着を付けたいところだ。
「か、返せ! 早く! それを寄越せ!」
 ブルーノの意に反して、ジュリアナは前のめりになってまで、ブルーノが持つ化粧瓶に手を伸ばしてきた。ブルーノは反射的に、空いた掌から血塗れの針を繰り出す。それは、ジュリアナの鎖骨のやや下あたりを貫き、確かな手応えと共に流血させる。
(塗り直さないのか……!?)
 後ずさって間合いを維持しつつも、ブルーノは困惑していた。ジュリアナは痛みを全く感じていない様子で、怯まずに捨て身で突っ込んでくる。痛みを軽減させるステージの効果というよりは、ジュリアナが打った薬の効果だろう。
(向こう見ずなんてらしくない……。奪われると不都合なのか? 飲むと本当に免疫が付くのかも)
 思案しながらも、ブルーノがひらりと横にかわした為に、ジュリアナは無様に頭から転倒する。その際に、纏っていた僅かな化粧液が周囲に飛び散り、ブルーノの手や顔面に付着してしまった!
(まずい……! 今から飲んでも間に合うかな……!?)
 ジュリアナは立ち上がり、ブルーノが握る化粧瓶に、死に物狂いで手を伸ばしてくる。すかさず針を突き出すと、その先端から大量の血液をぶっ放し、その衝撃でジュリアナを吹っ飛ばした! そのままジュリアナは噴水の中へ放り込まれ、ブルーノは大急ぎで化粧瓶の蓋を開き、慌てて中身を口にする。騒ぎたがりのミーハーによる、下品な悲鳴とブーイングが響く。

 

 ペルソナ=ネクターを飲んだにも関わらず、ブルーノの顔や手に発生した黒瘤は、爆発して夥しい量の血を撒き散らした! それだけなら辛うじて耐えたかもしれないが、口から大量の血を吐き出すブルーノは、腹を押さえて苦しみもがいている!
「馬鹿ねぇ! あたしの真似をしたって、スーパーセレブになれやしないのに!」
 噴水から這い出たジュリアナが「ギャハハハ!」と笑うと、同じような笑い方で観客たちが嘲笑する。水滴を垂らしながら闊歩しつつ、展開した数本の蔦で化粧液を自身に吹き掛けるジュリアナは、顔を真っ赤にして悶えているブルーノの前に立った。
 そして、片手にペルソナ=ネクターを、もう片手にAMM入りの化粧水を現すと、同時にブルーノに吹き掛けた! 黒瘤だらけにされたブルーノを見下げ、空になった二本の瓶を投げ捨てると、新たにペルソナ=ネクターの容器を現して叫ぶ。
「本当の王にしか引き抜けない剣があるように、この化粧液を扱う資格を持つのは、この世でただ一人! あたしが武器に頼るしか能がない、負け犬だと思ったの!? あたしは選ばれし人間! 武器を奪えば勝てると勘違いするなんて、ほんっと高慢ちきねぇ!」
 言い終わると同時に、ブルーノは再び大爆発。纏い直した化粧液が膜となって、返り血を瞬時に洗い流す様を観たミーハーたちは、化粧液を口にしているジュリアナを女神のように崇め讃えていた。

「どういうことですか……!? 免疫が付くどころか、ブルーノさんの体内で、黒瘤が発生していると思われますが……!?」
 正直者のクリスティーネは、事前情報と食い違った事実を目の当たりにし、犬耳を下に引っ張って困惑する。
「おい、やっぱそいつの言った事、捕まった時用の嘘なんじゃねぇの?」
 ケヴィンは敵意を孕んだ眼差しで、デルフィーヌを突き刺した。
「ち、ち、違うんです! 許して下さいぃ! 嘘なんかついてません!」
 デルフィーヌはドロテアの背中にしがみつき、早くも『涙』を流してしまいそうだ。
「そ、そうよ! デルフィーヌは、人に嘘をつけない子だわ! お願いだから、そんな言い方しないで!」
 お腹に回されたデルフィーヌの手を握りながら、ドロテアが強い口調で言う。
「あたしも信じたいけど……じゃあ素直に、あたしたちの解釈が間違っていたと反省すればいいの?」
 片手を頬に当てるグロリアは、何を信じていいのか分からない。
「デルフィーヌちゃんは嘘をつけない――そうかあ!」
 不穏な空気が外周で漂う中、手を打って叫んだレフが注目を浴びる。
「敵を欺く前に、まず味方からってよく言われるけど、ジュリアナは嘘をつけないデルフィーヌちゃんの性格を利用したんじゃないかなあ? マルツィオくんの刺客にわざわざデルフィーヌちゃんを起用したのは、僕たちがデルフィーヌちゃんを捕虜にするのを見越してのことだよ。昨日僕たちに電話してきた、ジュリアナの元部下と名乗った人間は、本当はジュリアナを裏切っていなかったんだ。くそう! まんまと騙されたなあ!」
「わざわざそんな回りくどくする必要あるのか?」
 納得できないと言わんばかりに、マルツィオがレフを見ている。
「もし、ペルソナ=ネクターを飲めば免疫がつくという情報が、人づてやネットで流布された噂話だったとしたら、僕たちは信じなかっただろうさ。見ての通り、あのままいけばブルーノくんが押し切って勝てたかもしれない。だから、何故かどうしてもブルーノくんに勝ちたいジュリアナは、事前に仕込んだ偽情報と演技を駆使して、ブルーノくんを踊らせたんだよ。デルフィーヌちゃんを捨て駒にしてまで!」
(わ、私……捨てられた……!?)
 腰を抜かしてしまったデルフィーヌを見て、「大丈夫!?」とドロテアが屈みながら言うが、何の反応もない。次々と過去の出来事を思い浮かべては、捨て駒にされた事実をどうにか反証しようと必死なのだ。
 マルツィオが無言で睨みを利かせると、レフは項垂れてしまう。誰が何を言っても関係にヒビが入ってしまいそうな雰囲気で、外周にいる観客たちは何も言えなくなった。

