【お仕事】白い月の邂逅

 私にとって生まれて初めてとなる有償のお仕事を、上月えるさんから頂きました!

 以前より何度か執筆している詩人戦隊ポエーマンズより、月白さんを主人公とした長編小説の第一話です!

※詩人戦隊ポエーマンズの発案者は新井龍人さんであり、私は許可を頂いて執筆しております。

上月えるさんのTwitter

新井隆人さんのTwitter


◆   ◆   ◆

 

 満汐の海に君臨する、白い満月を眺めていた。

 闇を暴き出す月光が、潮流を狂わせ、水面は荒れる。底知れぬ海の中、数多の命が鳴りを潜めている。破滅を免れる為に。本能の奴隷と成り下がり、月の狂気に導かれまいと。

 星明かりは暗黒に沈んでいる。ビルや街灯が織り成す夜景は、清らかな光よりもぎらつく。尽きぬ民衆の欲望が支配する地上。ただ、暗き雲がかかった白き月のみが、天上より見下ろしている。

 

「ふぅ~……」

 人気の無い、遊歩道の休憩所で、煙草の煙を吐く青年が一人。屋根があり、灰皿スタンドが設置されている場所は、今の時代となっては貴重だ。

 スーツを着ている彼は、ダークブラウンの無造作なショートヘアだ。頭頂部は、三日月のように跳ねている。垂れ目がちで、ハイライトの無いミントグリーンの瞳。左手中指には、月を封じ込めたような指輪を嵌めている。

 ふいに着信音が響く。青年は気怠そうに目を細めつつ、ポケットからスマホを取り出した。

「――もしもし。月白げっぱくです」

 この青年――月白は、好青年らしい爽やかな声で言った。

「あ、いえいえ。基地ベースの皆さんも、夜遅くまでお疲れ様です。戦後処理、大変ではありませんでしたか? ……はい、迷子の親御さんが見つかった? それは良かった」

 電話の相手は、月白が所属する組織の内勤者だった。

 詩人戦隊ポエーマンズ。この街の平和を守るため、主に詩の朗読によって戦う組織だ。月白は先程、雑音舞踏軍という敵対組織の戦闘員パリピーたちと、一戦交えている。仕事帰りに寄り道して、一服している最中だったという訳だ。

「――はい、はい……白い髪をした、女の子、ですか?」

 月白は不可解そうに述べると、煙草を一口吸った。

「えぇ……目撃者の証言ですか。パリピーらが白い髪の女の子を探していたと。いえ、僕は見ませんでしたよ。街でパリピーが騒いでいたと聞いて出動、お灸を据えて、怪我を負った市民の治療にあたって、それっきりでした」

 電話の相手は、「なぜ騒ぐ必要があったのか?」と言う。

「――だって、雑音舞踏軍ですよ? 世界を爆音と騒音で荒らす、無法者の集団ですから。幹部から何と指示されたのかは、分かりかねますが、水を得た魚となったのでしょう。本来の目的を、騒ぐ為の手段と置き換えて」

 月白は呆れたように、僅かに口角を上げた。

「――まあ、そうですよね。騒ぐなら余所でやって欲しいですよね。ですから、彼らには『月光浴』を嗜ませました。欲望の眷属は、内なる狂気に容易く呑まれる。パリピーたちは、自分らの騒音でノックアウトしましたよ」

 吸い終わった煙草を処分しながら、月白が述べる。

「――いえいえ。はい、貴方こそ夜遅くまでお疲れ様です。貴方自身へのご褒美、しっかり用意して下さいね」

 月白は思わず、軽くお辞儀してしまった。そのまま電話を切ると、再度「ふぅ~……」とため息をつく。結構疲れているらしい。

 

(ラーメン屋に寄っていこうかな……いや、今週三回も食べてるし、辛抱だ、辛抱)

 一人で首を横に振りながら、休憩所の外に一歩踏み出す。と、冷たい一滴が頬に当たった。

(雨か……)

 片足を前に出したまま立ち止まり、暗闇を見上げた。暗雲に満月は覆い尽くされ、耳をそばだてれば、寂しげな雨音が近付いている事を悟る。

(まあ、傘を買う程ではないかな)

 手のひらを天に向けながら、月白は思った。急ぎ足で帰宅すれば、スーツを乾かす手間も省けるだろう。ラーメンの代わりに、冷蔵庫にあるガトーショコラを食べれば良い。そう考えながら、月白は早足で帰路につく。

 月の光が淡くなり、暗闇が空に立ち籠める。人が発する光は、闇の中で一層強調される。冷たい風が吹き付けると、妙に空腹感が高まった。居酒屋の看板か、ラーメン屋台の照明か――色付いた光は魅惑的で、火に誘われた虫のような心持ちであった。

(でも、月白さんだって、今日は頑張ったからなあ)

誘惑に抗うことは、とても難しい。月白は足を止め、光の内側にあるもの――美味しいラーメンに思いを馳せていた。

と、手の甲や唇に付着する、雨粒の量が増えてきた。海面を打つ音が、徐々に激しくなる。急ぎ帰らねば、ずぶ濡れになってしまう。

欲望を振り払うように、月白は再び歩きだした。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「……ん?」

 ふと、正面に向き直った瞬間、我が目を疑った。

 その影は、夜に一人で徘徊するには、あまりにも小さい。フラフラと歩いていて、今にも前のめりに倒れそうだ。

(迷子かな……?)

