Sublimation of My Heart Part8

 湯水の如く私財を投入して作らせたワンオフのソファーは、それに触れることすら叶わない庶民を見下すための物で、宝石をふんだんに使った下品な女神や天使の像は、まるでこの部屋の主の本質を現しているかのよう。
 整形手術を繰り返し、厚化粧が素顔とばかりに悦に浸る、屋敷の主の本質を。

 その名はジュリアナ=グリーン。不自然な爆乳と、気持ち悪い色の口紅。美白を謳う肌はよく見るとハリがなく、胸元の空いた、露出度の高いドレスの色は金。濃緑の蔦を、編みこみロングブロンドヘアの髪留めとして使用しているが、これはジュリアナの身体の一部である。草花から進化を重ねてきた名残として、背中から数本の蔦が生えているのだ。

 巨大なドアの隙間から入室した少女の名はデルフィーヌ。華奢で手足が細く、少女漫画のように細く薄幸な瞳を持ち、やや蒼白い肌をしている。赤が基調で白いフリルの、ロココ風で華麗なドレスを纏い、おでこをみせるミルクティー色のロングヘアの上に、可憐なボンネットを被っている姿は、儚げな人形そのもの。
 と言うか、デルフィーヌは本当に人形だ。ゴーレムとも、メーションドールとも呼ばれるデルフィーヌは、命を持つ等身大の球体関節人形。メーションと科学を融合させた技術の賜物。ジュリアナが部下に創らせた『人間』であり、手駒であり、八つ当たり用のサンドバッグだ。

「ジュ、ジュリアナ様……? どのようなご用件でしょうか……?」
 デルフィーヌの震え声を意に介さないジュリアナは、ソファーに座ったままスクリーンから目を離さない。違法撮影されたブルーノたちのライブを、子どものように歯を食いしばって観戦している。
「何してるの? はやくこっちに来なさい!」
 大層な見かけの割に、かなり幼い声で怒鳴るジュリアナ。
「は、はいぃ! すみません!」
 デルフィーヌは、泣きそうな声で謝るともに、慌ててジュリアナが座るソファーの隣へと走った。以前は、「勝手にソファーに近づかないで!」と怒られたから注意していたのに。常識的に考えれば理不尽だが、召使い精神を叩きこまれたデルフィーヌは、自分が鈍臭いせいだからと、ジュリアナを全く恨んでいない。

「あんたに新商品のモルモットになって貰うわ。ありがたく思いなさい」
 リモコンでスクリーンの電源を切ったジュリアナは、ドレスと背中の合間から伸ばした濃緑蔦の先端で、近くの丸テーブルに置いてあった透明な化粧瓶を掴む。
「あ……ありがとう御座います……」
 かなり気取った上品そうなフォントで『ペルソナ=ネクター』と書かれた、これまた透明な液体入りの容器を受けとったデルフィーヌ。蓋を開けると、ボタン状のノズルがあったので、これは身体のどこかにスプレーして使うタイプの化粧液らしい。
「あ、あの……どこに吹き掛ければ……」
 できる限り猛獣を刺激しないように、消え入るような声でデルフィーヌが問う。
「鈍臭いわねぇ。どこでもいいじゃない」
 むしゃくしゃしながらそう言ったジュリアナは、これからデルフィーヌに降りかかる災難を待ち切れないようだ。
「す、すみません!」
 慌ててデルフィーヌは、蓋を持つ方の手の甲に化粧液を吹き掛けようとした。瞬間、蓋を保持している指の先端に、小さな黒い瘤があることに気が付く。
(ふ、ふ、不良品!?)
 化粧水が触れたために、黒い瘤が発生したと思ったデルフィーヌは、部屋の角に追い詰められた子鼠のように、ぷるぷると震えだした。