「ジャスティン様、乱入の準備をお願い申し上げます。ジュリアナから、ブルーノ様が倒れ次第即座にライブを終了するよう、指示を受けております。これ以上ライブを延長させると、我々の工作が露呈するでしょう」
 豪邸の屋根から噴水広場を見下ろしているジャスティンは、現場責任者と携帯電話でやり取りしていた。
「いいから、もう少し引き延ばせ。私の出る幕ではない。一流のヒールなら、今のムーブによって勝機を掴めるだろう。奴が発案したブックそのものが、弱点への糸口になるとは、この私にも予想できなかったがね」
 間を持たせる為に演説しているジュリアナを見下ろしながら、自信たっぷりにジャスティンが言う。ブルーノはと言うと、何度もペルソナ=ネクターを浴びせられては黒瘤を爆散させ、血の海に沈んでいた。ミーハーたちは、散々ブルーノを見て悲鳴を上げていた割には、ジュリアナによるえげつない攻撃を観ると喜ぶらしい。
「しかしながら、AMM入りの化粧水を数度に渡って吹き掛けられているので、ブルーノ様のメーションは完全に封じられています。更に申し上げると、ブルーノ様は幾度となく追い討ちを仕掛けられ、通常なら死に至る量の血を流しています。ご覧の通り、ブルーノ様は微動だにしません。ブルーノ様の意識が回復したところで、ジュリアナがペルソナ=ネクターを吹き掛け、再度気絶に追い込むことでしょう」
「失神したフリをしているに過ぎん。転倒状態からの逆襲急所攻撃は、ヒールの基本ムーブ。分かるかね? 大量のジュースを流しているのは、フィニッシャーに繋げるための布石だ」
 そう言い切ったジャスティンは、お手本のような悪人面だ。

「これぞ、因果応報って感じねぇ! 不正な手段で成り上がった人間は、長続きせずに報いを受けるものだわぁ!」
 とってつけたような決め台詞を吐いては、ブロンドヘアをぶんぶん回して、周囲に目をやるジュリアナ。稼いだお金で不正工作や買収を働くことは。努力に対する当然の対価だから、不正の内には入らないらしい。
(ほんっと無能なスタッフねぇ! あれだけ高い金を払ってやったのに!)
 悪魔を倒した英雄として、ミーハーたちから惜しみない拍手と歓声を捧げられているが、自己陶酔する余裕もなく苛々している。マイクパフォーマンスと、ブルーノへの追い討ちを繰り返しつつ、いい加減ライブ終了のゴングが鳴る瞬間を待ち侘びている。
「負け犬どもの誹謗中傷をものともせず、真面目に働いてお金を稼いだあたしたちの方こそ、真の勝ち組! お金を使うことは卑怯だと抜かす負け犬どもは、残らずあたしがぶっ潰してやるわぁ! 全員、あたしを崇めなさい! そうすれば、弱い者いじめしか能がない負け犬なんかより、あんたたちがずっと偉いことが証明される世の中にな――あ、あぁ!?」
「なっ……!」
「うおぉー!?」
「あらあら~!?」
「ひ、ひぃ!?」
「まあ……!」
「お?」
「よしきた!」
 ライブ会場にいたほぼ全員が驚嘆し、息を呑むと、視覚も聴覚も時間を止められたかのようになった。無音の噴水広場で、うつ伏せで血の海に沈んでいるブルーノの掌から、極太な血塗れの針が突き出ていたのだ。執拗に吹き掛けられたAMM入り化粧水の抵抗力を、大量に流した血を一点集中させたメーションの強度が上回っている。それは、勝利宣言のように口上を垂れていたジュリアナの口を、斜め下から突き刺していた!
 尋常ならぬ量の血に隠されたブルーノの顔は、嗜虐的な笑みを浮かべている。
(当たり前のことなのに、どうして忘れていたんだろうね? 普通、体内に化粧を塗ることなんて、不可能じゃないか)

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