 月白は音を立てぬよう、静かに影へ近付く。忍び足でも歩幅はこちらの方が大きいし、小さな影の足取りは覚束ない。頼りない灯りでも、出で立ちがよく見て取れる距離まで、接近することは容易だった。

 ふんわり緩く、ウェーブのかかった白いロングヘア。細かく短いファー素材のワンピースは、ダボっとしていて、靴などは履いておらず裸足だ。年齢的には、多分幼稚園に通うくらい。ワンピースを着ているから、恐らく女の子だろう。

(明らかに普通じゃない……)

 家出したのか、それとも酷い虐待を受けているのか。月白は心配になって、女の子を警戒させないよう、やや遠間から声を掛ける。

「ねえ、君。大丈夫?」

 月白は静止したまま数秒間、女の子からの反応を待った。が、聞こえなかったのか、女の子は前に進み続ける。

「そこの君、大丈夫かい?」

 二回目は、より大きな声を掛けてみた。今度は聞こえたのか、女の子はビクリと、幽霊を見たかのように仰け反った。そうして女の子は、恐るおそる振り返る。

 

 ぼんやりとした街灯が照らしたのは、大きくつぶらだが、光のない瞳だった。首には細いリボンのようなアクセサリーを着け、冷たい風で、上に伸びた髪束が微かに揺れている。

 月白は息を呑んだ。女の子の顔に、酷い傷があったからだ。顔から先に転倒したのか、それとも誰かに殴られたのか。いずれにせよ、痛々しい有様であった。

「……おじさん、だあれ? けんきゅうじょのひと……?」

 息も絶え絶えの、怯えた声だった。『けんきゅうじょ』という予想外の単語に、月白は戸惑う。だが、まずは女の子を安心させてあげなければ。

「おじさんは、研究所の人じゃあないよ。詩人戦隊ポエーマンズ、月白だよ」

 この街では、ポエーマンズの知名度は高い。「大人になったら、ポエーマンズになりたい!」と言う子どもは少なくない。だからポエーマンズと名乗れば、安心するかも知れない。月白はそう考えたが、女の子はしきりに瞬きをするだけだ。

「……君、名前は?」

 月白は二、三歩近付いて屈み込み、女の子と目の高さを同じにした。

「11号」

「じゅう……いち……ごう……?」

 またも月白は戸惑った。「住、一、后……?」などと、平仮名から名字と名前への変換を、頭の中で試してみる。

「后ちゃんって言うんだ?」

「11号は、11号だよ? けんきゅうじょのひとが、そうよんでいたの」

 女の子は、上目遣いで答えた。……ますます分からない。見たり聞いたりしたもので、ごっこ遊びをしているとでも?

夜の雨の中、たった一人で?

 

 突如、強い風が二人を襲う。

「いたっ……!」

 11号が、顔の傷を両手で押さえた。風が当たったせいで、傷が痛んだのだろう。塵が入ってしまったのかも知れない。

「だ、大丈夫かい?」

 月白は思わず、左手を伸ばした。11号の傷口に触れようかと思ったが、彼女の両手で覆い隠されている。それを無理に払うのは、忍びない。どうしたものか。

「いたいの、いたいの――」

 月白は歌い上げるように、高らかな声調で言った。子どもの注意を引くには、歌うような喋り方が良いらしい。

不思議に思って、11号はビクビクしながら両手を開く。目の前で、おじさんの中指に嵌められている指輪が、光り輝いている。

「――とんでけー!」

 あえて月白は、おどけたように言った。中指で11号の傷に、そっと触れる。11号は、無言で月白を見詰めた。

(応急処置だけど、効果を成すだろうか……?)

 雑音舞踏軍との戦闘に巻き込まれた市民を、素早く応急処置する時によく使う術だ。11号は、痛がる様子を見せない。変色した傷部は変わり映えしないが、効いているはず。

 

「いたい、いたいっ!」

 突然11号が身を捩ると、月白は慌てて左手を引き戻す。

「ご、ごめん! 痛かったかな!?」

 背中を丸め、両手で腹を押さえて苦しむ11号を見て、月白は理解した。痛ましい傷は、顔だけではなかった。顔ばかりに意識が向いていたが、よく見ると手の甲にも、それどころか後ろ首にも傷がある……! お腹を両手で押さえていると言うことは、ワンピースの下にも傷があるに違いない。

(殆どが、時間が経っている傷だ……! ロクな治療も施されずに! この子は明らかに、誰かに傷つけられている!)