「何してるの? 早くしなさいよねぇ。鈍臭い」
 下品な薄ら笑いを浮かべながら、ジュリアナが急かしてくる。
「で、でも、これ、これ……!」
 声を詰まらせたデルフィーヌは、黒い瘤ができた指先を見せて訴える。
「ハッハハハ! いいじゃない、それで。あんたの肌、死んでるみたいに蒼白くて気色悪いから、それくらい濃い方が似合ってるわぁ」
 ジュリアナは、勝ち誇ったように高笑いをした。
「え、そ、そんな、ジュリアナ様……!? でも、だって……ひ、ひぃ!?」
 あたふたとしていたデルフィーヌの指先が、突如爆発した! ドールだから修復が可能とは言えど、血と共に自分の指先が四散したのを目の当たりにして、デルフィーヌは腰を抜かしてしまう。
「私の指……私の指……!」
 尻餅をついたデルフィーヌは、激しく震える手を見ながら、うわ言のように同じ言葉を繰り返す。
「ハッ! この程度の命令も聞けないのねぇ。どこまでも鈍臭い人形。あんたなんか、創らなきゃ良かった」
 そんなデルフィーヌの前に立ち塞がったジュリアナは、伸ばした蔦の一本で、取り落とされた化粧瓶を掴む。残りの蔦を全て伸ばすと、それらでデルフィーヌの全身を絡め取り、宙に持ち上げた。
「す、すみません! ごめんなさい! 鈍臭くて申し訳ありません! 自分で! 自分でやらせてください!」
 涙の代わりに、きらきらと光る何かを大量に流しながら、必死に許しを請うデルフィーヌ。しかしジュリアナは、化粧液に絡ませた蔦の先端で、容赦なくボタンノズルを押しこむ!
「や、やめてください! お願いです、どうか! もっとジュリアナ様のお役に立てるよう、立派な人形になりますからぁ!」
 下品で、そして子ども染みた薄ら笑いをするジュリアナは、聞く耳を持たない。儚さを体現したかのような可憐な少女から、美しく散りゆく権利さえも剥奪せんと、ペルソナ=ネクター塗れに貶めてゆく。

「あらぁ? 思ってたより気色悪くなったわねぇ。ハッハハ!」
 黒瘤だらけにされたデルフィーヌを見て、またもや勝ち誇ったように笑うジュリアナ。
 こうやって、見た目以外に取り柄のない女の『化けの皮』を剥がすのは、たまらなく気持ちがいい。何度やっても飽きない。これ以上の娯楽はない。
 レイラ中の美人美少女たちが、同じ制裁を受ければいい。無条件で世間から甘やかされる彼女たちは、無能なくせして、存在感だけは大きいから。
「爆発するなら、あっちでやりなさいよ。汚いから」
 拘束していたデルフィーヌを投げ飛ばすと、ジュリアナはドレスの中へ全ての蔦を引き戻す。華奢な身体は、巨大な扉と衝突し、悪趣味なまでに磨かれた床に伏した直後に大爆発! 周囲に身体の破片が飛び散り、血液が周囲に撒き散らされる。
 ジュリアナの身体にも、破片の一部が到達したが、傷を負うどころかその全てを跳ね返す。メーションは一切使っていないし、デルフィーヌの身体がゴムのように柔らかい訳でもない。

「ハハハハ! ほんっと汚いわねぇ! 着ている物だけご立派で、中身はほんっと汚すぎ! 鈍臭いし臆病だし役に立たないし、ねぇ!?」
 ボロボロになった両腕で、顔を覆っているデルフィーヌを見下ろしながら、ジュリアナは思う。デルフィーヌを部下に創らせる際、「極限まで生身の人間らしく」と注文を付けておいて良かったと。呆気なく壊されるよりも、生き血をぶち撒け、死にかけの蝉みたいに苦しみもがく元美少女を見た方が、ずっと楽しい。
「自分で片付けなさいよ。あんたの責任だから」
 そう言い付けたジュリアナは再びソファーに座り、丸テーブルに置いてあった瓶の蓋を開いて、その中身を飲み始めた。さっきの化粧瓶と全く同じに見えるが、仮にあれがペルソナ=ネクターだとしたら、なぜジュリアナは飲んでも平気なのだろうか?