 月白は一変して、ひどく憤慨した。「こほっ、こほっ……」と、弱々しく咳き込む11号の姿が、怒りの炎に油を注ぐ。

「一体、誰にやられたんだ!?」

 怒鳴ったような声が、飛び出してしまった。

「……けん、きゅう、じょ……」

 言うや否や、身悶える11号の動きが止まった。月白はハッとして、すかさず両手を前に出した。11号は直後、前のめりに倒れて来た。小さな身体を、月白は抱き止める。

11号の両肩を掴んだ月白は、自分の胸から彼女を一旦引き剥がす。顔を覗き込むと、予想通りにも瞼は閉じていた。気絶していることは疑いようもない。

――いよいよ雨は本降りに差し掛かる。すっかり重くなったスラックスは、裾から水滴を垂れ流している。濡れた身体に、夜風はとても冷たい。

(今すぐにでも、病院に連れて行かなければ)

 ここの場所から病院までは、来た道を引き返した方が早い。月白は11号をおんぶすると、迷わずに踵を返した。

 

「待ちな、Office worker」

 数歩戻ったところで、誰かに呼び止められた。若い男の声だ。月白は、上半身を捻って振り返る。

「そのガキ、こっちによこしな」

 手招きしながら言ったのは、青いモヒカンヘアーの若者。両目を露出させるタイプの、ガスマスクを装備しており、迷彩柄の革ジャンを着用している。

「誰ですか?」

 月白は警戒して、鋭い目つきとなった。

「名乗っても意味ねぇンだよな。どうせMemoryがブッ飛ンじまうからよぉ」

 ガスマスク男は顎を突き出し、目で威圧した。

「大方、雑音舞踏軍と見受けましたが」

 服装や喋り方が、あからさまに雑音舞踏軍らしい。月白はガスマスク男を正面に捉え、不意打ちに備える。

「知ってンなら話が早ぇや。そのガキ、よこせ。それとも物理的にブッ飛びてぇか? ン?」

 ガスマスク男は、頭をブラブラと左右に振っている。

「この子を傷付けたのはお前か?」

 11号をおんぶする腕に、力が入る。

「オレはただ、リセットし損ねた実験体を連れ戻せとしか、言われてねぇンでな」

「つまりお前は、追跡者と言い表せるな」

「オレだけじゃねぇがな。他の連中は、街でPartyおっぱじめて、ポエーマンにKnock outされたらしい。ま、オレは騒ぐしか能の無いバカとは違うけどな。おかげで単独行動した甲斐があったってモンだ。これで手柄は一人占めよ」

 ガスマスク男改め追跡者は、愉悦に浸っている。その両目が笑っていて、成功を確信したと言わんばかりだ。

 

「キミたち、ここで何をしている?」

 追跡者の背後から、合羽を着た警察官が声を掛けた。懐中電灯で、追跡者と月白を交互に照らし、不審がっている。

「怪しいな……こんな天気で傘もささず、子どもを連れ回して。人身売買じゃあないだろうな?」

 警察官は半ばからかうように言い放ちながら、月白の方へと近付こうとする。

「あ、いや、この子は、迷子でして……」

月白は11号を背負ったまま、弁明を試みる。

「チッ……邪魔だ」

 追跡者は、月白にも聞こえるように舌打ちすると、大きく息を吸い込んだ。ガスマスク特有の機械的な吸引音が、この雨にも関わらず不気味に響いた。

「おい! なんだ、その口の利き方は!」

 警察官が振り返りつつ、追跡者の顔を懐中電灯で照らした、その直後。

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 配線が触手のように飛び出した、イカれたラジオカセットの再生音にも思える、凄まじいノイズ音が放出された! ガスマスクから放たれた音声は、一瞬にして雨音を掻き消す。

「あが、がっ……!?」

 警察官が懐中電灯を取り落とす。両膝をつくと、両手で耳を塞ぎ、微かに痙攣をする。

「脳が! 削られる!」

 脳を鉄ヤスリで削られるような、苦痛に苦しむ警察官。

「なっ……!」

 月白は驚き、目を見開いた。まもなく警察官は、うつ伏せに倒れる。すぐに救援しなければと思ったが、11号を背負っている状態では、咄嗟の動きができない。

「うぅ……」

 数秒後、警察官は呻き声を漏らしながら、両腕で身体を持ち上げた。

「ん? 何を考えていたっけか?」

 片膝立ちになった警察官が、一瞬動きを止めて呟いた。取り落とした懐中電灯を拾い、呆然と眺めている。

「あぁ、そうだ、思い出した。電池を買うんだったな」

 そう言うと、警察官は何事も無かったかのように歩き出した。あざ笑う素振りをしている、追跡者の傍を通っても、まるで見えなかったかのように。

「記憶を、抹消された……?」

 暗闇に消え去った警察官を見ながら、月白が言った。

「そういうこった。次はテメェの番だ」

 追跡者は、故意にゆっくりとした歩き方で、月白との距離を縮めてゆく。

「問答無用か」

月白は、背中から11号を降ろすと、スーツのジャケットを素早く脱ぐ。ジャケットを地面に置き、その上に寝かせた11号を、雨で濡れないよう包んであげた。

 

 ポケットに両手を突っ込む追跡者が、腕が届くか届かない距離まで接近していた。数秒間、月白と追跡者は睨み合う。雨は滝のように降り注いでいる。

 大きく身を反らせた追跡者の、ガスマスクが吸引音を立てた。けたたましい雨音さえも、吸収するかのようだった。肺が限界まで膨れ上がり、全ての音が途切れた、その直後。

「ZAAAAAAAAAA!!!」

 外耳道に鉄片を流し込むような、激痛を催すノイズが爆散した! 壊れかけの映写機で投影されたように、視界が揺らめき、色褪せたような錯覚さえ覚える。

「うーん……」

 ジャケットに包まれて横たわる11号が、苦しそうに身を丸めた。月白は瞑目し、心を鎮めてノイズに耐えている。

 なるほど、確かに常人ならば立っていることさえ難しい。脳を締め付けられ、血流が止まったかのように、意識は徐々に遠のき、身体の感覚が薄れゆく。

 だが月白は、自らの深呼吸に聴覚、触覚を集中させ、ノイズが途絶えるのを待っていた。心の中で、柔らかい詩の朗読を繰り返し、正気を維持している。肉体がダメージを受けている訳ではないはず。不屈の心があれば、耐えられる。

「フゥーーーー」

 やがて、魔界のようなノイズが鳴り止むと、追跡者は肩を持ち上げて大きく深呼吸した。

「さっさとオチた方がいいぜ。やせ我慢してたら、ブッ倒れた時に丸一日の記憶がブッ飛ぶンだからよぉ」

「……独占するのが趣味か?」

「あぁ?」

 月白から唐突に放たれた言葉に、追跡者は眉を顰める。

「仲間を見捨て、女の子を攫い、他人を傷つけてまで、手柄を所望するのか?」

 月白はゆっくりと、瞼を持ち上げながら言った。力強い眼差しで追跡者を見据える。暫しの沈黙。

「当たり前だろ! オレは騒ぐだけの無能とは違って、仕事ができンだからな! 手柄は当然、オレが持つべきだろぉ?」

「よく分かったよ。お前の狂気は、満たされるまでだって事が」

 にわかに月白は、左手を顔の前に構えた。

「詩人伝承――」

 月白の左手中指に嵌めてある指輪が、白く発光する。

「なっ……」

追跡者は、ほんの少し仰け反る。

 次に月白は、左腕を斜め上に、右腕を斜め下に構えた。満月を描くように、それぞれ反時計回りに半円を描く。再び、顔の前に左手を持って行き――掲げた右手を、静かに指輪にかざした。

「――ポエトリーチェンジ!」

 唱えた直後、右手を力強く降ろした。心臓部を掴んだ左手から、薄い青みを含んだ白色、すなわち月白色の光の波紋が広がった。波紋が通過すると、月白の髪色が、瞳の色が、シャツやスラックスの色が、月白色へと上塗りされる……!

 波紋は髪先まで到達する。行き場を失い、消失するかと思いきや――引き伸ばされるように、月白の後ろ髪が伸びたのだ。やがて、今度こそ波紋が消え、変身を完了させた青年は、発光する指輪を見せ付けるように、左手を突き出した。

「その手は、白き月をも掴む……月下の過客、ポエーマン月白!」

「ポ、ポエーマンだとぉ!?」

 追跡者はたじろぎ、二、三歩引き下がった。雑音舞踏軍にとってポエーマンズは、執拗に野望成就の妨害をする仇敵。ただの仕事帰りのサラリーマンだと思い、完全に油断していたが、よりによって孤立無援の状態でポエーマンと遭遇するとは。

「ヘ、ヘヘヘヘ……! つまり、テメェをブッ飛ばせば手柄が二倍、いや! 十倍になるってことだよなぁ!?」

 突如追跡者は、身を揺らしながらヘラヘラと笑い出した。自分の中の焦りから、目を背けているのかも知れない。万歳するように、両手を大きく上げながら、辺りに吸引音を響かせる。全ては手柄の為、半ば自暴自棄になって攻撃の準備を整える。

 

「暗雲よ、花道を為せ。何ものにも染まる、白き月を出迎えよ」

 競うように、月白は朗読を開始した。月白色に光る指輪を、胸の前に置きながら。鐘を鳴らすように微かに震える、神秘的な声であった。彼が立つ周辺から、光――やはり月白色の光たちが、雨を降らす雲を目指して立ち昇った。尾を引き、絡み合い、暗雲に突入する。雪が溶けるように暗雲が晴れ、満月が姿を現した。