 それはともかく。デルフィーヌはきらきら光る何かを両目から流しながらも、半壊した両手で破片を拾い集めつつ、ロココの服の辛うじて綺麗な部分を使って、部屋中の血を拭き取っていた。ただでさえ仕事が遅いデルフィーヌが、着替えたり、雑巾を取りに行ったりすると、普通の何十倍もの時間が掛かってしまう。いつもジュリアナにそう言われている。「私は鈍臭いから仕方がない」と、デルフィーヌは自分に言い聞かせている。

 

 アゲアゲなミュージックが流れるクラブハウスで踊るかのように、アリーナ内の観客たちは常にハイテンションでいるものだが、それにしたってライブ前からこの興奮ぶりは異常だ。
(何なのよ、こいつら……。あり得ないほどの野次だわ。私、まだ何もしてないでしょ?)
 ステージに立つと、暴力的な言葉を観客にまで浴びせることで有名なドロテアも、これは初体験だから動揺するのも無理はない。正方形のステージ、スタンダードの隅で立ち尽くし、目が隠れる程つばが広い魔女帽子の下で眉を顰めている。
「皆さんお盛んですね~! かつてない盛り上がりっぷりに、あたしも興奮してきちゃいました~!」
 茶白マーブルを着用した『魅惑の茶斑』、グロリアに関してはいつも通りの一言。ステージの中央で円を描くように歩き回りながら、危ない薬でも打ったのかと思えるほど狂喜乱舞している観客たちにウインクを送る。

「人が沢山いるなぁ。観客席に座れない人が、座っている人の倍近くはいるよ」
 爆走する車の中で振り回されているかのように、焦りと困惑を覚えるブルーノが言った。
「ジュリアナ=グリーンか。おー、やっぱしな! 若くして両親から継いだ会社を、レイラ一の総合薬品会社に仕立て上げた、オシャレに敏感な女の子なら誰でも知っている会社の社長だ! 間違いなくスーパーセレブな花人間だぜ! そりゃあ、人がこんなに来てもおかしくねーわな!」
 本日ドロテアが対峙するアーティストの名を、携帯電話で調べ上げたマルツィオはしたり顔。
「たったそれだけで、こんなに集まるものかなぁ? 有名なのは社長じゃなくて、会社のブランドそのものでしょ」
「今の時代、ブランドだけじゃ売れねーぜ。オレたちの知らねーとこで、身体張ったパフォーマンスして知名度を上げてたんだろ」
 それでもブルーノが首を傾げるや否や、バラの花束が飛び散るヴィジョンと共にジュリアナが現れる。不自然なほどの大歓声と、やけに息が合った観客たちの熱烈なコール。
「うっひょー! デカい! デカい! 北半球丸見えじゃねーか!」
 目ん玉が飛びだすほどの勢いで、マルツィオも大興奮。何とも壮大なオペラが、テーマ曲として流れている。露出度の高い金色のドレスと、宝石を鏤めたハイヒール。悪趣味な金持ちと言った風体だ。

「何? 握手でもしたいの? 生憎だけど、アンタみたいな露出狂と同じにされたら困るから、却下願うわ」
 蔑むような視線と共に、ジュリアナがモデルウォーキングで近づいてきたので、悪役らしい挨拶を投げかける魔女服のドロテア。
「あらあら。田舎者って、怖いわねぇ。排他的ですぐ喚く。肌は豚のように汚くて、着ている衣装も黴臭い。それに、その赤い尻尾、ちゃんとした道具を使って手入れしているの? まあその発想すら浮かばないだろうわねぇ、あんたみたいな貧乏人には」
「おおう! 悪役路線でデビューするつもりか!」
 マルツィオはすっかり釘付けになっている。大多数の他の観客も、恐ろしいほどのテンションで歓声を出し続ける。
(悪役のアピールをしたら、新人と言えど普通ブーイングで迎えるべきなんじゃないの……?)
 ジュリアナが仮面のように被る、作り物の美貌を眺めながら、ブルーノはそう思う。
「なっ……! 誰から聞いたのよ、田舎者って!?」
 田舎者出身ということを暴露されたら、いじめられる毎日が再来すると恐れていたドロテアは、田舎者を否定するのも兼ねて問い詰める。
「滲み出ているのよねぇ。田舎者特有の陰湿さと排他主義が。後は、洗練されていないメーションの発動方法。源流は舌先三寸の黒魔術だろうわ。それにオカルトという、引き籠りが嗜みそうなご趣味。食べ物の好みもとにかく下品で、息が臭そうねぇ」
 ジュリアナは予め、デルフィーヌをはじめとする部下たちに、ドロテアの情報を収集させていたのだ。当のドロテアはそれを知る由もなく、隠したい心の闇を観察眼を以って見透かされたと勘違いして、激怒する。
「アンタ……! これ以上適当なこと喋ると、その口に毒液を流し込むわよ!」
 赤い尻尾で地面を思い切り叩きつけながら、ドロテアが叫ぶ。
「怖い、怖い。どれだけ臭いのでしょうねぇ? その毒液って。ハッハハハ!」
 そうしてジュリアナは踵を返し、ゴングが鳴るまでの間ステージのコーナーに陣取った。