「満汐よ、水鏡を為せ。生命の故郷こそ、万物を抱く」

 追跡者の視線は、吸い寄せられるように海に移った。限界近くまで息を吸った所で、ノイズを繰り出す訳でもなく、呼吸を止めている。

 荒れていた海が、静まり返っている。まるで磨かれた鏡のように、雲の窓に収まった満月が水面に映っている。絵画で描かれたように非現実的で、追跡者は不気味に思う。

 しかし、視覚に反して、聴覚は荒れる波音を間近で拾っていた。体内に押し寄せる波音。まるで血液こそが、荒れる満汐へと変貌したようで、追跡者は全身の血管が熱くなるのを感じていた。

「昏き星に、栄えある瞬きを灯したもう」

 月光が降り注ぐ。月白を彩る、スポットライトのように。土砂降りの中、月白の周辺だけが、晴れ上がっていた。

 月光に晒された追跡者は、真夏の太陽で日焼けするが如く、満月によって鳥肌を立てていた。雲は鱗で覆われた窪み、月は恐ろしき邪竜の金眼。目を合わせてしまった追跡者は、見上げたまま立ち竦んでいる。

「地に堕つ刹那の、至上の名誉を!」

 朗読を終えた月白が、一際大きく目を見開いた。

 

「……ヘヘッ、ヘッヘッヘッヘッヘッヘ……!」

 依然、満月を見上げている追跡者は、火炎に包まれた自宅を眺めるかのように、光を失った目で笑い出した。

「なんで今まで、気が付かなかったンだ……?」

 ハァ、ハァと、何かに耐えるように息を荒げている。11号を誘拐するために、ノイズを放ち記憶を抹消する、その意趣返しをされているようにすら思われた。

「そうだ、ガキなんざハナから要らねぇんだ。もっと手っ取り早い方法があるからよぉ」

 追跡者は、海と遊歩道を隔てる柵の方へ、酩酊したかのような千鳥足で向かって行った。あろうことか柵に登ると、これみよがしに両手を上げて、高らかに叫ぶ。

「見とけよ、テメェら! 二階級特進だ! 祝いに焼き肉奢れよぉ!?」

 追跡者は直後、飛び込み競技をするかのように、頭から身を投げ出した! 「ッシャア、オラアァァァン!!!」と奇声を発しながら、空中で何度も前方回転した。8点は狙えるかも知れない、美しさであった。

入水においては、それほど水飛沫が上がらなかった。飛込の才能があると見える。そのまま追跡者は、海に沈んだ――ように見せかけて、数秒後には浮上するのであった。

「No! 冷てぇ! 誰だ、ここに飛び込めっつったの!」

 空を飛ぶように、両手を上下させている追跡者。水泳の才能は無いらしい。しかし、溺れることは辛うじて免れている。

「うわー! オレ泳げねぇンだ!」

 幸運にも、どこからか浮き輪が流れて来た。追跡者は無我夢中でしがみつき、辛うじて難を逃れる。

ほっとしたのも束の間、追跡者は陸地が段々と遠ざかってゆくのを悟った。そういえば、海が荒れていた事を思い出す。幻から醒めた追跡者は、バタ足で何とか岸に辿り着こうと試みるが、潮の流れが速くて後退するばかり。

「誰かー! 助けてくれー!! ノイジー様ァーー!」

 悲鳴を上げた追跡者は、浮き輪にしがみつくことしか出来ず、向こう岸の方まで流されてゆくのであった。

 

(雑音軍師ノイジーが一枚噛んでいるらしいな)

 月白は気を緩めることなく、素早く周囲を見回した。

(他にも追跡者がいるかもしれない。病院に預けると、かえって危険だ。警備員がいなければ、狙われやすくなる)

 地べたに寝かせていた11号を、お姫様抱っこで持ち上げた。11号を包むジャケットを、少しめくり上げ、顔を覗き込む。悪夢に魘されているのか、ぎゅっと目を瞑っていた。

(安全の為、ポエーマンが傍に居るべきだ。今すぐベースに……いや、ここからだと僕のマンションの方が近いか)

 降り注ぐ月光を背にして、月白は歩き出した。抱き抱える11号と共に、再び激しい雨に打たれる羽目になる。

月白色に染まった身体や服が、夜が明けるように元の色になる。暗雲に開かれた、満月を仰ぐ天窓が閉じられる。

「絶対に、助けてみせるからね」

 月白の口から、低い声が漏れ出た。悪い奴らに目撃されるよりも早く、この子を匿わなくては。月白は早歩きで、マンションへと向かうのであった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

 閑静な住宅街にある、五階建てのマンション。各階六部屋ほどあり、月白は二階中央の部屋に住んでいる。

 少々雑然とした寝室。サンスクリット的な、月の紋様があしらわれたベッド。部屋には小規模な本棚の他、お香立てやエスニック柄の置物、アクセサリーなどが見られる。

 