「スーパーセレブの名に恥じない、自信たっぷりの表情ですね~! 企業倒産の危機に何度も直面していたら、これぽっちじゃドキドキしないのでしょうか?」
 挑発的な笑みを浮かべるグロリアが、下品に口元を吊り上げているジュリアナに言う。
「当然だわぁ! 批判と嫉妬しかできない、クズニートや負け犬どもと違って、あたしはいつも苦境を乗り越えてきたから、ねぇ! そうして誰よりも努力して、お金を稼いできたあたしが、レイラで一番美しい人に決まっているじゃない! いくらでも化粧が買えるから!」
「へぇ~! あたしもお化粧には興味あります~! あたし、お肌が日焼けしちゃうのが大っ嫌いなんですよ~! チャームポイントが台無しになっちゃいますから~!」
 傍若無人なジュリアナと相対しても、グロリアはグロリアだった。ちなみに、チャームポイントとは、全身にある薄茶色の斑点のことを指す。
「あら、あんた幸せ者ねぇ。レイラ一の総合薬品会社の社長から、直々に化粧が貰えるなんて」
 そう言ってジュリアナは、メーションで片手に円筒形の真っ白な容器を現して、グロリアに差し出す。嬉しそうに目を細めながら受け取ったグロリアだが、ラベルに書かれた『美白化粧品』を読み取ると、急に表情が曇ってゆく。
「それであんたの『シミ』を消しなさい。もっと綺麗になれるわよぉ?」
 蔑むような笑いと共に言い放ってきたジュリアナに、グロリアは真っ白な容器を投げつけた!
(いくらヒールでも、それは……!)
 心の中で呟いたブルーノは目を見張り、マルツィオとドロテアも口を大きく開けて驚愕していた。他の観客は、ジュリアナを崇めるかのように、狂信的な歓声を発し続けている。
 顔に容器を受けても、痛くも痒くもないと言いたげに見下してくるジュリアナと、余裕の欠片もなく、憎悪を剥き出しにするグロリア。両者とも凍りついたようにそのままだったが、やがてグロリアが無言のまま背中を見せて、瞬間移動で何処かへ消え去る。
「グロリアちゃんがマジギレしたの、初めて見たぜ……」
 茫然とマルツィオが呟くと、ブルーノは同意するように頷いた。

「なっ……なんてこと言うのよ! クソ女!」
 声を荒げたドロテアは、再び尻尾で地面を叩きつけていた。
「あら? いじめられっ子が、いじめられっ子を庇うつもり?」
 本人は公表することを嫌がるが、猫人間と猿人間のハーフとして生まれたグロリアは、尻尾も猫耳もないのに茶斑だけが遺伝してしまったため、幼少期は壮絶ないじめに遭っていた。何度も自殺を考えるほど、辛い過去を背負っているのだ。これもまた、ジュリアナが部下に調査させて得た情報だ。
 ドロテアも、トカゲの尻尾と言う女の子らしくない身体的特徴があるせいで、娯楽に乏しい排他的な村の中でいじめられていた。だからこそ、グロリアに複雑な感情を抱いている。
「グロリアは……グロリアは! 厚化粧のアンタと違って、素の状態が一番綺麗なのよ!」
 自分でも驚くようなことを、ドロテアは口走っていた。いじめられても構わないとばかりに、自ら茶斑を魅せつけるグロリアを、正気の沙汰ではないと軽蔑していたはずなのに。巨乳と美尻をランジェリーで強調するだけで、男が群がって来ていいわねと、心底嫉妬していたはずなのに。
「傷の舐め合いねぇ。ハッハハ!」
「言ってくれたわね、豊胸手術クソ女! 焼き尽くしてやる! もがき苦しませてやる! 新人だからって許されると思うなよ! 毒に塗れて死ね!」

 