「――雲に揺られ、満月に見守られ、安らかな夢を――」

 月白は朗読しながら、ベッドで仰向けになっている11号に、左手でそっと触れている。ずぶ濡れたスーツから、月白は寝間着姿に着替えていた。

11号はと言うと、明らかにサイズの合わない、月白の私服に着替えさせられていた。これもまたダボッとしていて、ワンピースを着ているみたいだ。

 既に月白によって、11号は応急処置を施されていた。家にある救急箱を取り出し、11号の傷を消毒したり、絆創膏を貼ってあげたり、包帯を巻いてあげたりした。

 その上で、ポエーマンとしての能力、『過去からの脱却』を使っている。先の追跡者に対して行使した、潜在的な狂気を増大させる『月光浴』とは、逆位置にある。『過去からの脱却』は、人の精神を回復させる技であり、これにより11号を苦しめる痛みを忘れさせて/rb>・・・・・あげるのだ。

「うーん……」

 11号が、微かに瞼を開く。

「あぁ、君。じゅういちごう、ちゃん? 気が付いたかい」

 月白は、11号に触れていた手を引っ込めると、そっと顔を覗き込む。ビクリと、11号は目を丸くした。

「大丈夫? 痛いのは、飛んでいったかな?」

 月白が、優しい声で尋ねる。掛け布団の裾をぎゅっと掴み、口元を隠す11号。木の穴から様子を伺うリスのように、柔らかに微笑む月白を見ている。

 何十秒か経過した末に、11号は無言で、コクリと頷いた。思わず月白は、自らの胸に手を当て、安堵する。

「一安心、一安心」

 11号は仰向けのまま、掛け布団から口元を出してくれた。月白は悪い人ではないと、認識してくれたのだろう。

 

「ここは……?」

 か細い声で、11号が訊いた。

「ここは僕の家、ポエーマン月白の家さ」

「ポエーマン……?」

「そう、ポエーマン。詩の朗読で、悪い奴らをやっつける、正義の味方だよ」

「……11号の、みかた、なの?」

「もちろん! 君に酷いことをする奴らは、お兄ちゃんがやっつけてみせる!」

 月白は、握りしめた拳を11号に見せ付けた。

「ひどいこと……」

 掛け布団の中を見た11号は、押し黙ってしまう。

「あぁ。辛いこと、思い出させちゃったかな? ごめんね」

 月白はピンと背筋を伸ばす。11号は瞬き一つもせず、じーっと布団の内側を見ていた。秒針が動く機械音が、聞こえてくる。

「……けんきゅうじょ」

「うん?」

 更に弱々しくなった、11号の声を聞き取ろうと、月白はほんのちょっとだけ、身を乗り出す。

「けんきゅうじょ、きらい。かえりたくない……」

 そう言うと11号は、お化けを見てしまったかのように、掛け布団を頭まで被った。少しの間、月白は思案する。掛ける言葉を思いつくと、掛け布団の上から耳打ちした。

「そうだったんだね。じゃあ、お兄さんと一緒に、ここに居よう。ね?」

 11号は、目元だけ月白に見せた。微かな、実に微かなものではあったが、11号は頷き返してくれた。

(けんきゅうじょ……科学的な実験などを行う、あの研究所か?)

 おもむろに、月白は神妙な面持ちとなった。

(まさか人体実験か!? ならばこの子は、名前ではなく、11号という『番号』で呼称されていた……! そう考えるのが自然だ。由来は分からないけど、11号、などと!)

 月白は今一度、激しい怒りを覚えた。

(非道過ぎる! さっきの追跡者は、ノイジーと口走ったな。あいつがやったのか? この子にこんな仕打ちを!)

 憤怒の形相で、11号を見下ろした。徐々に掛け布団から、顔を出しつつあった11号は、目が合った瞬間、目から下を掛け布団で覆い隠した。全力疾走で追いかけられた子猫のように、目を丸くして怖がっている。

「あぁ……ごめんね。お兄ちゃん、怖かったね」

 すぐに柔らかく笑ってみせた月白は、左手で11号の頭を撫でてあげた。

(今はこの子の治療が先決だ。きっと怖くて、まともに喋られないのだろう。詳しい話は、回復してから尋ねよう)

 何度か撫でてあげた後、11号の頭から左手を離した。

 

「……それ、なあに?」

 11号は、月白が嵌めている指輪に注目した。魂が抜けたような瞳が、心なしかキラリと輝いた。大好きなオモチャを発見したかのように。

「あぁ、この指輪かい?」

 月白は左手の甲を11号に向ける。

「これはね、ガチリングさんて言うんだよ」

 この指輪は、正式には『月輪がちりん』という名称だ。ポエーマンとしての能力を使役する際に使われる。月白は「ガチリングさん」と、至って真面目に称しているが、この呼び方は子どもの興味を惹くには、お誂え向きかもしれない。

「がちりんぐ、さん?」

「その通り! お兄ちゃんが変身するときはね、ピカー! って、お月さまのように光るんだよ」

 11号はガチリングさんに向けて、両手を伸ばした。オモチャを見つけた子ども、そのものだった。

「あ、こら。触っちゃいけないよ」

 まるで蝶々を捕まえるように、11号が月白の中指を掴む。

 そこからが驚愕の出来事だった。月白は、特に念じた訳でも、朗読した訳でもないのに、月輪が輝き出したのだ。月白色の光が、11号の指の合間から漏れ出る。

「えぇ!?」

 月白は呆然自失の様相で、指輪の光を見ていた。上目遣いの11号は、口をポカンと開いている。

「へんしん、したの……?」

 11号に言われた月白は、まさかと思って鏡台を見た。鏡に映っていた自分の髪は、月白色の長髪に変貌してはいない――が、よく見ると顔が顔の皺が増えた気がする。更に注視すると、ダークブラウンの髪に、結構な数の白髪が混じっているではないか……!

「うわっ!」

 月白は顔面蒼白になった。悲鳴を上げた際に、11号がビックリして、指輪から両手を離した。離すや否や、指輪から発する光はなくなり、月白の顔の皺や白髪も消えてなくなる。

(老いて……しまったのか?)

 元通りになった鏡の中の自分を、未だ凝視しながら深呼吸を行う。落ち着いた後に、11号の方に向き直る。小さな女の子は、横たわったままキョトンとしていた。

「……すごいなあ! お兄ちゃん、驚いちゃって、おじいちゃんになっちゃったよ!」

 月白は片手を後頭部に当て、おどけてみせた。怖がったり、怒ったりすれば、11号が傷ついてしまうと考えたからだ。

11号は、目をぱちくりとさせた。月白の反応が予想外で、困惑したのだろう。

(この子は、やはり特別な子に違いない。悪党はこの子の力を、不当に利用する腹積もりなんだ。ならば尚更、僕が守ってあげなければ……!)

 正義感の強いポエーマンは、心密かに決意を固めた。

 

「ふあぁ……」

 可愛らしい欠伸が聞こえた。半目になった11号は、今にも眠りに落ちてしまいそうだ。

「眠いのかな?」

 月白が訊いても、11号はうんともすんとも言わない。物凄く疲れていて、頷き返す余裕すら残っていないようだ。

「ずっと一人ぼっちで、大変だったよね。雨が冷たくて、寂しかっただろう」

 言うや否や、糸が切れたように、11号の瞼が閉じられた。

「……おやすみなさい。良い夢を見てね」

 入眠の邪魔をしては可哀想だ。月白は即座に話を切り上げる。照明の明るさを『最弱』に設定してから、月白は寝室を後にした。

 

 リビングには、食事テーブルやテレビ、大きめのソファなどがある。青年が一人で暮らすには、少し持て余すかもしれない、充実したインテリアである。

(月白さんも疲れたなぁ……)

 ソファに座りこむ月白。堰を切ったように、疲労感が全身に圧し掛かった。ただでさえ、パリピーたちと一戦交えてからの、仕事帰りだったのだ。その上に11号を保護し、追跡者と戦闘したのだから、相当疲弊している。

 最早、物を口に入れたいとさえ思わない。さっきまで、ラーメン欲に抗っていたとは、我ながら思えない程。リビングの照明を消す気力すら残っていない。月白は、ソファに深くもたれ掛かると、そのまま微睡んでしまうのであった。

 

   ◆   ◆   ◆

 

「おにいちゃん……」

 弱々しい声と共に、肩を触られた月白は、瞬時に覚醒した。実際、どれくらいの時間が経過したのかは不明だが、感覚としては五分くらいしか寝ていない。

「11号ちゃん、どうしたんだい?」

 月白は付けっぱなしの照明に、眩しさを感じつつ、傍に立つ11号と目を合わせた。――11号という、機械扱いする呼び方に、我ながら嫌悪感を抱いた。今度、人間として真っ当な名前を、付けてあげようと思った。

「……こわくて、ねむれない」

 そう言いつつ、11号は目を擦った。眠気を感じているのは間違いないが、慣れない環境のせいで、目が冴えているのだろうか。

「それは、困ったね」

 背もたれに寄りかかっていた月白は、11号の目を覗き込むように、重心を前に押し出した。こうしてベッドから抜け出して、月白に縋ったからには、何とか手助けしたい所だ。11号は上目遣いで、じーっと月白を見ている。

(どうしたものだろうか?)

 ホットミルクを飲ませるとか、軽くストレッチをするとか。寝付く為には、色々な手段が思い当たる。だが、詩人戦隊が一番自信を持てる方法は、朗読、あるいは読み聞かせだ。

絵本の読み聞かせは、子どもを寝かしつけるには定番。ポエーマンとしての能力を加えれば、心地良い眠りに誘うことができる。

「それじゃあお兄ちゃんが、本を読んであげるよ」

 そう言って月白は立ち上がる。眠ったせいで身体が重くなって、思わず「よいしょ」と言ってしまった。左手を差し出すと、11号はぎゅっと握り返してくれた。11号を引き連れて、月白は寝室に入ってゆく。

 

 寝室に入った月白は、小規模な本棚の前に立つ。

(どの本が適当だろうか……?)