 ゴングが鳴り響いたのを、ドロテアは聞き逃さなかった。
 手に持つ触媒は黒い毛だ。手始めに黒い巨人を召喚するドロテア。力自慢の巨人は、野蛮な唸り声を上げてジュリアナに突撃し、ドロテアは次のメーションを使う準備をする。
「どうして動かないんだ?」
 格闘技の構えもとらず、懐から武器を取り出す探りも見せず、メーションを使う気配すら感じられず、薄ら笑いながら立っているだけのジュリアナを、ブルーノは怪しんだ。
 暴れるしか能がない巨人は、ジュリアナ自身の蔦で編んだブロンドヘア目掛けて、組んだ両手を振り下ろす。ガスン、と鳴った硬い打撃音は、確かにステージの効力によって、拡声器の如くアリーナ中に響いたはずだが……。
(効いていない!?)
 銀白のレアメタルを手に握りるドロテアは、ジュリアナが無傷で立っていることに衝撃を受けた。

(殴って駄目なら、投げてみなってね!)
 ドロテアは手早く、黒い巨人になったつもりでイメージを思い描く。すると、主からの命令を受けたイメージ=サーヴァントは、ジュリアナの首根っこを掴み、力任せに地面に叩きつける! 一瞬だけジュリアナが顔を顰めたことから察するに、僅かながらも衝撃によるダメージは受けているようだ。
 ジュリアナは仰向けに倒れたまま、立ち上がろうとしないが……。
「なぁブルーノ。地面に叩きつけられた瞬間、ジュリアナの身体から、何か飛び散ったよな?」
「うん、見た。――あ、あれは!?」
 黒い巨人の全身から、次々と黒瘤が膨らんできたのを見て、ブルーノが不安を募らせる。
「なんだありゃー!? 毛むくじゃらでよく分からねーけど、あれは血が凝固してんのか!?」
 傷ましいほど醜く、全身が黒瘤に覆われた巨人の姿を観れば、マルツィオでなくても叫んでしまうだろう。手足にさえも黒瘤が発生したため、巨人はその身体は思うように動かせず、奇抜な足踏みを繰り返す羽目になった。

 その間に立ち上がったジュリアナは、背中から数本の蔦を伸ばすと、その先端全てに透明な化粧瓶をメーションで現す。そして、全身に万遍なく、中身の透明な液体をスプレーで吹き掛けてゆく。
 と、いきなり巨人を覆う黒瘤全てが爆発! 夥しい量の血と共に、腫瘍と化した肉片と皮がステージ上に飛散。力尽きた黒い巨人が、奇怪な本のビジョンとなって霧消するのは、必然であった。
「心臓に悪い攻撃だなぁ……」
 そう漏らしたブルーノは肝を冷やし、隣に座るマルツィオもコクリと頷いた。しかし、アリーナ内の大半の観客は、ブルーノ以上に残虐な攻撃を目の当たりにしても悲鳴すらあげず、むしろ大歓声をあげている。

(ハン! 本命はこっちよ!)
 化粧瓶を消失させたジュリアナが、伸ばした蔦をドレスに収納すると同時に、その頭上から炎に包まれた巨大な岩が落下してきた! ドロテアが放った隕石は、それを余裕の表情で見上げたジュリアナと衝突。大量のダイナマイトが一斉に爆発したかのような轟音が耳を劈き、強烈な光が視界を晦まし、ブルーノもマルツィオも目と耳を同時に塞いだ。
 数瞬の後に目を見開いた二人は、色々な意味で信じられない光景を目撃する。
 まず、燃え盛る隕石の破片が散らばるステージの上で、銀白のレアメタルを触媒として握り締めるドロテアが、平然と立っていたことに驚いた。つまり、自分自身が描いたイメージに巻き込まれないように、冷静かつ的確にメーションを制御したのだ。メーション使いとしての熟練を証明している。
 だがそれ以上に、ジュリアナもまた平然と立っていることに驚いた。ドロテアを挑発するつもりで、ジュリアナが肩をすくめると、観客たちは過剰なまでの声援を送る。罵詈雑言の集中砲火を放つ気も起らず、ドロテアは立ち尽くすのみ。
(あの液体……リアル(非メーション)の攻撃も、メーションの攻撃も、ほとんど遮断するんだわ。あのクソ女以外が触ると黒い瘤が発生して、衝撃を受けると周囲に撒き散らす。ブルーノの血の鎧以上に厄介だわ!)
 再び複数の蔦を伸ばし、複数の化粧瓶で液体を全身に吹き掛けるジュリアナを、ドロテアは眺めていた。血走った眼からは、苛立ちと焦りが感じられる。
(こうなったら、内部から燃やし尽くしてやる! 電子レンジの中で爆発する卵のように、あのクソ女を爆破してやる!)