 本棚には詩集を始め、著名な文豪の小説、自伝、対談集などが収納されている。僅かながら、子ども向きの絵本もあるが、傷心に寄り添えるような優しい詩集が相応しいかもしれない。月白は顎に手を当てて、真剣に考え込んだ。

「……これがいい」

 ふと、傍に立つ11号が指差した。うっすらと青みを帯びた、穏やかな白をした表紙の本を。

「『白き月の王』か」

 なぜか11号の目が行ったその本は、月白にとってもお気に入りの作品だった。表題『白き月の王』、絵本にしては分厚い。絵本以外にも、小説の形態をとって発行されたものもあるが、いずれにせよ発行部数は少ないらしい。

「この本ね、月白お兄ちゃんも大好きなんだ」

 月白は嬉しそうに、その絵本を取り出した。彼は白き月の王を、絵本や小説など、様々な媒体で鑑賞している。自身と同じ『月』を冠する作品であるからか、不思議と惹かれてしまう。事実、ポエーマンの能力を振るう際には、この作品から引用した文章を朗読する場合が多々ある。

 月白が絵本を手に持つと、11号はちょこちょこ小走りで、ベッドの中に入った。月白色の絵本が、そんなに楽しみなのかと思うと、読み聞かせる本人も胸が躍るようだ。

「それじゃあ、行くよ」

 月白は最初のページを開き、横向きに寝ている11号に見えるようにした。小さな女の子は、ハート型のリボンを発見したかのように、目を輝かせている。咳払いをし、ゆっくり息を吸った月白は、優しい声で読み聞かせを始めた。

 

「むかし、むかしの、そのまたむかし。お月さまには、やさしい王さまがおさめる、王国がありました」

 歌い上げるような、それでいてメリハリをつけた、月白の声。開かれたページには、宇宙に浮遊する、明るく優しいタッチの月が描かれていた。絵本らしい、子ども好きのするファンタスティックな画風だ。

 11号はまじまじと絵本を見ている。その目は星のように輝いている。月白は一呼吸置いてから、ページをめくった。

「それはそれは、きれいな王国です。お星さまの光でそだった、色とりどりのお花ばたけ。どこまでも高い夜空をおよぐ、ながれ星のようなお魚たち」

 蛍光インクを流し込んだかのような花々。笑顔が可愛らしいデフォルメされた魚群。他にも神秘的な光景が、ページいっぱいに描かれている。

 あえて例えるなら、穏やかなビーチの波の音。月白の声に聴き入っている11号は、徐々に瞼が閉じられる。子どもというのは、電池がプチッと切れたように、急に眠るものらしい。ポエーマンの声が心地良くて、昂ぶった神経が鎮まったおかげだろう。

「まっ白なおしろは、まるでほう石のように、きらきらとかがやいています。おしろのてっぺんにある、バルコニーからは、おおきなおおきな、月の王国を、みわたすことができます」

 まだ始まって間もないのに、11号の瞼が閉じてしまった。月白の読み聞かせが、効果覿面だったという、何よりの証だ。

ページをめくる時に、11号の顔をチラリと覗き込む月白。もう、月白の声が聞こえていないかも知れないが、11号が安らかな夢を見られるようにと、読み聞かせを続ける。

「毎日まいにち王さまは、このバルコニーからぼうえんきょうで、王国を見おろします。王国の中で、こまっている人びとを、さがすためです」

 片目で望遠鏡を覗き込む、王冠を被った男が描かれていた。例によってページがめくられる。

「もしも、こまっている人を見つけると、王さまはすぐにへいたいをよびます。そうして、『あそこにいる人を、たすけてあげなさい』と、めいれいするのです」

 一例を示すかのように、荷車を辛そうに引くおじいさんと、望遠鏡の先を指し示す月の王、そして敬礼する兵隊の絵が描かれている。

 

「……パパ……」

 寝言だろうか。11号が呟くと、ページをめくりかけたまま、月白の手の動きが止まった。すぐに11号は「すぅ……すぅ……」と寝息を立て始める。完全に眠ってしまった。

 11号にとって、パパと呼べる人物に抱かれる、安らかな夢を見ているのかも知れない。非人道な奴らに攫われる前は、両親と手を繋いで散歩していた――そんな、幸せそうな11号の笑った姿が、頭を過ぎった。あるいは、月白に実父の影を重ねているのだろうか。

 安らかな寝顔となった11号を見る。既に月白は、11号との邂逅に、運命的な何かを感じていた。今は希薄なコミュニケーションしかできない。だが、月輪の力を使役できた事実や、白き月の王に興味を示したことを思い返すと……11号は、自分が守らねばならない。そんな気にさせられる。

 だから月白は、より一層の想いを、声に籠めた。この子が幸せになれるように。安らかな夢を見られるようにと。

「王さまは、すべての人びとがしあわせにくらせるよう、いつもいつも、いのっていました。一人ひとりのねがいをかなえて。そしていつの日か、こまっている人がいなくなる、そのときをゆめみて」

 

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