 手始めにドロテアは、動物の骨を握り締めて、蒼白い火の玉を大量に召喚した。一つ一つは小さく、その威力も低い。だが、夏夜の羽虫のように不規則に漂いながら、兵隊蜂のように規則正しい順番で、ジュリアナの身体に時間差で突撃してゆく。時間稼ぎとしては有効だ。
(こうすれば、オバケ女は化粧液を掛け直すはずだわ!)
 ドロテアは動物の骨をしまうと、すかさず上に向けた掌から光の粒子を発生させる。
(あら……『導霊昇火フォトンベルト』とかいう、インチキ臭い名前の技よねぇ? 部下の報告では、光のベルトで敵を巻いて、体内から膨大な熱エネルギーを発生させた後に、爆発させるらしいわねぇ。まあそれなりに痛い思いするから、念のため封じておこうかしら)
 ジュリアナは、メーションで現した赤い化粧瓶から、ドロテアに向けて液体を噴射する。ステージのコーナーからコーナーまで液体が届くのを見ると、遠距離戦を想定して作られた物らしい。
 小さな火の玉は次々とジュリアナにぶつかってゆくが、痛みもダメージも殆ど受けてないようだ。ドロテアはというと、一刻も早く大技を発動するために、咄嗟に目を瞑ったほかは防御行動を一切行わず、イメージを描き続けていた。

(なにこれ。全然痛くないじゃない。単なる目潰し?)
 赤い化粧瓶からの噴射が終わり、ゆっくりと目を開くドロテア。その目には、背中から伸ばした蔦で、透明な化粧瓶の中身を吹き掛けるジュリアナが映っているだけだ。火の玉の群れは、既に役目を終えて霧消している。
 何の脈絡もなく、掌のに浮かべた光の粒子が消えた。集中力が途切れたのかと一瞬焦ったものの、迷わずにもう一度イメージを練るが、光の粒子は出てこない。
「AMM入りの化粧水みたいだ! ドロテアのメーションが封じられるなんて、かなり良質だよ!」
「すげーリッチなAMMの使い方だな、おい! オレのシーケーワンなんか、最高級のAMMを入れたせいで、ワゴン車一つ買えるくらいの金を払ったってのによー!」
 狂喜する観客たちの中では、純粋に仰天している二人の方が、むしろ浮いていた。

「あら、化粧水をなじませる方法も知らないのねぇ?」
 濃い紫色のローブの裾で、手に吹きかけられた化粧水を必死に拭っていたドロテア。ジュリアナが悠々と闊歩してくると、ドロテアは見えない壁の隅へと後ずさる。
(どうしよう……! メーションが使えなくなったら、何もできない……!)
 逃げ道を塞ぐように立ちはだかったジュリアナは、弱々しいビンタを放つ。咄嗟にビンタを片手で受け止めるドロテア。が、ジュリアナの掌から化粧水が撒き散らされ、顔に浴びてしまった。
 今度はそれを拭い落とそうと死に物狂いになるが、数秒も経たぬうちに、ドロテアの顔が黒瘤で埋め尽くされてしまう。
「ほら! あたしの化粧で生まれ変わった、あんたの姿を披露なさい!」
 取り乱しているドロテアの両腕を、後ろから掴み上げることは、非力なジュリアナでも容易だった。そのまま、数本の蔦で握った透明な化粧瓶を、ドロテアの全身に余すことなく吹き掛ける!
「このクソ女……! 自分が不細工だからって……!」
 醜怪な顔を晒されてしまったドロテアは、我を忘れてジタバタしていた。手拍子をしてまで、血飛沫と皮肉が飛び散るのを心待ちにしている観客たち。諦めたかのように、ブルーノとマルツィオが目を閉じて俯いた瞬間、ドロテアの顔が破裂して、次いで全身が大爆発した!

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